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執着なき、純粋な働き

自粛要請が続き、ヨギさんや先輩グルバイにもお会いできない中、昨年の春の祝祭の動画を視聴させていただき、とても大きな励みになりました。(昨春祝祭のブログはこちら→2019春の祝祭
ヨギさんの慈愛に満ちた優しい眼差しや参加者の皆さんの喜びの熱を感じ、私自身もまさに会場にいるような、至福の時間を過ごすことができました。

昨年2019年4月7日(日)、満開の桜が咲き誇る中で開催された春の祝祭サナータナ・ダルマ アヴァターラ  メーラー。今年は残念ながら中止になってしまったのですが、祝祭参加者に向けて昨年の祝祭の模様が全編映像配信されました。私は祝祭の式典には参加できなかったため、このような機会をいただき、本当にうれしかったです。(動画の一場面)

昨年の祝祭では、19世紀後半の神の化身シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの悟りと生きざまに焦点を当て、8名のグルバイ(兄弟姉妹弟子)たちからスピーチが捧げられました。ラーマクリシュナの魂に触れ、その存在すら感じられるような熱い思いが迸るスピーチでした!

今回の祝祭の動画から強く感じたのは、ヨギさんの決して変わることのない確かな導きとグルバイの皆さんの神への信仰と愛、そして悟りへの強い決意でした。

ヨギさんから多くの教えをいただきながら、なぜ私は皆さんのように、真理の道に邁進することができていないのか?自分の未熟さが情けなくもありましたが、動画の中で目標とする姿を目の当たりにし、もっと自分のエゴと向き合い、純粋になっていきたいと志を新たにすることができました。

また最近では、新型コロナウイルスの問題を機に、自分自身が果たすべき義務や働きは何なのかということを真剣に考えるようになっていました。
今までは、母として妻として家庭を大切にし、家族のためにより良い家庭環境を作ることが自分の義務であり、それを愛をもって遂行することこそが、何よりのサーダナ(修練)になると考え、その義務以上の働きに対しては、なかなか積極的になることができませんでした。

しかし、先輩グルバイが熱く語られるシュリー・ラーマクリシュナの生涯や生き様、その教えに触れる中で、私は自分の果たすべき義務を、小さな心の領域の中でばかり考えてきたのではないかと、自問せずにはいられませんでした。

シュリー・ラーマクリシュナのあまりにも純粋な働き。
休むことなく、他者のために身を尽くし、働き続けるその無私の行為に、ただただ圧倒されるばかりで、自分がいかに働きの結果に執らわれ、他者に奉仕できる最良の機会を逃し続けてきたのかということが、はっきりと理解できるような気がしました。

スワミ・ヴィヴェーカーナンダは『カルマ・ヨーガ』の中で「筋肉と頭脳から巨大な活動を起こさせよ。しかしそれらをして、魂にいかなる深い印象も刻ませてはならない」と言われています。

世の中は、先の見えない不安や緊張に包まれ、今後ますます、多くの人々が本当の安心を求め、人生の目的や命の意味に立ち返っていかれることでしょう。
そうした方々のために、自分のできる最善を尽くすこと。自らの働きを通して、少しでも多くの方にヨギさんの教えをお伝えしていくことが、弟子としての私の新たな義務ではないだろうかと考えています。

最後に師シュリー・マハーヨーギーよりお言葉がありました。『それぞれの人がそれぞれの状況の中で、真実を悟ることができる。なぜなら、真実はもうすでにそこにあるから。』優しく力強い言葉に胸が熱くなりました。                                                    オーム・タット・サット オーム!

