いつも親子で一緒に来院される患者さんがいます。
お母さんはおおらかで、いつお会いしても笑顔が素敵な方。お子さんは少しシャイだけれど人懐っこく、屈託ない笑顔が魅力的な小学生です。
お子さんには障がいがあり、2歳の時に初めて来院されました。その頃も今も、お母さんはその子のペースや意思を大切に、ゆったりと丁寧に寄り添われています。
先日来院された時のこと。
施術の最後、患者さんにベッドに腰掛けてもらう時に足元にスリッパを揃えて置くのですが、お子さんがちょうど良いタイミングでスリッパを揃えて、お母さんが履きやすい位置に置いてくれました。「ありがとう」とお母さんが言うと、ちょっとはにかんだような笑顔でお母さんを見つめました。「優しいね」と呟いた私に、お母さんが言いました。
「この子はいつも周りの人に助けられることが多いからか、最近は誰かがしてくれることを良く見ていて、自分がしてもらっていることを他の人にも同じようにしてくれるんです。本当に素晴らしいと思う」
お母さんの全身から愛が溢れ出てこちらに伝わってくるように感じ、師の教えを思い出しました。
愛と尊敬
愛というのは必ず他に向けられるものだと思うし、それは他を尊敬していないとできません。そして、本当に大切に愛おしく思うこと。単に好きとか嫌いとかいうものではなくて、愛おしむ、大切に思う、尊敬する、そういったことだと思う。そこで、そのためだったら本当に大切に扱う、行為する。それが優しさとして表れてくると思います。
『マハーヨーギーの真理のことば』より
世の中にはたくさんの人がいて、状況も考え方も様々ですが、それぞれの中には等しく純粋な存在があります。そのこと自体が尊く、愛おしいこと。その愛おしい思いを目の前の人に向けて行為していくことで、愛は優しさとして必ず伝わり、それを受け取った人も同じように他者のために行為していく。この親子の姿を見てそう思いました。
近所の庭園の紅葉。やわらかな日差しの中、笑顔で紅葉を見ている人たちがたくさんいました。
ハルシャニー