こうでないといけない、にとらわれず楽しく料理する!

ヨーガを始める前の私は、食べることが好き、というか空腹状態に不安を感じていました。ちょっとお腹が空くと何かを口にする習慣があり、お腹が空いている時間がほぼなかったのではないかと思います。
ヨーガを始めてアーサナ・クラスに通うようになってからは、まず食事に関するヨーガの考え方に衝撃を受けました。
アーサナの前後2時間は食事を摂らない方がよい、というのがそもそも無理で、クラスに通っていても最初の1年ほどは空腹感に耐えられず、クラス後割とすぐに食べていました。
しかしクラスに参加する度にこのままではいけないと思うようになり、次第に後ろめたさを感じるようになりました。
そしてある日のクラスの後、小1時間経ったし仕事の前に軽く食べておこうと思いおにぎりを食べたところ、急に激しい腹痛に見舞われました。もう二度とすぐに食べるのはやめよう!と決意し、同時に何を食べるべきかを意識するようになっていきました。

いざ食事と向き合うとなると、大きな問題が一つ。それは、料理に対する強い苦手意識です。いつも、作らなければという義務感が伴い、ストレスを感じていました。段取りを考えて作業をすることが難しく、特にレシピを見るのが苦手で、一度レシピを意識してしまうと一層手際良く作業することが出来なくなり、途中で料理することを投げ出したくなるほど疲れてしまうこともしばしばでした。
ヨーガの料理教室「さまらさの台所」のことを知っても、クラスに参加すること自体のハードルが高くて尻込みしていました。
それでも共にヨーガを学ぶ仲間が参加して楽しかったと言っているのを聞く度に気になるようになり、少しずつ前向きな気持ちになっていったので、勇気を出して参加するようになりました。
いざ参加してみると、予想通り失敗して迷惑をかけたと思われる状況にもなりましたが、フォローしてもらいながら楽しく調理に参加することができました。作った料理をみんなで食べるのは何より嬉しかったです。
ただ、参加する時は毎回緊張していたし、教わったレシピを家で作ることも気合を入れて臨まないとできない状態が続きました。さまらさのレシピだけがさまらさではないと聞いても、教わった通りにやらなければいけないという思いが常に頭の隅にあって、腰を重くしていたのだと思います。

近所の野川にて。春頃から繁殖期のためいなくなっていたカルガモが、久しぶりに戻ってきていました。

コロナ禍になり、「さまらさの台所」もオンライン受講する形になりました。
動画なので何度でも見ることができ、とても分かりやすく、見ているだけでも楽しくなるので、見る度に元気をもらえました。
食にまつわるお話も興味深いものばかりで、実際のクラスに参加しているのと同じように気付きや学びがあります。
ただ、いつでも動画を見て挑戦しやすくなるはず、と思っていたのに、気付けば「〜しなければ」にとらわれてしまっていました。教わってからしばらくはそのメニューを作るのですが、次第に作らなくなり「作らなければ」と気が重たくなってしまいました。加えて、コロナ禍になってこれまで以上に仕事が忙しくなっていたため、忙しいから動画を見たり作ったりする時間がないと自分で自分に言い訳をしていました。
せっかくのオンライン受講の良さを生かすどころか、このままでは以前よりも良くない状況になってしまうかもしれない…
もう何年も同じところをぐるぐるしていること自体にほとほと疲れてしまい、決心しました。とにかくやる!と。レシピ通りにやらなくていいから適当にやってみる。悟りへの大切な乗り物であるこの身体を良い状態に保つためにも、今度こそ真剣に向き合う。
そうして日々を過ごすようにすると、少しずつですが料理に対する力みがなくなって、適当にできるようになっていきました。
初めて料理と自然な形で向き合えるようになってきた気がしました。

それからしばらく経った今年6月。
「さまらさの台所」はパン作りでした。
レシピを見ると行程がいくつもあるのでこれは難しいかもと気構えていましたが、動画の中で講師のシャチーさんが楽しそうに軽やかな手付きでパン生地をこねているのを見ていたら、すぐにでもやってみたくなりました。
実際に挑戦してみると、これ以上は失敗出来ないだろうというくらい様々なトラブルが起きましたが、諦めず生地を大切に扱うことだけに集中。出来上がったパンは過発酵したこともあり、ちょっと硬くてそんなに膨らまなかったのですが、とにかく焼き上がったパンが可愛くて、嬉しくてたまらない気持ちになりました。

無事焼き上がり、夫に撮ってもらいました。緊張と集中がとけてホッとした顔をしてるなと思います…

苦戦しても最後までやり遂げられたのは、動画の力が大きかったのではないかと感じています。
シャチーさんにこねられている生地はどんどん艶やかに生き生きしてくるように見えてきて、手付きはすぐに真似出来なくてもこの感じをイメージしてやってみようと思えたのです。
2回目の挑戦の際には、動画にとらわれすぎないように自分のリズムで作るようにしました。1回目の時よりも作業自体を楽しむことができて、パンも少しふっくらしたのでほっとしました。

動画の中で、さまらさについての話がありました。始まった頃から関わられているシャチーさんのお話は興味深く、改めて「さまらさの台所」から学べることの多さや、ヨーガを実践していく上での料理の重要さを感じました。
何度も繰り返していくうちにいろいろなものにチャレンジしていけるようになること。繰り返しやることで慣れて身に付いていけるようになること。

お話の最後、「こうでないといけない、ということはない」という言葉には、本当にそうだと強く頷きました。「こうではないといけない」にとらわれたままでは、本当に大切なことを見失ったまま料理することになります。
教わったことだけが「さまらさ」ではなく、ベースはヨーガにある。大切なのは、自分のための料理ではなく、一緒に食べる人のことを考えて料理を作ること。みんなで歓ぶのが「さまらさ」。
何にもとらわれず自由に、食べる人たちのことを思い、食材を大切に作る。この上なくシンプルで、なんて素晴らしいのだろうと思います。

