皆さん、こんにちは
だんだんと肌寒くなってきましたね。いかがお過ごしでしょうか。十月一日から北野天満宮では、京都を代表する秋祭りである「ずいき祭り」が行なわれました。豊作を感謝する「ずいき御輿」が氏子地域を巡行し、五日間にわたって神事が行なわれるのです。昔から私たちは神様に感謝しつつ生きてきたのですね。
さて今日も「ラーマクリシュナの福音」より、その教えをご紹介いたします。
満月後の第一日目の日曜日、シュリー・ラーマクリシュナは部屋の小さな寝台の上にお座りになっている。会話はカルカッタのマリック一族の分家の一つが祀っている女神シムハヴァーヒニ(ライオンに乗る者 母なる神)のことになった。
ラーマクリシュナ「この分家は今、不如意な状態にあり、住んでいる家も荒れている。壁や床には苔や鳩の糞による滲みが点在し、セメントやしっくいは崩れかかっている。だが、この一族の他の分家はみな繁盛しているのだよ。この家には繁盛のしるしが見えない。これをどう思うかね?要するに、誰でもが自分の過去のカルマの結果は刈り取らなければならないのだ。人は、過去生から受けついだ傾向の影響とプラーラブダ・カルマの結果は認めなければならない。しかしながら、その荒れ果てた家の中で、私は女神の顔が神々しい光を放っているのを見た。神像に神が宿りたまうことは信じなければならない」
シュリー・ラーマクリシュナはカルマの法則について説かれています。誰もが過去に何度も生まれ変わりを経験しているとヨーガでは教えられますが、その過去において行なった行為の反作用として必ず結果が生じる、その原因の結果を受け取ること、これをカルマの法則といいます。カルマは三種類あるといわれていて、それは矢筒に入った矢に例えられます。すでに放たれた矢、止めることも戻すこともできない、現世に発現しているカルマ、これをプラーラブダ・カルマといいます。そして放たれようとつがえられた矢、現世で新たに作り出されようとしつつあるカルマ、これをアーガミー・カルマといいます。そして矢筒に入ったたくさんの矢は、来世で遂行されるべく待機しているカルマで、これをサンジタ・カルマといいます。
今、私たちは、このプラーラブダ・カルマの影響のもと、生を受けて生きていますが、このカルマの法則を学べば、自分自身の過去からの行為の結果が今の自分の状況をつくっているのだということに気が付かされます。そうすると人と比べてどうのこうのということ自体が本当に無駄な思いなのだと考えざるを得ません。カルマを比べてもしかたがありませんね。誰を恨むこともできませんし、また喜ぶべきことがあるとすれば、それもまた私たちの過去の行為のおかげなのだと思いました。
私たちの師はヨーガを学び、欲望や執着、無知をなくしていくことで、アーガミー・カルマやサンジタ・カルマ、すべてのカルマを超越することができる、そしてそこに自らの真実が存在しているだと教えてくださっています。
シュリー・ラーマクリシュナもまた、カルマの法則に支配されている心のその奥に、真実の存在が光を放っているということを信じなさいと教えてくださっているのだと思いました。
聖者の教えはなんと私たちの心に安らぎと力を与えてくれることでしょう。
「自分自身の真実を信じ、愛し、生きていきなさい」
その言葉を支えに私は今日も生きているのです。
ダルミニー