シッダマールガでの聖者についての発表、興味深いですね。今日は私も、聖書に出てくる憧れの人について書いてみたいと思います。ちょっと長いけれど、お付き合いください。
マグダラのマリアとベタニアのマリア。初めて聞く名前だという人も多いかも知れません。聖書には何人かのマリアという名前の人物が登場します。マグダラ、ベタニアというのは地名です。昔は大半の人は名前しかなく、マリアという名前はとてもポピュラーでしたから、地名をつけて呼ぶことで区別していたようです。ただ、聖書に出てくる各場面のマリアが、どのマリアのことを言っているのか、よく分からないことも多いんです。とても曖昧なんですね。分かっているのは、マリアと呼ばれる聖書の登場人物は、多くが「罪深い女」だということです。「罪深い」とは何を意味するのかと言えば、はっきりした記載はありませんが、おそらく娼婦だろうと言われます。マリアの代表、イエスの母マリアは「純潔」の象徴でしたから、彼女と比べると対照的ですね。
それで、私の好きな二人のマリアですが、実は同一人物だったのではないかという説もあります。二人とも聖人とされており、マグダラのマリアはイエスの受難や復活に深く関係する人物で、聖母マリアの次に人気が高い。ベタニアのマリアは兄ラザロと姉マルタとともに登場し、イエスが最後の一週間ベタニアとエルサレムを頻繁に往復したのは、彼女たちがいたからだと言われ、それほどイエスは彼女たちを愛されていたようです。
私が彼女たちの何に惹かれるかと言えば、イエスに対して表す素直で単純な愛の行為です。では、彼女たちがどんな風に行為したか。彼女たちがイエスと関わったいくつかのエピソードの中から、ベタニアのマリアとイエスが登場するある場面での出来事について書いてみたいと思います。
ある日、イエスはシモンという人の食卓に招かれます。するとそこに一人の女がやって来ます。「この町に一人の罪深い女がいた」と書かれています。これがベタニアのマリアだろうと言われます。「この女は香油の入った石膏のツボを持ってきて、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙で濡らし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った」。なかなかフツーではないですね。完全に飛んでしまっている。そして、そこにいた人たちは思います。「この方(イエス)が預言者なら自分にさわっている女が誰でどんな女であるか知っておられるはずだ。この女は罪深い者なのだから」
当時汚れた者とは食事も共にできなかった。でも、イエスは彼女が自分の足に触れるのを見て、拒絶する訳でもなく、おそらく愛深い眼差しで見ておられたのでしょう。また当時香油は大変高価なものでしたから、無駄使いだと彼女を非難する者もいたわけです。
そこでイエスは彼らの間違いをある例え話を使って指摘します。
「ある金貸しから、二人の者が金を借りていた。一人は500デナリオ、もう一人は50デナリオ。彼らは返すことができなかったので、金貸しは二人とも帳消しにしてやった。では、二人のうちどちらが金貸しに感謝するだろうか」と。1000円借りた人と100万円借りた人、返さなくていいよと言われ、どちらがより感謝するかと言えば、100万円借りた方ですよね。
そしてこうも言います「この女を見ましたか。私がこの家に入って来た時、あなたは足を洗う水をくれなかったが、彼女は涙で私の足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。 あなたは口づけしてくれなかったが、彼女は私が入って来た時から足に口づけして止まない。 あなたは、私の頭に油を塗ってくれなかったが、彼女は私の足に香油を塗ってくれた。だから、この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのだ」
愛する思いと行為は別々のものではありません。愛したならそれを表さずにはいられないのです。彼女にはイエスしか見えていなかった。自分が娼婦だという現実も周りの非難も、彼を愛するのに何の障害にもならなかったのです。
別の弟子が書いた福音書には、同じ場面でのイエスのこんな言葉も見られます。「(マリアは)埋葬に向かって、前もってわたしの体に香油を塗ってくれたのだ」。足に香油を塗る行為は当時埋葬の習慣でした。実はこの後すぐにイエスの受難は始まります。つまり捕えられ、処刑されるのです。マリアはそのことを知っていたのでしょうか。聖書からそのことは分かりません。でも、おそらくは知らなかったでしょう。でもどうして彼女はそのように行為したのでしょうか。
神への愛が大きくなればなるほど、その行為はもはや自分自身のものではなくなります。神と一体化し、神が神に対して行う行為になると言われます。マリアの行為は彼女が意図して行った訳ではなかったのでしょう。イエスへの愛以外、すべての感情が剥がれ落ちてしまった。そして神はその愛だけを見ておられる。赦されるのは、ただ愛だけが基準なのですから。
「いつも香油を持った女性で描かれるマグダラのマリヤ(ベタニアのマリヤ?)」
ユクティー