投稿者「MYMメンバー」のアーカイブ

アーサナの力

“アーサナは堅固で快適でなければならない”

アーサナとは坐法のこと。あらゆるアーサナは、堅固で快適な状態で座り続けられるようになるために行います。
堅固とは、心がしっかりと定まって動かないことだと、昨年先輩グルバイから教わりました。

ヨーガでは、プラーナ(気)を制御することによって身体や心の動き、そして呼吸を制御していきます。
呼吸と心は密接に関わっており、呼吸が止まると心も止まります。
アーサナにおいては一つの形の中で、まず身体の動きを制御し、次に呼吸を制御していくことによって、心が制御されます。

私がアーサナを始めたのは、通っていた鍼灸学校の先輩のクラスがきっかけでした。
元々股関節と腰に痛みが出やすかったのですが、当時は怪我の影響で膝も痛く曲がりづらい状態で、特にバッダコーナ・アーサナでは上体を倒すと膝の違和感が強くなり、形を深めることができませんでした。それでも行うと腰と股関節に効いている気がして、好んでやっていました。

半年ほど経った頃、初めてMYMのクラスに参加しました。
最初に行ったのがバッダコーナ・アーサナ。それまで参加していたクラスとは異なり、静まり返った雰囲気の中、少しずつ形を作りました。膝に多少の痛みを感じつつも、「しっかりと息を吐ききるように」との声に、ひたすら息を吐くことを意識しました。呼吸する度に身体の感覚がなくなっていくようで、いつもよりも形が深まっていきました。
身体の内側では強烈な刺激を感じ、時間が止まったような気がしました。
「戻して」の声でゆっくりと上体を起こすと、頭がぼーっとしていて、その後のことはあまり覚えていません。おそらく心や感覚が制御されたことで、痛みに囚われずにアーサナできていたのだと思います。
アーサナの形自体はこれまで行っていたものと同じなのに、呼吸を意識することでこんなにも違うのかと驚きました。
MYMのクラスに通うようになってからは、膝の状態は改善して身体の調子も良くなり、バッダコーナ・アーサナをしても痛みや違和感がなくなりました。
それでも長時間座る時は必ず足や腰が辛くなっていましたが、アーサナを毎日行ううちに少しずつ座れるようになりました。
アーサナができない時には、背骨を真っ直ぐに伸ばした姿勢で座るだけで、呼吸が落ち着くことに気付きました。また、クラス受講中に頭痛がひどくてアーサナできなくなった時には、座り続けるうちに痛みが和らぎ、クラスが終わる頃に楽になったことがありました。
座る形を作るためにアーサナがあるのだと納得し、身体を癒す力もあるのだと実感しました。

最近は年齢による身体の変化もあり、腰や股関節に違和感と痛みが出ることがあります。
一通りアーサナをするのが困難な時でもバッダコーナ・アーサナを行い呼吸を繰り返すことで、違和感や痛みに囚われなくなります。
いつまでも吐き続けられるような感覚になり、吐き切った後の自然に呼吸が止まった状態が平安で心地良く、ずっとこのままでいられたらと思うほどです。

身体、呼吸、心が制御された状態の中では、心でも体でもない、本当の自分だけが在ることを体感するから、無呼吸の状態を平安で心地良く感じるのではないかと思います。

アーサナは坐法。
師がお座りになるお姿は本当に美しく、坐法が堅固で快適であることを私たちに見せてくださっています。

そうなるための基礎となるアーサナの大切さを感じています。

美しい坐法が描かれているタペストリー。
ずっと見つめていると瞑想しているような感覚になります。

ハルシャニー  


『マハーヨーギーの真理のことば』“何のために生きるのか”

