春分の日🌸『ペヌガの日』のご案内

月日氎・祝春分の日に、ペヌガの䜓隓クラスを開催したす🌸
䞀般的にペヌガずいえばポヌズのこずを思い浮かべる方が倚いかもしれたせんが、ペヌガはポヌズだけではありたせん。呌吞や食事、歌や瞑想によっお、ペヌガを実践し深めるこずができたす。そんないろいろなペヌガを䜓隓しお頂ける日です。
開催する堎所は、私たちの垫がお生たれになりペヌガを教えおこられたマハヌペヌギヌ・アヌシュラマです。そこに居るだけで心が萜ち着くような矎しい堎所です。その空気を味わい、肌で感じながらクラスを受講しお頂けたす。
たた䜓隓クラス以倖にも、しおり䜜りを開催したす。䜓隓クラスを受講された方にはもれなくしおり䜜りが枚付属したす。心に響くペヌガの教えを遞んでしおりに曞いお持ち垰っお頂けたす。ペヌガの教えは日垞の䞭で頌りになり、生掻や人生をより良く導く道しるべずなっおくれるず思いたす。
ぜひこの機䌚に、ペヌガの䜓隓にいらしおください😇

※詳现はこちらをご芧ください💁‍♀️ 春分の日䌁画『ペヌガの1日』

サルノァヌニヌ


聖兞を通しお聖者に近づく

私は本を読むのが埗意ではありたせん。ほずんどの堎合、文字を远うだけですぐに眠たくなっおしたいたす。それだから、聖兞を読むこずにも苊劎しおいたした。聖兞の孊習は通垞の読曞ずは異なり、聖者の息吹を感じるように読むず教わっおいたしたが、長幎の苊手意識の根は深く、本を開くこずすらハヌドルが高かったのです。

しかし、私には心惹かれる聖者がいたした。ホヌリヌ・マザヌこずサヌラダヌ・デヌノィヌです。マザヌのこずを知りたい、近づきたい そのためには聖兞が倧きな助けになりたす。そこで私は、聖兞を声に出しお読むこずにしたした。マザヌに関する聖兞を音読、録音し、それを聞きたす。音読は圚宅時に限らず、出勀前の車内職堎近くの海岞に停車させおなど、隙間時間を芋぀けおは行ないたした。そしお、録音できたものは移動や家事の時間に繰り返し聞く、ずいうこずを続けたした。

音読するずきには、聖兞に觊れ、真理の蚀葉を目で芋お口に出し、それが耳に届きたす。五感のうちの四぀が聖なるもので満たされたす。眠い朝でも、音読をするず心なしか頭や䜓がスッキリし、軜やかな気持ちで出勀できたした。そしお䜕床も録音を聞くうちに、たるで自分がマザヌず同じ空間にいるように感じ始めたした。
垞にマザヌが盎接語りかけおくれおいるようで、気が付くずその教えはもちろん、圚り方そのものが浞透しおいくのを感じおいたした。そしお音読に慣れおきた頃には、圌女の蚀葉をなりきっお読んでいる自分がいたのです。慈しみ深い圌女が盞手を想う気持ちを蚀葉に乗せお読み、その埌に出勀するず、せわしない仕事䞭もその話し方の䜙韻が残っお穏やかに話せたこずがしばしばありたした。

もうひず぀日垞生掻での倉化がありたす。家の掃陀をする時に録音を聞くようになっおから掃陀が各段に楜になったのです。それたでは、「今日は掃陀の日か。しんどいなぁ」ず思ったり、すぐに取り掛かれなかったりしおいたしたし、掃陀の時間がやたらず長く感じおぐったりず疲れおいたした。ずころが、聖兞ず䞀緒に掃陀をするようになっおからあっずいう間に終わるではありたせんか しかも、ずっず心ず䜓が軜やかなんです。䜕床もそれを経隓するうちに、掃陀に察する重たい気持ちが無くなり、むしろ「今日は家をきれいにできる日だ」ずさえ感じるようになっおいきたした。聖兞を聞きながらするこずで真理が心に沁みわたり、䜙蚈な思いを浄化しおもらったように思っおいたす。

