投稿者「MYMメンバー」のアーカイブ

まっすぐなお客さま

新しい年があけましたね。みなさんは、年末年始をどんな風に過ごされましたか?年末、私のところには素敵なお客さまがみえました!とても愉快で安らぐ時間でした。今日は、その時のことについて書いてみたいと思います。

人が来てくれるというのは、とても幸せなことです。なぜなら、ここでは誰かが去るのを見送ることの方が多いからです。私は今年の春からここに来て三年目に入ります。この二年で何人の人が去っていくのを見送ったでしょう。近々また別れがあります。

さて、お客さまは誰かと言えば、パラマハンサの表紙を描いておられる、東京在住のグルバイ内山さんでした。出張でいわきに来たので、寄ってくれたのです。寄ってくれたといっても、バスを乗り換えて約4時間半。しかも年末、帰省客でバスは満員だったそうです。震災前はいわきまで電車が通っていたのですが、原発の関係で途中の区間がまだ開通していないので、遠回りしてもらわないといけないんですよね。

彼女とは京都ではあまりお話したことがなかったのですが、よくぞ来てくれました!地元の知り合いは時々遊びに来てくれるのですが、彼女は私にとって記念すべき初めて家に来てくれたグルバイだったので、とっても興奮しましたよ!

内山さんとは、ヨーガの先生のこと、ミッションのこと、グルバイのこと、自分のこと、いろんな話をしました。話の内容というよりも、話をする彼女から何を感じたかというと、それは神へのまっすぐな思いです。淡々と話す彼女から不安や悩みなどは聞かれませんでしたが、毎日を過ごす中できっと大変なこともあるでしょう。でも、そんなことを越えるまっすぐな思いが彼女の心の中に根付いているのを感じました。自分の意見をしっかりと持ちはっきり言葉に出す、そんな彼女のまっすぐな性格も神への思いに表れているのかもしれません。そんなことを感じながら、私はふと旧約聖書に出てくる預言者イザヤの言葉を思い出しました。旧約聖書はすべて読んだわけではないのですが、この言葉はイエス・キリストと深くかかわった人が発したことで有名なので、私も覚えているんです。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る』」

道というのは、神に向かう思いです。人間の思いは色々なものが入り混じり、まっすぐではなく凸凹です。虚栄心や妬み、捉われ、打算、コンプレックス…。それを誠実で偽りのないものにしないといけない。それがまっすぐな道であり、最も神に近く最も早く神に辿り着く道だといわれます。彼女のまっすぐな思いは私の思いのゆがみも正してくれたようで、まるで京都に行ってサンガに参加した時のようにすがすがしく、新たに神に向かおうとする力をいただいたように感じました。

彼女の滞在中は家でリラックスしながら話したり、ドライブに行ったり…。初日は震災で何にもなくなってしまった海岸に行きました。

海辺なにもない

ここら辺は民家がありましたが、全部流されてしまいました…

ここら辺は民家がありましたが、全部流されてしまいました…

 翌日は外で昼食を食べた後、私のおススメ、いわき発「木村のむヨーグルト」を買いにスーパーイオンへ。これ、すごく美味しいんですよ~。

ヨーグルト

いよっ!いい飲みっぷり!

いよっ!いい飲みっぷり!

やっぱり、楽しい時間はあっという間に過ぎるんです。二日目の夕方彼女をバス停まで見送りました。また元の生活に戻った私は、残された寂しさよりも、神に見守られている温かさと安心を感じていました。そんな良いものを彼女は残していってくれたんですね。これからますます厳しくなっていくだろう現実にきちんと向かい合っていこうと決意を新たに固めるのでした。

「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」

内山さんが来てくれた日からずっと、この言葉が私の心に残っています。

 ユクティー


イエスと奇跡

今日は、イエス・キリストのご聖誕日ですね。

イエスの誕生については、母マリアのところに大天使ガブリエルがやってきて「あなたは神の子を授かる」と告げ、受胎するという奇跡が起こったそうですが、イエスはその生涯で数々の奇跡を行ったことで有名です。奇跡の話を全部取ったら、なんと福音書の三分の一はなくなってしまうとのこと!私は、以前はあまり興味がなかったんですが、ある大学の神学部の先生が、イエスが生きた時代の背景から彼が行った奇跡の必要性と意味を話され、それを知った時、私は新たな目で奇跡を見ることができたんです。今日はその先生から教えてもらったことを書きたいと思います。

