投稿者「MYMメンバー」のアーカイブ

ヨーガの実践 「一切は神」

春がきましたね。

でも美しい桜ももう散ってしまいました。早いですね。私はすぐに散ってしまう桜に、潔さ(ルビ:いさぎよさ)みたいなものを感じますが、皆さんは何を感じられますか?

うちの近所には桜の名所の平野神社があります。桜の時期には、本当にたくさんの人が詣でてお参りをしています。プラナヴァ・サーラの本の中で、師が神道について述べられているところがあって、日本古来の宗教は神道であるが、そこに哲学はないものの「一切は神である」という考えを持っていると書かれてありました。神社には祀られているものは何もなく、胴でできた大きな鏡だけが上に懸けられています。ある人が質問の中で、「日本人は、鏡に映った自分に手を合わせているのですね」と言った言葉が強く印象に残ったことを覚えています。

私の父は長い間、客船の船長をしていました。父は泳ぎができないので、「船が沈んで、死んだら終わり」といつも言っていました。その父からこんな話を聞いたことがあります。航行をしていると、時々海に浮かんでいる死体と出くわすことがあるそうです。いろんな理由があるのでしょうね……。

それを見つけた船乗りたちは、

「この木にすがれ」

と言いながら、その死体に向かって木や板を投げるのだそうです。
いったい誰がその木にすがるのでしょうか?私は、その話を聞いて涙が出そうになりました。

「お父さんも、死なないものがあること本当は知っているくせに、忘れているだけなんだよね」

と思いました。日本人の美しい魂に触れたような気がしました。

ヨーガではこの心も身体も自分ではない、その奥にある純粋な意識、それこそが本当の自分であると教えられます。純粋な意識とは、真理とか、真実とか、神とか、アートマンとか、いろんな言葉で表現されています。

師は説かれます。

「絶対不滅の存在、純粋意識、それがあなたの真の自己です」

「真実は一つしかありません。それこそがリアリティです。別名、神ともいう」

 この心や身体が私たちであるなら、なんとこの世は不幸で不平等なのでしょう。
この教えは、私にとって本当に生きる支えです。人間はこの真実を本当は知っているのだと思います。ただ忘れているだけなんですよね。

ヨーガは、自分の中にあるいろんな謎を解きながら、真実を明らかにしていく道です。真実を思い出していく道です。懐かしい故郷に帰るようなものですよね。

面白そうでしょう? ぜひ一緒に懐かしい故郷に帰りましょう。

ダルミニー


ヨーガの実践 「ヨーガ・アーサナ」

皆さん、こんにちは ダルミニーです。
今日、ご紹介するのは「ヴリクシャ・アーサナ」立木のポーズです。簡単なポーズなのですが、ものすごく集中力がいります。何に集中するのか、真っ直ぐに立ち続けるということ、それだけなのですが、結構難しいですよね。

立木のポーズ
大切な要領は二つあります。それは軸足の親指に重心を置き、視線を前方の一点に固定させるということです。この要領と集中によって、手足を移動する際にも真っ直ぐに立ち続けることができます。やってみてください。

視線はどのアーサナにおいても、とても重要です。船でいうところの舵と同じ働きがあって、身体を曲げたり、反ったり、伸ばしたりしますが、その身体を一定の方向に進ませ、深める役割を果たします。

日常の中でも視線は大切ですよね。私たちは視線の先に何を見ているのでしょうか。自分に正直に真っ直ぐ前を向いて、目標を定めてしっかりと生きていきたいものです。

ヨーガは、私たちが何のために生きているのか、そのことを教えてくれます。アーサナも日常も、真剣に、悔いのないよう、やりきりたいものですね。

またクラスでお会いしましょう。

 ダルミニー


次の瞬間に死んでもいいという生き方3

昨日の夜勤で、ある患者さんの家族に伝えました。「主治医も言った通り状態はとても悪く、意識がなくなってきています。今日、もしかしたら夜中にということもあります。何かあれば連絡します」。バッドニュースって、とかく遠回しに伝えがちですが、あまり伝え方に神経質になるときちんと伝わらず、死が近いことを家族が実感しにくくなってしまう。でも、うちの病棟の患者さん家族は、頻繁に足を運ばれる方も結構おられ、本人の様子から気づかれることも多いのです。今日はいつもと違うと。

