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聖なる交流は、師からの贈り物

私たちの最愛の師が御入滅されました。こんな時、一体ブログに何を書けばいいというのか。
でも・・・こんな時だからこそ、いつも通りにしないとです。だから今回もいつも通りに、毎回、自分が立ち返って確認すること“タイトルに沿う”に従って、進めたいと思います。このブログのタイトルは『ヨーガを生きる』。サブタイトルは、『ヨーギーたちのダイアリー』です。

*  *  *

お別れのセレモニーの日、日本各地、世界から弟子たちが集まりました。お別れをした後、私は、ヨーガを志しておられる台湾のご夫婦とお会いすることになっていました。ただ、言語のこととデリケートな心境の時に交流するに相応しいお店の雰囲気に心配がありました。
しかし、師の恩寵の下、皆の優しさによって、すぐさま心配は消えていきました。先輩の家で、ニューヨーク、台湾の仲間とみんなで交流することができたからです。皆が辛い心境ではありましたが、お互いがお互いのことを思い合い、それは本当に尊く、美しい時間でした。

書ききれないほど印象的な事がありましたが、今回は台湾の仲間たちに焦点を絞りたいと思います。
その場には、夫婦三組が居合わせていました。新婚夫婦のご主人は、初めて日本のヨーガ仲間と交流されたそうですが、皆の辛さを吹き飛ばすような快活さで、ヨーガへの真剣なピュアな思いを話されました。また、皆のために絶えず通訳までしてくださり、彼の存在そのものと、その素晴らしい献身のおかげで、私たちは大変救われました。印象的だったお話があります。ヨーガを真摯に学びヨーガを生きておられる奥さんは、既に何度か日本に来られていますが、毎回ヨーガの拠点以外のどこにも観光へも行かず、ヨーガを学ぶためだけに日本に滞在されていたそうです。それを知っていたご主人は、本当にそのような滞在の仕方で満たされているのか?と不思議に感じていたそうです。

また、もう一組のご夫婦は、お仕事上ではパートナー、ヨーガでは同志、家では夫婦、という、つまり四六時中一緒におられ、ヨーガへの思いが真剣なあまり、時には衝突などもあると正直に仰いました。それが特に顕著だったのは台湾で開催されたヨーガの展覧会を作り上げる過程だったそうです。いかに真のヨーガを空間に表現するか?という点において、夫婦で幾度も諦めずに話し合いを重ねられたといいます。私はそれを聞き、尊敬しました。はっきりいってその状況は逃げ場がどこにもない。すべての行動を共にしなければならないなかで、衝突が起こっても、そこから逃げずに、ヨーガ的に真剣に真正面から話し合い、その問題をなかったことにはしないと仰っていたからです。ヨーガの教えに沿って自分を隙なく律して、夫婦ともに真摯にヨーガの教えを生きていく、その強い忍耐の精神力と覚悟が伝わってきて圧倒されました。近しい人や家族にはエゴが出やすいと思いますが、そんななかで師の教え、ヨーガを生きて、切磋琢磨されていることを強く感じ、とてもかっこいいと思いました。

その交流の場には、台湾、アメリカ、日本、の三か国語が飛び交っていましたが、全員一致で分かる共通言語がありませんでした。また、言語の通訳はできても、ヨーガを学んでいる年数の違いや教えや言葉の理解度も違います。だから全員でフォローしあいながら、人から人へ時間をかけて丁寧に伝えていくことでしか交流が成立しませんでした。みんなが平等に理解できているか?その一点に神経が集中されていき、一つの熱い塊のようなものの中にいた気が私はします。

台湾でいつも通訳を担っておられる女性は、全体の話を把握されつつも、全てを自分一人では通訳してしまわないで、他の皆にも通訳する機会を分かち合うようにして、見事な調和を保たれていました。時に、彼女が目を真っ赤にしながらも感情を制御して通訳に献身される姿には、なんて優しいんだろう・・・と強烈に胸を打たれました。台湾の仲間の自然な助け合いと、素晴らしい分担に感動しました。相手に応じて、ヨーガの教えや言葉を、瞬時に分かるよう訳し伝えることは簡単なことではありません。何語であっても、聞き、要約し、それを相手に伝える、という作業は、本質を掴んでいないと出来ないと思います。言葉を超えて、彼らの行為から伝わってくるものがたくさんありました。

