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揺るがない信頼

暑さがまだまだ厳しく、口を開けばついつい暑いと言ってしまいがちですが、そんな中でも季節の楽しみ方がありますよね。私は、暑い中、道を歩いている時何処かの家から聞こえてくる風鈴のさわやかな音が耳に入って来た時や、夏の昼間に飲むアイスコーヒー、夕日の沈む美しい空のグラデーションを見たり、夕方ひぐらしの鳴き声を聞くと、さっきまでの暑さを忘れ心がホッとし落ち着きます。

愛媛松前町にある高忍日賣(たかおしひめ)神社の風鈴回廊。ここは全国唯一、産婆、乳母の祖神である高忍日賣大神をおまつりする神社だそうです。風鈴のさわやかな音色が夏の暑さを緩ませてくれます。

こんな風に日々心穏やかに過ごしたい。しかし、一日の大半の時間を過ごす職場では、なぜこんなにも心が動揺しその場の状況に翻弄されていくのでしょうか…。

その日も仕事中に周りの人の会話が耳に入ってきました。周りから聞くと威圧感があるような、その言葉は、本当にその相手の事を真剣に考えて発している言葉なのか?
傷つける行為ではないのか?
私の心は、その言葉を発した人にピッタリとくっつき、心は大きく動揺し、その人に対するどうにもならない思いを募らせていくという出来事がありました。
悶々とした日々が続く中、以前ゴーパーラさんのブログでも紹介されていた、ブラザー・ローレンスの『敬虔な生涯』を昼休みに開けてみると、ある一節が目に飛び込んで来て、はっ!としました。

ある日、私(修道院長のヨセフ・ド・ボーフォール)は深い考えもなく、ある重大な問題を彼(ブラザー・ローレンス)に話しました。それは、彼が深く心にかけていたことで、長い間、その為に労してきたことでした。それが成就せず、提案に反対する決議がされたのです。この事に対して、彼は淡々と答えてました。「このように決めた人には、それなりの理由があるのでしょうから受け入れなければなりません。後はただ、それを遂行するだけです。もう何も言うべきではありません。」実際に彼はその通りにしました。実に完全に。それ以降、それを取り上げる機会はいくらでもあったにも、かかわらず、彼はひとことも口にしませんでした。

『敬虔な生涯』より

私の場合、その人が発した言葉にもそれなりの理由がある事など全く考えず、それでいてどうにもならない自分の感情に何の意味があるのか…。
この状況で自分に出来る事は、お互いが良い方向に向かいますようにと祈る事。それしか見つからず気持ちを切り替えるようにしました。
と、同時にブラザー・ローレンスの、感情に流されず決めた事を貫く意思の強さ、そこに近づきたい。そう感じました。

愛媛県伊予市 伊予五色浜海岸

会社では人それぞれの立場が違います。その為自分の意見や考えが正当だとは限りません。
自分というあやふやな目線から見るのをやめてみるように心掛けてみました。
また、その方から心を離すようにしてみました。
心が言葉や態度に反応して、行こうとする度に引き戻す。

これは、今現在も実践中ですが、心を執着している事から離していくと、留まる事が身についてきたように思います。
今までの心の習慣を変える事は上手くいったりいかなかったりの日々ですが、ここで働く時間どう過ごしていくかを考えたとき、師がいつも私たちをそう見てくださっているように、どんな状況であってもその人の中にある尊い存在だけを見ていきたい。と強く思うようになってきました。

また師は松山特別サットサンガでこうおっしゃっていました。

一人で部屋の中でアーサナや瞑想をしているのは、まだ練習にすぎない。やはり、さまざまな自然界の中で、人の中での出来事の中で、自分の心がどれほど落ち着いていられるか、そこでヨーガが試されている。

シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

苦しい時、実践が思うように進まず行き詰まった時、師のお言葉や聖典の教えは、その苦しみが瞬時に取り除かれるよう導いてくださいます。ヨーガを学び始めてこの10年、何度もそのような体験をさせて頂きました。
その度にヨーガに対する揺るがない信頼、それが培われてきたように思います。
心の動揺に振り回される事を恐れずに、日常は本番だと思い、どんな場面でも心を落ち着かせヨーガを深めていきたいです!

地元伊予灘サービスエリアから見る夕日。松山市界隈がとても綺麗に一望出来る場所です。

玉井眸


晴れの日も雨の日も主クリシュナ ─ミーラー・バジャンによせて

先日とても暑かった日に、家の近くを歩いているとアスファルトの上にゆらゆらと陽炎(かげろう)が立ち上っているのが見えました。真夏の強い日射しの下で私はふと「ミーラー・バーイーが生きたラージャスターンはもっと暑かったのかなぁ…」と、五百年前の遠い異国の地を思い浮かべました。

インドの聖女ミーラー・バーイー(1498~1546)が生まれたインド北西部のラージャスターンは、砂漠や険しい山々が連なった厳しい土地柄で、暑い時期は日中の気温が40℃にもなるそうです。また一年のうち6~7ヶ月間が乾季という、とても乾燥した地域なのだそうです。
現代のようにエアコンなど当然なく、おそらく水道なども整っていなかったであろう五百年前、ミーラーやその土地で暮らす人々はどのような生活を送っていたのでしょう・・・。

別の日、職場から帰宅する途中、急に空が曇ってきたなと思ったら雨が降り始めました。雨はしばらく降ってすぐに止み、その後サァーッと涼しい風が吹いてきました。その日も朝から暑かったので、立ち止まってしばらく爽やかな風を全身で心地よく感じていると、ミーラー・バーイーの詩の一つを思い出しました。

