真っ正直

自分が巳年だからか蛇に割と愛着がある。動物園でも爬虫類館が好きだった。蛇は、ヒンドゥー教ではナーガという蛇の神様もいらっしゃるし、日本でも白蛇は縁起が良いとされているように、どこか神秘的なところがある。特に目が神秘的だ。
ところがそんな私にとって、昨年は蛇の生殺しのような期間(!)から始まった年だった。

毎年、寒い一月頃、いつも艶やかに姿を見せる。

昨年の元旦、眼に不調があり救急病院へ行き、大学病院で精密検査するまで安静に、と指示を受けた。目の不自由な方に付き添う仕事をし、目の知識だけは頭でっかちだったため、最悪の眼の事態を想像した。じっと待つしかない長い休み期間は、まさに蛇の生殺し状態だった。

休みが明け、大学病院で精密検査したが原因不明。ところが気持ちが切羽詰まっていたからか、その時の医師の、何げない一言に傷付いた。次週、別の検査となったが、不信感を抱いたまま同じ医師に診てもらっても納得できそうになく、それにまたこのまま一週間待つ…、と思うと途方に暮れ、家族に相談した。家族は、昔に家族がお世話になった個人眼科を受診するのも一案、と提案してくれた。セカンドオピニオンだと考え、家族が信頼する先生の診断なら納得できるはず、とその眼科へ行った。私の目的は、別の先生による真っさらな診立てを知ることだったから、最初に救急病院へ行ったこと以外の、大学病院のことや家族から紹介を受けたことは特に話さないことにした。ただ純粋に眼の症状だけを診てほしい、真実が知りたいと、その時は思っていた。

その眼科は、地元の人に愛されているような、こじんまりとした和やかな雰囲気で、患者さんとスタッフの方たちの朗らかな会話が、ゆったりと流れていた。そこでボーっと順番を待っていると、自分の眼のことだけでいっぱいの張り詰めている自分に気付いた。名前を呼ばれ、小学校の保健室にあったような、視力検査の黒いスプーンみたいな懐かしい器具を手渡され、片眼ずつを覆い、看護師さんが手作業で視力検査から進めていかれる。幾つかの検査が終わり、いよいよ部屋の一角にある小部屋に入る。まるで洞窟のような真っ暗な空間。闇を照らす煌々としたライトを額に付けた、ちょっと怖そうな男の先生がおられた。先生は、理科室にあったような眼の模型やイラストなどを使い、熱心に丁寧に症状を説明された。どうなるのか、はっきりと原因が知りたかった。爆弾を抱えたまま安静に過ごすなんて嫌だった。だけど先生は、私の質問に対して、科学ではどうしても原因の分からないこともある、今は様子を見るしかなく、申し訳ない、と説明された。その謙虚な説明のされ方に驚きながら、なぜ原因不明かということにも納得し、治療方針をお伺いし、お礼を伝え診察室を出ようとした。
すると「〇〇さんのご家族ですね」とおっしゃった。「(保険証の)住所を見れば遠い所からわざわざここへ来られるのもおかしいし、分かりましたよ、〇〇さんお元気にされていますか?」と。先生は、家族の眼のことを大切に思われ、一人の医師として、かつて診た患者の将来を案じておられたことが分かった。そしてなんと突然、涙を流された。びっくりした私は家族がここを勧めてくれたこと家族の眼のこと、元気にしていることを伝えた。忙しそうな診療時間中にもかかわらず、先生は真っすぐに私の目を見ながら真剣な表情でずっと話を聞かれた。先生の真心のような、尊いものが伝わってきて胸が熱くなった。

咲き始めた!

次の診察は一週間後。私は大学病院の経緯を話してないことに引っかかりだし、これで本当にいいのかな、と思った。自分が決めた方針だったし、だからこそ診断にも納得できた。嘘を付いた訳でもないし何も悪いことはしてない。でも、と思った。繰り返し考えた。今思えば、些細なことをわざわざ取り上げ大層な問題にしていたのかもしれないが、その時は無視できなかった。私はトゥリヤーナンダ(インドの聖者の方)が好きで、かつてヨーガの仲間の前でそのことを話したことがあった。トゥリヤーナンダがある弟子に言われた言葉があり、よく心の中で唱える。

「悟りは強く、純粋で、真っ正直な者だけに与えられる」

明日は診察日という日の夜、お風呂の湯船の中でもその言葉を唱えていた。ふとその時、トゥリヤーナンダからの言葉が聞こえてきた。(気がした!)

「なぜできないのか。もし君が彼を本当に愛しているのなら、彼が知らないことを知らせてあげることをなぜ躊躇するのだ。愛している者に向かっては、何でも話すことができるはずだ。人を愛する時、どうしてそこに恐れなどがあり得よう」

瞬きもせず、じっと話を聞かれた先生の眼差しが焼き付いていた。その先生に、話せないことがあるのはおかしい、やっぱりありのままを話そう、と思った。先生が仕事をされる上で必要な情報かもしれない。患者の役割があるとすれば、それを果たさなければいけない。
「彼(先生)が知らないことを知らせるのになぜ躊躇するのか?」。 今更知らせれば私が医者に不信感を持っている人という悪い印象になる、そうなると家族にも迷惑が及ぶ、それに大学病院の診立てを伝えれば先生の診方も変わるかも…、次から次へと奥に潜んでいた自分への保身、人への疑い、恐れが浮かび上がる。でも「人を愛する時、どうしてそこに恐れなどがあり得よう!」。トゥリヤーナンダのこの言葉は、あまりにも力強すぎて、私のしょうもない拘りの思いを吹き飛ばした。もう自分の眼がどうなるかとか、眼に対しての本当のことが知りたいとか、もうそんなことはいいやんかと思えた。先生の真っ直ぐな眼差しはトゥリヤーナンダの眼差しと重なった。私も真っ正直でありたい!と、不安が全くなくなった。

翌日の診察日、先生に、ありのまま経緯を伝え最初から話さなかったことを謝った。すると「そうです、真実を話してほしいのです」 先生の声が、洞窟のような暗室に響いた。ドキッとした。真実を、真理を軸にしてきたつもりだったから。先生は続けて、小さな町医者ではどうしようもないことがあります、もうここでは診られないという時にはすぐに信頼する大学病院の医師を紹介します、とおっしゃった。私にできる限りのことをここでします、と真摯に話された。胸が詰まりそうだった。
それからしばらく通院し、眼は治っていった。先生は、どうして治ったのか分かりません、薬の効果か分からない、あなたの自然治癒力で治ったのかもしれません、よかったです、ととても喜ばれた。そんなことを正直に言われる病院の先生に会ったことがなかった。最後の日に先生は、私は医師としては失格です、と言われた。涙を流したことを恥ずかしそうに謝られた。医師は、力士が土俵上では決して感情を出さないように、どんな時も淡々と行為しなければいけないのです、と自分を戒めるようにポツリと話された。私は先生のことは全然知らないが、先生には先生の精進されている道があり、先生も私もみんな同じなんだと思った。私は私の信じるヨーガの道を誠実に歩みなさい、と教えられたようだった。そして、真っ正直とは理屈じゃない、それが真理だった。真理に対して潔白でいること、誠実でいること。自分が切羽詰まろうが、張り詰めようが、そういう時こそ、だった。トゥリヤーナンダが真っ正直な先生の姿を通して、教えてくださった。そして、そこは師のお膝元でもある北野天満宮のお側だったのも単なる偶然とは思えなかった。(思い込みだろうか⁈)

最近、近所の山で偶然見つけた、木・石・牛だけの小さな拝所。

真理に対して間違ったことをしている時には自分で気付けますか? と師にお尋ねしたことがある。師は「自分で気付くし、結果が教えをくれることもあるし、また第三者が教えをくれることもある」とおっしゃった。
師の恩寵の下、周りの人や環境からどれほど与えられているか。私は真理を軸にできている! なんて奢らないように、古い自分からは蛇みたいに脱皮を繰り返していきたい。そういえば、蛇は脱皮する前の期間じっと動けなくなるという。ということは、もしかして私のあの時も、生殺しではなく脱皮前の…⁉ (また都合よく解釈 笑。もはや願望) とにかく!常により良く変身していけるように、何度でも脱皮するため(笑)やっぱりいつも唱える。

「悟りは強く、純粋で、真っ正直な者だけに与えられる!!!」

冬に際立つ。木の枝の美しさ!

