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野外演劇「永遠のブッダ」公開!

またまた、マーダヴィーです〜。

本日8月25日、京都の吉祥院天満宮では古くから伝わる六斎念仏という法会があるそうです♪そして25日と言えば天神さんの日ですね!北野天満宮近くにお住まいの方は行ってきましたか〜?

さてさて、今年の4月6日に大阪市天王寺区にある西照寺で行なった野外演劇「永遠のブッダ」の映像を公開しました!

毎年4月の第一日曜日に、大阪・一心寺周辺では「なにわ人形芝居フェスティバル」が開催されています。私たちは2011年に初めて参加させて頂いて、今回が2回目の参加となります。お寺や神社などが主催されているフェスティバルなので、お釈迦さま(ブッダ)についてのお話をお芝居にして、皆さんに見て頂きました。

2011年は、ブッダ御自身の誕生〜悟りを啓かれた後のお話を取り上げました。その時の「ブッダの物語」映像も前・後編に分けて、YouTubeで公開していますので、復習兼ねて、ぜひもう一度ご覧くださいね。

ちなみに今日の大阪での瞑想専科では「ブッダの物語」を上映し、脚本・主演のサナータナさんが熱ぅ〜く解説してくれはる予定です!京都では8月28日木曜日の瞑想専科にて上映しますので、お楽しみに!!

今回の「永遠のブッダ」は、ブッダとある弟子との物語です。取り上げられたテーマは、現代の私たちへのメッセージでもあります。(人は生まれ変わることができるのです!!)時代と空間を超えて、ブッダが教えられたことは、私たちへと伝わっています。

アクション・シーン満載のこの物語、私がこれ以上ネタバレしてしまう前に(笑!)、ぜひぜひぜひぜひご覧くださいませ〜。最後にはブッダの言葉の贈り物がありますので、最後まで見てね。

マーダヴィー


あなたは何を持っていますか?

残暑お見舞い申し上げます。 マーダヴィーです!

さてさて、わたくし事なのですが、今年の始めに実家を処分しました♪

住んでいたのは私一人だった(一軒家に一人暮らし!)ので、いつか家の処分はしなくちゃいけないな~と分かっていたものの、なかなかそのような大事には踏み切れず、いつでもできる、でも自分しかやる人いてないぞ、あぁかなり大変そうだ (TーT) ・・・と後回しにしてきましたが、とうとう「やるぞー!」と一念発起して実行しました。

大阪は住之江区の商店街から歩いて15秒の所にあった実家。めっちゃ下町です。ご近所さんとも家は違えど、一つの大きな家族のように育ってきました。今でも私を身内のように心配し可愛がってくれます。

誰もが生まれては死にを繰り返す輪廻転生の中で、自分自身で両親や環境を選んで生まれてくると言われています。私が生まれてきたところはちょっと事情のある家庭で、自分の手で解決しておきたい諸問題もあったので、それも含めてこの際一気に片を付けて、シンプルに生きるのだ~! と決心しました。

まずは、物理的な面での第一歩です。私は生まれてからずーーっと同じ所で暮らしてきたので、実家には相当の物があるのは分かっていましたが、ずっと見て見ぬフリ。自分の物は簡単に処分できますが、いざ開かずの扉を開けてみると、ありゃ~、出るわ出るわの大荷物。私の幼稚園の制服(大事に残してくれていたのね 涙)や、祖母の日本刺繍のお道具や大量の着物、はたまた20年以上も前に亡くなった祖父の3ピース・スーツまで綺麗なまま保管されて・・・ そして、いつか使うやろうと残してあったものの数々(ちょっと置いとこ~と思ってる物は、結局要らないのです)

・・・結局、家にあるものの98%の物を処分しました。

処分するのに一通り自分で目を通して、はいゴミ、これもゴミ、という風にガツガツ進めていきました。物を捨てる時に、例えば写真とか手紙とか、それらを見始めたらもうキリがないですよね。(みなさんも経験あります?) 色んなことを思い出したり、感傷に耽ったり……。 自分の物だけではなく、家族の物を見ても、その一つ一つに嬉しい思い出やら悲しい思い出やらがいっぱいくっついています。

感情が動くと作業は全くはかどりません。ただ事務的に、はい要らない、これも要らないという風に、ゴミ袋に放り込んでいくことをひたすら繰り返しました。その時につくづくと感じたのは「あぁ、かつて自分、又は誰かが大切にしていた物は悉く本当に無くなる。そして、それを大切にしていたその人もいなくなる」ということ。