計らいのない純粋な働きによって、多くの善いことを行なえますように。
内なる神に礼拝し、日々精進していきたいと思います。

 

 

田原由美+子供たち/大阪  


一点の光

家族や職場の様々な問題を解決するために、ヨーガに救いを求める人は多いです。ヨーガを実践していくと、不思議なことに、四面楚歌のような状況が打開され、凝り固まった心がいつの間にかほぐされ、一筋の道が見えてくることがあります。

今回、大阪のプレーマ・ヨーガ・サークルで活動されている尾崎さんが、日々のヨーガの実践について寄稿してくださいましたので、ご紹介させていただきます。


昨年の秋、家族が心と体のバランスを崩してしまい家からも出られなくなりました。その時、私は家族にとって何がよいことかを考え実践しようとしましたが、心配事が尽きず、ずっと緊張状態でいたので、疲れ果てる毎日でした。

そんな時、「ヨギさん!」と何度も心の中で繰り返しました。そうするとヨギさんの笑顔が浮かび、呼吸が上手くできていない事に気づくのでした。フーッと深く息を吐くと緊張でガチガチになっていた肩の力が抜けて、途端に安堵感に包まれました。そうしていくうちに、次第にどの様な結果がやってきても気にならなくなっていきました。目の前が真っ暗になってしまった私の狭い世界で、ヨギさんは一点の光でした。その光を見失わないように、必死でヨギさんを思い続けました。

そして、今年の春の祝祭の日、私は参加出来なかったのですが、少しでもお祝いの気持ちを届けたいと、ヨギさんに思いを寄せていました。その時、目に入ってきた日陰で咲いた桜にとても美しい生命力を感じた瞬間、「もっと純粋になりたい!」そんな強烈な思いが湧き上がってきました。それは、家族の為に何ができるのかと、瞑想を続けてきた私へのヨギさんからの答えだと思いました。ヨギさんの祝福はいつも分け隔てなく降り注がれている!それに気づくかどうかは自分次第なのだと改めて教えていただいた気がしました。

家族は上向き調子に良くなってきています。私も、暗闇から抜け出し、相手にとって良き事とは何なのかを深く考えられるようになってきました。私は心配の余り当事者の苦しみを自分の事と感じてしまっていたのです。相手の立場に立って考えるのではなく、相手と同化しようとし、依存していたのでした。家族に対して行なっていたのに「私」が主語になっていたことに気づくことができました。「ヨーガを学んでいる私がどうにかしなければ」と驕っていたのでした。

家族と暮らしながら、家族への執着を放棄することは無理だと思っていました。しかし、それは間違いでした。放棄するのは形ではなく、心の方だったのです。私は私、家族は家族。そこからは識別と放棄の日々が始まりました。見守って、寄り添って、必要な時は手を貸す。そこに私のエゴはないか、本当に相手にとって良き事か行為する前に一呼吸おいて識別し、放棄する。手を貸すことは簡単だからつい手出し口出ししてしまう。それがエゴであっても行為をした満足感を喜びと勘違いすることもある。ほとんどがそんな失敗の繰り返しでしたが、以前よりは相手の気分に振り回されずに行為できるようになってきました。

一時は落ち込んで、疲れ果てて何のサーダナ(修練)もできずにいましたが、ヨギさんという光を見失わずにいられるのは、ずっと私を励まし、光のもとへ引っ張ってくれたグルバイ(兄弟姉妹弟子)の存在があったからです。それもまたヨギさんが与えてくださった祝福なのだと思いました。この降り注がれる祝福に気づく人がもっともっと増え、真理という一点の光を見つけることができるならどんなに素晴らしいでしょう!
「純粋になりたい!」という思いは、身近な家族を超えて、もっともっと広い世界に私を導いてくれるのかもしれないと思いました。

尾崎恭子


不滅なる主ーーキールタンの味わい

バクティ・サンガムでは、今年も3カ月間かけて1曲のキールタンを歌い込んでいくということを行なっています。6月からチャレンジしているのは、「Hara Hara Mahadeva(ハラ ハラ マハーデーヴァ)」というシヴァ神を讃える歌。2007年に新風館で行なったライヴ映像もありますが、私も歌うのはほぼこの時以来で、約12年ぶり(!)でした。