野口美香


ヨーガと心の傾向 ②ヨーガはヴァーサナーとの闘い!?

「自分のヴァーサナーを何とかしたい!!」と悶々としていたある日、長年師の下でヨーガを続けておられる京都の先輩と電話でお話をさせていただく機会がありました。そこで私は、先輩にヴァーサナーについてうかがってみることにしました。(前回のブログ

私は「ヴァーサナーについて教えて下さい。自分のヴァーサナーをどうにかしたいのですが、どうしたらいいですか?」と率直に質問しました。先輩はとても丁寧に答えて下さいました。
「そうですね。“長い間ニンニクが入っていた壺からニンニクを取り出しても、ニンニクの匂いは消えずに残っている”とよく例えられるけれども、ヴァーサナーは空気のようなもので実体がないんですよ」
そして、次のように説明して下さいました。
ヴァーサナーというのはサンスカーラ(※1)が積み重なってできる心の傾向であり、例えば、好き嫌いやその対象に対してどのような反応をするか、また様々な物事の理解の仕方の傾向や、その人がとる行動、話し方や文章の書き方など、すべてに影響を与えている。師は「風向きのようなものだ」とおっしゃられたそうで、心に入ってきたものはすべてその方向に流されることになるそうです。
真理を学び、自分がヴァーサナーの影響を受けていると頭では理解できたとしても、その理解の仕方自体も影響を受けていることになるので、ヴァーサナーを相手にしても仕方がないし、ヴァーサナーに意識を向けるとかえってそれに捕われてしまう。けれど、そのままにしておくと新たなカルマ(※2)を作り出す温床になってしまうのだそうです。(前回のブログ参照
そして、「ヨーガはヴァーサナーとの闘いなんですよ」と穏やかかつ軽やかな口調で言われました。
今まで何となく理解していたのですが、なんと厄介なものなのでしょうか…!!それにヴァーサナーを相手にせず、ヴァーサナーと闘う!?一体どうやって闘えばよいのでしょう??
「では、どうすればいいのですか?」私は更に質問を続けました。
「やはり真理だけを見ていくことしかないんですよ。唯一真理を求めていくことだけが、大元であるエゴと無知を滅ぼして、心の消滅にともなってヴァーサナーに打ち勝つことになるわけです」と先輩は言われました。

その後、しばらくして別の先輩にグルバイが質問をしている場面に居合わせることがありました。彼女は「頭では、やってはいけないそっちにいってはダメだ!と思っているのに、どうしてもそっちに行ってしまうんです。止めようとしてもなかなか止められないという時はどうしたらいいでしょうか?」と話されていました。私はヴァーサナーのことかなぁ、と思いながら聞いていました。
その先輩はご自分の経験を例に出しながらこう答えられました。
「車やバイクってある程度スピードが出ていると、ブレーキを踏んでも“惰性”の力が働いてすぐには止まれないよね。それと同じで、これまで長年続いていた習慣や性質って、すぐには改まらないことが多いよね。
昔、私がバイクに乗っていて山道のカーブにさしかかった時、曲がり切れずにガードレールにぶつかって転倒したことがあったのだけれど、その時ぶつかってはいけない!と思ってガードレールばかり見ていたら、吸い寄せられるようにそっちに向かって行ってしまったんですよ。本当はそっちではなく自分が進む道の方を見なければいけなかったんですよね。
避けたい対象を意識するのではなく、やはり自分が本当はどうしたいのか、どうなりたいのかということに意識を向けるようにした方がいいよ」と話されました。
私は、なるほど!どちらの先輩も同じことを言われているなぁ!と思いました。“ガードレール=ヴァーサナーやその対象”を見るのではなく“自分が進む道=真理”を見ること。
分かりやすい例え話や言葉を使って物事の本質を丁寧に説明されるお二人のお話を聞きながら、私は先輩方に師のお姿が重なって見え、長年師の下でヨーガを続けて来られた先輩方にまた改めて憧れと尊敬の念を深めたのでした。

職場近くの公園の白梅の花が咲き始め、風に乗って甘やかな香りが運ばれてきました。

私は、先輩が教えて下さったヴァーサナーとの闘い方「唯一真理を求めていくことだけが、大元であるエゴと無知を滅ぼして、心の消滅にともなってヴァーサナーに打ち勝つことになる」とは、『ヨーガ・スートラ』の一番最初に書かれている「ヨーガとは心の作用を止滅することである」と同じことだということにはたと気が付きました!ということは、ヴァーサナーはヨーガが成就するまでなくならないということになります。だから「ヨーガはヴァーサナーとの闘い」なのか…。なんという長期戦なのでしょう!?

「何事も一足飛びにはいきません。一歩一歩です」
私は、師に出会った頃、私が質問したことに対して師が答えて下さったことをまた思い出しました。何も前進していないのではないかと焦りを感じる時に、いつも励みにしている大切な師の教え。あぁ、やはり師のおっしゃる通りなのだなぁ…と、今さらながら心の中で師の御前に額づく思いがしました。四の五の言わず真理の教え、ヨーガを実践しよう。やはりそれしかないのだ。私は自分のヴァーサナーとの闘いに腹を括りました。
それから私は、これまで以上にそのことを意識して日常生活の中でヨーガに取り組むことにしました。
(続く)

※1 サンスカーラ/この世界で経験するあらゆる事柄は心に何らかの印象を残し、その内容に応じた結果(カルマ)をもたらす。この潜在的な残像印象をいう。
※2 カルマ/行為とそれによってもたらされる結果を意味する。利己的な悪しき行為は苦という結果生み、非利己的な善き行いは楽の結果を生む。それゆえ、本来の意味である行為とともに、その結果と、さらには作用・反作用、因果応報の真理も含んでいる。
(『悟り』/サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著 用語解説より)

辛夷も春の準備を始めています。

シャルミニー


『あるヨギの自叙伝』を読んで(8)ーーマハートマー・ガンディー

マハートマー・ガンディー
イギリス植民地支配からの独立を非暴力運動で勝ち取り、「インド独立の父」と称される彼の名を、誰もが一度は聞いたことがあると思います。

「剣を取るものは剣で滅びる」ーーこの聖書の格言が『あるヨギの自叙伝』のガンディーの章で引用されていますが、ガンディーは武器を取らず、掴んだのはインドの聖賢たちが太古より発見し培ってきた「偉大な叡智」非暴力でした。
ガンディーが生きた2度の世界大戦のあった激動の20世紀インドにおいて、イギリスの圧政・暴力は想像を越える厳しさだったと思います。
その過酷な状況下において、非暴力を実行に移すことは容易でなかったにもかかわらず、なぜガンディーはそれを貫き通せたのでしょうか?

