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偉大なバクタ ミーラー・バーイー

最近家にいる時間が多くなり『ミーラー・バジャン』をゆっくり味わうように読んでいます。
ミーラー・バジャンとは中世のインドに生きた聖女ミーラー・バーイー(1498-1546)がクリシュナ神に捧げた愛の歌、讃美歌集です。日本ではあまり知られていませんが、インドでは教科書にも載っており知らない人がいないほど有名で、マハトマ・ガンディーも彼女の歌を愛されてよく歌われたそうです。

以前、ミーラー・バジャンをよく読んでいた頃は、ミーラーのクリシュナへの純粋な愛や何ものをも恐れぬ神への信仰心に憧れ、また詩の情景や言葉の美しさに惹かれて読んでいました。今回改めて読んでみると、そのほとんどが苦しみの中にあった生涯で、ただ唯一クリシュナだけを求め続けたミーラーの心情が私の中に流れ込んでくるように感じました。

長く戦乱が続くラージャスターン地方の小国の王女として生まれたミーラーの人生は苦難の連続でした。強国だった隣国の王子と政略結婚を余儀なくされ、夫の戦死後は婚家で迫害を受け続けました。何度も命を狙われることさえあったようです。その理由として、当時のインド社会では夫を亡くした女性は婚家で疎まれたことに加え、ミーラーが婚家の宗教に改宗することなく、幼い頃から信じていたクリシュナ神だけを愛し、婚家の妃としての役割を果たさなかったことにあったようです。

ミーラー・バジャンには、クリシュナへの純粋な愛や献身を歌った詩やクリシュナの愛に満たされる歓びを歌った詩もありますが、クリシュナを求め続けてもなおクリシュナとの合一を果たせない苦しみを詠んだ詩が多くあります。
苦難に次ぐ苦難の日々の中でクリシュナだけを求めるミーラー。クリシュナの愛に満たされたと思った次の瞬間にはクリシュナの面影は跡形もなく消え去ってしまう─。
次の詩からはそんなミーラーの心情が伝わってきます。

なぜに 私は眠りえん

恋人を待ち 見続けて
夜はすぎゆき 朝となり
友はみな来て 諭せども
なぜに 心は聞きえよう
主に逢えぬなら 眠りえようか
心は嘆きに 満たされて
体は細りて 途方に暮れて
主よ 主よ と口は語るのみ
内なる苦しみ 寂しさの
痛みは 誰が知りえよう
チャータクが 幾度も呼ぶように
魚が 水を求むように
ミーラは眠れぬ 悲しくて
心は すべて 忘れるほどに

※チャータク(鳥)の鳴き声は“恋人よ”と聞こえる

美莉亜訳『ミラバイ訳詩集』より

クリシュナへの愛だけに生き、すべてをクリシュナに捧げ尽くして「私」というものがなくなったミーラーの最期は、クリシュナの像に吸い込まれて永遠にクリシュナと一つになったという伝説が残っています。

キールタンに出会って、バクティ・ヨーガを知った頃は神に至る道には歓びだけがあるように見えましたが、プレーマと呼ばれる真の愛を実現するまでには、心から神を愛し求めるが故の渇望の苦しみや、さまざまな内的葛藤を乗り越えるための揺るぎない信仰心を持つ必要があることを強く感じています。
今、私たちはミーラー・バーイーが生きた時代、国、取り巻く状況もまったく異なる世界に生きていますが、500年前のインドに実際に生きた偉大なバクタ、ミーラーの息吹がどうぞ私の中で力強く息づきますように!と、心から願わずにはいられなくなりました。

シャルミニー


心をピカピカに磨く!

ヨーガを実践する上で、大切にしている教えがあります。それは、「真実は既に自分の中にある」ということ。ヨギさんはこの教えを繰り返しおっしゃってくださいますが、耳にする度に胸が高鳴ります。この真実があるから私は生きているんだ!ハートの奥底から力がみなぎってくるのです。
ところが日常生活を送っていると、いつの間にかこのことを忘れてしまい、目の前のことに振り回されてしまっていることに気付きます。クラスやサットサンガが休止状態になってからは、この教えで胸がいっぱいになっている時よりも、忘れている時の方が多くなっていました。だから言い聞かせるように心の中で唱えるようにして、唱えること自体を忘れてしまうことがあっても気にせずに可能な限り続けていました。
そうして過ごすうちに、「真実は既に自分の中にある」ことを忘れてしまう原因に思い当たりました。

それは、「真実」が本当に自分の中にあると信じられていないからなのではないか?
自分には無理…まだできない…そういった心の思いが、曇ったガラスのように真実を覆って見えなくしているからではないかと思いました。

「真実」は物体のように手を伸ばして掴めるわけではありません。
真実は掴むものではなくて、体感するもの。体感するためには、心の思いで曇ったガラスをピカピカに磨いて綺麗にすることが必要なのではないかと思い至りました。

では、どうすれば曇ったガラスを磨いて綺麗にできるのか?
何か手がかりはないかと、これまで参加したクラスやサットサンガの中で印象に残って自分で書き留めたメモ、聖典、等々、これまで以上に意識して読み返しました。そうしている中で、『ヨーガの福音』のある一文が目に飛び込んできました。

”心も複合物です。エゴや知性や想念や記憶などさまざまなものによって成り立っていますから。
心は心のためにあるのではなく、他者のためにあるのです。主人である本当の自己のためです。”