あるドラマのタイトルの「どうする」というワードに惹かれて最近初めて歴史ドラマを真剣に見ました(笑)。命懸けで戦っていた戦国武将が、どういう事に迷っていたのか?その時どのように決断をし、人生を切り開いていったのかを知りたかったからです。
主人公が戦で窮地に追い込まれた時、「厭離穢土欣求浄土」――穢れたこの世を離れて極楽浄土へ行くという教えに従い、自害して命を断とうとする場面がありました。しかしその後、この教えの本当の意味は、穢れたこの世を浄土にすることこそを目指す、ということだと知り、生きる道を選択します。その場面を見て私は、まさにこれはヨーガに出会う前までの自分と、ヨーガに出会ってからの自分・・・と思えて、『マハーヨーギーの真理のことば』の「天国と地獄は人の心の中にあるものです」の言葉が浮かびました。(※第一章、第五節「真の自由と強さ」)
「何のために生きるのか?」ドラマの主人公も、私も、その目的を見いだせたから、瀬戸際で生きる決断を下したのだと思えました。昔も今も、人は普遍的な真理のことばを求め、それによって生まれ変わることができるのだと感じました。

また、先日の成人の日のニュースで、晴れ着姿の二十歳の人が「どういう大人になりたいか」のインタビューに答えている姿を見て、当時の心境をふと思い出しました。子供の頃から将来どうなりたいのか?どんな大人になりたいのか?どんな職業に就きたいのか?なかなかイメージや答えを見つけられず気付けば二十歳でした。その都度、精一杯考えた無理矢理な答えを当てはめながら・・・世間でうまく生きていくためには自分に無理をしないといけない、それがある意味、立派な大人になるということだとも思っていました。無理をしているから、しんどくて、本心は何もしたくない、ずっと寝ていたいと思っていました(!)。

『マハーヨーギーの真理のことば』のページをめくると、第一章、第一節、いちばん最初にこうあります。

自分の運命は自分で切り開いていくものです。
心次第で未来はどのようにでもなります

何かへの依存や甘えが、迷いを作り出していると気付かされます。全てが自己責任だと腹をくくれば、そこで迷いは断ち切れるのだと思いました。迷いがあるから、無理をして苦しむ。そういえばドラマの中の戦国武将も、迷いが断ち切れたとたん無敵の勇者になっていました(笑)。

本書のまず第一章には、この世の中で不自然な無理をせず、本当の意味で楽になって生きていくためのヒントがあります。 

師シュリーマハーヨーギーは、私がまだ二十代だった時、単純に、こういう大人の人に成りたい!と心から素直に思えた唯一の大人の方でした。社会の歯車の中で生きる意義を感じられず、離島などで自給自足暮らしをする願望を持っていた頃でしたが、それが吹っ飛びました。混沌としたこの世の中でも、影響を受けずに真っすぐ生きる方法があるのかもしれない、と感じたからです。師の生き方に理想を見て、師からヨーガを学んでいた先輩たちは、それを予感させるほど生き生きとして凛としていました。もう、それまでのどんな遊びも、どんなコミュニティも、どんなライフスタイルも魅力的には思えなくなり、あぁ、こんなふうに自然に生きる人になりたいと、そう思える年上の方に出会えたことが人生を転換させました。理想とできる姿や生きる目的が見えたら、人はどんな環境下にいても、信念からブレずに上だけを向いていられるのだと思います。きっと本書との出会いは人生を変えると思います。

第一章のなかで、何度読んでも熱いものが込み上がる箇所があります。二十歳の私はこれが聞きたかった。あの時の私のような人へ、これから生きていくあなたへ、ヒントがありますように。

第一章、第一節「自らの生き方に責任を持つ」より。

――娘を連れてきました。十七歳です。

何か将来、理想とか希望とかをお持ちでしょうか。

――いいえ。

(微笑まれて)実は私もなかった。十七歳の頃はね。多分そうだろうと思ってこういう質問をしたのです。
その時私はこう思った。この見渡す世間には自分の目指すものは何もない。また参考になるものも何もない。しかし、間違いのないことは、今、自分がこの肉体を持って生きているというこの事実です。自分がどのようになっていこうが、自分で自分を決めていく、そういうふうに決意しました。つまり良いことも悪いことも、何が起ころうとも、それは全て自らの責任だということです。もちろん悪い結果は作りたくありません、苦しむのは嫌ですから。かといって何もしないわけにはいかない。そうして何か自分にとって、自分のために良いことをしていくようにしました。もちろんそれがその先、結果をどう迎えるかも自分次第です。自分の責任です。うまくいかなければ自分の努力が足りなかった――そうすれば、更にもっと工夫をして努力をする。自分は自分から逃げ出すこともできないのです。自分を救い出すのは自分しかいないのです! だからこそ自分を高めて、自分をより良くして、自立していく――それをまず、理想としてください。 