今回『あるヨギの自叙伝』を読み返すと、ガンディーの揺るぎない非暴力の信念・信仰の根底には「ヨーガの教えと日々の実践」があったことがはっきりと分かりました。
『あるヨギの自叙伝』には、1935年にガンディーとその信奉者の住むアーシュラマにヨーガーナンダが数日間滞在したことが記されています。
そこではガンディーがヨーガを実践していたとは明記されていませんが、ガンディーの熱心な信奉者たちが立てたサティヤグラハ(真理を順法する)の11の誓いが紹介されており、それを読むと最初の5つがヨーガの基礎を成すヤマ(禁戒)そのものであることは明らかです。

「暴力を用いぬこと、真理に従うこと、盗みをせぬこと、禁欲を守ること、何物も所有せぬこと、労働をいとわぬこと、嗜好品をつつしむこと、何物をも恐れぬこと、いかなる宗教をも平等に尊敬すること、スワデーシ(自家製品または国産品)を用いること、非賎民を解放することーーこれら11か条の誓いを、謙譲の精神をもって守ること」

ヤマの教えを基本に、残りの6つの条項が加えられ、ガンディーとその信奉者たちが日々この教えを実践しているのでした。
アーシュラマでのガンディーの暮らしは至極シンプルです。
常に下帯一枚しか身に付けていない衣服、味覚と密接に関わっている性エネルギーの禁欲を実行に移すために嗜好品を排した菜食の食生活、また宿泊したヨーガーナンダの部屋は最小限度の手作りのロープ製のベッドが一つ置いてあるだけーーしかし、窓の外からは保護している牛の鳴き声や鳥のさえずりという牧歌的な豊かな自然の響きが調べを奏でていたことが記されています。
ヨーガーナンダ自身、「至るところに現れているガンジーの徹底した質素と自己犠牲の精神に心を打たれた」と述べているほどです。

「もし真の政治家になりたいのならガンディーを見よ」

現代の日本の老獪な政治家に対して私はそう言いたい。
国民に自粛を要請している中での高級クラブ訪問やステーキ会食、また女性蔑視発言などガンディーには無縁であります。

ガンディー(右)とヨーガーナンダ(左)。

余談はさておき、ガンジーはヨーガの実践によって自らを律し、真実という愛をインドの民衆、とりわけパリヤ(不可触民)に分け与え、カースト差別撤廃と宗教間の壁も取り払い、インド国民のみならずすべての人を平等に見ていました。
そんな母国とすべての人を愛したガンディーですが、その彼に多大なる影響を与えたのが真正のヨーギーであったスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)です。
ヴィヴェーカーナンダはインド放浪中、イギリスの支配により自信を喪失し怠惰に陥っていた民衆とその貧困の惨状に胸が張り裂け、インドに必要なのは「宗教でなくパンだ」と言い、西洋の物質科学を自国に持ち帰るべく海を渡り、西洋世界にはインドが古来より培ってきた真実の叡智を与え、インドのみならず世界をヨーガによって救おうと行動し、人類への奉仕に身を捧げました。
さらに、すべての宗教の平等ーー「それに至る道はさまざまだが、真実は一つ」という宣言を大胆にもキリスト教優位の西洋世界で臆することなく高らかに叫びました。
ガンディーはヴィヴェーカーナンダのすべての著作を読んだ後、「私の祖国に対する愛が何千倍も深くなった」と語っているほどヴィヴェーカーナンダから大きなインスパイアを受けています。

そしてこのインドの英雄ヴィヴェーカーナンダを生み出したのが、とりもなおさず彼の最愛の師シュリー・ラーマクリシュナでありました。
ヴィヴェーカーナンダは師を「ブラーミンの中のブラーミン」と讃え、自らが最上カーストのブラーミンであるという奢りを拭い去るために、夜中にこっそりとパリヤの家に忍び込み、自らの長い髪でトイレ掃除をしていたシュリー・ラーマクリシュナのその謙虚な生き様を「真似したい」「私のヒーロー」とまで言っています。

「もし神を実現したいのなら、謙虚な掃除人であれ!」

この言葉は政治家ではなく、自らに言いたい。
シュリー・ラーマクリシュナのこのトイレ掃除の驚愕のエピソードは、謙りの極みだと痛感します。
そしてまたガンディーのサティヤグラヒスの誓いが「すべて謙譲の精神でもって守ること」と記されているように、何を行なうにも謙虚さが最も大切であると教えてくれます。
『あるヨギの自叙伝』には、ガンディーは毎朝4時に起床し、神に祈りを捧げていたことが記されています。
以下、ガンディーの祈りと謙譲についての言葉です。

「祈りはわれわれに、もし神の支えがなかったらわれわれは全く無力である、ということを思い出させてくれる。どんなに努力しても、もし祈りを怠ったら、もし自分の背後にある神の恵みなしにはどんな努力も役に立たぬという明確な認識を忘れたら、その努力は完全とは言えない。祈りは謙譲への呼びかけであり、また、自己純化や内的探求の呼びかけである」

インド独立は、真理・神への不屈の信仰と謙譲の精神の持ち主であったガンディーの大いなるリーダーシップにより成し遂げられました。
そのガンディーの偉大な思想・働きは日々のヨーガの実践とヴィヴェーカーナンダの強力なインスパイアリング、そしてヴィヴェーカーナンダを育てたシュリー・ラーマクリシュナの存在によって生み出されたと言っても過言ではないと思います。
マハートマー・ガンディーの「マハートマー」とは「偉大な魂」という称号で、民衆が進んで彼に捧げたものであるそうです。
ガンディーという偉大な魂は、ヴィヴェーカーナンダとシュリー・ラーマクリシュナから受け継いだ魂であったのだと私は感じます!!!

最後に一言、ガンディーがヨーガを実践していたことは『あるヨギの自叙伝』を読んで再確認しましたが、私がそのことを初めて知ったのは、わが師シュリー・マハーヨーギーからであります。
またヨーガーナンダが1952年にロスアンゼルスでインド大使ビナイ・セン氏のために開いた晩餐会で演説した後にマハー・サマーディに入ったのは、「インド独立を見届けたから」という大変深い意味があってのことで、そのことも師から教えていただきました。

1998年10月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。

※マハートマー・ガンディー
(1869年10月2日ー1948年1月30日)
イギリスで教育を受け弁護士となって赴任した南アフリカで、彼は人種差別を受ける。傷心の彼が故国で発見したものは聖賢の偉大な叡智だった。彼はそれまでの西洋思考や価値観、生活態度の全てを改め、ヨーガを実践する。その頃インドではイギリスからの独立運動が高まり、人々は彼をリーダーに推し上げた。彼が提唱したサティヤ・グラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)、スワデーシ(自力生産)、塩の行進等は民衆の心を動かしめ、遂にはインドを独立へと導いた。

ゴーパーラ


パラマハンサWeb化の衝撃と歓び!!!