久しぶりに歌ってみて、軽やかで楽しい、とてもいい曲だなあと思いました。でも単純に楽しいだけではない、何かがあるような気もするのですが、それが何かがまだよく分からない。キールタンはもちろんどれもが神を讃えた歌ではあるのですが、この歌の本質は何だろう・・・。それがなんともつかめないまま、一カ月ほど歌っていました。

Hara Hara Mahadeva Sambho   Kasi Visvanatha Gange
Kasi Visvanatha Gange   Kasi Amarnatha Gange・・・

歌詞は、単純にシヴァ神の御名を讃えていきます。その中で、Kasi(カーシー) という言葉が出てきます。意味はベナレス。インドの地名です。

ベナレスは昔から有名な聖地の一つで、シヴァ神の都ともいわれています。多くの聖者が住んだ場所でもあり、また多くの人がそこで人生の最期を迎えることを望み、やってくるところでもあります。なぜなら解脱できるといわれているから。私も20代の頃にベナレスに行ったことがありました。目の前にガンジス川が流れていて、上流には火葬場があり、その下流では沐浴をしたり洗濯をしたりしている。死ぬことも生きることも等しく日常にありました。ベナレスはインドの人々にとって特別な聖なる場所。・・・そんなことを思い巡らせながら歌を練習していた時、破壊と再生を司る主シヴァがこの世界で起こる変化のすべてを大きく受け止め、見守り続けていること、そしてシヴァの祝福が今もなお降り注がれていることが突然胸に飛び込んできて、深く感動しました。長い長いインドの歴史の中で、どれほど多くの人たちがシヴァ神を崇拝し、そこに救いを求め、またベナレスの地を愛してきたことか。

歌詞の中には、 Amarnatha (アマルナータ)という言葉が出てきます。不滅なる神という意味。主シヴァはもちろんのこと、私たちの本質も不滅である。破壊の神のイメージが強いシヴァ神ですが、不滅の神とも呼ばれ慕われてきたその意味と、シヴァ神のもう一つの側面を、ようやく少しだけ体感できたように思いました。私はこの日以来、シヴァ神をグッと身近に感じるようになりました。今でも、シヴァ神の御名から与えられたその振動が胸に鮮やかに残っていて、彼の御名を唱えるたび、喜びに満たされます。

8月まで「Hara Hara Mahadeva」を歌います! ぜひバクティ・サンガムに来て、この歌を一緒に歌ってみてください!

 

 

ミラバイ


どうしたら瞑想はできるようになる?

 大阪府を流れる淀川から分かたれた大川は、途中二手に別れて再び合流し、一つの島を作っています。中の島と呼ばれるその場所に、大阪瞑想専科が開かれる中央公会堂が建っています。
クラスが始まる19時頃、季節によってその様相は変わりますが、瞑想専科が始まった5月から夏にかけてのこの時間は、ちょうど夕陽が沈もうとするところで、とても美しく、大きなビルが立ち並ぶ、せわしない大阪市内とは思えない静けさがあります。

さて瞑想専科は、新コースが始まってひと月が経ちました。講師はサーナンダさん。毎回 10人ほどの参加者が集います。
講座では真理の教えを学べることはもちろんですが、サーナンダさんの体験談やサーナンダさんがこれまで師にお聞きした秘蔵のお話が聞けたりします。

「瞑想といっても、何から始めたらいいか分からない、どうしたら瞑想ができるようになるの?」
疑問をもつ参加者さんたちに、まずは座り慣れていくことにまさることはないとサーナンダさんは言います。
「最初は面白くないかもしれない。けれど何度も座っていく中で、日常では経験できない静けさに気づくと思います。雑念で揺れ動く心を静めていくので、初めは闘いのようでしょう。けれど心の雑念はほおっておくとだんだんと、動き回ることに疲れて静まっていくのです!」
サーナンダさんは中学生の頃から座禅を始め、毎日座って気づいたそうです。40分も座れば心が静まり、深い集中に繋がっていくということを。
ごく身近なことを例え話に用いて話される、おもしろくて深いサーナンダさんのお話は、確実に参加されている方々を引っ張っていっているようです。皆さん、ビシッと座っておられますね。
クラス後には「今日もすごく集中できました!」と生き生きと話されるお姿もあり、また「そんなことを言われてもと思わずに、やってみようと思えるようになりました」「家でも座っています」「心が軽くなりました!」という喜びの声も届いています。