将来どんな職業に就こうが、どんな生活をしようが、そんなことはあまり関係ないと思います。それらも全て自分の行なってきた行為の結果が現れるでしょうから。そして自分の内奥(なか)に、本当に尊い存在が在るということを信じてください。神は雲の上にいるのでも、宇宙の果てにいるのでもない。あなたの胸の中にいます。それは不滅の存在であって、純粋な意識のことです。それが誰もの本質なのです。そのことを知らないから、人々はみな苦しんでいるのです。何も興味がなければ、せめてこの単純なことだけでも実現してください。

マハーヨーギーの真理のことば-up

 

ナリニー  


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ①

マハーヨーギー・ミッション(MYM)から発行している『Paramahamsa』(パラマハンサ)という会誌があります。ここには、師シュリー・マハーヨーギーの教えがぎゅっと詰まったサットサンガ(師と弟子の問答)をはじめ、聖者の紹介、弟子の実践・体験談、MYMの活動報告など、多くの記事を掲載してきました。
今ではWebにて配信していますが、1997年5月〜2021年3月(No.144)までは、会員の皆さまに紙面の『Paramahamsa』をお届けしていました。
私は、初期の頃から中程まで、表紙に絵を描かせていただいていたことがありました。

今回から、それらの表紙絵についていくつかご紹介していきたいと思います。

私は美術系の短大に通っていたこともあり、学生の頃は日々絵を描いていましたが、卒業してからの約10年間はちゃんとした絵を描くことはありませんでした。それは描きたいものがなかったからです。

そしてヨギさんの下へ通うようになってから、ヨギさんから、細密画というインドの伝統的な絵のことを教えていただく機会がありました。いくつか流派がある中でも、特にカングラ派の絵は美しいとご本を見せていただいたのです。「綺麗!」その筆使いの繊細さ、落ち着いた絶妙な加減の色彩の美しさに一瞬で惹かれました。そこから自分でも本屋や図書館に行って調べたりしていく内に、ヨギさんに捧げさせていただく細密画を描いてみたいと思うようになったのです。

その第1作目が今回の絵になります。
これは1998年の御聖誕祭でヨギさんに奉納させていただきました。ヨギさんは包み紙を開けてこの絵をご覧になると、「シャチ、こんなんも(こんな絵も)描けるんやな」と、当時落書きみたいなイラストばかり描いていた私に、ニッと笑っておっしゃいました。そして「パラマハンサの表紙にしたらいい」と。
ただヨギさんに喜んでいただきたい! そんな思いだけで見よう見まねで描いた細密画風絵でしたが、そこから私の表紙絵を描く時間は始まったのでした。

1999.1.10発行 B5サイズ、モノクロ、約20ページ

表紙絵第1作目の下には、アーナンダマーリーの言葉をお借りしました。 

無形の神はわれわれと同じ姿を借りて
ご自身をお顕しになり
われわれを惹きつけ魅了する
ただ一重にわれわれを悟りへと導いていらっしゃるのだ!

*2023年1月20日配信のWeb版Paramahamsaにて、このイラストを紹介していただきました。

シャチー


『マハーヨーギーの真理のことば』” 生きる秘訣 “を読んで

 私は人と平和に仲良く付き合いたいという思いが強く、意識しすぎて他人とうまくコミュニケーションがとれず苦しみを感じています。ヨーガを始めて、他人によく思われたいという思いが原因だと分かりましたが、他人に好かれなくてもいいと心に言い聞かせようとすると、その人に対して無関心な冷たい感覚を感じたので、これは絶対違うとも思いました。好かれたいもダメ、好かれなくていいもダメ・・きっと好かれなくていいけれど、私は他人を愛し奉仕しますという境地が正しいのだろうと思いながらも、どうしたらそうなれるのか雲をつかむようでした。