まず、イエスの行った奇跡を一つずつ見ると、すごいです。湖を船で渡る途中で嵐を鎮めたり、湖の上を歩いたり、パンと魚を増やして人々に与えたり…。しかし、中でも抜群に多いのは、生まれながらに目や耳、手足を患う人々、熱病の人々を治したり、死後4日も経っていた人を甦らせるというような、癒しや甦りの奇跡です。癒された人たちは、大抵が一般社会の枠からはみ出していた人たちだったため、最近の学者さんたちは、この奇跡を伝えていったのは、下層階級の人たち、あるいは無学な庶民だったのではないかと考えているそうです。当時の律法では、そういった人たちは、「汚れた人間」として一般社会から締め出されていました。福音書では彼らと深く交わるイエスの姿が書かれているんですね。この時代のイスラエルは、彼らのように一般社会からはみ出た人たちが大部分を占めたというのが現実だったようです。富の分配が極端に偏り、貴族階級の人たちは土地を買い占めたり巧みな商売をして、ますます裕福になっていく。その一方で労働者は職のない状態に追い込まれ、さらには奴隷状態にまで陥ってしまう。そんなどん底の状態になると、必ず生じるのが病気や障がい、精神疾患でした。しかし、薬や医療は当時とても高価だったため、彼らには手が届かなかった。

彼らは、体が蝕まれていくだけではなく、社会的にも差別され、「ほら見ろ、罪の結果がこれである」と蔑まれ、宗教的にも罪人として生きていたわけです。そうなると、もう這い上がることができず、滅びだけが待っていることになる。そんな彼らが唯一頼れるのは、おまじないとか、魔術とか、奇跡だった。イエスはこうした底辺にいる人たちと同じ場に身を置いて癒しを行っていったそうなのです。

それで、イエスが行った奇跡について、一つの特徴を指摘している学者さんがいるそうです。その特徴は「帰還命令」というそうですが、イエスは奇跡を行った時、しばしば「帰るように」という言葉を付け加えているそうなんですね。

「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい」

「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい」

「行きなさい」「帰りなさい」。この意味は、それまで家に帰れなかったことを意味するといいます。「罪人」「汚れたもの」とされた状態から、もう一度家族や社会に復帰できるようになる。当時、人から忌み嫌われるような病にかかるということは、死んだ状態と同じであり、治ることは、体を癒されるというだけではなく、人として生きることそのものを回復させるということを意味するそうです。それほど当時の貧しい人たちというのは悲惨な状況にあったということです。

だから、イエスはただ魔術師のように奇跡を見せて自分の力を示したわけではない。最期は十字架上で自分を救う奇跡は起こさなかった。その時代と社会の必要に応じた形で、ただひたすら人を救うためだけに働く、それが聖者の生きざまなんですね。

 

キリスト誕生

では、素敵なクリスマスをお過ごしください。

 

                                 ユクティー

 


「新訳 ラーマーヤナ」

皆さん、こんにちは ダルミニーです。

さて、いよいよラーマ王子の潅頂式(かんじょうしき)が執り行われることとなりました。(豆知識:潅頂とは、昔インドで国王の即位や立太子の儀に、四大海の水をその頭頂に注いだ儀式のこと)

「その時、アヨーディヤーに住む人々はみな大喜びであった。すべての市民たちはラーマの潅頂式のことを聞いて夜が明るくなり始めたのを見て、街を飾り始めた。白い雲の峰のようなすべての神殿に、四つ辻に、大通りに、また祠堂や見張塔に、さらにすべての集会所や名のある樹木に、旗が掲げられ、のぼりが幸福に満ちてひるがえった。舞踏者群や歌い手たちの歌う、心や耳を楽しませる歌声が聞かれた。都民たちは、美しい都城の大通りに花や供物を飾り、白檀香や沈水香をたいた」

アヨーディヤーの都城はお祭り騒ぎです。幸福に満ちた人々や街の様子が目に見えるようです。なぜなら民衆の愛するラーマ王子が皇太子となるのですから。

「この世の高下貴賎に通じているラーマ様が我々の偉大な王となるのだ。あの方は我々すべてを幸福にしてくださる。あの方は高慢でなく、学識があり、法を愛し、兄弟を愛する方だ。しかもあのラグ王家の王子ラーマ様は自分の兄弟たちに親切であり、それと同じように我々にも親切な方だ。非難するところのない徳の高いダシャラタ王が長寿でありますように。この王の恩寵によってラーマ様が潅頂されるのを、我々は見るのだ」

このような人が日本の総理大臣になってほしいものですね。人民は安心して暮らしていけるというものです。ラーマ王子の潅頂式のことを伝え聞いて集まった地方の人々で、ラーマの都城は満ちあふれています。

ところでカイケーイー妃の母方の家のマンタラーという召使いの女が、カイケーイー妃と一緒に住んでいました。ラーマの皇太子即位の話を聞いたマンタラーはカイケーイー妃の幸福を願い、ラーマを不幸な目にあわせ、苦しめようと、寝所にいるカイケーイー妃に報告に行きます。

しかしカイケーイー妃は、喜びに心をはずませ、マンタラーに清らかな飾りの品を与えます。

「マンタラーよ、そなたが私に話してくれたことは最高の慶事です。私にとって喜ばしいことです。ラーマとバラタを私は差別していないのですよ。だから王がラーマを王位につけられることに、私は満足です。甘露のような素晴らしい話でした。最高の贈り物をあげます。好きなものを選びなさい」