最後に、ある日の会でのこと。
瞑想に限らず、何かをしようと思ってもできなくて落ち込んだ経験は多くの人がもっているかもしれません…… 
サーナンダさんがずっと以前に師(ヨギさん)にお聞きしたお話を紹介してくださいました。

サーナンダ「できなくて落ち込んだことはありますか?」
師「落ち込んだことは一度もない」

(さすがはヨギさん、できないことなんてないんだろうな〜)
すると……

師「できなかったことはある」
(えぇっ! そうなんだ。ではどうしたの?)

師「まだ今は自分にはできないんだと素直に認めた。そうして、どうしたらできるようになるかと考えた。そしてそれをやった。そうしたらできるようになった」

もしそれでもできなければ、あとはその繰り返しだけです、とサーナンダさんは続けられました。
シンプルなお言葉の中に、私たちの本来のあり方が示されたように感じ、心に響きました。

まだまだ入門コースは続きます。
途中参加もありです。ぜひ瞑想専科に心を静めに来てください!

シャチー

*大阪瞑想専科 毎週月曜日 
 https://www.mahayogi.org/classes/meditation_osaka
 京都瞑想専科も毎週木曜日、同内容で開催しています。(JR京都駅近にて)


3月バクティ・サンガムのご案内

京都ではちらほらと梅が咲き始めています。春の訪れも間もなくですね。

さて、今日は3月のバクティ・サンガムのご案内をさせていただいています。いつもの会では一つの曲を取り上げ、それを深めていけるように繰り返し歌い込んでいくことを中心に行なっているのですが、3月はみなさまからのリクエストを元にメドレーをして、いろんな曲を歌います!

どの曲を歌うかは、当日のお楽しみ〜。いろんな歌が歌えるので、きっと楽しいと思います!

  • 大阪:3月8日(金)19時〜(扇町/スプラウト)
  • 京都:3月24日(日)16時45分〜(寺町/民族楽器コイズミ2階)

みなさま、ぜひふるってご参加ください! お待ちいたしております。

ミラバイ

 


神への態度 バクティ・サンがム キールタン

先日の日曜日は今年最後のバクティ・サンガムでした。10月から3ヶ月間歌い込んできたキールタン、「ゴーヴィンダ・ハレ・ゴパーラ」をみんなで歌いました。ゴーヴィンダもゴパーラもクリシュナ神の幼少期のお名前。このキールタンでは、その御名を、何度も何度も繰り返します。愛らしい幼子ゴパーラが、森の中で無邪気に遊び戯れている様子を見て、母親は愛おしい我が子の名前を叫ばずにはいられなくなる。そんな印象がこのキールタンにはあります。

バクティ・ヨーガの中では、バクタ(神を愛するもの)の神への態度が5つ教えられていますが、その5つの中には、ヴァーツァリアという、神を子供と見立て、母親のように愛するという態度があります。まさにこのキールタンは、ヴァーツァリアの態度がぴったりだと思いました。ちなみに、他の態度には、神を平安な気持ちで愛するシャーンタ、召使いの態度のダースィヤー、親友の態度のサキヤ、そして愛人の態度、マドゥーラがあります。

私は、このバクタの態度の話を聞くたび、自分は一体どの態度なのだろうか…という疑問が生まれます。以前そのことをヨギさんにお尋ねしたとき、「それぞれの人の素直な態度というか、ふさわしい態度というのが自ずと生まれてくる」と教えてもらったことがあります。

