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生きる意味を知り、この命を生きる

先日、祖母が亡くなりました。93歳、大往生と言って良い年齢だと思います。

最後に会ったのは2019年の秋。コロナ禍で会えないまま別れの時が来るかもしれないと覚悟はしていました。しかし、いざその時を迎えてみると、祖母にもう会えない寂しさが溢れてきて、葬儀にも参加して見送ることすらできないという現実を受け入れられない自分がいることに気付きました。

ヨーガで学んだ、「死とは服を着替えるように肉体を脱ぎ捨てていくこと」「死とは心の死滅であり真の自己は決して死なない」という教えを事あるごとに意識し、私なりに理解していたつもりでした。葬儀やお墓といった形式がなくても故人を偲び大切にしていくことはできると思っていました。だから死を嘆き悲しみすぎてはいけないと思っていました。しかし、今回会えないまま祖母が亡くなり、最期のお別れにも立ち会えなかったという事実は、私の心を大きく動揺させました。悲しさと寂しさと虚しさが一気に押し寄せて心を支配しようとしましたが、その勢いを止めてくれたのは記憶の中にある祖母の笑顔でした。
明るくて、雲ひとつない青空のような祖母の笑顔が、私は大好きでした。

祖母の死を受け入れようと、その人生に思いを馳せ、数々の思い出を振り返るうちに気付かされたことがあります。
それは命の偉大さと尊さです。
この世界にはたくさんの命が存在していて、人間だけではなく動物も植物もそれぞれ与えられた役割があり、それを全うするために生きています。祖母はその役割を全うしたから肉体を離れた。私にもいつかその日が来る。私が関わっている人たちにも、関わっていない人たちにも、必ずその日が訪れる。
人は様々な関わりの中で互いに影響を与え合っている訳ですが、具体的に何かしてあげたりしてもらったりということでその影響し合っているのではなく、その命が存在していること自体が大きな力を持つから他の命に影響を与えているのではないか。一つ一つの命が他に代えることのできない尊い存在だから、互いに与え合うのではないか。
そう思い至り、全ての命に対する畏敬の念と、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

今年は近場の蓮を見に行きました。早朝だったため、これから開こうとする状態。生命力を感じました。

私は今生において孫という立場で祖母に出会いました。一緒にいる時間だけではなくて、離れている時間も、祖母が生きていて存在してくれていることがいつも力を与えてくれていました。
その魂が肉体を離れることで、その力はなくなってしまうのか?
答えは否です。
私たちの本質は純粋で尊く、肉体が死を迎えても決して死ぬことがない。それが変わることのない真実だから。今回祖母との別れの辛さに心が支配されそうになっていた時、祖母の笑顔によってその勢いが止まったことも、祖母が私に与えてくれていた力の影響なのではないかと思います。

そんなことを思っていた時、Web版パラマハンサ7月配信の知らせが届きました。
「プラナヴァ・サーラ 本当の生きる意味」で、数年前のサット・サンガでの師のお言葉が、このタイミングで読んだことで、胸に染み入りました。

質問者:『プラナヴァ・サーラ』(書籍)の死に様に関しての内容で、強い信仰を持つということと、神の中で死になさいということがすごく印象的でした。信仰を持つということと神と一緒になるということで死を超えられるという、そこにはそういう意味がありますか。

あります。それからもっと実質的なところにおいては、臨終の間際の思いというものは非常に強いとされているのです。だから通常だとカルマの連続で、ある一定量のカルマによってまた来世という流れになるのですけれども、その臨終の一念発起というかその思いの強さによって、それらのカルマを飛躍的に良くするという、そういう力が生まれるというふうにもいわれています。

祖母が亡くなる前日に親族数人が面会を許可され、声をかけた時、ニコッと笑ったと聞きました。誰の声かは分からなかったかもしれないけれど、最後に祖母の耳を通して何かが伝わり笑ってくれたということは、肉体を去る前に安心して穏やかな気持ちで旅立てたのかもしれない。それが来世に良い形で繋がっていくのかもしれない。そんな風に思えました。

この日のサット・サンガの中で、師はこうも仰っています。

本当は誰もの本性という本体は神聖なもので、エゴとかそんなものは初めから本当はない。無知なんていうのも本当はない。…自分もそうだし、他人も他者も全てのものが同じ本質を持っている。二つとない同じものだから、愛おしい、尊い。そういうふうに他者に対しても優しく尊敬を持つこともできるし、全てのものを愛おしくいたわることもできます。これが生まれてきて、生きる本当の意味になると思います。

「生きる意味」を知ったからには、今生でそれだけを見て生き切ることができるはず。

誰もが真実を実現することができると、それが既に私たちの中にあるということを、師は常々おっしゃってくださっています。それを体現し、ありありと見せてくださっています。
その言葉を信じ、その姿に倣い、最期の瞬間まで諦めることなく生きていきたい!今、私史上最高に強い決意を感じています。

何度挫けそうになっても何度でも立ち上がって、私が与えられた役割を全うしていきたいです。

ハルシャニー


私ヨガ!~私も実践できるヨーガ

今年に入って仕事を探さなければいけなくなった。これまでずっと慣れた仕事に携わってきたけれど、会社の都合で勤務日数が減ったのだ。新しい仕事が私にとって更なるヨーガ実践の場になるようにと願いつつ仕事を探した。この先いつまで働けるかということも含めた自分の年齢や給与、等々を考えると、介護職が好条件の一つとして上がってきた。介護の資格は両親の介護の為に10年ほど前に取得していた。でも実は介護の仕事は避けていた仕事でもあった。
避けていた大きな理由は、両親の世話は自分の親だから、何があっても(例え怪我をさせるようなことがあっても)自分が全責任を持ってすることができるけど、他人様の身体を大袈裟に言えば命を預かってお世話をするのは私には荷が重い、と感じていたことだった。
そう思う反面、会ったことのない先輩グルバイが医療現場で正に献身奉仕に生きておられる姿を過去のブログから知り、そして今もそのように行為し続けておられることをたまたま伝え聞いたりすると、その姿にもの凄く憧れた。そんな中、あるオンラインミーティングで別の先輩グルバイが、自分はヘルパーをしているとおっしゃったのを聞いた瞬間、私の心が「かっこいい!」と叫んだ。仮面ライダーのように(古い?)首にスカーフをなびかせ、バイクにまたがった先輩の姿が目に浮かんだ。そしてかっこいいと叫んだ自分の心に自分で驚いた。