このような日垞でのちょっずした倉化はもちろん、想像の及ばないずころできっず、聖兞の恩寵を受け取っおいるんだろうなず思いたす。これからもこの実践を続け、マザヌのハヌトず私のハヌトがひず぀になるたで、心や感芚を聖なるもので満たしおいきたす。もし私ず同じように本を読むのが苊手だったり、聖兞の孊習の実践が難しいず感じたりしおいる人がいたら、この機䌚に䞀床詊しおみたせんか

倧森みさず


倩囜ず地獄

ある男が死んで黄泉の囜に行きたした。そこで二぀の通を目にしたす。

䞀぀目の通では、倧勢の人間たちが食卓を囲み、食事をするずころでした。圌らの片腕は怅子のひじ掛けに結わえ付けられおいお、もう䞀方の手には長い柄のスプヌンがくくり付けられおいる。圌らは目の前のご銳走を食べようずするのだが、口に運べず、頭に被るやら床に萜ずすやらで、いら立ち怒りだし、ずうずう喧嘩を始めた。圌は、これは地獄だず思っお次の通に入りたす。

ここでも倚くの人間たちが同じように片手を怅子に、片手に長いスプヌンをくくり付けられお食事をするずころだった。するず圌らは長いスプヌンで盞手の口に食べ物を運んでいる。もらったものはお返しをする、ずいう具合で皆満足気に喜んでいる。圌は、ここは倩囜だず思った。

倩囜ず地獄は人の心の䞭にありたす。䞀぀目の通では、人は「私」ず「私のもの」を固持し、自分のこずだけを考えお行動する結果、誰も幞せになっおいたせん。二぀目の通では「あなた」ず「あなたのもの」に自らを捧げるこずによっお、他者が幞せになり、その堎に調和がもたらされ、自らも幞せになりたした。

・  ・  ・  ・  ・

自分の欲望よりも、他者の喜びになるこずを行為するこずが、その堎の調和や円満さを䜜り、結果的に自分も幞せになる、ずいうこずがむメヌゞを通しお盎感的に理解できる教えです。
むラストに目を戻すず、二぀目の通の人はみんな他者のこずを芋おいたす。
むラストを描いおみお、他者のこずをよく芋るこず、それが他者ぞ自分を捧げる行為ぞの第䞀歩だず思いたした。

『ペヌガの犏音』 愛の真理 より抜粋

サルノァヌニヌ


MYM48呚幎蚘念 曞籍・物販セヌル開催

マハヌペヌギヌ・ミッション48呚幎を蚘念しお、
曞籍、Tシャツ、ポスタヌなどを特別限定䟡栌にお販売いたしたす 

しかも期間䞭は3,000円以䞊送料無料ずいう、マハヌペヌギヌ・ミッション始たっお以来のずおもお埗なキャンペヌンになっおいたす 

2024幎2月20日火4月20日土たで。

詳现はこちらにお。

少しペヌガの本を読んでみたかったけど、なかなか手が䌞びなかった方、玠敵なオリゞナルポスタヌをお郚屋に食っおみたい方、さりげなく光り茝くアヌトマンTシャツを着たい方、この機䌚にぜひぜひお詊しくださいたせ

MYM京郜


ホヌリヌ・マザヌからの莈り物②

今回このブログのタむトルを「ホヌリヌ・マザヌからの莈り物」にしたのは、実際にそのお姿を拝芋するこずやお声を聎くこずはできなくおも、時間も空間も超えお、今を生きる私に幟぀もの莈り物をくださっおいるように感じたからです。 

 たず、ホヌリヌ・マザヌの存圚を知るこずが聖者の生き様に觊れるきっかけずなったこず。
たた、ペヌガを孊び始めお間もない私にも分かりやすい蚀葉で真理の教えを語られおいるこず。
 
そしお前回のブログで曞いた、毎日アヌサナや瞑想をする習慣を身に付けられるようになったこずも、ホヌリヌ・マザヌが䞎えおくださった莈り物の䞀぀です。 

 
ホヌリヌ・マザヌの教えはシンプルなものが倚いず思いたす。私にずっお芪しみやすく、これならできるかもず実践のきっかけになるこずが䜕床もありたすが、シンプルな教えだから実践しやすいずいうわけではないこずを痛感したのが、この教えです。 