この家だって建てられて60年近く経って老朽化し、解体されて無くなる。いつ誰が定めたかもわからない境界線で囲われたこの土地も、今は私たちの所有物だって言うけれど、すぐに他の人に譲渡されるし、そもそも初めからこの地球には境界なんてないのに、限定作って自分の持ち物だ~なんて主張して、ほんとバカげてる。

「だとしたら、この世界に自分の所有物と言えるものはあるのだろうか?」

という疑問がやってきて、思わずゴミを整理する手が止まりました。

でも次の瞬間

「自分の持ち物と言える物はほんとに何一つないけれど、“純粋な信仰” だけは持ってるわ!!!」と、答えがはっきり分かったのです!!

“純粋な信仰” が自分の唯一持ち物だ!と分かったとき、すーごく嬉しかったです。外側にあるいつかは壊れゆく物や、変わってしまう思いでもなくて、自分の内側にある“信仰”、それだけがどんなものよりも心の中に燦然と光輝いていて、何よりも大切で、自分の生命の源であり、それが私と言えるようなものだったと気がついたんです。

信仰と言うからには、何を信じているかという対象があります。私にとっては、神さまと真実です。(私は神さまが大好きです)

そして突然、中世に生きたミラバイのことを思い出しました。彼女も同じように、神への信仰だけを自らの持ち物とし、神だけを愛して、インドの大地に生きたのだと。ミラバイの魂が、時を超えて私の心に流れ込んできました。彼女は何も持っていなくても、どんな状況になっても、恐れるものは何一つなかった。それは神が彼女を愛し、彼女も彼だけを純粋に愛していたから。そんな愛の人を神さまは永遠に守るしかないでしょう。ねぇ?神さま。

自分が生きていくために必要最低限な物(+α+α+αくらい?結構いっぱいあるやん笑!)を実家から持ち運んで、今は暮らしています。無駄な物に囲まれているより遥かに快適!心も軽い!

以上、本日はマーダヴィーがお届けしました!
なお、もうちょっと続きがありますので、それはまた次の機会に~!


放射能のこと

こんにちは~。京の七夕に対抗するわけではないですが、東北の玄関、仙台では、8月6~8日、七夕祭りという大きなお祭りがありました!!私は6日に行ったのですが、毎年200万人の観光客がやって来るだけあり、多くの人でごった返していました。

この祭りは、伊達政宗が藩の文化を発展させるために始めたものだそうです。くす玉みたいな大きな飾りがアーケードにたくさん吊ってあって、それを見るだけなんですが、それぞれ個性があり、とっても華やか!!仙台の街って、広くてゆったりしていて、私は大好きです。人が多くてもゴミゴミした感じがないのがとってもイイ。

七夕まつり

賑やかな仙台に比べて、私のいる南相馬は閑散としています。ちょっとした街なのに、ひっそりしていて、最初に来た時はなんて寂しげな所だろうと思っていました。でも、今ではそれが当たり前になってしまいました。ここに来て一年と約半年。ただひたすら働いてきただけの単調な生活だったようにも思えますが、いろんな経験もしてきました。これまでの生活を振り返り、私が感じたことをこれから何回かに分けて書いていきたいと思います。

今でも友人や家族は私の体のことを心配してくれます。放射能ですね。たびたびニュースでも内部被爆のことが取り上げられていますから。でも体調はとてもいいです。私はミネラルウオーターも水道水も飲みますし、野菜はこの土地のものを中心に、他の所から仕入れられたものも食べます。どこでもそうであるように、ここの人たちも色々な考えの人がいて、全く土地のものを食べない人もいますし、風呂の水さえミネラルウオーターを使う人もいますし、反対に土地のものを優先して食べる人もいます。(食べ物ではないですが、今でも洗濯物を外に干さない人は結構います)京都では福島産の野菜やお米って目にしなかったし、きっとほとんど福島以外には出荷されないのでしょう。もし見かけたとしても、京都でわざわざ福島産のものは選ばなかっただろうと思います。

でも、なぜだか分からないですが、私はここに来て、以前よりずっと食べ物が大切に思えるようになりました。前は自分が食べ物を選べて当たり前だったし、どこかでそれらは無限にあるような気がしていました。でも、今は食べ物も水も自然も「すべては限りあるもの」という意識が強くなったように思います。だから、食べ物だけでなく、空気も人も、今日という日も、そして自分自身ももっと大切に思えるようになりました。