そして、その陰では、交流を断念して他者のためのご飯作りに専念してくれる人、みんなが交流できるように場を調えて一人で洗い物をしてくれる人もいます。通訳に徹してくれる人、インスパイアに満ちた話をしてくれる人、質問をしてくれる人、相手の話を真摯に聞いてくれる人、静かにお茶を淹れてくれる人・・・皆一人ずつに完璧な役割があるように思えました。すべてが他者のために存在しているようでした。その中の誰か一人でもが欠けていたら、どう考えても物理的に、聖なる交流ができませんでした。師はいつでも私たちを、一人も残さず全員を活かされていると感じました。

その場には、生前の師と会ったことのない人、師から教えのお言葉を直に聞いたことのない人もいて、彼らに、どうしても今、師の教えを、師の尊い行為をそのまま伝えたいとみんなが思って、悲しんでばかりなんていられない状況が与えられていました。師であるヨギさんの教えを分かち合いたい。そうするためには一人では無理で、お互いがお互いのことを思い合わないと出来ない状況でした。これから一体どうしていったらいいのか?その答えがその交流そのものに思えて仕方ありませんでした。

それは、まさに『ヨーガの福音』と『マハーヨーギーの真理のことば』にも載っている師の教えでした。どうしていくか?それは自分たち次第でいくらでも変わる、とその時学びました。

ある人が黄泉の国を見た時のお話です。
一つの館では、大勢の人間が食卓を囲んで、食事をしていて、よく見ると彼らの片腕は椅子の肘掛けに結わえ付けられていて、もう一方の手には長い柄のスプーンがくくり付けられていた。

彼らは目の前のご馳走を食べようとするが、口に運べず、頭に被(かぶ)るやら床に落とすやらで、苛立ち怒りだし、とうとう喧嘩を始める。彼は、これは地獄だと思って次の館に入った。
ここでも多くの人間たちが片手を椅子に、片手に長いスプーンをくくり付けられて食事をするところだった。すると彼らは長いスプーンで相手の口に食べ物を運び、貰った者はお返しをする、という具合で皆満足気に喜んでいた。彼は、ここは天国だと思った。

そう、天国と地獄は人の心の中にあります。あなたが「私」と「私のもの」を突っ張ればそこは地獄になり、「あなた」と「あなたのもの」に自らを捧げるなら天国になるのです。心は迷いやすく間違いを犯すかもしれないが、自らの苦しみを避けるためには他者を苦しめてはならない。自らの幸いを招くためには他者の喜びに奉仕することです。それは愛です。

 その日の交流では、夫婦というキーワードもありましたが、お互いがお互いのことを思えば、そこは天国になる、自分のことを思えば地獄になる、このお話の通りだと実感しました。その時間、師の教えを平等に分かち合うことができたのは、みんながみんなのことを考えて自然に動いていたからでした。誰一人として、自分が自分がという人はそこにいません。尊い師の存在と全く同じである他者のことを考えていた。自分が苦しい時や辛い時にこそ相手を思いやる、そのことを師は私たちに教え、与え続けてくださっている。また、その教えに徹するならば、自分にもできる役割はいくらでもあるのだと教えられました。

優れた能力や技術も何もないけれど人の役に立ちたいと師にお伝えした昔、師はこのように仰いました。

人にはそれぞれの役割がある、そこに優劣はないし同等。ただ役割が違うだけ。だから、やることは心を込めてやっていくということ、それでいい。
何をやるかが重要ではなくて、今やっていることに真心を込めること、たとえ間違えたり失敗したりしても、それでも誠実に純粋にしていく努力を諦めないこと。そこに意識を向け続けることで、いつも事がスムーズに転換します、師の恩寵によって。それを皆の姿から改めて学んだ時間でした。

皆で交流して、新婚夫婦のご主人が最後に言われました。
「彼女がどうして日本に行っても全く観光もせず、それでも十分に心が満たされて帰ってきていたのかが今、よく分かりました!!
私ももう十分に満たされている。もう足りないものがない!!!」

みんなのお弁当を買いにヨーガ・ヴィハーラの前を自転車で通ると、青空の下、師の描かれた看板が生き生きと輝いていました。師が楽しそうに扉にサハスラーラを描かれていた姿を思い出しました!

ジャイ!サットグル!シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ!キ・ジャイ!!!
グルデーヴァ!!!