本人はというと、ほとんど話すこともできないその人は、スタッフが近づくとものすごい苦痛の表情を浮かべていましたが、意識レベルの低下に伴い、それも見られなくなっていきました。一般の病院で入院している人は、とても忙しい。やれ痰の吸引だ、オムツ交換だ、床ずれの処置だ、点滴の針の差し替えだ、とスタッフが代わる代わるやってきてはそれぞれの業務をこなしていきます。その処置の多くが苦痛を伴います。患者さんはただじっと耐えるだけです。ほとんど処置のない人は別ですが、私が患者さんの表情で最もよく思い浮かべるのは苦痛に満ちた表情です。何もできない自分に対する情けなさ、さまざまな苦痛に耐え続けなければならないやり切れなさ、死ぬ事もできない苦悩が、その表情から感じられます。

理想的な死を迎えることは、どう生きるかということと深く関係しているといわれます。つまり、どう生きたかで満足感に包まれて死ねるかどうかが決まるということです。多くの研究で、その生き方に共通する結果が残されています。その一つは他者のために生きるということです。最期をそのように生き抜くことが出来た時、たとえ死が迫りくる中でも、人は生きがいを持てるといいます。では、上に書いたような患者さんはどうしたらいいのか。その人が生き続けること自体、存在そのものが家族のためになるという考えもあります。確かにそうだと思いますが、本人の苦痛を考えれば、特に入院が長期にわたると残酷な気もします。

聖書やコーランなど、多くの宗教書は死後の生命について述べられ、世界各地の埋葬礼儀も、来生を前提として行われるものがたくさんあると聞きます。死んだ後も自分の霊魂は生き続けると信じることは、その人に希望を与え死への不安が軽減されることに繋がるといわれる。でも、そこで論じられているのは、それを信じるかどうかという問題です。なぜなら、それを証明できる人がいないからです。誰も永遠の生命があるかどうかを知らないからです。たとえそれが真実ではなかったとしても、それを信じることによって希望を持ったまま死んでいけるなら、その人に不利益はないわけです。だから、信じるということに懸けるのです。

私たちのヨーガの先生は、それは真実であり、生きながらにして実現できるのだと言われます。本当の自分は滅びゆく体ではなく、移ろいやすい心でもなく、心の奥にある永遠の存在である、そのことを自分で証明することこそ、私たちが生まれた本当の目的であると。そしてヨーガはそれを実現するための方法を教えてくれます。

もし死に近づいている人が、真実を知る人に出会い、残された時間をその実現に向けてひたすら努力することができるなら、その人の最期はどうなるでしょう。もし達成されないままに命が尽きたとしても、たとえ誰にも看取られずにたった一人で死んでいったとしても、他のどんな生き方を選ぶより満足して死んでいくに違いない。もう、満足かどうかなど問題ではなくなるかもしれない。そして死ぬ間際にこう願うはずです。必ず、また次の生も出会えますようにと。

どんなに苦しい時も真実をひたすら求め、心は晴れ渡る青空のようでいたいと思います

どんなに苦しい時も真実をひたすら求め、心は晴れ渡る青空のようでいたいと思います

 そしてさらにつづく


4年が経ちました

2011年3月11日午後2時46分18秒、死者数約15800人、行方不明者数2590人、大惨事を引き起こした東日本大震災から4年が経ちました。ここ福島では帰還困難区域の整備の遅れ、東電の補償問題、被災地に住む人たちの高齢化の急激な加速、仮設住宅の孤独死、風評被害による企業の経営危機…などなど、色々な問題が山積みですが、それでも少しずつ復興に向けて進んでいることもあります。

今月の1日、常磐道自動車道が全面開通しました、常磐自動車道というのは、埼玉と仙台を結ぶ高速道路です。これによって首都圏と東北の行き来が容易になりました。この道は東日本大震災の原発事故で工事は中断し、三年遅れで計画から約50年をかけてようやく完成となりました。この道路については、人の往来が活発化し地域の活性化につながるという希望的見方がある一方、立ち入りさえ禁止されている帰還困難区域や自由に入れるが住むことができない居住制限区域を通り、最も原発に近い所では、約6キロの場所を通るため、その安全性が疑問視されています。このような区域の料金所には線量をモニタリングする電子ボードがあり、今のところその線量は国が規定する値を下回っているようですが、被爆の危険を心配し安全のためなら遠回りする方がいいという意見もあるようです。また、いずれこの道は、放射性物質に汚染された土の中間貯蔵施設予定地の双葉、大熊両町にも繋げられ、その搬入路としての大切な役割を担うだろうとされています。

私個人としては、結構喜んでいます。なぜなら、ここから東京まで一本道、車で行けるようになるからです。あとは、私の運転能力だけです…。ふふっ。東京も賑わってきたみたいですし、もっと運転頑張ります。