何度も何度も読んで十分に知っているはずなのに、今回初めて胸の中にすぅーっと入ってきて、ストンと音がしたと感じるほど、腑に落ちました。

心は主人である本当の自己のためにある。これこそが「真実」であり、これだけを信じて進むのみ。他の思いは一切いらない!
曇ったガラスをきれいに磨き上げるには具体的に何をすればいいのか、数日間ずっと考え続けているうちに、自然と心が「真実」に集中されていたのかもしれません。
自分で勝手にいろいろ考えて自信をなくしたり、できないと諦めたり、心というのは本当に厄介なものだと手を焼くところがあったのですが、何かに依りかかることでしか存在できないようなものだから、たいしたことではないと感じられました。そして心を構成するものをエゴに依るものではなく真実に拠るものにすればいいだけ。そう思えるようになりました。

「真実」は 純粋そのもので、普遍的なもの、永遠に変わらないものです。
対してエゴから生まれる思いは純粋ではありません。それは人によって異なるし、過去に経験してきたことなどによって物事を判断するので、その時々の条件で変化します。
条件によって変化する「私」というエゴ意識をなくすことができれば、心の思いは純粋なものとなり、「真実」に近づくことになります。
これも何度も繰り返し教わってきたことですが、エゴをなくそうと頑張ってもなかなか簡単にはいきません。自分が憧れている具体的な存在だったり、聖典の言葉1つだったり、まず1つのことを足がかりにしてそれに倣うようにすることで「真実」へ近づき、一点集中へと繋がる。それが曇ったガラスを磨いて綺麗にする行程ではないか。ガラスを磨いて綺麗になった暁には「私」という思いはなくなり、覆い隠されていた「真実」がありありと見えるようになるのではないかと感じました。

真実がクリアに見えるようになると、真実という対象が明確になり、自分がどう行為すべきかも明確になる。それ(真実)しか見えなくなったら、どのような手段を取ってもそこに辿り着ける。最終的には覆っていたガラスが砕け散って真実と一つになれる。
身体の奥底から、強い確信のようなものが湧いてきました。

いつも私たちを真実へと力強く辛抱強く導き続けてくださっている、ヨギさん。
時間や距離は何も関係ないと、そのお姿が目の前にある時もない時も、常に私たちと共にある
と言ってくださっていますが、ヨギさんが力強く真実へと手を取り引っ張ってくださったよう
に感じた出来事でした。

きっとグルバイ(兄弟姉妹弟子)のみなさんもそれぞれの場所でヨーガの実践を続けられていることと思います。
今は一人一人が自分と向き合い、すでに学んだことを淡々と実践する時期なのかもしれません。
みんなで集まれる機会はまだ少し先になりそうですが、今できることをやり続けつつ、少しでも成長してその日を迎えられたらと思っています。

 

ハルシャニー


子育ても家事も仕事もぜんぶがヨーガになる!

ママ・ヨーギニーの皆さま、今年の春休みはとーっても長いですね!毎日いかがお過ごしですか?まだ小さなお子さんがいらっしゃるお母さんはお休みなど関係なく、ずっとお子さんと一緒という方もおられることでしょう。外出を控えて家族みんなが家にいる時間が増えた方も多いのではないでしょうか。そうすると、必然的に家事が増えますよねー。あり余る子どものパワーを分けて欲しいくらいですが、大人にはホッとできる静かな時間も必要ですよね。もちろん、家族との時間がゆっくり取れるいい機会だという方もおられると思います。

私が横浜の方で担当させていただいているヨーガサークルも、先月から新型コロナウィルスの感染防止の為にお休みが続いています。先日、皆さんにご様子をお伺いしたところ、クラスに15年以上通われている小6中2高2の三人のお子さんがいらっしゃるお母さんから「ストレス・マックスです」とお返事が返ってきました。そしてその続きには「少しでも自分の時間を作ってアーサナをしたいと思います。皆さん、頑張りましょう!」とありました。長年続けてこられている方だけあってさすがだなぁーと、とても励まされました。

瞑想中の横浜のヨーガ・サークルの皆さん

私には今社会人と高校生の娘がいますが、実は子育て真っ只中の頃、自分の時間が取れず「ヨーガなんて出来ない!」と諦めていた時期があります。その頃はまだマハーヨーギー・ミッションにも師にも出会っておらず、ヨーガ=アーサナ(ポーズ)や呼吸法をすることだと思っていたのです。今、振り返るといつでもヨーガは出来たのに…と、少し勿体ないような気持ちになります。

例えば、ラージャ・ヨーガの一番始めにあるヤマ(禁戒)・ニヤマ(勧戒)は、日常生活の中でこそ行なわれるべきとても大切な基本の教えですし、家事や仕事、また一番身近な家族や自分の周りの人に対しての日々の行為をカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)にすることが出来ます。

そして、何よりも師に教えていただいたバクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)をその頃に知っていたら!聖典を読む時間がなくても、ベイビークリシュナにそうするように喜んで娘たちに絵本を読んで、子守唄にはキールタンを歌ったことでしょう。仕事から疲れて帰宅した夫をクリシュナを見るラーダー(クリシュナの愛人)のような笑顔で出迎え、時折、カーリー女神のように我を忘れ地球を破壊するほど怒って、うっかり夫を踏んづけてしまいそうになっても!?ハッと我に返り、ペロッと舌を出してすぐ素直にごめんなさいと言えたことでしょう!