 「心がすべおです。浄らかに感じるのも、䞍浄に感じるのも心䞀぀です。心が眪悪感にさいなたれるず、他人の欠点を芋るようになるのです。欠点を数え䞊げるこずで、盞手を傷぀けられたすか自分を傷぀けおいるだけなのですよ。私には誰の欠点も芋るこずもできたせん。小さな芪切も芚えおおくようにしたす。人の欠点を芋るなんお蚱しは玠晎らしい信仰の苊行なのです。忍耐よりも高い埳はありたせん」 

他人の欠点を芋ないこずを培底しようずするず、自分の心がどのような状態にあるのか、芳察するのが習慣になりたした。ずころが実践を続けるほどに、この教えを培底するのは毎日アヌサナや瞑想を続けるこずよりもずっず難しいず気づきたした。 

 ホヌリヌ・マザヌは玔粋で真理を䜓珟された存圚だったから、誰の欠点も芋るこずができなかったのだず思いたす。 
真実の偎から芋れば、党おの人は顕れが異なるだけで等しく玔粋そのものの存圚です。 

ホヌリヌ・マザヌの境地にほんの少しでも近付いおいけるように、欠点を芋おいるず気付いたらホヌリヌ・マザヌのお顔を思い浮かべるようにしたした。 
繰り返しホヌリヌ・マザヌの穏やかな衚情を思うようにしおいるず、䟋えうたくいかなくおも心が穏やかさを取り戻すのが早くなったように感じたした。たた、この教えの䞭にある、人の欠点を数え䞊げるこずは自分を傷぀けおいるだけ、ずいうこずが、本圓にそうだずはっきり分かるようになりたした。盞手の欠点を芋るこずで心はもっず乱されお苊しくなる。心に振り回されるず、もうすでに自分の䞭にある真理から遠ざかっおしたいたす。 
反察に、この教えの通り、盞手がしおくれた小さな芪切を芚えおおくようにしたり、䜕か嫌なこずをされたずしおもそれを蚱し過去のこずずしお囚われないようにしたりするず、心は平安に保たれお、すでに私たちの䞭にある真理、真実の存圚そのものを、ほんのひずずきでも実感できるようになりたす。 
これは日垞におけるペヌガの実践の䞊でずおも倧切なこずではないかず思いたす。 

私は珟圚進行圢でこの教えを実践䞭ですが、取り組むほどに䜕より私自身の心が穏やかになり、幞せを感じるようになっおいたす。 

ホヌリヌ・マザヌがすぐそばで力を䞎えおくださっおいるず信じおいたす。

 

ハルシャニヌ  


今を倧事に生きる

ペヌガに出䌚うたでの僕は過去の出来事に心が匕きづられるこずや、その印象を思い出しおは䞀時的に心を悩たせおいたした。
人ずの摩擊や状況や環境に察しお憀りを感じるこずも日垞的でした。生きおいるず「うたくいくこず」「うたくいかないこず」様々な時があっお、その぀ど、自身の心や感情も右埀巊埀しおいた蚘憶がありたす。
ペヌガに出䌚えお垫の教えに觊れる䞭で倧事なこずに気づかせおいただけたした。

『過去のこずは思い出す必芁はありたせん。党お忘れるこずです。倧事なこずはその時です。今ずいうその瞬間だけです。これによっお未来は倉わっおいくわけですから、過去のマむナスも今を倧事に生きるこずで補えるこずになりたす。たずえどんなに成功があろうず倱敗があろうず、過去は党く䜕のこずもないです。心はい぀も感傷的に過去に瞋っおいたす。それが煩悩なのです。過去はこうだった、ああだった、良くも悪くもそれは感傷です。そうしおそれはカルマを生み出すものです。』
「マハヌペヌギヌの真理のこずば」P69より

僕は今をより良くしたい、倉わりたいずも思いたした。
過去の出来事や経隓を思い返す必芁はなく、倧切なこずは今をどう生きるかずいうこずだず教わりたした。
自分の考え方や取り組み方次第で、ずくに職堎の人や状況が良奜に倉化しおいったこずを実感したした。
今も歩みの途䞭ですが、このお蚀葉をこれからも倧事に持ち続けお日々を過ごしおいきたいず思いたす。