雨がふるふる 楽しきサヴァン
心は サヴァンを待ちわびて

サヴァンに 胸はときめきて
噂を聞きて ハリ来ると
湧いて集まる 黒雲に
下着まで すっかり濡らされて
雨粒が 風に運ばれて
涼しき風も 心地よく
ミーラの神様 ギリダラナーガル
幸せ喜び 歌わんや

          ※サヴァン/雨季
          ※ハリ、ギリダラナーガル/クリシュナ神の異名
          ※下着/サリーの下に着るスカート

          出典/美莉亜訳『ミラバイ訳詩集』

暑い季節が長く続き、乾燥しきったラージャスターンに暮らす人々にとって、雨季の到来はすべてを潤し生命を蘇らせる喜ばしいものだったことでしょう。この詩からは待ちに待った“サヴァン“を喜び迎える心情が伝わってきます。
ですが、ミーラーがこの詩に込めた本当の思い、それは一心に信仰していたクリシュナ神への深いバクティ(信愛)です。
クリシュナ神の肌は青や黒で表されることが多いのですが、クリシュナという名前には「濃い青」「暗い」「黒い」という意味があり、黒雲はクリシュナ神の象徴でもあります。
頭から足の先まで全身をすっかり雨に濡らされたミーラーは、きっと愛するクリシュナに命も魂もすべてが溶け込んでいくような、甘美な歓びに浸されたのではないでしょうか…。

楽しそうな笑い声が聞こえできそうですね。ブランコの勢いで愛するクリシュナ(黒雲)のところまで飛んでいこうとしているのでしょうか?

ちなみに”ハリ”には「太陽の光のような色」という意味もあるそうです。

晴れの日も雨の日も主クリシュナ。
朝の光も夜の闇もすべてが主クリシュナ。
寝ても覚めても神しか見えない。
ミーラー・バーイーのようにそんな日が来るのを私も待ち続けています。

シャルミニー


台湾の近況ーー「夜明けの来ない夜はない」

1年半の無事安穏な生活を経って、予期せず、台湾でのコロナ状況は突然に悪化して、5月中旬に第3レベルの警戒態勢に入りました。私たちは初めて在宅勤務やステイホームを経験しました。集まることができなく、しばらくアーサナクラスや読書会は休んだのですが、6月からオンラインクラスが行なわれ始めました。

台中市。自宅からの雨後の景色。

オンライン・アーサナクラスの場合、家の空間でマットを敷き、Zoomに入室し、プラサーディニーさんのリードの声を聞きながら、アーサナをします。クラスを受けるみんなは同じ場所にいませんが、同じ振動とプラーナを共有しているようで、すごく集中力があり、パワーに満ちているように感じます。

読書会も、パソコンの画面を通してもみんなの分かち合いを楽しむことができました。台北は月1回、台中は2ヶ月1回読書会を行ないます。コロナの影響にもかかわらず、みんなは同じようにオンラインで参加します。それは、ヨーガの教えが移り行く人生の中の大事な支えと感じるからでしょう。

さらに幸運なことに、このような時期にオンライン瞑想専科がスムーズに始まりました! サーナンダさんは毎回のテーマに沿って瞑想の基礎から教えてくださいます。学びながら、瞑想で生じた質問にもすぐ答えていただけるので、一歩ずつ瞑想を探究していくことができます。

揺れる世界環境の中で、私たちはヨーガの教えに則って、ヨーガ行者の揺るぎない心に少しずつ近づいていこうとしています。ヨーガは時間、空間、条件を超えることを改めて確信しました! 同時に「夜明けの来ない夜はない」と師のヨーギーさんが教えてくださった言葉を信じています! そして、みんなに会える日を楽しみにしています!

ある日の瞑想専科の前、虹がかかりました🌈

マールラー


川の流れのように

昭和歌謡の題名のようになってしまいましたが、私が住むまちは東京都と神奈川県を分ける多摩川に面しています。我が家から河原までは散歩には少し遠いですが、自転車なら一走りで丁度良い感じです。ガンガーのように沐浴こそしませんが(水に入ることは禁じられていないようです)、川の近くに住んでいることはヨーガを学ぶ身としてほんの少し嬉しいものです。働き盛りの頃は仕事で疲れた心を癒しに、週末によく河原に出たものでした。輝く川面やはるか上流の奥多摩や秩父の山々を眺めていると、仕事の懸案やトラブル、職場の人間関係の悩みなどからひととき解放されました。視界を遮るものがない広く高い空、川面を渡る涼風、むせるような草の匂い、たまにどこからか聴こえてくる微笑ましくも発展途上なサックスの音階。のんびりした多摩川の河原はひと頃の私の精神安定剤でした。

ある日の多摩川。ヨーガ行者のような人が川を歩き渡っているのが見えますか?

