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御聖誕の日に思いを寄せて

一年と少し前、初めて師にお目にかかったその日、師は私の命にヨーガの光を灯してくださいました。その日から私の生活はすっかり変容してしまいました。常にヨーガが中心にあるのです!お会いする前までどうやって生きていたのか不思議に思うほどです。そして私のハートは、その光の源を求めるように、師であるヨギさんという果てしなくてまばゆい存在にどんどん惹きつけられていきました。

海を見ると、師の「この世界は、ちょうど海の波のように変化はしていても、そこには海(真理)だけがある」という教えを思い出します。

今年の初めにニューヨークに滞在し、師の懐に飛び込み、ヨーガを学ばせていただきました。その数日間は奇跡だったのかなと思うほどに尊い時間でした。小さな自分と対峙しては、もうだめなのかもしれないと真っ暗闇の中にいるように感じた夜もありましたけれど、朝目が覚めてそこに師がいてくださったことで、「あぁ、大丈夫なんじゃないかな」とただ安心したことを覚えています。私がそこに存在していることを喜んでくださっているような、そんな安心感をずっと感じていました。懐に飛び込みたい!という私の願いを受け止めてくださった、師の大きな愛情に包まれていたのだと思います。そしてその愛情は今も、誰ものそばにあるのだと信じています。

なぜ生まれてきたのか、どう生きるのか。私たちの命の秘密―――。
本当に知りたいことは学校では教えてくれなかったし、誰かに聞いたところで確かな答えが返ってくる気はしなかったけれど、師はすべてにまっすぐ答えてくださいます。
私は今生きています。生きているということは、その命を動かす大いなる存在と常に一緒であるということ。昨年の御聖誕祭に参加したとき、降って湧いたように「生まれてきてよかった」と感じました。きっと、五感では感じることのできないその存在と共にある喜びを、師がハートに直接味わわせてくださったのだと感じています。

今年も一年で最も大切な日が近づいてきています。大切な人には喜んでほしい、笑った顔が見たい、そう思います。では、師は何を喜んでくださるのだろう。―――以前、師は誰よりも弟子の幸せを願ってくださっていると伺ったことがあります。真実を実現し、私自身が至福の境地にとどまることで、その愛に応えることができるのではないかと思います。それは私個人の幸せではなく、すべてのための、もっと普遍的な幸せです。大切な人が大事にしているものは、同じように大事にしたいと思います。師が慈しまれる、この世界のすべての存在を、私も優しく愛することができますように。

秋と冬の間の澄み切った空気も、色づき始めた木の葉の一枚一枚も、近づきつつあるその吉祥な日を祝福しているように感じて胸が高鳴ります。こうして喜びの中で御聖誕の日を迎えられることにも、師の恩寵を感じずにはいられません。いつも見守ってくださっている師に、心から感謝いたします。

大森みさと


サットグル・ジャヤンティー 火の儀式

11月、街が黄金色の銀杏並木で彩られる頃、サットグル・ジャヤンティー(師の御聖誕祭)のお祝いの季節がやってきます。
真理に導いてくださる、真正の師がお生まれになった日をお祝いするこの祝典を迎えることは、年に一度、弟子にとってはかけがえのない大切なことです。

初めて私が師にお会いさせていただいたのも、20年ほど前のサットグル・ジャヤンティーでした。場所は、マハーヨーギー・アーシュラマ。歴史を感じる重厚で美しい京町屋に足を踏み入れた瞬間に、歓びと、清浄な空気感に包まれ、やや緊張と昂揚気味で訪れた私を、優しい笑顔で温かく迎えてくださった師にお会いしたあの日のことは、一生忘れることがないだろう出来事で、まさしく「永遠の真理」に触れた瞬間でした。

そのような感動を体験した、翌年のジャヤンティー。師に楽しんでいただきたいと私は以前に習ったことのある インド舞踊を「出し物」としてエントリーしました。今思えば、赤面の至り、なんと大胆な計画を講じたことかと、我ながら天晴れなことです(苦笑)。 そして、この申し出は前年同様に温かく迎えられ、師のご厚意とお導きのおかげで、準備段階で無事に「献上」に変容し、当日を迎えることとなりました。 

2000年のジャヤンティで奉納した踊りの一場面

わたしの踊りがどうだったか???は、さておき、その時に、踊りの習わしに沿って、灯明(ランプの炎)を献上させていただきました。師は祝典の中で、そのことについて触れられ、火を献上する儀式は非常に古く、宗教的な役割を大きく担ってきたとお話ししてくださいました。そして次のように教えてくださったのです。

「(聖典に)ヨーガそのものが、内的な火の儀式という風に形容される箇所があります」
「外的な火だけでは浄化と完成というものが望めるべくもない。やはり心、内的な問題であって、瞑想、つまりヨーガを行なうことこそが浄化と完成への道である。したがって、これが内的な火。火というのは不純物を焼き尽くす。だからみんなはいつもそういう意味では、毎日火の儀式を行っていると言えるわけです」

灯明の献上

師はいつも 慣習や形に執らわれず、わたしたちに真理に則った最善の道と在り方を、示してくださいます。
この年の以降には、お祝いの席で、弟子一同から灯明の献上をさせていただいています。その歓びの日の献上は、実は「日々の行ないとヨーガ」があってこそのものであり、そしてそれこそが、わたしたちが何よりも求めるべき「真実」に至る道であるということを、師は教えてくださいます。

師の存在と、マハーヨーギー・アーシュラマの凛としたあの空気感に心を寄せながら、「誰もの中に真実がある」という、師の教えを信じて!
毎日を大切に過ごしたいと思います。
そして今年も晴れやかにサットグル・ジャヤンティーを迎えられますように!