「ふさわしい態度が自ずと生まれる」

では、生まれるまでは何をしたらいいのでしょうか。そんなことを考えていたとき『ラーマクリシュナの福音』の中である物語を見つけました。

ある娘が幼いときに夫を失って寡婦となった。彼女は自分の夫に会ったことがなかった。他の少女たちの夫を見て、ある日父親に「私の夫はどこにいるのですか?」と尋ねた。父親は「ゴーヴィンダがお前の夫だ、もしお前が呼べば、彼は来るだろう」と答えた。これを聞いて少女は自室に入り、扉をしめてゴーヴィンダに向かって「おお!ゴーヴィンダ、私のところに来てください、なぜ来てくださらないのですか!」と叫んだ。神は少女の哀れな叫びに抵抗することができず、彼女の前に現れた。人は子供のような信仰と子供が母親を見たいと感じるときの強烈な憧れとを持たなければならない。その憧れは、暁の東の空の紅のようなものだ。空が紅くなれば、必ず太陽が昇る。その憧れの直後に人は神を見る

このお話を読み、「ふさわしい態度が自ずと生まれる」までは、この少女のように、ただ純粋に神を求め続けることだと思いました。神への態度が先にあるのではなく、まずは素直さと熱心さが何よりも大切なのだと思います。

12月でいったん歌い納めした「ゴーヴィンダ・ハレ・ゴパーラ」ですが、1月のバクティ・サンガムでは2018年の振り返りをするので、もう一度歌います!ぜひ、ゴーヴィンダ!!ゴパーラ!!!と叫びにきてください。


アイドルと神の追っかけ

もう10月も終盤ですね。この1年を振り返るにはちょっと早いですが、私にとって2018年は仕事でもヨーガでも「追っかけ」ということを感じている年であります。

私は介護の仕事をしているのですが、車椅子の利用者さんが今年に入ってから急に女性アイドルグループにはまり、毎日その音楽を聴いたり動画を見るようになって、コンサートにまで行くようになりました。介助の付き添いでコンサートに行くと、そこには「追っかけ」のような熱狂的なファンの人がいっぱいいて、会場内は「超絶カワイイ〜ちゃん!」などの叫び声が聞こえ、その興奮と熱気で独特の雰囲気が醸し出されていました。

で、ヨーガの方はいうと、今年に入って私はバクティ・サンガムによく参加するようになりました。今までバクティ(神への愛)やキールタン(神の讃歌)には抵抗があったのですが、ちょっと行きたくなって参加してみたら、なんとはまってしまいました(笑)。それからというもの、京都にとどまらず大阪、松山、この前の神戸のインディア・メーラーにと、バクティ・サンガムがあるところ、「追っかけ」のようにどこでも行くようになりました。

そして先日も大阪のバクティ・サンガムに参加してきました。会場には大阪や兵庫、京都、また松山から来た熱狂的バクタ(神の信愛者)たちがいて、不思議と歌う前から瞑想的な独特のムードに心が支配されました。今月からテーマ曲は『Govinda Hare Gopala』。自分の名前が連呼されるという嬉しいような恥ずかしいような曲……歌の始めはリードと追っかけの掛け合いですが、後半からはみんなで神の御名を歌っていきます。今回、繰り返し繰り返し神の御名を歌っていくうちに、太鼓、鈴、ハルモニウム、コーラス、そしてリードも追っかけもすべてが一つに溶け合うような一体感があり、それは初めて味わう感覚でした。

10/28(日)京都のコイズミ楽器さんでバクティ・サンガムがあります。
どうですか、神の御名の「追っかけ」、一緒にしませんか?

ゴーパーラ


ヨーガ無料体験@イオンモール大阪ドームシティレポート‼

台風が2つも同時に来ていて蒸し蒸しがまた戻ってきていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

さてさて、今年はちょっとしたご縁がありまして、京セラドーム大阪近くのイオンモール(←迷いそうになるくらいすごーく広い!)3階で、ヨーガの体験レッスンを月一回させていただいております!

毎回どんな方が何人くらい来られるのかワクワクドキドキ(ハラハラ笑)なのですが、前回7月24日のレッスンの模様を、河野扶佐子さんがレポートしてくださいましたので、ご紹介します!

