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ブッダの悟りと教え

12月8日はブッダが悟りを啓いた日です。
ブッダが最初に説いた教え「四諦(苦集滅道)」は次の通りです。

苦……世の中には誰も避けることのできない、生、病、老、死の四つの苦しみと、愛する人との別れ、憎しむ人との会合、求めるものが得られない、心自体が葛藤する苦しみがある。(四苦八苦)
集……これらの原因は欲望であり、その原因はエゴと無知である。
滅……これに対し、一切の苦悩を離れた真実の境地、ニルヴァーナがある。
道……そして、それに至る道が八正道である。

私はヨーガを始めてからブッダの教えを学び、四苦八苦についてまさにその通りだと思いました。それらの苦しみの原因が欲望であり、さらなる原因はエゴと無知であるということも理解ができました。ですがそれは知的な理解で、現実に思いがけないことが起こり苦しみを突きつけられると、心は動揺し冷静さを失ってしまうということがありました。その時の原因を探ると、自分自身も世の中も変化をしていくものなのに、そこに自分が望む形の永遠を見てしまっているという無知があることが分かりました。体も心も世の中も永遠ではないことを受け入れるよう努力してみましたが難しく、どうしたらいいか分からなくなりました。神を思っても気持ちが入らず、以前は心が震えた聖典を読んでも入ってこないような状態でした。
そんな時、『ヨーガの福音』でブッダの教えを読みました。

「ブッダの説く八つの道の最初は、苦しみとその原因とニルヴァーナ——真理——を正しく理解し、悟りを目指さなければならないというものです。その心構え(正見)をまず必要とします」

 師シュリー・マハーヨーギー

この教えを読んだ私は、永遠でないものを考えることによる無力さで放心して立ち止まっている状態だと認識し、永遠でないものを考えるのではなく、「永遠の存在を正しく理解すること」、それがすべきことだと分かり、意識を向ける先がはっきりして、ようやく心が解きほぐれて動き出すのを感じました。

2500年前にブッダが悟り、最初に説いた四諦は、昔も今も変わらず苦しむ者、道を歩む者に光を指し示してくださっています。永遠に人々を導いてくださっているブッダに感謝を捧げます。

松山の瞑想クラスの挿絵で描いたブッダ

サルヴァーニー

 


師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から編纂したヨーガの決定版、全16章『マハーヨーギーの真理のことば』がついに発刊!!!

ヨーガの全てが網羅されたボリューム豊かな内容となっています。生き方や自分の理想を模索している人、困難な状況や苦悩に直面している人、確かなもの、本当の答えを探している人、瞑想やヨーガを学びたいという人、神を求めている人、真我の探求をしている人・・・一人でも多くの方に、師シュリー・マハーヨーギーが語られた真理の言葉が届きますように。

詳細やご購入はこちらから➡️『マハーヨーギーの真理のことば』


仲間の言葉

寒くなりましたね。道に降り積もったフカフカとした落ち葉の上を歩くと、足元からも秋から冬へ向かう空気を感じます。そして師走と聞けば、師が走る(漢字は当て字で、語源は僧が走るなど諸説あるそうです)という字から忙しそうな雰囲気も感じます。一年の締めくくり、実際にも何かと忙しい時期ですね。

雨の雫

雨の雫。11月23日の朝。

さて、先日11月23日の師のジャヤンティーの日は、朝から愛おしい雨が降り続き、静かな歓びがゆっくりと世界を満たしてゆくような、そんな一日でした。私はヨーガ・ヴィハーラ会場から参加しましたが、そこで淡々と力強い祝辞を奉納された一人の先輩について今日は書かせていただきたいと思います。先輩は長年ヨーガの道を歩まれてきましたが、先輩自身のヨーガへの思いを聞く機会は少なかったので特に私には祝辞が印象的でした。先輩は、まさに師走の字のような(?)いつも忙しく走り回っておられるような人で、困っている人の所へ無心で駆けつける人というイメージを私は持ってきました。

朴訥とした先輩は、誰に対しても分け隔てなくあたたかく、最初の頃よく遠慮したり緊張していた私でも、先輩には自然と心を許していました。ずいぶん昔に先輩から「遠慮をし過ぎると周りの人が気を遣うから厚かましすぎる方がいいよ」と言われました。その場におられたアメリカのヨーガ仲間からも「Don’t be shy」と言われました。さすがに二人の仲間から言われたので、真剣に受け止めました。後で気付いたのは、私が先輩に対して心を開けたのは、先輩の言葉をお借りするなら多分先輩がある意味厚かましいから(笑)でした。気を遣わないよう自然に気さくに接してくださっていたのです。厚かましいと相手によっては嫌がられることもあるかもしれませんが、でも少なくとも相手が自分に気を遣うことは減ります。先輩は自分を犠牲にしていることに気付きました。