サラニー


ヨーガの修練でプラーナを調える

新しい日常として、マスクの着用や手指消毒が習慣となり、半年以上が経ちました。
様々な場所で気を配る機会が増え、それに慣れてきたとはいっても緊張感のある日々。その影響もあってか、私の職場(鍼灸治療院)には心身の不調を訴える方が多く来院しています。
患者さん一人一人の話に耳を傾け、抱えている不安感や症状が緩和するように努めてはいますが、そう簡単にはいかないのが実状です。

鍼灸治療では、ツボにアプローチして人の体の気を調え、症状の改善を促します。当然のことながら患者さんは不調を抱えた状態で来院されており、気のバランスが崩れた状態になっています。そのバランスを調えるのが鍼灸師の仕事なので、鍼灸師自らの気が充実して調っていることが重要となります。

鍼灸院の「鍼灸経穴図解」

ヨーガでは、気のことをプラーナと言いますが、プラーナが調っている人の傍にいるとこちらのプラーナも調い、平安な気持ちになります。師のお近くにいるだけでも平安な気持ちになるのは、師のプラーナの影響を受けているからだと思います。
師のプラーナに影響されて私自身のプラーナが調っていくように、私がプラーナを調えることで患者さんに少しでも良い影響があるといいな、と、これまで以上にプラーナを調えたいと思うようになりました。

ヨーガには生理的な修練によってプラーナを制御する方法があり、具体的な修練がアーサナ(坐法)とプラーナーヤーマ(調気法)です。
アーサナの力は以前もプログで体験談としてご紹介しましたが、最近はプラーナーヤーマも毎日実践するようにしています。アーサナもそうですが、プラーナーヤーマも正しいやり方で毎日続けるのが大事だと教わっていたことを思い出したのがきっかけでした。
アーサナとプラーナーヤーマの修練を続けるうちに、平安な感覚に満たされていくことが増えました。仕事などで生じていた様々な思いが一つずつ確実に消えていくような感覚にもなりました。
また、目の前で起きている出来事が、まるでスクリーンに映し出されたものを見ているように感じるのに、身体は必要な動きをしているという、出来事自体とそれに付随するはずだった思いが切り離されたようで、淡々と行うというのはこういうことなのかなと、今更ながら実感。日常生活を送る上での自分のプラーナの状態を、常に意識して観察するのが習慣となりました。

プラーナが動くと心も動く。プラーナが動かなければ心も動かなくなる。ヨーギーは不動心に達しなければならない。だから、プラーナの動きを制止すべきである。 (ハタ・ヨーガ・プラディーピカーより)

実践を続けていく中で、プラーナーヤーマのクンバカ (保息)の間、周囲の音が気にならなくなり、雑念もなくなり、ハートの奥にいるとされる本当の自分に吸い込まれていくように感じられたことがあります。静寂という言葉の通り、心をざわつかせることが何もなく、しんと静まりかえった状態。それが一時のことではなく、日常生活の中でも常に持続するようになっていけたら…
ふと、師がコロナ禍の3月にNYミッションに送られたメッセージを思い出しました。
“踏ん張るしかありません。ヨーガ的隠遁状態 - クンバカです。頑張ってください。”

このような状況下だからこそ体感できるものがある。私にとってはこのヨーガの修練がそうです。より丁寧に確実に実践を続けることでプラーナを調え、今を正しく見る力を確固たるものとしたい。その上で前をしっかりと見定めて進みたい。私自身が平安な気持ちでいることが周りの人にも伝わり、その場のプラーナによってさらに私自身も穏やかな気持ちになる。そんな良い連鎖が起きていくようにできたらと願っています。

ハルシャニー


育児を通してヨーガに向き合う

私が初めて「本当の幸せ」について、とことん突き詰めて真剣に考えたのは長女が生まれた時でした。
「自分の命と引き換えにしても、この子に絶対に幸せになってほしい!」という思いが心の底から湧いてきました。これほどまでに、自分以外の人の幸せを願ったことは一度もありませんでした。が、私が死んだらこの子を幸せにできないということにすぐに気が付き(笑)、この子のためにも元気に生きていかなければ!と思い直しました。この時私に、わが子を通して、自分の命と人生が自分のためだけにあるのではなく、他者のためにもあるという自覚が芽生えました。子どもが生まれたことで突然生じた大きな心境の変化に、自分自身が驚きました。

初めての育児は毎日戸惑うことばかりでした。何度も自分が泣きたくなりましたが(実際、泣きました。笑)、一生懸命おっぱいを飲んで、か弱い声で泣くことしか出来ない小さなわが子を見ていると、この子にはどんなことがあっても幸せになって欲しい!という思いがふつふつと湧いてきます。
私は娘を幸せにするための具体的な方法を考え始めました。「とにかく、愛情いっぱいに育てよう。それが一番大切だわ」そして、育児書や子育てに関する本も参考にしながら、わが子が幸せになるために私に出来得るあらゆることを探しました。
絶対幸せになるための方法…絶対の幸せ…。「ちょっと待てよ…」ふと疑問がわきました。「何が絶対の幸せなんだろう?何があっても壊れない幸せ、本当の幸せってなんだろう?」
目指す目的地が曖昧では、そこに向かう方法も定まらない。まずは目的地を明確にする方が先決だ!と思った私は、今度は目的地である「本当の幸せ」について必死で考えました。
お金持ちになること、ずっと健康でいられること、皆から愛されること、世間から認められること、平凡で穏やかに暮らせること、好きな仕事に就けること、夢が叶えられること、自由気ままに生きられること、それから…。
考えても考えても簡単に答えは見つかりませんでした。私が思いつく「幸せ」には、わが子が絶対に幸せになれるという確信が持てなかったのです。少しでも不安材料があれば本当の幸せにはなれないのですから。
─結局、納得できる答えは見つけられませんでした。とはいっても、子どもの成長はちょっと待って、というわけにはいきません。私が取りあえず目的地としたのは“自己実現ができること”でした。