その時代は良い知らせを持ってきた者に、自分の宝石などを惜しみなく与えていたようです。カイケーイー妃はなんと清らかな心の持ち主なのでしょう。それまで三人の王妃は本当に仲良く暮らし、四人の王子をみな自分の息子として育てていたのです。妬みやそねみのないラグ王家の人達、ラーマ王子もまた、三人の妃を自分の母親のよう慕い、分け隔てなく誠実に仕えていたのです。シェークスピアの物語や、中国の皇室の恐ろしい物語を知っている私たちにとっては、なんと差別のない、平和で幸福な王家なのでしょう。私の息子、私の財産、私の、私の……、このエゴのはびこる世界が私たちの今住んでいる世界です。きっと私たちはそうではない、他者の幸福を喜ぶ時代にも生きていたに違いない、そのようなエゴのない姿が、人間本来の姿であるはずだと私は信じて疑わないのです。

しかし悪事をたくらむマンタラーは、非常に悲しみ、深いため息をついて、与えられた装飾品を投げ捨て、ラーマ王子が大地を統治する時にはバラタ王子は殺されるだろうと、カイケーイー妃の心を惑わします。最初からだまそうと近づく者に勝てるわけはありません。何度もせむし女の言葉の矢に射抜かれ、傷つけられたカイケーイー妃は、マンタラーの言葉をすっかり信じこんでしまいます。マンタラーはさらに、以前ダシャラタ王が二つの願いを叶えることを贈り物としてカイケーイー妃に与えたことを思い出させ、一つ目はバラタ王子を王とすること、二つ目はラーマ王子を森に十四年間追放することを、王に要求するようにと妃に迫ります。カイケーイー妃は、せむし女の言うがままになって『怒りの間』に入り、地上に横たわります。

「マンタラーよ。私はここで死ぬと王様に申し上げなさい。ラーマが森に行けば、バラタが国土を手に入れるでしょう。私は黄金も財宝も宝石もいりません。食物もいりません。ラーマが潅頂されるならば、それは私の命の終わりとなりましょう」

その時、顔は高まる怒りの闇に覆われて、最上の花冠や装飾品をはずし、心の乱れた王妃は、あたかも闇に覆われて星がみえなくなった空のようであった。

そんなこととは露知らず、ダシャラタ王は寵愛する妃にこの吉事を知らせるため、後宮に入っていきます。カイケーイー妃は常からラーマ王子のことを、自分にとっても長男であり、威徳に輝く法の最高の守護だと、ダシャラタ王にも話していたのです。美しい妃の喜ぶ顔を見にやってきた大王、これから悪夢のような出来事が起こります。

ジャイ・シュリー・ラーマ  次回をお楽しみに

詩人ヴァールミーキ
ラーマーヤナを作成する詩人ヴァールミーキ

 ダルミニー


今日のオシゴト

今朝、なんとなく早めに職場へ行ったら、ユキオさんという患者さんの意識が早朝からなくなり、脈拍も落ちてきていると聞きました。それは、もう間もなく彼がこの世を去ろうとしているということです。3日前には元気はなかったけど、お話してたんです。私は今日彼の担当でしたから、すぐに色々と準備を始めました。家族の意向で、延命は行わず看取りと決まっていましたが、それでも、ただ見ていればいいというわけではありません。看護師には、いつもなかなかたくさんの仕事があります。死に逝く人がどんなに美しくても、ただずっと付き添ってうっとりと見ているわけにはいかないんです。家族に連絡したり、主治医を呼んだり、エンゼルケアの準備したり、書類を整えたり…。他に見ないといけない患者さんもたくさんいる。それに、主治医や家族への連絡のタイミングを計るのも結構難しいんですよね。呼吸が止まったからそれ電話だ!と思って主治医に連絡しても、ずーっと心電図の波形がフラットにならなくて、あまりにその時間が長くなると医師との間に気まずい雰囲気が流れていくんですよね…。また、家族がどういうタイミングで連絡してほしいかという家族の意向も、それまでのやり取りの中で読んでおかなくてはいけない。

うちの病院に入院している患者さんの家族は、震災前はほとんどが近くに住んでいました。でも、震災が起こって県外に避難して、家族が誰も近くにいないことも多いんです。家族の到着が間に合わず、先に心臓が止まっていても、家族が来てから立ち合いのもとに医師が死亡確認するんですけど、家族が到着するまでの時間があまりに長いと、死後硬直といって死後2~3時間で筋肉が固まり始めるので、電話で家族にお断りして先に死亡確認し、体を拭いたり着替えたりといったエンゼルケアを行ってから家族を待つことも多くなりました。

ユキオさんのご家族はかなり遠くにおられるので、到着されたのはお昼すぎでした。家族が来られるまで、なんとなく気になって何度も足を運びました。ユキオさんの心電図の波形がフラットになる瞬間、たまたま私は病室に一人で彼を見ていたんですけど、ゼロになると同時にそれまでパッと見開いて一点凝視していた目がスーッと閉じたんですね。同時に開いていた口もわずかの隙間を残したまま閉じていきました。あまりにもその閉じ方が自然で何のよどみもなくて、一瞬神秘的な世界に引き込まれました。