幼子クリシュナ神と養母ヤショーダ。神を愛する態度の一つに、母が子を愛するように、神を我が子のように愛する母親の態度があります。クリシュナは偉大な神の化身でしたが、恩寵によってヤショーダは神の偉大な面ではなく、ただ愛しい我が子を愛するように、愛そのものである幼子クリシュナを愛し献身したのでした。

カーリー女神は悪魔の軍勢(人間の無知)との我を忘れるほどの激しい戦いに勝利し、その歓喜の踊りで大地が破壊されそうになりました。そこで夫のシヴァ神がカーリーの足元に横たわり自らがクッションに!夫を踏みつけたカーリーはやっと我に返りペロリと舌を出しました。

ヨーガでは、この世界のすべてに神が顕現していると言われます。たとえ、今の私にまだそれを見ることが出来なかったとしても、どんな時も全てのものの中に神を見よう、見たい!と思う時、子育ても家事も仕事も、家族や周りの人との関わり方に至るまで、毎日の生活全部がヨーガになっていくのだなぁと、感じています。

今、世界中が先の見えない状況にありますが、私の師は「どんな時でも、誰にでもヨーガは出来ます」と教えて下さいます。その時その時、それぞれの人の置かれた立場の中で実践出来ることが必ずあると思います。一人一人別々の場所にいたとしても、共にヨーガを学び、共に実践していきましょう!

シャルミニー/東京


情熱を持って前進しよう!

2020年の春、世界は一変し、大きな衝撃と苦難に突然直面することになりました——世界中に広がった新型コロナウイルス感染症パンデミック。台湾は、幸運にもまだ深刻ではないレベルに抑えられており、台北と台中のアーサナクラスは続けられていますが、国中に不安な雰囲気が漂っていると感じます。
そんな中、疫病の威迫に負けず、4月11日土曜日の午後、台北の15名のグルバイは祝祭に参加する気持ちでアーナンダ・アーシュラマ(台北)に集まりました。みんなで一緒に2019年4月京都で行なわれた春の祝祭、サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラーの映像を視聴させていただきました。

アーナンダ・アーシュラマの白い壁に投影された映像。祝祭が始まりました。プレーマ・アーシュラマ(京都)にお入りになり、台座にお座りになったヨギさん。弟子から奉納されたマーラー(花輪の献上)とプージャ(礼拝)。みんな、神聖な儀式とヨギさんの慈愛に満ちた穏やかなお姿に心を奪われました。映像は、壁に映された二次元の投影像ではなく、まるでVR(ヴァーチャルリアリティー:仮想現実の立体空間)のように立体になり、本当にありありと感じ取ることができました。プレーマ・アーシュラマのその空間はアーナンダ・アーシュラマと繋がるようになり、ヨギさんは前方に座られて私たちをご覧になって無限に優しいダルシャンを与えてくださいました。

祝祭では8人の先輩がメッセージを奉納し、色んな方面と角度からシュリー・ラーマクリシュナを紹介してくださいました。台北でもプリヤーがこの大聖者の物語と教えをずっと紹介し続けてきていますから、馴染みのない存在ではありません。でも先輩のメッセージから、先輩たち自身の探求や修行とシュリー・ラーマクリシュナに繋がりがあったことを知り、そして先輩たちの情熱に満ちて素直で一心で同時にとても謙虚な姿を見て、深く感銘を受けました。 

祝祭の半ばでサティヤーさんのメッセージの最後に、『ラーマクリシュナの福音』の一節が再現されました。プレーマ・アーシュラマにいるグルバイたちがハレー・クリシュナを歌い、アーナンダ・アーシュラマにいて映像を観る私たちも一緒に歌って、両者の歌声は一つになりました。そして共に笑って涙も流して、一緒にヨギさんを見つめ、一緒にドッキネッショルを感じて、一緒に喜びに浸って、まるでコルカタと京都と台北の間にはもう境がないようでした。150年前と去年と今この時にも時間の遠近がないようでした。祝祭の最後、みんなでヨギさんに従って一緒にOm Tat Sat Omを唱える時、その感覚がもう一度呼び起こされました。

時空は一つになり、一緒に歌ったキールタン!

3時間ほどの間、ヨギさんだけが在り、シュリー・ラーマクリシュナだけが在り、喜びと感動しかありませんでした。疫病の蔓延の今、これはどれほど貴重であり、どれほど幸運でしょう!騒然としている外の環境によって物騒がしくなった心は、この時間の中で安堵しました。この映像を制作して配信してくださったマハーヨーギー・ミッションと先輩たちに言葉にならないほど感謝いたします。

上映会が終わった後、グルバイたちは一緒に晩ご飯を食べて感想を分かち合いました。何人もがメッセージで話された「神の召使い」「神の道具」という言葉が印象深かったようです。そして奉仕と言っても、よくエゴを持っていた、神の召使いや道具になりたいと言っても、情熱と信仰を高めなくて口だけだったという自分の行為に反省した人もいました。それでも、自分にはまだ遠いとか、自分にはできないとか思わないで、情熱をもって前進しよう、先輩に見習い一歩ずつ真実に近づこうと、みんなでお互いに励まし合いました。

あるグルバイが言いました——去年の秋に京都から帰ってきてから、人生に期待していたことを手放しました。チャイタニヤさんのメッセージの中の「結婚しました!子供ができました!家を買いました!」のようなことを手放してから、楽に感じました。自分がどんな人生を過ごしたいのかを改めて考えました。

どんな人生を求めるのか?見返してみると、メッセージの中で生き様という言葉がよく出てきました。シュリー・ラーマクリシュナの生き様、ラトゥの生き様、神だけを見て神だけを思う生き様、人の喜びを糧にする生き様…こんなにたくさんの見習える手本があります!それはライフスタイルだけではなく、それは全てのスタイルを超えたスタイル、それは真実を生きる、ヨーガを生きることだ! ブラボー!!!