ヴィハーラへ向かう道。

ヴィハーラへ向かう道。

また、ある時に調理用計量器を頂きましたが、一緒に電池も余分に頂きました。照れ隠しなのか、先輩曰く「人に物を贈る時にはすぐ使えるようにここまで考えなあかん(笑)」。ちょっとしたことですが具体的なことを聞けたことが嬉しく、今もその計量器を使うたび思い出し、自分もそうしよう~と思っています。

毎年ジャヤンティーの頃になると、役割のために先輩のお家にお邪魔することがありました。でも先輩は不在であったり、パタパタ!と帰宅されたかと思うと、もう行くわ!と風のような速さで出ていかれたり、とにかく出たり入ったりされていました。そんな忙しさにもかかわらず、ジャヤンティー当日の朝に役割のある私たちへ、お昼を食べる間がないだろうからと、たくさんのおむすびを結んでくださっていたことがありました。まるで日本昔話に出てきそうなツヤツヤと光った真っ白なご飯の大きなおむすびでした。一種は梅干し、もう一種はお醤油で味付けされたかつお節が入っている素朴なもの。お料理はシンプルなものほど難しいと感じていますが、それは至高のおむすび、とでもネーミングできそうなほど本当に美味しいものでした。真心を感じながら、みんなでほおばりました。「味付けにはその人のエゴが出る」と師が仰っていたと聞いたことがありますが、お料理はその人自身をよく表しているんだなぁと感じます。

前置きが長くなりましたが、そんな先輩の祝辞は、そのおむすびのようにシンプルで、そして心に響いてくるものでした。
いつも自分に出来ることはなんだろう?と考えて、その出来ることを実際に行なっていく、これからもそうしていくという内容でした。先輩は普段から気さくに私たちに声を掛けられますが、なんとそれを道で出会った知らない人にもそうしているとのこと(!)特に子供やお年寄りには声を掛けた方がよさそうだと感じた時には話しかけるようにしていると。本当に驚きました。平等、分け隔てなく、ということは、こういうことだと思いました。
今の世の中そういうことをすれば何かあった時に、余計なことに巻き込まれたり疑われたりするんじゃないかと私は思っていました。私は気付かないうちに世間の目を気にして何にも出来なくなっていたんじゃないかとハッとしました。先輩は、世間の目を気にされるのではなく、ピュアな真実の目でこの世の中を生きておられました。
バスの車内で先輩が、ふとお年寄りに話しかけた時、その方は人と話したのがとても久しぶりだ、と突然泣き出されたそうです。どんなにその方は嬉しかっただろう、と思います。いつも他者のことを気にかけ自分には何ができるだろう?とそれだけに集中されている先輩。そりゃあ忙しくならざるを得ないと思いました。

ヨーガは誰もができるもの。「真理とは難しいものではなく、小学生にも分かるようなもので、またそうでなければそれはおかしいからね」と師からお聞きした言葉が、先輩を見ているとぜんぶ分かる気がします。弟子の行為や生き方を見ることによって、師がどのような方なのかが分かることがあると思います。
今回、祝辞をされた仲間たちの言葉を聞いて、ヨーガの仲間の言葉は、師からの言葉そのものだと思いました!

師が描かれたヴィハーラの扉。

師が描かれたヴィハーラの扉。

 

野口美香 


サットグル・ジャヤンティーのご報告

11月23日(祝・水)にオンラインで行なわれたサットグル・ジャヤンティー(師の御聖誕祭)は、師シュリー・マハーヨーギーの祝福の下、限りない歓喜の余韻を残す祝祭となりました!!!
当日の模様について、写真とともにご報告させていただきます。

灯明とマーラー

プージャー(礼拝の儀)
開会前、祭壇に灯明とマーラー(花輪)が捧げられました。
プージャーでは聖音オームとグルへの讃歌が捧げられ、画面を通して久しぶりに拝見する師のお姿を前に、各々の場所で師のご降臨に感謝を込めて礼拝しました。

 

書籍の献上
続いて二冊の新刊、『マハーヨーギーの真理のことば』、台湾語版『ヨーガの福音』が奉納されました。師はそれぞれの本を一冊ずつ丁寧に手にとられ完成を歓ばれていました。

 

祝辞

祝辞
書籍発刊に際し、師の多大なご尽力への謝辞をはじめ、各地からのメッセージが捧げられました。
弟子たちの口からこぼれた言葉には、師への敬愛と深い感謝、ヨーガへの熱情と新たな決意が満ち満ちていました。中には、師とまだ直接お会いできていない男性からの熱烈なラブコールも!

