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ヨーガの熱が高まる松山!

先日松山の瞑想特別クラスに行ってまいりました。
「ヨーギーの生き方に学ぶ7回シリーズ」の3回目「働きの秘訣」がテーマでした。3カ月ぶりだったので、皆さん覚えているかなと思っていたのですが、44名が参加され、新しい方も多く、凄い熱気で驚きました。その理由について、アーナンディーさんが寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。(サーナンダ)


松山のアーナンディーです。
ジメジメした梅雨の湿度も逃げてしまうような勢いで、最近の松山のクラスはヨーガへの情熱が高まり続けています!
今回はそんな松山のクラスからご報告したいと思います。

それもこれも5月のヨギさんの特別サットサンガの後からのことです!

5月の特別サットサンガでは、松山ヨーガ・サークルの空間は喜びでいっぱいになりました!
その後、クラスの参加者の皆さんからヨギさんのお名前を聞かない日がないほど、ヨギさんへの感謝の声が続き、皆さんの笑顔が朗らかでハッとするほど美しくなっています!
特別サットサンガ初参加の方からこんな感想をいただきました。

「サットサンガに参加して、私は今幸せだなと思って帰ってきました。サットサンガの翌日によく行くお店の店員さんに『顔がスッキリしてますね!何か悪いものがすべて取れたような顔つきです』と言われました。そしてサットサンガから1週間経った今、私のたいしたことない1週間前の悩みは何もしてないのに解決しました。不思議です。今日のクラスに行く予定です!」

と今まで以上に熱心に通い続けてくださっています。他にも「誰もの中に真実があるという教えが腑に落ちて希望を感じました」「ヨギさんへの感謝の思いから実践する力をいただいています」などなど特別サットサンガの醍醐味を味わったという喜びいっぱいの感想をいただき、多くの方とヨギさんへの感謝を話し分かち合えるのが嬉しくてたまりません。

そんな楽しそうな熱気が伝わったのでしょうか。新しくクラスに定期的に通い続ける方が1人、2人と増え始め、先日はスタジオが一杯になるほどになりました!
また長年通っている方がヨギさんを見倣って本当に優しく誠実に皆さんに接してくださっていて、すごくいい雰囲気です。
新たな参加者の皆さんにも改めて感想をお聞きすると、「ヨーガって楽しい!」「1週間に1度のクラスが楽しみ」「クラスに参加するか迷うほど心と身体が重かったのに、ヨーガの後、心も身体も軽くなって驚きました!ヨーガに出会えてよかった!」「(マハーヨーギー・ミッションのブログを読んで)心に響くものがありました。次回はヨギさんにお会いしたいです」とそれぞれの方が嬉しそうに答えてくださいました。


木曜の夜のクラスの皆さん。笑顔が美しい証拠写真がこちらです!

しかし、まだまだこれからです!なぜなら、誰もが本当の喜び、本当の自由を求めているのに、ヨーガに出会えてない人がたくさんいらっしゃるはずだからです!!!1年ぶりにサットサンガに参加されたWさんがこんな感想を寄せてくださいました。「先日家族に『ヨーガを始めて優しくなった。世の中には色々なヨガがあるけど、お母さんがやっているヨーガは本物だと思う』と言われました。嬉しかったです!」

この感想のように私たち1人ひとりが真のヨーギー、ヨーギニーになることで本物のヨーガをもっと多くの方と分かち合えるようになりたいです。ヨーギー、ヨーギニーは一日にして成らず!でも私たちは着実に前進しています!ヨギさんを知りたければあの人をみればいいよ!と私たち1人ひとりがそんな存在になるよう精進していきます!
いつも、どこにいても私たちを至福へと導いてくださるシュリー・マハーヨーギーに心からの感謝を込めて。

アーナンディー


ヨーガの料理クラス なぜ旬をいただくのか!