ユキオさんは生前はとても頑固なおじいさんで、少し認知症が入っていましたが、いつも同室者の奥さんの心配をしていました。もちろん基本的には男女同室はないのですが、このご夫婦の場合は奥さんの認知症がかなり進行しているのと、ユキオさんがとても心配性だということで、奥さんと同室にしました。でも、奥さんはユキオさんのことが誰かを、もう分かってなかったんですね。自分の夫は家にいるんだといつも言ってました。「この人は誰?」とユキオさんのことを聞いても「知らない」という返事。「ご主人、体悪いんですよ」と言っても、「あら~、そうなの~」と他人事。でも、ユキオさんは自分がいなくなったら妻はどうなるのかといつも気がかりで、今妻はどこへ行った?と常に心配していたんです。ユキオさんの呼吸が止まりそうになった時、奥さんは隣で朝ごはんを食べ、食べ終わるとさっさと背中丸出しで寝ていました…。ユキオさんが亡くなった後、死後の処置をしてくれた看護師が、奥さんをベッドサイドに連れて来て、ユキオさんの冷たくなった手を握らせました。そのせいなのか、それからしばらく奥さんの元気がなかった…ような気がしたんですけどね。気が付いたら、廊下に置いてある私たちがつけるマスク、片っ端からポケットに入れてました…。女性って、やっぱり強い…。どうしたのかと尋ねると、「だって、退屈だから」とのこと。

あれ、あれを思い出しました。あの絵ね。再び登場です。でも、カーリーの強さも、シヴァの寛大さと愛があればこそ。ユキオさん、お疲れ様でした。いってらっしゃい!

カーリー

 ユクティー


新訳「ラーマーヤナ」を読んで

皆さん、こんにちは、ダルミニーです。

インドにはたくさんの神様がいらっしゃいますが、ブラフマ神、ヴィシュヌ神、シヴァ神が創造、維持、破壊を司る三大神様として有名です。その中でもヴィシュヌ神は化身となって、この世の悪を滅ぼすため、降誕されていますが、ラーマ王子もその化身の一人です。「ラーマーヤナ」、ラーマの行状記は、神的英雄ラーマが魔王ラーヴァナに妻シーターを奪われ、その妻を取り戻すために戦った物語を描いた大叙事詩です。今回はその物語をご紹介しましょう。

物語の最初にこうあります。

「法と愛と利(ダルマ・カーマ・アルタ)を具えたこの物語に、清純な心で耳を傾けよ」

これがとっても大事なんですよ。清純な心で読んでね。

「サラユー川の岸に財宝は豊かで、穀物に恵まれ、人々が楽しく暮らす、繁栄した大王国があった。コーサラという。そこに世間によく知られたアヨーディヤーという都城があった。この都に、偉大な王国を繁栄させるダシャラタ王があたかも天上におけるインドラ神のように住んでいた。王はイクシュヴァーク王家の偉大な戦士で、祭式を重んじ、また法に専念する支配者であり、偉大な聖仙と同じように自己を制御し、王仙として三界にその名が聞こえていた」

とアヨーディヤーの都とダシャラタ王の素晴らしさについて、九ページに渡り書かれてあります。これを読んだだけでも、王様がどんなに徳が高く、また人々にどんなに慕われていたのかが想像できます。

ダシャラタ王には三人の善良で美しいお妃様がいましたが、子供がありませんでした。そこで王子の誕生を願い盛大な祭式を行なうと、その祭火の中から無比の輝きを具えた鬼神が現れました。

「王よ、そなたは神々に祭式を捧げたので、今日、この乳糜(ルビ:にゅうび、ちちがゆ)を得た。王者の虎よ、この乳糜は神の作られたもので、子孫を生み、幸運と長寿を増大するものだ。そなたはこれを受け取るがよい」

ダシャラタ王は大喜びで、まずこの乳糜の半分を第一王妃に、その残りの四分の一を第二王妃に、その残りの半分ずつを第二王妃と第三王妃に分け与えます。第一王妃カウサリヤー妃の息子がラーマ王子、第二王妃スミトラー妃の息子がラクシュマナ王子とシャトルグナ王子、第三王妃カイケーイー妃の息子がバラタ王子です。ラーマ王子は第十二月目のチャイトラ月の第九日(三月二十四日)に生まれたとあります。

4人の王子が生まれたとき
(4人の王子が生まれたときを描いたもの)

ラーマ王子は傲慢な魔王ラーヴァナ征伐の為、神々に強く望まれて人間界に生まれた永遠のヴィシュヌ神の化身なのです。魔王ラーヴァナは本当に悪い奴でして、エゴと無知の象徴として描かれています。私たちの中にあるエゴと無知もラーマ王子が一緒に征伐してくれているような痛快さがこの物語にはあります。