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今年の5月から月1回(第4火曜日)開催されて、今回で3回目となったイオンモール大阪ドームシティでの無料レッスン。好評につき、8→10月まで開催が延長になりました。今回はその様子をご報告させていただきたいと思います。

イオンモール大阪ドームシティへのアクセスはと~っても便利‼ 私が降りた駅は、阪神電鉄「ドーム前」駅。案内で駅と直結とあったけど、改札出たらなんと目の前にイオンモールの入り口が‼ あまりの連絡の良さに思わず写真をパチリ。

  
他アクセス、Osaka Metro「ドーム前千代崎」駅と地下通路で直結、JR環状線「大正駅」より徒歩7分

会場のある3Fは、スローホビー&キッズセレクトのフロア。二児の母である私としては、子供用品の買い物がてらヨーガができるなんてサイコォー!しかも無料で♪ 外は灼熱、ここでは涼める!至れり尽くせり(笑)とレッスンへの期待が高まります。

そしてレッスン開始直前、どこからともなく集まった20名あまりの方々。
ヨーガを目的で来られた方、偶然通りかかった方、子連れや妊婦さん、ご年配のご夫婦まで、経験者もおられたのですが、ほとんどがヨーガ未経験の方々。

舞台で見本を見せつつ、軽やかに指導されるのはマーダヴィーさん。まずは立木のポーズから。中々片足で立てない方に「バランス難しいですよね、私なんて片足で立つのしばらくかかりましたよ~」なんて皆さんの気持ちをほぐしつつ、「猫背はマイナス思考になりがちなので、普段からの姿勢は本当に大事なんですよ~」と声掛けがあった瞬間、私含め一同背筋ピーン!自然とポーズに集中できるよう朗らかに導かれていました。
ゆったりと丁寧に、しかし、内容はしっかり。最後は座り方から瞑想まで、初心者の方はもちろん、経験者の方でも十分充実した濃い~1時間のレッスンでした。

写真でも見ていただけるようにここは、ショッピングモールの催事場。周りは子供のプレイスペースやアミューズメント施設まであって、静かな雰囲気とは言い難い。行き交う買い物客の視線が否応無しに注がれます。
宣伝にはいいと思いますが、受けられる方は周りを気にすることなく集中できるのだろうか?無料だし、そこは仕方のないところなのかな?

私のそんな心配をよそに講師のマーダヴィーさんは、全体に行き届いた配慮とお声掛け、瞬時に適切な判断をスタッフや私達アシスタントに指示され、ご自身はポーズの見本を見せながら説明に至るまで快活にこなしておられ、何よりそんな雰囲気全部を楽しんでおられるように見えました。

そして、それに応えられるかのように参加された方は、最初はぎこちなくても、アーサナが進むにつれてどんどん集中されていって、どの方も最後まで熱心に、アーサナをされていました。さらに、0~3歳ぐらいのお子さん連れの方が5組ほどおられましたが、お子さんが愚図ることはなく、全てのママさんが最後までレッスンを受けることができました。
レッスン後、皆さんすぐに立ち去らずに質問をされる方もいて「通います~!」といった嬉しいお声まで聞けたようです。

マーダヴィーさんのリード、熱心に取り組む参加者、子連れの妊婦さんにはアーリヤ―さんが付き添われ、会場スタッフの方々も設営からチラシ配り、アーサナの体験もしておられ、このレッスンをこの場に居てる全員が作り上げているような印象を受けました。
そして、それに応えられるかのようなヨギさんの恩寵。もうここがショッピングモールだとか何だとか全ての枠が消えてなくなり、この空間だけが隔離されたような神聖なプラーナに満たされていくようでした。いつの間にか会場は自然と穏やかでリラックスした雰囲気になり、赤ちゃんからご年配の方までみんながその空間に包まれたようでした。

レッスン後、皆さんとってもステキな清々しい笑顔で会場を後にされて、ヨギさんの伝えられるヨーガの普遍さを感じさせて頂けたような貴重な体験でした。

ヨギさん、マーダヴィーさん、至らないところだらけの私にこのような機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。

まだまだ、10月まで月1回、開催中です。お近くの方はもちろん、電車乗って来られる方も直結!ですし、なにせ無料!ですから~これは、いかなきゃもったいない!
ぜひぜひ体験してみてください。

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行かなきゃもったいなーい!そんな無料レッスン、8月28日、9月25日、10月23日開催です!あっ、イオンモールでは毎週火曜日は恒例お買得いっぱい火曜市!もやっているので、レッスン帰りには“お得に”お買い物してお帰りくださいね〜!