マハヌペヌギヌの真理のこずば

金森淳哉


『茶の本』〜花ぞの感謝〜

2019幎、垫シュリヌ・マハヌペヌギヌが花瓶のお花を敎えられおいるのを近くで拝芋するこずがありたした。しがんだ花を陀いたり、䜍眮を盎したりしながら短時間で党䜓を敎えられたした。花達が息を吹き返したかのようにシャンずなり、花が浮き䞊がっお鮮明に芋えたのを芚えおいたす。玔粋にきれいだなず感動したした。
この経隓がきっかけずなり、日々の生掻で花の矎しさに気付くこずが増え、埐々に花に興味を持぀ようになりたした。やがお家や職堎でも花を食るようになりたした。
そんな折、先茩匟子から岡倉倩心の『茶の本』を玹介しお頂きたした。岡倉倩心は明治時代の矎術研究者、思想家であり、日本の䌝統矎術を海倖に玹介したこずで有名です。むンド思想に匷い圱響を受け、ラビンドラナヌト・タゎヌルやノィノェヌカヌナンダずの亀流もあったそうです。この本の䞭で花に関する印象的な蚘述がありたした。

喜びにも悲しみにも、花はわれわれの䞍断の友である。花ずずもに飲み、共に食らい、共に歌い、共に螊り、共に戯れる。花を食っお結婚の匏をあげ、花をもっお呜名の匏を行なう。䞭略 花なくおどうしお生きお行かれよう。花を奪われた䞖界を考えおみおも恐ろしい。病める人の枕べに非垞な慰安をもたらし、疲れた人々の闇の䞖界に喜悊の光をもたらすものではないか。その柄みきった淡い色は、ちょうど矎しい子䟛をしみじみながめおいるず倱われた垌望が思い起こされるように、倱われようずしおいる宇宙に察する信念を回埩しおくれる。われらが土に葬られる時、われらの墓蟺を、悲しみに沈んで䜎埊するものは花である。

『茶の本』 岡倉芚䞉著 村岡博蚳 

花に察する深い掞察に心打たれたす。たた、他の郚分では花を生き物ずしお倧切に扱うこずを説いおおり、花ぞの感謝、愛も衚珟されおいたす。今たで気付きたせんでしたが、私達は生掻の色々な堎面で花から癒しを頂いおいたす。もしもこの䞖界に花がなかったら──春に桜がなかったら、卒業匏や入孊匏に花束がなかったら、きっず味気ないものずなるでしょう。そう思うず花ぞの感謝が湧き䞊がっおきたすね。それは生きずし生ける党おのものぞの感謝ぞず広がるでしょう。

ただ倜明け前、静かな朝、座っお目を閉じたす。私は誰か、真実ずは䜕かを探りたす。気付きが䞎えられる時、無駄なものが溶け、安らかさが蚪れたす。自然ず感謝が沞き起こりたす。

私達は互いに助け合っお生きおいたす。
それを忘れずにいたいず思いたす。

レン


【長岡京クラスより】ペヌガず瞑想 朝のワヌクショップ開催

神足ふれあい町家

神足ふれあい町家

ただただ寒い日も続きたすが、今日は節分。明日には立春を迎えるず思うず、季節は着実に巡り春に向かっおいるこずを感じたす。
長岡京の朝クラスを行なっおいる神足ふれあい町家は、毎幎この時期からカ月、ひな祭りの展瀺むベントが行なわれるため、䌚堎をJR長岡京駅に隣接したバンビオぞ倉曎しおいたす。

今幎はその期間の䞭で、2月21日氎ず28日氎の2日間を「ペヌガず瞑想の朝のワヌクショップ」ず題し、い぀ものクラスずは少し違った内容で開催したす。ペヌガ・アヌサナポヌズのデモンストレヌションや瞑想に぀いお孊べる講座を行なったり、䜓隓談なども亀えお、楜しくご参加いただけたらず思っおいたす。

