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瞑想専科「真理のことばに瞑想する」一年半コース

去年の6月からスタートした瞑想専科「真理のことばに瞑想する」一年半コースですが、もうすぐ一年が経過しようとしています。毎月『マハーヨーギーの真理のことば』の中の一つの章を取り上げて、実践した成果を発表し、互いに学び合っています。
今月は【第九章――大宇宙と小宇宙の神秘】について取り組みました。

クラスの中では、毎回2人の方に体験談を話していただき、クラス担当者からのレクチャーがあって、最後に30分ほど瞑想を行います。

廉くん
研究者である島本廉さんは、二十四の原理についての興味深い実践談を話してくれました。

OM
映像の仕事をしているNさんは、画面共有しながらオームのマントラの本質を直観的に捉えたお話をしてくれました。

マードゥリー、ヨーガダンダ
担当のマードゥリー、ヨーガダンダのどちらかがレクチャーを行います。今回はヨーガダンダが、タントラ全般についてのお話をしました。

瞑想専科
瞑想の後は質疑応答の時間です。
みんなの話を聞いて師のサットサンガの時と同じように自然と瞑想状態になったという感想も聞かれ、師の恩寵によってクラスが運ばれているのを感じました。
動画受講も含めると約60名の方が参加しています。

ちょうど一年ほど前、この瞑想専科が始まる直前に師は御入滅されました。重い心を引きずるようにしてクラスを始動させたのですが、私たちにとって希望の光となる師の教えをご紹介させていただきます。

グル(師)と弟子の関係は、肉体的な近さを意味してはいません。それはハートの問題です。ですから、たとえ地球の裏側にいても、その関係は強く結ばれています。それをもっと納得してもらうために、彼の偉大なブッダの最後の言葉を紹介しましょう。「私の弟子とは、この体の近くにいる者ではなく、私の教えを生きる者が本当の弟子である」。もちろんブッダの教え、真理の教えは、時間と空間を超えています。彼の教えに生きるならば、この二十一世紀に生きる私たちでも彼の直接の弟子になることができます。真理と真理の教えというのは、時間と空間を超えています。ですから、たとえ遠く離れていても、グルと弟子の関係は可能です。

時空を超えて誰もが師の弟子になれるように、そして真理を実現できるように、師は『マハーヨーギーの真理のことば』を残して逝かれました。
瞑想専科を通じて『マハーヨーギーの真理のことば』と向き合っていく中で、改めてこの本には、あらゆるヨーガの道から日常で直面する問題の解決法に到るまでの全てが網羅されており、内にも外にもあらゆる理を知り尽くした師が、限りなく多くの人に手を差し伸べられているのを感じます。
私たちがやるべきことは、どの教えからでも、どの入り口からでもいいから、生涯かけて真理に到達するということです。
その時、師が教えられるように、本当の弟子になれるのと同時に、本当の交流ができるのでしょう――師だけでなく、ブッダや過去の聖者たち、そして日常で関わる全ての人や生き物に対しても。
『マハーヨーギーの真理のことば』の後半は、ヨーガの核心に触れるような濃密な教えで溢れています。
理想に一歩でも近づけるように、最後までしっかりと取り組んでいきたいと思います。

ヨーガダンダ yogadanda

 


ホーリー・マザー ナハヴァトでの日々

4月7日に行なわれた春の祝祭では、インドの聖女ホーリー・マザーことシュリー・サーラダー・デーヴィーに焦点を当てて、祝辞や映像、聖劇などを通じて色々な角度から彼女に迫っていきました。
その中のひとつで、ホーリー・マザーが生涯最良の時期だったとおっしゃった、ナハヴァトでの暮らしをご紹介しました。師であり夫であったシュリー・ラーマクリシュナの導きのもと、ナハヴァトで暮らした約10年間は、教えと喜びとユーモアが詰まったかけがえのない日々でした。祝祭では時間に限りがあったので厳選してご紹介しましたが、その内容に加えていくつかのエピソードをイラストと共にブログでもご紹介します。