ヨーガでは仕事は何でもよいと教えられる。それなのに今も介護職に尻込みする気持ちはなぜなのか、改めてよくよく考えてみた。そこには評価を恐れている私がいた。失敗することが怖かった。そして、自分の親と他人を同じように大切とは思えていない自分もいた。これは真理の教えに反しているなと気付いた。
気付いたけれども、さて、どうしよう?介護職と言っても働く所は色々あるし、Wワークかフルタイムか、それに別に介護職に拘らなくても、本当に仕事は何でもいいのだ。

「神様、どうか私に相応しい仕事を与えてください」
そう祈って眠った翌朝、ポストに入っていたのは介護の資格を取った事業所からの就業相談会の案内ハガキだった。これは神様のお導きと素直に思い、そこからはとんとん拍子にコトが進んで、4月から私はヘルパーとして週2日働き始めた。

短大を卒業してから、両親の介護で離職した時期を経て働いている慣れた職場の桂離宮。通勤は自転車で8分。

真面目に新しい仕事に取組み、しばらくしたら、とても疲れていることに気が付いた。自分の心を見てみたら、たまたまもらった良い評価を手放したくないと思っている私がいた。失敗しないようにと常に緊張しているから疲れるわけだ。私はこれまでもずっとこうだった。真理の教えを学んで頭では分かっていても、長年の自分の心の癖はそう簡単には修正されない。
だけど、これが真理でないことはもう嫌というほど頭では分かっている。心は思ったものになっていくなら、心が分かるまで繰り返し心に言い聞かせるしかない。ちょうど今、良いタイミングで受講している『誰ヨガ』クラスでは、毎回教えを自分に当てはめてできる実践をするようにと宿題が出る。私は今まで学んできた教えを何度も何度も心に言い聞かせ、日常の実践を繰り返した。
成功も失敗も、出来る出来ないも、どちらでも良いのだ。人生で大切なのは真理を悟ることであって、この世で執着すべきものなんて何もない。心が思うことなんて、何の値打ちもない!結果を見るのではなくて、目の前の瞬間瞬間を良くしていくように心を使うだけ!!

昨年ステイホームが始まった時にまとめて玄関に飾った教え(写真左)は、今も毎日読み返している。誰ヨガクラスの後にサーナンダさんが送ってくださるレジュメ(写真右) は、まるで心の処方箋のよう。

ヨーガを学んできたからこそ、新しい仕事をする中で自分の心がなぜ苦しいのかがあぶり出されてきたと思う。まず私は、評価イコール自分の価値だという思いをなかなか手放せないでいた。だから凄く凄くしんどかった。
そして、特に人間関係での良い評価、他人からの好意、良好な人間関係の中に自分の居場所を見つけて、そこに物凄く執着しているなあと気付いた。社会人になった時、特になりたい職業はなかったけれど人の役に立つ仕事がしたいと思っていた。今も、ありがとうと言ってもらえることがうれしくて、私の行為に良い反応を返してくれた人に対してはそれがまたうれしくて「もっともっと行為」して、またそれに対しての良い反応に「もっともっともっと行為」してる。そしてその心地好い関係性を手放したくないといつの間にか思ってしまっている。
最初の私の行為に対して普通の反応を返した人には対しては、私はただ「行為」を繰り返してる。これって、外からの刺激に対して無防備に反応してるということだなあと思った。悪い評価は気にしないようにと心掛けるけれど、良い評価、好意にも反応しないって意外と難しいと思った。相手がどんな反応であろうとそれは見ないで、どの人に対しても同じようにただ誠実に行為すべきなのに。
自分の判断基準の良い悪いを棄てて、好き嫌いに執らわれないこと。
そう思って仕事をしていたある日のこと。訪問先のご夫婦に私は好感情を持っていた。でも、そんな感情は横に置いて、「もっともっと行為」にならないように、ただやるべきことを淡々とやって帰ろうと思っていた。「ここまでやって終わろう」と思った瞬間、「これは神に捧げられる?」と思いが浮かんだ。
全ての行為を神様への捧げものにするなら、中途半端には終われない。思い入れを棄てるというのは自分の好き嫌いを棄てて、いつでもどこでも誰にでも「もっともっともっと行為!」100%の心を込めること、だと思った。
そして、評価イコール自分の価値という思いからなかなか抜けられなかったけれど、高齢になって自分でできないことが増えていく、そんな人は価値がないのかというとそんなことはない。何かが出来るとか出来ないとか、知ってるとか知らないとかは人の価値とは関係ないということが、理屈ではなくて言葉ではなくて、利用者さんといると分かった。だったら私も同じはずだ。みんな同じ尊い存在だということが今はわかる。

利用者さん宅へ向かう道の横には田んぼ。

ある時上司に言われて印象的だったことがある。
「人を相手にする仕事は決まった手順通りにはいかない。その中でいかに工夫して、やらなければいけないことをやるかだ」と。これは私に足りないものだなと思った。
確かに仕事で利用者さんを訪問すると、あるはずの物がなかったり、介護拒否にあったり、時には利用者さんが不在だったり、いろんなことがある。私はこれまで仕事でも何かをする時にはまずイメージして、必要と思われる準備をしていた。そうすることでたいていは上手くいった。でも反面、想定外のことが起こるとどうしたら良いか分からなくなってしまい、間違えるのが怖いから判断を他人に頼ってしまう。でもそもそも人生そのものが想定通りにはいかないし、その時にすぐに心を切り替えて、状況打破に向けて今やるべきことに集中しないといけない。そしてヘルパーの仕事は自分ひとりで何とかしなくてはいけないのだ。これが苦手だった私にとって、新しく与えられた仕事は正に最適の訓練の場だなあと感じた。

命の謳歌真っ最中の家のラズベリー、トマト、むくげ。 町内の親切なおじさんがラズベリーの棚を作って日当たり良くしてくださり、おまけにトマトを植えてくださった(感謝!)

後で分かったことだが、先輩グルバイのゴーパーラさんと私は同じ事業所で介護の資格を取っていた。これは絶対にクリシュナのお導きだ!と私は信じて疑わない。新しい仕事が更なるヨーガ実践の場となるようにと願い、その通りになった。いつも神様は導いてくださっている。だから実践を続けるだけだ。
早く目を覚まして、ヨギさんにもっともっと!!もっともっと!!喜んでいただくために!!!