そしてラーマ王子の美徳についてこうあります。

「ラーマ王子は実に容姿端麗で、勇気があり、悪口を言うことなく、この地上において比類のない方で、美徳の点では父ダシャラタ王に劣らぬ息子であった。師に対する信愛の念があつく、聖典知を離れること無く、不正なことを指示することなく、愚かな言葉を口にせず、教典に精通し、恩義を知り、人の心にある願いを察することができて、処罰と表彰とを正しく識別できた」

と、これもまた三ページに渡って讃えられています。ヴィシュヌ神の化身として生まれたラーマ王子は、褒めても、褒めても褒めすぎるということはないのでしょう。これを読んでいるだけでも、心は喜びに満たされます。このような美徳に輝く姿が人間の本来の姿ではないのでしょうか。このような理想の人間になりたいと、憧れが強くなります。

威厳があり、威光に輝く、人中の雄牛ともいうべき四人の王子たちはダシャラタ王に大事されていましたが、とりわけ偉大な威光に輝き、優れた美徳を具えたラーマ王子は父王に喜びを与えていました。

ある時、王様は深く考えました。

「私が生きている間に、ラーマが王となるのはどうであろうか。これは喜ばしいことではないか」

こうして大臣や都の住民、諸国の王を招いて、ラーマを王位継承者とする諮問が行なわれ、ラーマ王子が皇太子の地位に就くことが決まるのです。しかしここからイクシュヴァーク王家の悲劇が始まります。カイケーイー妃の召使い、せむし女のマンタラーが悪知恵を働かせて、王妃の心を惑わし、自分の愛するバラタ王子を皇太子とするべく策略を練るのです。

なんと今回は、ここまでで終わってしまいそうです。次回はカイケーイー妃の息子バラタ王子についてご紹介したいと思います。ラーマ王子と共に魔王ラーヴァナを征伐したラクシュマナ王子は有名ですが、このラクシュマナ王子と同じ神の資質を具えたバラタ王子のことは、あまり皆さんご存じないのではないかと思います。これが涙なくしては語れない物語でありまして、ぜひみなさんにご紹介したいと思っています。

では、次回「ラーマーヤナ バラタ王子の苦悶」、お楽しみに。

 ダルミニー

 

 


神への愛は伝染する

Love is an infectious disease. 直訳すると、愛は伝染病である。なかなか衝撃的な表現ですが、これはマザー・テレサの言葉です。

私は2011年の3月にインドのマザー・テレサの施設へ行ったのですが、その時偶然日本のイエズス会の神父さんと知り合いました。私は彼と出会って以来、キリスト教について質問をしたり、マザーについての話を聞いたり、本を紹介してもらったりと色々お世話になっているのですが、この出会いは私にとってマザーを深く知っていくことになる、とても大きな転機となりました。この出会いが無かったら、パラマハンサに連載を書くこともできなかったかも知れません。

神父さんは、震災以降福島の親子をサポートする活動をされていて福島と繋がりがあり、9月にも福島市内の大学で講演をするために来られたのですが、その時南相馬にも足を運んでくださったのです。私の家のほんの近くにカソリックのボランティアセンターがあり、そこで「苦しみを越えて」というテーマで、マザーにまつわる話をされました。ほとんどがかつて聞いたことのある話なのですが、私にとってはマザーにまつわる話は何度聞いても嬉しいものなのです。その中でも、愛は伝わっていくものなのだというこの言葉がよく表れた、私が最も好きなエピソードをこの時も話してくださったので、今日はそれを紹介したいと思います。

オーストラリアから一人の農家のご婦人がマザーに会いにやってきました。夫はアル中で、息子は非行に走って、どちらも彼女に暴力をふるっていたそうです。彼女は死のうとしていました。死ぬ前にずっと憧れていたマザー・テレサに会いに来たわけです。マザーは彼女を温かく迎えました。30分から40分間、手を握りながら彼女の話を聞いたと言います。話が終わると、そのご婦人はこう言いました。「用事は済みました。オーストラリアに帰ります。こんなにも私のことを大切に思ってくれる人が世の中に一人でもいるなら、死ぬのはもったいない。死ぬのは止めました」。彼女は喜びいっぱいに帰っていったそうです。

マザーの周りでは、このようなことがたくさん起こりました。神父さんはなぜだろうと不思議に思っていたそうなのですが、ある時、マザーの言葉を聞いて納得したそうです。

「私の所にはたくさんの人が訪ねて来ますが、その時その時で目の前にいる人がイエス・キリストであり、私にとっては全てなのです」。あのご婦人がマザーからどれほどの愛を受け取ったか計り知れません。

ところで、感染症というのは、予防するための3つの要素というのがあります。感染したくなかったら、この要素を減らしていくことが必要なのです。

一つはウイルスや細菌などの病原体に接触した物や人です。これを感染源といいます。二つ目は感染経路です。空気感染や接触感染など病原体が侵入する経路のことです。三つめは感受性で、免疫の低下など個人の感染しやすさのことを言います。

