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自分の中にある真実に瞑想することで、強くなる

静かで穏やかな人。
私が初めてマイトリーに会った時の印象です。

東京で共にヨーガを実践する中で、マイトリーから感じられる静けさがさらに深まったように感じることが何度かありました。マイトリーの中にある芯のようなものがどんどん強くなっている感じがしていたので、何を大切にしてどのようにヨーガを実践しているのか、話を聞いてみました。

スポーツクラブでひと通りの運動をやり尽くすほど、健康だったマイトリー。身体の自然治療力をもっと高めたいと思っていた時に興味を持ったのがヨーガ、やるからには本物のヨーガを教わりたいと思っていました。
2007年、都内のカフェで開催されたヨーガのワークショップに参加したマイトリーは、会の中で聞いた「真実は誰もの中にすでにある、1人の例外もなく」という言葉に強烈に惹かれ、その後すぐにMYMのアーサナクラスに参加。初めてのクラスが終わった後、会場を出て歩き始めると体の重心が持ち上がったような感じがして、意識はあるけれど自分と外界の境界がなくなった感覚に驚き、毎週クラスに通うようになりました。クラスに参加する度に呼吸が深まり、心身ともに軽くなるという変化を実感。
実践を続けるうちに、日常生活においても変化が起きました。以前は揉めることもあった家族のことを客観視できるようになり、感情に巻き込まれなくなったそうです。
気付いた時に感情を捨てる、それを繰り返すことで気持ちを切り替えられるようになり、仕事も家のことも、思いを引きずらず淡々と行う習慣が身に付きました。
「自分がどんな環境に置かれたとしても、やるべきことは同じと思って生活している」
この言葉を聞いて、私がマイトリーから感じた強さは、こうした実践の積み重ねによるものなのだと思いました。

師のお写真の隣に師が描かれたブラフマーンダ(梵卵)を置いて、瞑想しているそうです。

マイトリーにとっての目標は、誰もの中にある真実を実現すること。
寡黙で自ら語ることはあまりないけれど、
「ヨーガを始めた時から変わらずずっと、自分の中にある真実に、瞑想し続けている」
そう語るマイトリーの表情はとても穏やかで、揺るぎない強さを感じます。

素敵な笑顔のマイトリー


【東京】瞑想ワークショップのご報告

9月29日、東京・国分寺で瞑想ワークショップを開催しました。 

国分寺のヨーガ・瞑想クラスでアーサナの実践を続けている方々に、瞑想により親しんでもらえるような機会を作りたいと思ったことが開催のきっかけでした。
事前に瞑想についてどう思うか質問すると、
・アーサナに比べて瞑想はやり方が分かりづらく、何となく難しい気がする。
・やっていてもこれで合っているのかが分からない。
・何に集中したらいいか良く分からない。
という答えが返ってきました。 
そこで今回のワークショップでは、瞑想の対象を具体的に決めて、そこに集中することを目的にしました。

当日は、3月に京都で開催された「春分の日企画 ヨーガの1日」で行われたしおり作りを体験してもらいました。

会場には『マハーヨーギーの真理のことば』より選び出した24のことばをご用意しており、皆さんがその中から惹かれることばを選び、葉っぱの形をした台紙に書き写してしおりを作りました。
どの方もことばを選ぶのが早かったのが印象的でした。きっと皆さんお一人お一人の中に響く言葉に出会えたのだと思います。
しおりを作り終えた後は、2種類のアーサナをして体を座りやすい状態に調えました。 

「真理」とは、永遠に変わらない存在のこと、それが誰もの中にあるということをお話しして、各自が選んだ「真理のことば」をじっくり読んでもらってから、瞑想しました。 

1回目の瞑想を行なった後感想を伺うと、いつもより集中できたという方もいれば、15分間座っていた事を伝えると、それ以上に長く感じたという方もいました。 
2回目の瞑想の前に、もう一度選んだことばを読み返してもらい、再び15分間座りました。みなさん2回目の瞑想の方がより集中されている様子でした。 