ナハヴァト この建物の中央1階にマザーのお部屋がある

●シュリー・ラーマクリシュナはマザーの霊的修行を注意深く見守って、マザーが規則的に瞑想するように計らっておられました。朝3時、師はナハヴァトの扉のところまで行き、マザーと一緒に暮らしていた姪のラクシュミーに声をかけました。「起きるのだ。そして叔母さんを起こしておくれ、いつまで寝ているつもりだ。夜が明けるぞ。瞑想を始めなさい」
冬の間、マザーはラクシュミーをもう少し長く眠らせてやりたかったため返事をしませんでした。すると二人がまだ眠っていると思われた師は、時々扉の下に水を注いでからかわれました。マザーたちは寝床が濡れてしまわないように急いで起き上がらなければなりませんでした。こうしてラクシュミーは早起きの習慣を身につけました。


●ある朝、具合の悪かったマザーは3時に起きられませんでした。こうしたことが数日間続きました。これが心のトリックであることをすぐに理解したマザーは、いつもの時間通りに起きるよう自らに強いました。不動の意志と決意なくしては霊性の生活が成功できないことを、後にマザーは語られています。
●ナハヴァトと師のお部屋は20〜30メートルの距離でしたが、師の男性の弟子が増えてお側に仕えるようになってからは、マザーが給仕をしたりお側にいることが叶わないことがあり、時には2ヶ月もお会いできないこともありました。そういうときマザーはポーチの仕切りの小さな穴の後ろに何時間でもたたずんで師の歌声に耳を澄ませました。
そんなマザーの様子を知っておられたのでしょうか、法悦状態の中で、自室で信者たちと歌って踊られる時の師は、ナハヴァトに面している扉を開けっ放しにするようにと言われました。「この部屋は神への強烈な思いと愛に溢れているだろう。彼女がそれをみなければ、他にどうやって習えようか」


「師が歌われると、私はナハヴァトのすだれの陰にたたずんで、そのお声を何時間でも聞き続けたものでした。歌が終わると、合掌して師にお辞儀をしました。なんと喜びに満ちた日々を過ごしたものでしょう!昼も夜も引も切らず人々が押し寄せ、霊的なお話しは終わることがありませんでした」
●マザーはかなりの時間とエネルギーを料理に費やしました。中でも胃が弱かったため特別な食事が必要だった師に料理をして差し上げるという責任ある務めは、最も大きな喜びでした。師は皿に山盛りの料理を見ると消化不良を恐れて手をつけられないことがあったため、ご飯を小盛りにして押し固めたり、ミルクを煮詰めて少なく見えるようにしたり、師が栄養を摂れるように様々な工夫をされました。そのおかげもあって、師は健康を増進されました。
●師は、若い弟子たちの日々の習慣を厳しく見守っていて、怠惰になって翌日早朝の瞑想を怠ることのないよう、夜は食べ過ぎないようにと忠告しておられました。一方、彼らの食事を作っていたマザーは、彼らの健康に気を使い、充分に食べられるよう配慮しておられました。ある弟子が決められていたよりも2〜3枚余分にパンを食べていた時、師はその原因がマザーの母親らしい心配りにあることを知られました。師は、このようなことを今後は禁じると伝えましたが、マザーははっきりと言いました。


「パンを2〜3切れ多く食べただけで、なぜご心配なさるのです。私がここの子供たちの世話をしております。あの子たちを食べ物のことで責めて欲しくはありません」
師はこの言葉の背後にあるマザーの母としての感情を理解して、笑って済ませられたと言います。
●マザーは幼い頃から弟たちの世話をすること、貧しい者に食物を施すこと、そして後にはドッキネッショルで師の若い弟子たちの面倒を見ることなど、多くの方法で本質的に女性に見られる母性を体現されました。当時のヒンドゥー社会の背景もあり、マザーも時折子供を持つことを望まれました。ある日師はマザーの思いを読み取って言われました。