 今回、「生きる秘訣」の章を読んで、他人と接する際、個性は無視すればいいとの教えに衝撃を受けました。ずっと、その人のいいところを見てそれを愛していくもの、悩みを打ち明けてもらえる程関係を深めて、その悩みや困りごとに対して自分ができることを親身になって行為することが「他者に善きことを行為すること」だと思っていたからです。
この教えをよく考えてみると、ここが好き、あそこが好きと判別すること自体、全ては等しく尊いという真実に矛盾しているのかなと思いました。

 また、愛に感情や言葉は要らない。ただ奉仕すればいいという教えも目から鱗でした。これもよく考えてみると、感情や言葉で仰々しく飾る程に、こんなに思っている私を分かってほしいというような見返りを求める気持ちが加わる気がします。無償の愛は本来もっとさり気ない、ただ状況がより良くなるよう行為する。そんなシンプルな姿なのかなと思いました。
そして自らを振り返ると自分を良く見せるために発している言葉がいかに多いか気づきます。やはり、きっぱりと「人に好かれたい」という気持ちを捨てることが必要だと改めて思いました。

他者のために思い、話し、行為できるように、「私」が出てきたら改めていけるように、日々自分の言動をしっかり観察するようにしていきたいと思います。

白石雅子 


何でもない者であるために

今年も残すところあと数日となりました。

この一年、「一つの物事に対して粘り強く取り組むこと」を実践してきました。
神に道具として使っていただけるようになるために、目の前のことに丁寧に向き合い、じっくり考え、行為することが必要だと感じて決めた抱負でした。

実践する中で幾つか気付きや変化がありました。
・じっくり考えて物事をやり切ることが苦手だったが、取り組むうちに苦ではなくなり、習慣になりつつある。
・一つのことを精一杯やり切るように努めることで、結果がどうなっても気にならなくなった。
・困難を感じる時は、目の前のことよりも自分のことを考えている。気付いたらその都度真実へと意識を向けるようにすると、困難は感じなくなった。
・粘り強くやる中で何度も失敗しては気持ちを切り替えるうちに、力まず凹まず淡々と行為するコツが掴めてきた。
・取り組むほどに、自分が何かをしているという感覚が少なくなっている。

抱負を実践することで、神に使って頂ける道具に近付けたかは、自分では分かりません。
ただ、こうして考え行為することも含めて、全てが神から与えられたものであるということを、一層強く感じるようになっています。

あらゆる命は神の顕れ。
常に神である誰かに支えられて、力をもらい、行為し続けることができている。
この事実に感謝しかありません。


1枚の葉が赤と緑のクリスマスカラーになっていました。
赤はイエスが流した血を表し、緑は永遠の命の象徴とされています。

”何でもない者
神は、ご自分の偉大さを、何でもない者を使うことで示されました。ですから、いつでも何でもない者でいましょう。何の相談もなくても、神に自由に使っていただきましょう。”

聖なる者となりなさい マザー・テレサの生き方 より

私も何でもない者でありたい。
いつどのような状況でも、神に使っていただけるようになるために、来年も弛まず行為し続けます。

ハルシャニー


心の方向転換

――悟りの境地について、お話ししていただけますか。

一切の煩わしさや悩みのないところ。
不滅の存在のみの在るところ。
唯一無二のリアリティ――真実在。

『マハーヨーギーの真理のことば』より

この悟りの境地に至ることができるのは、城を飛び出したブッダや、山奥で修行に励んだヨーガ行者たちのものであって、日々忙しなく働き、多くの人との関わりを持つ私たちには無縁のものだろうと思っていました。
しかしマハーヨーギーは、今の生活を棄てることなく日常の中で悟りは実現できる、どんな状況であろうと、それは可能だと教えられます。

――仕事が忙しく、いつも二十三時とか帰りが夜遅くになります。でも充実感がなくて、落ち込むことが多いです。どうしたらこういう思いを解消できるでしょうか。

――気が合わない人にはどのように対応すればいいでしょうか。

――どうしても他人の評価が気になってしまいます。どのようにすればいいでしょうか。

これらの問いは、この本の中に実際に出てくる誰もが悩まされる事柄です。そこに与えられる真理のことばは、出口が見つからず、水平方向にクルクルと回り続ける心を垂直方向に引き上げ、心の有様を俯瞰させてくれます。そうして心は、引き上げられた先に確固たる悟りの境地が在ることを感じるのです。
間違った心の働きを無くしさえすれば、そこに真実は在るはずだ! 日常を放棄して彷徨い歩く必要はなく、今の自分のスタート地点から人生はより良くなっていくはずだ!という希望が生まれてきました!