吉岡恭子


真っ逆さまの世界

何年ぶりかの長岡京の夜のクラス。最近は朝が多かったため、夜のクラスは新鮮! クラスの場所は、JRの線路の上に位置している。会場には瞑想的なインド音楽が流れ、時折、遠くからはガタンゴトン~と電車の音が聞こえてくる。建物に反響しているのか、まるで宇宙へ駆け抜ける列車の音のようにも…。目を閉じると、どっちが上でどっちが下…?と異空間にいるような心地になる。自動的に、永遠とか無限とか宇宙とか、執らわれのない自由な悟りの境地へといざなわれる。上下左右も限界も無い、価値観や観念も通用しない宇宙に憧れる。真正面の大きな窓からは運が良ければ月が見える。いつもクラスに絶えずある、一定の集中感。この独特の集中感は、初めてクラスに行った時からずーーっと同じだ。

マードゥリーさんが撮影してくださった長岡京クラス会場からの景色。窓から黄昏空が見える。真下はJR長岡京駅だ。

鉄棒、マット運動、遊園地の乗り物など、体を逆さまにするものが苦手だった私が、アーサナを初めて習った時、魚のポーズ(マツヤ・アーサナ)に、おののいた。でも、先生が体を支えてくださり頭頂を床に、逆さまに付けることができ、かろうじて静止した目の前には体の苦痛とは無縁の世界があった。体はきつくて悲鳴を上げているのに、全く別の、芯の部分では、何かがじっと止まっている静けさがあった。わぁ・・・きれい・・・、体も、これまでの価値観も、全部ひっくり返って、逆さまの世界を初めて味わった瞬間だった。不安定で苦手だった逆さまの苦痛感は、静まり返った印象に一変した。

数年後に、仕事で腰を痛めて出来るアーサナが減った時、自分の体に苛立ち、力任せに力んだまま、出来ないアーサナを無理に行なってさらに体を痛めたことが何度かあった。悟りへの乗り物であるこの体を大切に扱えない、また、自己管理ができていない幼稚さでもあった。そして何より、集中感が足りてなくて気が散漫だった。出来ない自分がくやしい!という思い、出来ていたことが出来なくなったという結果、それに執らわれ過ぎていた。今できるベストを尽くす、ということや、アーサナのポーズ一つ一つを丁寧に、呼吸と共につくっていく、その基本からは遠のいていた。
そんな頃、体を真っ逆さまにする極み(?)の逆立ちのポーズ(シールシャ・アーサナ)を避けるようになった。たまに失敗して転げると腰にズシンと衝撃が走るので、それが怖くなっていた。シールシャ・アーサナ自体が嫌いなのではなく、転げて痛くなることが嫌だった。万一失敗した場合に腰が悪化して出来ないアーサナが増えることも懸念していた。ヨーガの中の、アーサナの真の意味は、先日のゴーパーラさんの記事にあったように、心を静めるため、真実へ至るためであり、アーサナはその手段であってヨーガの到達点や目的ではない、と教えられているのに。

昔通っていた頃の長岡京夜クラス(2015年)

毎日のアーサナで、今日は腰が痛いから逆立ちはやめた方がいいなとか、今日は体力がなくて転げそうだからやめておこうとか、逆立ちを組み込まない日が増えていった。鋭い痛みがある時はやめた方がいいと教わっている。でもそれ以前に気持ち的にまず避けようとしていた。逆立ちは毎日していないと余計に安定せず、転げることも増え、さらに避けるという悪循環だった。
ところが、師のアーサナ直伝クラスが始まり、そんなことを言っていられなくなり、必死でシールシャ・アーサナも行なった。すると、師のクラスで一度だけ、シールシャ・アーサナを何回やっても足が空(くう)にピタッと吸着して止まり、絶対に転げない感覚になり、どっちが上でどっちが下かも分からないような、逆立ちという逆さまの感覚自体が消え、師が何かされている!と思ったことがあった。私一人では絶対に知りえないその感覚を、体を通して学ばせていただいたおかげで、立つことはできるんだ、という確証をいただいた。だから立てないというのは、自分の中ではもう通用しなくもなった。

昨年、シールシャ・アーサナを改めて教わる機会に恵まれた。指導者の先輩は私の逆立ちを見て「右が縮んでいて、左の腕が開いている、痛めている右の腰をかばって、そうなっているのかもしれない」と言われた。度々、指摘されるようになり、気になったので歪みを正すために毎日必ずシールシャ・アーサナをした。歪みを意識するものの、自分で自分を見ることはできないので、どうなっているかは全然分からなかった。

そして何カ月後かのクラス。
「やっぱり右が縮んでいて左の腕が開くのは変わってない、けれど安定しているし腰をかばっているのもあるかもしれないし、それでいいでしょう!」
キツネにつままれたような気分になった。歪みが直ってなくても安定することってあるんやな~と、ほっとした。完璧じゃなくても立つことが大事なんだと教わった気がした。気付けば、調子が悪い日は逆立ちをしない、という日々は終わっていた。どういう時でも立つ、どんな状況でも一人で立たないといけない、そんな気持ちが自然に宿っていた。そして真っ逆さまになった時にしか感じられないあの静けさがやっぱり好きだった。失敗して転んで腰が悪化して、もしシールシャ・アーサナや他のアーサナが出来なくなっても、それはそれで仕方ないしその時に考えよう、と考えが勝手に変わっていた。歪んでてもいい、毎日どこでも立つ、と思いがはっきりしていった。それはとても気分のいいことで、迷いがなくなって、集中もしやすくなった。そのうち、それが日常にもリンクするようになった。今日は疲れてるしやめとこう~と思うことがあったとしても、いつでもやる、と決めたことはやるようになった。

自宅でのシールシャ・アーサナの練習。

「まず立つ気があるのかどうか?」この体を通して、内なる神が問いかけてくださる。本気で立つ気があるのなら、立てるように努力するべきだと。立つ努力もしないで、立てるようになる時期をじっと待っていても、いっこうに立てるチャンスは訪れないと教えてくださった。
不思議なことに、毎日立つ、と決めた日から、なぜか転ばなくなった。これに執らわれても良くないけれど、時々は転ぶのが常だっただけに不思議。なんで突然、転げなくなったのか?? 決めたその瞬間から、気が一点に集まったように思う。もう師の恩寵だとしか思えないけれど、それまでは、立とうと決めてなかったから、フラフラゆらゆらしていたのかな。「心が思うものになる」と師から教わっている。思ったところへ気は動くという。気――プラーナは目に見えないし、私ははっきりと知らない。でも知らないなりにも、このささやかな体験は、「思い」が気(プラーナ)を一つにまとめ、それが集中へと繋がる、ということを実感させてくれた。思いは強烈な力を持っていて、本当に思い一つで変わる可能性があるんだと。気(プラーナ)が自分を形づくっていく、これは本当に教わってきた通りだ。

…と、夜のクラスで、そんなことを改めて感じた。そして逆立ちは、まだまだ要改善のアドバイスを受けたので、これからもがんばりたい。久しぶりに会えた指導者の先輩たち、そして参加者の方たちがやけに爽やかで、かっこよかった。数年前の雰囲気とは少し違っていた。ずーっと夜のクラスへ通っているそうだ。クラスに通い続けるのも自分の意志、思い。ヨーガへ、気が一点に集中されているんだなと思った。集中感のある人は、爽やかで気持ちいい! 私も見習いたい!