6月4日(日)、パラマハンサ会員向けさまらさの台所を開催しました。今回は、担当のゴパーラの「日常の料理にもっと旬を取り入れたい!」という思いから会のテーマを「旬をいただく大切さ」として、2種類の旬野菜を使って彩りも豊かなお弁当を2班に分かれてそれぞれ作りました。

竜田揚げのお弁当(左)…しいたけとかぼちゃの竜田揚げ、ねぎとわかめの卵焼き、モロッコいんげんのかつお和え、きゅうりのきゅーちゃん、みょうがと大葉の混ぜご飯
春巻きのお弁当(右)…アスパラとチーズの春巻き、スナップエンドウと卵のサラダ、焼きパプリカ、大根の梅和え、わかめご飯

おかず作りのポイントやお弁当の詰め方、ライフスタイルに応じた工夫など、明日のお弁当作りからすぐ実践できる内容に参加者のみなさん、興味津々でした。
また、旬野菜の特徴や自然の力によって育った野菜をいただくことによって私たちの身体にどのように影響するのかを学びました。

「なぜ旬をいただくのか?」
担当のゴパーラは、理解を深めるために瞑想し、気付いた内容をクラスで話してくれました。
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旬をいただくとは、どういうことか?私自身、毎日の自炊はしていましたが、料理は作り慣れたメニューでさっと済ませて二の次といった具合で、旬をいただくということが何だか希薄だと感じていました。そこで昨年の冬から、少しずつですが旬を取り入れた料理に取り組んでいきました。そんな中感じたこと、それは、旬の食物は大いなる力を宿していること、つまり「大地のエネルギー」を宿しているということでした。

冬に大根やごぼうをいただくと、それらはとても甘くて身体の芯から温まる感覚があり、春にいただいく空豆やエンドウ豆は、小さな中にもすべてが詰まった濃厚な味わいとエネルギーが感じられました。その旬の大いなる力をいただいていると実感した時、自然と食べ物に対する向き合い方、接し方が根本的に変わっていきました。

何が変わったかというと、「命をいただいている」――単純ですが、そのことが自分の中から湧いてきました。そうすると食物が愛おしく、丁寧に調理する自分がいました。旬をいただくことが希薄だったのは、命をいただくことが希薄だったのだと気付かされました。命の恵み、それをいただいていると感じたら、料理は二の次なんて絶対に思えない。この大地の恵みに支えられて、自分は生かされている。
その気付きがあってからは、料理をすることが楽しく、作られた料理がとても美味しく感じるようになってきました。そして、何度も聞いていたウパニシャッドの一節が思い起こされました。

「アートマンは1人では楽しめなかったので、自らを2つに分けた。そして男と女が生まれ、

動物、食物が生まれ、万物が展開された」

この食物は、どこから来たのか? 誰が作ったのか? そして食べている者は誰か?

すべてはあなたが種を撒き、耕し、太陽を照らし雨を降らせ、そして収穫し、その恵みを私たちにお与えになられている。大宇宙というこの大農園、あなたこそがさまらさファームであり、耕作者、そして地主!!!

何ということ!!!

その不死の甘露をいただくこと、それは最高の歓び!!!

あなたの大いなる御足の地に礼拝し、毎日の食事ができることを願います。

参加者からは、「旬について考える機会をもらって、自分も野菜も共に生かされているのだという喜びがあり、さまらさの本当の意味を学んだと思う」という感想も頂きました。

次回は8月13日(日)を予定しています。詳細は後日WEBにてお知らせしますので、ぜひぜひご参加ください〜

サティー&ゴパーラ


バクティ・サンガム (キールタン)

台湾、松山、そして今月頭には京都で特別サットサンガを開かれ、数多くの魂を祝福されたヨギさんは、現在はニューヨークをご訪問中です。このブログでもサットサンガの素晴らしい報告が続いていましたが、今回は4月からスタートしたバクティサンガムの紹介をさせていただきます。

今年のバクティサンガムは、「何度も何度も繰り返し歌い込む!」ということをテーマに、3ヶ月間一つの曲を歌い込み、キールタンの世界に入っていくことにチャレンジしています。

今年最初の課題曲「ジャイ・ラーダー・マーダヴァ」はクリシュナ神を讃えた歌で、クリシュナとその愛人ラーダーの物語のように、歌の世界が情緒豊かに展開し広がっていきます。私は太鼓を担当させていただいているのですが、実はなかなか苦戦しました。

微妙な曲調の変化と共にリードヴォーカルのミラバイさんのテンポも変化していき、また来ている人たちの顔ぶれや、その場の雰囲気によっても微妙にテンポが異なるのです。これは単なるテクニックの問題ではなく、歌う人の心境や場の空気を感じて、そこに合わせていくという感性が必要なのだと感じています。

また、自分なりに、クリシュナとラーダーの物語に入り込んでいると思っていると、いつの間にかミラバイさんのリズムとずれが生じてしまい、ミラバイさんの鋭い視線が飛んでくるというケースも多々ありました。これは、心の鏡に映る自分の姿を見るのではなく、神だけを見なければならないというメッセージだと受け取りました。