さらに、一般的に流行している美容健康を目的としたアーサナや単なるリラクゼーションとしての瞑想は、本来の悟りに至るための確実な道として詳細に解き明かされています。
数千年昔から伝えられてきたヨーガの奥深さに驚かされました! そしてそれらの教えは理にかなっていて、実践者にとっては痒い所に手が届くような丁寧さで記されています。

この人生のガイドを手に、弛まず実践を続け、一切の煩わしさや悩みのない、至福の境地に一歩ずつ近づいていきたいと思います!

ヨーガダンダ


歓喜の渦!!!

ついに『マハーヨーギーの真理のことば』が松山にも届きました!
ブログで全目次が公開された日から内容の素晴らしさに圧倒され、『マハーヨーギーの真理のことば』を手にする日を心待ちにしていました。約20年余りの師の教えの集大成というこの特別な聖典を、私は敬愛する師そのもののように感じていたので、予定より1日早く届いた嬉しさに身も心もとろけ、歩こうとしたら腰が抜けそうになりました!(笑)
ついに多くの方にお渡しできる日が来たのです!ご予約いただいた皆さんへのお知らせや書籍の発送作業など、何をしても言葉にならない幸せが込み上げ、気が付いたら「こんなにも幸せな仕事が世の中にあるのでしょうか!?」という思いが身体中を駆け巡っていました。

購入してくださった皆さんの第一声です。
「わ~!!!美しい表紙!このオレンジも本当に素敵ですね!」
「私、この1冊があれば生きていけます!」
「ヨギさんがここにいらっしゃるように感じます」
「触り心地も最高です。一生の宝物です」
感極まって目に涙がにじむ方もおられました。

真っ先に来てくださったヨーガ・サーラ・スタジオのビルのオーナー小野さん

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何人かの方は数年ぶりにスタジオに来られました。木曜のアサンガンのクラス後に来てくださった方も多く、まるで同窓会のように盛り上がりました!
「わ~、パッと開いたら毎回実践って書いています」「俺は献身奉仕や」

「(物理的な意味だけでなく)とっても重みを感じます。1ページ1ページ大切に読みます」

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木曜の夜のクラスの皆さん。「松山特別サットサンガの写真がある!」と大喜び。

「サットサンガという文字が見えただけで感動した!鳥肌が立った!」
「幸せすぎる~~~」
「やっぱり母の分も買うわ~」

91歳の私の祖母も「読みたい!」と買ってくれました。

日曜のクラス。「目次だけでも心が良い方に向かえる感覚になりました」と目次公開後、即ご予約された方も!

様々な声も届き始めました。
「本を開くとヨギさんのお言葉が分かりやすく記されていて優しさに包まれました」
「仕事の秘訣とか人間関係、食事のところを一気に目を通しました。目次が分かりやすく細かく書かれていているので、読みたいところを短時間でも読めるのが良いです!わくわくしながら読み進めています!」

ある方がスタジオを訪れ、購入する際「この値段でいいんですか?安すぎませんか!?」と真剣な表情で仰いました。私もこの美しい装丁、内容、ボリュームで、このお値段は超良心的だと思います!『マハーヨーギーの真理のことば』を読み進めていくと清らかな思いに満たされます。ある時は鼓舞され内側からみるみる活力が湧いてきます。先日も「購入したけど、プレゼントしたいからもう1冊欲しい!」と新たなメールが届きました。本当に欲しい方にお届けできるようご縁を繋ぎ、ますます歓喜の渦が広がっていきますように!!!

