現実問題に直面した時こそ・・・

夜になると、秋の虫の声が聞こえてきます。夏真っ盛りだった7月20日に配信されたWEB会報誌『パラマハンサ』の中で、暑さも忘れるほどにドキッとする師のお言葉がありました。それについてしばらく考えていました。

瞑想の成果というか心の変化がどのように現れてきたかというのは、現実問題に直面した時にその姿が見えてきます。そこで動揺を来すようならば、いくら瞑想がうまくできたな、気持ち良かったなと思っていても、全然進んでいない。でも自分にとって何か良くないような知らせがやってきても、動揺もしないでそれを淡々と受け止めることができるならば、あぁ、瞑想の効果があったのだなというふうにも言えますしね。結局のところ瞑想を行なうということは、心の不動性とか、心の持っているカルマや執着やしがらみ、様々なそういうお荷物を取り除くということなのです。だから現実問題に直面した時こそが本当の勝負というか、その時に問われることになります。だからこそ、そういう現実のいろんな出来事に対しては、逃げないでそこに直面をして、克服していく。それに堂々と毅然としていられるようにしていくという、またそれも訓練です。実際的な訓練です」 

自分にとって良くないような知らせがやってきた時、動揺せず淡々と受け止められているか? 
一切動揺しなくなったとは言えない。ただ、逃げることは減ったかもしれない、と思えました。動揺を感じた時、その後に一呼吸の間(ま)みたいなものが訪れ、立ち向かっていこうとする気力が湧き起こるからです。
・・・とはいえ師の恩寵によって、そもそもそんなに大きな良くない知らせ自体がやってきてないからだなぁ~と思いました。とにかく、現実問題に直面した時が勝負・・・。

そういうことを気に留めていた頃、これもまた神の思召しか、人の命に関わる良くない知らせがやってきました。急を要する事や未経験の事柄が続き、加えて様々な人たちとの関係もありました。未熟な私には動揺も起こりました。動揺が起こるということは、心を静めるために自分自身を改善する余地があるということ。克服するには、逃げずに直面すること。
動揺した時には師のお姿が浮かびました。師が人々に丁寧に接しておられるお姿、深々と頭をお下げになるお姿、優しく寄り添うように親身にお話を聞かれる眼差し、何かあればすぐさまパッと動かれるスピード感ある師の動かれ方。他者への愛、優しさ、慈悲、一貫したものが貫かれている師のそのお姿を思うと、自分の動揺は無視して周りの人々のことだけを感じて行為していきたいとそこに集中することができました。

自分自身に意識が向けば動揺が起こりそうになります。でも、自分ではなく周りの人々の平安とか笑顔を願うと、動揺の波はそれ以上の力を持ちませんでした。

 「思いやり、優しい気持ち、平安な気持ちを持てるようになりたいですよね
何よりこの師のお言葉がお守りのように導いてくれました。 

師は、人々が少しでも平安な気持ちでいられることを願っておられるはずだと思えました。
ヨーガをしていくことで周りの人に、いい贈り物がもたらされる」と師はおっしゃってくださったことがあります。

現実問題に直面できる強さを、ヨーガが与えてくれていると確信しました。誰もにとっての本当の自分、真の自己は、不動であるといいます。そこに留まっていられるように、実際的な訓練、これからもがんばろう!と思った夏でした。

マリーゴールド

暑さに負けない花!

 

野口美香 


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