話は当時のことに戻ります。この二年間、一緒に働くスタッフから何度も何度も震災の時の出来事について話を聞いてきました。私はインドにいたので、当時のことはコルカタで見たテレビのニュースで知ったことがほとんどです。スタッフの話の多くは、メディアでは知ることができない個人的なことや病院のこと、この地域周辺のことです。今日はその中のほんの少しですが、ここであった当時の出来事をお伝えしたいと思います。

私の職場は原発から25キロの所にあります。震災後、次々と職員はここを離れていきました。気づけば、それまでの3分の1になっていたといいます。でも、入院患者さんはいるので、残った職員で患者さんの命を守り続けないといけない。いなくなった給食調理人さんの代わりに事務の人たちが残されたレシピを見ながら患者さんの食事を作り、看護師に代わって食事介助をしました。震災後原発事故の影響でここには一か月ほど自衛隊すら来なかったため、食材が手に入らず、日に日に給食の種類も量も減っていったといいます。いつか患者さんは飢えて死ぬんじゃないだろうか、みんなそう思ったそうです。(でも、糖尿病患者さんは逆に病気が良くなったらしい…。やっぱり現代人って食べ過ぎなんだなあ。)

師長の責任を果たすことは、とても厳しい任務を引き受けることでもあります。ある病棟の師長さんは、子どもが津波で流されました。でも、それを悲しむ暇もなく時間を問わず患者さんと病院のために働き続けました。彼女の家族も総出で病院の仕事を手伝ったといいます。

病院は3月19日、患者さんを県外の病院や施設に避難させるためバスで移動させました。それまでに患者さんそれぞれの荷物をまとめ、すぐにバスに積めるよう、少ない職員で夜勤も日勤も関係なく働き続けたそうです。でも、ずっと寝たきり状態だった患者さんが普通のバスに何時間も乗ることには耐えられません。バスの中で急変し亡くなった方もいたそうです。

行政も住民を避難させるために不眠不休で働いたといいます。バスを用意して地域住民を移動させようとしました。ある日、町の放送でこう聞かされたそうです。○月○日最後のバスが出ます。このバスに乗るかどうかは各自で決めてください。もし乗らない場合、個人の責任で避難してもらうことになりますが、その場合補償は出ませんと。でも、最後のバスが出るその日、まだ病院に患者さんはいたのです。職員は悩みました。去るべきか、止まるべきか。3月19日すべての患者さんの移動が終わると、残ったスタッフが集められ、院長から病院を一旦閉めることが伝えられました。再開は保障できないので、他で働いてもいい、でも再開した時には、できたらまた戻って来て欲しいと言われたそうです。このことを話してくれたスタッフは、その後もすぐには避難せずここに住み続けました。他の店も会社も閉まっているので、どこかで働くこともできない。放射線量が高いから外に出るなと言われる。ごみの収集もなかったため、町はゴミだらけだったといいます。

こうして守り続けてくれた人がいるから、今も病院は存続し地域の人が医療を受け続けることができる。そして私の働く場がある。今彼女たちはあの時の地震の揺れさえ笑って話してくれるけれど、多くのストレスを自分で克服してきたことがその様子から感じられます。ここの未来はおそらくまだたくさんの困難が待っているに違いない。でも私が二年ここで過ごして感じることは、たとえ現実が思いのままにいかず重く苦しかったとしても、その現実に踏みとどまり忠実に生きようとする時、それを生き抜く力が与えられるということです。

今日はそれぞれがあの震災に向き合う日です。私は仕事ですが、2時46分には職員みんなで黙とうを捧げます。震災によって犠牲となられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

「ここからいわき方面を走る常磐線は寸断されたままです。開通は2017年だそうです」

「ここからいわき方面を走る常磐線は寸断されたままです。開通は2017年だそうです」

ユクティー

 


それぞれにとっての宗教

前回書いた東洋文庫ミュージアムのイスラーム展では、ヨーロッパ言語に訳された『コーラン』も展示されています。それを翻訳した東洋学者さんについても説明されていました。1764年英語に訳したジョージ・セイル、1949年フランス語に訳したレギ・ブラシェール、1888年ドイツ語にはテオドール・ネルデケ。それぞれ学術的にとても高い評価を受けているそうです。日本語訳で初めて出版された『コーラン』は1920年で歴史家の坂本健一さんという方が訳されたみたいです。