そして、各地からはオンラインならではの工夫を凝らしたコンテンツが奉納されました。

台湾
出版を記念して動画が制作されました。師のヨーガを実践するとどうなるのか、教えを学び実践し、真実と一つになるヨーガの道が表されたものでした。

 

ニューヨーク
ジャズの名曲に歌詞を乗せて。グル(師)、真理への信仰、献身へと掻き立てる力強い歌が奉納されました。「深くもぐれ、おぉ、心よ、神の美の大海に・・・・」

 

日本
2007年に奉納したウパニシャッドの物語「サティヤカーマのグルへの入門」を再編集した聖劇。グルの命に従い旅に出た少年が、純粋な心の持ち主であるがゆえ動物たちから真理を授かり、さらには究極のブラフマンを悟るためにグルの下へと帰ってきます。

また、出版にあたって、編集からデザインまで全てを監修し、献身されてきた師の写真を納めたスライドショーが配信されました。師のお姿は多くの人の心に深く刻まれたことでしょう。

 

歓びの声新刊の完成を祝い、本の到着を心待ちにしている期待の声や目次の内容を見ての感動の声が各地から届けられました。みな高揚したムードで、次々と師へのメッセージを語りました。いい笑顔〜!

 

師は皆の気持ちに応えるように、最後にお言葉をくださいました。
「この京都のプレーマ・アーシュラマの周りは、今紅葉(こうよう)がとても美しいです。真っ赤に色付いた紅葉(もみじ)の木々がこの季節の歓びを歌っているかのようです。そんな吉祥な日に、二冊の本の発刊がなされました。一つは台湾における台湾語による『ヨーガの福音』です。これは英語、スペイン語に次ぐ、四カ国目の本となりました。手前味噌ですが、デザインもとっても美しいと思います(笑)。内容も簡潔ではありますけれども、ヨーガの本質を余すところなく感じ取っていただけると思います。そして日本において、真理の言葉の集大成とも言うべき決定本が出版されました。サイズも大きくとっても重たい素晴らしい本になりました。将来、これもまたニューヨークミッションの手による英語版や、台湾における台湾語などが作られていくことが想像に難くなく、とっても楽しみにしています。
そのような喜ばしい出来事と共に、本日の頂いた各地のメッセージの数々、これには年を追ってみんなのハートの中にヨーガの魂が根付いていっていることを感じさせてくれる熱いものがありました。とっても歓んでいます! うれしいです! まだ今年は画面を通しての再会でしたが、早く直接にまた体と顔を接してお会いすることができますように。さらにまたブラフマンの輝きに満ちた顔を私に見せてください。楽しみにしています!」

紅葉

新刊ジャイ! サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ!!!

*12月末には「Web版パラマハンサ」にて祝辞などより詳しい内容を掲載する予定です。
*新書籍のお届けについては、今しばらくお待ちください。現在予約受付中です。

 

マハーヨーギー・ミッション 


祝 サットグル・ジャヤンティー&新書籍発刊

本日、最愛の師、シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕祭が行なわれました!!!
オンラインにて日本各地、ニューヨークや台湾の100名以上の弟子たちが集い、師への深い感謝と悟りへの誓願、書籍発刊をお祝いする喜びの声が捧げられました。

そして、ついに!完成した『マハーヨーギーの真理のことば』、台湾語版『ヨーガの福音』が奉納され、初お披露目となりました〜!!!

マハーヨーギーの真理のことば

これから一人でも多くの方の手に届きますように!
サットグル・ジャヤンティーについては追ってご報告させていただきます。

*本の発送、お渡しにつきましては今しばらくお待ちください。

マハーヨーギー・ミッション 


もうすぐジャヤンティー!

見上げれば天高い青空に真っ赤に染まった葉や眩しいほどの黄色い葉。真っ黒な土からは常緑の艶やかな緑が。朝降ったばかりの透明な雨の雫。外の世界を織り成す色彩が一斉にカラフルな光を放ち、秋の空気の中でしっとり調和し静けさを醸し出す特別なこの季節。自然の背後にある大いなる存在を感じてため息が出ます。

いろんな色の葉

いろんな色の葉

『ラーマクリシュナの福音』の中で、ラーマクリシュナがこんなことを仰っていました、
神はさまざまの形を持ち、さまざまのやり方でお遊びになる。
彼はイーシュワラ(人格神)として、デーヴァ(神)として、人として、そして宇宙としてお遊びになる。
あらゆる時代に、彼は人びとに愛と信仰とを教えるために、人の姿をとって化身として地上に下りていらっしゃる」。