瞑想の後に再び感想を伺いました。
 
・クラスの時よりも集中して瞑想ができた気がする。 
・瞑想がとても心地良かった。 
・瞑想したら、すごくスッキリした。 

言葉だけでなく、皆さんの表情から、それぞれに良い体感があったことが伝わってきました。 

最後に、瞑想は対象という一点に集中することから始めて、ゆくゆくはその対象と一つになれるように集中を深めていくことが大切だとお伝えして会を終えました。 

終わった後のお茶会では、会の中で感じたことを中心にいろいろな話をしました。皆さんとヨーガのお話ができてとても楽しかったです。最後に作ったしおりを持って記念撮影

 

数日後、参加者のお一人にその後瞑想してみましたか?と尋ねると、続けています、との答えが。 

当日会場にタペストリーとしてアートマンが描かれた風呂敷を飾っていたのですが、誰もの中にある本当の自分を象徴として表現したものだとお話したことが印象に残ったそうで、人の形なんだ、と思ったら集中しやすくなった、と話してくれました。 

 

今回のワークショップを機に、瞑想に親しんでいただけたような気がします。 

不定期になりますが、今後もワークショップを開催しますので、興味のある方はぜひご参加ください! 

 

ハルシャニー  

 

 


笑顔の力

笑顔には、人を幸せにしたり、元気にしたりする力がある。

東京で共にヨーガを実践するグルバイ、ターリカーの笑顔を見ていると、笑顔が持つ力を実感することが度々あります。
私の実体験としては、考え過ぎてどうしていいか分からなくなってしまった時に、明るくスカッと笑うターリカーを見て力が抜けて、何とかなるか!と思えたことが何度もあります。ターリカーが笑うことで、少し緊張感のある場が楽しい雰囲気に一変したこともありました。

そんなターリカーですが、ヨーガを始めた頃は気持ちが落ち込んでいて、明るく笑うことがなかったそうです。
なぜ明るく笑えるようになったのか、今回話を伺ってみました。

ターリカーが撮影してくれた青空。秋らしい雲が、鳥にも龍にも見えます。

「人にとって幸せって何?そもそも生きるって何?」
ターリカーがヨーガを始めたのは、人間関係で大きな悩みを抱え、大切な家族との別れを経験し、苦しい日々を過ごしていた頃のこと。友人の話を聞きヨーガに興味を持ち、程なくして師の存在を知り、会いたい一心でN.Y.に滞在されている師の元を訪ねることにしたそうです。

「師にお会いする前に『ヨーガの福音』を読んだら、
“愛とは自らを捧げること“の一節に目が止まり、これまで自分のことしか愛していなかったことに気付いた。お会いする前から師に答えを頂けたのだと感じた」

そうしてN.Y.のケーブで初めて師とお会いした時、
「ヨギさん(師)のように笑えるようになりますか?」と質問すると、
「なれるよ~ 今度京都にいらっしゃい!」と師は答えられ、その言葉に導かれるように毎月京都に通い始めることになりました。

ある日のサットサンガでのこと。
師がターリカーを見て微笑んでくれた時に、自分のアートマンだけを見てくれていると感じ、自分の中にもアートマン、真実の存在があるということを信じられるようになりました。
それでもまだ心底笑える状態ではなく、私なんて…自分にはできない…という思いに囚われていたターリカーでしたが、後日先輩グルバイから、「本当にだめなとき(エゴに囚われているとき)は、ヨギさんが教えてくださるから!」と言われたことで、何かが吹っ切れたそうです。
「だったらあれこれ考えずやってみよう、もう自分のエゴは見ない!」と決意し、それから本当に笑えるようになりました。

その数年後、師のニューヨーク滞在に同行した時に、師と一緒にカーテンを作った時のこと。
(その時の滞在記はパラマハンサNo.111に掲載)
目の前の作業だけに集中されている師は、サットサンガの時のような笑顔ではありませんでした。それは時に厳しい表情にも見えて、師はいつもニコニコされている、という思い込みがあったターリカーは動揺しました。

ニューヨークから帰ってきた後、心の中がモヤモヤした状態で祭壇の前で座っていると、聖者とはこうあるべき、というイメージで師の姿形を見ていたことに気付き、強烈な想いが湧き上がりました。
「本当のヨギさんを知りたい!」
師がターリカーの中にある真実の存在だけを見てくださったように、師の本質を見たい。
そうすることで、誰もの中にある真実の存在だけを見ることができる。

