平等。
私はこの言葉が大好きです。文字を見るだけで安心することもありました。世の中は不公平だと感じることが多かったからか、この言葉そのものに憧れていたのかもしれません。
実際この世界では不平等としか思えないような出来事が起きています。
では、平等とは何なのか? 本当に存在するのか?
不平等だと感じる度に疑問が湧き起こりました。
その後ヨーガに出会い、誰もの中に等しく真実が存在していると知った時に、これこそ私が求めていた平等だと思いました。
心の目で見れば不平等な世の中も、真実の目から見れば、姿形や性質は様々でも、その中には一なる真実がある。それは一つのものである。それを体感するには、悟りの境地に至る必要があるのかもしれませんん。
しかし、道半ばであっても、平等であれるように努めることができます。
今、私は平等であるために、真実の側から見るように努められているだろうか。
振り返ると、心の側から見ていることの多さに気付きました。平等でありたいと願いながらも自ら違いを見てしまっているのです。また、特に苦手と感じる人がいると、その人の中にも真実があると意識しようと力み、何とかしようと焦って失敗したりしています。
心ではなく、真実の存在をより深く信じ、そこに全てを委ねていくようにすることが必要なのではないかと思いました。
まだひと月ほどの期間ではありますが、実践するにつれて身体の力が抜けて、平安な気持ちで過ごす時間が長くなりました。
不思議なほど次々と問題が発生する日々だったのですが、一つ一つ落ち着いて丁寧に対応することができたように思います。
苦手な人に対面しても余計なことを考えず、少しでも何らかの思いが生じたらすぐさま一なる真実に委ねるようにすることで、今行為するべきことを自動的に行なえるような感覚になることが増えてきました。
また、目の前にいる人の中に真実が存在していることに愛しさを感じて胸がいっぱいになる瞬間が何度もあったことは、これまでにない経験でした。
私の今年の抱負は、「(神に自分を明け渡して委ねるという信念をもとに)一つの物事に対して粘り強く取り組むこと」でした。
取り組む中で、熟考して行動する習慣が身に付いてきたように感じます。
今回体験したことがまた新たな積み重ねになるよう、より確実に実践をしていきたいと思います。
玉川上水沿いの遊歩道。美しい緑がまだ楽しめますが、足元にはどんぐりが落ちていて、秋を感じます。
ハルシャニー