イスラームを研究したヨーロッパの学者さんたちは、それぞれの宗教を信仰していました。イスラームに造詣が深かったからと言って、イスラーム教にみんな改宗したわけではなかった。イギリスのジョージ・セイルなんかは、イスラームに対する見方はとても厳しく、自分が信じるキリスト教と同価値であるとはみなしていなかったそうです。でも、彼らはイスラームの研究に対する情熱を持ちながら、どうして自らの宗教を変えることはなかったのでしょうか。自分の信じるもの以外にどうしてあれだけの情熱を注ぐことができたのでしょうか。もしかしたら、自分の宗教とイスラーム教が最終的には同じところに辿り着くことを証明したかったのかも知れない。真実は分からないけれど、私は彼らについての説明を読みながら、じっとマザー・テレサのことを考えていました。

マザーの施設の中で最も有名なニルマルヒリダイ(Nirmal Hriday)というホスピスがあります。日本語では「死を待つ人々の家」と訳されていますが、ヒンディー語で「聖母の汚れなき御心」という意味です。路上から瀕死の状態で運ばれてくる人たちは、まず名前と宗教を聞かれます。イスラーム教の信者には臨終の際にシスターがコーランを唱えて聞かせるなど、それぞれの宗教の教義を尊重した看取り方、埋葬の方法を行っています。

マザーはカソリックのシスターなので、きっとキリスト教を普及させたいだろうと思うのが当然かもしれません。でも、彼女は一人の人間にとっての宗教とは、人が関与できる問題ではなく、人知を超えた神とその人との関係であると考えていました。彼女は、自分が神を礼拝するために選んだ宗教はカソリックであり、これは神が自分に与えてくださった最高の贈り物であるけれど、それを誰かに自分が与えられるものではないと、ある手紙に書いています。また、もし人がある宗教を信じるなら、それは疑いなく100%信じられるものでなくてはならない、もし少しでも疑いがあるなら、それはその人に与えられた神に至るための本当の道ではない、また別の道を探さなくてはならないのだとも語っていたそうです。

非常に熱心なキリスト教信者の中には、彼女のこういった態度について、キリスト教の布教と改宗に積極的でないと批判する人もいたそうなんですね。このような批判を聞いてマザーはこう言いました。

「I do convert. I convert you to be better Hindu, a better Catholic , a better Muslim , or Jain or Buddhist . I would like to help you to find God. 」

改宗させましょう。あなたを良いヒンドゥー教徒に、良いカソリック信者に、良いイスラーム教徒に、ジャイナ教徒にも仏教徒にも改宗させましょう。私はあなたが神を見い出すのを助けたいのです。

宗教の違いを超えて誰かを神に近づけることができる人、それが真の信仰者なのだと彼女はいつも教えてくれます。

東洋文庫ミュージアムの一階オリエントホール、東洋文庫さんのブログの写真からお借りしました

東洋文庫ミュージアムの一階オリエントホール、東洋文庫さんのブログの写真からお借りしました

ユクティー


もっと知りたくなったイスラーム展

今日はこの間の続きではなく、先週東京に行った時のことを書きます。東京には研修で行ったのですが、帰りに近くの東洋文庫ミュージアム(文京区)で開催していた「もっと知りたいイスラーム展」を見に行きました。ここは、アジアの歴史や文化に関する東洋文学の研究図書館(東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館であり、世界5大東洋学研究図書館の一つ)である東洋文庫さんが開設された博物館です。建物はとてもシンプルなんですけど、中に入ると見る人が展示の世界に引き込まれ、そこに静かに浸っていられるような空間を提供してくれます。そして展示の内容も魅力的です。今回は話題のイスラームについて。イスラームの誕生から預言者の意味、歴史や宗派生活規範、イスラーム原理主義にいたるまで、様々なことが書物や絵などを用いながら説明されています。日本との関係も。日本にイスラーム世界の情報が入ってきたのは19世紀以降ですが、西アジアとの交流は600年代の書物からも断片的ではありますが見出せるそうです。室町時代には、相国寺の僧侶が中国から連れてきたアラブ人が京都に住んでいたという記録も残っているとか。