それからは師のように他者を愛し、自らのためではなく他者のためだけに行為することを理想として、ヨーガの実践しているそうです。

「ターリカー」という名前の意味は、「渡し守、救済者」。
明るく笑いながら、周りへの目配り気配りを欠かさず、必要なことを速やかに行為するターリカーの姿に、私はいつもインスパイアされています。
「私の役割を、気負いなく、できることはやってダメなら次、と行為し続ける」
そう語るターリカーは、東京サンガにとって本当に頼もしい存在です。

日本で一番人口が多く、数多のヨーガクラスがある東京。ターリカーの笑顔に惹きつけられてMYMのヨーガに興味を持つ人が、これからもっと増えていくような気がしています。

ターリカーの笑顔!ターリカーの笑顔!

 

ハルシャニー  

 


あるヨーギニーの願い

4月に始まった国分寺クラス。
スタジオから見える桜の木は葉が茂り、緑が濃くなってきています。

植物がぐんぐん成長するように、クラスに参加されている皆さんの中にも成長中の方がいます。そのお1人が、以前から東京のクラスに通われているNさんです。

国分寺クラスに初めて参加された時、クラスで60、70代の方がシールシャ・アーサナ(逆立ちの形)を練習をしているのを見て、驚いたそうです。シールシャ・アーサナは以前できていた時期があったけれどその後できなくなり、もうできないんだと諦めていたとのこと。でも、皆さんが練習しているのを見て「少しだけやってみます」と挑戦されました。その後練習を続けられ、ひと月半ほどで、もう少しで両足が安定して浮かせられるところまでできるようになっています。それに伴い、シールシャ・アーサナ以外のアーサナも、以前より集中感が増してきたように感じています。
「またできるかも、と思えたら、練習をやりたくないという思いがなくなりました」と、軽やかに笑顔で話され、周りでそれを聞いていた皆さんも笑顔になりました。

 

クラスの後、Nさんからとても素敵なお話を伺えました。

「孫が大きくなった時に読めるように、『マハーヨーギーの真理のことば』を贈りたいと思っています。その時自分がいなかったとしても、生きていく上でこの本が支えになると思うから。本に書かれていること、本当のことを、遠い未来になるとしても伝えたい。そして、私もヨーガに出会った吉祥なご縁を、行為で伝えられるおばあちゃんになれるよう、頑張ります」

ご家族のために日々忙しくされている中で、師の教えを実践されてきたNさんの思い、いつかお孫さんに届きますように。

 

いつも素敵な笑顔のNさん

ハルシャニー  

 

 


ホーリー・マザーからの贈り物④

昨年末から、ホーリー・マザーの生き様に少しずつでも迫って行けるように取り組みました。
『ホーリー・マザーの生涯』を読み、この世の中でどう行為すべきか、ホーリー・マザーはそのお手本を示してくださっていると感じました。

教えを実践することが毎日の習慣となり、最初は意識して想うようにしていたホーリー・マザーの存在は、いつしかハートに張り付いたようになりました。 
それは、私にとって揺るぎない信仰の対象である師を想っているのと同じ感覚でした。

それにより大きな安心感が与えられ、日々行為する際には、ホーリー・マザーがいてくださるから大丈夫だと思えるようになりました。

そして迎えたサナータナダルマ・アヴァターラ・メーラー当日。

一人一人がホーリー・マザーの生き様に触れ、その行為に倣い実践をしている様子を見ていたら、
母であるホーリー・マザーは時間も空間も超えて今ここにおられる!
私たちのすぐそばで、大きな愛を持って見守ってくださっている!!
そう感じられたのです。

今、ホーリー・マザーは私にとってかけがえのない存在となりました。この事実が、今回頂いた贈り物の中で一番大きなものです。

きっとこれからも、ホーリー・マザーだけではなく、人々を真実の光を導き続けてくださっている、アヴァターラ(神の化身)たちから贈り物が届きます。
それを大切に受け取り、他者へ行為することで、僅かでも感謝の意を示すことができますように。