それでも、やはり原発のことは心配です。汚染水漏れのニュースを見るたびに、またか…と落胆しますし、地震が大きければ爆発を起こすんじゃないかと不安になります。そして、ここに来て心配なことが増えました。それは、原発や除染で働く人たちのことです。コンビニには除染の車がよく止まっていますし、業者さんたちが買い物をしている姿も見かけます。うちの病院にも健診に来られますし、入院している患者さんの家族には原発で働いておられる方もいます。ある入院患者さんの息子さんは福島第一原発で働いておられ、週の真ん中が休みらしく、いつも平日にお父さんの洗濯物を持って来られます。福島第一原子力発電所で働く人のことを、現場や地元の人たちはイチエフと呼びます。イチは第一のイチ、エフは福島の頭文字のF。看護助手さんたちから「息子はイチエフなんだって」と聞いて、最初は何のことか分かりませんでした。F1じゃなくて1Fなんですね。その息子さんは、最近ご飯が食べられなくなってきたとのこと。とっても痩せておられます。他の看護師が受診を勧めると、「もう、そういう体になってきたから」と諦めたように言われていました。現場は想像以上に過酷なようです。あの事故から3年、今もこうして最前線で働いてくれている人たちがいるからこそ、私たちの生活が守られている、それを忘れてはいけないな、と息子さんを見るたびに気持ちを引き締める私なのです。色々な人との出会いもまた、私自身が頑張って生きようと思う力になっています。ありがとう!息子さん。でもあなたの体は心配です…。

つづく
ユクティー


ヨーガの実践 「私は正しい?」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

ある時、師はこうおっしゃいました。

「みんな自分は特別だと思っている」「みんな自分は正しいと思っている」

本当にそうだなと思いました。あなたも自分の考えは正しいと思っていませんか?私もそうでした。人はみな自分の経験と照らし合わせて、それと違うことは正しくないと判断するのです。「私は正しい、でもあの人は間違っている」それがこの世の争いの原因ですよね。

常識と言われるものもそうですよね。常識は世界各国で異なっています。日本では常識であることも他国にいけば非常識です。それは皆さんもよくご存じのことでしょう。常識と言われるものも本当はあやふやなものなんだなと思いました。常識と言われることも自分が正しいと思うことも、常に移り変わる人の心が作り出したもので、本当は実体のないものなのです。私たちも、みな誰かに評価されます。子供の頃から、まず親に兄弟たちと比較され、小学校に上がるとすぐに通知簿が付けられます。大人になっても上司や周りの人に評価され、それが私を判断する基準になります。

ところが師はおっしゃいます。

「物事の判断基準は、それが真理なのか、真理でないのかだけです」

では真理とは何でしょう?真理とは、永遠にあるもの、純粋であるもの、本当の幸せであるもの、本当の私であるものです。考えてみてください、およそこの世で永遠なものなどないですよね。私たちのこの身体もいつかなくなります。そして心も、いい時もあれば悪い時もあるし、いつも動揺して止まない、永遠に変らないものではありません。それを聞いて、私は本当に悲しくなりました。この世に真理なんてないんだと。
でもその後、師はおっしゃいました。

「誰もの中に真理はあります。それこそがリアリティです」

「この世の変動して止まないものを追いかけるよりも、自分自身の中にある真理を求めなさい」

私はその言葉に救われ、心が軽くなりました。今までの判断基準が間違っていた、自分をああだ、こうだと判断しなくていい、他者のこともあれやこれやと判断しなくていい、だってみんなが真理なのだから。それから私の判断基準は簡単になりました。「これは真理か」、この世で真理にあるものなどほとんどありません。それはすぐに捨てればいいのです。

しかし、なかなか言うことを聞かないのが私たちの心です。
そのためには、皆さん、これからが本題です。ヨーガのアーサナ、瞑想が不可欠です。すべては呼吸が鍵を握っています。呼吸を変えなければ心は変わりません。不動のものに心を寄せるには、心を不動にしないといけないのです。ヨーガは私たちの疑問にすべて答えてくれます。本当です。自分自身のことは自分で責任をもたなければいけません。誰もやってくれません。自分のことは自分でしましょうね。私もそうです。呼吸は一朝一夕には変わりません。毎日のアーサナと長い間の修練が必要です。でも必ず呼吸は変わります。呼吸が変われば心が変わり、真理を理解し深めていくことができます。
今の自分から自由になることができますよ。さぁ、今からアーサナをしましょう。


東京 2days by Sakti ダイジェスト公開!