そして何と言っても今回私の心を打ったのは、イスラーム教の聖典『コーラン』です。より正確には「クルアーン」と発音するそうですが、14世紀に現在のシリアで書写されたアラビア語の『コーラン』が展示されていて、それが本当に美しい!!でも、それにも増して美しいのが(私の個人的な印象です)、ペルシャ語の『コーラン』です。ガラスにへばりついて見てしまいます。文字ってあんなに綺麗なものなんですか⁉でも、『コーラン』は預言者ムハンマドに授けられた唯一の神アッラーの言葉(啓示)をまとめたものであり、その預言はアラビア語で授けられたため、神の言葉を置き換えるなどということは許されず、『コーラン』をアラビア語以外に翻訳するということは長らく禁じられていたそうです。今ではできるようになりましたが、それでも「アラビア語以外の言語で書かれたものはコーランとはいえない」という考えは変わらず、他の言語で書かれたものは『コーラン』そのものではなく、「コーランの注釈書」とみなされているようです。『コーラン』とはアラビア語で「誦まれるべきもの」という意味であり、礼拝の時にはアラブ圏以外のイスラーム国の人々も暗記したアラビア語のものを暗誦するそうです。しかし、文字があんなに美しいと感じたのは生まれて初めてでした。きっとアラビア語やペルシャ語の文字が美しいのでしょうが、各節の区切りを示す金色の花や、発音の注意点を書き加えた赤い記号もまた、『コーラン』の美しさをより際立たせているのではないかと思えます。

イスラームとは、神に帰依するという意味のアラビア語だそうです。『コーラン』の中にはどんなことが書かれているかはよく知らないのですが、神を求めた人たちがイスラームによって神に至る道を見い出し、それを守り伝えようとした、そんな彼らのひたむきな思いに触れ、共に神に向かいたいという気持ちが掻き立てられました。

近くに行かれた際には、足を運んでみてくださいね。

イスラム展

ユクティー


ヨーガの実践「他者だけのために行為する」

皆さん、こんにちは、ダルミニーです。

先日職場で、上司から注意を受けました。

「もっと相手の立場に立って、仕事をするように」

なんということでしょう。このエゴと無知を無くすためヨーガを実践しているはずなのに、相手の立場に立って仕事をするように心掛けていたはずなのに、この言葉は私の師からいただいた教えのように私の心に響きました。

エゴとは自分中心に物事を考えることです。自分がいちばん心地良いように行為することです。無知とは以前にも言いましたが、この世の中に対する誤った見方です。永遠でないものに永遠を見ること、浄らかでないものに浄を見ること、幸福でないものに幸福を見ること、私でないものに私を見ることです。

私は素直に反省し、今後も気を付けますと伝えました。すると上司は言いました。

「これはとてもいいことなのだ。これを機会に改善できればいいことだし、これはあなただけのことではなくて、みんなの意識がもっと高くなっていってくれれば嬉しい」

なんと、これも私の師から教えられたような気がしました。それから上司は引き続き、

「あんまり相手の言うことを聞きすぎると、大変なことになることもあるから、その点は注意して」

なんとも、そのへんの境界が難しいものです。しかしインドの聖者の方々は、一切の自分というものを無くして、他者だけのために行為されています。本当に高い境地におられるのですね。自分というエゴ意識が全くない状態、それが本来の理想の人間の姿なのでしょう。

『ヨーガ・スートラ』に「心の作用を止滅することがヨーガである」とあります。心はいつも外界の刺激にさらされて、ああでもない、こうでもないと右往左往しています。そしてこの心と身体を私だと思い、その私を満足させるために心を働かせています。心の作用を止滅させるということは、そういった心の動揺を少しずつ静めていって、そうして不動の状態に留めておこうとするものです。

しかしそれは並大抵のことではありません。私たちは本当に大きな仕事に立ち向かっています。この困難な仕事を推し進めるためには、日々の実践と大いなるものへの憧れ、具体的に思い描く理想の姿への憧れが大切なのだと思いました。どうありたいのか、どうなりたいのか、自分の未来の具体的な姿をイメージし、その姿に近づいていけるよう努力することが大切なのだと思いました。

その話のあとには続きがあります。私はその日、上司から注意を受けたのでちょっと元気がありませんでした。しかしその夜、私は大いに人から感謝される夢を見たのです。

師から、「この世の出来事は夢のようなもの、早く夢から覚めなさい」と教えられています。全く真反対のその夢を見た時、本当は何が現実なのだろうと思いました。本当のこと、真実ってどこにあるのだろうと思いました。でもその時に一条の光のように差し込んでくるのが師のお言葉です。

「誰もの中に真実があります。それこそがリアリティです」

師の教え、ヨーガの教えが私の生きる支えです。今日もまたむくむくと勇気がわき起こり、本当の自分、真実のために生きて行こうと元気いっぱいになる私なのでした。

みなさん、日々お仕事大変でしょう。ご苦労様です。日常生活の中にこそ、ヨーガを実践する場所があります。ヨーガの教えにそって日々の生活を送ることこそが、この世間という大海の荒波を渡っていく大切な智慧と力になります。ヨーガという大船に乗って、みんなでこの大海を渡りきりましょう。