ハルシャニー  


新規開講!東京・国分寺クラスのご紹介

4月から東京・国分寺で新しいクラスが始まりました。

3月までは、私の鍼灸院に来院されている患者さんを対象に開催していました。
2011年に鍼灸院内で少人数のクラスを始めて、その後参加希望者が増えたため、2015年から現在のスタジオに会場を移しました。

お仕事、子育て、介護など、日常生活を忙しく過ごされている中で、30~80代の方が定期的に通ってくださっています。
還暦を過ぎてから始めた方もおられますが、少しずついろいろな形ができるようになり、最近ではシールシャ・アーサナの練習をする方も増えてきました。

スタジオからは大きな桜の木が見えます

2016年からクラスに通われているお2人の方に、クラスの感想を伺ってみました。

・最初は体が硬過ぎ辛い形が多かったけれど、シャヴァ・アーサナをすると全身を気が通り抜けたように感じてびっくりしたことがあります。今もきつい形はあるけれど、後でとてもスッキリして、それがとても気持ち良いです。

・自宅でも出来る限りアーサナをやるようにしているけれど、クラスでやるとしっかり集中できるのがいいと思います。

ヨーガのアーサナ(ポーズ)は年齢を問わず誰でも行なうことができること、柔軟性とアーサナによる効果は関係ないことを、皆さんが証明してくださっているように感じます。

アーサナをした後はシャヴァ・アーサナでリラックス

 

クラスでは10数種類のアーサナを、1人1人の身体の状態に合わせて行います。
アーサナを行うことで、自己治癒力が高まり、身体は生命力に満ち、呼吸は深く安定したリズムへと変化します。
それにより心は落ち着いた穏やかな状態へと導かれ、瞑想に座りやすくなります。
瞑想は、心を対象に集中させることから始めます。その対象と1つになるように集中を深めていきます。
そうすることで、誰もの中にある本当の自分、真実が輝き出すとされています。

興味のある方は、お気軽にご参加くださいね。

クラスの後、桜の前で撮影。お2人とも素敵な笑顔!


クラスの詳細はこちら↓
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お問合せはこちらからお願いします
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ハルシャニー  

 


ホーリー・マザーからの贈り物③

毎日ホーリー・マザーを思うことを始めてから、3ヶ月ほど経ちました。

聖典を読むことでそのお人柄に触れ、1つでも教えを実践するよう努めることで、ホーリー・マザーはたくさんの贈り物を与え続けてくださっています。

日常生活の中で、今しようとしている行為が教えの通りになっているかを確認するようになったこと。
仕事で重要な選択をしなければならない時に、ホーリー・マザーが見守ってくださっているという安心感から、穏やかな気持ちで判断できたこと。
そして、意識している時も意識していない時も、確かにホーリー・マザーは傍にいてくださっているのだと感じてからは、心にピタッとホーリー・マザーのお姿が張り付いたようになったこと。

そうした贈り物は、ホーリー・マザーに近づこうとする人みんなに等しく与えられているのだと思います。


部屋にあるホーリー・マザーのお写真

 

毎月1回開催されている東京の瞑想会では、この3ヶ月、ホーリー・マザーの教えに触れて印象に残ったことや、そこから感じたことを話し合っていました。
ホーリー・マザーにほとんど触れたことがなかった人も、少しずつ聖典を読むことで、親しみを感じるようになった様子が伺えました。

計り知れない内面的な強さを感じた。
人々がどのように信仰を持とうとしていたかを知ることができた。
遠い存在ではなく、私たちと同じ存在なのだと感じた。

様々な感想を聴く中で、特に印象残ったのは、Kさんのお話でした。
『ホーリー・マザーの生涯』を読み、家住者として信仰を求める者として、勇気をもらえた、と話してくれました。本の中に書かれている数々の利他的な行為から感じるものがあり、それは師の教えとも重なり、Kさんにとって大切な気付きへと繋がったそうです。
家族に対して、自分の思いやこだわりをなくして、家族が喜ぶことを行為したい。時にそれが難しいこともあるけれど、誰もの中に神がいると教えてくださっている、それこそが真実だと信じて。
そう話されるKさんの姿に胸を打たれました。きっと、Kさんもホーリー・マザーからの贈り物を受け取られたのだと思いました。