子育て中には親としていろいろなことを子どもに教えなければなりません。子どもは時折、哲学的な質問を投げかけてきます。「私は生まれる前はどこにいたの?」「私はどうして私なの?」「人は死んだらどうなるの?」
子どもが成長していく中で、他者に対する本当の優しさや、善悪の判断等について、ただ常識だからとか、単なる処世術のような表面的なことではなく、もっとその奥にある本質的なことを教えたいと思った私は、結局、自分自身が何度も物事を根本から考え直すことになりました。私は子育てを通して、この世界の在り様に対する疑問に本気で向き合うことになったのです。物事の根本、この世界の在り様を問うということは、今思えば真理を求めることとまったく同じことだったのです。
そして、私は師に出会い、ヨーガの中に「本当の幸せ」もこの世界に対する疑問の答えも、すべて見つけることができました。

ヨーガとは本当の自分を実現させること。
私たちの本性、真の自己とは不滅で永遠の存在であり、至福そのものである。普遍の真理には名前もなく、言葉では言い表すことが出来ない、神と呼ばれるものと同じである。それが誰もの本質であり、本当の自分であると─。
「本当の幸せ」とは、何かによって得られるものではなく、もうすでに誰もの中にあって、私たち自身が至福そのものであり、ただそれを実現することだったのです。
考えに考えて、私が取りあえず目的地にした“自己実現ができること”は、ヨーガでの意味としては間違っていなかった!?

クリシュナ神話の一場面、幼子クリシュナと養母ヤショーダ。クリシュナは神としての偉大な面を隠し、母親がわが子を愛するように神を愛することを教えました。

私は二人の娘の子育て真っ最中に師と出会い、師の下でヨーガの道を歩むことを決心しました。時間に追われる日々の中で、もっと早く師に出会えていれば…と思った事もありましたが、今振り返ると、私にとって家族を持つことや子育てはとても大切なことであり、ヨーガに向かうために必要なことだったのだなぁと感じています。
今もヨーガの学びは続づいていますが、今はわが子だけでなく、誰もが絶対に壊れない本当の幸せ=本当の自分が実現できることを心から願っています!

シャルミニー


オンライン深水会

前回深水さんから「深水会」なるものについての報告がありましたが(→前回のブログ)、このコロナ禍で開催が難しくなり、2月17日に第6回深水会(お蕎麦、おにぎり)を行なって以降、しばらくお休みしていました。
しかし折角始めた良い機会なので、5月よりスカイプを使ってオンライ深水会をすることにしました。私と深水さんの二人でスカイプを繋いで行なっています。
今回、少しその様子をご紹介させていただきたいと思います。
 
 
第7回深水会(オンライン第1回目):5月18日
メニュー:スパニッシュオムレツ、ひじきご飯、とろろ昆布のお吸い物
 
初めてのオンライン深水会!ブログにアップされた、さまらさ3分間クッキングを予め見ておいていただいて、実際にそれぞれで食材等を準備して、スカイプで繋いで一緒にお料理して、試食、食やヨーガの話をしました。

このようにして調理工程を、パソコン画面を通して見ていただきます。

パソコンによると思いますが、画像が粗くて、火の通り具合などを確認するのは難しいところがあります。それでも深水さんから、「一人で作るよりも楽しく前向きに取り組めた」とお聞きして、一緒に料理をする機会が深水さんの励みになっているのだなと思い、定期的にできればいいなと思いました。
 
この回は、さまらさ3分間クッキングの動画があったので、調理の工程、食材の切り方などはわかりやすかったと思います。動画は何度でも確認できるのでわかりやすいです。

深水さん(下の画面)も同じように調理を進め、私(アミティ)が必要に応じて助言します。

第8回深水会(オンライン第2回目):6月13日
メニュー:麻婆豆腐、トマトと卵と春雨のスープ、トマトのマリネ、きゅうりの漬物
 
レシピは事前に送付して、深水さんが初めてとなるような食材の切り方については、予め参考のサイトをご紹介して、事前に見ておいていただきました。
深水さんから、買った食材を上手に使い切りたいという要望があったので、旬のお野菜のマリネや漬物をメニューに取り入れました。また、一人暮らしならではの、一度作ったお料理をアレンジして次の日に頂くなどの工夫や、食材の保存の方法もご紹介して一緒に学びました。

一所懸命トマトを切る深水さん。回数も重ね、包丁使いもこなれてきました。

第9回深水会(オンライン3回目):9月19日
メニュー:ナスの味噌煮、しめじご飯、そうめんのおすまし
 
第8回深水会以降に、マハーヨーギー・ミッションのさまらさの台所Webクラスがありまして、深水さんも受講されました。(夏野菜の南蛮漬け)
その時のメニューは、深水さんにとっては「複雑な部類」とのことで、次のオンライン深水会ではもう少しシンプルな調理工程のものがいいとご希望がありました。
それで、第9回目のオンライン深水会では、あまり時間をかけずに気軽にできるもので、料理の工程もシンプルにできるようなレシピにしました。
オンラインゆえに難しい点は、深水さんが準備された例えばナスの皮や身の硬さはどんな感じかや、使うお味噌の味加減などが確かめられないことです。
一緒に料理するとその場で火の通り具合はこんな感じで、味はこれくらいかな、など一緒に確認しながらできるのですけれど。
それでも、出来上がったお料理はとても美味しくて、画面を通してではありますが二人で、「めちゃくちゃ美味しいね!」と唸りながら頂いています。

完成すれば、画面を通してですが、一緒に頂きながら、食やヨーガの話題を楽しんでいます!