これを読んで思うのは・・・やっぱり師のこと・・・。
もうすぐ!最愛の師が御聖誕された11月23日、サットグル・ジャヤンティーがやってきます!!!大切な師がこの世に御誕生された日です。
そしてその日、ついに師の教えの新しい書籍『マハーヨーギーの真理のことば』が出版されるということなのです。さらにまた、長く親しまれてきた書籍『ヨーガの福音』が台湾でも出版されるということ。一刻も早く読みたい!!という自分の思いは抑えつつ……冷静に考えると、師のお言葉が本になるということは、本物の真のヨーガの普遍的な教えが多くの方に届けられるということ。師と弟子の一対一の間で交わされた霊的な問答のその中身がその場にいなかった人々にも公開されるということ。私はこのホームページで紹介された本の目次を読んだ時、師は師の一切すべてを出し惜しみなく、これほどまでにここで出し尽くされるのか・・・と驚愕しました。こんなにも師は、この本という形をも通してご自身を捧げられたのだと呆然としました。人々への愛の本だと思いました。真剣に生きることと向き合っている人に必ず届いてほしいです。

私はある時、先輩から師であるヨギさんについて「ヨギさんは弟子を導くために存在されている」とはっきりと言われました。「弟子」とは、今、師に直接お会いできた者たちだけではないと私は思います。師は、ブッダの教えにある「私の肉身を見る者が弟子ではなく、私の教えを知る者が私の弟子である」と仰られているからです。
だからもし、今あなたがこのページを真摯に読まれているのなら、あなたも弟子なのだと思います。また未来に師の教えの書籍を読まれてヨーガの教えを生きようとする人も弟子なのだと思います。ヨーガという道を知り、真剣に自分のこの人生を歩もうとする者は、みんな同じ一つの根源から繋がる弟子だと私は思います。

真理はまず聞いて、考えて、そして瞑想して」と師は仰っています。まず聞く、それがなければ次の「考える」に進めないので、今すぐ師にお会いできない場合のためにも教えが記されている書籍、聖典が必要です。
聖典について、過去の『パラマハンサ』(会報誌)のある記事にこう書かれていました、「インドにおいて聖典とは、書かれた書物ではなく、口伝されてきた聖者の言葉、すなわち真実の悟りを啓いた人の言葉である」。
ということは・・・『マハーヨーギーの真理のことば』は聖典中の聖典。師の口から語られたその時その瞬間のお言葉が記録されてきて、それが脚色なくそのまま活字となった本だからです。真実の悟りを啓かれた聖者は、他者のためだけに言葉を発してくださっています。そんな言葉がこの地球上にあるのかなと思います。純度100パーセントの清らかなそんな言葉が。

『ラーマクリシュナの福音』の中でラーマクリシュナがこのようにも仰っていました。
イーシュワラ・コーティ(この世に特別の使命を持って生まれてくるすでに完成された魂)以外の者は、誰一人、サマーディに達したあとに相対意識の段階に戻って来ることはできない。普通の人々の若干は、霊性の修行によってサマーディに到達するが、彼らはそこから戻ってはこない。しかし神みずからが人として、一個の化身として、他者の解脱の鍵を握って生まれてこられる場合には、人類の福祉のために、その化身はサマーディからこの世の意識に戻って来るのだ

かのラーマクリシュナがこう仰っているということは、本当に他者のためだけにこの世にお生まれになり、肉体を保ち、留まってくださり、人々に愛と信仰を教えてくださる慈悲深き御方、神の化身がおられるということ。

・・・ジャヤンティーまで、あと三日。出席される方も出席されない方も、それぞれのところから最大の感謝を最愛の師にお捧げすることができますように!!!

*参考『ラーマクリシュナの福音』

一(ひとつ)の存在

一(ひとつ)の存在

 

野口美香 


真理の教えは宝物

私たちが悟りへの道をまっすぐに歩めるように、師は常に真理を教え導いてくださっています。

お会いできない日々が続く中で、自分の中に幾つもの真理の教えが宝物のように存在していることを強く感じるようになりました。
きっと、ヨーガを学び実践している人には、それぞれの中に光り輝く宝物のような教えがあると思います。

私の中で特に輝いているのは、初めて触れた教え、『ヨーガの福音』の最初の項、『真我』です。

肉体は両親から生まれ、塵に還る。
心は無知から生まれ、悟りの中で死ぬ。
真の自己は生まれたこともなく、死ぬこともない。
不滅で永遠の存在です。
それがあなたの真の自己です。
神と呼ぶものです。