もし神の愛に感染したかったら、反対にこの条件を高めていくことが必要なのです。神の愛に接触した人は、バクタと呼ばれます。神を純粋に愛する人のことです。マザーがバクタですね。感染経路はバクタと会ったり話を聞いたりすること、バクタのことを考えるだけでも感染しやすくなります。そして感受性、神の愛を受け取れる純粋な心にするために日々怠らずアーサナしたり瞑想することですね。これで3つの条件は整うわけです。ただひたすら単純に粘り強くこれを続けるんです。そうすれば、何があってもいつも神を愛する歓びを心に持ち続けることができるのです。さあ、また今日から始めましょう。

マザー
神父さんが自分で撮ったマザーの写真で毎年作っているカレンダー。2015年版です 。

ユクティー

 


死に逝く人は美しい

死に近づくと人の顔貌は変わります。顔色が悪くなるとか、見ていられないくらい痩せてしまうとか、そういうことではありません。意識がなくなるにつれ、焦点の合わない独特の表情になっていきます。生命力のない、弱々しい目のように映るかもしれない。ある医師は、それを「仏様の目」だと表現していました。私は、何とも言えない美しさを感じます。それは、息をするのを忘れるほど美しいのです。あまりに美しすぎて、ため息も涙も出ません。ただ、ちっぽけな自分が偉大なものの前に立ちつくし、その美しさを茫然と眺めるしかないのです。自分が手を入れられる領域ではないこと、ただ偉大な者の手に委ねるしかないことを思い知らされるのです。誰もが同じように感じているわけではないと思います。違う表現をする人もいるでしょうが、多くの人が神聖な何かを感じているはずです。

人は死を宣告された後も希望は持ち続けると言われます。希望というのは、明日にでも新薬が発明されて病気が治るかも知れないとか、パリで個展を開こうとか、こんな料理に挑戦しようとか、大小さまざまな希望です。でも、体は徐々に思うようにいかなくなる現実を見せつけられます。そうすると、希望はどんどん剥ぎ取られ、死が現実のものとして見えてきます。ある医師はその状態を「剥ぎ取られるというよりも、自ら手放していっている」と表現していました。そしてもう何かを欲したり感じたり、そんな余裕すらなくなった時、人は呼吸の一息一息がすべてになります。一瞬一瞬を生きるだけになります。心のいらないものが捨てられ人の本質に最も近くなった姿、それが死に逝く人の姿なのです。だから美しいのです。

神は、人が死に逝く時のために神秘的な体のシステムを作られたようです。それは、死に近づくに従って、人は苦痛を感じなくなっていくのではないかというものです。これはある医師が著書の中で書いていた彼自身の考えのようですが、医学的にもある程度説明がつくとされています。呼吸機能が低下すると二酸化炭素が吐き出せなくなり、体内の酸素と二酸化炭素の割合は逆転します。この状態になると、意識が朦朧として痛みが感じなくなるということが証明されています。また、脳の中で強い鎮痛作用と多幸感をもたらす脳内モルヒネと呼ばれる物質が増えるという報告もあるそうです。見た目は苦しそうに見えても、その人の中で本当に起こっていることは、計り知れないのですね。こうして人は死に向かうと共にそのための準備を進めているそうです。

しかし、肉体的な苦痛が和らいだだけでは死の恐怖からは救われません。ある癌を患った患者が死に直面してその苦悩を書いています。「死に至る病の苦しみさえなければ、と人は考える。それさえなければ死もそれほど怖いものではない、とすら思う。しかし、その考え方はまだまだである」。医学では、死に逝く人の痛みは肉体的なものだけでなく、精神的な痛み、社会的な痛み、そして魂の痛みというものがあるとされ、数年前からこの魂の痛みに対するケアが行われるようになってきました。魂の痛みは、スピリチュアルペインとも呼ばれ、生まれた意味、病気になった意味、死にゆく意味を自らに問うものです。ただ、これは外からのアプローチでは答えを見出しにくいと言われています。 医療では、長年死は敗北だとみなし、救命に力を注いできましたから、この分野は不得意なのです。

それを担うのは宗教の役割だと言われます。かつて、生老病死に寄り添うのは宗教者の役割でした。それが多くの人が病院で亡くなるようになると、医療者が担うようになってきた。しかし、現場は忙しく、また医療者自身が答えを見出すよう導く術を知りません。

宗教も医学も行きつくところは同じ問いであると言われます。それは「人の本質は何なのか」ということです。自分は一体何者なのか、この問いに自らの内に答えを見出すことができた時、生きる意味、死ぬ意味、すべての謎が解き明かされ、私たちは自分自身だけではなく、他者をも死の恐怖から救い出すことができる。そしてその時、本当の意味で生きることも死ぬこともすべてが美しいのだということができるのだと思います。

コスモス

 

                              ユクティー


ヨーガの実践「心と四つの意識」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

『ヨーガの福音』にこうあります。

ヨーガ行者たちは四つの意識があることを発見しています。
1、起きている時の意識
2,夢見の意識
3,熟眠の意識
4,そして、その三つの意識をすべて知っている第四の意識
その証拠に今あなたの心はその意識によって観られている。通常は第四の意識が心に同化してしまって分からなくなっている。