オンラインならではの難しい点もありますが、一緒に調理して、試食して、食の話やヨーガの話、ヨーギーさんの話など、いろいろとグルバイ同士での話も弾み、深水さんも楽しく取り組んでいただいているようです。
深水会が始まったのは去年の7月です。私たちが京都に毎月ヨーギーさんに会うために松山から通っていた頃、深水さんは宿泊のお世話になっていたグルバイの庵で、お料理をほとんどしたことがないために食事の準備を手伝うことができなかったのです。それを知ったある先輩グルバイの、「深水さんにお料理を教えてあげたら?手始めにカレーライスかな」の一言から、深水会は始まったのです。
最初は、包丁の持ち方、体の構え方、食材の切り方など、基本的なことから始めたのですが、今では、お正月におせち料理を作るなど、本当に凄まじい成長ぶりです!
私もメニューを考えたり、試作したりと、深水会に向かって色々と準備するのがとても楽しく、一緒に学ばせていただいています。
 
今後も、さまらさの台所Webクラスを受講しながら、オンライン深水会も続けていきたいと思っています。
 
また以前のように集まって料理できる時がきたら、調理の工程がちょっと複雑な野菜のフライや、アーシュラマでヨーギーさんも召し上がっておられる精進お好み焼きも、メンバーで一緒にワイワイとやれたらいいな〜と思っています。
 
アミティ

幸せ、生きがいとは?

前回まで、お金や仕事を通して何を求めているのか?と考えていた時、最終的に行き着いた答えは「本当の幸せ」だった。
子供の頃、日本昔話に限らず…お伽話を信じていた私は(笑)、「もし魔法のランプから、願いを一つ叶えてくれる魔人が現れたら何を頼もう?」と考えていた。幼稚園がキリスト教でお祈りが習慣づいていたからか、魔人へ考えた願い事は「一生、願い事がない最高の幸せにしてください」だった。今思うと、我ながら欲張りな願い事だと思うけれど、子供心にも願い事には終わりがない、と思っていたからなのだろう。しかし、すべての願い事がなくなるほどの最高の幸せって何だろう? そう思いを巡らせていた時、数年前の経験が思い起こされた。

ある時、一からやり直したい、誰も知らない所に移って人の役に立つ生き方がしたい、と思っていた。そんな時、ハンセン病患者へ治療を尽くされた精神科医の生涯を偶然に知り、取り憑かれたように関連する本を片っ端から読み続けた。
特効薬がない時代、患者さんの多くは、突然、家族と引き離され強制隔離をされたという。名前、素性、人間としての尊厳も奪われ、療養所(隔離施設)の中で病の為に朽ちていく自分の身体と向き合い、一生そこで生き長らえなければならなかった。過酷な環境で精神錯乱状態になった人、自ら命を絶った人、そのような中で生き抜いた人。一縷の光を見失わず、懸命に生きた方たちの痕跡を知るにつれ、生きることと死ぬことの狭間、命の存在の根源は何なのかと、そこから目を背けられなくなった。
隔離施設のあった島で偶然にもその医師の特別展が展示中だと知り、導かれるように島へ行ったのは数年前の今頃だった。

残酷な歴史が刻まれた収容所や監房、当時のままの史跡を巡った。完治された方々が今も島に住んでおられるが、ほぼ誰にも会わなかった。
島で生涯を全うされた死後でさえも、差別や偏見の為に引き取り手の家族がない何千もの遺骨が安置されている所にも向かった。現地で借りた自転車で、長い坂道を登り切ると、突如、空を舞うたくさんのトンボに囲まれた。そこは海が見下ろせる小高い丘のようになっていた。無数のトンボが、あまりにもフワフワと周りを舞い続けるので、今は姿なき人たちに代わって先導してくれているようだった。残酷な歴史とは裏腹に、その辺りは静かで安らかな空気に満ちていた。

島の路地でふと視線を感じ、見上げると目が合った花

姿なき存在へ挨拶を終え、丘から降りると不意に道に迷った。とその時、島の人に初めて出会った。おばあさんは顔や手が不自由だった。道を尋ねると、すぐさま笑顔でハキハキと教えてくださった。そして別れ際「またいらっしゃい!」と誰かのような満面の笑顔で言われた。「また来ます!」元気よく私は手を振った。
その後、時間の限りに史跡を巡り、最後に浜辺に行った。この浜辺から身を投げた人、対岸へ泳いで帰ろうと途中で力尽きた人、真っ暗な夜の浜辺で帰りたいねと泣きながら、そして歌を歌った人たちもいたという。どんな思いでこの海を見ていたのだろうか。それでも生きていくと思った人たち。血のにじむような努力と忍耐を重ねられ生き抜かれた。医師の記述によると「肢体不自由で視力まで完全に失ってベッドに釘付けでいながらも、窓の外の風物の佇まいや周囲の人々、動きに耳を澄まし、自己の内面に向かって心の眼をこらし、そこからくみとるものを歌や俳句の形で表現し、そこに生き生きとした生きがいを感じていた人たちもいた」という。
どのような状況でも平安に満ち足りたムードを保つことができれば、それは一種の悟りだと師に教わったことがある。並大抵のことではないけれど、如何なる状況にあっても、万物の背後にある本質、大いなる一者を感じ取ることができたなら、それほどの生きがいはないと私は思う。
その日、結局ほとんど島の人に会わなかった。代わりにたくさんの猫やトンボは寄ってきて、花や草木や石、建物さえもが無言の存在感を放っていた。そしてずっと太陽は、真上から島をじっと見守るかのように照らしていた。島全体が沈黙にあるような空気の中で、存在って、幸せって、生きるって何かな、と思わずにはいられなかった。
さっき出会えたおばあさん、今ここで生きておられることは、きっと今は不幸じゃないよなと私には思えた。過去の歴史の出来事からおばあさんを見るよりも、今のおばあさんの存在だけを正面から見たいと思った。おばあさんの満面の笑顔が、私にそう思わせた。
過去は過去。あるのは今しかない、と師の言葉が蘇る。じゃあ私に今できることは何かなと思っていた。