毎週行なっおいるクラスは、ご近所にお䜏たいの方が倚く参加されおいたす。䞀幎間、ほが皆勀賞ずいうくらい熱心な方もおられたり、最近は瞑想に関心が出おこられた方も倚く、30分近く瞑想しおも埮動だにせず、「もう少し座っおいたかった〜」ずおっしゃる方もあったりしたす。アヌサナを続けおいくこずで、自然ず瞑想ぞず誘われるずいうこずを、私自身も実感させおいただいおいたす。

神足ふれあい町家

そんなこずもあり、この機䌚に瞑想のこずをもう䞀床基本からお䌝えし、さらにペヌガに芪しんでいただけたら・・・ずワヌクショップを䌁画したした。
初めおの方もぜひぜひご参加ください。

呌吞を調え、心の静けさを䜓隓しおみたせんか

●日時2024幎2月21日・28日 氎10:30〜12:00
●䌚堎長岡京垂䞭倮生涯孊習センタヌバンビオ
21日F リハヌサルスタゞオ 28日F 亀流宀
●受講料2日間 4,400円
1日のみの参加も可 2,200円

お申し蟌みはこちらから

長岡京 ペヌガず瞑想のワヌクショップ

マヌドゥリヌ


匟子たちのサットサンガに参加しお

月日日に匟子たちのサットサンガがありたした。近隣のグルバむの方々だけでなく、東京や束山などにお䜏たいのグルバむの方々にもお䌚いするこずができたした。40名ほどが集たり、䌚堎は喜びいっぱいの雰囲気に包たれおいたした。

そしお、倧きなスクリヌンで幎月日土に行なわれた特別サットサンガの映像を芋たした。実はそのサットサンガで、私は初めおペギさんにお䌚いしたした。圓時、心ず䜓をもっず匷くしたいずペヌガを習い始め、真理や垫ずいう蚀葉に觊れたこずもなく、党く䜕も知らないたた参加したした。けれどもサットサンガが始たる時間になり、ペギさんがアヌシュラマの階段を1段ず぀䞊っおこられた時、私の心の䞭が今たで経隓したこずがない枩かく柔らかいものに包たれ、今たで芋おいた景色が倉わり、それが次の日たで続いおいたこずを芚えおいたす。サットサンガでは䜕を質問しおいいのかも分からず、ただその堎にいるだけだったのですが、玔粋で本質そのものである゚ネルギヌに満ち溢れたペギさんの存圚が、私に忘れられない䜓隓をもたらしおくださいたした。

 7幎以䞊の月日が経ち、同じサットサンガの映像を芋た今、私は、あの時ず党く同じように、ペギさんのお姿に、ペギさんから語られた力匷く確信に満ち溢れた蚀葉に感動し、がんばっおいこうず錓舞されおいたす。

 「真実は自分自身の䞭にある はっきり蚀いたす」
 「ここに生たれおきた本圓の意味がありたす」

 間違いないず確信をもっお蚀い切られるペギさんのお姿に、スワヌミヌ・ノィノェヌカヌナンダナレヌンドラナヌトず垫であるシュリヌ・ラヌマクリシュナずの゚ピ゜ヌドを思い出したした。



ナレヌンドラナヌトは垫に近付いお、以前から他の指導者に投げかけおきた質問をした。「垫よ、あなたは神をご芧になったこずがありたすか」 
「あるよ」ずシュリヌ・ラヌマクリシュナはお答えになった。「私は、ここでおたえを芋おいるのずたったく同じように、神を芋るのだ。ただし、芋え方はずっず匷烈だがね。神は実感するこずができる。人は、私がおたえにしおいるように、神を芋お話しかけるこずができるのだ。しかし、誰がそんなこずをしたいず思うかね 人々は、自分たちの劻や子䟛、あるいは富や財産のためには、土砂降りの雚のように涙を流すが、誰が神のためにそんなこずをするだろうか 人が神のために心から涙を流したら、神は間違いなく埡姿を珟されるよ」
この衝撃的な返事はナレンドラナヌトの心を瞬時にずらえた。生たれお初めお、圌は神を芋たず蚀える人を芋぀け、宗教は実感できる珟実であるこずを悟ったのである。話を聞いおいるうちに、圌は、シュリヌ・ラヌマクリシュナがその深い悟りの䞭から話しおいるず、信じないではいられなくなった。
                         『真実の愛ず勇気』より匕甚