ヨーガを学び、仕事を定年退職した現在も、以前ほどではありませんが河原に出ることがあります。広々とした両岸の河原に挟まれ、多摩川は相も変わらず悠々と流れています。しかし川を眺めながら、以前とは違うことを思うようになりました。遠くの山並みや向こう岸の街を背景にして、この川はずっと変わらずそこにあります。でも水面をよく見ると小波を立てて、川の水は上流から下流へ止まることなく流れ続けています。私が眺めていた川は一瞬たりとも同じ川ではありませんでした。

私が本当に見ているのは今という一瞬を切り取った川の様相だけ。その一瞬はすぐに過去となり次の一瞬を見せられる。それは映画のフィルムのようにコマ送りされてつながっていくだけ。同じように、私の身体も細胞単位で見れば常に誕生と死を繰り返しているから、昨日と今日の身体は違っているし、細胞がすべて入れ替わるのに必要な時間が過ぎたら、私の身体はまったく別物だ!それでは「私の身体」と言っている「私」は誰? それを突き詰めていけば、それが本当の自分であり、生まれも死にもしない永遠の存在であるというヨーガの教えを学んだ時のワクワク感が忘れられません。「面白い!」と素直に思いました。身体と心と自分(意識)を切り離して生活できたら、生きることが楽になるだろうなと思いました。少しでもそうなれるようにヨーガの訓練に取り組んでいます。

5月に母が亡くなりました。認知症を患い最期は養護施設で迎えました。新型コロナのために最近1年ほどは、車椅子の母が2階のテラスに出てきて、私たちは庭から手を振るだけの面会が続きました。手を握って元気づけてあげることもできず、母は生きようとする心が折れてしまったのか、最期はあっという間に衰えてしまいました。淋しい思いをさせたと後悔は残ります。しかし新型コロナの時代と重なってしまったのもカルマと考えるしかありません。看取りの時期が近づくと他の入居者と隔てられた場所で直接面会をさせていただき、家族で最期を看取ることができました。

母を亡くすことはとても悲しいことでしたし、私を育ててくれた無条件の愛を想うと、感謝してもしきれません。でも私は母の死を想像していたより冷静に受け入れています。それは「無常と永遠」というヨーガの教えを学んでいたことで、母の死を一面では客観的に見つめることができたからかもしれません。人の一生も川の流れのように一瞬たりとも止まることなく、ブラフマンという大海に注ぎ帰っていくのですね。ついさっきまで温もりを感じた手が冷たくなり、綺麗にお化粧をしてもらい、白い骨片だけを残していった母は、「無常と永遠」というヨーガの教えを身をもって私に見せてくれたのだと思います。

ガンガーほどとは言いませんが、夕陽に染められた悠々たる多摩川の流れ。

殺された王子たちを聖水によって天国に送るために、シヴァ神がその頭髪で天上のガンガー女神を受け止め、地上に下ろしたといわれるガンジス河。ヒンドゥー教徒の人たちが家族や身近な人の亡骸をガンガーの流れに還す様子は、必ずしも悲しみに包まれたものではないといいます。それは輪廻転生を信じてなのか、苦悩に満ちたこの世界を離れ永遠の存在に還っていくことへの喜びなのか、私にはわかりません。でも悠久の時を流れるガンガーもまた、太古の昔からこの世界の無常さとともに、その背後にある永遠の真理を人々に教えてきたことには間違いはないと思います。

ランプの炎や川の水と同じように、生き物たちの身体は、見えないときの流れとともに絶えず変化している。したがってある意味では、彼らは絶えず生まれ死んでいるのである。ランプの炎は少し前とまったく同じであろうか。流れている水はいつも同じであろうか。同様に、もし人がこの肉体であるならば、今日の自分と昨日の自分はまったく同じであろうか。
実体としての人には、実は誕生も死もない。人そのものは不死であり、その他のものはすべて幻影である。受胎、胎児の状態、誕生、幼児期、少年期、青年期、中年期、そして死去。これらは肉体のさまざまな状態に過ぎず、実体としての人には影響を及ぼさない。それらの状態はまったく肉体にのみ属し、自己には属していない。
(「シュリーマッド・バーガヴァタム」日本ヴェーダンタ協会刊)

新型コロナの状況が改善したら多摩川の河原でキールタンを歌おうと、東京のグルバイと計画しています。春めく3月に連れ立ってロケハンに行きました。河原に座り川面を眺めながら、ヨーガの話をした時間は至福の時でした。永遠の存在である神の恩寵に感謝し、グルバイと共に河原でキールタンを歌える日が1日も早く来るのを願いつつ、最後に師の教えを心に刻みたいと思います。

人生は一瞬一瞬が分かれ目なのです。
だからあなたは過去でも未来でもなく、
「今」を生きなければならない。
あなたが神に救われたいのなら、
神を求めなければならない。

シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ 

1日も早くここでキールタンを歌える日が来ますように。

小菅貴仁


生きる意味を知り、この命を生きる

先日、祖母が亡くなりました。93歳、大往生と言って良い年齢だと思います。

最後に会ったのは2019年の秋。コロナ禍で会えないまま別れの時が来るかもしれないと覚悟はしていました。しかし、いざその時を迎えてみると、祖母にもう会えない寂しさが溢れてきて、葬儀にも参加して見送ることすらできないという現実を受け入れられない自分がいることに気付きました。

ヨーガで学んだ、「死とは服を着替えるように肉体を脱ぎ捨てていくこと」「死とは心の死滅であり真の自己は決して死なない」という教えを事あるごとに意識し、私なりに理解していたつもりでした。葬儀やお墓といった形式がなくても故人を偲び大切にしていくことはできると思っていました。だから死を嘆き悲しみすぎてはいけないと思っていました。しかし、今回会えないまま祖母が亡くなり、最期のお別れにも立ち会えなかったという事実は、私の心を大きく動揺させました。悲しさと寂しさと虚しさが一気に押し寄せて心を支配しようとしましたが、その勢いを止めてくれたのは記憶の中にある祖母の笑顔でした。
明るくて、雲ひとつない青空のような祖母の笑顔が、私は大好きでした。