ナリニー  


ヨギさん、
ヨギさんという方に出会って、私は真実の愛というものがあることを知りました。そしてその愛を、与えて与えて与えて……なんの見返りを求めることなく、純粋に愛し与えられたのがヨギさんでした。
私がアーシュラマに通い始めた頃、ヨギさんの下に集まっていたお弟子さんたちは、まだ数えることができるほどの少人数でしたが、「生きることに真剣に向き合う人たち」であり、私はその姿勢に強く憧れました。そしてその気持ちを引き出してくださったのはヨギさんに他なりません。

5月18日、ヨギさんは私たちの前からお姿をお隠しになられました。その時は突然やってきて、そして過ぎ去りました。

私は、ヨーガをする前からデザインの仕事をしていたこともあって、ミッションのデザインワークスを通してヨギさんから多くの教えをいただきました。それは一度では語りきれません。

でも、今日はその一つであるミニアチュールを描いてきたことについてお話ししてみたいと思います。

ヨギさんからインドのミニアチュール(細密画)のことを教えていただいて『パラマハンサ』の表紙絵を描くようにと勧めていただいてから、これまで50枚以上の絵を描いてきました。
もともとの性質が繊細さにかける私だったから、この絵を描く時だけは、自分は丁寧で繊細な人であると意識を変えて集中し、ヨギさんが大好きだとおっしゃるカングラ派の美しいミニアチュールに近づくようにと願ってきました。

ヨギさんを描く時は、ヨギさんのお姿を思い浮かべ、それは形というよりは空気感というか、ヨギさんの存在を感じるという方が近いと思いますが、そうしてヨギさんに近づき、ヨギさんで心をいっぱいにして描くことで、ようやく、ほんの、ほんの少しヨギさんという方を小さな絵の中に表すことができたのかなと思います。特にヨギさんのお顔や瞳に筆を入れる時には、ヨギさんの愛溢れる、深い眼差しをごく傍で感じ、息を詰めて描きました。しかし一度で納得がいくことはまれであり、毎回、何度も描き直しました。ヨギさんの瞳は、その絵の中心であり、もっとも重要な部分だったからです。

こうして描き終えたミニアチュールは、サットサンガで『パラマハンサ』とともにヨギさんに捧げさせていただきましたが、気に入っていただけるだろうかと、私は毎回ドキドキしながら絵をお渡ししてきたことを思い出します。ヨギさんはそれを、大切なものを扱うかのように優しく手に取られ、慈しむように、じっとご覧になるのが常でした。そして、「いい絵だ」とヨギさんがおっしゃったその時、この絵は完成を迎えるのです。そしてその時、この絵は私が描いたという思いすらも残さず、私の手から離れていくのでした。

 

『Paramahamsa』No.18の表紙

いつも心を真理
あるいは神だけで満たすようにしなさい
Sri Mahayogi Paramahamsa

 

『プラナヴァ・サーラ』の表紙ーー絵を散りばめたデザインはヨギさんのアイデアです

ヨギさんが、yogiのサインと落款とともにTシャツのデザインをしてくださいました 

 

ヨギさんはこれまでずっと、言葉、行為、生き様を通して私たちを真理の道へと導かれてきました。
「こうあらねばならない」というような型にはめるようなことは一切おっしゃらず、おおらかに、ただ私たちの良いところが伸びていくようにと導いてくださっていることを感じてきました。
その方法は弟子一人一人、様々で、まさに対機説法。その根底には愛のみがあり、その祝福は私たちを永遠に導いてくださる、私はそう信じています。

シャチー


『マハーヨーギーの真理のことば』 第七章 食の大切さ

ヨーガでは、悟りへの乗り物であるこの身体を維持するために食事をする、と考えます。 

食材も命であり、食べるとはその命を頂くということ。 
食材に感謝し調理したものを食べると、食べた後も満たされた気持ちが続き、心身が調うと、日常生活における言動も調っていきます。 

 そう分かっていても、仕事が忙しくてつい買ってきたものを食べて済ませてしまうことがありました。 
買ってきたものは味が濃くておいしいと思えず、油っこくて胃腸の調子を崩し、食べても満足感を得られませんでした。そのことで自己嫌悪に陥ってしまい、やるべき事を後回しにしがちに。 
安易に口にした食事が日常生活にも影響を及ぼしていくことを痛感したタイミングで、『マハーヨーギーの真理のことば』の第7章のページを開きました。 