とにもかくにも、キールタンにおいて太鼓というのは、リードヴォーカルとその他の歌う人たちを繋ぎ、支えるという重要な役割だということを再認識したのでした。

ところで、私のヨーガの先輩で、30年近くヨーガを実践しながら、タブラーという太鼓の演奏を続けている方がいます。私はその先輩の演奏を聴いた時に、テクニックがすごいとか、複雑な叩き方をしているというわけではないけれども、一音一音が美しく力強く響くのを感じました。そして、そのことをその先輩に伝えたとき、ヨーガを実践する者は、常にハートの奥で神を感じているので、その神の振動が太鼓の音となって、聴く人の魂にダイレクトに響くのだと説明されました。

その人の思いが振動となり、それが音となり、聴く人の心を振動させる――。

サットサンガでヨギさんの声を聞くと、その独特のトーンに自ずと心が溶きほぐされるのを感じます。その美しい振動は、凝り固まった心を溶かしていき、一切の悩みを洗い流していく力があるように感じるられるのです。また会場の隅の方にいるのにもかかわらず、ヨギさんの囁くように声も、はっきりと聞きとることができ、心に届いています。私たちが聴いている音というのは、物質的な振動の音だけではなくて、その源にある耳には聞こえない振動も受け取っているのだなぁと思います。

私は太鼓で複雑なリズムを叩くテクニックをもってはいません。しかし、ヨーガを深めていくことで、一音一音を神の振動に近づけていくことができるのではないかと思っています。そして自分の意識が神と同調したとき、リズムが合っているとか合っていないとかいうこともなく、その場に神が臨在する、ということが起こるのではないかと思っています。それが太鼓を通じての、私の理想です。

先日、大阪でバクティサンガムがありました。そこには、松山の特別サットサンガでヨギさんに魅了された5人バクタも、はるばる足を運ばれていました。その内の3名は日帰りで、まさにこのバクティサンガムのためだけに来られていて、その方たちの熱意には、本当に頭が下がる思いでした。ミラバイさんの歌声と共に、神の美酒に酔い続けたい――そんな彼女たちの思いが火種となって、その日のキールタンは大いに盛り上がり、爆発しました。笑顔の輪に囲まれながら、泣き、笑い、初めて来られた方々も身体を揺すり歌っておられました。私もいつしか、リズムのことは忘れて、歓喜の中、太鼓を叩いていました。自分の理想に一歩近づけたのかもしれません。みんなの思いが共鳴して高まり合うということも、キールタンの醍醐味だと思います。

7月からは新しい曲に挑戦していきます。こちらも3ヶ月かけてじっくり歌いこんでいきますので、ぜひぜひご参加ください!共にキールタンの醍醐味を味わいましょう!

ヨーガダンダ


特別サットサンガ 京都・御室にて

台湾、松山に続き、京都でも先日、特別サットサンガが行なわれました。
新緑に囲まれる御室、プレーマ・アーシュラマでの初開催!
もちろん、それはとっても!!素晴らしい内容でした。

みんなが期待に胸を膨らませる中、清々しい風とともに、シュリー・マハーヨーギーは「こんにちは〜」と爽やかに、軽やかに会場へ入ってこられました。

冒頭の問答、ヨギさんはまずもってヨーガの意味するところは、真実を実現することであり、真実とは万物の本質が尊い存在であることだと核心たる教えを説かれました。参加者はヨーガの世界へとぐっと引き込まれていきました。

約2時間、途切れることなく質問は続きました。瞑想やアーサナなどの実践を深めるにはどうしたらいいか、家族との人間関係の問題、中学生の女の子の素朴な疑問、芸術とヨーガについてなどなど……。ヨギさんは柔和な笑顔と、絶妙な関西弁を交えたユーモアで私たちの心を解きほぐしながら、内なる真実を喚起するよう、力強く真理を語られました。
そして、不安を抱いている人には「ヨーガを実践していったら100%変わる! 断言します!」と心の靄を晴らすように何度も希望を与えられ、またヨーガの歩み方に確信をもてない人には「間違いなく本当の幸せに向かっていっていることだけは、私が保証します!」と深い安堵を与えられました。