祖母の死を受け入れようと、その人生に思いを馳せ、数々の思い出を振り返るうちに気付かされたことがあります。
それは命の偉大さと尊さです。
この世界にはたくさんの命が存在していて、人間だけではなく動物も植物もそれぞれ与えられた役割があり、それを全うするために生きています。祖母はその役割を全うしたから肉体を離れた。私にもいつかその日が来る。私が関わっている人たちにも、関わっていない人たちにも、必ずその日が訪れる。
人は様々な関わりの中で互いに影響を与え合っている訳ですが、具体的に何かしてあげたりしてもらったりということでその影響し合っているのではなく、その命が存在していること自体が大きな力を持つから他の命に影響を与えているのではないか。一つ一つの命が他に代えることのできない尊い存在だから、互いに与え合うのではないか。
そう思い至り、全ての命に対する畏敬の念と、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

今年は近場の蓮を見に行きました。早朝だったため、これから開こうとする状態。生命力を感じました。

私は今生において孫という立場で祖母に出会いました。一緒にいる時間だけではなくて、離れている時間も、祖母が生きていて存在してくれていることがいつも力を与えてくれていました。
その魂が肉体を離れることで、その力はなくなってしまうのか?
答えは否です。
私たちの本質は純粋で尊く、肉体が死を迎えても決して死ぬことがない。それが変わることのない真実だから。今回祖母との別れの辛さに心が支配されそうになっていた時、祖母の笑顔によってその勢いが止まったことも、祖母が私に与えてくれていた力の影響なのではないかと思います。

そんなことを思っていた時、Web版パラマハンサ7月配信の知らせが届きました。
「プラナヴァ・サーラ 本当の生きる意味」で、数年前のサット・サンガでの師のお言葉が、このタイミングで読んだことで、胸に染み入りました。

質問者:『プラナヴァ・サーラ』(書籍)の死に様に関しての内容で、強い信仰を持つということと、神の中で死になさいということがすごく印象的でした。信仰を持つということと神と一緒になるということで死を超えられるという、そこにはそういう意味がありますか。

あります。それからもっと実質的なところにおいては、臨終の間際の思いというものは非常に強いとされているのです。だから通常だとカルマの連続で、ある一定量のカルマによってまた来世という流れになるのですけれども、その臨終の一念発起というかその思いの強さによって、それらのカルマを飛躍的に良くするという、そういう力が生まれるというふうにもいわれています。

祖母が亡くなる前日に親族数人が面会を許可され、声をかけた時、ニコッと笑ったと聞きました。誰の声かは分からなかったかもしれないけれど、最後に祖母の耳を通して何かが伝わり笑ってくれたということは、肉体を去る前に安心して穏やかな気持ちで旅立てたのかもしれない。それが来世に良い形で繋がっていくのかもしれない。そんな風に思えました。

この日のサット・サンガの中で、師はこうも仰っています。

本当は誰もの本性という本体は神聖なもので、エゴとかそんなものは初めから本当はない。無知なんていうのも本当はない。…自分もそうだし、他人も他者も全てのものが同じ本質を持っている。二つとない同じものだから、愛おしい、尊い。そういうふうに他者に対しても優しく尊敬を持つこともできるし、全てのものを愛おしくいたわることもできます。これが生まれてきて、生きる本当の意味になると思います。

「生きる意味」を知ったからには、今生でそれだけを見て生き切ることができるはず。

誰もが真実を実現することができると、それが既に私たちの中にあるということを、師は常々おっしゃってくださっています。それを体現し、ありありと見せてくださっています。
その言葉を信じ、その姿に倣い、最期の瞬間まで諦めることなく生きていきたい!今、私史上最高に強い決意を感じています。

何度挫けそうになっても何度でも立ち上がって、私が与えられた役割を全うしていきたいです。

ハルシャニー


私ヨガ!~私も実践できるヨーガ

今年に入って仕事を探さなければいけなくなった。これまでずっと慣れた仕事に携わってきたけれど、会社の都合で勤務日数が減ったのだ。新しい仕事が私にとって更なるヨーガ実践の場になるようにと願いつつ仕事を探した。この先いつまで働けるかということも含めた自分の年齢や給与、等々を考えると、介護職が好条件の一つとして上がってきた。介護の資格は両親の介護の為に10年ほど前に取得していた。でも実は介護の仕事は避けていた仕事でもあった。
避けていた大きな理由は、両親の世話は自分の親だから、何があっても(例え怪我をさせるようなことがあっても)自分が全責任を持ってすることができるけど、他人様の身体を大袈裟に言えば命を預かってお世話をするのは私には荷が重い、と感じていたことだった。
そう思う反面、会ったことのない先輩グルバイが医療現場で正に献身奉仕に生きておられる姿を過去のブログから知り、そして今もそのように行為し続けておられることをたまたま伝え聞いたりすると、その姿にもの凄く憧れた。そんな中、あるオンラインミーティングで別の先輩グルバイが、自分はヘルパーをしているとおっしゃったのを聞いた瞬間、私の心が「かっこいい!」と叫んだ。仮面ライダーのように(古い?)首にスカーフをなびかせ、バイクにまたがった先輩の姿が目に浮かんだ。そしてかっこいいと叫んだ自分の心に自分で驚いた。

