ブログ新企画『ゴパーラが行く〜あるヨギのお散歩〜』    vol.1 御金神社編

皆さん、こんにちは。
ゴパーラです。
今回から、ブログ新企画『ゴパーラが行く〜あるヨギのお散歩〜』のスタートです。
第1回目は、京都中京区にある「御金神社」に行ってきました〜😎

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眩しいほどに光る、金色の鳥居と献灯。
この御金神社はおかね神社ではなく「みかね神社」といって、刀や農耕器具の鋤・鍬、金銀銅の貨幣などの御金(みかね)を護る神様をお祀りしている国内唯一の神社とのこと。
「ここ、ご利益ありますよ。仕事帰りに毎日お参りして、給料がアップしました」という方がいるなど、22時近くにもかかわらず、多くの人が参拝していました。

この神社、鳥居をくぐるとすぐ右手に、何やら巨大な物体が👀⁉️
何と驚くことにそれは、お金のご利益を祈願した絵馬の固まり、まさにお金の怪物でした〜😨

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人間のお金に対する願いというか願望に唖然……

しかし、このお金のモンスターを目の前にしても不動の男が……

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「金、女、煩悩ばっかり、必死で追いかけていた。苦しくて、虚しくて、溜息ばかり。涙ポロポロ、心ズタボロ。ボロ、ボロ、サブミラボロ(讃えよ、讃えよ、皆で神を讃えよ)!」
と昨年、自らの半生をラップしていたザ・バブル世代のチャイタニヤさん。
お金の酸いも甘いも知っている彼が最近、師であるヨギさんや先輩弟子の質素な暮らしと在り方を見て、「お金の使い方を見直している」とのことで、「お金と布施」についてヨギさんに質問していました。
以下が、その時のヨギさんのお教えです。

「心を蝕んでいるものは、カルマであり、また煩悩であり、無知であるという大枠はだいたい理解していると思う。それらの象徴的なものが、お金であったりするわけです。お金に執着があるということは、他(た)の物欲、煩悩、欲望、さまざまなものへの執着がそこに潜んでいるというふうも見えます。だからその象徴的なものであるお金を、聖なるものに喜捨する。『喜捨』――喜んで、喜びをもって布施する。ということは、自らの心の内の不要な物欲、煩悩、そういうものを減らしていく、無くしていく、そういう働きにもなります。それで、仏教なんかでも布施行というのがあったり、六波羅蜜という波羅蜜行というのがあるんですけれども、六つの段階があって、その最初に布施波羅蜜といって『布施をしなさい』ということが教えられます。それは今言ったように、心を浄化する効果がある。やはり物欲の象徴は、金銭欲、執着ということになりますから。その意味でも、布施というのは正しく実行するのが望ましいと思います」

お金への執着はその裏に煩悩や欲望が潜んでいて、そのお金を聖なるものに布施する行ないは心の浄化に繋がる――
チャイタニヤさんは、「お金について見直すことは、生活を見直すことになった」と話し、実際に外食やお酒、無駄な買い物を避けているそうで、師から「何もやめなくてもいい」とのお墨付きをいただいた彼が、自発的にお金をセーブして布施を実践しようとしている姿勢からは、何か強力なエネルギーを感じ、とてもインスパイヤされました。

お金は衣食住の確保や家族を養うためなど生活において必要な物ですが、だからこそ、この人生においてその大切なお金をどのように理解し、どう使うのか――
「お金のベクトルって、人生のベクトルなのでは👀?」
そのようなことを感じたチャイタニヤさんとの交流でした。

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「新しいアーシュラマが……」とつぶやいていました💫

ゴパーラ


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