窓から差し込む初夏の光と、ヨギさんから注がれる真理の光を浴びて、みんなの表情も輝いていました。

それでは、この日のサットサンガからハイライトをご紹介します。

ヨーガと出会ってから良い変化を感じる一方、変わっていない部分も根強くあり、自分のつかもうとしているものはヨーガ的には間違っているのかもしれないけれど、あきらめられないと胸の内を明かす女性。
ヨギさんはご自身が十代の頃、何がこの世の本当の幸せかということを瞑想したことがあると切り出されました。

「誰もが望みや欲望というものをもっています。その欲望が成就、達成されたらそれがいちばんの幸せなのか。では、その欲望、望みの理想の大きさとはどんなものなのだろう。
歴史上の狂人たちは世界を征服することがそうであったかもしれません、チャップリンの映画のように。今はそれが宇宙規模に拡大はしているけれど、ただスペースが大きくなっているだけのものでしょう。でも果たしてそれが本当に幸せの最大限のものなのか——。
そう考えた時に、もう一切のことが儚く消えていきます。そう思っている自分がまず消えるわけだから。いつかは、というかすぐにでもね。そうしたら同時に、その思いも、執着も欲望も、すべてが跡形もなく消えてしまう。
いったい何が本当の幸せなのか——。
なくならないもの、永遠の存在というもの、それだけしかないのです!!! それは理屈で理解できるものでもなければ、どこかで手に入るものでもない。それこそが本当に、誰もの胸の奥に秘められている宝のようにある存在なのです!」

ヨギさんは口調を強め、その存在こそが誰もの自分自身であり、それを体感することが大事だと続けられました。そしてさらに、
「それは体感できます!!!
中途半端な欲望や執着は、もっともっとエスカレートさせて、もう切りのないところまで膨らませていけばいい! そうすればその正体もわかってくる」

ヨギさんの息遣いが伝わってくる熱のこもったお言葉は、その場にいた誰もの胸に響いたことでしょう! 何も恐れることなく、大胆に進めと、大きな力が全身に流れ込んできたように感じました。

参加された方からは、嬉しかった! 楽しかった!という無邪気な歓びの声とともに、どんな人にも、どんな質問にも完璧にお答えになるヨギさんの姿に感動したという声、そして、教わったこと、気付きが起こったことを、自分が目指すものに向かって実践していきたいという意欲的な声が多く聞かれました。

真実を体現された方を目の当たりにし、その方の口からこぼれ出る言葉を聞き、直に学べることは、人生においてどれほど劇的な出来事なのでしょうか!! ヨギさんに心から敬愛と感謝の気持ちを捧げます。めいっぱいのインスパイアを本当にありがとうござました!

そして、この日の二日後、ヨギさんは青空の下ニューヨークへとご出発されました。
海の彼方でも、日本でも、一人でも多くの方がかけがえのない真実に触れられますように。

マードゥリー

 

プレーマ・アーシュラマ二階から見えるもみじの若葉


特別サットサンガ in 松山(後編)

松山特別サットサンガの2日目の朝、ヨギさんたちとホテルの一階のバイキングで朝食をとっていると、松山グルバイ(仲間)のアーナンディーが昨日のサットサンガのアンケートをもってやって来ました。
それを読むと素晴らしい感想ばかりで、胸がいっぱいになりました。
ただ、ある方の感想にはこうありました。

「考えが深いから、悩み苦しむのだと思った。気軽に生きたら、楽しく生きれると思った」

私はこの感想に、はっとさせられました。
20代前半くらいの若い方のものでありました。
1日目のサットサンガでは家族や職場関係での質問も多く、若い人から見たら、「なぜ大人たちはこんなに考え、悩んでいるのだろうか?」と感じたのだと思いました。
毎日を楽しく生きていくことができれば、それがいちばんいいに決まっています。
でも大人になるにつれて、なぜかそれができなくなる……
大人は仕事や子育ての義務があるから?
大人になっても、子供のように楽しんで生きることはできないのか?