心と体が自分だと思っていたけれど、本当の自分は生まれたこともなく死ぬこともない、永遠の存在なんだ!
私はこの教えに衝撃を受け、惹きつけられました。
自分という存在は何なのか?神はいるのか?
ずっと疑問を抱えていたけれど、この教えが本当なら解決する。
本当なのかどうか、自分で確かめたい!!
生きる目的を見つけたような気がして、この教えを何度も読み、師にお会いしてからは直接語られる言葉として聴き、少しずつですが自分の中にも永遠の存在があるのだと感じられるようになりました。

教えそのものも、教えを実現しようとする力も、師から与えて頂いた貴重な宝物。
確かに感じられた永遠の存在の片鱗をしっかりと掴み、宝物を磨いてさらに輝かせるように、永遠の存在を少しずつ育み続ける。いつか私の内側から溢れ出るほど大きく育てたい。

今年もいよいよ師の御聖誕日が近づいてきました。
今年は『マハーヨーギーの真理のことば』が発刊されることもあり、一層歓びが高まっています。

グルは、闇を照らす光。グルが語られる真理の教えも、光を放ちます。
これまで師にお会いして教えを学んできた人にとっても、まだお会いしたことのない人にとっても、この本を読むことで真理の教えに触れる吉祥な機会になりますように。


外苑前のいちょう並木。陽を受けると黄金色に輝いて一層美しいです。

ハルシャニー


平等であるために

平等。
私はこの言葉が大好きです。文字を見るだけで安心することもありました。世の中は不公平だと感じることが多かったからか、この言葉そのものに憧れていたのかもしれません。

実際この世界では不平等としか思えないような出来事が起きています。
では、平等とは何なのか? 本当に存在するのか?
不平等だと感じる度に疑問が湧き起こりました。

その後ヨーガに出会い、誰もの中に等しく真実が存在していると知った時に、これこそ私が求めていた平等だと思いました。

心の目で見れば不平等な世の中も、真実の目から見れば、姿形や性質は様々でも、その中には一なる真実がある。それは一つのものである。それを体感するには、悟りの境地に至る必要があるのかもしれません。
しかし、道半ばであっても、平等であれるように努めることができます。

今、私は平等であるために、真実の側から見るように努められているだろうか。
振り返ると、心の側から見ていることの多さに気付きました。平等でありたいと願いながらも自ら違いを見てしまっているのです。また、特に苦手と感じる人がいると、その人の中にも真実があると意識しようと力み、何とかしようと焦って失敗したりしています。
心ではなく、真実の存在をより深く信じ、そこに全てを委ねていくようにすることが必要なのではないかと思いました。

まだひと月ほどの期間ではありますが、実践するにつれて身体の力が抜けて、平安な気持ちで過ごす時間が長くなりました。
不思議なほど次々と問題が発生する日々だったのですが、一つ一つ落ち着いて丁寧に対応することができたように思います。
苦手な人に対面しても余計なことを考えず、少しでも何らかの思いが生じたらすぐさま一なる真実に委ねるようにすることで、今行為するべきことを自動的に行なえるような感覚になることが増えてきました。
また、目の前にいる人の中に真実が存在していることに愛しさを感じて胸がいっぱいになる瞬間が何度もあったことは、これまでにない経験でした。

私の今年の抱負は、「(神に自分を明け渡して委ねるという信念をもとに)一つの物事に対して粘り強く取り組むこと」でした。
取り組む中で、熟考して行動する習慣が身に付いてきたように感じます。
今回体験したことがまた新たな積み重ねになるよう、より確実に実践をしていきたいと思います。

玉川上水沿いの遊歩道。美しい緑がまだ楽しめますが、足元にはどんぐりが落ちていて、秋を感じます。


 

ハルシャニー


『マハーヨーギーの真理のことば』 お知らせ第二弾

先日の『マハーヨーギーの真理のことば』出版予定の発表後、多くの方から喜びと期待の声が寄せられています〜!
今日は、気になる本の中身について、もう少しお伝えしたいと思います。

全16章で構成されている、すべての章と節立てを一挙に掲載させていただきます!!!
これだけでも、もの凄いボリュームと濃密な内容であることを感じていただけるかと思いますが、実はそれぞれの節に数多くの項目(見出し)があり、目次だけでも10ページもあるんです!