 

日本のグルバイのメッセージは、プリヤー(右)とマールラー(左)で通訳して紹介しました。

マールラー/台中


執着なき、純粋な働き

自粛要請が続き、ヨギさんや先輩グルバイにもお会いできない中、昨年の春の祝祭の動画を視聴させていただき、とても大きな励みになりました。(昨春祝祭のブログはこちら→2019春の祝祭
ヨギさんの慈愛に満ちた優しい眼差しや参加者の皆さんの喜びの熱を感じ、私自身もまさに会場にいるような、至福の時間を過ごすことができました。

昨年2019年4月7日(日)、満開の桜が咲き誇る中で開催された春の祝祭サナータナ・ダルマ アヴァターラ  メーラー。今年は残念ながら中止になってしまったのですが、祝祭参加者に向けて昨年の祝祭の模様が全編映像配信されました。私は祝祭の式典には参加できなかったため、このような機会をいただき、本当にうれしかったです。(動画の一場面)

昨年の祝祭では、19世紀後半の神の化身シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの悟りと生きざまに焦点を当て、8名のグルバイ(兄弟姉妹弟子)たちからスピーチが捧げられました。ラーマクリシュナの魂に触れ、その存在すら感じられるような熱い思いが迸るスピーチでした!

今回の祝祭の動画から強く感じたのは、ヨギさんの決して変わることのない確かな導きとグルバイの皆さんの神への信仰と愛、そして悟りへの強い決意でした。

ヨギさんから多くの教えをいただきながら、なぜ私は皆さんのように、真理の道に邁進することができていないのか?自分の未熟さが情けなくもありましたが、動画の中で目標とする姿を目の当たりにし、もっと自分のエゴと向き合い、純粋になっていきたいと志を新たにすることができました。

また最近では、新型コロナウイルスの問題を機に、自分自身が果たすべき義務や働きは何なのかということを真剣に考えるようになっていました。
今までは、母として妻として家庭を大切にし、家族のためにより良い家庭環境を作ることが自分の義務であり、それを愛をもって遂行することこそが、何よりのサーダナ(修練)になると考え、その義務以上の働きに対しては、なかなか積極的になることができませんでした。

しかし、先輩グルバイが熱く語られるシュリー・ラーマクリシュナの生涯や生き様、その教えに触れる中で、私は自分の果たすべき義務を、小さな心の領域の中でばかり考えてきたのではないかと、自問せずにはいられませんでした。

シュリー・ラーマクリシュナのあまりにも純粋な働き。
休むことなく、他者のために身を尽くし、働き続けるその無私の行為に、ただただ圧倒されるばかりで、自分がいかに働きの結果に執らわれ、他者に奉仕できる最良の機会を逃し続けてきたのかということが、はっきりと理解できるような気がしました。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダは『カルマ・ヨーガ』の中で「筋肉と頭脳から巨大な活動を起こさせよ。しかしそれらをして、魂にいかなる深い印象も刻ませてはならない」と言われています。

世の中は、先の見えない不安や緊張に包まれ、今後ますます、多くの人々が本当の安心を求め、人生の目的や命の意味に立ち返っていかれることでしょう。
そうした方々のために、自分のできる最善を尽くすこと。自らの働きを通して、少しでも多くの方にヨギさんの教えをお伝えしていくことが、弟子としての私の新たな義務ではないだろうかと考えています。

最後に師シュリー・マハーヨーギーよりお言葉がありました。『それぞれの人がそれぞれの状況の中で、真実を悟ることができる。なぜなら、真実はもうすでにそこにあるから。』優しく力強い言葉に胸が熱くなりました。                                                    オーム・タット・サット オーム!

計らいのない純粋な働きによって、多くの善いことを行なえますように。
内なる神に礼拝し、日々精進していきたいと思います。

 

 

田原由美+子供たち/大阪  


インターネットの動画配信でヨーガを学ぶ!

古代の修行者たちから、「俺たちの時代なんて…」と説教じみた小言が聞こえてきそうなほどの恵まれた状況が、昨年の四月、私に与えられました。

ヨーガに出会ってまだ1年しか経っていなかった私は、『パラマハンサ会員限定瞑想専科 ヨーギーを目指して!12回コース』という力強いタイトルにやや尻込みしたものの、通常のクラスにはない動画受講コースがあり、何度でも繰り返し視聴できるというインターネットならではのメリットに惹かれて、結局受講することにしました。

このコースは熱心なヨーガ実践者に向けたパラマハンサ会員限定コースで、遠方の人も受講できるように、クラスの模様が1週間以内にYouTubeで動画配信されてオンライン受講できるコースも付加されているのが特徴です。レクチャーと45分の瞑想実習、そしてQ&Aの構成です。

会員限定というだけあって、おっかなびっくりの新参者に対する配慮など微塵もないディープなヨーガ愛が、全12回のクラス全てを貫いており、「動画視聴者は会場のプラーナを少しでも感じながら受講をするように」とのアドバイスを意識するまでもなく、毎回、モニター越しに熱いものを感じながら視聴させていただきました。

ある先輩から、今回の講師であるサーナンダさんについて、「サーナンダさんは、ラージャ・ヨーガ(王道ヨーガ)やギャーナ・ヨーガ(真知のヨーガ)の話をするときはとても知性的・論理的だが、バクティ・ヨーガ(神への信愛のヨーガ)の話をするときは敬虔なバクタ(神を信愛する者)のように喜びに溢れかえる。クラスなどでそういった話をすること自体も、聞いた人が少しでもヨーガを深めることができるようにという他者への思いに根ざしたカルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)そのもので、とにかく本当に凄い方だ」という講師像を聞いたことがあります。

講師のサーナンダさん

確かに、バクティやプレーマ(真の愛)について涙ながらに語られていた第7回【グルへの愛と献身】第8回【真の愛】あたりの映像や、24の宇宙原理や真我探求についての小難しい話をされていた第6回【心を知り尽くす】第9回【真我の探究】あたりの映像を思い返してみると、改めてそのギャップの大きさを実感し、「バクタ=神の愛人」や「ギャーニー=智者」といったカテゴリーにすら執らわれない『Theヨーギー』の姿を、記憶の中のサーナンダさんに垣間見るような思いです。