ついにこの日がやってきた!
「紙媒体のパラマハンサがWebに移行する」というお知らせに、コロナ禍にあっても何とか以前と変わらない気持ちで暮らしていた私は、思ってもみない衝撃に見舞われました。

機関誌『パラマハンサ』には、多くのサットサンガから選りすぐられた師の教えが記されたプラナヴァ・サーラをはじめ、バラエティに富んだヨーガのエッセンスが掲載され、読者を真理へと導いてくれていました。私自身は、好きな記事には見出しを貼り、さまらさのレシピはリストに書き出し、大切な教えの載ったページをばらして持ち歩く、そんなふうにして、いつでも手に取り、繰り返しじっくり読むことのできる紙面の『パラマハンサ』を、どれほど自分が頼りにしていたのか、痛感しました。

振り返ると、私自身のヨーガの歩みは、常に『パラマハンサ』とともにあったと言えると思います。師がいらっしゃる京都からは遠く離れて住む身にとっては、『パラマハンサ』はヨーガの道を歩む上で掛け替えのないものです。先輩方の経験談を読むと大いに励まされましたし、たとえ文字を読むのがしんどくても、表紙や写真を眺めていると心穏やかになれました。パラマハンサ-至高の白鳥-という名の通り、毎号郵送で飛んできてくれるのを心待ちにしていました。
しかしもう、新しい号の紙面を手にすることはないのだと思うと、ちょっと残念さと悲しさでなんとも言えない気持ちになりました。

見出しを付けた過去の『パラマハンサ』と書き写したさまらさレシピ。大変お世話になりました!

スマホでのトップ画面!パラマハンサが美しく、各記事のアイコン写真も綺麗です!(サンプルページ 5月以降に正式にアップ予定)

しかし、いつまでも沈んだ気持ちでいるわけにはいかないので、気を取り直してサンプルのパラマハンサWebページを見てみることに。
するとそこには、今までモノクロでしか見られなかったサットサンガの写真がカラーになり、色使いの美しい細密画が何枚も掲載されている! さらに、初めは画像の鮮やかさに目を奪われがちでしたが、画像の貼られた記事を読んでいると、これまでの『パラマハンサ』を読んでいるときとは違う感覚が働き、その話の内容にすっと入っていけるような気がしてきました。
印象的なのはプラナヴァ・サーラの写真で、サンガに集う人たちの真剣なまなざしと、問いに応じてくださる師の慈愛に満ちた面持ちとが相まって、自分もその場に参加しているような臨場感を感じました。師が直々に教えを授けてくださっている場面を目にし、実際の問答を読むことができるとは、なんと貴重なことかと思います。他にも体験記やシリーズとなっていた読み物は、一気にまとめて読めるし、気になる言葉を検索すると関連する記事が選び出されてきます。いつでもどこでもヨーガの教えを読むことができる! 忙しい毎日でも仕事でヘコんだときでも、パラマハンサのサイトを見れば前向きになれる! 画像に加えて音声や動画も配信されるようになれば、さまざまな面からヨーガを知り、学ぶことができるに違いありません。
そんなことを考えているうちに、紙面ではなくなると知った時のショックや、横書きになって内容が頭に入るのかしらという心配はいつの間にかどこかに吹き飛び、Web版パラマハンサがとても楽しみになってきました!

すでにインターネットは人々の生活の中で情報伝達やコミュニケーションの手段として欠かせないものとなっており、ヨーガを学んだり、広めるためにこれを利用するということは大きな意味があると思います。特に先行きの見えない今、将来を不安に思う人、自分の生き方や生きる目的を真剣に考える人が世界中に大勢いて、『Web版パラマハンサ』がその人たちが真理に触れるきっかけになるとしたら、それはとても嬉しいことです。
ヨーガの道は、先入観や固定観念をもたず、変化を恐れず大胆に進むもの、と教えられています。新たに大きく発展していく『パラマハンサ』、5月の配信が待ち遠しいです。

マイトリー


条件を外した先に!

コロナ禍が始まってから1月で一年が経ちました。その間、状況が二転三転し今も変化し続けている状態でありますが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。

松山から遥々青森! 白鳥飛来 冬の下田公園

私は、昨年緊急事態宣言が解除された頃、10年ほど暮らした松山から(主人よりお先に)実家がある故郷青森に帰ってきました。住み慣れた松山を離れ、青森での生活がスタートしたわけですが、ここに来てまず湧いてきた思いは、これから自分はどう生きてゆくのか、そして、ヨーガとどう向き合っていくのかという改めて自分を見つめる問いでした。

40年以上実家を離れていたので、暮らしていくにあたって家の整理を腰を据えて取り掛かっていこうと決めていました。また松山にいた頃は毎月京都に通っていたので、青森に来てからも、京都行きを目標に頑張っていこうと当初は予定していて、年に数回通いたい、通えたらいいなと希望を抱いていました。
ところが世の中の状況は徐々に厳しい雰囲気が広がっていき、マハーヨーギー・ミッションでも春の祝祭やサットサンガなどの休止が相次ぎ、しばらく京都に行くことも難しい、「どうする・・・ここでやっていくしかない」と諦めに近い気持ちと、感染を広げないためには移動しないことが重要なので、希望をもって焦らずにいこうと決めました。
同時に、遠方のみならず近隣の方々も自由に師と会えない状況になって、今まで私は通うことを意識してきましたが、これからは今いる場所で自らが教えを実践し深めていくことが大事という教えを思い出し、気づかされました。そこで、考えを改め仕切り直しをして、まずヨーガへの思いをとにかく切らさない様にと努めてみました。

その様な中、ミッションからZoomのクラス案内が届いた時は嬉しさと安堵感がこみ上げてきました。なぜなら、考えを改めたものの実践がスムーズに行なえているかといえば、正直今までの考えの癖が出たり、様々な習慣の癖があったりと往生していたからです。ですので、一人で進めるのは難儀なことも、皆さんと共に真理の船に乗って引っ張ってもらって助けていただこうとZoomクラスに参加しました。
本当は物理的な距離はヨーガの実践には関係ないことは頭では分かっていても、やはりオンラインを介して皆さんにお会いできて正直とても嬉しいです。励みになります。

そして、真冬の真っ只中にて励みになった気づきがありました。
それは、昨年末と年明けに今までにない寒波到来! 皆様も大変だったかと存じます。

雪が積もった車と赤いママダンプ!

その時のことですが、ここは県内でも積雪がわりと少ない地域でありますが、今回の寒波は厳しい凍(しば)れで日中もマイナス、警報が出る暴風雪の冬の嵐となりました。一晩で見事に膝辺りまで積もったでしょうか。車は雪で丸っこい形に様変わり~ 玄関先は除雪車が置いていった雪の塊が太腿まで積み上がっていて目が点になりました。一日かかっても片づけられるだろうか・・不安に。

とにかく雪かきをスタート! ママダンプで除排雪の場所に往復20回くらい迄は覚えていたのですが、だんだん寒さと疲れで何往復したのかもわからなくなってきました。

そんな時、ふと師の教えが湧いてきたのです。

「条件を外しなさい!」

どこからか声が聞こえてきたような・・ 。
ハッとして、例えどの様な環境の下でもその状況は一時的なこと。そもそも私は、私自身を「極寒の冬の中、雪かきをしながら大変だとか、辛い、寒い、足腰痛くて疲れたこの状況」と混同している!自己同一視している!ということに気づきました。本当の自分(アートマン)はこのあれこれ言う心やこの痛くて疲れた肉体ではない!
この真理の教えを思い出した瞬間、気を持ち直して淡々と除雪をすることができました。
すでに日が暮れてきて立ち止まって見上げると、夕日がオレンジ色に眩しく輝いていました。