序章
第一節 シュリー・マハーヨーギー
第二節 サットサンガ
第三節 本書の構成と学び方

第一章 生きる秘訣
第一節 何のために生きるのか
第二節 仕事の秘訣
第三節 人間関係の秘訣
第四節 愛のかたち
第五節 真の自由と強さ

第二章 真理・真実在
第一節 生と死の理(ことわり)
第二節 ブッダの教え
第三節 アートマンの真理
第四節 悟り

第三章 心と世界の理
第一節 カルマと輪廻転生
第二節 カルマと苦の原因
第三節 心の性質と働き

第四章 ヨーガの道
第一節 ヨーガの道
第二節 発心と入門
第三節 成就への歩み

第五章 身口意を調えるヤマ・ニヤマの教え 
第一節 ヤマ・ニヤマとは
第二節 ヤマの教え
第三節 ニヤマの教え

第六章 アーサナの実践
第一節 プラーナを制御する
第二節 アーサナの目的
第三節 実践の心得
第四節 アーサナの醍醐味

第七章 食の大切さ
第一節 ヨーギーの食事
第二節 食事と心の関係
第三節 食の心構え

第八章 実践の秘訣
第一節 自然の理を学ぶ
第二節 日常の実践
第三節 無執着と放棄の実践
第四節 忍耐と精進
第五節 理想への情熱

第九章 大宇宙と小宇宙の神秘
第一節 プラーナの制御とクンダリニー
第二節 タントラとシャクティ
第三節 神秘の宇宙

第十章 奉仕と献身の道
第一節 利他的行為の実践
第二節 自己犠牲と慈悲の行為
第三節 ヨーギーの行為

第十一章 真の愛
第一節 バクティ
第二節 神に近づく
第三節 甘美な愛
第四節 愛の極致
第五節 信仰と芸術

第十二章 信仰
第一節 純粋な信仰
第二節 信仰を育む
第三節 神への開け放し

第十三章 瞑想――基本編
第一節 瞑想の基礎
第二節 瞑想の実践
第三節 識別の方法

第十四章 瞑想――実践編
第一節 識別瞑想の実践
第二節 死の瞑想
第三節 真我への瞑想
第四節 聖者・神への瞑想

第十五章 宗教と社会
第一節 ヨーガと宗教
第二節 ヨーガと社会

第十六章 聖なる存在
第一節 ヨーギーとしての在り方
第二節 覚者
第三節 グル

前半は、誰もが生きていく上で直面するだろう、様々な問題に対する秘訣や指針となる教えが編集されています。そして、その上でヨーガの目指すもの、またそれを実現するために学ぶべき世界と心の仕組み、ヨーガの道についての教え、具体的な日常の実践が纏められています。
後半は、ヨーガを一層深めていくために、クンダリニー・ヨーガ(神的エネルギー、女神とシヴァ神の合一)、カルマ・ヨーガ(無私の行為)、バクティ・ヨーガ(神への信愛)、そして瞑想、識別、更にはヨーガの成就者とグル(師)について学べるように構成されています。

まずは前半でしっかりと基礎を学び、後半に進んでいただけたらと思いますが、それぞれの人の答えを求める項目から、また関心があるところから、読み進められるようにもなっています。
皆さま、どうぞお楽しみに〜!!!

師が長年にわたり、世界各地で真理を解き明かしてこられた全ての記録から厳選された教えが、ここに著されています!
この書は、これからヨーガを学ぶ人、そしてすでに熱心に実践している人、また未来に縁をもって道を歩む人にとって、かけがえのない導きと祝福となることでしょう!

マハーヨーギーの真理のことば

初期の頃の校正紙 師にも何度も目を通して頂きました。

11月発売予定!!
マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

マハーヨーギー・ミッション 


カーリーをもっと近くに!

初めてカーリー・マーのお姿を目にしたとき、「これが神様なの?しかも母なの?」と心の隅で思ったように記憶しています。それほど強烈なヴィジュアルの持ち主ですが、彼女を慕うようになって数年経った今感じているのは、私にとって彼女は、大きくて穏やかで、慈しみと愛情に満ちた、まさに母そのものだということです。

『あるヨギの自叙伝』の中に、パラマハンサ・ヨーガーナンダとマスター・マハサヤとのエピソードが出てきます。その章ではマスター・マハサヤが聖母様と絶えず交流されている様子が描かれています。聖母様がカーリーであるとは書かれていないのですが、そこに記された宇宙の母についての一節がとても好きで、その描写を読むと私は、カーリーのことを思い浮かべずにはいられなくなります。そして彼女の底知れぬ愛を感じて、何とも言えない安心感とあたたかい気持ちに包まれます。

「天の母に子供のような心で近づいて行った歴代の信仰者たちは、彼女が常に自分と遊んでくれていることを証言している。マスター・マハサヤの生涯においても、聖母様が、事の大小に関係なく彼と戯れておられる情景がしばしば見られた。神の目には、大事も小事もないのである。もし神が、原子をあのように精巧に造られなかったならば、大空もあの壮大な天体の構成を誇ることはできなかったであろう。神は、この宇宙が一本のねじくぎの緩みのためにくずれ去るようなことのないように、どんなささいな事にも等しく心を注いでおられるのである。」