「楽しむとは何か? また、遊びとは何か?」

2日目の松山特別サットサンガは、そんな問答が展開されました。

質問者「『ヨーガの福音』ーー子供の遊びーーには、子供は結果にこだわらないということで、子供は遊ぶために遊ぶからというふうに書いているのですけれど、子供のようになるには,どんなふうにしたらいいのでしょうか」
ヨギ「子供を表現する時に使われる言葉でよく、無邪気とか無垢といいます。まさにそのようになるということです。それはどういうことかというと、心に計らいがないこと、あれやこれや思わないこと。単純にその目の前の行為に集中して行ない、済んだら忘れるという単純なこと。これに徹していくことができれば、遊びの達人になります」

子供は無邪気、つまり「あれやこれや思わないこと」――
今回の松山特別サットサンガでヨギさんは一貫して、「嫌なことがあったり失敗しても引きずらない、今をより良く生きること」と言われていましたが、それは子供の状態ということだったのです。
そしてサットサンガの後半、「ヨギさん、楽しむことについて教えてください」とシンプルな問いがあり、ヨギさんは次のようにお答えになられました。

ヨギ「有名な古代の聖典の冒頭にこうあります。『かつてアートマンはひとりであった』――アートマンというのは真実の存在のことです。これは形もないけれども実在として確実にこれだけがあるというものであり、みんなの本質でもあるところのもの。しばしばこれを真我というふうに訳しています。本当の自己、本当の自分という意味です――このアートマンだけがあった。しかし彼は、まあこれは彼女でもいいですが、『彼女は一人では楽しめなかったので、自らを二つに分けた。そこに男と女が生まれ、子が生まれ、そして彼女は異なる動物の姿になり、彼もまたその後を追い、その動物の姿となりというふうに、次から次へとさまざまな動物が生まれていき、現在私たちが見るようなこの世界、万物が形成された』という、宇宙の始まりはこうであったというお話でもあります。この原点に、楽しむという言葉が使われているのです。これは別名インドの言葉ではアーナンダといい、楽しみとか楽、あるいは至福、このような意味合いの言葉です。だから、本質が本来至福である、そしてそれを味わうという楽しみは、他者とともに味わうという、万物とともに味わうのが本来であると。なぜなら、すべてのものがアートマンなのだから。そのことを知って、いつもどこでも誰とでも楽しんでください。いつもどこでも誰もが至福でありますように」

ヨギさんから何度も聞いていたこのウパニシャッドの教えでしたが、この冒頭の言葉を聞いた瞬間、不思議と私は歓びに包まれました。
昨年の愛媛の特別サットサンガで私は、胸の奥から熱い思いが湧き、その衝動は真実の自己アートマンからくるものであり、それに近づき、実現したいという思いに駆られました。
それからというもの、瞑想の中で「私はアートマンである」と何度も繰り返していました。
でも、このヨギさんのお言葉を聞いた瞬間、私の思っていたアートマンは本当にちっぽけなものであると気付かされました。
「アートマンともっと楽しみたい、もっと多くのアートマンと楽しみたい、遊びたい!!!」
自然とそのような思いが溢れてきました。

この松山での滞在中、ヨギさんは本当に計らいがありませんでした。
車に乗っている時、食事をしている時、ホテルでくつろいでいる時など、語弊を恐れずに言うとサットサンガがどうなるかなどの心配や不安なんて全く感じられませんでした。
本当に無邪気な子供のように、その時その時を楽しんでおられました。
でも、いつも準備万端!!
サットサンガの時は常に精一杯、真剣に問答をされ、どこでもどんな時でも、かかわる人すべてを至福の渦に巻き込んでいました。
まさに「遊びの達人」ヨギさんを目の当たりにし、ただただ圧倒された今回の師の松山特別サットサンガでした。

一緒に遊んでいただいこと、そして至福の歓びを味わわせていただいたこと、私にとって本当に格別のひとときでした。
ヨギさん、まことにありがとうございました!!!

最後になりましたが、松山の方々、今年も本当にありがとうございました。
昨年同様、今年も皆様の献身の働きにのっかっただけでした。。
でも正直に言います、また遊びたいです!!!

ゴパーラ


春 旬の食材を食す

今月は3回さまらさの台所があります。先日2回目のさまらさの台所がヨーガ・ヴィハーラで開催されました。今月のメニューはブロッコリーのペンネ、新玉ねぎと新じゃがいものスパニッシュオムレツ、大根とにんじんのサラダ、りんごの飾り切りです。

使ったの野菜はこの5つ。さて、ここで問題です!
これらの野菜の旬は春ですが、この野菜の中で秋か冬にも旬を迎える野菜はどれでしょうか!?