相変わらず仕事が大半の時間を占める日々ですが、以前よりも気楽に台所に立つようになりましたし、料理する楽しさを感じられるようになっています。手際良くとはまだまだいえないし、出来上がりをイメージしても作っても思っていたのとは違う料理になることも多々あります。それでもいちいち落ち込んだりするのがほぼなくなりました。
苦手なこと、できないことが上手くなるのは一筋縄ではいきませんが、その分伸びしろがあるはずと信じて料理を楽しんでいきたいです。

焼き上がったパン。手前が塩パン、奥がバターパンです。

ハルシャニー


揺るがない信頼

暑さがまだまだ厳しく、口を開けばついつい暑いと言ってしまいがちですが、そんな中でも季節の楽しみ方がありますよね。私は、暑い中、道を歩いている時何処かの家から聞こえてくる風鈴のさわやかな音が耳に入って来た時や、夏の昼間に飲むアイスコーヒー、夕日の沈む美しい空のグラデーションを見たり、夕方ひぐらしの鳴き声を聞くと、さっきまでの暑さを忘れ心がホッとし落ち着きます。

愛媛松前町にある高忍日賣(たかおしひめ)神社の風鈴回廊。ここは全国唯一、産婆、乳母の祖神である高忍日賣大神をおまつりする神社だそうです。風鈴のさわやかな音色が夏の暑さを緩ませてくれます。

こんな風に日々心穏やかに過ごしたい。しかし、一日の大半の時間を過ごす職場では、なぜこんなにも心が動揺しその場の状況に翻弄されていくのでしょうか…。

その日も仕事中に周りの人の会話が耳に入ってきました。周りから聞くと威圧感があるような、その言葉は、本当にその相手の事を真剣に考えて発している言葉なのか?
傷つける行為ではないのか?
私の心は、その言葉を発した人にピッタリとくっつき、心は大きく動揺し、その人に対するどうにもならない思いを募らせていくという出来事がありました。
悶々とした日々が続く中、以前ゴーパーラさんのブログでも紹介されていた、ブラザー・ローレンスの『敬虔な生涯』を昼休みに開けてみると、ある一節が目に飛び込んで来て、はっ!としました。

ある日、私(修道院長のヨセフ・ド・ボーフォール)は深い考えもなく、ある重大な問題を彼(ブラザー・ローレンス)に話しました。それは、彼が深く心にかけていたことで、長い間、その為に労してきたことでした。それが成就せず、提案に反対する決議がされたのです。この事に対して、彼は淡々と答えてました。「このように決めた人には、それなりの理由があるのでしょうから受け入れなければなりません。後はただ、それを遂行するだけです。もう何も言うべきではありません。」実際に彼はその通りにしました。実に完全に。それ以降、それを取り上げる機会はいくらでもあったにも、かかわらず、彼はひとことも口にしませんでした。

『敬虔な生涯』より

私の場合、その人が発した言葉にもそれなりの理由がある事など全く考えず、それでいてどうにもならない自分の感情に何の意味があるのか…。
この状況で自分に出来る事は、お互いが良い方向に向かいますようにと祈る事。それしか見つからず気持ちを切り替えるようにしました。
と、同時にブラザー・ローレンスの、感情に流されず決めた事を貫く意思の強さ、そこに近づきたい。そう感じました。

愛媛県伊予市 伊予五色浜海岸

会社では人それぞれの立場が違います。その為自分の意見や考えが正当だとは限りません。
自分というあやふやな目線から見るのをやめてみるように心掛けてみました。
また、その方から心を離すようにしてみました。
心が言葉や態度に反応して、行こうとする度に引き戻す。

これは、今現在も実践中ですが、心を執着している事から離していくと、留まる事が身についてきたように思います。
今までの心の習慣を変える事は上手くいったりいかなかったりの日々ですが、ここで働く時間どう過ごしていくかを考えたとき、師がいつも私たちをそう見てくださっているように、どんな状況であってもその人の中にある尊い存在だけを見ていきたい。と強く思うようになってきました。

また師は松山特別サットサンガでこうおっしゃっていました。

一人で部屋の中でアーサナや瞑想をしているのは、まだ練習にすぎない。やはり、さまざまな自然界の中で、人の中での出来事の中で、自分の心がどれほど落ち着いていられるか、そこでヨーガが試されている。

シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

苦しい時、実践が思うように進まず行き詰まった時、師のお言葉や聖典の教えは、その苦しみが瞬時に取り除かれるよう導いてくださいます。ヨーガを学び始めてこの10年、何度もそのような体験をさせて頂きました。
その度にヨーガに対する揺るがない信頼、それが培われてきたように思います。
心の動揺に振り回される事を恐れずに、日常は本番だと思い、どんな場面でも心を落ち着かせヨーガを深めていきたいです!

地元伊予灘サービスエリアから見る夕日。松山市界隈がとても綺麗に一望出来る場所です。

玉井眸


晴れの日も雨の日も主クリシュナ ─ミーラー・バジャンによせて

先日とても暑かった日に、家の近くを歩いているとアスファルトの上にゆらゆらと陽炎(かげろう)が立ち上っているのが見えました。真夏の強い日射しの下で私はふと「ミーラー・バーイーが生きたラージャスターンはもっと暑かったのかなぁ…」と、五百年前の遠い異国の地を思い浮かべました。

インドの聖女ミーラー・バーイー(1498~1546)が生まれたインド北西部のラージャスターンは、砂漠や険しい山々が連なった厳しい土地柄で、暑い時期は日中の気温が40℃にもなるそうです。また一年のうち6~7ヶ月間が乾季という、とても乾燥した地域なのだそうです。
現代のようにエアコンなど当然なく、おそらく水道なども整っていなかったであろう五百年前、ミーラーやその土地で暮らす人々はどのような生活を送っていたのでしょう・・・。