第8回真の愛の動画受講の一画面

第9回真我の探求の動画受講の一画面

実際の会場にいる受講者の一人からも、「ヨギさんのことが好きだと言う人はバクティ的な瞑想をする人が多い中、誰にもましてヨギさんに惚れまくっているサーナンダさんが、何故アートマン・ヴィチャーラ(真我の探究)を中心に実践されてきているのか?」という疑問が呈されていました。サーナンダさんは、「入口が違うだけで中に入ったらどちらも一緒です」という言葉で答えられていましたが、あの師が書かれた「ヨーガ・サーラ」の結びの一文、『王道、知、神への愛、献身行為の四つの大河は各々に、また重なり合って一つの大海に流れ込む――真実在という至福の海に。』を地で行くようなご自身の様子そのものが、言葉以上にその答えを体現してらっしゃるように感じました。

永遠の真理、サナータナ・ダルマが人の姿をとってこの地上に現れてくださったのがヨギさんなら、その教えを淡々と黙々と実践し続ければどうなるかを人の姿をとって示し続けてくださっているのが、サーナンダさんを始めとする諸先輩方の皆さんだと言っても過言ではないでしょう、多分。事実、ヨーガを真剣に教え真剣に学ぶ先輩方の姿が映し出された動画を見るたびに、実践に対する信頼と情熱が私の心に湧いてきたものです。

先にも述べたとおり、1年前はそれほどの覚悟を持って受講を決めたわけではありませんでした。この覚えの悪い頭に動画受講コースのメリットを生かすべく、繰り返し視聴しながら教えの部分を文字に起こしてみたものの、結局それに満足してそれっきり読み返さなかったり、何回かの瞑想実習の時間は、1クリックで簡単にスキップできる利便性がよろしくない方向に作用したりと、まったく私らしい体たらくです。
しかし、1年間の動画受講を通して、モニター越しに現代でヨーガを実践しているヨーガ行者の姿を繰り返し見続けた結果、たとえ教えの内容は覚えていなくとも、その姿自体の印象は色濃く残りました。またその印象に、こんな私をして(今のところ)一日最低一時間、瞑想の座に着かせる力があったことは、受講前には想像だにしていなかったことです。

実際のクラスでの瞑想シーン(最終回)

最終回【永遠の真理】でのサーナンダさんは、強力なカルマの中にある我々がヨーガの道を歩もうと思い立ったこと(一年前、第1回【真理】の動画内でおっしゃっていた『発心』)を奇蹟と称されました。
思い返せば、「何のために生きているのか、人生の目的は何なのか」と悩んでいた2年前の私が、インターネットを介してヨーガと出会い、そして今、『真実を悟ること』を人生の目的としてヨーガを実践しているのです。まったく、涙がちょちょ切れるほどの奇蹟です。

さらにサーナンダさんはこうおっしゃいました。「自分自身の中に真実があるということ、自分自身が真実そのものであるということの自覚が少しでも起こったなら、この世の中で何が起ころうと何ひとつ影響を受けない。外の世界に求めるものは何ひとつ無くなる」と。
この世の中で起こることに逐一影響を受け、外の世界に求めるものが百八つある私にとっては耳が痛いところもありますが、この言葉が一層身につまされるような昨今の現状に対して、一年間の動画配信クラスを学び終えた今の私は、淡々と黙々と実践し続けるという態度で応じなければなりません、ヨーギーを目指す者として。

第10回【理想を行動する】の映像で、「志は行動し、実現しなければならない」という言葉が紹介されていました。この1年間で私が最も意識したのも理想についてです。ヨーガに出会えたものの、ヨーガがなかなか深まらないという思いに執らわれていたとき、そもそも自分の理想や志が明確とは言えないことに気付きました。
無知があるからこそ真実を悟ることを目的とするのが道理なのに、その目的たる真実は、無知があるうちはどうしても漠然としたものであり続けるのもまた道理なのです。ヨーガを深めるためには理想を明確にすることが先決なのだと感じました。しかし、理想について考えてみると程なく、理想を明確にするためにはヨーガを深めなければならないとの答えが浮かんできました。…頭の中まで輪廻です。
こうして、結果堂々巡りに終わるような無力な思考に頼っていた今までの傾向は、徐々に力を失っていきました。そして、映像の向こうの現代のヨーガ行者の姿に、思考では結論の出なかった理想の片鱗を見て取り、実践をもってヨーギーを目指すという決意に至ったことが、この1年間における私の中の最も大きな変化なのかなと思います。

曰(いわ)く、この時代の特異性はインターネットとのことですが、そのおかげを蒙(こうむ)って、動画配信という形でヨーガの教えに触れ続けることができた一年間でした。
ありがとうございました。

深水晋治/松山市


何があっても淡々と黙々と!

想いが溢れる。
ヨーガを実践にするにつれ、時に強烈にそれが起こるようになりました。
ヨーガに出会う前は、その時々の感情が昂り、爆発してしまうこともありました。嬉しい、腹立たしい、悲しい・・・種類は違えど、感情が昂っておさまった後に残るのは虚しさが多かったように思います。
今も感情が昂ることがなくなったわけではありませんが、以前のような感覚とは異なる想いが湧いてくることがあります。胸の奥がじーんとするような、それは愛しいような感じもするし、ひと言では言い表せない感じ。その想いがあるだけで揺るぎのない安心を感じるというか。胸の奥から自ずと湧き上がってくるものが、ただ在る、という感覚です。
その想いが強く溢れ出てくるのは、師であるヨギさんのお姿を目の前にしている時。お姿は見えなくてもヨギさんのことを想う時。そして、ともに学び実践しているとグルバイ(兄弟姉妹弟子)と一緒にいる時。