古きに渡って培われた東洋の精進料理は、 
まず真理を求めることを念頭に置いて、 
修行者の体と心を調える役割を担っている。 
修行が深まり、身口意が不動となり、真理の一片なりとも悟るなら、 
何を着ようが何を食べようが構わないのだ。 
もはや彼あるいは彼女は何ものにも影響されないから。 
しかしその境地に至るまでは、 
真理の正しい教えと同様、正しい食生活にも留意しなければならない。 


第七章の冒頭に書かれているこの教えを読んで、目が覚めたような感覚でした。
 

私は真理を求めて生きると決めた。 
真理を実現するために、いつでもこの体を道具として最大限に使えるように調えておく必要がある。 
それには真理の教えを学ぶことと同じくらい、それに基づいた正しい食生活が不可欠である。 

身口意が不動となり、真理の一片でも悟り得るまではそれを徹底する! 

この章を読むことで、ようやくその覚悟が決まりました。 

 

 ハルシャニー  


「夢ーー應作如是観」台湾展覧会報告

4/14〜23まで、台北市内で「夢ーー應作如是観」と題したヨーガの展覧会が開催されました! 
昨年発刊された台湾華語版『ヨーガの福音』をより多くの方に知っていただきたいと、この企画を立ち上げられたそうです。私はその期間中の4月21日,22日とサットサンガとバクティ・サンガムを行なわせていただくことになり、約4年ぶりに台湾に行かせていただきました。

ヨーガの展覧会ってどんなもの?? 皆様、イメージできますでしょうか? 

私自身、それまで何度か企画内容をお聞きしてきましたが、実は当日その場所に足を運ぶまでは、全くイメージが湧きませんでした。しかし会場に入った瞬間、その美しくて静謐なプラーナと、みんなのヨーガや師に対する大いなる情熱を感じて、とても感動しました。今回は、簡単ですが、展覧会の様子を写真を中心にご報告させていただきます。

会場は「カルマの法則」「死の衝撃」「瞑想の森」など、ヨーガの教えごとに6つのブースに分かれていて、それぞれのブースでヨーガの教えに触れ、またそれらについて考えながら、実際に瞑想なども体験することができます。あちらこちらに散りばめられたヨーガの教えやエッセンスを、視覚的にも、また感覚的にも捉えることができ、とても美しく、神聖なプラーナ(気)に満ちた、本当に素晴らしい空間となっていました。もちろん私たちの師であるヨギさんや、マハーヨーギー・ミッションの紹介、書籍の販売コーナーなどもあって、さらに詳しく知りたい方は、書籍を手にとって見ることもできます。
展覧会に参加された方からは、「深く考えさせられた」「これまでと違う角度からヨーガを理解できた」「デザインが美しく、説明もわかりやすかった」など、いいご感想がたくさん届いたそうです。

また週末の土日には、アーサナ(ヨーガのポーズ)やキールタン(神と魂を結ぶ愛の歌)のデモンストレーションを見ることができ、会場は多くの人たちで埋め尽くされました!

集中感のあるアーサナに来場者が惹きつけられていくのが肌で感じられます。また最終日のキールタンでは、会場のみんなも一緒に神の御名を熱唱! 熱く一体となった瞬間でした!

また、サットサンガやバクティ・サンガムでも、多くの方にご参加いただきました。

 

10日間のイベントは多くの来場者に恵まれ、大きな歓びを台湾グルバイ(兄弟姉妹弟子)たちに残し、大成功のうちに幕を下ろしました。私は最後の数日だけでしたが、彼らと共に時間を共有させていただくことができ、様々なことを学びました。師のヨーガを多くの人に届けたいという純粋な信仰心と情熱はもちろんのこと、仲間を思いやる優しさ、このイベントを成功させるという気迫、割り当てられた仕事を必ず果たすという責任感の強さ、未知のことや困難さにも立ち向かっていくチャレンジ精神、持ち前の明るさ、などなど、書き始めるとキリがないほどです。

力強く、ひたむきにヨーガの道を歩んでいるグルバイの姿は、言葉を超えて本当に美しく、感動的でした。きっと多くの人は、彼らの真剣で真摯な姿と熱意に胸を打たれたに違いありません。