「なぜ思い悩むのだね。私が純金のように純粋な子供たちを残してあげよう。女たちが何百万回生まれ変わって祈りを捧げ、苦行を行なっても得難い子供たちを。世話を仕切れないほど大勢の者がお前を母と慕うだろう」
それでもマザーは「お母さん」という甘美な言葉を聞きたがりました。再び彼女の気持ちを読まれた師は、カルカッタから弟子たちが来ると、師の部屋に入る前にナハヴァトの前で立ち止まって、大声でこう言うようにといわれました。「お母さん、ただいま!」


マザーは瞑想や霊性の修行のために、日々の務めをおろそかにすることは決してありませんでした。そして仕事を口実に礼拝をなおざりにすることも決してありませんでした。
マザーのお部屋は3畳弱で窓もない場所でした。その様な窮屈な生活に耐えられる人はほとんどいませんでした。けれど、ガンガーや寺院の聖なる雰囲気、信者たちのための奉仕、師の世話をすること、そしてマザー自身の霊性の修行と体験が、マザーの心を肉体的苦痛に優るところに引き上げてくれました。ナハヴァトでのマザーの日々は、絶えざる活動と祈りの静寂に交互に満たされていたのです。
マザーのナハヴァトでの日々を思うと、心が聖なるもので満たされ、活力が湧いてきます。マザーを見習い、不動の決意と意思を持ち内面を充実させて、霊性の修行と日々の務め両方を果たしていけますように。

ジャイ シュリー・サーラダー・デーヴィー!
ジャイ シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサ!

サルヴァーニー


春の祝祭🌸〜サーラダ・デーヴィー〜🌸「真の愛(プレーマ)」

外は雲一つない青空が広がり、桜は満開を向かえ、草木は新芽が可愛らしく顔を出して生命の歓びを全身で表しています。
4月7日、「第7回 サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ――神性示現大祭――」が開催されました。今年のテーマは「真の愛(プレーマ)」、シュリー・ラーマクリシュナの霊的な妻であったサーラダー・デーヴィーに焦点が当てられました。
5年ぶりの実開催ということもあり、全国から集った60名程の弟子達は歓びに輝き、オンラインではニューヨークや台湾の方々が笑顔と共にスクリーンに映し出されました。

アーラティーの奉納

プージャー(礼拝の儀)から始まり、アーラティーや祝辞、映像、ナハヴァト(サーラダー・デーヴィーの住居)の実演、聖劇、弟子達のエピソード、賛歌などが奉納されました。
映像では、サーラダー・デーヴィーの生涯がその包み込むような慈愛が伝わってくる清らかなお顔の写真と共に紹介され、ラーマクリシュナがお隠れになられた時にはとても憔悴されるも、その後ご自身の使命を悟り、グルとして生きる愛そのもののお姿が映し出されました。
ナハヴァトでは、サーラダー・デーヴィーが住んでおられた小さな住居と同じサイズの建物が実際に組み立てられ、その謙虚なお人柄と他者への奉仕で埋め尽くされた当時の生活が生き生きと実演されました。
また弟子達のエピソードでは、ラーマクリシュナの4人の弟子が取り上げられ、どのエピソードからもかけがえのない「本当の母」との交流から与えられた真の至福と愛が満ち溢れていました。

聖劇では、夜道を一人歩くサーラダー・デーヴィーが恐ろしい盗賊夫婦に遭遇し略奪されそうになりますが、彼らはサーラダーの中にカーリー女神のお姿を見るのです! カーリーの見神によって心が変容してしまった彼らは、愛情を込めてサーラダーを守ります。

サーラダー・デーヴィーの本性であるマザー・カーリーが顕現!!