別の日、職場から帰宅する途中、急に空が曇ってきたなと思ったら雨が降り始めました。雨はしばらく降ってすぐに止み、その後サァーッと涼しい風が吹いてきました。その日も朝から暑かったので、立ち止まってしばらく爽やかな風を全身で心地よく感じていると、ミーラー・バーイーの詩の一つを思い出しました。

雨がふるふる 楽しきサヴァン
心は サヴァンを待ちわびて

サヴァンに 胸はときめきて
噂を聞きて ハリ来ると
湧いて集まる 黒雲に
下着まで すっかり濡らされて
雨粒が 風に運ばれて
涼しき風も 心地よく
ミーラの神様 ギリダラナーガル
幸せ喜び 歌わんや

          ※サヴァン/雨季
          ※ハリ、ギリダラナーガル/クリシュナ神の異名
          ※下着/サリーの下に着るスカート

          出典/美莉亜訳『ミラバイ訳詩集』

暑い季節が長く続き、乾燥しきったラージャスターンに暮らす人々にとって、雨季の到来はすべてを潤し生命を蘇らせる喜ばしいものだったことでしょう。この詩からは待ちに待った“サヴァン“を喜び迎える心情が伝わってきます。
ですが、ミーラーがこの詩に込めた本当の思い、それは一心に信仰していたクリシュナ神への深いバクティ(信愛)です。
クリシュナ神の肌は青や黒で表されることが多いのですが、クリシュナという名前には「濃い青」「暗い」「黒い」という意味があり、黒雲はクリシュナ神の象徴でもあります。
頭から足の先まで全身をすっかり雨に濡らされたミーラーは、きっと愛するクリシュナに命も魂もすべてが溶け込んでいくような、甘美な歓びに浸されたのではないでしょうか…。

楽しそうな笑い声が聞こえできそうですね。ブランコの勢いで愛するクリシュナ(黒雲)のところまで飛んでいこうとしているのでしょうか?

ちなみに”ハリ”には「太陽の光のような色」という意味もあるそうです。

晴れの日も雨の日も主クリシュナ。
朝の光も夜の闇もすべてが主クリシュナ。
寝ても覚めても神しか見えない。
ミーラー・バーイーのようにそんな日が来るのを私も待ち続けています。

シャルミニー


キールタンの合唱動画ができました!

早速ですが、女神を讃えるキールタン「Bhajamana Ma (バジャマナ・マー)」の合唱動画ができました!

(フルバージョンはこちら

昨年よりバクティ・サンガムではオンラインクラスを行なっています。おかげさまで今年度は青森や東京、静岡、松山、台湾など、各地から多くの方が参加してくださるようになりました。キールタンの醍醐味の一つはみんなと一緒に歌うことにもありますが、現在のオンラインシステムでは、残念ながらそこまでの機能はなく、歌をリードする人の声を聞きながらミュートの状態でキールタンを歌っていただいています。

オンラインクラスにもやっと慣れてきた数カ月ほど前、“やっぱりみんなでキールタンを合唱している動画を作りたい!”  “きっとみんなもそれを聞いたら喜んでくださるはず!” という思いがムクムクと湧き上がってきました。いつも参加されている方の中から希望者を募り、月二回のそれぞれの会で動画を作ってみることにしました。初めてスマホで作ったのでいろいろアラが見えますが(汗)、動画が出来上がった時は、たとえ場所が離れていても、こうしてみんなで神の御名を一緒に唱える機会が与えられているということ、また神の御名を共に讃えることのできる仲間がいることを改めて感謝するとともに、みんなの弾けるほどのプラーナ(気)を感じて、感激しました。

キールタンを歌っている時は、神の御名の光を全身に浴び、参加されている方一人一人がキラキラと輝いていて、本当に美しい! そんなみんなを見ると、とても愛おしく感じます。
あぁ、このみんなの、神への熱く純真な思いが、この生き生きとした美しい笑顔が、どうか私たちの最愛の師に届きますように!

ぜひ動画を見ながら、一緒にキールタンを歌ってみてください。そしてもっと歌ってみたくなった方は、ぜひバクティ・サンガムにご参加くださいね!

ミラバイ

 


ちょっとしたグル(師)の行為 ⑶

皆さま、お盆休みはどのようにお過ごしでしたか?
コロナ感染拡大に伴う自粛や降り続いた雨のため、ご自宅で過ごされた方が多いのではと思います。

ところで、皆さまは「電動ドリルドライバー」を使ったことはありますか?
私は今まで1度しか使ったことがなかったのですが、このお盆休みに電動ドリルドライバーを使用して「夏休みの課題」のようなことにチャレンジしてみました💪

連載『ちょっとしたグル(師)の行為』の第3回目です。


6年前、師はアコーディオンカーテンを取り付けるため、私の自宅のシャーンティ庵に来てくださいました。寸法を測り、手持ちのビスや道具を把握され、足りない材料などは一緒に工務店へ行き、調達しました。そしてアコーディオンカーテンを取り付ける際、師に電動ドリルドライバーの使い方を教えていただき、私は人生で初めて電動ドリルドライバーを使いました。慣れない作業でしたが、やってみると「意外と楽しい!」と感じました。

以前、ヨーガの先輩が使用していたアコーディオンカーテンでした。これを取り付けることで、冬は暖かくなりました。

ただその後、電動ドリルドライバー使うことはありませんでした。しかし、最近になって「DIY、やってみたい」という衝動が起こりました。嵐山の新居に引っ越しして、収納棚の必要性を感じたのもあり、思い切って電動ドリルドライバーと電動サンダー(木材・金属の研磨・塗装はがし)を購入!
でもいざサンダーの電源を入れると、予想以上の音の大きさに尻込み。。。😣
「これ、大丈夫かな……」と心配になり、最近DIYをされている先輩のヨーガダンダさんにそのことを相談しました。すると、「サンダーは音、大きいよ。あっ、余っている木材があるけど、どう?」と。木材はまだ購入しておらず、あるものを有効活用するのがやはりヨーガ行者らしくていいなと思い、また加工されている木材だったので電動サンダーを使わずに済んでハードルも下がるので、有り難くいただくことにしました。

この道具と材料で作成開始!