野口美香


みずみずしい真理の教え

私の住む丹波篠山では、田植えもすっかり終わり、より一層緑が美しく、庭の畑では、じゃがいもやきゅうりが収穫の時期を迎え、トマトたちも色づき始めています。

田植えもすっかり終わり、畑は、黒枝豆を植えるためにきれいに畝が作られています。

我が家の庭の小さな畑のお野菜たちもとても元気です。旬のお野菜はめちゃくちゃ美味しいです!!

季節は巡り、歓喜に包まれた春の祝祭は以前のことのように感じますが、師のお姿は歓びと共に目に焼き付いています。
祝祭で祝辞を捧げさせていただいたことを機に、私は初心に立ち返ることになり、全てを師から与えられていたことに気づきました。
悟りへの情熱が足りないのではないか。どうすればその熱を高めることができるのかと悶々としていた思いは一掃され、確固たる決意を胸に、新たな気持ちで歩み始めました。

以前に比べればエゴは少しずつおとなしくなってきてはいたものの、完全になくすことは難しく、それでも何度も何度も師の教えを思い起こし、心に言い聞かせる日々が続いていました。

ある日、ヨーガの福音を手に取り、心について考えていた時でした。

“心を召使いにしておけばいい”

ふいにその教えがやってきて、心が納得したような感覚がありました。
霧が晴れていくようでした。

心を完全に無くすことは難しいけれど、従順な道具にすればいいんだ。
その為には、やはり心の調教がまだまだ必要だと思いました。
アーサナへの向き合い方を改め、真理の教えに触れ、学び、実践することの大切さをより一層感じるようになりました。

穏やかで美しい月明かりが好きです。明日は満月、部屋の明かりがいらないほどです。

真理の教えは、いつもみずみずしく、私の心を潤してくれます。
師は、求めるべきものも、その為にやるべきことも教えてくださっています。そして、常に導き続けてくださっています。
一足飛びにはいきませんが、余計な心の垣根は取っ払って、もっと軽やかに、それだけを求め、これからも実践を続けたいと思います。

藤原里美


私はあなた

私の鍼灸院に9年前から来院されている80歳の患者さんがいます。
好奇心が旺盛でお話しするのが好きな方です。いつも私の知らない話を聞かせてもらえることが楽しかったのですが、少々気難しいところもあるので、言葉遣いには特に気を付けて接するようにしていました。
出会ってから5年ほど経った頃、それまでの気難しさとは異なった感情の起伏が見られるようになりました。物忘れや勘違いも多くなり、おそらく認知機能が低下し始めたのだろうと、これまで以上に注意して接するようにしていました。
しかし、予約時間を間違えて来院されて本来の予約の患者さんの前で自分が正しいと激昂したり、治療中の会話でも突然怒りだしてしまったり、そのようなやり取りを繰り返すうちに私はその患者さんに接するのに身構えるようになっていきました。
そこから1年以上、互いにストレスを感じるやりとりが増えました。この患者さんは一人暮らしで近くに親族の方もおらず、病院を受診していないので症状からの推測になりますが、おそらく認知症だと思われます。ただ病気によるものだと理解してはいても、面と向かって怒鳴られたりすると怖いという感情が勝ってしまい、腫れ物に触るように恐る恐る接するようになってしまいました。

この6月で開院10周年を迎えました。最初に治療院を構えた建物は、都立殿ヶ谷戸庭園のすぐそば。庭園の外からの眺めも意外に良いので、患者さんに好評でした。

この悪循環から脱したいと試行錯誤しているうちに、「私はあなた」という聖典の中の言葉をよく思い出すようになりました。
「私」も「あなた」も本来は等しく尊い一つの存在。それぞれ異なる肉体を持っているけれど、本質は同じ。

この患者さんは病気によってこれまでできていたことができなくなり、記憶することもできなくなり、不安でいっぱいになっている。これは私に起こっても不思議ではない事態。歳を重ねた私もこうなっているかもしれない。
ここまでの思考には何度も至っていましたが、そこを超えられないのは頭で考えてばかりでこの患者さんのことを真剣に思っていないからだ、と気付きました。
もう考えるのはやめた。この患者さんといる時間は何を言われてもされても、その中に変わらない本質があると信じよう。見えなくてもある。それが真実なのだから。
それからは何度失敗しても気にせずに真実だけを見るように努めました。

そうしてしばらく経ったある日、それまでできていた動作ができなくなって困っていた患者さんのお手伝いをしていた時に、「この人は私だ」と直感的に感じました。そう思おうとしたのではなく、目の前にいる患者さんが私であるとしか感じられなくなったのです。それまで見えていた景色は一変し、不安や恐れは消え去っていました。

その後、常にこの感覚に留まれている、とは言えない状況ですが、肚が据わったというか、何を言われてもほとんど動じなくなりました。
認知症の方は通常の高齢者の方よりも視野が狭いので、その方の視野にしっかりと入るためにお顔の正面からお話する必要があるのですが、それまでは怖さが先に立ってつい目を合わせるのを避けることがありました。この体験以降は、伝えたいことがある場合はしっかりと視線を合わせて話せるようになり、言葉以上に伝わることが増えたように感じています。たとえ患者さんが不穏な感じの時でも、とにかく今この瞬間にだけ集中して丁寧に接するように意識することで、私自身が動揺することはなくなり、患者さんを冷静に観察してその時々に必要なことができるようになりました。