静かな浜辺

島の会館で、映像を通して知った何名かの中の、あるおばあさんの話が忘れられない。
その方が幼い少女だった頃、隔離施設に入ることになった。お兄ちゃんが途中まで送ってくれた。最後の駅で別れる時、お兄ちゃんは優しく肩を撫でて、そして去っていった。それから辛くて毎日泣き続けた。夜空を見上げながら海へ石を投げ、この海がなければ帰れるのに、と泣いた。
「いつも、いつも泣いていた。でもある時に、私の業(ごう)を果たそうと決めた」と、きっぱりとおばあさんはおっしゃった。壮絶な状況で、生きるという覚悟を決められたのだ。魂が震えた。与えられた命を全うするということ、人の命はなんて神々しいのか、たった一人の人の命は本当にかけがえがない、決して代わりのきかない尊いものだと思った。涙が止まらなかった。どんな命も同じ、トンボの命も、猫の命も、人の命も本当に同じで、どんな姿であろうが存在は太陽のように煌々と輝いていた。
「誰もの中に尊い存在があるということを忘れてはいけない。固く信じるべきです。自分自身の中にあるその尊い存在を見失ってはいけない」と師から教わった。島の無言の空気から、なぜかそれをありありと感じ続けていた。

数日後、師に、役に立てるならそこに行きたいと思いをお伝えした。師は私の思いを大切にされながらも、今焦って決めることではない、というニュアンスのことを言われた。その瞬間、思い詰めていた何かが溶け、今ある場所でやることをやらないとダメだと思い、ここでできないことは、どこでもできないと自分の未熟さを実感した。島の方たちの生き様に触れ、心は自然と内へ向き、押し黙っていた。思えば私は、誰かの役に立ちたいという思いに、実は自分が誰かに必要とされたい、私が生きている意味が欲しい、という願望を重ねていた。その時、私にとっての不幸とは、誰にも必要とされないことだと思っていた。今、気付いた。状況に幸せや不幸を見いだし逃げていたのだ。環境や状況によって変わるものは、本当の幸せではないのに。
私は私としてこの世に生を受けた。人それぞれ与えられた環境があり、私は私の人生を生きていかなければならない。
「自分が自分を生きる」という師のお言葉がある。比べたり、逃げたり、背伸びしたり、誤魔化したり、そういうことは全部、自分が自分を生きていないことになる。自分を見失っているからこそ光を求めるけれど、別のものでは置き換えられない。求めるのなら本当のものだけを求めなさい、と学んできた。本当のもの…、本当の幸せ、本当の自分――それは限りない至福そのものだという。まさにそれが子供の頃に思った、すべての願い事に終止符を打つ最高の幸せなのだろうと思う。それに至る道がヨーガの道。いちばん幸せなことは師に、ヨーガに、縁を持てたこと。今の自分に向き合うことが、「本当の自分」に目覚める道だと思う。

いちばん身近にある京都の地元の川

世の中の不条理さとは無関係に、今、自分に与えられているもの――自己の命に対して謙ることができれば、生きていること、息をしていること、生かされているからこそ今見ている世界があることにも気付かされる。瑞々しい純粋な命のきらめきを感じた時、美しく愛おしい生命の躍動感を感じた時、自分を形作るすべてがそれに共鳴しその歓びと一体化する時、その背後にあるのは、たった一(ひとつ)の存在だと思う。万物の、命の根源の現れに触れる歓び、それこそが真の生きがい、幸せであると思う。それを私に教えてくれたのは、ハンセン病患者の方たち、そしてその方たちと共に生きた方だった。そう学ばせてくださったのは師だ。「自分の中に本当の幸せがある」と。

…と考えると、まさか魔人は、私の願いを叶えるための道は用意してくれたのか⁈(まだ信じてる⁈) でも道を歩くのは自分!「自分が自分を生きる」ために。

野口美香


時間も空間も超える存在

昨年までは、ヨーガの学びを深めるために月に1回ほど東京から京都に通う生活でしたが、今年はそれが叶わない状況が続いています。
クラス休講中はオンラインでのクラスや瞑想会でグルバイ(兄弟姉妹弟子)と繋がり続けられたことが支えとなっていましたが、クラスが再開されてからは東京のグルバイとは会えるようになりました。短い時間であっても、直接顔を見て話せること、クラスで共に集中を高め合えることに、これまで以上に喜びを感じています。
ただ、東京以外のグルバイとはまだしばらくは会うことができそうにありません。このブログ『ヨーガを生きる』で各地域のグルバイの実践の様子に触れられることが楽しみの一つとなっています。

