多くの方が、仕事や家事、育児、あるいは介護に忙しい毎日を送っている中で、どのようにヨーガを実践していけばいいのか、悩む時があります。忙しい日々に追われ、ヨーガや理想を忘れてしまうことすらあるかもしれません。
大阪でプレーマヨーガサークルを運営するニルマラーが自らの経験を寄せてくれました。
グルバイ…真理を求めて同じ師のもとに辿り着いた仲間(兄弟姉妹弟子)、その存在がどれほど私を支えてくれているか。昨年度はその存在の大きさを特に実感する1年だった。
この春から、任される仕事の内容が増えたり、子どもの進学があったりと忙しさは続いているが、昨年度は特に、日常生活において次から次へとやらなければいけないことがきて、本当に慌ただしい日々だった。内容は家事・育児・仕事、文字にするとたったこれだけなのに。
目の前にやってきた仕事に対して、感情に振り回されずに淡々と、しかしそれがより良くなるよう誠意をもって一所懸命行う。ヨーガで学んだ仕事に対する姿勢をもって一つ一つのことに向き合うようにしていても、許容量の少ない私は、時々糸が切れたかのように「もう無理!」と叫びだしたくなることが何度もあった。自分の不甲斐なさに涙が出ることもあった。
それはヨーガの実践にも及んだ。1日の終わりにはもうクタクタで、アーサナも瞑想もせずに気づいたら眠っていたという日も多かったし、何より神への思いを忘れてしまいそうになっている自分に失望したこともあった。
しかし、雑多な日常生活の大波にのみ込まれそうになるたび、ヨギさんが使者を送ってくださっているかのように、先輩グルバイとの交わりの機会が与えられた。
プレーマヨーガサークルの活動を通してだったり、御聖誕祭の祝辞を書くということだったり、様々な形で普段はなかなかお会いできないグルバイの皆さんとお話をする機会に恵まれた。
そこでいただいた言葉の数々、それらが私にとってはヨギさんからの叱咤激励のように感じられた。
ある時は、ミラバイさんが「もし神を忘れてしまったと思える時でも、神はあなたを忘れることはない」というヨギさんの言葉を教えてくださり、あまりにタイムリーな言葉に驚き、瞬時に涙腺が崩壊した。
ミラバイさんが教えてくだるキールタンもまた、忙しい日々の中でいつでもどこでも実践できることとして、私の生活には欠かせないものになっている。
初めて歌ったのは確か10年ほど前だったと思う。神の御名を唱える、そのシンプルな行為によって、彷徨っていた心があっという間に神のもとへと戻っていく。生活をまわすだけで精一杯な時、とにかくキールタンを歌うことでなんとかヨーガと繋がってきた。
また、NYのアーナンダマーリーさんからご連絡をいただいたこともあった。
御聖誕祭での祝辞に、NYやクロアチアのグルバイの方が共感してくださっているという内容だった。そのことを聞いて私の方が励まされた。何より、1年前はご挨拶するだけでもすごく緊張していた大好きなアーナンダマーリーさんとメールのやり取りをするだけで、神聖なバイブレーションが伝わってくるようだった。
週に1回行なっているプレーマヨーガサークルも、グルバイと交わる貴重な時間だ。お互いがそれぞれ忙しくなっても、この活動だけは大切にしている。
それはヨギさんが与えてくださった大きなプレゼントなのだと感じているから。
そう、グルバイの方々はそこから発せられる言葉はもちろん、その存在の中にヨギさんを見ることができるのだ。だからその在り方に触れることで、こちらを奮い立たせてくれたり、神聖なものへと思いを馳せるきっかけになったりと良い刺激を与えてくださるのだろう。それが、ヨーガを実践し続けていく大きな力になっている。
世間の大波の中にあっても、神だけを見て歩んでいけますように。
神への思いが溢れ出て止まらない、そんなグルバイの一人となれますように。
ニルマラー