またクラスに来てくださいね。待っています。

 ダルミニー


次の瞬間に死んでもいいという生き方

死をなぜ、どのようにして受け入れ始めるのか。私の経験をもとに書いていきたいと思います。それは、症状が進むにつれ、死が近いことを見せつけられるからです。どれほど否定しても、心で誤魔化して死を見ることから目を逸らそうとしても、それが簡単に打ち砕かれるほどの現実を突きつけられるからです。簡単に言えば、症状の悪化を日に日に感じるようになるということであり、それに耐えきれないようになっていくということです。それは、死を自ら受け入れるというよりも、有無をいわせず、手の中に投げ込まれるという感じです。もう、どこにも逃げられない、そう思った時、絶望という鉛のように重く、黒い闇が自分の心を支配するようになります。それとともに、この状況はどんなに近しい、自分を愛してくれる家族や友人であっても、誰も助けることはできないということ、例えたくさんの人に看取られたとしても、現実に死を迎えるのは自分だけであり、孤独の中で死ぬしかないのだということを痛感させられるのです。

だから、死に抵抗しようとする無駄な心は、剥がれ落ちるように離れていきます。諦めですね。完全に諦め切れるということは、無いのかも知れませんが、少しずつ、現実の進行と共に、心もそれに付いていくようになります。まだ、自分にはやり残したことがあり、それが達成できない悔しさがあるかも知れない。自分が去ることで、この世に残していく愛する人を不憫に思う悲しみが死の受け入れを阻むかも知れない。でも、死は、そんなものはいとも簡単に打ち壊してしまいます。

そして神は、死を前にした私たちの内に、熱心な問いかけが生まれるのを待っているのです。なぜ自分がこの世に生まれたのか、なぜこうして死んでいかなければならないのか、という普遍的な問いかけを。この神秘的な、でも人として生まれてきた根本的な問題について、私たちは自分の力だけで本当の答えを見つけ出すことは難しいのです。でも、もしその探求が自分の命を捨てるほどに熱心になされるなら、死という運命すら変えてしまうかも知れない。死を前にして命を捨てるというのも不思議ですが、実は、この人間的探究がもたらす力というものは、私たちの想像をはるかに越えるものがあるのです。

それで、次の瞬間に死んでもいいという生き方ですが、この人間的探究から始まります。本当は、死が差し迫ってからそれを始めても、その生で答えを見つけるために与えられた時間は、とても短いということになります。だから、私たちは、常日頃からその探求に力を注がなければならない。

イエス・キリストはこう言っています。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」。神という言葉が出てきますが、これは、真理を、命を、生きるということの本質を探究することであり、「何よりもまず」というのは、すべてのことにおいて絶対優先ということです。イエスはさらに「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい」「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい」とまで言っている。とても極端な例えに思えますが、命を懸けて、まさに与えられた時間と力をすべてこの探究に注ぎ込みなさいと教えているのです。他に長い例え話で説教している場面もあります。彼がどれほどそのことを弟子たちに伝えようとしていたか、よく分かると思います。

そして、もう一つ必要なのは、探究するための方法です。それは、終末期にある人に対しても、死と対峙する恐怖に手を差し伸べてくれるものとなるのです。

 

またまた長くなったので続く

ユクティー


「新訳 ラーマーヤナ」

皆さん、こんにちは、ダルミニーです。

さてダシャラタ王がカイケーイー王妃と交わした二つの約束のことを聞いたラーマは素直に、父王の約束を果たすため、王妃の願いを叶えるために、シータとラクシュマナを連れて森へ旅立ってしまいました。ラーマがいなければ生きてはいけないダシャラタ王は、愛する息子を見捨て追放したこと、また離ればなれになってしまう悲しさに心を痛め、ラーマの名前を呼びながら死んでしまいます。

その頃、シャトルグナと一緒に伯父さんの家にいたバラタは、さまざまな不吉な夢を見て誰かが死んだのではないかと非情な恐怖を感じていました。そこへ、アヨーディヤーから迎えの使者が到着します。七晩かけてアヨーディヤーについたバラタは、人影のない灰色に沈んだ都を見るのです。

バラタは自分の母カイケーイー妃から、父王の死とラーマたちが追放されたことを聞いて苦悩にさいなまれます。バラタは、二人の母の苦しみやすべての人の悲しみを思って泣き、カイケーイー妃を非難します。「涙に声をつまらせた市民ににらまれた時、私はあなたの犯した罪に耐えることができません。友人、親族が頼りにしているのは長兄ラーマであることを、あなたは知っているはずだ」と。