こんにちは〜! マーダヴィーです。

猛暑到来!みなさん、夏バテしていませんか?

さてさて、今日は、新しい映像公開のお知らせでございます〜。

ところで、MYMには映像部門があるのをご存知ですか? えっ、そんなんあったん?という方も??
あるんです! その名もパラマハンサ・ピクチャーズ、略してPPS!
2011年から「Sakti」「Epiphany(聖性示顕)」2つのシリーズで映像を制作し、YouTubeにて公開しています。

pps_new2014

※白鳥さんが新しくなりました♪ 今にも飛び立ちそう!

PPSが今回お届けするのは、シャクティのミラバイとジャヤデーヴヴィーが東京で行なった、ヨーガ特別クラスのダイジェスト映像です。(7月12日ラージャ・ヨーガ/アーサナ・瞑想クラス、7月13日バクティ・ヨーガ/キールタン・ワークショップ。その他のシーンもあり)

「ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、二つのヨーガを体験してもらいたい、そしてその目的は同じであることを伝えたい」というミラバイとジャヤデーヴィーの願いと、東京の仲間たちの熱~い思いから実現したこの機会。その2日間の様子をまとめています。

ラージャ・ヨーガとバクティ・ヨーガのクラスって、面白い組み合わせ♪ そしてその二つのヨーガでは、やっていることはまるで正反対のように見えるけれど、目指している目的は同じなのですね。ふむふむ。

ラージャ・ヨーガでは、身体と呼吸を調えて、心の働きを静め、本当の自分に目覚めます。アーサナ、瞑想が位置づけられている王道のヨーガと言われる道ですね。そしてバクティ・ヨーガでは、神を愛することで神と一つになる、愛のヨーガと呼ばれる道です。キールタンは、ただただ神の御名を唱えるというもの。超簡単で誰もができることです。

一方では心を静止させ、一方では心を神や愛で充満させていく・・・そのいずれもが、私たちを “本当の自分” であるところの “神性” を目覚めさせるよう導いてくれています。

何それ?(言っていることが全く分かりません、という声が聞こえてきそう汗) そもそもそんなことってあり得るの!?と思うのですが、それを実現していくためにはやっぱり、師から正しい教えを学び、実践するということが不可欠です。

私自身、尊敬する先生のもとでこの10年程ヨーガを学んでいる中で、心を静める道と愛を深める道がやがて同じ一つのところに終結していくんだと分かってきました。

自分は完成にはまだまだほど遠いのですが、それでも、心が静まった時に現れる光り輝く尊い存在にただただ圧倒され、純粋そのものである神を愛することだけで自分の心までもが純粋になり、神の愛に歓び震え、ある時には、神々しい神の姿を目にしその美しさに我を忘れてしまう・・・
そのような瞬間・体験を重ねながら、「神は本当に実在するんだ」「自分の内にある尊い存在と、神という存在は同じものなんだ」ということを今は実感しています。

この映像の中で登場しているミラバイとジャヤデーヴィーも、アーサナや瞑想をみーっちり実践し、同時に神への愛を深める中で実感することがたっくさんあるに違いないので、それは今週金曜日(8/1)に大阪のプリヤメーラさんで行なわれる、バクティ・サンガムで直接聞いてみてくださいね (○゚∀゚)♪♪

それでは、前置きが長くなりましたが「Sakti vol.7 – 東京 2days ダイジェスト」お楽しみくださいませ〜。

マーダヴィー


ヨーガの実践、「苦手意識をなくす」

皆さん、こんにちは、下鴨ラージャ・ヨーガクラスを担当しているダルミニーです。

ラージャ・ヨーガクラスでは、この身体を使って、呼吸を静め、心を静め、本質としての自分を取り戻すということを目的にヨーガを行なっています。

呼吸と心は表裏一体、深呼吸をすれば心が落ち着くのは、みなさんもよーくご存じのことですよね。ヨーガはその呼吸に着目し、呼吸を変えることによって、心も変えられるということを発見したのです。心が変るってすごくないですか?こんな私、あんな私、いいところも悪いところも一生のお付き合いと諦めていませんか。ヨーガと出会って、そしてヨーガの師と出会って、心を変えることができると知って、すごく驚き、そして嬉しかったことを思い出します。