盗賊妻「あなたは、人の姿に化身したシャクティです」
盗賊「恐怖に苦しむ者に恵みと避難所を与えられます」
盗賊妻「人の惨めさをあがない、信じるものに喜びを与えられます」
盗賊&妻「あなたに礼拝いたします。おお、至高の御方、宇宙の母よ!」
(劇中、カーリー見神後の盗賊夫婦のセリフ)

盗賊夫婦は改心し、帰依する。

まるでおとぎ話のようなエピソードですが、これが実際に起こった出来事であることに驚かされます。サーラダー・デーヴィーの他者の欠点を見ない純真な心だからこその偉大な力に深く感動します。その後、夫婦は盗賊を辞めて正直で良い生き方をしたそうです。元盗賊夫婦が生き方を変えていく過程の中には、やはり大変な苦労があったのだと想像します。それでも宇宙の母の真実の愛が、彼らに神への信仰が何よりも大切なのだと痛感させ、たとえこの世界で何が起きたとしても神だけを見つめる覚悟を与えられたのではないでしょうか。

私自身はサーラダー・デーヴィーの姪にあたるラクシュミーという女性の役を演じさせていただきました。開催前に自宅で練習している時に、危険な道のりを一人で歩くサーラダーを思って胸が苦しく締め付けられるラクシュミーの心境が伝わってきて、号泣したことがありました。このエピソードはサーラダー・デーヴィーと盗賊夫婦のお話ですが、一心にサーラダーを心配していたラクシュミーと、彼女を励まし導いたシヴァラームにも同じように、宇宙の母の愛と祝福は降り注いでいたのだと思います。

サーラダーの無事を祈るラクシュミー(左)とシヴァラーム(右)。

そして、それぞれの祝辞者からも同じ印象を受けました。どの祝辞者の言葉もサーラダー・デーヴィーを通して宇宙の母のどこまでも大きな愛を体感したからこそ湧き出てくる熱意と勇気に溢れていました。ある祝辞の中に「神は身内」という言葉がありました。サーラダー・デーヴィーはこの世界に生まれてきてくださることで、私たちに転生を超えた「永遠の母」が本当にいることを、身を持って示してくださいました。そして、この世界で信仰と共に生きる模範を見せてくださいました。「永遠の母」を本当の身内とし、その生き方を見倣い、元盗賊夫婦のように、どんな状況の中でも神だけを見つめることを自身の歓びとしていきたいと強く感じた一日でした。

ラストは、盗賊夫婦と共に宇宙の母を讃えるキールタンを歌いました〜!!

船勢洋子


MYM48周年記念【書籍・物販セール】残り10日です!

MYM48周年記念セールも、あと残り10日となりました! ご好評につき、おかげさまで売り切れてしまったものもありますが、皆さま、チェックはお済みでしょうか?
今日は、松山からキャンペーンセールのレポートをいただきましたので、ご紹介させていただきます。

★★★

今回のキャンペーンをきっかけに、松山では『真実を求めて』を多くの方が手に取ってくださっています。
この聖典は2015年の春に出版されました。当時、京都の先輩サーナンダさんが松山瞑想特別クラスの際に少しでも早く届けたいと、バスに乗って大量の『真実を求めて』を運んでくださいました。その夜、私は感謝しながらも夜遅くなっていたので、少しだけ読んでみようと本を開いたのですが、気が付いたら一気に読み終えて感動と歓びに満たされました。

最近、購入してくださったのはヨーガを始めて1年くらいの方や、発売当時は本までは必要ないと思っていたけれど、タイミング良く欲しくなったという皆さまです。ミラバイさんは語り芝居やキールタンのイベント開催のため、2011年以降、松山に何度も足を運んでくださっています。プロローグの次のページの写真が双海の海岸(愛媛県)で撮影されたものなので、松山の皆さんは、そのページを開くと「わ~!双海!?いい写真ですね!」と自然に笑顔になります。

本の内容は手記とヨーガの教えの2部構成になっていて、まず目次からおもしろいのです。抜粋してご紹介すると、

なりたいものがない!
インドに行く!
インドあきらめる
OLになってみる
瞑想ってヨーガなの?
お腹いっぱい食べたらあかん
愚痴が減る
私は何がしたい?