瞑想する前にみんなでホーリー・マザーを讃える歌を歌いました。

聖典から聖者の生き様や教えを学びつつ、こうして志を同じくする仲間と語り合うことで、1人では得られない気付きや学びがあります。

以前先輩グルバイから、神を想い、神に近づいていくほどに、神もこちらに近付いてきてくださるのだと聞きました。
今私たちがホーリー・マザーに少しずつでも近づこうとすることで、ホーリー・マザーはもっともっと私たちへと歩み寄ってくださっている。そのことを瞑想会でのみんなの話を聞いて確信しています。

ハルシャニー  


ホーリー・マザーからの贈り物②

今回このブログのタイトルを「ホーリー・マザーからの贈り物」にしたのは、実際にそのお姿を拝見することやお声を聴くことはできなくても、時間も空間も超えて、今を生きる私に幾つもの贈り物をくださっているように感じたからです。 

 まず、ホーリー・マザーの存在を知ることが聖者の生き様に触れるきっかけとなったこと。
また、ヨーガを学び始めて間もない私にも分かりやすい言葉で真理の教えを語られていること。
 
そして前回のブログで書いた、毎日アーサナや瞑想をする習慣を身に付けられるようになったことも、ホーリー・マザーが与えてくださった贈り物の一つです。 

 
ホーリー・マザーの教えはシンプルなものが多いと思います。私にとって親しみやすく、これならできるかもと実践のきっかけになることが何度もありますが、シンプルな教えだから実践しやすいというわけではないことを痛感したのが、この教えです。 

 「心がすべてです。浄らかに感じるのも、不浄に感じるのも心一つです。心が罪悪感にさいなまれると、他人の欠点を見るようになるのです。欠点を数え上げることで、相手を傷つけられますか?自分を傷つけているだけなのですよ。私には誰の欠点も見ることもできません。小さな親切も覚えておくようにします。人の欠点を見るなんて!許しは素晴らしい信仰の苦行なのです。忍耐よりも高い徳はありません」 

他人の欠点を見ないことを徹底しようとすると、自分の心がどのような状態にあるのか、観察するのが習慣になりました。ところが実践を続けるほどに、この教えを徹底するのは毎日アーサナや瞑想を続けることよりもずっと難しいと気づきました。 

 ホーリー・マザーは純粋で真理を体現された存在だったから、誰の欠点も見ることができなかったのだと思います。 
真実の側から見れば、全ての人は顕れが異なるだけで等しく純粋そのものの存在です。 

ホーリー・マザーの境地にほんの少しでも近付いていけるように、欠点を見ていると気付いたらホーリー・マザーのお顔を思い浮かべるようにしました。 
繰り返しホーリー・マザーの穏やかな表情を思うようにしていると、例えうまくいかなくても心が穏やかさを取り戻すのが早くなったように感じました。また、この教えの中にある、人の欠点を数え上げることは自分を傷つけているだけ、ということが、本当にそうだとはっきり分かるようになりました。相手の欠点を見ることで心はもっと乱されて苦しくなる。心に振り回されると、もうすでに自分の中にある真理から遠ざかってしまいます。 
反対に、この教えの通り、相手がしてくれた小さな親切を覚えておくようにしたり、何か嫌なことをされたとしてもそれを許し過去のこととして囚われないようにしたりすると、心は平安に保たれて、すでに私たちの中にある真理、真実の存在そのものを、ほんのひとときでも実感できるようになります。 
これは日常におけるヨーガの実践の上でとても大切なことではないかと思います。 

私は現在進行形でこの教えを実践中ですが、取り組むほどに何より私自身の心が穏やかになり、幸せを感じるようになっています。 

ホーリー・マザーがすぐそばで力を与えてくださっていると信じています。

 