心はいつも外界の刺激にさらされて波だっています。ヨーガを行じることによって、心は不動の状態を取り戻し、本当の自分、存在としての自分を浮かび上がらせていくというのです。それをぜひぜひ実現したい、その一心でヨーガを実践しています。

みなさんはご存じでしょうか?人はみんな狭い狭い自分の経験した、自分だけの小さな心の世界に住んでいることを。そしてその世界に住んでいることは苦しいこともあるけれど、慣れ親しんだ楽な世界でもあるのです。私たちはそんな限定されたものではないと、ヨーガの師は教えてくれます。限定された狭い世界に住み続けたままでいいのですか?ヨーガによってもっと広大な自分の中の宇宙を感じてみたいと思われませんか?私はこのままの狭い世界に住んでいる自分が、本当にいやになってしまったのです。

この心が作った狭い世界から脱出するためには、あえて「苦手なことをする」ことが、そのきっかけになると師は教えてくださいました。苦手なことしたくないですよね。心はすごく嫌がるんだものね。だって苦手なんだもの。かくいう私は、今まさに苦手なことに挑戦しています。それにはすごく勇気がいります。その勇気はどこからくるのでしょうか。私は自分を変えたい、そして本当の自分に戻りたいと、強く、強く、それだけを願っているのです。

みなさんも苦手なこと、やってみてください。もっと、もっと自分の可能性を信じることができるはずです。私は苦手なことに挑戦し、その成果をお伝えしたいと思っています。

ダルミニー


文明的東京、でも本当の文明は…。

先日、行ってきました、東京。久しぶりの都会。前の日からドキドキして落ち着かず…。京都に住んでいた時は、東京が大都会のように思えたのに、福島の田舎に来て一年も経ったら、東京も京都も今の私にとっては同じようにしか見えなくなっていました(あらら…)。

今回は看護の勉強会に参加するために東京へ行ったのですが、夜はグルバイが集まってくれて、オシャレかつシャンティーな雰囲気のイタリアンレストランで食事しながら、皆でワイワイ賑やかに色々な話をしました。サプライズゲストもあり、初めてお会いするグルバイもいて、単調な田舎の生活に慣れていた私は、この日やや興奮ぎみでした。

東京のグルバイはみんな生き生きしていて、とてもエネルギッシュ。色々な問題にぶつかりながらもヨーガの教えに沿って生きようとする前向きな姿が印象的で、私もとても刺激を受けました。みんながシッダマールガで京都や大阪に行っては与えられる課題に真剣に向き合い、瞑想している成果なんだということがひしひしと感じられました。

その日は一人のグルバイの面白くて不思議なお家に宿泊し、遅くまでヨーガ話に花が咲きました。彼女の気遣いはとてもさりげなくて、自然に触れるような心地良さがあります。翌日はまた別のグルバイと待ち合わせ。連れて行ってもらったのは、なんとっ!オシャレなかふぇっ☕ カフェ、なんて素敵な響きでしょう!!私の住むところには喫茶店はあるけどカフェはありません(あるのか知らないけど、見たことありません)。せっかくカフェに来たのだから、普通のコーヒーは注文しません。私が頼んだのは、都会でしか飲めない(と勝手に私が思っている)手の込んだ飲み物、キャラメルマキアートです。ソワソワしながらも、グルバイの真剣な話に引き込まれていきました。

彼女は鍼灸師をしており、ある患者さんと向き合ってきたこと、その中で難しかったこと、発見したことや疑問に感じたことなどを話してくれました。医学は多くの症例を経験してそこから知り得たことが正しいとされますが、一つの症例からでも本質を探れるようになることが必要なのだと気づいている人はたくさんいます。みんなが彼女のように誰か一人の人との関わりの中で、命や人の存在というものを深く探究していけば、医学はもっと計り知れない可能性を秘めた素晴らしいものになるんだろうなと思いました。

 

福島に帰る新幹線の中で、建ち並ぶビルや忙しそうに歩く人を見ながら、1981年、マザーテレサが初めて東京に来た時の映像を思い浮かべていました。高度経済成長が終わり、物質経済優先が当たり前になった時期の日本にマザーはやって来ました。滞在中に開かれた記者会見で、「あなたにとって現代社会の文明とは何でしょうか」という質問に彼女はこう答えています。