と、読みやすそうな項目が並んでいて、文字も大きく、1つの項目も数ページと短くて、テンポがいいので、自然に引き込まれます。また馴染みにくいヨーガの専門的な言葉を同じ項目の最後のページですぐに解説してもらえるので、ヨーガへの初歩的な疑問が解消されます。

先日クラスの最後に『真実を求めて』の中から「愚痴が減る」の項目をご紹介した時、参加者の方が「私がこうなりたいという理想が書かれていました」と目を輝かせて本を買ってくださいました。そこではミラバイさんがアーサナを毎日すると決めたと同時に「黙る」と決めたこと、職場で仕事上必要最低限のこと以外は話さず、愚痴を言うのをやめる実践を続けるうちに、ある日、自分の中から職場や社長への不満が全く湧き上がらなくなった、まるで映画のワンシーンを見ているように自分の思いが切り離された、という内容が書かれています。

第一部の手記を読んで、もっと知りたいと思ったいいタイミングで「第二部 ヨーガの教え」に読み進めることができるのも、魅力の1つです。

最近の松山からは以上です~。興味がある皆さまに手にしていただけたら、本当に嬉しいです!

★★★

真実を求めて』の他、私たちの師の教えの総集編ともいえる『マハーヨーギーの真理のことば』、またヨーガのエッセンスが小さな本にギュッと詰まった『ヨーガの福音』、見ているだけで作ってみたくなるお料理の本『さまらさの台所』など、様々な書籍があります。
書籍・物販セールの詳細はこちらまで。

セール期間も、残りわずかとなりました。どうぞこの機会をお見逃しなく!!

 

MYM京都 


歓びの春の祝祭を終えて

京都では桜が見事に満開となる中、昨日4/7(日)「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ――神性示現大祭――」が行なわれました。日本各地から、そしてオンラインでもニューヨークや台湾を含め多くの仲間たちが集い、歓び溢れる格別な時をともに過ごしました。

マーラー

祭壇に捧げられた美しいマーラー(花輪)

ホーリー・マザー、シュリー・サーラダ・デーヴィーへのメッセージ、インドの風土も感じられるマザーの生涯の映像、彼女の日々の暮らしを紹介するコーナー、その他聖劇、讃歌など、今回は、見て、聞いて、歌って体感できるさまざまな企画が盛りだくさんでした! 母性愛と慈しみをもって、万物すべての避難所となるべくご自身を与えられたマザーの生きざまについて、楽しみがらも深く感じることができたのではないでしょうか。

讃歌

会の最後に全員でマザーへの讃歌を捧げました

祝祭では聖なる存在の息吹、仲間たちの情熱に触れてたくさんの活力をいただきました。それを糧にヨーガの道へとさらに邁進していけますように!

後日、ブログにて当日の感想などをご紹介させていただきます。
(また会員サイトではより詳細な内容を掲載する予定です)

 

マハーヨーギー・ミッション 


春の祝祭のご案内

京都の街並みにも桜の花があちこちに咲き始めました。
青空の下、満開の桜を目にすると、心の奥に光が差し込んだように、まるで冬の寒さでギュッと凝り固まっていたものが溶かされたような、そんな晴れやかな気持ちになります。

さて、そんな春風の中、4月7日(日)には、「サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー ーー神性示現大祭ーー」を開催いたします。

この大祭は、古来より連綿と続く永遠の真理であるサナータナ・ダルマと、その具現者であるアヴァターラ(神の化身)たちの顕現をお祝いし、最上の感謝と歓びを捧げさせていただく祝祭です。

今回は、「真の愛(プレーマ)と献身」をテーマとし、シュリー・ラーマクリシュナの伴侶であるシュリー・サーラダー・デーヴィーに焦点を当て、宇宙の聖なる母の権化である彼女の本質、その生涯に迫ります。

当日はシュリー・サーラダー・デーヴィーへの祝辞や、彼女が師のもとで暮らされた日々のご紹介、聖劇、その他と、濃密ながらも楽しいコンテンツもご用意していますので楽しみにしていてくださいね。

また今年は実に5年ぶりに実開催が可能となり、多くのグルバイが京都に集います。そしてオンラインでは遠方や海外のグルバイとも繋ぎ、共に歓びを分かち合える貴重な時間となることでしょう。

ジャイ・サナータナ・ダルマ ジャイ・アヴァターラ!