青森 凍てつく小川原湖

OM 全ては OM 神のなせる業 そこには私の思いは一つたりとも介入しない。
なんて 美しいのだろう
なんて 愛しいのだろう この空も この雪も
「感謝」の思いが湧いてきました。
ありがとう ありがとうと胸が暖かくなりました。

片づけ終えてスッキリさわやかな気持ちで満たされました。
私のちっちゃな心の世界でとらえているけど、神は無限であることを。
何かにつけ条件付けをしてあーだこーだ・・・としているのはこの私。
神はそんなことまったくお構いなし関係ない!
無意識で条件付けしている様々な事柄。
全ての条件を外していって、純粋な源に帰りたい!!!
憧れを胸に OM

雪の中の灯り

 青森 山本悦子


見落としていたファクターX

瞑想専科には2018年の春から通い始めたので、今回で3年目になります。
アーサナのクラスにはその前から通っていましたが、日々の生活の中で、自分の心をうまく制御できないことが気になり始めて、瞑想専科にも参加させていただくようになりました。
私にとって「心」というものは、あっちこっちにとっちらかって、振り回されてしまうものだったけど、瞑想専科では、「心」をいろんな切り口で分析した解説をしていただけるので、いつもは厄介な「心」が、まるで科学の公式のようにすっきりと美しく理論立てて説明がつくのが気持ちよくて、もっとよく知りたいと思うようになっていきました。
瞑想の実践も、家ではなかなか長く座れないのが、クラスで座ると、(まぁ、やむを得ないから、というのもありますが)ある程度の時間ならじっと座っていられるようになり、繰り返していくことで、足が痛くなるまでの時間や、集中を保っていられる時間も少しずつ長くなっていきました。そして、心が飛び回る時間も少しは短くなってきたような気がしています。

瞑想専科での瞑想実習の様子。

とはいえ、私の心は日々の生活の中ではなかなかクラスで習った公式の解のような理想の状態にはならず、ついついエゴ的になってしまいます。「この習慣は、まぁ確かにエゴだけど、人に迷惑をかけてるわけじゃないと思うし、すぐに手放す必要もない。もう少し付き合ってもいいエゴだよね。」と飼い慣らしてしまったり、苦手な人がいても、「でも前よりはだいぶ普通に接することができているし、私もずいぶん成長してるはずよ」と自分を甘やかせてしまったり。そんななか、瞑想専科に行くと、エゴ的になっていた心がチューニングされて、ヨーガ的なところに近づけてもらえるような、そんな効果もあるように感じています。

そして、今年度。いままでのレクチャーに加えて、今年度は日ごろアーサナやお料理やキールタンを教えていただいている、ヨーガ経験者の先生方がゲスト講師として体験談を語っていただけるとのこと。昨年度末に予告を聞いてからとても楽しみにしていました。

ゲスト講師の先生方のお話は淡々と静かに語られているのに、その実践の中の取り組みは、必死さとか、ひたむきさとか、そんなものが伝わってきて、熱を分けていただいたような感覚になりました。
熟練者のお話ならではの、「すごい実践だなぁ」「そこまでやるもんなんだ」という驚きもあり、「そんな状態になれるんだ」「そんな境地を味わえるのか」という憧れもあり、でもそんな中にも、過去のお話を聞くと、「それ、私もいま感じることある!」と共感できるような思いもあり、「そういう実践なら私もすぐに試せそう」というメソッドもあり。
いま私がいる場所と、熟練者の方たちのいる場所は、隔たりがあるように感じていましたが、うっすらとした道でつながっているのが見えるようになった気がします。

「これを実践してるという実感がなくなるまで続ける」という徹底したサティヤーさん(左)の実践の話とか、マードゥリーさん(右)のカルマの鎖がはじけ散っていった話など、ゲスト講師の皆さんの実践体験談を、すごいなーと思いながら聞いてました。

私は日ごろ、データ解析の仕事をしていますが、理論上はこうなるはず!という実験データを解析しても結果はそうならないことが結構あります。その原因としては、重要なファクターを見落としていたり、そもそも実験データのとり方が悪かったり、などいろいろあるわけですが。。。
瞑想専科で学ぶ公式の解(理想の状態)と、実際の私の心も、ギャップを感じてはいましたが、「まぁ方向性は合ってるだろうし、この程度のギャップは何事にもよくあることよね」、と受け入れてしまっていました。
今回の講義をずっと聞いてきて、私がいままで見落としていたファクターは、「妥協したり途中で逃げ出したりしない強さ」というものだったのかなと気付かされました。

歩むべき道があっても、そこに葛藤があると、ついつい言い訳をつけて、途中で方向を変えてしまったり、目の前にある課題を後回しにしてそのまま放置してしまったり。今回聞かせていただいた体験談のなかでは、私がついついやってしまうような、そういう逃避が全くありませんでした。

今回見えるようになったと感じるうっすらとした道は、ちゃんと歩んだ人だけはしっかりとクリアに見える道になるのかもしれません。いままで、瞑想のメソッドや、心のしくみや、そんなことを少しずつ理解することで、なんとなく満足してしまっていましたが、私も目の前の課題から逃げ出さず、一歩一歩しっかり歩んでいかなきゃいけないな、と、そんな思いにさせていただいた、今年度の瞑想専科でした。

貴重なお話を聞かせてくださった講師の皆様、ありがとうございました。

篠田景子


『あるヨギの自叙伝』を読んで(7)ーーヴィヴェーカーナンダのシッディ

突然ですが、皆さんは「シッディ」という言葉を聞いたことがありますか?
シッディとは、ヨーガ修練の副産物として現れる成果で、「超自然力」のことです。
四章から成る『ヨーガ・スートラ』の第三章にはシッディの章が設けられ、ヨーギーたちが発見・感得してきたシッディの数々が記されています。
しかし、『ヨーガ・スートラ』の冒頭の文句にあるように、ヨーガの真の目的は「心の作用を止滅させ、本来の自己(神)に留まること」です。
『あるヨギの自叙伝』では「シッディとは、神の探求の途上に咲く路傍の花にすぎない」と述べていて、このシッディの超自然力を得て傲慢になり、過ちを犯した修行者のことにも触れています。
この『あるヨギの自叙伝』には、そういう間違ったシッディの使い方を教訓として示している一方で、聖者の無為自然なシッディの奇跡の数々も紹介されています。
病気治癒、肉体分離、空中浮遊、透視能力、未来の予言などなど、まさにシッディのオンパレードなんですね!
「これって、本当ですか……」というようなシッディのエピソードと、まるで好奇心旺盛な少年が物語を楽しく話すようなヨーガーナンダの軽快な文章とが相まって、とても魅力に溢れた聖典となっていると感じます。

そして私は今回、『あるヨギの自叙伝』を読み返す中で特に印象に残ったのは、「ヴィヴェーカーナンダのシッディ」のエピソードです。
以下、その内容を要約した形でご紹介させていただきます。