治療院の最寄駅、国分寺駅の駅ビル屋上から見た空。梅雨の晴れ間、雲がゆったりと流れていました。

それから1年が経ち、現在。
患者さんの認知症状はさらに進行し、激昂することは全くなくなりました。表情豊かな方でしたが、ぼんやりしている表情が多くなり、怒ることが減った分、不安そうにされることが増えました。以前は饒舌に話をされていたのに思うように言葉が出なくなり、時系列でお話しされることもできなくなったので話の内容を汲み取れないこともしばしば。電話をかけると私の名前も分からなくなっていることもあります。
この患者さんはもう以前のように自分の伝えたいことを伝えることができません。一時期激昂していたのは、きっと自分に起きている変化に付いていけず強烈な不安を感じていたことも影響していると思います。そのピークは過ぎたといっても、認知機能の低下に伴う不安感がなくなったわけではありません。むしろ表情に出にくくなったことで、これまで以上に注視して行為しなければならないと感じています。
私が接している僅かな時間でさえも困っている姿を目にするということは、日常生活を一人で過ごす中で多くの困難が起きていることが容易に想像できます。
何か私にできることがあればと焦る気持ちが出てくるし、どうにもならない事態に翻弄されそうになるけれど、そんな思いにいちいち惑わされては本当に大切な「私はあなた」であることを忘れてしまう。一緒にいる時間だけはこの患者さんに楽しく過ごしてもらえるよう、私も思い切り楽しもう。この1年で少しずつですがそれを実行できるように心がけてきました。

今思えば、1年前に「この人は私だ」と感じるまでの私の行為は、自分のための行為でした。相手のことを考えているようで自分が苦しまなくて済むような逃げ腰の姿勢で、その場さえ凌げればいいというエゴ丸出しの行為でした。しかしこの患者さんと接する中で直感した「この人は私だ」という感覚は私の胸に存在し続けていて、この患者さんが喜ぶことを一つでもしたいという明確な目標を与えてくれました。患者さんがどう感じられているかは分かりません。ただ、来院された時に不安で強ばったように見えた表情が、お帰りになる時にほっとしたように和らいでいるのを見ると、それが一つの答えなのかなと思います。

治療後帰られる時に、この患者さんがにっこり笑いながら言ってくれる言葉が好きです。

「あー、生まれ変わりました!」

それを聞いた瞬間に何もかもがまっさらになります。
私もあなたもなく、全てが純粋そのもの。言葉には言い表せない歓び。
こんなにも素晴らしい体感を与えて下さってありがとう。ありったけの思いを込めて、私もにっこり笑いながらお見送りしています。

この患者さんは芍薬の花が大好き。他の花を飾っているときよりも長めに眺めてから帰られます。

記憶をなくすということは、その瞬間瞬間に生きているとも言えると思います。
それはヨーガの理想とする境地。
この瞬間に目の前にいる人のために、その人の喜ぶことを行為する。瞬間瞬間に実行することを繰り返していく。
今日も明日も明後日も、いつでもこの瞬間に生きることができますように。

ハルシャニー


尊い存在

ベランダの近くの雀の巣に赤ちゃんが生まれて、チュンチュンチュンチュンと声が聞こえてくる。灰色に曇った空の下、雨に濡れた親鳥が巣に戻ってきては餌を与え続けていた。しばらく経つと、雀の子供たちが外に出てきて親鳥が飛び方を教えている様子。卵から雛が孵(かえ)る、というのは生命の奇跡だな~と思った。生まれて、そして成長していく。ずっと見ていると、雛は私たちで、親鳥は師に見えてくる。

師にお会いできヨーガに縁を持てたこと、これこそ奇跡かもしれない。いろんな人たちとの縁によって、見えざるものによって、ヨーガの山の麓まで連れてきてもらった。今は山登りの途中か…。
そういえば修行者を乗せて、彼岸の悟りの境地まで連れていってくれる虎の話を聞いたことがある。また、虎は一度捕らえたものを絶対はなさないように、師は弟子のことを絶対にはなしたりされない、と聞いた。

光が強くなった。いつ見ても、上を向いてる花。

最近いろんな事が重なり、その中でお世話になった方たち何人かの死を知った。死は肉体の死であり、本性は決して死なない、とヨーガの教えを思った。でも、「肉体にはもう二度と会えない」と思うと寂しさがこみ上げ、未熟な私は一挙に無念さに襲われた。もうどうにもならないことについて、悔やむ気持ちや、過去に自分のとった行動を反省する日々が続いた。反省するのはいいけれど、ずっとくよくよしていても仕方ない、考えている暇があるなら次の行動をしなさい、と師の声が浮かんだ。だからその都度、今やるべきことに意識を向き替え、表面上はそれなりに生活をこなした。この地球上に師が居てくださっていることが命綱のようだった。
そして師を思えば思うほど、謙虚に人に接せられる師のお姿が目に浮かんだ。そのお姿を思うなかで私は、無念さや悲しみでいっぱいになっているだけの自分に違和感を覚えるようになっていった。

昔、突然の友人の死を受け止められず師にご相談したことがあり、師は「正しく死を理解して周りの人の力になってあげてください」と私に言ってくださった。死を正しく理解する。それができれば、周りの人の力になることもできる。私さえ正しく理解することができれば……。

いつもの道。太陽が燦燦と照りつける。

そんな中で、ふと、師はいつでも人の中にある本性、真実だけを見てくださっている、それだけを信じてくださっている、という思いが起こり、そのことがどれほど自分の中で、かけがえのない拠り所となっているかに気付いた。なかなか明るい気持ちになれない日々だったけれど、そこから満点の星空が見える気がして、師の存在の光によって上を向くことができた。
生き方を変えよう、いつまでもこんなことではあかん、と思った。もう、形あるものには何も頼ることができないような、真っ裸にされたような心境になり、胸の奥にある、尊い大事なものを思い続けた。

雨上がり。

師は私たちを信じ、虎のごとくにしっかり掴んでくださっている。だから絶対に大丈夫、という、どこからともなくやってくる確信が最後の最後にある。誰しも、無条件に自分を丸ごと信じてくださる純粋な人のことを裏切れないと思う。そういう方に巡り会えた、もうそれだけで、どんな極悪人でも自然に改心せざるを得なくなる。無垢で純粋なものに触れた時、限りなく同化したくなる。師の愛を少しでも垣間見た人は、そうなってしまうと思う。それは師に直接会えた人だけに限らないと思う。ヨーガのクラスには師の祝福が降り注いでいるというから。

躓(つまず)いた時、師への思いや、ヨーガを拠り所にする自分の思いが上を向かせてくれたのではなかった。師が私たちを信じてくださっている、万物の本性という永遠の真理だけを見ておられる、その師の存在という事実が、上を向かせてくれた。自分の思いの強さによってではなく、師の熱烈な意志、師の強さによって。