そしていただいた木材を使って今回チャレンジしたのは「食器棚」です。とは言っても、本格的なものではなく、あまり使わない食器を整理する押し入れ用の食器棚です。1時間もあったらできるかなと思っていましたが、3時間近くかかってしまいました。。(初めてのパン作りよりも苦戦😅)

出来上がったのはよかったのですが、グラグラして安定性に乏しく、ベニヤ板で背面を補強する必要があり、ヨーガダンダさんにそのことを報告したら、「ベニヤ板、あります」とのご返事。
翌日、車で持ってきてくださいました!!

ヨーガダンダさんとサティヤーさん。連日、雨の中にもかかわらず、木材を運んでくださいました。私にとっては、DIYの救世主でした。

すぐにベニヤ板をノコギリでカット。ビス打ちにも慣れてきて、スムーズに取り付けることができました。

ちょっとベニヤ板のカットが斜めですね💦

そして何とか完成〜!!!

今回はやはり、先輩ヨーガダンダさんの物を大切にされる「知足」の精神がとても凄いと感じました。使わなくなった板でも大切に保管されていたそうで、そのおかげで棚が出来上がりました。
師も物や道具を大切にされます。その師の行為を見て、ヨーガダンダさんもそのようにされているのだと身をもって感じました。
『パラマハンサ』No.141にヨーガダンダさんは以下のことを書いておられました。

「私が先輩弟子と共同生活を始めるにあたって、師は私の身の回りの物についてもアドヴァイスをしてくださいました。例えば、使い古した飾り棚を白く塗って、新たに祭壇として使うとか、アーシュラマの忘れ物で誰の持ち物か分からないパンツをオレンジに染めて使うように勧められたりしました。すると使い古されて捨てられる運命にあった物たちが、全く新しいオリジナルの一品として復活するのです」

師は道具の使い方や物の扱い方を通して、「すべてはアートマン(神)という尊い存在」であると教えてくださいます。
悪戦苦闘でバタバタでしたが、ヨーガ行者の精神性を肌で感じた充実したお盆休みでした😇

ゴーパーラ


波の狭間の煌めき

「思うように体が動かなくなって何にも出来なくなってしまってねぇ。こんなことになるなんてねぇ・・・」
もう90歳を超えられているその方に、すぐに返す言葉が見つからなかった。
「何でも人にしてもらわなあかんし、こんな何も出来なくなったら、もう赤ちゃんと一緒やわ・・・」
お布団に横になりながら、おばあさんは沈んだ声で言われた。
「そうですよねぇ」という共感も、「そんなことないですよ!」という否定も、何もできなかった。どうしたら気持ちが少しでも紛れるかな…と考えを巡らせた。でも、これが本当のことなんだ、と思えて「そうなんですか…」と沈黙した。それで暗い雰囲気にしてしまった。いつも気の利いたことが言えない。肝心な時に、言葉が出てこない。

夏の光。

病院で検査しても悪いところはなかったという。「90歳も超えて、悪いところがないなんて凄い!」という周りの言葉を聞いても、おばあさんは嬉しそうじゃなかった。体が元気な頃は、地域の他の高齢者を支える立場だったという。今は自分がしてもらう立場になった、と悲しそうだった。話を聞かせてもらううちに、自分が目の前のおばあさんに代わったような感覚になり、寂しさ、しんどさが自分のことみたいに少し分かった。

生まれて肉体が成長するその過程で、ある時点を境に、肉体の変化は「成長」から「老化」に変わると思う。それが私は不思議だった。本体である自分自身は全く変わってないし、ただ時間が経っているだけなのに、気付いたら大人になっていて、気付いたら体の成長のピークを超えていて、そしてある時、老化という変化に移行していることを知ることになる。時間って残酷だなと思ってしまう。ただし、ヨーガを知る前までは。


ちょっと話が逸れるけれど、受講中のオンラインクラス『誰ヨガ』で、最近「時間と空間と因果律」について学んだ。まだまだ理解はできていない。でも「時間」については良いイメージがなかったから正体を知りたかった。一番印象に残ったことは、「時間は繋がっていない。一瞬一瞬が連続して繋がっているように見えているだけ。過去と未来は実在しない。今という瞬間しかない。だからこそ瞬間に変われるという可能性がある!」。古代から現代に続くヨーギーたちが、これを解明した、それだけは事実。そう思うと尊敬の念と、ヨーガの道を与えられた歓び、感謝が沸き起こる。

そして、「時間」の捉え方について、頂いたレジュメにこう記されていた。
一般的な見方では
「過去と未来が存在し、因果に従い、常に変化する」
「ある時、波が立ち、時間とともに減衰するように、この世界に生じたものは、時間とともに消滅に向かう必然の理がある」。
・・・考えてみたら、空にきれいな虹が架かってもだんだんと消えていくし、美しい花が咲いても少しづつ枯れていくし、カッコいいデザインの建物が出来てもいつかは朽ちる。生まれた命は必ず寿命を迎える。人間の肉体も草木が枯れるように、徐々に衰退していく。永遠に形を変えない不滅のものって一つもない。このことは私でも、誰にでも分かると思う。