『あるヨギの自叙伝』P84より引用

私がどんな存在であるかは全く関係なく、彼女に無条件に愛されてここに存在しているということを知りました。カーリーが常にすべての存在に対して愛情を注いでおられるから、今のこの瞬間も宇宙が保たれています。どんな存在も、等しく彼女が世話をしている子供です。母親に見守られて無邪気に遊ぶ子供のように、カーリーが展開し、維持しているこの世界で私も、生まれてきた歓び・生きる歓びを存分に味わいたいと思っています。

そして、かつての聖者たちが彼女と交流してきたように、私も彼女と本当に話してみたいと思っています。それが叶った時には、何を話そう、どんなことを聞いてみよう、どんなお声で答えてくださるのかな?なんてことを想像してはワクワクしています。最も近しい母なのだから、実現できないはずがない!と思っています。

もっともっと彼女に親しんで近づきたいと思い、あるものを作りました。それは粘土で作ったマスコットです。かなりデフォルメしているし、お見せできるほどの出来栄えでもないのですが(と言いつつ堂々と写真を載せています…!)、私にとってはかわいいカーリーです。

デリケートな素材だったため、ニスを塗って持ち歩けるようにしました。

なぜマスコットなのかというと、幼いころの自分を思い出したからです。よく、お気に入りのキーホルダーや小さな人形を肌身離さず持ち歩き、それが本当に命のある友達のように思って、心の中で話しかけたり一緒に遊んだり、いろんな経験を共有したりしていました。その時と同じように、神様とも親しみを込めてふれあい、常に一緒にいることを忘れずにいたいなぁと思い、自作してみました。

これから、この小さなカーリーがいつもそばにいてくれると思うだけで、私の心は喜びでいっぱいになります。彼女とどんな時間を過ごせるのか、とても楽しみです!

大森みさと


アベダーナンダからのメッセージ

主に対して確固たる、ゆるぎない信仰と強い信仰心を持つことを望むのであれば、あなたはタパッスヤーつまり厳しい苦行も習慣にすべきだ。タパッスヤーとは、当てもなくあちこちをさまよい歩くことではない。その言葉が実際に意味しているのは、規則正しく変わることなくジャパや瞑想を実践し、自制心を養うことである

10月2日は、シュリー・ラーマクリシュナの直弟子スワーミー・アベダーナンダの御聖誕された日です。私はアベダーナンダのことをほぼ何も知らない時に彼の単刀直入なその言葉に出会い衝撃を受けました。彼の口を通して届けられたその真理のメッセージに耳を澄ませました・・・

Abhedananda

彼の出家前の名前はカーリープラサード。知性に恵まれ宗教的で哲学的思索に優れていた彼は、真理を求める中で「哲学者になりたい」と思っていました。ギーターを熟読し、霊的な叡智を渇望し、ヨーガを実践したいと切望しますが、友人から適切な指導者なしにヨーガ・スートラを実践してはならないと言われ、真に悟りへ導いてくれる師を求めます。その時ラーマクリシュナとの出会いがありました。
師の没後は僧院の一部屋が「カーリー・タパスウィの部屋」と呼ばれたほど一日中その部屋で厳格な霊性修行とヴェーダーンタ(究極的真理)の研究に没頭し、後には遍歴の旅に出て厳しい修行生活を約10年間送ります・・・しかし転機が訪れます。

リーダーであるヴィヴェーカーナンダは、自分たちは個人の解脱を望むのではなく、他者に奉仕し、師の教え、永遠の真理を世界に広めるために喜んで一生を捧げることが使命だと考え、兄弟弟子たちへ痛切にそれを感じさせました。ヴィヴェーカーナンダがアメリカそしてロンドンへ渡った頃、彼はアベダーナンダに共に加わって師の思想を一緒に広めるようにと頼みます。ヴィヴェーカーナンダの言葉は師の言葉だと確信していたアベダーナンダはロンドンへ行きます。ヴィヴェーカーナンダは事前にロンドン市民へ「インドから到着したばかりの学識ある兄弟僧が、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)に関する講演を行なう」と先に発表し、それは新聞でも速報されました。演説など全くしたことがなかったアベダーナンダは、それを知ってひどく困惑してヴィヴェーカーナンダの無分別なやり方に強く抗議します。しかし、ヴィヴェーカーナンダは言いました「私の人生のあらゆる苦難の時に、いつも強さと勇気をお与えくださった、あの御方にお任せしたまえ」。
・・・アベダーナンダは師の限りない恩寵に頼り、当日、姿を現します。ホールは超満員、彼の講演は素晴らしい成功をおさめました。ヴィヴェーカーナンダのイギリス人の弟子によると「ヴィヴェーカーナンダは『仮に私がこの次元で死んだとしても、私のメッセージはこの愛すべき者たちの口を通して伝えられ、そして世界はそれに耳を傾けるだろう』と考えておられたようだった」。
ヴィヴェーカーナンダは、アベダーナンダに仕事を引き継ぎインドへ戻ります。ロンドン、ニューヨークと、アベダーナンダは、さらに師の教えを伝えるため多種多様な活動を続けました。その間には数々の困難や、彼の成功を嫉妬したある宗教者たちからの陰口を受けることもありましたが、アベダーナンダはいつもの活力と落ち着きを決して失わず仕事を続け、多くの人々が彼のメッセージに耳を傾けました。異なる文化の重要な国々に、彼は師の教えを広め続けました。25年間も。