「現代の文明とは、み旨のようにお互いが愛し合うこと、それが偉大な文明です。それこそが神の言う福音です。みな愛に結ばれた兄弟姉妹であること。理解は難しいかも知れませんが、神を愛したいなら実行できるでしょう。私の答えは他の方とは違うかも知れません。聖なることが真の文明です」

今回東京のグルバイと触れ合うことで、それぞれが聖なる者に心を向かわせそこに繋がる道を真剣に探究していることを知りました。どんな環境にあっても、それぞれがひたすら弛まずその道を探究していくことが、マザーの言う真の文明を自己の内に築いていくことなんだなあと感じ、そのことに改めて気づかせてくれた東京のグルバイに深く感謝しながら、現代文明が作り上げた?洗練された美味しい駅弁に感動する私でした。

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                                  ユクティー


ヨーガ・瞑想クラス@ウィングス京都

こんにちは! マーダヴィーです。

先日の火曜日夜に、ウィングス京都のヨーガ・瞑想クラスに行ってきました!
私は大阪に住んでいるので、京都クラスに行くのは、それだけでちょっとした小旅行気分♪

ウィングス京都のクラスには数年前に一度行ったきりで、実は今回が2回目です。
4月から再スタートしたばかりのウィングス京都クラス!
それでは、体験レポートをお届けしま〜す。

この日の私のスケジュールは
大阪で仕事

せっかくだから京都の街をぶらりお散歩(やっぱり大阪とは雰囲気違うわぁウキウキ♪♪)

ヨーガ・瞑想クラス
あ〜、平日なのにな〜〜んて贅沢な一日!こんな日を週に一度は作りた〜い!
・・・という私の願望はさておき・・・(^▽^)/

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会場では、サティヤーさん(さまらさでも大大活躍中!)がお迎えしてくれます。
サティヤーの笑顔に、こちらもすでにほっこり、にっこり。心が和むわぁ(*^▽^*)

そして、講師はMYM屈指のラージャ・ヨーギニーのジャヤデーヴィーです!
一つ前のブログでは「チラシ撮影紀行第3弾」を紹介してくれていましたね!

ジャヤデーヴィー@ウイングス京都

今日はクラスの様子を動画でちょこっとだけご紹介しますね〜。
私自身は、ジャヤデーヴィーがとても大切に、丁寧にみなさんを見て、クラスをしている姿が印象的でした。私たちがアーサナをしている最中はわからないことですが、こんな風に一人一人のアーサナとクラス全体を見てくれているんですね〜。それを見てとても安心したし、嬉しかったです。あっ、クラス中はクリップライトだけの照明になるので、見にくいかもしれません。どうぞご了承くださいませ〜。

この会場は、地下にある音楽室ということもあって、本当に静か!掛時計の長針が時を刻む音だけが、まるで添水のように、心地よく響きます。その静けさの中でのアーサナは格別!普段は一日中色んな音や、情報に囲まれた中で生活しているから、なおのことこの静けさが気持ちよく、清々しくさえ感じます。また、会場が広いので、ゆったりスペースを取ってアーサナができるのも魅力ですね!

アーサナを行なうことで、あれこれ思ったり、ざわざわする心が静まります。日常生活から身を引き離して、アーサナでの集中がもたらしてくれる内面の静けさを味わう・・・

このクラスには、昨年のヨーガ体験コースから引き続いて来られている方が多いそうです。今日この場所で一緒にアーサナをされている方みんなが、きっとこの静けさを楽しまれてはるんやろうなぁと感じました。

私も撮影の合間にアーサナをしていましたが、外側の静けさとの相乗効果もあって、より内面の静けさを味わいながら、アーサナへの集中がいつもよりも自然と深まっていきました。

いいクラスです。

あっと言う間に過ぎていく人生の中で、こういう時間は意識して作って、自分の為にも日常生活に取り入れていきたいですね〜、ほんと!

上質の時間と静寂さを大満喫!した後、ジャヤデーヴィーに「今日のクラス楽しかった〜!」と伝えに行くと、ジャヤデーヴィーはクラスに初めて来た時のこと、今のクラスへの思いを話してくれました。それを聞いて、あぁ、このジャヤデーヴィーの内に秘めた情熱が、クラスを支える原動力と軸になっているんやなぁと、思わず感動しました。

ジャヤデーヴィーが初めてMYMのクラスに参加したのは、このウィングス京都だったそうです。当時は大阪に住んでいて、京都で仕事をしていたそうです。クラスには一人で初めて行って、すぐに夢中になった!!!らしいです(へぇ〜!)