さざなみが不思議な紋様を繰り広げる。夕暮れ時の琵琶湖。

それが、ヨーガ的な見方になると
「実在するのは、今というこの瞬間だけ。過去と未来は心の概念の中にある」
「変化するものは存在とは言えない。現象」。
・・・ということは、この世に永遠に存在している確かなものは何もない。一般的な見方で、すべては変化していく、と分かったから、変化するもの、つまり全部ただの現象ということになる。現象に対して、私は魅了されたり動揺を起こしたりしているということだ。「現象」は「波」に例えられている。
時間とともに変わる体の変化――誕生も成長も老化も死も、現象ということになる。変化する現象の、その奥に在るたった一つのものだけが真実の存在。
こうして文章に書くと、どこか言葉遊びみたいで、安易に私が書くことじゃない気がする。でも、私のような者だからこそ、まずは言葉で整理し、ここから瞑想して深めていくことが大事。師に、瞑想に何の手応えもないと泣き言を聞いていただいたことがあったが、師はこうおっしゃった。
「すべては消えて変わっていくもの。本当に何が不滅の存在なのかもっと突き詰める。突き詰めが足りない」

静かになった水面。小石の上で、遠くを見つめる一羽の鳥。

悟りは既に在ります、と師は言われている。悟りを見えなくしているのは無知と教わってきた。その無知についてレジュメには「現象を実在と見てしまう力」「海を見ずに、波に執着している」とあった。――「波は現象、海が本体」


おばあさんは、最初はこちらを向かれて話されていたが、次第に体ごと背を向けられる恰好となり、表情が見えなくなってしまった。表情が見えない分、おばあさんの辛い気持ちが、なぜか目に見えるように、ぐっと迫ってきた。カーテンが開いている窓の先には、夏休みの絵日記みたいな真っ白い入道雲と真っ青な空が広がっている。どんな気持ちで、いつもここで、こうして横になりながら、この空を見ておられるのかなぁと思った。
外は酷暑で、部屋にはクーラーがかかっている。外から来た私にはまだ暑いくらいだった。その小さな丸い背中をずっと見ていたら、「こんな格好で、ごめんねぇ・・・」とお布団をかぶりながら言われた。お布団からは細くて白い長い腕が出ていて、肩が寒そうでお布団をかけてあげようと手が自然に動いた。手を出した瞬間、「赤ちゃんみたいやわ…」という声が蘇って、失礼かも、と咄嗟に手を引っ込めた。赤ちゃんみたいやわ、と悲しませたくなかった。また私は何もできず、黙って背中を見ていた。何かしゃべらないとと思って「外は暑いです」とトンチンカンなことを言ってしまった。いま外が暑いことくらい誰でも分かっている。でも、「帽子持ってきたか?」と優しく心配してくださった。

そんな不器用な私を察してか、時折ぽつりぽつりと昔の思い出話をしてくださった。懐かしそうに微笑まれると、とたんに私も嬉しくなり一緒に笑った。そしてまた現実に戻られ「今はもう何も出来なくなったわ」と辛そうにされる。私も辛くなり一緒に落ち込んだ。
そのうち、無口な私がじっとここにいることで、私と話をするのに体力も使うし、何より気持ちを余計にしんどくさせてるかもしれない、横にいない方がいいかなと思った。そしたら、ちょうど外から「用事を手伝って~」と呼ばれて、その場を離れた。活躍の場が与えられたとばかりに喜び、炎天下の中、黙々と草抜きや力仕事をこなした。何か出来るのは嬉しかった。同時に、何も出来なくなったと感じられているおばあさんの辛さを思った。気付いたら汗だくになっていて服をギュッと絞れそうだった。帽子くらい持ってきたらよかったなぁ、おばあさんの言われることはその通りやなぁと思った。

蝉の声しか聞こえない炎天下。花が一輪、涼しげな顔で咲いている。

しばらくしてから、おばあさんの所へ戻ると、ウトウト眠っておられた。よかった、と思った。やっぱり少し疲れさせたのかもしれない。帰る時間となった。
帰り際、おばあさんは目を覚まされ、なんだか私たちのことも全部忘れてしまったような、清々しいさっぱりした表情をされていた。「ん?今来たんか?」というような。そして横になったまま、私たちの方を見て、突然クシャっとした何とも言えない満面の笑顔を向けられた。生まれたばかりの赤ちゃんを愛おしく見つめるお母さんのような眼差し。びっくりした。さっきまであれほど、しんどそうだったのに、こんな笑顔、普通できない。性別も、年齢も超越してしまってるような、一切を包み込む女神のような笑顔。まるで誰かのような…。
人間は、時間の経過とともに体は老いても、内実である本性、霊性は深まりを増すのかなと思った。私のごちゃごちゃした心の計らいも全部わかっておられて、それをも丸ごと包み込まれた気がした。
おばあさんの本性、本当のものは、あの笑顔に現れていた。おばあさんの肉体の変化も、心のしんどさも、また笑顔も、どれも一つの現象なのかもしれない。でも、その現象を通して、人間の本性は変化していく肉体ではない、と理屈抜きに感じた瞬間だった。現象という波によって、その波の正体を、ほんの少しだけ見せてもらった気がした。波は、悪いことばかりでもないのかも、と思った。波がなければ海があることにも気付かないかもしれない。宇宙の創造主は、本当に偉大だ。

そして帰宅後「もう何にも出来なくなってしまってね…」という沈んだ声が、頭の中にこだましていた。翌日、ふとした時、「あ、笑顔!」と思った。何にも出来なくなんかない。人間にしか出来ない、最高の出来ること、それがあの笑顔だと思った。それに、私はおばあさんに元気になってもらいたいという思いを持っていたけれど、おばあさんはそういう私にずっと付き合ってくださっていた気がする。何も出来ないのは私の方だ。おばあさんは、どれだけのものを与えてくださっただろう。たった一つの笑顔に人は救われる。そのことを私は師の笑顔から感じてきた。ヨーガに出会って、人の笑顔ってこんなにも美しいのか、と思うようになった。そんなことを感じる心をそれまでは持ち合わせていなかった。師の笑顔とおばあさんの笑顔が重なった。
おばあさんに、私も笑顔で伝えられたらいいな。また笑顔を見に来ましたよ、と。そして教えてもらった通り、次は帽子をちゃんと持って行こう。