これ、ほとんどの方は「大根」と言われていました。でも正解は…………
全部!5つとも秋と冬に旬があるのです。では、春のものと秋冬のものとはどこが違うのでしょうか。

それは、野菜に含まれる水分量です。新玉ねぎなんてあきらかですよね、茶色い皮の玉ねぎは、収穫された後、一ヶ月程乾燥させてから出荷されたもの。一方新玉ねぎは採れてすぐに出荷されたものなので水分量が多く、生で食べられます。冬のイメージが強い大根も、春大根はとても水分が多く、切るとじわりと水分がしみ出してきます。冬大根は煮物に向いていますが、春大根はやはり生で食べるのが向いているようです。その他、じゃがいももにんじんもブロッコリーも冬のものより柔らかく、ゆがく時間、炒める時間も短くなります。

冬になると私たちの身体は寒さのため代謝機能が低下します。また、汗をかくことが少ないため水分摂取量が少なくなり、身体の中に老廃物が溜まりやすくなるのです。春野菜は水分を多く含んでいるので、冬の間に体内に溜まっている老廃物を自然と排出してくれる働きを持っています。
旬の食材は、その時期に生きる私たちが必要としてるものを自然と蓄えています。私たちはそんな野菜の命(エネルギー)をいただくことで、その季節を元気に過ごすことができるのです。

毎日の生活の中で、いつの間にか習慣化された食生活があるかもしれません。でも時には季節や自然に目を向けて、その時期に生きる自分の身体や心の状態を感じてみてください。今、この瞬間を生きる私たちには、今、旬の食材が合っているのです。旬の野菜をいただくことで、身体も心も軽快にいきいきと生活していけると思います。

3回目のさまらさの台所は来週の木曜日(5/25)、ウイングス京都で19時〜21時で開催します。まだ空きがありますのでよろしければご参加ください。


ヨーガの道

ヨーガは、真実に目覚めるための数千年の古代から伝わる霊的な道です。ヨーガを学ぶには、ヨーガを成就したグルが不可欠です。言葉を超えたグルの導きは、道を歩もうとする私たちにとってはかけがえのないものとなります。サットサンガ(真理の集い)とは師を囲んでの神聖な集まりのことであり、師から直接教えを授かる最も大切な学びの場として位置づけられています。

先日行なわれたサットサンガの内容をお伝えしています。

質問者「ヨーガは、瞑想に坐ることができる身体をつくるために行なうと伺ったのですが、何のために瞑想をして、何を目指しているのかということを教えてください」

師「全く今のご質問が、それこそ何千年も昔から国とか民族に関わらず沸き起こる大きな問題なんですね。その答えを探求していった歴史の中で、やはりインドにおいてその探求が非常に深く大きくなされていきました。誰もが生まれ落ちて人生というものを過していく、しかしやがて死んでいくわけですよね。いったいその中で本当の幸せというのは何なんだろう。快適に裕福に暮らせることが幸せなのだろうか、例えそういう境遇に恵まれたとしても、いつ死んでしまうか分からないし、それだったら幸福だと思っていたのも一瞬にして不幸になるわけでしょう。いったい幸せというのは何なのだろう。ましてやそれの経験者たる主人公、自分ね、自分というのはいったい何なのだろう。神というのはあるのだろうか、ないのだろうか。この宇宙の秘密は何なのだろう。
そういう謎というか問題を掘り下げて答えを出していった結果、本当の自分というものは苦楽を味わうものではなくて不滅の存在である。そして自分だけではなく万物、宇宙すべての本質はそれ、同じであるということが発見されました。その境地、その悟りといってもいいけれども、その真実の境地のことをヨーガといったんです」

本当の幸せとは何なのだろう。自分はいったい何のために生まれてきたのだろう。自分はこの世界で何をするべきなのか。自分はなぜここにいるのか。人は誰しも一度は必ずこういう疑問に悩まされることがあるだろうと思います。やがて大人になり、世の中は浮き沈みがあって当たり前、喜怒哀楽もあって人生のうちと、次第にこの疑問が薄れていったり、諦めに代わったり、また忙しさに紛れて忘れてしまったりしてしまうのだと思います。でも、どうしても自分の生きていること、していること、それが不思議でたまらない、なにかがおかしい、それがなぜなのか知りたくてたまらない、本当のことが知りたい、そういう人たちがヨーガに辿りつくのだと思いました。