正面玄関や店内でもご案内してます!

マーダヴィー


バクティ・サンガム キールタン

Bhajamana Ma

Bhajamana Ma Ma Ma Ma   Bhajamana Ma Ma Ma Ma

Anandamayi Ma Ma    Anandamayi Ma Ma

Anandamayi Ma Ma   Anandarupa Ma Ma

 

6月から3ヶ月間バクティ・サンガムでは「Bhajamana Ma 」というキールタンを歌っています。Bhajamanaとは心から讃えよという意味、そしてMaはお母さん、母なる女神のこと、Anandamayi は至福に満ちている、Anandarupaは至福の姿をとられたという意味です。

「心よ!至福に満ちている母なる女神を讃えよ!!」

というキールタンですね。女神の優しさに包まれるようなメロディー、単純で覚えやすい歌詞、日常でもいつの間にか口ずさみ、その都度Maに思いを馳せることができます。

ところで、Maといえば、一番に思い出す聖者がいませんか?
Maへの信仰に全てを捧げた19世紀のインドの大聖者、シュリー・ラーマクリシュナです。

カーリー(女神、Ma)寺院の神職をしていたシュリー・ラーマクリシュナは毎日熱心に礼拝するうち、「生きているMaに会いたい!」という思いを募らせていきます。そしていつしか寝食を忘れ、狂ったように神を求め、ついにMaを見神するのです。

シュリー・ラーマクリシュナは生涯をかけて神を求め、愛することを教えられます。全身全霊でMaを求めた彼が、実際どのようにMaに祈っていたか、その言葉を弟子に教えておられる箇所を見つけましたのでご紹介します。

「私はいつも彼女(Ma)にこう祈った『おお母よ、おお至福に満ちたお方よ、私にお姿を見せてください。くださらなければ駄目です。おお低き者たちの主よ、おお、宇宙の主よ、私は決してあなたの宇宙の外にいるのではありません。私は知識を失っています。修行もできていません。信仰もありません。あなたはお慈悲をもって私にお姿を見せてくださらなければいけません』」

シュリー・ラーマクリシュナはいつも、神はもっとも親しい身内だと言われます。子供が母親に泣きつくように心の底から泣いて神を求めたら、神がそっぽを向いておられるわけがないと教えられます。私はこのBhajaman Maを歌うとき、いつもこのシュリー・ラーマクリシュナの祈りの言葉と、神への態度を思い起こし、心でこう叫んでいます。

「私に純粋な信仰を授けてください。くださらなければ駄目です!!」

8月のバクティ・サンガムでもBhajamana Maや、他の女神のキールタンを歌いますので、ぜひぜひご参加ください! 大阪8月10日(金) 京都8月26日(日)になります!


大阪・阿倍野 瞑想クラス入門編に参加して

5月より阿倍野のプレーマ ヨーガ サークルにて、3回シリーズの瞑想入門クラスが開講されました!(詳しくはこちら←

「瞑想は潜水に似ている」とよく言われるのは、講師のサーナンダさん。
潜水では呼吸を止めて水中に潜り、そうすると今まで見えていなかった世界が見えてきますが、 瞑想においても呼吸が静まり停止すると、心の奥深くに潜ることができ、心の奥に在る本当の自分に目覚めることができるとのこと……😵💡
今回のブログは、名古屋で子育てをしながらヨーガをされている末松さんが、この瞑想クラスに参加しての気付きや取り組んでいる実践について寄稿してくれました✏️