オーム・タット・サット オーム!

マハーヨーギー・ミッション 


アートマンが愛おしい

聖典の真実の言葉から、心に留めてほしいものが一つあるのです。それはある覚者が語ったもので、「夫が大切だから夫が愛おしいのではなく、アートマンが大切だから夫が愛おしい。妻が大切だから妻が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから妻が愛おしい。子供が大切だから子供が愛おしいのではなくて、アートマンが大切だから子供が愛おしい。僧侶が偉大だから尊敬すべきなのではなくて、アートマンが尊いから僧侶が尊い」。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

この世界には自然と愛情が湧いてくる相手もいれば、そうでない相手もいるように見えてしまいます。でも、師であるヨギさんはそんなことには頓着せず、いつも目の前の相手の本質だけを見て接してくださっていました。それは弟子に対してだけではなく、全ての人や物に対しても同じでした。そしてヨギさんの見ておられた世界を言い表したものが上記の美しい言葉なのだと思います。

対人関係で毎日色んな出来事が起こり、時には相手に対して複雑な感情を抱いて心が混乱してしまうこともあります。それでもヨギさんのまっすぐなまなざしを思い出すと、本当はヨギさんが見ておられた世界が真実なのだと認めざる得ない気持ちになって、自分の心のあり方を正していきたいと強く思います。ヨギさんはご自身の生き様を通して、私達に真実を見せてくださいました。

でもその心さえも超えて、その奥にある本質を見つめることができれば、そこには何の違いも見つけられません。区別のない、差別のない、無差別な一つの実体が在るだけです。そして、私たち自身がそれであるということです。私もそれならあなたもそれである、万物がそれである、それだけが在る。

『マハーヨーギーの真理のことば』P87

いつかヨギさんと同じ世界が見れるように、全力でヨーガに励んでいきたいと思います。

船勢洋子


送別会での出来事

春は卒業や入学の季節ですね。私も1月末に5年程務めた仕事を退職いたしまして、最終日に送別会を開いて頂きました。その時の出来事です。

職場の皆さんと話していると、島本さんが掃除をしたり、花を飾ったりして職場の雰囲気をよくしてくれて助かった、と数名の方から言って頂きました。
そのように思っていてくれた方がいたのかと、素直にうれしく思いました。それと同時に、以前私はそういうタイプの人間ではなく、ヨーガを学び進めるうちに徐々に性格が変わっていたことに気付きました。少し苦手なことでも進んで行なうことができたり、美しいものに素直に感動するようになったのかもしれません。大変有り難いことだなと思いました。これまで丁寧にヨーガを教えて下さった、師や兄弟弟子のお姿が思い浮かびました。

また送別会の中で、職場の皆さんから花束や花瓶やコーヒー豆などの贈り物を頂きました。私はコーヒーが好きで、職場でもよく豆を挽いてコーヒーを作っていました。コーヒーを作るようになったのは、2020年にCave(ニューヨーク・ミッションの拠点)に滞在した時に師から教えて頂き、美味しいと思ったからです。そして、花の美しさを教えて下さったのも師でした。このことに気付いた時、私は師への感謝の気持ちで胸が一杯になりました。

師は、家の中でアーサナや瞑想をしているのは心を制御する練習をしているようなものであり、外に出てからが真剣勝負だと仰っていました。人との交わりの中で、心を制御し続けることはとても難しいことだと思います。ふらふらと飛び回る心を注意深く観察し、真理に留めておかねばなりません。自分の殻に閉じこもることなく、周りの人達と調和し、そして役に立てるよう、これからもヨーガの修行をこつこつ続けていきたいと思います。