そしてバラタを王位につけようと協議する人々に言います。

「王位は長子が相続するというのが、わが王家の永遠の慣習である。だから、あなたたち老練な方々は、私に王位につけと、そのようなことを言ってはならぬ。むしろ私が森に十四年間住むことにしよう。私は長兄ラーマを森から連れ戻そう」

バラタは軍隊を引き連れて森にラーマを迎えに行き、アヨーディヤーに帰って来てくれるよう懇願します。しかしラーマは聞き入れてくれません。

「父王の幸福を願うならばラーマの言葉を受け入れよ。智慧ある顧問達と共に審議して業務を実行せよ。母君がそなたのために成されたことを怨みに思ってはいけない」とバラタを諭します。

バラタは泣く泣く、ラーマの黄金の飾りのついた履き物を頭に載せ、都に帰るのです。このときのバラタのことを思うと涙が出て仕方がありません。いつも優しく兄弟たちにも親切で、大好きだったお兄さん、どんなにかバラタはラーマに帰ってきて欲しかったことでしょう。どんなにかラーマと一緒に、また王宮で暮らしたかったことでしょう。それもこれも、みんな自分の母親のせいなのです。バラタは子供の頃から、長兄のラーマが当然王位に就くものだと信じていたのです。これからは自分が、父王やラーマの代りに仕事をしなければなりません。どんなにか不安だったことでしょう。でも愛する兄さんであるラーマの言いつけにバラタが背くはずもありません。ラーマを尊敬しているバラタは、都に帰ってから王宮を出て、ナンディグラーマ村に行きました。そこでバラタは、ラーマと同じように樹皮の衣、結髪をつけて、敷草の上で寝て、果実や根菜を食べ、十四年間、ラーマの履き物に一切の法令を報告して決定し、いつも履き物を頼りにして政治を行なったのでした。バラタは、ラーマと別れるときにこう告げます。

「十四年の月日が満ちた時に、もし私があなたに会えない時は、私は火に身を投じます」

悲しみにくれるバラタにラーマは優しく「そうしよう」と約束し、愛情深く抱きしめます。

バラタは幾晩涙で枕を濡らしたことでしょうか。愛するラーマ、ラーマを頼りとして今までも生きてきたのです。それなのに、自分のためにラーマは森に追放されたのです。バラタはラーマを人間とは思っていません。神だと知っているからこそ、よけい辛かったと思います。バラタを思う時、そのバラタの苦しみが乗り移ったかのようになって悲しくなります。バラタの十四年間は苦悩に堪え忍ぶ十四年間だったと思います。ただラーマの帰りを待ちわび、それまでの間、りっぱにラーマの代りにアヨーディヤーを守ろうと、ただそれだけを思い、仕事に専念していたのだと思います。バラタは宣言します。

「この王国アヨーディヤーを象徴する尊い履き物、この委託物をラーマに返還した時、私は罪なきものとなるのだ」

ラクシュマナのようにラーマと共に行動し、献身するものもあれば、バラタのように遠く離れたところから、常にラーマを慕い、ラーマのためだけに生き、献身する姿もあります。

私は、バラタから、ラーマへの一途な愛と献身を感じました。神への、存在への、真実への愛と信仰です。ヨーガでは、真実に対する揺るぎない信頼、信仰というものを必要とします。それは自分自身が神である。全てのものが神である。その神、存在に献身し奉仕せよというものです。私たちは幾度となく、師からそのことを教えていただいています。ヨーガは神なる自分、存在、真実、ただそれだけ、ただそれだけを信頼して生きていくようにと教えてくれているのです。揺るぎない信仰が、本物の献身へと私たちを導いてくれるのだと思います。

ラーマーヤナには、たくさんの献身者、バクタたちが登場します。それぞれがそれぞれの場所で、精一杯の奉仕と献身をラーマに捧げます。そのバクタたちが、いっそう神を際だたせ、輝かせるのです。その一途な愛と献身に強い憧れと尊敬を覚え、自分もそうありたいと願うのです。

ジャイ シュリー ラーマ  ジャイ シュリー バラタ

ラーマーヤナ

 ダルミニー


次の瞬間に死んでもいいという生き方

この間は年末のことについて書きましたが、今日は年始のことについて書きたいと思います。みなさんはお正月、家族や親戚の方たちと賑やかに過ごされたのでしょうか。私は、元旦から仕事でした。正月だからって患者さんはおられるので、休むわけにはいきません。そして、死は正月だからって遅れてきてはくれないんですよね。元旦から急死、急変、看取り、さまざまなことがありました。年末年始に亡くなる人って、結構多いんです。