東京では、2月末から新型コロナウイルス感染症の影響で、グルバイと会うこともままならない状況となりました。クラスもなく、こんなにも長く誰とも会えないのは初めてのことです。

また、私は鍼灸師として働いていますが、心身共に不安定になった患者さんと接することが急に多くなりました。こんな時こそぶれないよう淡々と、と意識はしていても、強い不安感に引っ張られそうになる瞬間が度々ありました。

そんな時、受講中の瞑想専科の配信動画を観ました。

2月22日に開催された会員限定瞑想専科のYouTube動画配信クラスの一画面

テーマは「ヨーギーの生き様」。
今回は最初に瞑想だったので、45分間座につきました。
日中だったので周りの音が気になりましたが、ひたすら胸の奥一点に集中するよう努めました。ここしばらく長く座る時間を取れないまま過ごしていたこともあり、落ち着きのない心との格闘が続きました。決して集中できたとはいえない45分間でしたが、自分の中の軸のようなものが一筋通ったような感覚がありました。

瞑想に続いて講座が始まりました。
ヨギさんの教えは比類のない叡智。真理を糧に生き、人を導き救済する。そこから一瞬もぶれない生き方をされている。その生き様を見せてくださっている。私たちはどれだけヨギさんの生き様を感じられているか。
PCの画面越しですが、いろんなものが一気に伝わってきました。
「ヨギさんは、淡々と、黙々と、それを実行され続けている。何が起きてもまったく惑わされず、ただ同じように淡々と黙々と…。」
それを聴いた瞬間、涙がどっと流れました。久しぶりに、大泣きしました。そして自分の中に鬱々と溜まってきたものが何もなくなったと感じました。

白いダリアの花。サハスラーラ・ チャクラのようで、眺めているだけで穏やかになり、胸の奥に集中が起こりました。

ヨギさんは常々時間も空間も関係ないとおっしゃっています。
分かっていても、ヨギさんにお会いする機会がなくなり、クラスなどでグルバイにも会えなくなると、モチベーションを保ち続けるのが厳しくなってきていました。
そんな中、この動画が一気にいろんなものを吹き飛ばしてくれました。
そうして、胸の奥にただ在る感覚が戻ってきました。ヨギさんはいつでもここにいらっしゃってくださること。真理はいつでもここに既に在ること。同じ真理への道を歩んでいるグルバイの存在がいつでも共にあること。想いが溢れて、次の一歩を踏み出す原動力となりました。

この瞬間もヨギさんはヨーギー/ヨーギニーの生き様を見せてくださっています。私たちはどれだけその生き様を感じ取ってそこに迫れるのか。何が起きても、淡々と黙々と。今こんな時だからこそやるべきだし、より集中して迫っていけるのではないでしょうか。

ハルシャニー

*クラス体制の変更に伴い、3/29より東京クラスの Webサイトがリニューアルします。それに合わせて東京ブログメンバーだったハルシャニーとシャルミニーが新たにこちらのブログメンバーに加わります。


ヨーギーさんゆかりの地~福岡探訪~

梅雨入りしてジメジメとした空気が続きますが、心はいつも晴れやかでいたいと思う今日この頃です。

 ところで、ヨーギーさんが幼少時代、福岡市に住まれていたのをご存じでしょうか?

先月の福岡クラスの後、グルバイの綾子さん、岩城さん、わたくしヨーガダンダで、ヨーギーさんがお暮らしになっていた街を探索して参りました!

 この日のヨーガ瞑想クラスは、いつもの会場が使えず千代体育館を使用することになりました。夜勤明けの方や、クラス後に出張で東京に飛ぶ方など、忙しい生活の中で疲れが溜まっておられるようでしたが、アーサナを行なっていくうちにプラーナが蓄えられていって、瞑想時には完全に充電された様子でした。

千代体育館を出ると、辺り一帯は博多祇園山笠の準備で活気に溢れていました。地元民で福岡クラス常連のY子さんが、解説しながら案内してくれました。山大工の方々の話も聞けて、一年に一度のこの祭りにかける意気込みが伝わってきました。

 さて、いよいよヨーギーさん縁の地に向かいます。実は13年前にヨーギーさんが福岡でサットサンガをされたことがあり、その時に同行させていただく機会がありました。畑だった区域は高級住宅街に変貌し、ヨーギーさんの旧住家だった場所には大きなビルが建っていました。今回もその時の記憶を辿りつつ行き着いた先には、13年前と同じ大きなビルが建っていました。

 次にヨーギーさんの母校である高取小学校へ。ヨーギーさんと訪問した折りには、女性の校長先生が応対され、50年ぶりに母校を訪ねられたヨーギーさんに深く感銘を受けたご様子でした。後日、校長先生から送られてきた手紙には、「いじめ、不登校、不祥事・・・・・・と日々の暗い話題の中で、一服の清涼剤のような出来事で、感謝の気持ちで一杯です」、「お話を伺いながら心のやわらかさを感じることができ、徳の高い御方だと確信しました」といった内容が記されていたのです。

さぁ、その校長先生はいるかな??と、おそるおそる職員室を覗くと、「どうされました?!」と若い男性の教員がこわばった表情で尋ねてきました。13年前の出来事を話すと、その若い教員はだんだんと心を開いてこられ、「その年は、私はまだ小学校6年生でしたよ」と笑顔で返してこられました。校長は3~4年の周期で異動するのが通例ということで、ヨーギーさんに感銘を受けた校長先生もすでに高取小学校を異動されていました。