私も、人間の本性――肉体でも心でもない、たった一(ひとつ)のその真実を信じたい。肉体が消えても、それは消えないというもの、それだけを見つめたい。それだけを見るということがどれだけ尊いことか、師というたった一人の方が、それだけを見つめておられることがいかに人々にとって救いをもたらし、生きる歓びを与えてくれるか。
生命の根源は永遠で自由で輝かしいものであるはず。なのに、まだ学んでいる途中とか、よく分かっていないから、と私は思っているところがあった。この話を先輩に聞いていただいた時、ヨーガを分かるとか分からないとか関係のないところで今も真実はずっと在る、と暗に教えてくださった。「私には分かりません…」先輩に言えば言うほど、はっきりと分からない自分、真実を見いだせない自分が印象付けられて、より悲しくなるだけで「分からない」という言葉を発することは、自分にとっても、いいことはなかった。先輩と話し終わりしばらくした後、私は、今、真実を見るべき時なんだとハッとした。どうして生まれて、死んでいくのか。それで全て終わりなのか。そんな筈ないやんか、と思った。その人自身の本当の存在を大切にしたい。肉体に会えなくなってもまだ間に合う。綺麗ごとではなく、本当に真実だけを見ようとし続けること、それが私にできることなんじゃないか。私が師に会えて、無条件に存在を丸ごと受け入れてもらえる歓びを知り、生きる歓びを知ったこと、そこに答えがあった。それを気付かせてくださったのは、師への思慕と尊敬の思いを語られる先輩であり、また私の話に延々とお付き合いくださる先輩の中の師の姿だった。

この期間、これまでのサットサンガのノートを見直していた。そこには、師が、来る人、来る人に絶えず深い愛をもって接してくださっている、その物語がたくさんあった。まるで師が、それぞれの雛(私たち)を大事に大事に育てられ、目一杯の滋養を与え、そして自由への境地――大空の飛び方を根気よく教え続けてくださっているようでもあった。今もずっとそうだと思った。

そして、目に留まった師のお言葉があった。

死ぬのは肉体だけであり、その人自身は無くならない。
ただ古びた衣服を脱ぎ捨てるような現象。
嘆き悲しむのが良いことではない。
姿が見えなくなって、寂しくなることはあっても、その人自身が無くなったわけではない。
魂は永遠に生きています。

それぞれがこの世に生まれて、そして成長し、その人としての生涯を最後まで全うされた、と確信が湧いた。おつかれさまでした、と心の底から讃えたい気持ちになり、自分が抱えていた悔やむ気持ちも無くなった。
人の命、人生はその人自身の尊く気高いものであり、他者が介入できるようなそんな余地はどこにもないと思えた。会えなくなったからこそ気付く大切なこともあれば、また悔やむこともあるかもしれない。でもそれさえも失礼なことのように思えた。全部、ただの私の思いに過ぎなかったなと。悔やむ思いは、自分の思いばかりを見ている私の傲慢さから来ていた。お世話になった人たちは、姿がなくなっても、やっぱり私の人生の先輩であり、またこうして大事なことを教えてくださったな、と思った。
自分の思いを見る驕りを棄て、もっと謙虚になって、師が見ておられるもの、その尊いものだけを私も見ていきたい。

ベランダの雀たちの影

野口美香


マウナと信仰

松が開けたばかりの頃でした。
長年抱えていた心労で母の体調が急激に悪化しました。その時、大先輩の姉弟子に電話で相談させていただくことがありました。姉弟子は、根気よく聴いてくださって、複数回にわたりメールを頂戴し気遣い励まし下さると共に、熱意をもって次のように助言をくださいました。

  • 起こることはカルマのためであるから、自業自得と覚悟をもって受け止めて、その時すべきことを行なってゆく。
  • 波風が立つような話題に対してマウナ(霊的沈黙)を徹底する。
  • 目的をしっかり見据えて教えを手放さないように。

「師が姉弟子を通じて導いて下さっている」と有難さを感じながら、もしここで実践できなかったらと思うと奈落の底に落ちてゆくようで心は激しく動揺しました。けれどもカルマは問題と正面から向き合うことでしか昇華出来ません。怯む心を押さえて、頂戴したメールを読み返しながら向き合う毎日が始まりました。

マウナについては、形から入れることでもあり、とにかく徹底せねばと心して臨みましたが、波風の方角へと一方方向だった母の思考傾向が一時的にも停止して、スムーズに新たな話題へと心が切り替わってゆくのを目の当たりにしました。
私が行なっているのは本来的なマウナにはあたらないかも知れませんが、それでもマウナが単なる避難ではなく、積極的な傾向を生み出す実践的な教えであることをひしひしと実感するようになりました。

しかし受け止めるということに対しては、苦しみの原因を他者に求める傾向から抜け出せず、一旦受け止めたと思ってもいつの間にか思い煩いが入り込んでしまいます。
ある時、切羽詰まった状況でも滑稽なほど蒔いた種から逃げ回っている自分が情けなくなり、「このままでは教えを手放してしまう!」と真剣に一番大切なものを問いました。
「信仰」でした。
師に御縁を頂戴し信仰の本質を教えていただける機会に恵まれながら、不平不満を漏らす自身に気づき、本当に大切なものを大切に出来るようにならねばと以後不平不満にマウナすることを意識するようになりました。
十分に対応できた訳ではありません。しかし師の恩寵を頂戴し、母は奇跡的に快方に向かい、ひと月後にはこれまでとあまり変わらぬ生活を過ごせるまでに回復するにいたりました。

市内の山側集落栢野(かやの)町にある菅原神社。境内には4本の巨木杉があり、右の二又杉は樹齢2300年ほどだそうです。5年前に健康診断を受けましたが、いたって健康と診断されました。近づくにつれ神聖なプラーナを感じます。

師やマハーヨーギー・ミッションとご縁いただいていることは何という幸せかと思います。家庭やその他に難があっても克服へ向けて愛情深く力強くご助言いただける存在がある。
またパラマハンサやブログでは聖者だけが語れる真実を伺う機会に恵まれるとともに、そこへ向けて突き抜けてゆこうとするグルバイ(兄弟姉妹弟子)の情熱的なサーダナ(修練)の様子を知ることが出来ます。
石川県に住んでいるのでコロナ禍以前はアーサナクラスに参加出来る機会が限られていましたが、オンラインで開講となり毎週参加させていただけるようになりました。毎回全身にプラーナが行き渡るのを実感し、特に月曜日受講ですので一週間の活力源とさせていただいています。

