カルマ––苦とその原因
もちろん瞑想は大事なことですけれども。その前に真理を学ばなければならない。
苦しみの原因。すべてのものには原因があります。死ぬには生まれてきたという原因がある。生まれるにはそのカルマを果たさなければならないという条件がある。カルマがどうして作られたかと言えば、様々な欲望。その欲望の原因は煩悩。その原因は無知――真実ではないものを真実だと思っていること。
現在におけるあらゆる現代病の精神的な苦しみ、それは真理を見失っているからです。怪我をしたときに上から手当てをするだけでは完全には治りません。東洋では今日西洋で言われている心理療法というものが宗教の中に組みこまれていました――宗教の役割でした。つまり、僧侶は心理学的な医者。その証拠にあのブッダは「最も偉大な医者」と言われていました。
どのような問題であれ、カルマの理というものを理解しなければならない。それは「蒔いた種を刈り取らなければならない」という「自業自得」のことです。そしてこの世界は苦しみに満ちている。最も大きな四つの苦しみがある。病と、老いることと、死ぬこと、それらの原因である生まれたこと。これは誰もが避けられない苦しみです。さらに四つ。愛する人と別れなければならないという苦しみ。憎しみを持つ人と一緒にいなければならないという苦しみ。他には、自分の思うものが得られないという苦しみ。この世界は思うようになりませんよね。そしてそれらを作り出している心の想念、サンスカーラ、そういったものは清浄ではないという苦しみ。これは細かく言うと、心が経験によって受け取る感情の認識によって心の思いが作り出される。それから、個人的経験における不完全な認識、知識。私たちの心が持っている観念や知識は、完全ではないのです。そしてそれの記憶となっているサンスカーラは純粋なものではないということです。ヨーガ哲学でいえば、『ヨーガ・スートラ』第二章の五つの煩悩に匹敵します。ラーガ、ドヴェーシャ・・・それがこの世の現実であるということをまず知らなければならない。私たち人間の苦しみはこれらのどれかに当てはまります。
次にはこれらの苦しみの原因は何なのか、それは自らの心の中に原因がある。何かに欲望を持ち、執着した結果、その結果を味わうのです。それが苦しみです。つまり原因は心の中の欲望であり、欲望の原因はサンスカーラ。サンスカーラを消すには、真理を学び、瞑想によって消すしかない。サンスカーラは氷山の一角のように私たちの思っているよりも深いものなのです。まだ心の底にはたくさんのサンスカーラがある。けれども真剣に真理を求めて修行していくのならば、その真面目な熱でその氷を溶かすことができるのです。心の想いを一つの大きな波に集合させます。それはヨーガへの完成、悟りへの情熱です。サンスカーラの原因は煩悩であり、それはヴァーサナーという、非常に古い時間の中で形成されてきたものです。ヴァーサナーというのは傾向、習性と訳されます。ちょうど何かの器にニンニクを入れたとしましょう。そのニンニクそのものは取り出したとしても、そこにはまだ臭いが残っているようなものです。そしてその煩悩を作り出した原因が無知なのです。これは『ヨーガ・スートラ』にはっきりと書かれています。大きなものが四つあります――永遠ではないものに永遠を見る、清浄ではないものに清浄を見る、その結果苦しみで終わるものに楽を見る、そして自分ではないものに自分を見る、つまりエゴ、心を自分だと思っていることです。