アーナンディー


ブッダの悟りと教え

12月8日はブッダが悟りを啓いた日です。
ブッダが最初に説いた教え「四諦(苦集滅道)」は次の通りです。

苦……世の中には誰も避けることのできない、生、病、老、死の四つの苦しみと、愛する人との別れ、憎しむ人との会合、求めるものが得られない、心自体が葛藤する苦しみがある。(四苦八苦)
集……これらの原因は欲望であり、その原因はエゴと無知である。
滅……これに対し、一切の苦悩を離れた真実の境地、ニルヴァーナがある。
道……そして、それに至る道が八正道である。

私はヨーガを始めてからブッダの教えを学び、四苦八苦についてまさにその通りだと思いました。それらの苦しみの原因が欲望であり、さらなる原因はエゴと無知であるということも理解ができました。ですがそれは知的な理解で、現実に思いがけないことが起こり苦しみを突きつけられると、心は動揺し冷静さを失ってしまうということがありました。その時の原因を探ると、自分自身も世の中も変化をしていくものなのに、そこに自分が望む形の永遠を見てしまっているという無知があることが分かりました。体も心も世の中も永遠ではないことを受け入れるよう努力してみましたが難しく、どうしたらいいか分からなくなりました。神を思っても気持ちが入らず、以前は心が震えた聖典を読んでも入ってこないような状態でした。
そんな時、『ヨーガの福音』でブッダの教えを読みました。

「ブッダの説く八つの道の最初は、苦しみとその原因とニルヴァーナ——真理——を正しく理解し、悟りを目指さなければならないというものです。その心構え(正見)をまず必要とします」

 師シュリー・マハーヨーギー

この教えを読んだ私は、永遠でないものを考えることによる無力さで放心して立ち止まっている状態だと認識し、永遠でないものを考えるのではなく、「永遠の存在を正しく理解すること」、それがすべきことだと分かり、意識を向ける先がはっきりして、ようやく心が解きほぐれて動き出すのを感じました。

2500年前にブッダが悟り、最初に説いた四諦は、昔も今も変わらず苦しむ者、道を歩む者に光を指し示してくださっています。永遠に人々を導いてくださっているブッダに感謝を捧げます。

松山の瞑想クラスの挿絵で描いたブッダ

サルヴァーニー

 


師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から編纂したヨーガの決定版、全16章『マハーヨーギーの真理のことば』がついに発刊!!!

ヨーガの全てが網羅されたボリューム豊かな内容となっています。生き方や自分の理想を模索している人、困難な状況や苦悩に直面している人、確かなもの、本当の答えを探している人、瞑想やヨーガを学びたいという人、神を求めている人、真我の探求をしている人・・・一人でも多くの方に、師シュリー・マハーヨーギーが語られた真理の言葉が届きますように。

詳細やご購入はこちらから➡️『マハーヨーギーの真理のことば』


仲間の言葉

 

寒くなりましたね。道に降り積もったフカフカとした落ち葉の上を歩くと、足元からも秋から冬へ向かう空気を感じます。そして師走と聞けば、師が走る(漢字は当て字で、語源は僧が走るなど諸説あるそうです)という字から忙しそうな雰囲気も感じます。一年の締めくくり、実際にも何かと忙しい時期ですね。

雨の雫

雨の雫。11月23日の朝。

さて、先日11月23日の師のジャヤンティーの日は、朝から愛おしい雨が降り続き、静かな歓びがゆっくりと世界を満たしてゆくような、そんな一日でした。私はヨーガ・ヴィハーラ会場から参加しましたが、そこで淡々と力強い祝辞を奉納された一人の先輩について今日は書かせていただきたいと思います。先輩は長年ヨーガの道を歩まれてきましたが、先輩自身のヨーガへの思いを聞く機会は少なかったので特に私には祝辞が印象的でした。先輩は、まさに師走の字のような(?)いつも忙しく走り回っておられるような人で、困っている人の所へ無心で駆けつける人というイメージを私は持ってきました。