ハルシャニー  


ホーリー・マザーからの贈り物①

私が初めて真剣に読んだ聖典は、『ホーリー・マザーの生涯』です。

ヨーガをもっと学んでいくには、聖者について書かれた本を読むのもいいと聞き、幾つか本を手にしたものの、そこまで関心を持てずにいました。
他のグルバイのような熱心さが私には持てないのかもしれない…少し焦るような気持ちになっていた頃、出会った本でした。
本を開くとすぐにホーリー・マザーのお写真があるのですが、初めてそのお顔を見た時、なんて穏やかな表情なのだろうと思いました。見ているだけで心が静まるようでした。きっと優しい方だったんだろうな。それが第一印象でした。
この本にはホーリー・マザーの生涯においてのさまざまなエピソードが書かれていますが、理不尽と思われる目にあっても、苦境に立たされても、時に包み込むような優しさを持って、時に毅然として、立ち向かわれる姿がそこにありました。そのことに圧倒されつつも、ホーリー・マザーがどんな人生を送られたのかをもっと知りたくなって、本を読み進めました。

しばらくして、師に質問しました。
「ラーマクリシュナよりもホーリー・マザーに親しみを感じているけれど、それで大丈夫でしょうか?」
師はにっこり微笑まれて仰いました。
「ラーマクリシュナは神であることを隠せなかった。サーラダー・デーヴィー(ホーリー・マザー)はそれを隠していた。だから、もっと親しんでいったらいいよ」

それからは本を読むごとにホーリー・マザーが身近になり、その人柄に惹きつけられるようになっていきました。

当時、特に印象に残った教えがあります。

”もちろん義務は果たさなくてはなりませんよ。そうすることで心を良い状態に保てるのです。でもジャパと瞑想と祈りも必要です、少なくとも朝晩には実践せねばなりません。これは船のような働きをします。夜に祈りの座に着くと、今日一日の行いの善悪を振り返ることができます。それから今日と昨日の心の状態を比べてみるのです。…仕事をするだけで朝晩の瞑想をしないのなら、自分のしていることが正しいのか、間違っているのかどうしてわかりましょうか?”

毎日アーサナや瞑想をすることを困難に感じている私にとって、グサっと刺さる言葉でした。
今の自分にはできない気がする。でも継続して行うことが本当に大切なのだということはよく分かった。どんなに短くてもいい。アーサナ、瞑想を毎日やってみよう!
そう決意するきっかけの一つとなりました。

 

ハルシャニー  

 


謝ることの意味

幼い頃から、私と父は事あるごとにぶつかり、関係を絶った時期もあったほどでした。しかし、ヨーガを実践する中で関係を修復することができ、少しずつ穏やかな交流ができるようになっていきました。

先日のこと、父と会い、仕事のことを中心に近況報告をしていたところ、驚いたことに父の口から昔のことを詫びる言葉が出たのです。 
当時の父は何の仕事をしてもうまくいかず、経済的に厳しい状況が続いていたため、子供である私にも辛く当たってしまったこと、その頃のことを、親として本当に申し訳ないことをした、と話してくれました。 
また、そのようなことがあったにも関わらず、今私がしっかり働いていることが嬉しい、と言いました。 
私は、自分の力で生きていくことの大切さを教わったから、大丈夫、と答えました。 
父は少し微笑んで、今までで一番穏やかな雰囲気で頷いていました。 

私は師の教えを思い出し、読み返しました。 

 

”——もし他者を傷つけてしまった場合、どのようにしたらいいですか。 

誰かを傷つけたということを自覚しているのはよろしいです。可能ならば、その傷つけた相手に謝罪をする。もしできなければ、心の中で謝罪をする。そして二度と同じような行ないをしないように気を付けてください。 

——心の中で謝るのは何のためですか。 

自分のためです。それによって心は一つのカルマを浄化するべきなのです。 

 

もし誰かを傷つけてしまったと気付いたら、直接謝るのが一番だけれど、たとえそれが叶わなかったとしても、自分の行為を振り返り、真剣に反省し、その方に心の底から謝ること。その結果、自分の中の過去との決別がもたらされる。そう師は教えてくださっているのだと思いました。

父はずっと前から私に対して心の中で謝っていたのかもしれません。もしかしたら今回言葉にして直接謝ることで、父は背負ってきた荷物を一つ下ろせたのではないか。そうだったら私も嬉しい。

この出来事で、謝ることの本当の意味と、それを真摯に実践することの大切さを改めて感じました。

父の家の近くの道は、イチョウが落葉して絨毯のようになっていました。

 

 ハルシャニー