ヨーガでは仕事は何でもよいと教えられる。それなのに今も介護職に尻込みする気持ちはなぜなのか、改めてよくよく考えてみた。そこには評価を恐れている私がいた。失敗することが怖かった。そして、自分の親と他人を同じように大切とは思えていない自分もいた。これは真理の教えに反しているなと気付いた。
気付いたけれども、さて、どうしよう?介護職と言っても働く所は色々あるし、Wワークかフルタイムか、それに別に介護職に拘らなくても、本当に仕事は何でもいいのだ。

「神様、どうか私に相応しい仕事を与えてください」
そう祈って眠った翌朝、ポストに入っていたのは介護の資格を取った事業所からの就業相談会の案内ハガキだった。これは神様のお導きと素直に思い、そこからはとんとん拍子にコトが進んで、4月から私はヘルパーとして週2日働き始めた。

短大を卒業してから、両親の介護で離職した時期を経て働いている慣れた職場の桂離宮。通勤は自転車で8分。

真面目に新しい仕事に取組み、しばらくしたら、とても疲れていることに気が付いた。自分の心を見てみたら、たまたまもらった良い評価を手放したくないと思っている私がいた。失敗しないようにと常に緊張しているから疲れるわけだ。私はこれまでもずっとこうだった。真理の教えを学んで頭では分かっていても、長年の自分の心の癖はそう簡単には修正されない。
だけど、これが真理でないことはもう嫌というほど頭では分かっている。心は思ったものになっていくなら、心が分かるまで繰り返し心に言い聞かせるしかない。ちょうど今、良いタイミングで受講している『誰ヨガ』クラスでは、毎回教えを自分に当てはめてできる実践をするようにと宿題が出る。私は今まで学んできた教えを何度も何度も心に言い聞かせ、日常の実践を繰り返した。
成功も失敗も、出来る出来ないも、どちらでも良いのだ。人生で大切なのは真理を悟ることであって、この世で執着すべきものなんて何もない。心が思うことなんて、何の値打ちもない!結果を見るのではなくて、目の前の瞬間瞬間を良くしていくように心を使うだけ!!

昨年ステイホームが始まった時にまとめて玄関に飾った教え(写真左)は、今も毎日読み返している。誰ヨガクラスの後にサーナンダさんが送ってくださるレジュメ(写真右) は、まるで心の処方箋のよう。

ヨーガを学んできたからこそ、新しい仕事をする中で自分の心がなぜ苦しいのかがあぶり出されてきたと思う。まず私は、評価イコール自分の価値だという思いをなかなか手放せないでいた。だから凄く凄くしんどかった。
そして、特に人間関係での良い評価、他人からの好意、良好な人間関係の中に自分の居場所を見つけて、そこに物凄く執着しているなあと気付いた。社会人になった時、特になりたい職業はなかったけれど人の役に立つ仕事がしたいと思っていた。今も、ありがとうと言ってもらえることがうれしくて、私の行為に良い反応を返してくれた人に対してはそれがまたうれしくて「もっともっと行為」して、またそれに対しての良い反応に「もっともっともっと行為」してる。そしてその心地好い関係性を手放したくないといつの間にか思ってしまっている。
最初の私の行為に対して普通の反応を返した人には対しては、私はただ「行為」を繰り返してる。これって、外からの刺激に対して無防備に反応してるということだなあと思った。悪い評価は気にしないようにと心掛けるけれど、良い評価、好意にも反応しないって意外と難しいと思った。相手がどんな反応であろうとそれは見ないで、どの人に対しても同じようにただ誠実に行為すべきなのに。
自分の判断基準の良い悪いを棄てて、好き嫌いに執らわれないこと。
そう思って仕事をしていたある日のこと。訪問先のご夫婦に私は好感情を持っていた。でも、そんな感情は横に置いて、「もっともっと行為」にならないように、ただやるべきことを淡々とやって帰ろうと思っていた。「ここまでやって終わろう」と思った瞬間、「これは神に捧げられる?」と思いが浮かんだ。
全ての行為を神様への捧げものにするなら、中途半端には終われない。思い入れを棄てるというのは自分の好き嫌いを棄てて、いつでもどこでも誰にでも「もっともっともっと行為!」100%の心を込めること、だと思った。
そして、評価イコール自分の価値という思いからなかなか抜けられなかったけれど、高齢になって自分でできないことが増えていく、そんな人は価値がないのかというとそんなことはない。何かが出来るとか出来ないとか、知ってるとか知らないとかは人の価値とは関係ないということが、理屈ではなくて言葉ではなくて、利用者さんといると分かった。だったら私も同じはずだ。みんな同じ尊い存在だということが今はわかる。

利用者さん宅へ向かう道の横には田んぼ。

ある時上司に言われて印象的だったことがある。
「人を相手にする仕事は決まった手順通りにはいかない。その中でいかに工夫して、やらなければいけないことをやるかだ」と。これは私に足りないものだなと思った。
確かに仕事で利用者さんを訪問すると、あるはずの物がなかったり、介護拒否にあったり、時には利用者さんが不在だったり、いろんなことがある。私はこれまで仕事でも何かをする時にはまずイメージして、必要と思われる準備をしていた。そうすることでたいていは上手くいった。でも反面、想定外のことが起こるとどうしたら良いか分からなくなってしまい、間違えるのが怖いから判断を他人に頼ってしまう。でもそもそも人生そのものが想定通りにはいかないし、その時にすぐに心を切り替えて、状況打破に向けて今やるべきことに集中しないといけない。そしてヘルパーの仕事は自分ひとりで何とかしなくてはいけないのだ。これが苦手だった私にとって、新しく与えられた仕事は正に最適の訓練の場だなあと感じた。

命の謳歌真っ最中の家のラズベリー、トマト、むくげ。 町内の親切なおじさんがラズベリーの棚を作って日当たり良くしてくださり、おまけにトマトを植えてくださった(感謝!)