朴訥とした先輩は、誰に対しても分け隔てなくあたたかく、最初の頃よく遠慮したり緊張していた私でも、先輩には自然と心を許していました。ずいぶん昔に先輩から「遠慮をし過ぎると周りの人が気を遣うから厚かましすぎる方がいいよ」と言われました。その場におられたアメリカのヨーガ仲間からも「Don’t be shy」と言われました。さすがに二人の仲間から言われたので、真剣に受け止めました。後で気付いたのは、私が先輩に対して心を開けたのは、先輩の言葉をお借りするなら多分先輩がある意味厚かましいから(笑)でした。気を遣わないよう自然に気さくに接してくださっていたのです。厚かましいと相手によっては嫌がられることもあるかもしれませんが、でも少なくとも相手が自分に気を遣うことは減ります。先輩は自分を犠牲にしていることに気付きました。

ヴィハーラへ向かう道。

ヴィハーラへ向かう道。

また、ある時に調理用計量器を頂きましたが、一緒に電池も余分に頂きました。照れ隠しなのか、先輩曰く「人に物を贈る時にはすぐ使えるようにここまで考えなあかん(笑)」。ちょっとしたことですが具体的なことを聞けたことが嬉しく、今もその計量器を使うたび思い出し、自分もそうしよう~と思っています。

毎年ジャヤンティーの頃になると、役割のために先輩のお家にお邪魔することがありました。でも先輩は不在であったり、パタパタ!と帰宅されたかと思うと、もう行くわ!と風のような速さで出ていかれたり、とにかく出たり入ったりされていました。そんな忙しさにもかかわらず、ジャヤンティー当日の朝に役割のある私たちへ、お昼を食べる間がないだろうからと、たくさんのおむすびを結んでくださっていたことがありました。まるで日本昔話に出てきそうなツヤツヤと光った真っ白なご飯の大きなおむすびでした。一種は梅干し、もう一種はお醤油で味付けされたかつお節が入っている素朴なもの。お料理はシンプルなものほど難しいと感じていますが、それは至高のおむすび、とでもネーミングできそうなほど本当に美味しいものでした。真心を感じながら、みんなでほおばりました。「味付けにはその人のエゴが出る」と師が仰っていたと聞いたことがありますが、お料理はその人自身をよく表しているんだなぁと感じます。

前置きが長くなりましたが、そんな先輩の祝辞は、そのおむすびのようにシンプルで、そして心に響いてくるものでした。
いつも自分に出来ることはなんだろう?と考えて、その出来ることを実際に行なっていく、これからもそうしていくという内容でした。先輩は普段から気さくに私たちに声を掛けられますが、なんとそれを道で出会った知らない人にもそうしているとのこと(!)特に子供やお年寄りには声を掛けた方がよさそうだと感じた時には話しかけるようにしていると。本当に驚きました。平等、分け隔てなく、ということは、こういうことだと思いました。
今の世の中そういうことをすれば何かあった時に、余計なことに巻き込まれたり疑われたりするんじゃないかと私は思っていました。私は気付かないうちに世間の目を気にして何にも出来なくなっていたんじゃないかとハッとしました。先輩は、世間の目を気にされるのではなく、ピュアな真実の目でこの世の中を生きておられました。
バスの車内で先輩が、ふとお年寄りに話しかけた時、その方は人と話したのがとても久しぶりだ、と突然泣き出されたそうです。どんなにその方は嬉しかっただろう、と思います。いつも他者のことを気にかけ自分には何ができるだろう?とそれだけに集中されている先輩。そりゃあ忙しくならざるを得ないと思いました。

ヨーガは誰もができるもの。「真理とは難しいものではなく、小学生にも分かるようなもので、またそうでなければそれはおかしいからね」と師からお聞きした言葉が、先輩を見ているとぜんぶ分かる気がします。弟子の行為や生き方を見ることによって、師がどのような方なのかが分かることがあると思います。
今回、祝辞をされた仲間たちの言葉を聞いて、ヨーガの仲間の言葉は、師からの言葉そのものだと思いました!

