アベダーナンダからのメッセージ

主に対して確固たる、ゆるぎない信仰と強い信仰心を持つことを望むのであれば、あなたはタパッスヤーつまり厳しい苦行も習慣にすべきだ。タパッスヤーとは、当てもなくあちこちをさまよい歩くことではない。その言葉が実際に意味しているのは、規則正しく変わることなくジャパや瞑想を実践し、自制心を養うことである

10月2日は、シュリー・ラーマクリシュナの直弟子スワーミー・アベダ―ナンダの御聖誕された日です。私はアベダ―ナンダのことをほぼ何も知らない時に彼の単刀直入なその言葉に出会い衝撃を受けました。彼の口を通して届けられたその真理のメッセージに耳を澄ませました・・・

Abhedananda

彼の出家前の名前はカーリープラサード。知性に恵まれ宗教的で哲学的思索に優れていた彼は、真理を求める中で「哲学者になりたい」と思っていました。ギーターを熟読し、霊的な叡智を渇望し、ヨーガを実践したいと切望しますが、友人から適切な指導者なしにヨーガ・スートラを実践してはならないと言われ、真に悟りへ導いてくれる師を求めます。その時ラーマクリシュナとの出会いがありました。
師の没後は僧院の一部屋が「カーリー・タパスウィの部屋」と呼ばれたほど一日中その部屋で厳格な霊性修行とヴェーダーンタ(究極的真理)の研究に没頭し、後には遍歴の旅に出て厳しい修行生活を約10年間送ります・・・しかし転機が訪れます。

リーダーであるヴィヴェーカーナンダは、自分たちは個人の解脱を望むのではなく、他者に奉仕し、師の教え、永遠の真理を世界に広めるために喜んで一生を捧げることが使命だと考え、兄弟弟子たちへ痛切にそれを感じさせました。ヴィヴェーカーナンダがアメリカそしてロンドンへ渡った頃、彼はアベダーナンダに共に加わって師の思想を一緒に広めるようにと頼みます。ヴィヴェーカーナンダの言葉は師の言葉だと確信していたアベダーナンダはロンドンへ行きます。ヴィヴェーカーナンダは事前にロンドン市民へ「インドから到着したばかりの学識ある兄弟僧が、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)に関する講演を行なう」と先に発表し、それは新聞でも速報されました。演説など全くしたことがなかったアベダーナンダは、それを知ってひどく困惑してヴィヴェーカーナンダの無分別なやり方に強く抗議します。しかし、ヴィヴェーカーナンダは言いました「私の人生のあらゆる苦難の時に、いつも強さと勇気をお与えくださった、あの御方にお任せしたまえ」。
・・・アベダーナンダは師の限りない恩寵に頼り、当日、姿を現します。ホールは超満員、彼の講演は素晴らしい成功をおさめました。ヴィヴェーカーナンダのイギリス人の弟子によると「ヴィヴェーカーナンダは『仮に私がこの次元で死んだとしても、私のメッセージはこの愛すべき者たちの口を通して伝えられ、そして世界はそれに耳を傾けるだろう』と考えておられたようだった」。
ヴィヴェーカーナンダは、アベダーナンダに仕事を引き継ぎインドへ戻ります。ロンドン、ニューヨークと、アベダーナンダは、さらに師の教えを伝えるため多種多様な活動を続けました。その間には数々の困難や、彼の成功を嫉妬したある宗教者たちからの陰口を受けることもありましたが、アベダーナンダはいつもの活力と落ち着きを決して失わず仕事を続け、多くの人々が彼のメッセージに耳を傾けました。異なる文化の重要な国々に、彼は師の教えを広め続けました。25年間も。

彼がほとんどの講演で話されたことは、思いの清らかさと、身分や宗教や国籍に関係なくすべての人を愛する精神を養う、ということ。
神を信じるか信じないかに関係なく、自制心、集中力、正直さ、すべての人に対する無私の愛があれば、我々は霊的完成への途上にあるのです」。その四つが欠けているなら、その人の信仰は言葉だけのものだということ。彼自身はそのすべてを体現されていたからこそ、様々な困難があっても25年間もの間、異国の地に留まって人々のために師の教えを伝え届けるという真の宗教者の仕事に喜んで一生を捧げ、その使命を果たされたのだと思います。

Vivekananda Avhedarnanda

ヴィヴェーカーナンダと、二度目のヴィヴェーカーナンダの渡米に同行したトゥリヤーナンダと、ニューヨークのヴェーダーンタ協会を任されていたアベダ―ナンダ。彼らは共に師の教えを人々に伝えた。
ニューヨークにて、左からヴィヴェーカーナンダ、トゥリヤーナンダ、アベダ―ナンダ。

また、博識多才だった彼は多作な書き手でもあり、著作は非常に分かりやすい文体で豊かな情報と深い哲学を含んでいたことから、彼の語った言葉を直接聞けなくとも様々な国のもっと広い範囲の人々へ、その活字となった思想が影響を与えました。57歳の頃にインドへ戻った彼は、人々に霊的恩恵をもたらすため休むことなくエネルギーの最後の一滴まで使いました。

私はアベダーナンダの言葉から、困難な状況があっても状況のせいにしたり、また状況そのものを変えようとする必要はないことを学びました。神から与えられたその状況に留まって、そこで自分の内面を変えることによって、好ましくない状況を自分にとっての好ましい状況として受け入れることができると。それは毎日の規則正しいヨーガの実践によって。
良くするも悪くするも、何事も自分次第!」と師であるヨギさんから教わったことと一致します。アベダーナンダからのメッセージに耳を傾けると、自分にとってはマイナスだと感じている状況さえもがヨーガを生きるための不可欠な材料である!と私たちを鼓舞してくださっているように感じます。
聖者からの言葉は特別であり、それが活字であっても翻訳された言語であっても、時空を超えて直接届くのだと思います。その聖なる振動は消えません・・・

「内面の安らぎと充足感がなければ、人はどこへ行っても落ち着きのなさと苦痛を感じるだろう。あなたの識別能力を使って自分の心の周りに壁を張り巡らすことだ。外部の事情という邪魔ものがあなたの心に入り込むのを許さないように。これがサーダナ―(霊的修行)であることを知ることだ。あなたは俗世に心にかなう場所を見つけられない。好ましくない状況を好ましい状況に変えることを学ぶように。自分の心を耳から引き離すと、馬車のゴロゴロという音が聞こえなくなる。自分の持ち場を守り、主に祈るように。神は我々の助け手、そして大黒柱であられる

当面のあなたの務めは、神の御心に完全に服従することである。あなたの取るに足らない願望は実現されない以上、それはきっぱり諦め、完全に神の御意志にお任せして漂うが良い

世間の束縛を感じていて、平安を見い出していないという状況自体、精神世界においては向上の手段である。
あなたが着手した仕事は礼拝することであると自覚しつつ、あなたは神に仕えているという考えを肝に銘じて、労働の成果を神に捧げよ

アベダーナンダ!この世に生まれてきてくださって、師の教えを多くの人々に届けてくださって、本当にありがとうございます!!!今もこうして私たちに伝わっています!!!

*参考・引用・抜粋『真実の愛と勇気 ラーマクリシュナの弟子たちの足跡

野口美香 


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