イベントの成功、本当におめでとうございます!!!
彼らのいちばんの願いである、師の教えが台湾で広まっていくことは、きっと必然の結果として訪れることと思います。今後、ますます師の教えが広がっていきますように!!! そして、今回貴重な機会に参加させていただきまして、本当にありがとうございました。

ミラバイ


京都・大阪 瞑想入門4回コースのお知らせ

皆さま、こんにちは。
ゴーパーラです。
私が講師を務めさせていただく「瞑想入門  4回コース」が京都(5/13)・大阪(5/18)でスタートします‼️(詳しくはこちらから⇨瞑想入門

昨今、たくさんの瞑想が紹介されていますが、どれが正しい瞑想なのか分からないほど多く出回っていて、混乱しますよね。。
私は瞑想をして15年ほどになるのですが、正しい瞑想のポイントとして「目的と基礎がしっかりとしていること」、それが挙げられると思っています。

例えば、○○大学に入りたいとなったら、その大学に受かるためにがんばって勉強すると思いますし、まずはその目標・目的を定めることが大事なことになってきますよね。
また、どの大学を目指すにしても、いちばん始めにするべきことは、基礎を学ぶことだと思います。
基礎が身に付いていれば、それがベースとなって、勉強をさらに促進させてくれるはずです。

この瞑想入門コースでは、瞑想の「目的」「基礎」をしっかりと学べるプログラムになっています。
瞑想の王道の教え「ラージャ・ヨーガ」を指針に、正しい座り方や呼吸法、ひいては日常の心構えについても学び、目標に向かって実践していきます。
瞑想で実現したい目標は人それぞれかもしれませんーー集中力をつけたい、心穏やかになりたい、また真実を悟りたいなどさまざまかと思いますが、王道に則って瞑想をすれば、それらは実現できます!

瞑想に興味がある、やっていきたい、深めたいという方、誰もに必要な基礎が学べ、無理なく始められるプログラムになっております。
ぜひご参加いただけたらと思います😇🙏

ゴーパーラ


MYMオリジナルTシャツご予約受付中です!


今年は新たなカラーがたくさん加わりました。またヨーギーとMYMのロゴプリントはゴールドとシルバーを用い、より一層の輝きを見せてくれています。

締め切りは、5月8日(月)お急ぎください!
*松山ヨーガ・サーラ・スタジオのオリジナルTシャツも全色同時販売します!

詳しくはホームページをご覧ください。


色目はインスタでも見ていただけます。(半袖のみ)
気にいったら「いいね!」ボタンお願いします。
Instagramアカウント:@mahayogi.mission
https://www.instagram.com/mahayogi.mission/

マハーヨーギー・ミッション 


『マハーヨーギーの真理のことば』 全ては同じ存在である

他者との関わりについて、私がもの物心ついた頃から両親や学校の先生に教えてもらったと記憶しているのは、「相手の立場に立って物事を考えなさい」ということでした。確かに自分がされた嫌なことは相手も嫌だろうとは思うものの、なんだかぼんやりした曖昧なもので、なんとなくそうしないといけないものと捉えていたと思います。そしてそれをしたとしても気の合う人だけだったり、機嫌が良いときだったり、いい加減なものでした。時には傷ついたり傷つけられたり、人間関係ってそんなものじゃないの?と思って生きてきました。ですが真理の教えと出会って、なぜ相手の立場に立って物事を考えないといけないのかが、だんだんと腑に落ちるようになっていきました。

『マハーヨーギーの真理のことば』第5章の中で、その答えが明確に書かれているのでご紹介します。

真理というものを学ぶならば、最初に気付かされることは、全てのものが平等であり、尊いということです。ここにおいては自らと他者、あるいはその他の動物や生き物、全てにおいて差別観を持ってはいけない、全ての中に同じ尊い存在があるということです。そうすると、誰かが誰かに暴力を与える、与えられるという関係は矛盾するでしょう。それは平等ではなくなる。これは真理に反することです。盗む、盗まれるもそうです。真理というところから見ても、当然の行為のあり方です。そういうふうにまず真理をもって理解することで、自らの心の制御が為されるし、また行為が正されていくと思います。もちろん行為は実践を通して行なわれますから、確実なものとしてそれが本当の修行というものになっていくと思います。単に頭の知的理解だけでは駄目、体を通して体得していくことが求められます。

