1853年12月22日は、シュリー・ラーマクリシュナの聖なる妻であるシュリー・サーラダー・デーヴィーの御聖誕日です。信者からは愛情と尊敬を込めてホーリー・マザーと呼ばれています。
ラーマクリシュナがお亡くなりになった時、マザーの悲しみは耐えきれないものでした。あのようにすばらしい方が逝ってしまわれて、どうして私が生きていなければならないのでしょう、と思っておられたそうです。
そんなマザーに内的平安を見出すようにと、在家の信者のバララーム・ボースは巡礼の旅に送り出そうと計画されました。そして師の死後二週間の後、マザーは数人の弟子とともに、師の生涯にゆかりの深い聖地ヴリンダーヴァンに向かわれました。
ヴリンダーヴァンに到着した当時は、師を思ってしょっちゅう泣いていましたが、「どうしてそんなに泣くのだね。私はここにいるではないか。どこに行ってしまったと言うのだね。ある部屋からもう一つの部屋に移るだけのことではないのかね。」と、繰り返し師のヴィジョンが現れ、マザーの悲嘆を幾分癒してくれました。
ヴリンダーヴァンは、師がクリシュナの生涯のさまざまな出来事を思い起こして、多くのヴィジョンを体験された聖地です。マザーもこの聖地で霊的恍惚のうちに日々を過ごされました。ある日マザーは深いサマーディに浸っていらっしゃいました。クリシュナとの別れに耐えかねたゴーピーたちが彼への思いに深く没頭し、しばらくは自分の個なる部分を忘れ一人一人があたかもクリシュナであるかのようにふるまったように、マザーもご自分が分離した存在であるのを忘れて師との一体感を感じ、師にそっくりな様子で振る舞われたそうです。また別の折、マザーは超意識の状態で二日近く過ごされました。この経験以降、常に至福に浸り続けているかのように見え、すべての悲しみと嘆き、師との別離から来る喪失感が消え去ったのでした。
ヴリンダーヴァンには一年間滞在し、時計のように規則正しく瞑想を実践されて、多くのヴィジョンとサマーディを経験されたそうです。
ヴリンダーヴァンから戻られた後33年間肉体に留まられました。公に知られることのない隠遁生活を送っておられましたが、徐々に人々がマザーの存在に気付き、後期には信者たちがマザーの祝福を求めて押しかけました。マザーは皆に心からの恩寵を与え導かれました。
ヴリンダーヴァンで過ごされたマザーの姿はラーダーやゴーピーと重なり、ミニアチュールの美しい世界の中にマザーがいらっしゃる姿が思い浮かびました。そのイメージを絵に描いてみました。
サルヴァーニー