後で分かったことだが、先輩グルバイのゴーパーラさんと私は同じ事業所で介護の資格を取っていた。これは絶対にクリシュナのお導きだ!と私は信じて疑わない。新しい仕事が更なるヨーガ実践の場となるようにと願い、その通りになった。いつも神様は導いてくださっている。だから実践を続けるだけだ。
早く目を覚まして、ヨギさんにもっともっと!!もっともっと!!喜んでいただくために!!!

吉岡恭子


真っ逆さまの世界

何年ぶりかの長岡京の夜のクラス。最近は朝が多かったため、夜のクラスは新鮮! クラスの場所は、JRの線路の上に位置している。会場には瞑想的なインド音楽が流れ、時折、遠くからはガタンゴトン~と電車の音が聞こえてくる。建物に反響しているのか、まるで宇宙へ駆け抜ける列車の音のようにも…。目を閉じると、どっちが上でどっちが下…?と異空間にいるような心地になる。自動的に、永遠とか無限とか宇宙とか、執らわれのない自由な悟りの境地へといざなわれる。上下左右も限界も無い、価値観や観念も通用しない宇宙に憧れる。真正面の大きな窓からは運が良ければ月が見える。いつもクラスに絶えずある、一定の集中感。この独特の集中感は、初めてクラスに行った時からずーーっと同じだ。

マードゥリーさんが撮影してくださった長岡京クラス会場からの景色。窓から黄昏空が見える。真下はJR長岡京駅だ。

鉄棒、マット運動、遊園地の乗り物など、体を逆さまにするものが苦手だった私が、アーサナを初めて習った時、魚のポーズ(マツヤ・アーサナ)に、おののいた。でも、先生が体を支えてくださり頭頂を床に、逆さまに付けることができ、かろうじて静止した目の前には体の苦痛とは無縁の世界があった。体はきつくて悲鳴を上げているのに、全く別の、芯の部分では、何かがじっと止まっている静けさがあった。わぁ・・・きれい・・・、体も、これまでの価値観も、全部ひっくり返って、逆さまの世界を初めて味わった瞬間だった。不安定で苦手だった逆さまの苦痛感は、静まり返った印象に一変した。

数年後に、仕事で腰を痛めて出来るアーサナが減った時、自分の体に苛立ち、力任せに力んだまま、出来ないアーサナを無理に行なってさらに体を痛めたことが何度かあった。悟りへの乗り物であるこの体を大切に扱えない、また、自己管理ができていない幼稚さでもあった。そして何より、集中感が足りてなくて気が散漫だった。出来ない自分がくやしい!という思い、出来ていたことが出来なくなったという結果、それに執らわれ過ぎていた。今できるベストを尽くす、ということや、アーサナのポーズ一つ一つを丁寧に、呼吸と共につくっていく、その基本からは遠のいていた。
そんな頃、体を真っ逆さまにする極み(?)の逆立ちのポーズ(シールシャ・アーサナ)を避けるようになった。たまに失敗して転げると腰にズシンと衝撃が走るので、それが怖くなっていた。シールシャ・アーサナ自体が嫌いなのではなく、転げて痛くなることが嫌だった。万一失敗した場合に腰が悪化して出来ないアーサナが増えることも懸念していた。ヨーガの中の、アーサナの真の意味は、先日のゴーパーラさんの記事にあったように、心を静めるため、真実へ至るためであり、アーサナはその手段であってヨーガの到達点や目的ではない、と教えられているのに。

昔通っていた頃の長岡京夜クラス(2015年)

毎日のアーサナで、今日は腰が痛いから逆立ちはやめた方がいいなとか、今日は体力がなくて転げそうだからやめておこうとか、逆立ちを組み込まない日が増えていった。鋭い痛みがある時はやめた方がいいと教わっている。でもそれ以前に気持ち的にまず避けようとしていた。逆立ちは毎日していないと余計に安定せず、転げることも増え、さらに避けるという悪循環だった。
ところが、師のアーサナ直伝クラスが始まり、そんなことを言っていられなくなり、必死でシールシャ・アーサナも行なった。すると、師のクラスで一度だけ、シールシャ・アーサナを何回やっても足が空(くう)にピタッと吸着して止まり、絶対に転げない感覚になり、どっちが上でどっちが下かも分からないような、逆立ちという逆さまの感覚自体が消え、師が何かされている!と思ったことがあった。私一人では絶対に知りえないその感覚を、体を通して学ばせていただいたおかげで、立つことはできるんだ、という確証をいただいた。だから立てないというのは、自分の中ではもう通用しなくもなった。

昨年、シールシャ・アーサナを改めて教わる機会に恵まれた。指導者の先輩は私の逆立ちを見て「右が縮んでいて、左の腕が開いている、痛めている右の腰をかばって、そうなっているのかもしれない」と言われた。度々、指摘されるようになり、気になったので歪みを正すために毎日必ずシールシャ・アーサナをした。歪みを意識するものの、自分で自分を見ることはできないので、どうなっているかは全然分からなかった。