教えを学び始めてから程なく、全ての中に同じ尊い存在を見るように努め、言葉も、行為もそれに矛盾なく沿わせていくという実践が始まりました。私が特に意識してきたのは誰に対しても暴力的な思いをもたないようにするということです。うまくいかないことは多々ありました。余裕がなくて優しくなれなかったり、いやいやこれはこの人が悪くない?と葛藤したり、ああかな?こうかな?と経験を繰り返すうちに、徐々に自分の心の形相が見えてきました。

自分の中に他者に対して暴力的な思いがあると、心の中がずっともやもやして、気分を変えようと場所を変えても、誰かと話しても、結局気分は晴れずにずっとしんどい思いを抱えているのです。

(なるほど、この世を見渡すと数多くのものがそれぞれ点在しているように見えるけれど、そうではなくて、師が仰っているように全ての中に同じ尊い存在があるのかもしれない。もしそうだとしたら、他者は自分自身ということになる。他者に暴力的な思いを持つと自分が苦しいと感じるのは、結局自分に対して暴力を振るっているのと同じ。そうか、相手がどうこうではなくて、自分が同じ存在を見ていないから苦しむのだ)と実践を通して少しずつ心が理解するようになっていきました。

今までの心の習性からこの世界を見るか、それとも真実の方から見るか。どちらから見るのかによって、天国にでも地獄にでもなる。自分が天国を見たいのなら、自らの心の持ち方や言葉遣い、行為の全てに責任を持たないといけないということが分かってきました。

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第5章は全ての中に尊い同じ存在があることを体得するための、日常の行為の秘訣が書かれています(他者との関わりにおいて守るべき教えをヤマ、自分に対して守るべき教えをニヤマと呼びます、詳しくは以下の通りです)。

ヤマ(禁戒)他者に対する行為と言葉と想念の制御
 アヒンサー(非暴力)ー一切万物を傷つけてはならない
 サティヤ(正直)ー真実だけを語り、誠実であること
 アステーヤ(不盗)ー何ものも盗んではならない
 ブラフマチャリヤ(純潔)ー純潔であること
 アパリグラハ(不貪)ー必要最低限の物以外所有せず、贈り物を受け取らない

ニヤマ(勧戒)自らに対する行為と言葉と想念の精進
 シャウチャ(清浄)ー身心を潔斎浄化する
 サントーシャ(知足)ー生きる上で必要最低限度で足りたるを知る
 タパス(苦行)ーあらゆる身心の二元状況を克服する
 スヴァーディヤーヤ(聖典学習)ー真理への理解を育む
 イーシュヴァラ・プラニダーナ(神への誓願)ー神への帰依

本の中ではヤマ・ニヤマ一つ一つの戒律について、具体的にどう考え実行すればいいのかがとても分かりやすく書かれています。読んでいると面白くて、ワクワクしながら読み進めていけます。そしてすぐに実践しようと思えるものばかりです。ぜひ読んで、実践して、味わってみてください!

アマラー

 


5月スタート!!  瞑想入門 4回コース<京都・大阪>

「瞑想入門 4回コース」のお知らせです!
5月から京都・大阪で、初心者の方を対象にした瞑想の4回コースをスタートします!!(詳細はこちらから☞『瞑想入門』


このコースでは、瞑想によって「心の静けさ」を感じていただきたいと思っています。
心の静けさとは、言い換えると「心の安定」でもあります。
家を建てる時、土台がしっかりしていればよい家が建つように、瞑想も安定した土台作りが大切になってきます。
まずは心身を安定させる基礎の教えを学び、瞑想をしっかりと継続できるプログラムを組んでおります。
これから瞑想を始めたい方、また深めたいという方、ぜひご参加ください!
門戸を開いて、お待ちしております!!

そして本日、4月8日はブッダの御聖誕日です。
皆さんもご存知のように、ブッダは瞑想によって悟りを啓かれた覚者です。
私は20歳の時、ブッダ成道の地ブッダガヤを訪れた際、その場所の静寂に包まれたプラーナ(気)に安心を覚え、自然とブッダの教えや仏教を学びたいという思いが湧いてきました。
この瞑想入門のコースが、心の静けさや瞑想への思いが高まる空間になればと願っております。
そして、新しいご縁ができることを心より楽しみにしております。