1893年、シカゴで第一回世界宗教会議が開催され、ヴィヴェーカーナンダはヒンドゥ教代表で講演をし、連日にわたって大反響を呼んでいました。
ちょうどその頃、17歳のディキンソンというアメリカ人の青年が、母とシカゴの大通りを歩いていました。
すると突如、「まばゆい光」が見えます。
そして、その二、三歩前をゆっくりした足取りで歩いて大公会堂に入っていくヴィヴェーカーナンダを見て彼は叫びます、「お母さん! あの人は、僕が溺れそうになったとき、幻に現れた人です!」
ディキンソンは5歳の時、池で溺れて死にそうになった時、まばゆい光の中で優しい微笑をした男性が助けてくれたヴィジョンを見ていました。
それがヴィヴェーカーナンダだと直観したディキンソンは大公会堂に入り、ヴィヴェーカーナンダの魂を震わす講演を聴きます。
講演後、彼は面会を求め近づくと、ヴィヴェーカーナンダはまるで昔からの友達のように微笑み、なんと驚くことに「やあ、水の中から出られてよかったね!」と言います。
そして「私の師であると名乗ってほしい」というディキンソンの心の声を読み取って、ヴィヴェーカーナンダは美しい射るような眼差しで次の予言を言います、「あなたの先生は、あとで来ます。その人は、あなたに銀のコップをくれるでしょう」
その後ディキンソンは、ヴィヴェーカーナンダに会うことがなく、また師と出会うこともなく、長い歳月が過ぎていきました。
しかし1925年のある夜、ディキンソンは、神に「どうぞ師をあたえたまえ」と熱心に祈り、その夜眠りに就いた時に天使のヴィジョンと神々しい音楽を聴く恩恵を得て、そしてその翌晩にロスアンゼルスで生涯の師となるヨーガーナンダと出会います。
ただ、その師であるヨーガーナンダから銀のコップが渡されることもなく11年の月日が流れ、その間ディキンソンもヴィヴェーカーナンダの予言を時々思い出すも、次第にあの言葉は何かの比喩に過ぎなかったと言い聞かせるようになっていきました。

しかし、予言の日はやってきます。
1936年の聖なるクリスマスの日、インドからアメリカに再び戻ったヨーガーナンダは、ロスアンゼルスでアメリカの弟子一人一人にお土産のプレゼントを渡していきます。
「これはきっとディキンソン氏が気に入るに違いない」と、そうヨーガーナンダは思って買った包みを彼に渡し、そしてディキンソンは包みのリボンを解いて叫んだそうです、
「銀のコップだ!」
この時、彼は人生で三度目のまばゆい光を見たのでした。

シカゴでのヴィヴェーカーナンダの予言から43年後の奇跡のこのストーリーを読み、私は思わず「う〜ん!!」と唸ってしまいました。
また同時に、「あなたに銀のコップをくれるでしょう」と言ったヴィヴェーカーナンダの無為自然なユーモアというか遊び心というか、本当にシッディを他者の歓びのために有益に使っている、最高にサプライズなクリスマス・プレゼントだと感嘆しました。

ヴィヴェーカーナンダは師であるシュリー・ラーマクリシュナに出会って修行を始めた頃、師から「将来、霊性の師として働く時は、役に立つだろう」と言われシッディを授かる機会がありましたが、次のように答えます。

「まず神を悟らせてください。そうすれば、超自然力が必要か否か、おそらく分かることでしょう。今そうした力を頂いたなら、神を忘れて利己的に利用してしまって、自滅するかもしれません」

そしてその後、ヴィヴェーカーナンダは悟り、またシッディの力を持っていたことは、『あるヨギの自叙伝』の「銀のコップ」のエピソードを読むと明らかです。

シュリー・ラーマクリシュナは晩年、ヴィヴェーカーナンダを傍らに呼び寄せて、じっと彼に視線を注いだまま、深い瞑想にお入りになり、その後泣きながら次の言葉をお話になられたそうです。

「今日、私は自分が持つすべてをお前に与えた。私は一介のファキール、無一物の乞食にすぎない。お前に授けた力によって、お前は世界で偉業を成し遂げるだろう」

このシュリー・ラーマクリシュナのお言葉がすべてだと思います。
悟りもシッディも、師のすべてがヴィヴェーカーナンダに引き継がれています!!!

2月18日は偉大なる覚者シュリー・ラーマクリシュナの御聖誕日です。
2月はもう1回、『あるヨギの自叙伝』からシュリー・ラーマクリシュナ、ヴィヴェーカーナンダに関連する記事を書きたいと思っています😄📝

 

ゴーパーラ


オンライン瞑想会 in 東京

以前はアーサナ・ヨーガクラスや瞑想会を定期的に開催していましたが、そうした当たり前にできていたことができなくなって、早1年が経とうとしています。

東京では昨年の2月を最後に、グルバイ(兄弟姉妹弟子)と思うように会えなくなりました。瞑想会に使用していた会場も借りることができなくなったため、オンラインで瞑想会をするようになりました。

東京でのオンライン瞑想会の画面。この日(2/1)は9名の方が参加されました。

瞑想は1人でもできます。むしろ1人で静かに座るイメージを持っている人が多いのかもしれません。私はヨーガを始めた頃は瞑想にそんなに興味が持てなかったし、みんなで集まってすることなのかな?と不思議に感じていましたが、一度京都で2時間座る瞑想会に参加してからイメージが変わりました。もちろん2時間座るなんて無理で、雑念と足の痛みとの戦いでした。しかし集中して座っている人たちに囲まれた空間にいるだけで、少しずつ集中した感覚を味わえるようになり、2時間の中で確実に変化していきました。
1人でも深い瞑想状態にある人がいるだけでその空間の気が調い、他の人も瞑想しやすい状態になることがあります。また、それぞれが集中して自分の中に潜っていくように取り組んでいるうちに相乗効果で瞑想しやすくなることもあります。それが誰かと瞑想する醍醐味であると思うようになりました。

しかし、実際に空間を共にしていないオンラインでそれがどこまで可能なのか、最初は少し心配していました。でも実際に参加してみると思いの外集中しやすく、同じ空間にいてする瞑想会とほぼ同じような感覚になりました。
毎週メインで話をする人を決めて、順番に担当していくようになり、興味深く話を聞く楽しみもありました。ただオンラインではそれぞれが自由に発言し合うことは難しく、参加者が増えてからはさらに難しさが増したように感じました。
そこでみんなで相談し、1つアーサナ(ポーズ)をして、毎回メインで話す人がそれぞれ大切にしている教えや聖典の言葉を朗読し、その後瞑想に入るようにしてみることにしました。

先日その1回目を迎えました。
私が担当する回だったので、数日前からどの教えをにするか検討しました。参加者の中にはまだ師にお会いしたことがない方もおられるので、より分かりやすい内容をと、『ヨーガの福音』の中から選ぶことにしました。どれにするか、何度も読み返していくのもとても楽しかったです。どの教えも素晴らしいのであれこれ迷った結果、「人生の目的」という一節を選びました。

『ヨーガの福音』は一節が短めにまとめられているので、いつでもどこからでも読みやすい本です。この節は少し長めにはなりますが、タイトルの通り、人生において目的とすべきことについてしっかり丁寧に説明されています。

”人生の目的は真理を実現することです。真理とは何か—- これは頭では答えを出すことはできないのです。しかし体験はできます。その叡智と方法がヨーガにはあります。”

この冒頭の部分は何度読んでも身が引き締まる思いがします。

私は最後の部分が特に好きです。

”・・・それを実践するには毎日を真剣に生きなければならないということに気付かされます。仕事や生活は何でもかまいません。執着をしないことです。そして本当に得なければいけないものを、悟らなければいけないもの、真理だけを求めてください。誰でも、どんな状況の人でも悟りは可能です—-純粋な信仰と真剣な実践があれば。”