当時のことを振り返って、、、

「ヨーガを体験した時、自分の中にあるものを最大限に引き出してくれるような感じがした。仕事帰りにクラスに来ていたけれど、昼間のことを全て忘れるくらいにリセットされて、それがすごいなと感じた。直観的にこれがすごいことだ!!と感じたから、続いていたと思う。クラスでは集中することと、その集中感が楽しかった!ヨーガを続けていくことが、自分自身を見つめる力、本当のことを感じられる力になっていったから、そういうものに触れてもえたらいいなと思う。みんなの中にもっと魅力があるから、存分にそれが出たらいいなと思うし、ヨーガをやって、何か一つのことに夢中になれることを見つけてほしいし、それがヨーガだったらすごい嬉しい!!」(ジャヤデーヴィー)

昨年、体験コースを担当している中で、ジャヤデーヴィーは「正しいヨーガを伝えたら、ちゃんと伝わるんだ」と確信したそうです。丁寧に、きちんと伝えることの大切さをジャヤデーヴィー自身が一番学ばせてもらったと言います。このウィングス京都でのクラスでは、「クラスに来ている人と一緒に、自分自身も成長していけるような、そんなクラスでありたい」と語ってくれました。

直観で感じたことを、自分自身で確かめ、それがやがて確信となり、今度は伝える仕事をする、そのような生き方をジャヤデーヴィー自身が歩んでいる。その彼女の中にある、確かな信念と理想とそれへの情熱がこのクラスを引っ張っているんだな〜と、胸が熱くなりました。いいクラスやなぁと素直に感じた源には、それがあったんですね!

静寂さと熱い情熱、その両方を体感できるクラスです。初めての方も、どうぞ安心してお越し下さい♪ジャヤデーヴィーとサティヤーがお迎え致します〜。

さあ、次はどのクラスに行こっかな〜 (^∀^*) v

火曜日のクラスのご案内

毎週火曜日19:00〜21:00(開場18:30)

場所:ウイングス京都 地下音楽室

参加費:2,700円(割引の4回分チケットあり)

内容:ヨーガ・アーサナと瞑想の実践、その後に月ごとのテーマに沿って
ヨーガトークスを行います。


瞑想専科始まっています!

こんにちは!大阪のマーダヴィーです。4月から瞑想専科・入門編が、京都と大阪で始まりました〜。

瞑想クラスサナータナ

それでは、今週のクラスをレポートします!写真は講師のサナータナさん。(会場:中央公会堂)

今回は「心が落ち着くコンディション作り」がテーマ。瞑想を始める前に、身体、呼吸、そして心を調えていきます。さあ、まずは身体から!座ってできる簡単なアーサナ3つをみんなで実習!

瞑想専科正座のポーズ

正座の形。身体が伸びて気持ちいい〜!それに、たったこれだけでも心が落ち着いて、瞑想しやすい状態が作れます!(改めてアーサナの効果にびっくりする私!)

瞑想専科牛のポーズ

牛の形。左右の鼻が通ります!(会場:ウイングス京都)

次は呼吸法にチャレンジ!

瞑想専科呼吸法

左右の鼻の通りを均等にし、さらに瞑想に適した呼吸へと調えていきます。

※正しい方法を学ぶことが非常に大切なので、ぜひぜひクラスに参加して教わってくださいね。

瞑想専科講義

プラーナ(生命エネルギー)やチャクラ、太陽の道・月の道など、この身体の神秘についてのお話もあり!身体や心、瞑想のことを頭で理解していきながらも、同時に体感することを深めつつ、クラスは進みます。

瞑想専科瞑想1

初めて瞑想専科を受講した時の私の感想……

「こんな風に瞑想を基本から学んでいけば、本当に瞑想が出来るようになるのではないか!?」

私は前期の入門編・実践編を受講していたのですが、入門編の始めの頃は、5分も床の上に座るだけでも大変だった方が、半年後には30分近くもしっかりと集中して、瞑想ができるようになっておられました。それってすごい進歩です!やっぱり瞑想専科で学んでいけば、瞑想できるようになるんだ〜!!