師「そしてそれを実現するための教えとか方法、そういうものもヨーガというふうに称されるようになって、身体が弱ければその探求も続かないから、身体も健康で強くしなけりゃいけない。そのためにはアーサナによって肉体を調えて、そして心というのは常に動揺するから心も調えなければならない。そのときには呼吸というものも同時に乱れるから呼吸を調えて、そして心を制御していく。つまり心というのは欲望とか煩悩とかいうものによって振り回されることになる。いい経験もするかもしれないけれども苦しい経験もいっぱいある。そういう心の浮き沈みというものに動じないように心も制御していかなければならない。そういう一連の修行というか勉強というものもヨーガというふうに称されるようになりました。だからその真実の実現という目的をヨーガという名称で表し、また同時にそこに至る道もヨーガというふうに称されることになりました。これが何千年、何千年というのは四、五千年ということですけれども、にも渡るヨーガの歴史なのです。
このヨーガがインド以外の国に知られるようになってまだ百年たっていないんです。特にこの数十年の間に欧米とか日本、世界中に広まって、ヨーガのほんの一部分である健康だけを目的としたアーサナというものが流行しているので、それをヨーガだと思っている人がいるかもしれないんですけれども、それは誤解なんですね。それはほんの一部分のことに過ぎない。だから瞑想というのは、ヨーガの全体の体系の中にアーサナと同じように位置付けられている大事な部分なんです。特に心を制御していくというところにおいてね。これがヨーガの全体像です」

世の中で少々の自由や幸福を得たとしても、それらは刻々と変化して一瞬のうちに不自由になり、不幸になってしまう、そうではない相対的な状況を離れたところにあるものが、本当の自由、本当の幸せ、本当の真実であると師は教えてくださっています。そのためにも心のことや、真実、真理というものを学んでいくようにと教えてくださいました。

学校では教えてくれない真実、サットサンガで繰り返し師から真実の教えを聞き、そして真実のみを行為される師の日常から真実を学ぶことによって、私たちはヨーガの道を迷わず歩み続けることができるのだと思いました。

ダルミニー


バクティ・サンガム始まりました!

こんにちは、ミラバイです。ブログ、久しぶりに書かせていただいています〜。

さて、この4月から京都・大阪でのバクティ・サンガムが始まりました。今年のテーマは、「何度も何度も繰り返し歌い込む!」ということです。

昨年はいろんな聖者の物語を取り上げ、毎月いろんなキールタンを歌ってきました。たくさんのキールタンを歌えることはそれはそれでとてもいいのですが、せっかく覚えたキールタンなのに、歌が十分に深まらないまま次の曲に移行していくのがもったいない。キールタン自体、神の御名を繰り返し唱えていくものですが、その一曲のキールタンをまた何度も繰り返し歌い、その歌に慣れ親しんでいくことによって、私たちはよりそのキールタンの世界に入り込んでいくことができます。キールタンの世界とは、神との戯れの世界そのもの。だから、今年は参加してくださっているみなさまに、もっともっとキールタンを深め、その味わいを存分に味わってもらいたい! そのような思いで、今年はこういったことをテーマに、3カ月ほど同じ曲を歌い込んでいくことにしました。

次回大阪は5月5日(金)、京都は5/28(日)です。第2回目、さて、どのようにしてみんなでともに深めていけるのか、私もとても楽しみにしています〜。

 

 


ヨーガの秘訣・大阪編 ヨーガの宝物!

多くの方が、仕事や家事、育児、あるいは介護に忙しい毎日を送っている中で、どのようにヨーガを実践していけばいいのか、悩む時があります。忙しい日々に追われ、ヨーガや理想を忘れてしまうことすらあるかもしれません。
大阪でプレーマヨーガサークルを運営するニルマラーが自らの経験を寄せてくれました。


グルバイ…真理を求めて同じ師のもとに辿り着いた仲間(兄弟姉妹弟子)、その存在がどれほど私を支えてくれているか。昨年度はその存在の大きさを特に実感する1年だった。

この春から、任される仕事の内容が増えたり、子どもの進学があったりと忙しさは続いているが、昨年度は特に、日常生活において次から次へとやらなければいけないことがきて、本当に慌ただしい日々だった。内容は家事・育児・仕事、文字にするとたったこれだけなのに。
目の前にやってきた仕事に対して、感情に振り回されずに淡々と、しかしそれがより良くなるよう誠意をもって一所懸命行う。ヨーガで学んだ仕事に対する姿勢をもって一つ一つのことに向き合うようにしていても、許容量の少ない私は、時々糸が切れたかのように「もう無理!」と叫びだしたくなることが何度もあった。自分の不甲斐なさに涙が出ることもあった。
それはヨーガの実践にも及んだ。1日の終わりにはもうクタクタで、アーサナも瞑想もせずに気づいたら眠っていたという日も多かったし、何より神への思いを忘れてしまいそうになっている自分に失望したこともあった。
しかし、雑多な日常生活の大波にのみ込まれそうになるたび、ヨギさんが使者を送ってくださっているかのように、先輩グルバイとの交わりの機会が与えられた。
プレーマヨーガサークルの活動を通してだったり、御聖誕祭の祝辞を書くということだったり、様々な形で普段はなかなかお会いできないグルバイの皆さんとお話をする機会に恵まれた。
そこでいただいた言葉の数々、それらが私にとってはヨギさんからの叱咤激励のように感じられた。