ヨーガを学んでいるという大きな共通点はあるものの、性質や傾向は人それぞれ違うので、共感し鼓舞されるところもそれぞれ異なります。また、一人一人の環境や状況も違うので、ヨーガの実践の仕方や体感の内容も様々です。ブログからはそれらが垣間見られて、力をもらったり、気付きがあったりします。

最近、野口美香さんの書いたブログ記事『何のためのお金』を読んでいて感じたのですが、生活していく中での気付きの過程が、一つ一つ丁寧に自分自身の視点で描かれていて、美香さんがかつて聞いた師の教えを着実に実践していっている様子が伝わってきて、私ももっと丁寧に確実に実践していきたい!と鼓舞されました。
ブログの締めくくりには、
野菜を油で揚げる音が、まるで水琴窟(すいきんくつ)と雨音のように澄んでいて美しかった。瞑想的な、さまらさな音色。
と「さまらさの台所」Webクラスの感想があり、とっても素敵な表現に、日々の慌ただしさが一瞬静止してリセットできたような感覚にもなりました。

そして読み終わった後、思い出したことがあります。
美香さんと初めてお話したのは、京都に通い始めたばかりの頃。美香さんがまっすぐとこちらを見て、時折うなずきながら私の話に耳を傾けてくれたことは、今でもはっきりと覚えています。
美香さんご自身は決して多くを語られませんでしたが、彼女の話した言葉の中で特に印象に残っているものがあります。(言い回しは正確ではないことをご了承下さい。)
「ヨギさんはこちらが近づいた分だけ、近づいて来てくださる。自分をさらけ出すほど、こちらが近づいた以上にもっともっと来てくださる。」
美香さんがまっすぐ前を見据えて話してくれたその姿を見て、私もそうしていきたい!と憧れのような想いを持ちました。
もっとヨーガのことを学んでから質問しないと、とか、こんなこと質問しても、とか、余計なことばかり考えて足踏みしていたのですが、何でも質問してしまえ!と背中を押されたようで、これを機に少しずつ質問ができるようになりました。

こんなふうに、グルバイとの交流では、ほんのちょっとした会話やメールのやりとりの中であっても、大きな気付きやインスパイアを受けることがあります。それは時に自分を省みるきっかけとなったり、背中を押してもらうきっかけとなったり。もしグルバイの存在がなければ、ヨーガの道を歩むスピードはもっと遅くなっていたのかもしれないと思うことが多々あります。
少し前のシャルミニーさんが書いたブログにありましたが、「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」、というこの教えの通り、グルバイとは稀有な縁で繋がっていて、共に喜びを分かち合える存在だと思います。
離れた場所にいて会えなかったとしても、互いの存在に支えられていると、確かに感じることがあります。

東京代々木クラスにてヨーガの仲間と共に!新しいトートバッグと。

“ヨーギーは時間と空間を超えている”と言われていますが、師はもちろんのこと、ヨーギー・ヨーギニーとして道を歩んでいるグルバイもそうであると思います。
現在のような状況下で様々な葛藤や迷いが生じることもありますが、いつどこにいても常に師やグルバイと共にあるということを忘れずに、実践を続けていきたいです。

ハルシャニー


恒河沙 ― 大都会東京でヨーガに生きる!    

故郷である大阪から家族とともに横浜に転居して3年、その後東京に移り住むこととなり早11年以上が経ちました。
こちらの生活にもすっかり慣れ、東京ライフをエンジョイ!?していますが、それでもいまだに東京の街の大きさや人の多さに圧倒されることがあります。まるで小高い山のようにあちこちにそびえ立つ高層ビル群、どこに行っても街中に溢れ返る人人人…。特に都心に行くと東京が世界有数の人口の多い大都市であることを実感します。

大都会東京

とても大きな数を表す単位に「恒河沙/ごうがしゃ」(10の52乗)というものがあるそうですが、これは仏教の経典に出てくる言葉で「ガンジス河の砂の数くらいたくさん」という意味なのだそうです。東京の人の多さを体感する度に、私はいつもこの「ガンジス河の砂の数」という言葉が頭に浮んできます。と同時に、ここ東京だけではなく世界中には多種多様なたくさんの人が生きているということを改めて思い出します。

以前、仏教の教えで「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」というようなお話や、「ガンジス河の砂の数ほどの仏さまがいる」という教えがあると聞いたことがあります。
古代インドのリシと呼ばれる聖者や賢者たちは、人として生まれること、そして真実を探し求めること、それを実現することのできる人としての命はとても尊いもので、人として生まれたということは吉祥なことであると教えていると師から教わりました。またヨーガにもこの世のすべてが神の顕れであるという教えがあります。そして、ヨーガを志す者にとって本当の師に巡り合えるということは大変に稀なことであり、得難い宝であると教えられています。

母なるガンジス河

そんなことを思いながら大勢の人々がせわしなく行き交う東京の雑踏の中に立っていると、ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世の命の中で、皆一人一人が人として生まれてきた尊い命をもっている人達なんだなぁと感じます。そしてその中の一人である私は、たくさんのご縁によってヨーガと出会い、本当のヨーガの師に巡り合うことができ、師の下でヨーガの道を歩むことを決意しました。

   「それ」は今、ここに在ります。
   「それ」は常にどこにでも在ります。
   「それ」のみが在るのです。
   「それ」が真のあなた自身なのです!
      シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