左から、ヨーガダンダ、綾子さん、岩城さん

 もう一人、職員室におられた女性の教員は、「その師匠は本当に愛されている方なんですね!」と、感動した様子。次に、ヨーギーさんが遊ばれていたという紅葉山公園に行くことを伝えると、たまたま自転車で学校を出ようとしている生徒に案内するように頼んでくれ、3人はその子供に連れられた公園へと向かいました。

公園入り口には階段があって、かなりの傾斜を登っていきます。ヨーギーさんの時代にはなかったそうです。

 
頂上はかなり高い位置にあります。小学校低学年の子供にとっては、かなり広大な自然だったことでしょう。


今は舗装されて綺麗に整っていますが、ヨーギーさんが遊んでいた頃はジャングルのように木々が生い茂っていたそうです。

 この広々とした場所に来てみて、子供の頃のヨーギーさんが屈託なく、のびのびと過ごしておられたことを肌で感じました。ヨーギーさんが8才でアートマンの目覚めを体験されるのは、この後京都に引っ越されてからのことです。何の計らいもない、空っぽのような心の状態の時、突然真実の目覚めがやってくると、ヨーギーさんは教えられます。いつでも悟りがやってくるように、子供のような、空っぽの心でいたいとつくづく感じたのでした。

 ヨーガダンダ


その環境に適した人間に生まれ変わる

仕事の帰り、オッチャンに道を聞かれた。オッチャンの一言二言で、その人が関西人であることが分かり、「ごめんなさい。私も関西人なんで分からないです」と言った。オッチャンはまるで相方を見つけたように嬉しそうに目を輝かせて話し始めた。「そうか、関西から来たんか。ここら辺の人はどうや?」と聞いてくるので、「皆いい人ですよ」と答えた。

それを聞いたオッチャンは、「ふーん」と何か言いたげな様子だった。除染の仕事のためにやって来て、浪江は線量が高くて半袖を着られないとか、色んな状況を説明してくれた。そしてその後、「でももう再来月くらいで帰ろうかと思ってる」と力なく言った。「何か問題がありました?」と聞くと、「人間関係や」との返事。オッチャンは東北の人の仕事のやり方が粗くて嫌なのだそうだ。仕事のやり方が合わないと相手の人間性まで否定したくなる。

人間関係。人は、いつでもどこでもこの問題に悩まされる。この地域の看護師の仕事のやり方が雑で合わないとか、看護のレベルが低いと言って怒っていた人、そう言って帰って行った支援の人を私は一体何人見てきただろう。人はどんなに大きな志をもってやって来ても、こんなちっぽけなことで挫折する。ちっぽけだけれど、かなり手ごわい。むしろ情熱が大きければ大きいほど思い通りに行かなかった時の怒りは大きいのかもしれない。私自身も当初はこの地域の人の仕事のやり方や独特の性質に戸惑ったしよく悩んだ。(たぶん外から京都に来た人も京都人の独特の気質に困ってるんだろうなと時々考えるようになった)でも、そのことは今ではほとんど問題ではなくなり、仕事をする上で障害にはなっていない。オッチャンには「地域性もあるかも知れないです。でも、時間が経てば慣れますよ」とたいした助言もできなかった。

ここに私が来た時、最初はただじっと耐えた。毎日言いたいことも怒りたいこともいっぱいあった。でも、きっと周りも私に対して色々思うことはあったはずだ。実際によく周りは私のやり方をじっと見ていたと思う。でも、人間って時間が経てば慣れてくる。ああ、ここはこういう所なんだと知ると受け入れられるようになってくる。もしかしたら、これができるようになったのもヨーガの効果なのかも知れない。執念深かった私は、そういう風に周りをすんなり受け入れることのできる人間ではなかったから。そして慣れると言っても、全くそこに染まって同じようにするわけではない。ただ、正しいからこうしよう、そう思うことがあっても、周りの状況に合わせながら進めていくことが大切なのだとここで学んだ。今こういう状況で自分がどういう立場を求められているのかをいつも考えるようになった。それにしても沈黙と忍耐、私はもっともっとこれが欲しい。

一昨年、私がここに来てから数か月後、ヴィハーラのブログを見てSさんと言う人が連絡をくれた。Sさんも近くの病院に支援看護師としてやってきていた。初めてSさんを見た時、なんて暗そうな人だろうと驚いた(Sさん、ごめんなさい!)。でも話しているうちに、彼女は行動力があってとても頭のいい、自分の意見をしっかり持った人なのだと分かった。そして彼女が直面していたある問題が彼女の精神を疲弊させていたことを知った。外から来た看護師と中の看護師の関係がうまくいかない、外の人間が集まればここの悪口になり、辛いと打ち明けてくれた。そして「違う空気が吸いたかった」と私に連絡をくれた理由を語ってくれた。

一か月後彼女はまた連絡をくれた。「あなたが言ったように、周囲の状況は変わっていくものだと最近思います」そうメールに書かれていた。そんなことを私は言ったのか。食事に誘ってくれて、しばらくぶりに会った時、彼女の表情は変わっていた。

Sさんはその病院のスタッフからはあまり好まれない部署に置かれていたが(優秀な人しか働けない部署ですが)その病院でそれまでで一番長く支援看護師として勤め、期限が来て帰って行った。そして今年から救急医療体制の充実を図ろうとしている福島県内のいわき市にある病院を支援するために就職した。原発近辺の地域は人が流出したが、逆に仙台やいわきなど周りの地区は人口が急増。しかし救急患者を受け入れるいわきの中核病院では医師や看護師の数は減ったため、人口増加に見合う病院の機能が整っていないのだ。「これからの人生を考えると、いわきの病院に行くとしたら、骨を埋める覚悟で行かないといけない」と言って彼女は悩んでいたが、結果的に行くことを決心したようだった。

そういえば、観葉植物界のエキスパートが言っていた。「植物は環境の変化にとても弱いけれど、半年間枯れないで葉を出し続けるとその場の環境に適した植物に生まれ変わる」と。