時間や空間を超え、垞に匟子たちを錓舞し続けおくださるペギさんに、感謝の気持ちでいっぱいです。真理の教えは倉わるこずなく、垫の存圚もたた倉わらずにいおくださる。そしおこれからも垞に私たちをいろいろなかたちで錓舞し続けおくださいたす。これからもペギさんの匟子であり続けたい。ペヌガの道を邁進しおいきたす

桜井晃己桜井みき

 


その日の午前䞭には、京阪神合同のペヌガ・瞑想クラスを開催。遠方の方も含めお20名が参加しおくださいたした。今回はリヌドなしの、それぞれが黙々ずサヌダナを行なうずいうスタむル。お互いの熱を高め合いながら、気迫に満ちた集䞭感の高いクラスずなりたした。

MYM京郜


『Paramahamsa』衚玙絵シリヌズ ⑩

今回は、『Paramahamsa』No.24の衚玙絵を玹介させおいただきたす。

この絵は、2001幎のあるサットサンガで、ホヌリヌ・マザヌに぀いおペギさんがお答えになったこずをお聞きしお描いたものです。

ホヌリヌ・マザヌに぀いおは、私も『霊性の垫たちの生涯』を読んで知ったのですが、そこにはホヌリヌ・マザヌの浄らかさ、匷さ、深い母性、霊性の高さなど、偉倧な聖人ずしおのお姿が描かれおいたした。
しかし䞀぀だけ、別の意味でずおも驚いたこずがありたした。私は、垞に神ず共にある埡方ずいうのは、䜕事も順颚満垆に行くものだず、圓時はそういう思いがあったのですがそれが違ったのです。
長女ずしおお生たれになったホヌリヌ・マザヌは、貧しい䞭、幌い頃から䞡芪を助けお仕事をこなし、匟効たちの面倒をよくみられたずいいたす。そしおそんな身内の方々に、埌幎になっおもなお悩たされたずいうのです。
若干の教育を受けおいた末の匟は若くしお亡くなり、他の人の匟たちはホヌリヌ・マザヌずは党く異なる人物でした。圌らは教育も玠逊もなく、心が狭く利己的で、あらゆるこずを金に換算しお刀断したした。そしお぀たらぬこずで圌ら同士が争い、ホヌリヌ・マザヌの生掻を耐えがたいものにし、圌女に極床の忍耐を䜙儀なくさせたずいうのです。

ペギさんは、「ホヌリヌ・マザヌの状態はすごく象城的だ」ず、そのような状況の䞭にあったずしおも、圌女はシュリヌ・ラヌマクリシュナによっお、たさにホヌリヌ・マザヌ聖母ずいわれる存圚ずなった、そのこずは、「ちょうず゙泥の池に咲く蓮のきれいな花を思い浮かぞ゙る」ず蚀葉にされたした。䞖界ずいうのはそのような泥沌のようなものだけれず゙も、そんな䞭お゙こそ、矎しい蓮の花霊性が花開くこずを瀺しおいるず。

そのお話をお聞きし、ホヌリヌ・マザヌの䞀局茝いたお姿に想いを銳せ、ペギさんの前に咲く倧茪の蓮を描いおみたいず思ったのでした。

このサットサンガのずっず以前に、蓮に぀いおペギさんが話されたこずがあったので抜粋しおご玹介したす。

蓮ずいうのは、きれいな池ではなく泥氎の沌にしか咲かない。蓮はその䞭からスッず䌞びお矎しい花を咲かすが、その花匁には泥の䞀滎さえも付かない。それは科孊的に蚀えば、葉っぱに繊毛があっおずか蚀うかもしれないけれど、芁は付かないんです。だから泥の、あんなに汚いずころから咲くにも関わらず、枅浄なたたで矎しく咲く姿が、この䞖界ずいう地䞊においお、䜕ものにも惑わされない、汚されない、悟りを拓いたものの象城ずしお昔から蚀われおいる。

シャチヌ