彼がほとんどの講演で話されたことは、思いの清らかさと、身分や宗教や国籍に関係なくすべての人を愛する精神を養う、ということ。
神を信じるか信じないかに関係なく、自制心、集中力、正直さ、すべての人に対する無私の愛があれば、我々は霊的完成への途上にあるのです」。その四つが欠けているなら、その人の信仰は言葉だけのものだということ。彼自身はそのすべてを体現されていたからこそ、様々な困難があっても25年間もの間、異国の地に留まって人々のために師の教えを伝え届けるという真の宗教者の仕事に喜んで一生を捧げ、その使命を果たされたのだと思います。

Vivekananda Avhedarnanda

ヴィヴェーカーナンダと、二度目のヴィヴェーカーナンダの渡米に同行したトゥリヤーナンダと、ニューヨークのヴェーダーンタ協会を任されていたアベダ―ナンダ。彼らは共に師の教えを人々に伝えた。
ニューヨークにて、左からヴィヴェーカーナンダ、トゥリヤーナンダ、アベダ―ナンダ。

また、博識多才だった彼は多作な書き手でもあり、著作は非常に分かりやすい文体で豊かな情報と深い哲学を含んでいたことから、彼の語った言葉を直接聞けなくとも様々な国のもっと広い範囲の人々へ、その活字となった思想が影響を与えました。57歳の頃にインドへ戻った彼は、人々に霊的恩恵をもたらすため休むことなくエネルギーの最後の一滴まで使いました。

私はアベダーナンダの言葉から、困難な状況があっても状況のせいにしたり、また状況そのものを変えようとする必要はないことを学びました。神から与えられたその状況に留まって、そこで自分の内面を変えることによって、好ましくない状況を自分にとっての好ましい状況として受け入れることができると。それは毎日の規則正しいヨーガの実践によって。
良くするも悪くするも、何事も自分次第!」と師であるヨギさんから教わったことと一致します。アベダーナンダからのメッセージに耳を傾けると、自分にとってはマイナスだと感じている状況さえもがヨーガを生きるための不可欠な材料である!と私たちを鼓舞してくださっているように感じます。
聖者からの言葉は特別であり、それが活字であっても翻訳された言語であっても、時空を超えて直接届くのだと思います。その聖なる振動は消えません・・・

「内面の安らぎと充足感がなければ、人はどこへ行っても落ち着きのなさと苦痛を感じるだろう。あなたの識別能力を使って自分の心の周りに壁を張り巡らすことだ。外部の事情という邪魔ものがあなたの心に入り込むのを許さないように。これがサーダナ―(霊的修行)であることを知ることだ。あなたは俗世に心にかなう場所を見つけられない。好ましくない状況を好ましい状況に変えることを学ぶように。自分の心を耳から引き離すと、馬車のゴロゴロという音が聞こえなくなる。自分の持ち場を守り、主に祈るように。神は我々の助け手、そして大黒柱であられる

当面のあなたの務めは、神の御心に完全に服従することである。あなたの取るに足らない願望は実現されない以上、それはきっぱり諦め、完全に神の御意志にお任せして漂うが良い

世間の束縛を感じていて、平安を見い出していないという状況自体、精神世界においては向上の手段である。
あなたが着手した仕事は礼拝することであると自覚しつつ、あなたは神に仕えているという考えを肝に銘じて、労働の成果を神に捧げよ

アベダーナンダ!この世に生まれてきてくださって、師の教えを多くの人々に届けてくださって、本当にありがとうございます!!!今もこうして私たちに伝わっています!!!

*参考・引用・抜粋『真実の愛と勇気 ラーマクリシュナの弟子たちの足跡

野口美香