人間も同じなのだと思った。Sさんは今また新しく生まれ変わろうとしている。あのオッチャンにも是非頑張ってほしいと思う。

ユクティー
SI Exif

 

 

 

 

 

 


アッシジの聖フランチェスコ

この記事を書いている今日は、7月5日です。この日に、どうしてもある聖者のことを書きたかった。アッシジの聖フランチェスコ。今日は、彼の御聖誕日なのです。
フランチェスコ

私がフランチェスコに関心を持ったのは、マザー・テレサが彼の生き方の影響を大きく受けていたからです。マザーは12歳の時にフランチェスコの伝記を読み、胸が震えるほど感動したといいます。そして生涯その感動を胸に留め、彼を敬愛し、自身の修道生活の手本としました。彼が作ったものではないですが、彼の精神を表したとされる「フランチェスコの平和の祈り」。「主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。憎しみあるところに愛を。疑いあるところに信仰を………」という祈祷文、マザーは大好きでミサの後に唱えていたといいます。

フランチェスコといえば、鳥に説教したとか、人食いオオカミと人を和解させたとか、動物の守護聖人としても有名ですが、彼の生き方の軸となるのは、清貧。マザーの創設した修道院「神の愛の宣教者会」のシスターたちは、私たちの想像を遥かに越える、徹底された清貧の生活を送っています。マザーは理想を思いの中だけに留めるのではなく、それを現実に生きたことが今も証明されているのです。

では、どうしてフランチェスコは清貧に生きたのでしょうか。マザーが彼を模範としたように、フランチェスコはイエス・キリストを模範としました。彼は裕福な織物商人の息子として生まれましたが、不思議なことに母ピカは、彼をイエスと同様に家の馬小屋で出産したと伝えられています。青年時代は、散財家で仲間たちと享楽的な生活を送っていましたが、彼に精神的な変革が起こったのは19歳の時。功名心にかられ軍に志願し戦闘に参加した際に、病気になって軍から取り残され、病床で神の声を聞いたのがきっかけだといわれています。それにしても、聖者たちはよく神の声を聞いているのですね。

神は彼に尋ねます。「あなたにもっと恵みを与えるのは主人か、召使いか」「主よ、私に何をさせようとお思いなのですか」と彼が聞くと「家に帰りなさい。そこで何をすべきか教えよう」と神は答えました。アッシジに帰ったフランチェスコは、以前のように自然の美しさを楽しめず、友人との放埓な生活にも虚しさを覚えるようになり、時折籠って瞑想や祈りをするようになったといいます。

そして24歳の時、十字架の前で祈っていると再び神が語りかけてきます。「私の教会を建て直しなさい」。フランチェスコは朽ち果てた教会の修復作業に奔走するようになりますが、父親は息子の行動が理解できず、公衆の面前で勘当を言い渡します。ところが、フランチェスコはその場で着ている服を脱ぎ「すべてをお返しします」と言って父親に差し出し、自分の父は「天の父」だけだとして親子の縁を切ったといいます。その後彼は一人で托鉢をしながら教会の修復とハンセン氏病患者の看護など貧しい人々への奉仕に励みました。また、彼は街頭や広場に立ってキリストの教えを説き始めます。

このように彼が清貧に生きることを決意させたのは、イエス・キリストが12人の弟子たちを宣教に派遣する際に清貧を説いた「マタイによる福音書10章」の説教を聞いたことが転機になったといわれています。イエスはその中でこう教えています。「行って『神の国が近づいた』と伝えなさい。あなた方がただで受け取ったものはただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も入れて行ってはならない。旅のための袋も替えの衣も履物も杖も、持って行ってはならない」と。ただちにフランチェスコは履物を脱いで裸足となり、革のベルトを捨てて縄を腰に巻きました。次第に彼に共感した人々が彼の元に集まり、彼らは「小さき兄弟団」として活動していくようになります。

フランチェスコは福音書でイエスが命じていることをそのまま実行し、イエスの生活を完全に模倣しようとしました。まさに「裸のキリストに裸で従った」のです。今、私たちは、彼があのような生き方を実践できたのは、あの時代だったからだと言うかもしれない。でも、本当にあの時代あの生き方が実践しやすい世の中だったかと言えば、決してそうではありません。

フランチェスコが生きた時代、聖職者や修道士が托鉢をしたり、司祭職の権限を持たない者が説教を行うことは禁止されていました。そして実際に、周りは彼を色物扱いしていました。フランチェスコが教皇に活動の許可を求めるためローマを訪れた時も、一切を所有しないという清貧や托鉢、宣教活動は異端として危険視され、実践困難だと枢機卿(すうききょう:カトリック教会で、ローマ教皇に次ぐ高位聖職者)たちは認可に難色を示したといいます。しかし、ある一人の枢機卿が言った一言ですべてが覆ります。「そのような理由ではねつけたなら、福音が実践不可能であるということになります。そうなれば、福音をお与えになったキリストを冒涜することにもなるのではないでしょうか」と。

イエス、ブッダ、ラーマクリシュナ、神の化身はただ夢や理想を語っているのではない。私たちに現実に教えを生きよと語りかけているのです。そしてその教えをそのままに生きようとした聖者の一人がフランチェスコなのです。聖職者たちが困惑するほど、彼は素直にイエスの生きたままを生きようとしていたのです。

この素直さ、ヨーガの聖者ナーグ・マハシャヤとかアドブターナンダとかにも通じるものがある…。ヨギさんも、弟子は素直、単純であることが大切だと言われます。ただイエスを愛しイエスになろうとしたフランチェスコ。彼のひたむきさ、素直さと一つになりたい。

ユクティー