この文章の内容をみんなで味わって瞑想したいと思ったことが決め手だったのですが、いざ朗読するとなると私が読むので大丈夫か?とドキドキ。
この素晴らしい内容を私自身が味わって読むこと、そしてみんなにしっかり伝わるように想いを込めて朗読することにしました。

読み進めるうちに心が静まり、平安な気持ちに満たされていきました。

45分ほど瞑想しましたが、同じ空間にいなくても一緒にいるような感覚で座り続けられました。
グルバイの1人から、あっという間だったと感想をもらえたのも嬉しかったです。

ヨーガの仲間の自宅での瞑想の様子。

なかなか先が見通せない日々が続いていますが、こんな時だからこそひたすらに自らの中にある信仰を強くしていけるように感じています。信仰を一層純粋なものとするのは自らの中に深く潜っていくことでもあると思います。それは瞑想そのものでもあります。
人生の目的である真理を実現するということ、その真理を体感する方法の1つが瞑想です。離れていても共に瞑想する仲間がいることはかけがえのないこと。共に実践することで1人で実践するよりも真剣さが増すのを実感しています。

純粋な信仰と真剣な実践があれば、誰でもどんな状況の人でも悟りが可能となる。

まだしばらくはオンラインでの瞑想会を続けることになりそうですが、『ヨーガの福音』の言葉を胸に、真剣な実践の場としてこれからも機会を持ち続けたいと思います。

ハルシャニー


正気の沙汰

ステイホームだった年末年始は、おせち料理に使うハレの日の野菜の飾り切りに初挑戦した。吉祥な亀の甲羅に見立てられた六方むきが、シンプルなだけにバランスが難しかった。

元旦。夜明け前の静寂。近くの川辺にて。

亀の甲羅といえば、いつだったか車の行き交う道路を、大きな亀が横断していたことがあった。とっさに駆け寄り亀を抱きかかえると、亀は顔と手足を甲羅に引っ込め岩のようになった。そして川辺の道に置くとニョキっと手足を出し、何事もなかったかのように歩いていく。が、なぜか道路に戻ってくるので、慌ててまた抱き上げ、もっと奥の川辺に置くと、亀はようやく茂みへ静かに姿を消していった。この話を当時は小さかった甥っ子と姪っ子に話した時、二人は即座に「ありがとう言いに戻ってきたんちゃう? 恩返しに竜宮城に連れて行ってもらえるんちゃう!」と目をキラキラさせて喜んでいた。

ところで、その亀に纏わるあるヨーガの境地に密かに憧れている。亀が手足を甲羅の中に引っ込めるように、人間の感覚器官の働きを制御するというもの。例えば、寒い暑い、痛い心地よい、苦い甘い、といった反射的な反応を意識して自分でコントロールする。深い段階では、五感の影響を全く受けない境地があるという。一見、人間離れしているような凄い境地になぜ私が惹かれるのか??
絶えず見、聞き、匂ぎ、味わい、感じている、この眼や耳や鼻や舌や皮膚という五官は、心に情報を伝える大切な役割がある。ただ問題は、五官からの情報に、心は瞬時に反応し、各人の記憶や経験に基づき様々な感情へと結び付くそうで、私はそういう感情に翻弄されてきた。良くも悪くも、見るもの聞くものに影響を受け過ぎるので対象を厳選しないと、と思ってきた。でも本当は、何を見ようが聞こうが、あの亀のように自分の意志で自由自在に手足(感覚器官)を甲羅に引き戻し、何にも影響を受けない堅固な岩のように強くなりたい。だから、反応から解き放たれて自由になる! というその状態に惹かれる。

初日。眩い光明に照らされる世界。

さて、ここからが本題。生活をさらけ出すことになるが、私はお菓子を食べることや作ることが好きだったが、それほど執着している自覚はなく、これまで特に意識して制御しようとしてこなかった。むしろ大したことはないと、執着は消える寸前だと思い込んで、心底やめる必要性を感じていなかった。ところがこのステイホームの一年、まるで「灯滅せんとして光を増す」ということなのか(笑)、気付けばお菓子がますます楽しみの一つとなり、お菓子好きが爆発した。思えば、9月に開催されたさまらさの台所のオンラインクラスが、灯滅のとどめを刺す出来事に繋がる予兆だった。そこでのテーマは舌の制御で、私にも話を振られた時、ちょうど爆発ピーク時だったので正直に、お菓子を食べ過ぎていること、自分にはこの教えが課題だと思う、というようなことを話してしまった。クラスが終わった後、自分の言ってる事、やってる事、思ってる事がバラバラ…と、何とも後味の悪い感じが続いた。そして、動画クラスの瞑想専科で、ヨーガの仲間の一人がお菓子を完全に止められたという話を聞いた時、初めて聞いた話ではなかったのに、妙に心に浸透したのも予兆だったのかもしれない。何の??

そう、私は歯の試練に見舞われた(笑)。突然、歯の詰め物が取れてしまい、歯医者が苦手な私だったが、何とか決心して、それでも痛いのが嫌なので無痛治療の医院を探して治療に行った。ところが、詰め物を元通りに詰めてほしいだけなのに、歯をたくさん削られ痛みが走りショックを受けてしまった。そして、本当に大バカなのだが、治療の帰りに、あろうことか、気持ちを紛らわすためにお菓子を買った。なんとも破茶滅茶でお粗末な行動。そして麻酔が切れるとさらなる激痛に襲われ続けた。それから紆余曲折あり、昔から信頼する別の医院に変えた。初めからそこへ行けなかったのは、そこで昔アルバイトをしていたため、その先生には虫歯だらけの自分の実態を知られたくなかったから。20年ぶりくらいに会ったその先生は、私が別の医院へ行った経緯を話しても嫌な顔などされず、とても繊細な治療を、麻酔なしで様子を見ながら時間をかけてしてくださった。麻酔で感覚を麻痺させないということは、患者がギリギリ痛さに耐えられるような技術が求められたり、時間もきっと余分にかかると思う。先生は口の中を見れば私の食生活の実態が分かられたに違いない。口の中は、普段は人に見せないがその人の現状が表れているところだと思う。師が、家の押し入れの中は心の中。どれだけ見えないところに押し込んでいてもすぐにバレてしまう、という真意を突くユーモアを言われた記憶があるが、口の中も似ていると思う。
先生は黙々と治療を尽くされた後、最後に一言だけ言われた。
「甘いものをやめなさい」
「……」
「分かりました」と私は言った。まるで師から言われたようだった。虫歯のことだけではなく、生き方への指摘を受けた感覚だった。十数年余りたくさんの虫歯を自覚しながら、痛い治療が嫌だからと放置し、だましだましにやってきたツケでもあり、そういう自分の甘い習性が外側に表れた現象だと思えた。
帰り道、もうお菓子なんて買ってる場合じゃない。原因は砂糖、甘いもの、つまりは舌の制御……、そしてそれは心の制御だ、とようやく身に染みた・・・まるでヨーガクラスからの帰り道。先生や歯科衛生士さんがあまりにも淡々と黙々とケアをされる姿から、治す・浄化という意味において、ヨーガと歯科治療が重なって仕方なかった。これほど丁寧に修正を施され指導されたのだから、もう自分の間違った習慣に従ってはいけない、と誓った。虫歯の治療は、まさに師が間違ったものを取り除きいつも修正してくださっていることを私に思い起こさせた。師がしてくださっていることは目には見えないけれど、もし目に見えるとしたら、繊細な治療を休みなく丁寧に、来る人来る人に行ない続ける医師のような、きっとこういうことだと思えた。だから、それからは治療の帰り道には毎回、万感の思いで涙が滲んだ(痛みではない)。歯は悪い部分を削って詰め物をすれば治るのではなく、虫歯を作ってきた悪い習慣そのものを断ち切り、新しい良い習慣に変えない限り、根本的には解決しない。これってヨーガの教えそのものじゃないか!!
無痛治療を優先した私は、結果的に激痛を受け取った気がする。最初から物差しが間違っていた。逃げたらいけなかった。ましてや苦痛感を紛らわすために、帰り道にその苦痛の原因たるお菓子を買うなんて正気の沙汰じゃない(涙)。狂気だ。嫌なことから逃げて快楽だけを味わいたいという、煩悩の極み。しかし、こんな正気の沙汰ではないことを私は、他にも同じようにやってきてないか? と真剣に考えた。問題が起こった時、何かひと時の楽しいことで誤魔化して、見ないふりをしてなかったか。
歯科医院の先生は、対処療法ではなく、根源の原因を取り除くことを教えてくださった。その日からお菓子をやめ料理にも砂糖をやめた。舌の制御は“心”の制御。狂気から正気への道。これは真の目的――何にも執らわれない本当の自由への道のりなんだと思う。