大海原へ出発。

野口美香

 

 


台湾の近況ーー「夜明けの来ない夜はない」

1年半の無事安穏な生活を経って、予期せず、台湾でのコロナ状況は突然に悪化して、5月中旬に第3レベルの警戒態勢に入りました。私たちは初めて在宅勤務やステイホームを経験しました。集まることができなく、しばらくアーサナクラスや読書会は休んだのですが、6月からオンラインクラスが行なわれ始めました。

台中市。自宅からの雨後の景色。

オンライン・アーサナクラスの場合、家の空間でマットを敷き、Zoomに入室し、プラサーディニーさんのリードの声を聞きながら、アーサナをします。クラスを受けるみんなは同じ場所にいませんが、同じ振動とプラーナを共有しているようで、すごく集中力があり、パワーに満ちているように感じます。

読書会も、パソコンの画面を通してもみんなの分かち合いを楽しむことができました。台北は月1回、台中は2ヶ月1回読書会を行ないます。コロナの影響にもかかわらず、みんなは同じようにオンラインで参加します。それは、ヨーガの教えが移り行く人生の中の大事な支えと感じるからでしょう。

さらに幸運なことに、このような時期にオンライン瞑想専科がスムーズに始まりました! サーナンダさんは毎回のテーマに沿って瞑想の基礎から教えてくださいます。学びながら、瞑想で生じた質問にもすぐ答えていただけるので、一歩ずつ瞑想を探究していくことができます。

揺れる世界環境の中で、私たちはヨーガの教えに則って、ヨーガ行者の揺るぎない心に少しずつ近づいていこうとしています。ヨーガは時間、空間、条件を超えることを改めて確信しました! 同時に「夜明けの来ない夜はない」と師のヨーギーさんが教えてくださった言葉を信じています! そして、みんなに会える日を楽しみにしています!

ある日の瞑想専科の前、虹がかかりました🌈

マールラー


川の流れのように

昭和歌謡の題名のようになってしまいましたが、私が住むまちは東京都と神奈川県を分ける多摩川に面しています。我が家から河原までは散歩には少し遠いですが、自転車なら一走りで丁度良い感じです。ガンガーのように沐浴こそしませんが(水に入ることは禁じられていないようです)、川の近くに住んでいることはヨーガを学ぶ身としてほんの少し嬉しいものです。働き盛りの頃は仕事で疲れた心を癒しに、週末によく河原に出たものでした。輝く川面やはるか上流の奥多摩や秩父の山々を眺めていると、仕事の懸案やトラブル、職場の人間関係の悩みなどからひととき解放されました。視界を遮るものがない広く高い空、川面を渡る涼風、むせるような草の匂い、たまにどこからか聴こえてくる微笑ましくも発展途上なサックスの音階。のんびりした多摩川の河原はひと頃の私の精神安定剤でした。

ある日の多摩川。ヨーガ行者のような人が川を歩き渡っているのが見えますか?

ヨーガを学び、仕事を定年退職した現在も、以前ほどではありませんが河原に出ることがあります。広々とした両岸の河原に挟まれ、多摩川は相も変わらず悠々と流れています。しかし川を眺めながら、以前とは違うことを思うようになりました。遠くの山並みや向こう岸の街を背景にして、この川はずっと変わらずそこにあります。でも水面をよく見ると小波を立てて、川の水は上流から下流へ止まることなく流れ続けています。私が眺めていた川は一瞬たりとも同じ川ではありませんでした。

私が本当に見ているのは今という一瞬を切り取った川の様相だけ。その一瞬はすぐに過去となり次の一瞬を見せられる。それは映画のフィルムのようにコマ送りされてつながっていくだけ。同じように、私の身体も細胞単位で見れば常に誕生と死を繰り返しているから、昨日と今日の身体は違っているし、細胞がすべて入れ替わるのに必要な時間が過ぎたら、私の身体はまったく別物だ!それでは「私の身体」と言っている「私」は誰? それを突き詰めていけば、それが本当の自分であり、生まれも死にもしない永遠の存在であるというヨーガの教えを学んだ時のワクワク感が忘れられません。「面白い!」と素直に思いました。身体と心と自分(意識)を切り離して生活できたら、生きることが楽になるだろうなと思いました。少しでもそうなれるようにヨーガの訓練に取り組んでいます。

5月に母が亡くなりました。認知症を患い最期は養護施設で迎えました。新型コロナのために最近1年ほどは、車椅子の母が2階のテラスに出てきて、私たちは庭から手を振るだけの面会が続きました。手を握って元気づけてあげることもできず、母は生きようとする心が折れてしまったのか、最期はあっという間に衰えてしまいました。淋しい思いをさせたと後悔は残ります。しかし新型コロナの時代と重なってしまったのもカルマと考えるしかありません。看取りの時期が近づくと他の入居者と隔てられた場所で直接面会をさせていただき、家族で最期を看取ることができました。

母を亡くすことはとても悲しいことでしたし、私を育ててくれた無条件の愛を想うと、感謝してもしきれません。でも私は母の死を想像していたより冷静に受け入れています。それは「無常と永遠」というヨーガの教えを学んでいたことで、母の死を一面では客観的に見つめることができたからかもしれません。人の一生も川の流れのように一瞬たりとも止まることなく、ブラフマンという大海に注ぎ帰っていくのですね。ついさっきまで温もりを感じた手が冷たくなり、綺麗にお化粧をしてもらい、白い骨片だけを残していった母は、「無常と永遠」というヨーガの教えを身をもって私に見せてくれたのだと思います。