まだまだ道半ばの私ですが、たとえ何処にいたとしても、真実を実現することのできる人として生を受けたこの尊い命を吉祥なものとして生きたいと思います。

シャルミニー


ある夏の日の出来事

今年の7月は太陽が恋しくなるほど梅雨空が長く続きましたが、8月は太陽のパワーを存分に感じる気候となりました。

私は6、7月の2ヶ月間、職場である治療院の移転作業をしていました。壁を塗ったり、畳からフローリングへ変える施工をしたり、普段はしない力仕事が続いたせいか、あちこちが筋肉痛になり身体が硬くなってしまいました。毎日自宅でのアーサナは続けていたものの、なかなか硬さが取れない状態。でもクラスでみんなと一緒にアーサナすると、次第に硬くなっていた身体がふわふわになる感覚がして、クラスが終わる頃には気分も頭の中もスッキリした状態になるので、これまで以上にクラスのありがたさを感じていました。

治療院に生けられている向日葵

ようやく移転作業が終わり無事に新しい治療院で診療を開始した日は、ちょうどクラスがある日でした。
最後の患者さんの治療を終えたら急にホッとして、眠気とともに身体が重だるくなりました。ああ、早くアーサナがしたい!とクラス会場のある代々木へ向かう電車に乗っていたところ、車内が急にざわめき始めました。乗客同士のトラブルで、男性2人が激しい喧嘩をしていました。他の車両へと移る人、スマホに夢中で無関心の人、車両内の光景に強い緊張感と違和感をおぼえました。ちょうど乗り換えする駅に到着したのでその車両から降りましたが、乗り換えを済ませても心拍数はしばらく上がったままで、自分で思っていた以上に動揺していたことに気付きました。とにかく早くアーサナがしたい!プラーナを調えたい!とすがるような気持ちになっていました。

その後クラス会場に到着し、いつも通りクラスが始まりました。最初のヴリクシャ・アーサナ(立木の形)では思いの外ふらついて、まだ落ち着いてないんだなという思いが頭をよぎりましたが、その思いはすぐに捨て去るようにして、今吐いている息に集中するようにしました。続いてマールジャーラ・アーサナ(猫の形)では、普段はない背骨がきしむような感覚がありましたが、今できる最大限まで形を深めたら、あとは息を吐くことだけに集中しました。シャヴァ・アーサナをする度に身体から緊張感が取れて、眠気と重だるさはすっかりなくなりました。疲れている時にアーサナをすると、これはきついだろうな、とか今日は無理しないようにしよう、という思考がいちいち出てきてしまうことがあったのですが、この時は最初に多少の思いがよぎっただけで、あとはリードの声に導かれながら淡々と形を作り呼吸を深くしていくことをやり続けたような感覚がありました。

8月26日の代々木クラスにて

クラスが終わり家に戻ると、夫に「今日は(移転初日で)大変だっただろうに何でそんなに元気なの?」と言われました。そう言われて初めて、そうか今日は確かに大変だったかも、と人ごとのように思い出したくらいでした。もちろん電車内での出来事の記憶もありましたが、それに対しての印象や思いは消え去っていました。クラスの後でなければ帰ってすぐに夫に一連の出来事を報告していたと思いますが、話そうという思いもありませんでした。

アーサナをすることもクラスに通うことも日常の一部となり、毎回集中して行うようにしていたつもりでも、いつの間にか真剣さが足りない状態になっていたのかもしれません。
今回のクラスに関しては、切羽詰まった状況に陥ったことで真剣さが引っ張り出されたのだと思われます。
このことで思い出したのが、『ヨーガの福音』の中の、神を求める1人の男が聖人の元へ行き「神を悟らせてください!」とお願いをするという話です。
聖人はくる日もくる日も同じ生活をしていましたが、ある日河で沐浴している時に、聖人についてきていた彼の頭を河の中に押さえつけました。彼の苦しみが限界を超えようとしたとき、聖人は手を放して彼に言いました。
「何が欲しかったのか?」
彼は答えました。
「息がしたかったのです!」
聖人は言いました。
「もしおまえが、ちょうど息を求めたように心底から神を求めるなら、神を悟ることができるだろう」

息ができなくなるというのは苦しく、そのまま死に直結するという恐怖もあります。
それが限界を超えようとしたときに、ただ息がしたいとそれだけを求める純粋さと真剣さが生じる。それを日常の中でいかに持ち続けるか。けして容易いことではありませんが、そうしていく必要があります。

人はあっという間にその時々の状況に慣れて、何となく日々を過ごすことができます。
どんな状況下でも流されることなく、何にも惑わされることなく、本当の自分を実現するという目的を達成したい。より純粋に、より真剣に、求め続けたい。
そんなことに気付かされた、夏の出来事でした。

ハルシャニー


仕事の動機は?

面接や履歴書で問われるのは、志望動機。幼い頃も「将来は何になりたい?」と聞かれた。私はずっとなりたいものが見つからず、学校の進路指導では、最後は先生にも諦められた(!)

仕事というのは、人生の中で重要な位置を占めていると思っていた。けれど、ヨーガでは仕事が特別な位置付けではなかった――仕事自体は何でもよく、従事することになった仕事に対してベストを尽くすが、それ以上でもそれ以下でもない、仕事での結果にも執らわれない。それを知った時、目から鱗が落ち、仕事像の呪縛から解き放たれた。

空に向かって真っ直ぐ咲く!