相変わらず、お店や様々なメディアから甘いものへの誘惑が五感を通って飛び込んでくるが、今は、それらを見ても聞いても、私には必要ない、無い方が自由、と思うようになった。甘いものという名の毒が抜け始めたことで、正気を失っていた心身が元の元気へと、また麻痺していた判断力も働きだそうとしているのかもしれない。まだまだこれからだけど、五官からの刺激が感情の回路と結び付いても、それ以上は膨らませないように繰り返し意識する。甘いもの=甘い誘惑は、ひと時の間の幸福感を味わわせてくれるが、それを継続させようと貪ると、その結末は……。そういうものは、本当の幸せじゃない、真実じゃない、私にはもう要らない―そう思うと、亀の手足のようにシュッと何かが引っ込む感じがする。これは亀からの恩返しだろうか?(笑)

気付いたことは訓練していく、と師に教わった。外部との接触が減ると内面をコントロールしやすいといわれる、そういう意味では今はまさにチャンスかもしれない。
ヨーガはいつも新鮮な気付きを与えてくれる。これから一つ一つ扉を開いていきたいな。どうぞよろしくお願いいたします!

光のように輝く花!

野口美香


ヨーガと心の傾向 ①自分のヴァーサナーを何とかしたい!

皆さんは自分の性格や行動パターンに対して「私ってどうしてこうなんだろう」と思ったことはありませんか?私は何度もあります。笑 特にそれが原因で同じ失敗を繰り返してしまったり、誰かに迷惑をかけてしまったりした時はさすがに晴れやかな気持ちではいられなくなりますよね。もしかすると、そういった性格について人知れず悩んでいる方もいらっしゃるかも知れませんね。

日々ヨーガに取り組んでいると、自分が持っている性質や心の傾向がヨーガの実践の妨げになっているということに毎日直面します。師の下でヨーガを学ばせていただくようになってからは以前に比べて自分の心の動きを客観的に観察できるようになり、自分の心に不用意に振り回されることはだんだん少なくなってきましたが、その分、自分の性質や心の傾向をより自覚しやすくなったからかもしれません。
ヨーガの成就に一心に向かい、一日24時間ヨーギニーとして生きたいと願っているにも関わらず、何故か!私の心はそれほど単純に言うことを聞いてくれません。

一例をあげると、私は料理やお菓子作りが好きなのですが、ある日夕ご飯のおかずのレシピをスマホで検索していたところ、美味しそうな料理の写真や簡単ヘルシーと書かれているレシピがたくさん紹介されています。「わぁ美味しそう!」「今度これを作ってみたいな~」とあれこれ見ているうちに、つい夕ご飯とはまったく関係のない料理やケーキのレシピを長々と見てしまい、夕ご飯を作るのが遅くなってしまいました。そのためにその後の予定が全部ずれていってしまい、その日は寝る前に少し長めに瞑想しようと思っていたのに、結局出来なくなってしまったというようなことがありました。

また、私は子どもの頃から早とちりでうっかりしているところがあり、そのために失敗したり、恥ずかしい思いをしたことは数知れず…。計算や事務的な作業も大の苦手です。そのことで人に迷惑をかけてしまうことも多々あります。ずっと何とかしたいと思っていますし、自分なりに努力もしているのですが思うように改善されません。実際、周りの人にも自分にも不利益を及ぼすことがあるため、そんな時はさすがに気持ちが沈んでしまいます。

その都度、何故こうなってしまうのだろうと原因を考えたり、自分の心をなだめたり言い聞かせたり、時にはそんな自分に向かって心が言い訳をはじめたりもします。こういったことを繰り返すうちに、「こんなことにエネルギーや時間を費やすなんて、馬鹿々々しい!このエネルギーをもっとヨーガに向けたい。何とかしてこの状況を打開したい!」という気持ちが昨年どんどん強くなってきたのです。打開策を色いろと考えているうちに、私はもしやこれはヨーガで“ヴァーサナー”といわれているものが大きく関係しているのではないか?と思うようになりました。

今年のMYMのカレンダー。昨年、新しく生まれ変わったMYMのタペストリーがデザインされています。見るたびに目の覚めるような赤が胸の奥にある情熱を奮い立たせてくれます!

ヨーガでは、あらゆる経験は心に何らかの印象を残し記憶されるといわれます。その経験に対して「楽しい、嬉しい、面白くない、嫌だ(快不快・好き嫌い)」などの印象が、経験したことの記憶と一緒に心に刻まれるということです。そして、一度印象が刻まれると、今度はそれがフィルターのように働いて、例えば好きなものはさらに好きになり、嫌いなものはさらに嫌いな印象が重なって、その結果、見ただけで幸せを感じるものや反対に見るのも嫌だと感じるものが生まれてくるのだそうです。食べ物から人間関係まで、心当たりありますよね~。そして、それが積み重なって性質や性格が形作られていくといわれています。
そういう心の傾向のことをヨーガでは「ヴァーサナー」と呼び、なんと!何生涯にもわたるものだともいわれています。“生まれ持った性質”と言われたりしますが、誰でも小さな頃からそれぞれの気質があるのはこのためかも知れませんね。
日常生活の中で、様々な物事に対して無意識に自分が感じたり考えたり判断したり、また行動する根っこにこういう力が作用していて、それによって人は良くも悪くも千差万別であり、他者と比べて「私ってどうしてこうなんだろう」ということも起こってくるのだと思います。

私は「ヴァーサナーがなくなれば、もっとヨーガの実践がスムーズに進むはずだ!自分のヴァーサナーを何とかしたい!!」と考えるようになりました。でも、どうしたらヴァーサナーをなくすことが出来るのだろうと悶々としていたある日、長年師の下でヨーガを続けておられる京都の先輩と電話でお話をさせていただく機会がありました。私は、先輩にヴァーサナーについてうかがってみることにしました。
(続く)

シャルミニー