ゴーパーラ


聖者の息吹を感じる! 春の祝祭

今年は例年よりも桜の開花が早いですね。 
すでに満開を迎えたところ、これから開花を迎えるところ、様々な場所で、春の喜びを感じられていることと思います。 

そんな中、マハーヨーギー・ミッションでは、2023年4月2日に春の祝祭「サナータナ・ダルマ・アヴァターラ・メーラ ー神性示現大祭ー」が開催されます。

2017年に始まったこの祝祭は、永遠の真理を完全に体現された神の化身、アヴァターラに感謝と歓びを捧げる祭典です。 

これまでブッダやシュリー・ラーマクリシュナなど、偉大なる大師たちの生き様に迫ってきました。 
最初はこの祝祭がどんな会になるのか想像がつきませんでしたが、ブッダをテーマに取り上げた祝祭で、その意味がはっきりと分かりました。 
ブッダについて名前やどのような生涯だったかは知っていても、どこか遠い存在だったのが、グルバイたちの祝辞を聞く中で、ブッダの息吹を感じ、その人となりに触れることができたのです。 
会場にはグルバイの熱気が充満していて、この上ない歓びで胸がいっぱいになった感覚は、今もはっきりと覚えています。 

2021年からはオンラインでの開催となりましたが、画面を通して各地と繋がることで、離れた場所にいても歓びのひと時を共に過ごせるありがたさを感じています。 

今年の春の祝祭で取り上げる聖者は、パラマハンサ・ヨーガーナンダ。 
ヨーガーナンダの、子供のような純粋さで熱心に神を求めていく姿からは、素直さと揺るぎない信仰心を感じます。 Snatana Dharma Avatara Mela

ヨーガーナンダはどんな人であったか。 
グルバイたちが様々な視点で迫ったヨーガーナンダを知ることができる祝祭はもうすぐ。とても楽しみです! 

 ハルシャニー  


ラージャ・ヨーガ「ヤマ」の実践で気付いたこと

松山と東京のクラスを結んで昨年5月に始まった「ヤマの会」ですが、先月、ヤマの5つの教えの実践を終えて一旦会を終了することとなりました。

「ヤマ」とは、ラージャ・ヨーガにおいて一つ目に挙げられている修練であり、日常でおこなわれるとても大切な教えです。

アヒンサー(非暴力)
サティヤ(正直)
アステーヤ(不盗)
ブラフマチャリヤ(純潔)
アパリグラハ(不貪)

私たちは教えを順番に実践し、オンラインで実践したことや感想などを話し合ってきました。

最初の頃、「私は人から盗むことも嘘を付くこともしない」と、ピンとこないところがありましたが、たとえば、人の考えをさも自分が考えたように言ってしまうこともアステーヤに反することや、根拠が曖昧ないい加減なことを言ってしまうこともサティヤに反するということを知り、どれも私はよくしていたことなので身が引き締まりました。本を読んで得ただけの知識だと納得してそこで終わってしまいがちですが、ヤマの会ではテーマについて話し、実践し、また振り返りをするのでより深まると思いました。
そして皆さんのいろいろな捉え方、実践を伺えるのはとても勉強になりました。
また、できないと落ち込んだ時もあったのですが、皆さんのヨーガへの真剣な姿勢とともに前向きな明るい姿に、ヨーガって楽しい!という思いが伝わってきて、たとえ少しでも出来たことを喜び、半歩でも前へ進もうと思うことができました。

オオイヌノフグリはいち早く春を教えてくれます。

私は実践していく中で気が付くことがありました。
アヒンサーを学んでから家族を傷付けないようにしていたつもりでしたが、ちょっとした言い争いをしてしまい、その直後私が今まで家族にとってきた良くない態度やきつい言い方が、そのまま自分に返ってきていることにはっきり気が付き、驚きました。身口意(行為・言葉・思い)を一つにしなければ、と改めて思いました。
そんな時、『マハーヨーギーの真理のことば』の御本が届き、パッと開くと「身口意を調える─ ヤマ・ニヤマの実践」とありました。
ヤマ・ニヤマの章を読んでいく中でヨギさんの次のお言葉に、私は胸の奥がぎゅっとなりました。

「平等ということを徹底することによって、それらの戒めは自然と身に付くことになります。これがヤマに対する一つの考え方の基本です」

平等ということを徹底する————
この教えを日々深め、実践を続けたいと思いました。

皆で相談をして、4月から今度は「ニヤマの会」が始まります。楽しみです!

ツタバウンランと蟻。小さな命に見入ってしまいます。

中村 凪