昨年冬のオンラインでの親睦交流会を機にグルバイ4名で『マユーラ(孔雀)の会』を立ち上げました。孔雀が毒をも解毒して食べてしまうようにそれぞれの無知をミーティングを通じて浄化しあい、理想と目的意識を各自もって象徴とするところのクリシュナの境地に向かってゆこうと月1で開催しています。
直接グルバイと話す機会が中々無い私にとってこのような会に参加させていただけることは大きな喜びであり、また意識を持って日常を過ごす糧にもなっています。

マユーラの会の一場面(2021.1.23)

また先日は『フォカッチャの会』にも参加させていただきました。折しもブラザー・ローレンスについてのブログが掲載され感銘を受けた後でした。全てを神への礼拝として行為し、至福の境地を生きられた聖者に目標とすべき姿を見たような気がして、フォカッチャをいただきながらのトークも楽しい中にも色々と感化されることが多く、『マユーラの会』でも毎回思うのですが、目的を同じくするグルバイの存在の有難さをあらためて感じました。

そして何よりも揺るぎない存在を実現されたお方を知って、そのお方が常に見守って下さっているということがどんなに心強く有難いことかと思わずにはいられません。
コロナ禍のみならず世間に深刻な問題が渦巻く中も、ある意味安心感に包まれて日々過ごしてゆける。これほどの幸せはあるでしょうか。
数多の祝福にもかかわらず顔を出そうとする我欲を一刻も早く必要ないものだと納得させ、きちんと霊性の向上という形で感謝を表してゆけるよう精進に努めてまいります。

当地は『弁当忘れても傘忘れるな』といわれるほど雨の多い地域ですが、この日は快晴。 さんさんとおひさま降り注ぐ海岸にはたくさんのわかめ(手前の茶色の部分)が流れ着いていました。

オーム・タット・サット・オーム

竹下千佳


2021 T-SHIRTS PHOTO GALLERY

新しいTシャツが出来上がりましたーーー!!!
ヨーガ・サーラ・スタジオに引き続き、今回はヨーギー&ヨーギニーたちの着こなしと、歓びいっぱいの様子を写真でお届けします!

MAHAYOGI MISSION 45th Tshirtsとってもキレイな色で心も晴れやかになりますー!”
“素敵なデザインでとても気に入っています(^^) 今年の夏はたくさん着たいと思います〜”
“デザインが格好いいのは当たり前ですけれども、着心地もとてもいいです!”
“ヨギさんのデザインは洗練されていて、非の打ち所がなく、全く飽きがこない、最高です! それはまるで神がこの美しい宇宙をデザインされたかのよう”

MAHAYOGI MISSION 45th Tshirts“今日のスタイルにピッタリなので着てきました! 白、お気に入り!!”(会社の廊下にて)
“胸の中で光り輝いているアートマンを、ヨギさんが私たちにも見える形としてデザインしてくださり、Tシャツを着れば、同じ位置に確かにアートマンがあるのだということを感じることができて、うれしくなります。もっともっと近づきたいなという気持ちになります”
“大変きれいなTシャツですね。嬉しいことにうちの娘の胸にもヨギがおられます”
” 金色に輝くヨーギーと共に、サーダナ(修練)がんばります”

MAHAYOGI MISSION 45th Tshirts

Tシャツ

街の中や自然の中、職場やオンラインなど、さまざまなシーンで活用されているようですね!

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台湾ブログ
Tシャツを着たみんなの写真がアップされています!ぜひご覧ください。

Tシャツ販売中!!
マハーヨーギー・ミッション45周年記念Tシャツは予約販売を行ないましたが、若干在庫もあります。ご希望の方はお早めに!

 

 


WEB版パラマハンサ 配信スタート!!!

5月20日、いよいよWEB版パラマハンサの配信が始まりました!皆さん、もうご覧になられましたか?

Web版パラマハンサ画面のスマホショット

これまで私は郵便で冊子版パラマハンサを受け取っていました。ポストを開けてパラマハンサが届いていることを発見する、封筒を開けて手に取り、まず今号の表紙を堪能、その後ワクワクしながらページをめくる。それは冊子ならではの楽しみでした。手に取る実感、目の前に冊子がある安心感など慣れ親しんだものがなくなる寂しさなどなど、いろいろな思いが皆さんにもあったかもしれません。

慣れないキャッシュレス決済の登録もなんとかクリアし(東京Nさんは生まれて初めてユーザー名を考えるなど、お一人で登録作業をやりきりました!Nさん、すごいです!!)、ログインをしてWEB版パラマハンサの世界に入った方は、冊子がなくなる寂しさも吹き飛んで、スマホやパソコンの画面にくぎ付けになられたのではないでしょうか。
そこには冊子とはまた違う世界が広がっていました!!!どこに何の記事があるのかスッキリとわかりやすい画面レイアウト、カラフルで美しい写真の数々、何より師のお姿そのお声を、いまここ自分の部屋で拝見できるとは、なんて素晴らしいことでしょう!!!!!

そしてご覧になられた皆さんは、もうお気づきのはずです。そう、冊子でもWEB版でもどちらでも、パラマハンサは何も変わっていない、ということを。形は変わりましたが、その本質は何も変わっていない。サットヴァ(純粋)なプラーナ(気)を画面越しに感じ、これまで通り、私たちをインスパイア(時に叱咤激励)し、永遠の真理、師の足下へと私たちを連れていってくれる、とてもとても大切な拠り所であるということを。

師とお会いすることができない、まさに困難に満ちている今の世の中ですが、WEB版ではこの耳を使って師のお声を聴き、師の存在をハートに響かせることができるのです。それをお許しくださった師には、言葉にできぬほどの感謝で胸がいっぱいです。本当にありがとうございます!また、パラマハンサを作り続け、時代や状況に応じて良き在り方を考えてくださる先輩方のワークスには頭が下がる思いです。いつもありがとうございます!

WEB版パラマハンサは素晴らしい!ということはよくわかりました。
でもやっぱり、一日も早く師と直接お会いしたい!!何にも代え難い格別な時間、師とともに過ごす日が一日も早くきますように。そしてその時は、目が覚めてきている!とあのとびっきりの笑顔で言っていただけるよう、その日を楽しみにWEB版パラマハンサを見ながら日々精進しましょう!ハートを師でいっぱいにしておきましょう!!そうすれば、何も怖いものなどありません。その日はすぐやってきます。明けない夜はない!!のですから!!!

