前回書いた東洋文庫ミュージアムのイスラーム展では、ヨーロッパ言語に訳された『コーラン』も展示されています。それを翻訳した東洋学者さんについても説明されていました。1764年英語に訳したジョージ・セイル、1949年フランス語に訳したレギ・ブラシェール、1888年ドイツ語にはテオドール・ネルデケ。それぞれ学術的にとても高い評価を受けているそうです。日本語訳で初めて出版された『コーラン』は1920年で歴史家の坂本健一さんという方が訳されたみたいです。
イスラームを研究したヨーロッパの学者さんたちは、それぞれの宗教を信仰していました。イスラームに造詣が深かったからと言って、イスラーム教にみんな改宗したわけではなかった。イギリスのジョージ・セイルなんかは、イスラームに対する見方はとても厳しく、自分が信じるキリスト教と同価値であるとはみなしていなかったそうです。でも、彼らはイスラームの研究に対する情熱を持ちながら、どうして自らの宗教を変えることはなかったのでしょうか。自分の信じるもの以外にどうしてあれだけの情熱を注ぐことができたのでしょうか。もしかしたら、自分の宗教とイスラーム教が最終的には同じところに辿り着くことを証明したかったのかも知れない。真実は分からないけれど、私は彼らについての説明を読みながら、じっとマザー・テレサのことを考えていました。
マザーの施設の中で最も有名なニルマルヒリダイ(Nirmal Hriday)というホスピスがあります。日本語では「死を待つ人々の家」と訳されていますが、ヒンディー語で「聖母の汚れなき御心」という意味です。路上から瀕死の状態で運ばれてくる人たちは、まず名前と宗教を聞かれます。イスラーム教の信者には臨終の際にシスターがコーランを唱えて聞かせるなど、それぞれの宗教の教義を尊重した看取り方、埋葬の方法を行っています。
マザーはカソリックのシスターなので、きっとキリスト教を普及させたいだろうと思うのが当然かもしれません。でも、彼女は一人の人間にとっての宗教とは、人が関与できる問題ではなく、人知を超えた神とその人との関係であると考えていました。彼女は、自分が神を礼拝するために選んだ宗教はカソリックであり、これは神が自分に与えてくださった最高の贈り物であるけれど、それを誰かに自分が与えられるものではないと、ある手紙に書いています。また、もし人がある宗教を信じるなら、それは疑いなく100%信じられるものでなくてはならない、もし少しでも疑いがあるなら、それはその人に与えられた神に至るための本当の道ではない、また別の道を探さなくてはならないのだとも語っていたそうです。
非常に熱心なキリスト教信者の中には、彼女のこういった態度について、キリスト教の布教と改宗に積極的でないと批判する人もいたそうなんですね。このような批判を聞いてマザーはこう言いました。
「I do convert. I convert you to be better Hindu, a better Catholic , a better Muslim , or Jain or Buddhist . I would like to help you to find God. 」
改宗させましょう。あなたを良いヒンドゥー教徒に、良いカソリック信者に、良いイスラーム教徒に、ジャイナ教徒にも仏教徒にも改宗させましょう。私はあなたが神を見い出すのを助けたいのです。
宗教の違いを超えて誰かを神に近づけることができる人、それが真の信仰者なのだと彼女はいつも教えてくれます。
ユクティー