ガンガーほどとは言いませんが、夕陽に染められた悠々たる多摩川の流れ。

殺された王子たちを聖水によって天国に送るために、シヴァ神がその頭髪で天上のガンガー女神を受け止め、地上に下ろしたといわれるガンジス河。ヒンドゥー教徒の人たちが家族や身近な人の亡骸をガンガーの流れに還す様子は、必ずしも悲しみに包まれたものではないといいます。それは輪廻転生を信じてなのか、苦悩に満ちたこの世界を離れ永遠の存在に還っていくことへの喜びなのか、私にはわかりません。でも悠久の時を流れるガンガーもまた、太古の昔からこの世界の無常さとともに、その背後にある永遠の真理を人々に教えてきたことには間違いはないと思います。

ランプの炎や川の水と同じように、生き物たちの身体は、見えないときの流れとともに絶えず変化している。したがってある意味では、彼らは絶えず生まれ死んでいるのである。ランプの炎は少し前とまったく同じであろうか。流れている水はいつも同じであろうか。同様に、もし人がこの肉体であるならば、今日の自分と昨日の自分はまったく同じであろうか。
実体としての人には、実は誕生も死もない。人そのものは不死であり、その他のものはすべて幻影である。受胎、胎児の状態、誕生、幼児期、少年期、青年期、中年期、そして死去。これらは肉体のさまざまな状態に過ぎず、実体としての人には影響を及ぼさない。それらの状態はまったく肉体にのみ属し、自己には属していない。
(「シュリーマッド・バーガヴァタム」日本ヴェーダンタ協会刊)

新型コロナの状況が改善したら多摩川の河原でキールタンを歌おうと、東京のグルバイと計画しています。春めく3月に連れ立ってロケハンに行きました。河原に座り川面を眺めながら、ヨーガの話をした時間は至福の時でした。永遠の存在である神の恩寵に感謝し、グルバイと共に河原でキールタンを歌える日が1日も早く来るのを願いつつ、最後に師の教えを心に刻みたいと思います。

人生は一瞬一瞬が分かれ目なのです。
だからあなたは過去でも未来でもなく、
「今」を生きなければならない。
あなたが神に救われたいのなら、
神を求めなければならない。

シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ 

1日も早くここでキールタンを歌える日が来ますように。

小菅貴仁


ちょっとしたグル(師)の行為 ⑵

今日から8月、夏本番ですね〜🌞
梅雨も明け、私は介護の仕事の外出支援も増えて、京都御所や清滝などに行ってきました。(三密は回避してコロナ感染対策はもちろんしております)
暑い日に外に出るのは大変さも感じるのですが、コロナ禍でステイホーム期間も長引いているためか、やはり青空の下、太陽の光を浴びて汗をかくのは清々しいものです。

嵐山を北西に上がったところにある清滝。水がとっても冷たく、オアシスでした。

私は今年、外の仕事が重なっているため、わりと日焼けしているなと感じるのですが、11年前の夏はその数倍日焼けしていました。
その理由はというと……
以下に書き記しました。
連載『ちょっとしたグル(師)の行為』の第2回目です。


「気の抜けた炭酸みたいに眠りこけとるな!明日からランニングや!!!」

11年前の7月の終わり、約3ヶ月の師とのニューヨーク滞在の折り返しの頃、私ともう1人の滞在者アミティ(当時は井上さん)が師のアーサナ・瞑想クラスから帰ってきてほっこりしていると、それまで穏やかであった師が急変、語気を強めてそのようにおっしゃられました。そう、この日のクラス、否、ほとんどのクラスでアミティと私はアーサナで疲れ果てて瞑想中にコックリ&ウトウト……体力も気力もない、まさに「気の抜けた炭酸たち」に師はランニングを命じられたのでした。

翌朝、まずはランニングシューズを探しに出掛けました。師は私の履き心地を重視され、またデザインもユニークな靴底がイエローでジグザクになっているリーボックのランニングシューズをセレクトされました。師はそのデザインを見て、「馬の蹄みたいやな!」とおっしゃられました。(ちなみに、このランニングシューズは使用禁止のマラソン大会が出るほどクッション性や推進力が高いものだったようです)

次にアミティのランニングシューズを探したのですが、とあるお店の倉庫みたいな地下のところに入っていきました。そこには大きな段ボール箱が置いていて、黒のマジックペンで「$19.9」と書いてあり、その中にたくさんのスニーカーが乱雑に詰め込まれていました。師は屈んでその段ボール箱の中から必死になってスニーカーを探し始めました。私は「こんなところにあるはずがない」と思って横で見ていたのですが、そんな心の声が聞こえたのか、ぼーっとしている私に「自分も探さんかい!」と一言……私も一緒になって探し、そしてなんと驚くことに、そこでアミティにジャストサイズのお宝スニーカーを1足どころか2足も発掘&ゲット!!!

その後ケーヴに戻って昼食をとり、これからランニングなのかなと思いきや、次はなんとランニングウェアを探しにいくことに……!!
スポーツ用品店で購入するのかなと思いきや、そのようなところには行かず、カジュアルな洋服屋や古着屋を見て回りました。師はかなり吟味をされ、とはいっても怒涛の勢いで選ばれ、すべてが決まったのが19時を回っている頃でした。この日は夜も遅かったので、日本食のお店で夕食をいただき、帰宅しました。

マラソン選手のようなアミティ。色鮮やかなトータルコーディネートと肌の色が際立っています。それにしても真っ黒に焼けていますね笑。愛媛に帰るとしばらくの間は、すれ違う人に振り返って見られたそうです。

ニューヨーク曼荼羅のようなTシャツ。スケーターブランドです。残念ながらスニーカーの写真は残っていませんでした。。

私にとって、この1日はただの買い物の日ではありませんでした。大袈裟ではなく、人生が変わった1日でした。ヨーガをしにきたのにランニングを命じられ、ヨーガとは関係のない服やスニーカーを選び、さらにその師の買い物の仕方・選び方、その必死さたるや、自分の今までの価値観やセンス、観念が一気に破壊されたのでした。すべてが否定されたように感じ、その時私はとても情けなく辛かったのです。