第四の意識とは、純粋で、永遠の意識だといわれています。ではこの第四の意識とはどんなものなのでしょうか。
私は子供の頃、自分の事しか分からないということが不思議でしかたなかったのです。
なぜ私は、大好きなあの子の事を知らないのだろう。なぜ私はお父さんやお母さんのことが分からないのだろう。
こんな事、当たり前すぎて大人に聞く事ができませんでした。でもヨーガを学んで、その謎が解けたんです。私の心は第四の意識によって観られているのです。

例えばあなたはあの時、嬉しくて、嬉しくて、この世で最高の幸せ者だと飛び上がらんばかりの喜びに包まれました。私はその事を知りません。でもあなたはその事を全部知っています。それが第四の観ている意識です。
例えばあなたはあの時、悲しくて、悲しくて、御飯も食べられないくらい落ち込み、最低な気持ちを味わいました。私はその事を知りません。でもあなたはその時の心を知っています。それが第四の観ている意識です。
例えばあなたはあの時、とても怖い目に遭いました。どうしていいか分からないくらい混乱しました。私はその事を知りません。でもあなたはその時の心をよく知っています。それが第四の観ている意識です。
例えばあなたはあの時、この世で最も尊敬する素晴らしい人と出会いました。あなたは昨日とは全く別の人生を歩む事になったのです。私はその事を知りません。でもあなたはその時の心を知っています。それが第四の観ている意識です。

私はこの第四の意識にふれた時、「あー、私は一人ではなかった。この意識はずっと子供の頃から、いやもっと以前から共にあり、見守っていてくれていたのだ」と感謝の念がこみ上げました。しかしこの意識は心と同化してしまっているので、なかなかその意識に留まり続けることができません。師は本当に徹底的に目覚めるためにも、一連のヨーガの修行をやり続けることが必要だとおっしゃっています。

ヨーガの日常の行為の中で、慈悲喜捨の態度を培うことが大切であることは皆さんもご存じでしょう。慈悲喜捨とは、他の幸福を喜び、不幸を憐れみ、他の有徳を歓び、不徳を捨てる、簡単なようでなかなか難しい事かもしれません。ではなぜこのような行為が必要なのでしょうか。

『ヨーガの福音』はさらにこう続きます。

私はこの体でもなければ心でもない、それを知っている、観ている純粋な意識。この世界での経験はいわばそれを教える材料です。真実を悟ることが目的です。私たちは皆、一人ずつ神聖な存在なのです。

私たちは純粋な意識そのものだと教えられます。純粋であるということは、単純に不純ではないということですから、心を常により良く、清らかにして、静めておくことによって、その純粋な意識により目覚めやすくなれるのです。そしてそれを常に行為し続けなさいとヨーガは教えてくれます。

私たちはなぜ生まれてきたのか、そしてこの命とは何なのか。ヨーガは一つ一つの謎を解き明かしてくれる鍵です。私たちはもうこの鍵を手にしました。さぁ、この鍵でもう一つの扉を開けましょう。

ダルミニー


ヨーガの実践 「ヨーガって何?」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

ヨーガを志した皆さん、皆さんにとってヨーガとは何ですか?自分の人生のどんなところに位置していますか?「そんな大袈裟な、ただの習い事よ」と思っていますか?

最初は本当にこの身体を良くしたい、痛いところをなくしたいなど、自分の身体のことからヨーガと縁をもつ人も多いのではないかと思います。私もそうでした。私が最初に見たヨーガのポーズ(アーサナと呼びます)はアルダマッチェーンドラ・アーサナでした。この見たこともない捻るポーズを見て、身体によさそう、いつかやってみたいと思ったのがきっかけです。みなさんもきっかけはどうであれ、ヨーガに魅せられ、引きつけられていることでしょう。ヨーガを志すこと自体が身体にせよ心にせよ、このままの自分ではいけない、自分をより良くしたい、自分を大切にしたいという思いの表れなのだと思います。

ではこの自分とはいったい何なんでしょうか?

師は教えてくださいます。

「私たちはこの身体でも心でもない。誰もの中に本質としてある純粋な意識、それが本当の自分である」

そしてヨーガの聖典『バガヴァット・ギーター』にこうあります。

「武器で傷つくこともなく 火で焼かれることもない 風はこれを乾かさず 水はこれを濡らさない これがアートマンである」

アートマンというのは自分自身のうちにある純粋な意識のことです。真実とも言うし、神とも言うし、魂とも言います。「私たちは傷つかないんだよ。心は傷ついたと言って泣いているかもしれないけど、それは本当のことではないんだよ。そのことに早く気が付いてね」と言っているのがヨーガです。私たちは、本当はこの真実を知っているのだと思います。だから私たちはヨーガに魅せられ、引きつけられているのだと思います。