瞑想専科は内容だけでも充実しているのですが、もう一つの大きな魅力は、やっぱり講師のサナータナさんでしょう!瞑想を実践して20年というサナータナさんの情熱と、経験に裏付けされたお話(しかも面白い!)に惹かれて、瞑想により興味を持って、楽しみながらクラスに通われる方が多かったです。

前期に来られていた方のほとんどは会社帰りの方々でした。あまりにも毎日が忙し過ぎて、自分を見つめる時間や余裕すらないからこそ、瞑想が求められているのだと思います。このままでいいのだろうか?本当に自分が求めていることは何だろう?……そんな答えが瞑想専科できっと見つかります!

インドにおいて古くから伝わってきている本来の瞑想を、現代社会に生きる私たちでも日常の中に取り入れられるように、瞑想専科では工夫を凝らしています!瞑想が学べるクラスを探している方は、きっと多いはず!瞑想専科で瞑想が出来るようになって、生活のあらゆる場面で活かしていきましょう〜!

瞑想専科はコースの形を取っていますが、途中参加や、一回ごとの参加ももちろんOKです。さあ、入門編は始まったばかりです!みなさんのご参加をお待ちしております!

 マーダヴィー

瞑想専科

日時:2014年4月14日~9月29日

大阪:月曜日 19:00~20:30(中央公会堂)
京都:木曜日 19:00~20:30(ウイングス京都)
(開場はともに18:30)

*今季終了後も、入門編・実践編を繰り返し行なっていきます

内容:レクチャー/瞑想/Q&A

料金:2,160円(2,000円+税)(1回)
7,560円(7,000円+税)(割引4回カード)
*1回ごとの参加も可能です

 


とにかく今日を生きる

ヨーガの仲間(グルバイ)のユクティー、彼女は約15年以上ヨーガを実践し、一年前、京都から福島に移り住み看護師として働いています。ユクティーから嬉しい福島便りが届きました。

私が福島に移り住んで1年が経ちました。

若者が町を出て行ったっきり戻って来ない、というニュースを見た人からは、さぞかし地域には高齢者が溢れているのでしょう?と聞かれますが、そんなことはありません。たくさん若者の姿を見かけます。近くのコンビニでは、大きな関西弁でしゃべるオジサンの姿もたまに見ます。除染や工事などの業者の方々がたくさん外から入って来られているようです。

しかし、私が勤める病棟はかなりの高齢化が進んでいます。ちなみに、患者さんじゃないです。職員の高齢化です。15人いる看護師のうち、60代が1名、限りなく60に近い50代が7名、50代半ばが3名、40代3名、30代1名です。新人の2人を除いては、全員夜勤をしています。人間ってこの年まで普通に病棟で働けるんだなあって初めて知りました。でも、皆やたらと休憩が多いのと、何度も同じことを聞いてくるのが気になります…。私ももうすぐ後を追うんですけどね。(-_-;)

先月には知り合いが何人かこの地域を去り、また今月は支援看護師やリハスタッフが入職し、私もここで人を見送ったり迎え入れたりする立場になりました。

ここで一年を過ごして自分がどれだけ変わったかはよく分からなかったし、場所が変わっても意識して努力しなければ自分は変わらないんだと思っていました。でも、たった一つ、ここで暮らしてきたことで、知らないうちに周りの人たちから教えてもらい、私の中に根付いていたことがありました。それは、自分が明日もまたここで同じように暮らしているのが当たり前だという意識がなくなったということです。京都にいた時は、明日も明後日も、ずっと同じ所にいて、同じことをしていると思っていました。だから先々のことまで考えて綿密な計画を立てたり、未来に過度な期待を寄せたり憂いたり…。でも、今は地震が起こるたびにニュースを点けて皆で見入り、これからどうなるか話します。原発に何かあればすぐに出て行かなければならない。だから、いつも車のガソリンは満タンです。2、3日くらいなら生き残るための物はリュックに入れています。私は明日ここを去るかも知れない。来た当初はそんなこと考えもしなかったけど、今はそれが普通になりました。本当は京都にいた時だって、誰もこれからの自分の生活を保障してくれていたわけではなかったのに。だから大切なのは、先を憂えず、とにかく今日を生きる。それを毎日実感させてもらっています。

今年も桜が見事に咲きました

今年も桜が見事に咲きました

ユクティー