しかし、そんな傷心を引きずったりお落ち込んでいる暇すらもなく、次の日から1ヶ月半、毎日ランニングをしました。大した距離は走れませんでしたし、長年の運動不足と怠惰な生活もたたってしんどかったのですが、走ってみると何だか中学生に戻ったかのような清々しい感覚で、とにかく毎日のご飯がとても美味しく感じられました。日焼けした私がご飯を必死に食べる様子を師は嬉しそうに見ておられ、その視線が今も心に強く残っています。

この道を通って、バッテリーパークまで走っていました。

ちなみに約3ヶ月のニューヨークの滞在で師と外食したのは後にも先にもあの日本食のお店の一度きりでした。
飲食店だらけの欲望の渦のようなニューヨークで外食をされない師の行為にも同時に驚かされたのでした。

ゴーパーラ


生きる意味を知り、この命を生きる

先日、祖母が亡くなりました。93歳、大往生と言って良い年齢だと思います。

最後に会ったのは2019年の秋。コロナ禍で会えないまま別れの時が来るかもしれないと覚悟はしていました。しかし、いざその時を迎えてみると、祖母にもう会えない寂しさが溢れてきて、葬儀にも参加して見送ることすらできないという現実を受け入れられない自分がいることに気付きました。

ヨーガで学んだ、「死とは服を着替えるように肉体を脱ぎ捨てていくこと」「死とは心の死滅であり真の自己は決して死なない」という教えを事あるごとに意識し、私なりに理解していたつもりでした。葬儀やお墓といった形式がなくても故人を偲び大切にしていくことはできると思っていました。だから死を嘆き悲しみすぎてはいけないと思っていました。しかし、今回会えないまま祖母が亡くなり、最期のお別れにも立ち会えなかったという事実は、私の心を大きく動揺させました。悲しさと寂しさと虚しさが一気に押し寄せて心を支配しようとしましたが、その勢いを止めてくれたのは記憶の中にある祖母の笑顔でした。
明るくて、雲ひとつない青空のような祖母の笑顔が、私は大好きでした。

祖母の死を受け入れようと、その人生に思いを馳せ、数々の思い出を振り返るうちに気付かされたことがあります。
それは命の偉大さと尊さです。
この世界にはたくさんの命が存在していて、人間だけではなく動物も植物もそれぞれ与えられた役割があり、それを全うするために生きています。祖母はその役割を全うしたから肉体を離れた。私にもいつかその日が来る。私が関わっている人たちにも、関わっていない人たちにも、必ずその日が訪れる。
人は様々な関わりの中で互いに影響を与え合っている訳ですが、具体的に何かしてあげたりしてもらったりということでその影響し合っているのではなく、その命が存在していること自体が大きな力を持つから他の命に影響を与えているのではないか。一つ一つの命が他に代えることのできない尊い存在だから、互いに与え合うのではないか。
そう思い至り、全ての命に対する畏敬の念と、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

今年は近場の蓮を見に行きました。早朝だったため、これから開こうとする状態。生命力を感じました。

私は今生において孫という立場で祖母に出会いました。一緒にいる時間だけではなくて、離れている時間も、祖母が生きていて存在してくれていることがいつも力を与えてくれていました。
その魂が肉体を離れることで、その力はなくなってしまうのか?
答えは否です。
私たちの本質は純粋で尊く、肉体が死を迎えても決して死ぬことがない。それが変わることのない真実だから。今回祖母との別れの辛さに心が支配されそうになっていた時、祖母の笑顔によってその勢いが止まったことも、祖母が私に与えてくれていた力の影響なのではないかと思います。

そんなことを思っていた時、Web版パラマハンサ7月配信の知らせが届きました。
「プラナヴァ・サーラ 本当の生きる意味」で、数年前のサット・サンガでの師のお言葉が、このタイミングで読んだことで、胸に染み入りました。

質問者:『プラナヴァ・サーラ』(書籍)の死に様に関しての内容で、強い信仰を持つということと、神の中で死になさいということがすごく印象的でした。信仰を持つということと神と一緒になるということで死を超えられるという、そこにはそういう意味がありますか。

あります。それからもっと実質的なところにおいては、臨終の間際の思いというものは非常に強いとされているのです。だから通常だとカルマの連続で、ある一定量のカルマによってまた来世という流れになるのですけれども、その臨終の一念発起というかその思いの強さによって、それらのカルマを飛躍的に良くするという、そういう力が生まれるというふうにもいわれています。

祖母が亡くなる前日に親族数人が面会を許可され、声をかけた時、ニコッと笑ったと聞きました。誰の声かは分からなかったかもしれないけれど、最後に祖母の耳を通して何かが伝わり笑ってくれたということは、肉体を去る前に安心して穏やかな気持ちで旅立てたのかもしれない。それが来世に良い形で繋がっていくのかもしれない。そんな風に思えました。

この日のサット・サンガの中で、師はこうも仰っています。

本当は誰もの本性という本体は神聖なもので、エゴとかそんなものは初めから本当はない。無知なんていうのも本当はない。…自分もそうだし、他人も他者も全てのものが同じ本質を持っている。二つとない同じものだから、愛おしい、尊い。そういうふうに他者に対しても優しく尊敬を持つこともできるし、全てのものを愛おしくいたわることもできます。これが生まれてきて、生きる本当の意味になると思います。

「生きる意味」を知ったからには、今生でそれだけを見て生き切ることができるはず。

誰もが真実を実現することができると、それが既に私たちの中にあるということを、師は常々おっしゃってくださっています。それを体現し、ありありと見せてくださっています。
その言葉を信じ、その姿に倣い、最期の瞬間まで諦めることなく生きていきたい!今、私史上最高に強い決意を感じています。

何度挫けそうになっても何度でも立ち上がって、私が与えられた役割を全うしていきたいです。

ハルシャニー