師が描かれたヴィハーラの扉。

師が描かれたヴィハーラの扉。

 

野口美香 


サットグル・ジャヤンティーのご報告

11月23日(祝・水)にオンラインで行なわれたサットグル・ジャヤンティー(師の御聖誕祭)は、師シュリー・マハーヨーギーの祝福の下、限りない歓喜の余韻を残す祝祭となりました!!!
当日の模様について、写真とともにご報告させていただきます。

灯明とマーラー

プージャー(礼拝の儀)
開会前、祭壇に灯明とマーラー(花輪)が捧げられました。
プージャーでは聖音オームとグルへの讃歌が捧げられ、画面を通して久しぶりに拝見する師のお姿を前に、各々の場所で師のご降臨に感謝を込めて礼拝しました。

 

書籍の献上
続いて二冊の新刊、『マハーヨーギーの真理のことば』、台湾語版『ヨーガの福音』が奉納されました。師はそれぞれの本を一冊ずつ丁寧に手にとられ完成を歓ばれていました。

 

祝辞

祝辞
書籍発刊に際し、師の多大なご尽力への謝辞をはじめ、各地からのメッセージが捧げられました。
弟子たちの口からこぼれた言葉には、師への敬愛と深い感謝、ヨーガへの熱情と新たな決意が満ち満ちていました。中には、師とまだ直接お会いできていない男性からの熱烈なラブコールも!

そして、各地からはオンラインならではの工夫を凝らしたコンテンツが奉納されました。

台湾
出版を記念して動画が制作されました。師のヨーガを実践するとどうなるのか、教えを学び実践し、真実と一つになるヨーガの道が表されたものでした。

 

ニューヨーク
ジャズの名曲に歌詞を乗せて。グル(師)、真理への信仰、献身へと掻き立てる力強い歌が奉納されました。「深くもぐれ、おぉ、心よ、神の美の大海に・・・・」

 

日本
2007年に奉納したウパニシャッドの物語「サティヤカーマのグルへの入門」を再編集した聖劇。グルの命に従い旅に出た少年が、純粋な心の持ち主であるがゆえ動物たちから真理を授かり、さらには究極のブラフマンを悟るためにグルの下へと帰ってきます。

また、出版にあたって、編集からデザインまで全てを監修し、献身されてきた師の写真を納めたスライドショーが配信されました。師のお姿は多くの人の心に深く刻まれたことでしょう。

 

歓びの声新刊の完成を祝い、本の到着を心待ちにしている期待の声や目次の内容を見ての感動の声が各地から届けられました。みな高揚したムードで、次々と師へのメッセージを語りました。いい笑顔〜!

 

師は皆の気持ちに応えるように、最後にお言葉をくださいました。
「この京都のプレーマ・アーシュラマの周りは、今紅葉(こうよう)がとても美しいです。真っ赤に色付いた紅葉(もみじ)の木々がこの季節の歓びを歌っているかのようです。そんな吉祥な日に、二冊の本の発刊がなされました。一つは台湾における台湾語による『ヨーガの福音』です。これは英語、スペイン語に次ぐ、四カ国目の本となりました。手前味噌ですが、デザインもとっても美しいと思います(笑)。内容も簡潔ではありますけれども、ヨーガの本質を余すところなく感じ取っていただけると思います。そして日本において、真理の言葉の集大成とも言うべき決定本が出版されました。サイズも大きくとっても重たい素晴らしい本になりました。将来、これもまたニューヨークミッションの手による英語版や、台湾における台湾語などが作られていくことが想像に難くなく、とっても楽しみにしています。
そのような喜ばしい出来事と共に、本日の頂いた各地のメッセージの数々、これには年を追ってみんなのハートの中にヨーガの魂が根付いていっていることを感じさせてくれる熱いものがありました。とっても歓んでいます! うれしいです! まだ今年は画面を通しての再会でしたが、早く直接にまた体と顔を接してお会いすることができますように。さらにまたブラフマンの輝きに満ちた顔を私に見せてください。楽しみにしています!」

紅葉

新刊ジャイ! サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ!!!

*12月末には「Web版パラマハンサ」にて祝辞などより詳しい内容を掲載する予定です。
*新書籍のお届けについては、今しばらくお待ちください。現在予約受付中です。

 

マハーヨーギー・ミッション