そして何カ月後かのクラス。
「やっぱり右が縮んでいて左の腕が開くのは変わってない、けれど安定しているし腰をかばっているのもあるかもしれないし、それでいいでしょう!」
キツネにつままれたような気分になった。歪みが直ってなくても安定することってあるんやな~と、ほっとした。完璧じゃなくても立つことが大事なんだと教わった気がした。気付けば、調子が悪い日は逆立ちをしない、という日々は終わっていた。どういう時でも立つ、どんな状況でも一人で立たないといけない、そんな気持ちが自然に宿っていた。そして真っ逆さまになった時にしか感じられないあの静けさがやっぱり好きだった。失敗して転んで腰が悪化して、もしシールシャ・アーサナや他のアーサナが出来なくなっても、それはそれで仕方ないしその時に考えよう、と考えが勝手に変わっていた。歪んでてもいい、毎日どこでも立つ、と思いがはっきりしていった。それはとても気分のいいことで、迷いがなくなって、集中もしやすくなった。そのうち、それが日常にもリンクするようになった。今日は疲れてるしやめとこう~と思うことがあったとしても、いつでもやる、と決めたことはやるようになった。

自宅でのシールシャ・アーサナの練習。

「まず立つ気があるのかどうか?」この体を通して、内なる神が問いかけてくださる。本気で立つ気があるのなら、立てるように努力するべきだと。立つ努力もしないで、立てるようになる時期をじっと待っていても、いっこうに立てるチャンスは訪れないと教えてくださった。
不思議なことに、毎日立つ、と決めた日から、なぜか転ばなくなった。これに執らわれても良くないけれど、時々は転ぶのが常だっただけに不思議。なんで突然、転げなくなったのか?? 決めたその瞬間から、気が一点に集まったように思う。もう師の恩寵だとしか思えないけれど、それまでは、立とうと決めてなかったから、フラフラゆらゆらしていたのかな。「心が思うものになる」と師から教わっている。思ったところへ気は動くという。気――プラーナは目に見えないし、私ははっきりと知らない。でも知らないなりにも、このささやかな体験は、「思い」が気(プラーナ)を一つにまとめ、それが集中へと繋がる、ということを実感させてくれた。思いは強烈な力を持っていて、本当に思い一つで変わる可能性があるんだと。気(プラーナ)が自分を形づくっていく、これは本当に教わってきた通りだ。

…と、夜のクラスで、そんなことを改めて感じた。そして逆立ちは、まだまだ要改善のアドバイスを受けたので、これからもがんばりたい。久しぶりに会えた指導者の先輩たち、そして参加者の方たちがやけに爽やかで、かっこよかった。数年前の雰囲気とは少し違っていた。ずーっと夜のクラスへ通っているそうだ。クラスに通い続けるのも自分の意志、思い。ヨーガへ、気が一点に集中されているんだなと思った。集中感のある人は、爽やかで気持ちいい! 私も見習いたい!

野口美香


みずみずしい真理の教え

私の住む丹波篠山では、田植えもすっかり終わり、より一層緑が美しく、庭の畑では、じゃがいもやきゅうりが収穫の時期を迎え、トマトたちも色づき始めています。

田植えもすっかり終わり、畑は、黒枝豆を植えるためにきれいに畝が作られています。

我が家の庭の小さな畑のお野菜たちもとても元気です。旬のお野菜はめちゃくちゃ美味しいです!!

季節は巡り、歓喜に包まれた春の祝祭は以前のことのように感じますが、師のお姿は歓びと共に目に焼き付いています。
祝祭で祝辞を捧げさせていただいたことを機に、私は初心に立ち返ることになり、全てを師から与えられていたことに気づきました。
悟りへの情熱が足りないのではないか。どうすればその熱を高めることができるのかと悶々としていた思いは一掃され、確固たる決意を胸に、新たな気持ちで歩み始めました。

以前に比べればエゴは少しずつおとなしくなってきてはいたものの、完全になくすことは難しく、それでも何度も何度も師の教えを思い起こし、心に言い聞かせる日々が続いていました。

ある日、ヨーガの福音を手に取り、心について考えていた時でした。

“心を召使いにしておけばいい”

ふいにその教えがやってきて、心が納得したような感覚がありました。
霧が晴れていくようでした。

心を完全に無くすことは難しいけれど、従順な道具にすればいいんだ。
その為には、やはり心の調教がまだまだ必要だと思いました。
アーサナへの向き合い方を改め、真理の教えに触れ、学び、実践することの大切さをより一層感じるようになりました。

穏やかで美しい月明かりが好きです。明日は満月、部屋の明かりがいらないほどです。

真理の教えは、いつもみずみずしく、私の心を潤してくれます。
師は、求めるべきものも、その為にやるべきことも教えてくださっています。そして、常に導き続けてくださっています。
一足飛びにはいきませんが、余計な心の垣根は取っ払って、もっと軽やかに、それだけを求め、これからも実践を続けたいと思います。

藤原里美


ヨーガ・瞑想クラスの再開

緊急事態宣言が解除され、関西のアーサナ・瞑想クラスも先週より再開!
6月26日(土)に行なわれた京都アスニーのクラスは約2カ月ぶりで、中学生を含む6名の方が参加されました。

ヴリクシャ・アーサナ(立ち木のポーズ)からスタート!

まず指導者のヨーガダンダさんが、「師がアーシュラマ(道場)でクラスを始められた時(45年前)、各自が自分のプログラムを黙々と行なっていくクラスを理想とされたそうです」と話をされ、クラスが始まりました。
クラス中は基本的なリードによって進められていきますが、後半は各自が自分のプログラムに沿ってサーダナ(霊的修行)を行なっていきます。

ニワトリ、サソリ、三点倒立!