ところで私は最近、転職を考えていた。目の不自由な方に付き添う仕事をしてきたが、情熱が薄れてきていた。しかし、「仕事は何でも構いません」と師もいつもおっしゃっているし、ここから淡々と続けるのも大切に思える。これまで仕事を続ける中で、師はさりげなく私の仕事への思いを尊重され、そして優しく背中を押してくださった。だからこそ迷いながらも続けられてきた。…と、悩んでいた矢先、不意に元日から眼に不調があり仕事をセーブすることになり、調子が元に戻ると次はコロナ禍で仕事ができなくなった。必然的にお金や仕事について、じっと見つめることになった。(お金については前回書かせていただいた→前回ブログ

振り返ると、始めた当初は、私が目になる!役に立ちたい!と思い入れがあり、やりがいも大きかった。いつからか、誰もがそれぞれの立場で人生を歩んでいると知るにつれ、目が不自由ということが単純に不自由とか障害というふうには思えなくなり、最初に抱いていた「困っている人」という見方がなくなった。この仕事の必要性を見いだせなくなり、最近は仕事をする動機がよく分からないまま働いていた。
その状態を何とかしたくて、ヨーガの教えを拠り所に仕事自体の目的を考えていたことがあった。目の不自由な方が求める視覚情報を正しく伝え、自分の体を道具にして道中を安全に案内し、相手がその日の目的を果たせれば、仕事の目的も果たされたことになる。仕事の前には、そう意識し、相手の今日の目的に集中するよう徹していくと問題点は気にならなくなり、どんな仕事も仕事自体の目的を果たすことが仕事なのだと実感する瞬間があった。仕事が存在しているということは、その仕事自身の目的があるから。道理として、目的がない仕事なんて存在しないことになる。だから、この仕事は必要ないのでは?と私が考えるのは愚問だったことが分かった。けれど、情熱は戻らないままだった。

そしてステイホーム期間、生活にさほどお金がかからないと気付いた時、お金を得るための仕事は優先順位が下がっていった。その頃、前回ブログを書き進めていた。
種明かしになってしまうけれど、前回ブログ『何のためのお金?』の中で
「生きていく、それだけをシンプルに考えれば、本当はそんなにたくさんのお金は必要ないのかもしれない」という文章の後、最初は
“そんなにたくさん働く必要もないのかもしれない”
と続けて書いていた。しかし校正してくださった先輩から、この一文に対してコメントが添えられていた。
「働くのは結果的にはお金を得ることが目的になりますが、それだけでなくて、仕事を通じて様々な経験を積むというカルマを果たすためだとも考えられます。生きている限り行為をしなければなりませんし、ではどう働くのかという働き方と働きの目的が大事になってくるのかなと思います」

ハッとした。 ここだけ文章の校正というよりも、私への核心を突かれるヨーガの教え…、働きの目的…、私自身の働きの目的は、はっきりしないままだった。お金、仕事、人生…もう一度それぞれの目的について考え続けた。

そんな時、久しぶりに長時間の仕事があった。内容的にも安全確保に神経を注ぐ仕事だったので、ちゃんと動けるか不安もあった。結論からいえば、私の体が私自身を導いてくれた。口からは必要な情報が勝手に飛び出し、足と手は安全確保をしながら勝手に動いてくれた。不思議だった。こんな感覚は初めてだった。仕事後、妙に静まり返り、私はこの身体を生かさなければいけない、と思った。昔、「自分が人間として生まれたからには、この心と身体を使って生かせることがしたい」と思ったことを突然、思い出した。たしか当時の履歴書にもそう書いた。人生の目標が「悟り」なら仕事もそのためにある、だから働くんだ、ということが実感を伴って繋がった。

仕事帰りによく立ち寄る。いつも季節の花が咲いている。

眼に不調が出た期間、やっぱり困ること不自由なことがあった。それで気付いた。困っている、不自由というのは、ただの事実なだけで良い悪いの次元ではないと。つべこべ考えず、ただあるがままを見よ!と自分の眼から一喝された気がした。仕事にベストを尽くすには、自分の情熱とか、相手が困っている・いないとか感情論は必要なく、あるがままの事実を正しく見ることがまず必要だった。そういえば、事あるごとに意識してきた言葉がある。「一にも二にも観察」 十数年前、福祉職に転職した時にヨーガの先輩から言われた言葉だ。先輩は全く違う仕事をされていた。けれど私はこのアドヴァイスを守ることで、仕事中、幾度も助けられてきた。職種は関係なかった。どれだけ自分を棄てて、対象だけを正しく見れるか? 長年、師の下で学ばれた先輩は私にそう示唆されていたのかもしれない。

どんな仕事にも必ず対象(人やモノ)があり、対象のために仕事を進めていっている。その仕事自身の目的を果たすことが仕事。でも仕事は単なる一つの役割。だからこそ役割ならば、それに徹しなければいけない。もっと目的に集中しなければいけない。この身体に任せて、今の仕事がくるなら無心で働けばいい。「どんな役割にも優劣はなく同等で、できることは心を込めてやっていくということ」と師から教わってきた。
この命が生かされ、身体が動くのは、やっぱり摩訶不思議で、大いなる存在を思わずにはいられない。ヨーガでは、本当の自分はこの体でもなく、この心でもないという。心のざわめきが静まったとき、本当の自分が輝き出るという。

夏の光で輝く花

自分のやりがいも動機も何も要らないじゃないか!と思えた。むしろこれからは、自分自身の個人的動機のない働きを目指したいな。そして、師が仕事に対して贈ってくださった言葉、「真心を込めて、やっていく」を胸に、その時々の与えられた役割に徹したい。それが仕事をする動機だと思う。
今なら進路指導でも、「将来は何になりたい?」の質問でも、堂々と言えそうかな(笑)「なりたいものはヨーギーです」

野口美香