「潜りたい!」3年くらい前になるだろうか、あるクラスで先輩グルバイに「水面を泳いでいないで潜ってみれば」と言われた時からずっーとわたしの中にあった思いだ。自分なりに潜り方を探ろうといくつかの方法を試したけれど、うまくいかずすぐにあきらめてそのまま月日が過ぎてしまっていた。
そして今回の瞑想クラス入門のことを知り、奥の方にずっと蓋をしていたこの願望がムクムクと騒ぎだした。このクラスに参加することでこの気持ちへの解決法を見つけることができるかも。いや、何としても手がかりくらいはどうにかしたい!と開催される前から心待ちにしていた。
この入門編は1回目:瞑想を体験する、2回目:心を静める、3回目:心の問題を解決する、3回シリーズで、今までなんとなく自己流で瞑想に取り組んでいたわたしにとっては、本当に至れり尽くせりという感じでうれしい内容だった。
1回目は、瞑想の目的や状態などの基礎をサーナンダさんによってわかりやすく教えてもらい、ファーストステップとして“5分でもいいので、毎日瞑想に座って身体を作っていく”という宿題が出た。今までどんなに忙しくても絶対に1日1ポーズ以上はすると決めてアーサナは行なってきたけれど、瞑想は時間に余裕がある時にしか取り組んでいなかったので、正直言うとこの宿題は毎日実践できるのか確信がもてなかった。ただ、一度眠らせていた気持ちの蓋を開けたことによって、この機会だけは逃してはいけないという切羽詰まった気持ちに動かされ、なんとか毎日行なうことができた。
約1ヵ月実践してみての気付きは、宿題の目標だった“座り慣れる”という感覚を感じることができたことと、心が静かになり集中に入るスピードが1ヵ月前より確実に早くなったと思えたことだった。だけど、まだ“潜る”にはほど遠いし、“瞑想”でもないことはわかっている。
入門編2回目は、呼吸と心の関係のレクチャーを受けた後、呼吸法の実習で牛のポーズやプラーナヤーマを行ない、カーリー・ヤントラを用いての集中の練習だった。
カーリー・ヤントラでの瞑想は、最初は目を開いてヤントラの形を思い描けるようになるまで凝視し、目を閉じて姿形を思い浮かべて集中する方法だったが、ヤントラを用いての初めての瞑想だったためかヤントラの形ばかりが気になってしまい、最初は集中ができなかった。それでも続けていると、ヤントラが浮かんできてその向こうに師のヨギさんを感じることができた。さらにもっとそのヨギさんに集中していきたいと思った時に、残念ながら終了の時間がきてしまった。
2回目の宿題は、“毎日瞑想に座り慣れていき、20分以上を目標にしてみる”というものである。次回のクラスは10/30で3カ月ほどあるが、わたしはこの宿題を実践することに加え、今回のクラスでのカーリー・ヤントラを用いた瞑想練習のような深い集中の練習を続けて行なっていきたいと思う。まだぼんやりだが、あの時いままでとは違う何かを感じた気がするからだ。
“身体と呼吸と心が調えば、心は自ずと対象に同化するように集中されていく”と今回のクラスで教わった。実践あるのみ。わたしも早くそれを体感したい!

最後に余談ですが、今回の瞑想シリーズ3回目の開催日は、当初子供の学校行事の合唱祭のため参加できないはずでした。学校行事なので、しょうがないとは思いながらも素直に納得することができず、「わたしは参加できないのでしょうか? なんとか参加したいです!」とヨギさんにずっ~と祈っていました。そして1カ月が過ぎた頃、学校からこの日にあったはずの行事が11月に延期されたとのお知らせをもらったのです。わたしの経験上、学校の行事は年間で決まっており、予定が変更になることは普通なく、しかも年間予定行事の中で10/30に行なわれるこの日の行事だけが変更されたのです。とても不思議なことでした。きっとヨギさんのしてくださったサプライズだと思うのです。ヨギさん、わたしに大切な機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。

末松 恭子