お昼休みの散歩コースにて。東京では、本当にオリンピックを開催するかはさておき、会場の準備は進められています。手前の山型屋根の建物が体操会場(木材でできている)、奥にはバレーボール会場の有明アリーナが見えます。

ターリカー


真実に目覚めるTシャツ!

今年は統計史上最も早い梅雨入りだそうですね!そんなじめじめした気分を吹き飛ばす明るい話題です。

ヨーガを始めたばかりの頃、次の言葉に魅了され、とっても憧れました。

私たちの存在は本来、純粋で至福に満ちたもの。
ただ、一時の雲がそれを覆い隠しているにすぎない。
暗い雲が空を覆い、大雨が降るときもある。
しかし、それでも太陽は輝いている。
雲が太陽を消すことができないように一時の苦悩が
私たちの輝く本性を消すことはできない。

この堂々たる宣言!私たちの存在は本来、純粋で至福に満ちている。その尊い存在は胸の奥にあると教わります。 胸の奥への集中を助けてくれる素晴らしいTシャツを師がデザインしてくださいました!!

師がデザインしてくださった看板とTシャツ

“YOGASAARA STUDIO” Tシャツを作っていただいた経緯に少し触れたいと思います。令和元年の新緑の頃、ヨーガ・サーラ・スタジオの名称と看板を師に与えていただきスタジオのみんなは歓喜に湧きました。その時、クラス参加者のFさんも一緒になって喜んでくださり、「ヨーガ・サーラ・スタジオのTシャツとか作らないんですか?私、そのTシャツ着て宣伝するのに~!」と満面の笑みでおっしゃったのです。私はなんて素敵なこと!とタイミングを見て師に相談させていただき、ヨーガ・サーラ・スタジオのTシャツを作っていただく運びとなりました!コロナ禍で発表時期が1年変更になり、マハーヨーギー・ミッションの45周年記念オリジナルTシャツと同時発売という流れになったことに、二重の祝福を感じました。
実物を手にする前に最初にパソコン上で出来上がったTシャツのデザインとカラーを見せていただき、その美しさにまず、圧倒されました。師が一枚一枚、実物をご覧になって色を吟味してくださったと知り、胸がいっぱいになりました。スタッフの1人が「全色購入したら、みんなが選びやすいよね!」と全色購入してくれて、たくさんのサンプルのTシャツが届いた時、喜びに心がとろけました。今、クラスはお休みですが、クラス再開まで待てないというみなさんがスタジオに来てくださいました。みなさんに着ていただける日をどれほど待ち望んでいたことでしょう!!喜びの連鎖が止まりません!

このTシャツを身に着け、お行儀よく座って瞑想する時だけでなく、信号待ちの時も、誰かを待っている時も、仕事の合間のひと時も、いつでもどこでもハートの奥に集中する。これを何度も繰り返していくうちにまるで胸の奥に磁石でもあるのかと思うほど、心が自然に集中していくようになります。スポーツ選手が毎日、練習によって特定の筋肉の使い方がうまくなるのと同じように、ヨーギー、ヨーギニーは毎日の瞑想や日々の訓練によって、内面への集中力を養っていきます。そうしていくと常に満ち足りた心境になっていき、愚痴や不平不満のほうが逃げていきます。そして本当の自分は純粋で至福に満ちたものと知る!まさに真実に目覚めるTシャツです!

みなさんから喜びの声が届きました。

  • あらためて、Tシャツを見ておりますと、本当に美しく、いきいきとありありとしたモチーフに感激しております。これを身につけるにふさわしくありたいなぁと身の引き締まる思いです。ありがとうございました。
  • 色とりどりのTシャツを見た時、虹色の光が心に差し込むように、一瞬にして心が明るくなりました!ゴールドのアートマンとホワイトのヨーガ・サーラ・スタジオの文字はどの色にも美しく映えて、見ているだけでうっとりします。
    そして、着心地も最高に良いのです。神聖なTシャツを身に付けられて本当に嬉しく思います。ヨギさん、いつもいつもありがとうございます。
  • ヨギさん、このたびは、ヨーガ・サーラ・スタジオのTシャツを用意してくださり、ありがとうございました。手にとってみて、嬉しくて嬉しくて、大きな声で笑いました!実際に着てみて、スタジオの名前が嬉しくて、胸を張って街を歩きました。金色のアートマンを見ては、わたしはこの美しい「それ」であり、それを見ている人々もみんな、この金色の「それ」であると歩きながら、胸が高鳴るのを感じます。ずっと歩き回って、ヨーガ・サーラ・スタジオの歩く看板として、金色に輝く真我を宣言できるように、元気いっぱい過ごしていこう!と思います!!本当に、本当に、ありがとうございました!!
  • Tシャツのカラーもどれもすべてとても美しい!
    一枚一枚、ヨギさんの手で紡がれて、私たちにヨギさんの分身のように分け与えてくださるようで、それを身につけることができて、とても幸せです!
    ヨギさんの愛に身を包まれて、ヨギさんの愛を発散していけたらなあ〜と思います!
  • 今日初めてヨーガ・サーラ・スタジオTシャツを着て過ごしました。鏡でTシャツを見る度に嬉しくなりました〜。胸のアートマン、スタジオのカッコいい文字を見るだけで心強く、元気が湧いてきました!ヨギさん、みなさまありがとうございます♡

感謝と喜びの気持ちがヨギさんに届きますように!

シュリー・マハーヨーギーのお導きに心から感謝しています!Tシャツを作っていただきたいとご相談してから、実現に至るまでも様々な甘美なサプライズをいただきました。今までミッションオリジナルTシャツを注文して簡単に手にしていましたが、今回、ヨーガ・サーラ・スタジオのTシャツを松山に直送していただくことで、京都の先輩方がどんなに心を配って水面下で多くの仕事をしてくださっていたか、貴重な宝物のような学びの時間をいただきました。見えないところでの先輩方の働きを想像することは、私たちの気づかないところで、どれだけ師が心を尽くして私たちを導いてくださっているのかという気づきに繋がり、感謝でいっぱいになります。その瞬間に、こんなにも与えていただいてばかりではいけない!!!と内側から叫び声が聞こえてきます。コロナ禍で行動制限はかかったとしても私たちの心は常に自由です!もう大暴れする準備はできています!この状況を最大限生かして、さらなるヨーガのご縁を繋げていけるよう行為していきます!1人でも多くの方が「私たちの存在は本来、純粋で至福に満ちている」という真実に目覚めることができますように!

アーナンディー