ヨーガとは、自分自身に内在する本当の自己を目覚めさせるものです。

まずヨーガを始めて気が付かされるのは、思い通りにならない、また見て見ぬふりをしていた自分の身体と心のことです。いかに自分のことを知らなかったかが良く分かります。そして次第に今の自分の問題を認識しはじめ、その問題を解決するべく努力をしていくようになります。自分自身を大切にしている皆さんであれば、それは自然に辿っていく道でありましょう。そして自分自身が変わっていくことによって、周りの人たちが変わりはじめ、互いが影響をし合い、共により良くなっていくということにも気が付かされるようになります。そうしてヨーガが、生きていくうえで自分に本当の勇気や愛や自由を与えてくれるものだということが分かってくるのです。そして師は、それらはもともと自分たちの中にあったのだということも教えてくださいます。そうするとヨーガがますますおもしろくなってくるんですよ。

大切な自分自身のことを後回しにしていてはいけません。一緒にやっていきましょう。

 ダルミニー


最近のオシゴト

南相馬にやって来て約1年半、経験した事や感じたことを綴っています。

私にとって、ここはもう支援の場所ではなく、生活の場になりました。京都が南相馬に変わった、それだけです。ただ、ここでしか経験できないことはたくさんあります。その一つは、今任されている仕事です。今日はそのことについて少し書きたいと思います。

この地域の病院は、どうすれば生き残れるか、それを必死に模索しています。

あの原発事故以来、多くの人が避難したきり戻らず、職員の数も激減しました。都会でも看護師不足は深刻で閉鎖する病棟もありますが、それでも都会はまだ入って来る看護師が期待できます。でも、ここでは今後職員が増えることはありません。今いる人だけで何とかやっていくしかない。しかし、職員自身も高齢化しており、定年間近の人も多く、今の体制も徐々に保てなくなっていくはずです。

私の病棟を例に挙げると、今いる看護師は14人、3年後には6人に減ります。6人のうち、支援看護師や夫の転勤で来た期間限定で働く看護師を除くと、3人になります。3人で50人の患者さんを看ることは不可能ですから、今後病院は縮小したり、形態を変えてやっていくことになります。

そのために私が今取り組んでいるのは業務改善で、その中でも看護記録時間の短縮を図るために記録用紙を作り変えることです。田舎の病院というのは、色々な面で古いやり方をずーっと続けているところが多い。人の出入りが激しい都会の病院とは違い、この病院の看護師はほとんどが定年までの40年間をここで勤めます。働く人も同じだし、多少手間がかかっても、みんななんとなく面倒だと思っていても、自分たちが慣れたやり方の方が安心だしやりやすい。病院間の競争もほとんどない。だから、業務改善があまり行われず、時間も労力も無駄が多いのです。

そこで私は、看護記録用紙をもっと効率的なものにすることを看護師長に提案しました。でも、最初は師長にも主任にも無理だと言われました。それでも、今後業務改善は必ず必要になることを伝え、師長と話し合いました。そうすると、一度見本を作ってみましょうということになり、よそから来た看護師さん2人にも助言をもらいながら、高齢の看護師さんでも抵抗なく書けるような工夫をして、記録用紙の見本を作って見せました。今は看護部長(看護部のトップです)の許可も得て、師長と話し合いながら、さらにうちの病棟に合ったものへと作り変えています。

こうして新しいことに自主的に取り組んだり、ありきたりの方法に捉われず創作していくのって、とても楽しいですね!これまで私にとって業務改善というのは、上司から言われてやることでした。正直、あんまり興味がなかった。ただただ受け身だったんですね。自分のことを大きな組織の末端にいる一員としか思っていなかった。確かに、出来上がった組織の効率化された業務は、素晴らしい。ここは田舎の小さな病院で医療や看護も遅れている。でも、まだ形になっていないこの病院だからこそ、みんなで作り上げていく楽しさを、今私は味わえているのかなあと思います。

ただ、こういうことを、来てすぐの私がやっても、周りの反発しか受けなかっただろうなと思います。いくら正しいといわれていることでも、それが人に受け入れられるとは限らない。やっぱり人間って感情の生き物なんですね。このことは、震災後石巻に支援に行った時に自分自身の経験からも、そして同じ団体で活動した仲間の経験からも学んだことでした。でも、一年半経って、ただ言われるままに働いてきただけだったけれど、少しは周りにも信用してもらえるようになったのかなあと思います。

残念ながら、作成中の記録用紙は守秘義務のためお見せできないですけど、代わりにといっては何ですが、最後に私の働く姿をよかったら見てください。

詰所1
私のいる病棟の詰所です。この日は夜勤。看護師一人と助手さん二人の体制です。

薬
朝5時。仮眠の後、仕事再開です。いつになく真剣です。薬を扱っているので間違ってはいけないのです。この後配薬、検温、採血などなど盛りだくさんの業務をこなします。まだまだ帰れません…。

fufu1
笑っている場合ではないのですよ‼さっさとしましょう。

 ユクティー