ある時は、ミラバイさんが「もし神を忘れてしまったと思える時でも、神はあなたを忘れることはない」というヨギさんの言葉を教えてくださり、あまりにタイムリーな言葉に驚き、瞬時に涙腺が崩壊した。
ミラバイさんが教えてくだるキールタンもまた、忙しい日々の中でいつでもどこでも実践できることとして、私の生活には欠かせないものになっている。
初めて歌ったのは確か10年ほど前だったと思う。神の御名を唱える、そのシンプルな行為によって、彷徨っていた心があっという間に神のもとへと戻っていく。生活をまわすだけで精一杯な時、とにかくキールタンを歌うことでなんとかヨーガと繋がってきた。

また、NYのアーナンダマーリーさんからご連絡をいただいたこともあった。
御聖誕祭での祝辞に、NYやクロアチアのグルバイの方が共感してくださっているという内容だった。そのことを聞いて私の方が励まされた。何より、1年前はご挨拶するだけでもすごく緊張していた大好きなアーナンダマーリーさんとメールのやり取りをするだけで、神聖なバイブレーションが伝わってくるようだった。
週に1回行なっているプレーマヨーガサークルも、グルバイと交わる貴重な時間だ。お互いがそれぞれ忙しくなっても、この活動だけは大切にしている。
それはヨギさんが与えてくださった大きなプレゼントなのだと感じているから。

そう、グルバイの方々はそこから発せられる言葉はもちろん、その存在の中にヨギさんを見ることができるのだ。だからその在り方に触れることで、こちらを奮い立たせてくれたり、神聖なものへと思いを馳せるきっかけになったりと良い刺激を与えてくださるのだろう。それが、ヨーガを実践し続けていく大きな力になっている。

世間の大波の中にあっても、神だけを見て歩んでいけますように。
神への思いが溢れ出て止まらない、そんなグルバイの一人となれますように。

ニルマラー


アーサナの体得

「あなたがたは、しるしと奇跡を見なければ、信じないであろう」

これはイエスの言葉です。
『あるヨギの自叙伝』のいちばん最初のページにも、この言葉が引用されています。
では、「しるしと奇跡」とは一体何なのでしょうか?

先日、ニューヨークからサーディヤーという弟子が京都にやってきました。
サーディヤーは2011年に師シュリー・マハーヨーギーと出会い、ヨーガを始めてわずか5年でアーサナを習得したとても凄い方であります。
その彼女が先週の滞在時に、アーサナ・瞑想のデモンストレーションを行ないました。
15ほどのアーサナを実演しましたが、以下がその一部です。

彼女のアーサナは、私にとって衝撃そのものでした。
サーディヤーがアーサナを始めると、瞬く間にその空間は彼女のプラーナで支配されました。
強烈なアーサナにもかかわらず、彼女の呼吸は静止していました。
こちらが息をすることをおそれるほどの、すべてが極まったピークの状態!
その姿・形相は、革命家ジャンヌダルク、また女神カーリーを彷彿とさせました。

「すべてを捧げる」

印象に残ったサーディヤーの言葉です。彼女は「神」と「自分自身の成長」のみを求め、そして師と出会い、日々のアーサナにすべてを捧げたそうです。

このデモンストレーションの数時間前、プライベート・サットサンガが行なわれました。
その時サーディヤーは、「社会が修行者のことを知り、尊ぶにはどうしたらよいか」と質問をし、師は次のように説かれました。

「人はしるしを見なければ理解できないから、あらゆるしるしを見せよう。いちばんいいサインは、その一人づつの弟子の身体です」

それを聞いて私は、「しるしとは単に、イエスの奇跡的な行ないだと思っていた」と話すと、アーナンダマーリーさんは言いました。

「弟子がいちばんのミラクル(奇跡)!」

師のなさる「しるしと奇跡」を目の当たりにした啓示的な1日でした。

アーナンダマーリー&サーディヤー🌸

ゴパーラ