緊急事態宣言中はオンラインクラスでしたが、受講してみると驚くことに実クラスと同じぐらいの集中感や効果を感じていました。
でも、こうやってクラスに集って顔を合わせ、同じ場所と時間を共有して行なうサーダナはやはり格別!!!
私自身、よりヨーガのプラーナ(気)で満たされる感覚があり、本当に貴重な場であると改めて実感させていただきました。

シッダ・アーサナ、パドマ・アーサナで瞑想。

アーサナは決して柔軟性を競うものではなく、座法と訳され、瞑想の座(シッダ・アーサナ、パドマ・アーサナ)を快適で堅固にするために開発されたものです。
そして師は、アーサナの真の意味を次のように説かれています。

「アーサナの真の意味はブラフマンに留まるということです」

シュリー・マハーヨーギー

私自身、クラス再開を機に今一度この教えを念頭に置き、アーサナ・瞑想によって小宇宙であるこの身体と呼吸、心を静め、そして大宇宙の真実在ブラフマンにしっかりと留まっていきたいと思います!

※初心者の方も大歓迎です!基礎からしっかりと学んでいけるクラスになっています〜! ヨーガ・アーサナクラスのインフォメーションはこちら⬅︎⬅︎

ゴーパーラ


誰もが実践できる働きの秘訣

みなさんは学校の授業は好きでしたか? 私はというと……(お察しください)。
けれど今、楽しみにしている授業があります。それは誰ヨガ(誰もが実践できるヨーガ)です。自分自身の人生や心、幸せといった誰もが身近に感じ、時に思い悩んだりする事柄をテーマに、ヨーガではどう教えているのか、自身の生活でどう実践できるのかを学べるオンラインクラスです。
4月に開講し、月に一回、半年間をかけて学んでいきます。その期間は同じ顔ぶれのグルバイとZOOMで顔を合わせます。初回のクラスでは自己紹介をし、さながらクラス替え後の教室みたいだなぁと感じていました。担任の先生は先輩グルバイのサーナンダさんです。2時間のクラスの中では、「どうなったら本当に幸せですか?」、「なぜ働かないといけないのですか?」といった問いかけに向き合う時間があるため、講義の内容をより自分のこととして捉えやすいように感じます。

出勤途中に咲いている朝顔。目の覚めるような鮮やかな色で、気持ちよく仕事に向かうことができます。

5月に行われた2回目のクラスでは、「働きの秘訣」と題して私たちが働く理由、そしてどう働けばいいのかを教えていただきました。「生活のためだから」と、私は心のどこかで仕方なく働いているように思っていました。しかし、今の仕事を選んだのは自分です。選ばざるを得なかったのだとしたら、その原因を作ったのも自分です。私の場合ばっちり思い当たることがありますが、自覚していない過去世からの原因も作用しています。いずれにしても自業自得、つまりカルマということになります。新たなカルマを作ることなく、カルマを果たしていくような働き方ができれば、より良い自分になっていくことができるとこのクラスで教えていただきました。
一日の中で働いている時間は大半を占めています。(社会の中で勤めるといった意味合いに限らず、親などの役割や家事も含まれます。)しかも毎日のことです。ということは、そこでの行為次第で、多くの時間が自分をより良くするチャンスに変わるということになります。毎日がチャンス…?!何それ最高!!と私の瞳はきらめきました。本当に重要なのは何の仕事をするかではなく、「どう働くか」だったんです。
では、肝心の「働きの秘訣」はと言いますと…

・好き嫌い、不平不満を言わない。
・結果や他人の評価に執らわれない。
・目の前の仕事の目的を明確にし、余計なことを考えずに集中する。
・自分の思いばかりを見るのではなく、他者の喜びを自分の喜びとする。

どれもシンプルで、仕事の種類を問いません。そして、誰でも今すぐ実践できることです。「そうはいっても難しい…」と言い訳したがる心に負けてたまるかと、「ただやるのみ!できなかったとしても次の瞬間にもう一度チャレンジするのみ!!」そう言って日々自分と闘っています。少しでもこの秘訣を実践できれば、まず自分が楽(心身ともに軽やかに)になることを実感します。そうすれば周囲に気を配る余裕も生まれます。何より発散する空気が違うのではないでしょうか。入り口は自分のためのようであっても、自然と他者のためにもなっている、素晴らしい秘訣です。仕事の効率化や成果を上げる方法は多く説かれていても、こんな大切なことを教えてもらえる機会にはそうそう出会えないように思います。ヨーガを学んでいる、いないに関わらず、多くの人の助けとなる教えだと思いました。

海へ流れる川。奥は瀬戸内海です。身近な風景ですが自然の壮大さを感じ、大いなる存在に想いを馳せずにいられません。車の窓を開けて走ると様々な鳥の声が聞こえてきます。

私はこの誰ヨガの授業を受けているとワクワクしてきます。「秘訣」という言葉を辞書で調べると、“人に知られていない特別な良い方法。おくのて。”と出てきます。まさにそんなことを教えていただけて、知りたかったことはこれなんだ!!と体中から力が湧いてきます。最初にこのクラスを学校の授業のように例えましたが、この授業ではテストもなければ成績もつきません。その代わり、日常がテストです。参考書を頼りにするように、この強力な秘訣を頼りにして、私はカルマ(業)からの卒業を目指したいと思います!

このカードの裏面には、『バガヴァッド・ギーター』第2章48節の教えが記されています。 「アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であると言われる。」 働きの結果に執われそうになった時、思い出す教えのひとつです。

 

大森みさと