職場の皆さんから頂いた花束。

島本廉


春分の日🌸『ヨーガの1日』のご案内

3月20日(水・祝)春分の日に、ヨーガの体験クラスを開催します🌸
一般的にヨーガといえばポーズのことを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、ヨーガはポーズだけではありません。呼吸や食事、歌や瞑想によって、ヨーガを実践し深めることができます。そんないろいろなヨーガを体験して頂ける1日です。
開催する場所は、私たちの師がお生まれになりヨーガを教えてこられたマハーヨーギー・アーシュラマです。そこに居るだけで心が落ち着くような美しい場所です。その空気を味わい、肌で感じながらクラスを受講して頂けます。
また体験クラス以外にも、しおり作りを開催します。(体験クラスを受講された方にはもれなくしおり作りが1枚付属します。)心に響くヨーガの教えを選んでしおりに書いて持ち帰って頂けます。ヨーガの教えは日常の中で頼りになり、生活や人生をより良く導く道しるべとなってくれると思います。
ぜひこの機会に、ヨーガの体験にいらしてください😇

※詳細はこちらをご覧ください💁‍♀️ 春分の日企画『ヨーガの1日』

サルヴァーニー


聖典を通して聖者に近づく

私は本を読むのが得意ではありません。ほとんどの場合、文字を追うだけですぐに眠たくなってしまいます。それだから、聖典を読むことにも苦労していました。聖典の学習は通常の読書とは異なり、聖者の息吹を感じるように読むと教わっていましたが、長年の苦手意識の根は深く、本を開くことすらハードルが高かったのです。

しかし、私には心惹かれる聖者がいました。ホーリー・マザーことサーラダー・デーヴィーです。マザーのことを知りたい、近づきたい! そのためには聖典が大きな助けになります。そこで私は、聖典を声に出して読むことにしました。マザーに関する聖典を音読、録音し、それを聞きます。音読は在宅時に限らず、出勤前の車内(職場近くの海岸に停車させて)など、隙間時間を見つけては行ないました。そして、録音できたものは移動や家事の時間に繰り返し聞く、ということを続けました。

音読するときには、聖典に触れ、真理の言葉を目で見て口に出し、それが耳に届きます。五感のうちの四つが聖なるもので満たされます。眠い朝でも、音読をすると心なしか頭や体がスッキリし、軽やかな気持ちで出勤できました。そして何度も録音を聞くうちに、まるで自分がマザーと同じ空間にいるように感じ始めました。
常にマザーが直接語りかけてくれているようで、気が付くとその教えはもちろん、在り方そのものが浸透していくのを感じていました。そして音読に慣れてきた頃には、彼女の言葉をなりきって読んでいる自分がいたのです。慈しみ深い彼女が相手を想う気持ちを言葉に乗せて読み、その後に出勤すると、せわしない仕事中もその話し方の余韻が残って穏やかに話せたことがしばしばありました。

もうひとつ日常生活での変化があります。家の掃除をする時に録音を聞くようになってから掃除が各段に楽になったのです。それまでは、「今日は掃除の日か。しんどいなぁ」と思ったり、すぐに取り掛かれなかったりしていましたし、掃除の時間がやたらと長く感じてぐったりと疲れていました。ところが、聖典と一緒に掃除をするようになってからあっという間に終わるではありませんか! しかも、ずっと心と体が軽やかなんです。何度もそれを経験するうちに、掃除に対する重たい気持ちが無くなり、むしろ「今日は家をきれいにできる日だ」とさえ感じるようになっていきました。聖典を聞きながらすることで真理が心に沁みわたり、余計な思いを浄化してもらったように思っています。

このような日常でのちょっとした変化はもちろん、想像の及ばないところできっと、聖典の恩寵を受け取っているんだろうなと思います。これからもこの実践を続け、マザーのハートと私のハートがひとつになるまで、心や感覚を聖なるもので満たしていきます。もし私と同じように本を読むのが苦手だったり、聖典の学習の実践が難しいと感じたりしている人がいたら、この機会に一度試してみませんか?

大森みさと