前回のブラヨーヘイで、3人の台湾グルバイ(仲間)について紹介しました。
彼女たちは京都を訪れる時には隆君と僕が住んでいるシャーンティ・クティーラという庵(いおり)に宿泊します。
今回は2泊3日と短い滞在でしたが、その時の彼女たちの様子を少しお伝えしたいと思います。
庵ではまず、早朝に30分ほど瞑想を行ないます。
次に掃除をします。
続いて朝食をとりながら、ヨーガ・トークスをします。
瞑想と掃除をした後は心がすっきりしていて、静かに落ち着いて話せます。
1日目の朝、その話題は「瞑想」についてでした。
台湾で映画の脚本家や小説の作家をされているエセーさんは、シヴァ神に瞑想しているとのことで、「アーサナの後、シヴァ神に瞑想すると、とても集中しやすい」と話していました。
この話を聞いた時僕は、「シヴァ神はヨーガ行者の守護者」とヨギさんがおっしゃっていたことを思い出しました。
台湾でヨーガのクラスをしているリンは、「私は誰か?」という「アートマン・ヴィチャーラ(本当の自分の探求)」の瞑想を行なっていて、その瞑想の中で、過去の経験によってつくられた自分や、変化する世界やそこで味わう幸福は本当のものではないと感じるようになり、それによって心がとても楽になったと目に涙を浮かべながら話していました。
ただ、本当の自分であるアートマンにどのようにアプローチしたらいいか分からないとも話していました。
今回の短い滞在の中、ヨギさんは彼女たちの要望に応えてプライベート・サットサンガを開かれました。
そのサットサンガの中でアートマンについて質問したリンに、ヨギさんは以下のようにお答えになられました。
ヨギ「アートマンの別の呼び名はサット・チット・アーナンダ。サットは存在、チットは意識。なぜならサットを知っている者は自ら自身だから。そしてアーナンダというのは至福と訳される。このサット・チット・アーナンダというのは絶対にして永遠の存在。この肉体は両親から生まれてきて何十年か経ったらなくなります。心もその人生の中でいろんな経験をしながら変化をしてやまないもの。だから身体も心も永遠のものではない。エゴ意識というのは心の一部分なのでこれも永遠ではないから、心を知っている、あるいは心を見ているという純粋な意識が誰もの本質にある。これが本当の自己」
リン「例えば瞑想する時、いろんな思いに気付きましたが、その思いを気付くのは心ですか、アートマンですか」
ヨギ「それはアートマンの意識によって心がそれらを認識している。そのシーンでは心の思いもいつも変化しているし、対象に応じて変化するけれど、アートマンは変わらない、いつも同じ。だから心がいろんなことを経験します――楽しかったり、悲しかったり、嬉しかったり、苦しんだり――でもそれらは常に変化をしているこの宇宙、この世界の晴れの日、曇りの日、雨の日みたいなもの。でもその五官で感じる世界より奥にある本質は、変わらないアートマンだけがある。その真理を学ぶこと、覚者の言葉を学ぶこと。そしてそれに真剣に心の耳を傾けて、そして本当のものを求める気持ちが高まってきたら、それはアートマンに近づいていっていることになる。昨日のジャヤンティーで最初にメッセージを読んだ女性は、保育園でクッキングをしている時に隣の部屋の子供たちの声や様子が感じられて、その子供たちがみんなアートマンだということを直感的に感じたという話だった。そんなふうにアートマン、アートマンと集中している時はなかなかそれをつかむことはできないかもしれないけれど、だけど普段そうやって集中しておくことによって仕事をしている時とか、あるいは何でもない風景の中にそういうものを直感的に感じることが起こります。そして何よりそのアートマンは本当の自分自身だから、それをありありと体験することができる。必ずできる。それには普段から心を軽く、空に、空っぽにしておくことね。アートマンを体験することは目覚めることと例えられる。だから目覚めるタイミングを早くするためには、心に何もないようにしておくこと。もちろんアートマンは神という別名もあります」
――普段からアートマンに集中し、心の思いに執らわれず、常に心を軽くしておくことがアートマンの目覚めにつながるーー
リンは、年に1度か2度しかヨギさんにお会いできない状況にもかかわらず、この世の楽しみへの感心が薄れて本当のものを求める気持ちがますます強くなり、アートマンに近づいているのが感じられ、僕はとても感化させられました。
彼女たちの純粋で直向きな姿は、本当に美しいです。
僕ももっとアートマンへの思いが高まるように精進していきたいと感じた今回の彼女たちの滞在でした。
またお互いに成長して会いましょう、再见(ザイジェン)!!!
飯尾洋平