その日、私はサブリーダーといって、患者さんを担当しているスタッフの補佐をする役割でした。血圧を測ったり、医師の指示を聞いて書類を作成したり(これがまた都会のようにパソコン一つですべて処理できるのと違ってやり方がアナログ!すごい面倒×××)、薬を準備したり、医師の処置の介助をしたり、やることが多くて結構スピードが問われます。

うちの病棟にMさんという高齢の男性患者さんがおられまして、朝9時過ぎに私が血圧を測りに部屋に入ると、「おぉっ!下顎呼吸になっている!」。これは、死が近い兆候です。死の間際に置かれた患者さんは、血圧が低下した後、胸郭を使った呼吸から下顎を使った呼吸に変わり、呼吸回数が極端に減少します。その後、心拍数が低下し始めます。もともとMさんの状態は良くはなかったのですが、これは明らかに家族や主治医を呼ばないといけないレベル。そんな申し送りもなかったので、慌てて大声でスタッフを呼びました。でも…、あれれ?誰も来ない…。ここにはスタッフコールとか、病院なら普通にある気の利いた設備がありません。(注:スタッフコールとは、緊急事態にスタッフが他のスタッフを呼ぶコールで、患者が押すナースコールとは別にある)。仕方なくナースコールを押してみた。うぅっ!誰も出ない…。なんでやねん!(←つっこみではない)。本当はこういう場合、患者から離れてはいけないんですが、仕方なくあたふたと部屋のドアを開けに行って、大声で人を呼びました。それで何とか、その日のMさんの担当看護師と二人で看取る体制を整えたんです。

でも結局、家族が到着する前にMさんの心臓は止まってしまったんですね。亡くなったのは、私が発見してから30分後のことでした。家族はすごく悲しまれていました。毎日病院に来ては食事介助したり優しく話しかけたりされるような熱心な家族でしたから、見ていられないくらい泣いておられました。Mさんにはとてもしっかりしたお孫さんがおられて、その方が詰所に来て言われたんですね。まったく何の準備もできていないので、しばらく置いておいて欲しいと。Mさんが亡くなることを家族は誰も想像してなかったということなんです。師長が15時までならということで許可したのですが、急死ならともかく、Mさんは長い間重症の肺炎を患っていて、ずっと治療してきたし、何度も主治医から覚悟するようにと言われてきたんですよね。なのに死ぬと思っていなかったって…とスタッフはみんな驚いていました。

でも、きっと人間って皆そうなんですね。特にMさんのように何度も肺炎にかかり、何度も死ぬような状況を乗り越えてくると、また今度も大丈夫だろうと思ってしまう。いつか医者のいうこともお決まり文句だくらいに思ってしまって、死が間近に迫っているという実感がわかなくなっていく。

Mさんの家族を見て、あぁ、私もそうなんだなと思いました。私だって明日死ぬなんて思ってもいないけど、そうならないとは限らない。いつか自分が、身近な人が死ぬという実感がない。どれほどたくさんの患者さんを看取ったとしても、その経験によって自分の死を実感することはないんです。

そんなことを感じながら思い出すのは、やはり聖者たちの言葉です。聖者たちの言葉を見ますと、一瞬一瞬を、その時その時を生きなさいというのをよく目にします。聖者たちがそのように生きたということですね。私たちのヨーガの先生も言われます。次の瞬間に死んでもいいという生き方をしなさいと。では、次の瞬間に死を感じれば、そういう生き方ができるかと言えば、そうではないです。次の瞬間に死ぬって感覚、本当に私たちは持つことができるのでしょうか。

私は過去に自分の死を予感したことがあります。私の場合は病気でしたが、症状が日に日に重くなり、死を自ら感じるというより、いくら拒んでもいやおうなく感じさせられるという言い方のほうが的確です。症状による苦痛はひどく、言葉に表せませんが、何と言っても孤独感がひどい。次の日目覚めなかったらどうしようと思って布団に入り、体は重くてくたくたなのに、怖くて眠れないんですね。でも一方で、このままずっとこの苦痛が続くのかと、苦悩し続ける自分もいる。この時、私は生まれて初めて、誰でもない自分がもうすぐ死ぬんだと感じるようになっていたんですね。毎日、恐怖と不安でビクビクしていた。だから、次の瞬間に死ぬかも知れないとは思っているけれど、死んでもいいという生き方をしていたわけではない。

しかし、やがて、ほんの少しずつ死を受け入れ始める日がやってきます。

あの時は、こんな風にコンクリートの隙間に咲き続ける花からよく勇気をもらっていました

あの時は、こんな風にコンクリートの隙間に咲き続ける花からよく勇気をもらっていました

 長くなったので、つづく
ユクティー