人生は思い通りに行かないことばかりである。それは分かっているけれど、どうしても辛いとき、生きることを拒否する人がいる。
はじめは励ましたり、食べることを望んだり、いろいろと手を尽くしたけれど、本人の意志は固く、何も食べない状況は続いた。ある日、とても痩せた彼女からとてつもなく大きな力を感じた。
家に帰って聖典を手に取った。スワミ・ヨーガナンダの『あるヨギの自叙伝』たまたま開いたページには食事についてのエピソードが書かれていた。
ヨーガナンダがある僧院で生活していた時のこと、先生が2週間ぶりに僧院に帰って来る日、ヨーガナンダ達は歓迎のために食事を用意して待っていた。しかし、汽車が遅れてしまい、先生を待つために何時間も食事ができず、極度の空腹を経験したヨーガナンダは、後に先生に思い切って話をした。
「先生、もし私が自分の空腹をまったく口に出さなければ、だれも私に食べ物をくれる人はいません。それでは私は飢え死にするほかありません」
「それなら死になさい」騒然たる一言が辺りの空気を破って返ってきた。
「死ぬほかなかったら死になさい。ムクンダ(ヨーガナンダの名前)、お前は自分が食べ物の力で生きていると思っているのかね?お前は神の力で生きているのだということを忘れてはいけない。あらゆる食べ物を創造し、われわれに食欲を与えてくださっているおかたはわれわれが生命を維持していくことができるように絶えず配慮してくださっているのだ。自分の生命が米や金や人間の力で支えられているなどと決して考えてはいけない。もし神がお前の生命の息吹を引き上げてしまわれたら、そんなものは何の役に立つ?それらは単なる神の道具に過ぎないのだ。お前の胃の中の食物が消化するのはお前の持っている何らかの技術によるのかね?ムクンダ、よく考えてみなさい。目先の現象に惑わされず、根本の実体を悟りなさい」
私たちが神の力で生きているのなら、生きるかどうかを自分で決めることや、食べるか食べないかを決めることは自分勝手なことなのだと思った。それと同時に、どれだけ食事や治療を拒否しても生き続けている彼女は、神からまだ生きるように言われているのだと思った。
彼女はきっと神が迎えにこないことを嘆いているだろうけれど、神は彼女に生きるという恩寵を与えているのだと思った。神からの恩寵は自分が欲しいと思っている形で来るわけではない、でも恩寵はいつもあるんだと思った。ただ、気がつくか気がつかないかだけ……。彼女もまた大きな恩寵で神から守られているのだと分かった。