瞑想/識別し、放棄しなさい

いわゆる瞑想というものはヨーガの心理学において三つの内容に分類されます。
初めは、心を特定の場所や対象に縛りつけるところの「集中」です。そしてその集中された心が同一の対象にひとすじに伸びていくことが「瞑想」です。やがて心の主体性がなくなったかのようになり、客体だけとなったときが「三昧」と呼ばれます。

心は常に、煩悩と無知、エゴによって形成された観念という主体性を有しています。それに対して、瞑想・三昧は主観を捨て去り、客体の本質そのものの知を直観させます。禅定知は通常の思考知とはまったく異なった「真知」なのです。

例えば、「神」に瞑想するとしよう。すると主観が伴っている間は個々人のお好みの神々や悪魔が顕われ、主観がなくなったときには真の神が実現するのです。何であれあなたのお望みのものが実現することでしょう、カルマとして、あるいは「真理」として。

それ故、真理の希求、真我の探究、あるいは神への信愛が不可欠です。それらを真摯に学び、考え、そして瞑想しなければなりません。繰り返し行なわれる瞑想は「真の知」を発現します。その真知が心の底に潜んでいる煩悩や無知、エゴを識別するのです、真理か否かを。虚実なものは除去されます。それが放棄です。

このようにして全身全霊を以てなされた集中は瞑想になり、瞑想は真知、即ち識別知を生じ、それによって無知やエゴが放棄されるのです。

放棄が徹底的に行なわれたならば、
そこには「真理」だけが在るでしょう。「真理」のみが実存なのだから。
そこには「神」だけが在るでしょう。「神」のみが実存なのだから。
そこには「真我」だけが在るでしょう。「真我」のみが実存なのだから。
あなたは「それ」なのです!

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