あなたは私であり
私はあなたです
Sri Mahayogi Paramahamsa
今回は、『Paramahamsa』No.14の表紙を紹介させていただきます。
この絵は、ヨギさんからマハーアヴァターラ・ババジのお話をお聞きした時にインスピレーションが湧いて描いたものです。ババジとヨギさんの間に交わされる祝福を、悟りの象徴とされている蓮に託しました。
*2023年3月20日配信のWeb版Paramahamsaにて、このイラストを紹介していただきました。
シャチー
あなたは私であり
私はあなたです
Sri Mahayogi Paramahamsa
今回は、『Paramahamsa』No.14の表紙を紹介させていただきます。
この絵は、ヨギさんからマハーアヴァターラ・ババジのお話をお聞きした時にインスピレーションが湧いて描いたものです。ババジとヨギさんの間に交わされる祝福を、悟りの象徴とされている蓮に託しました。
*2023年3月20日配信のWeb版Paramahamsaにて、このイラストを紹介していただきました。
シャチー
15年前の2月、私は初めてサットサンガに参加しました。
サットサンガとは、聖者の祝福と教えを授かる聖なる集いのことです。
クラスで、一人一人の質問に対して師が答えてくださる対機説法という形だと聞いてはいましたが、私には特に聞きたいと思うことがなく、必要を感じませんでした。
参加のきっかけとなったのは、N.Y.から来られていた先輩グルバイに言われた言葉でした。
「まだヨギさん(師)にお会いしたことがないの!?もったいない!」
その後、先輩グルバイから師のお人柄や行動について伺っているとお会いしてみたくなり、1週間後のサットサンガへの参加が決まりました。
参加するのであれば質問を、と考えてみましたが、思いつかないまま当日を迎えました。
サットサンガが始まり、まず、師が合掌されているお姿に目を奪われ、すっと背筋を伸ばした美しい座り姿に釘付けになりました。
次に、質問する人が真っ直ぐに師を見つめる表情が印象に残りました。
そして、質問に対して丁寧に答えられる師の優しいお顔と、心地良く響くお声にどんどん惹きつけられていきました。
また、師と質問する人との間には、何か強い結び付きのようなものがあるようにも感じました。
問答を聞いているうちに、ヨーガの教えというのは哲学的なものとして存在する難しいものではなく、日々生きていく上で支えとなるものなのだと気付き、師に尋ねました。
「人の役に立ちたいと思うのはエゴですか?」
「純粋な信仰を持ってするならば、可能です。純粋にそれを想うことができたら、素晴らしいこと。崇高なものとなります。」
「純粋な信仰」という言葉が強烈に胸に刺さりました。
人の役に立てるようになりたいと思っているのに、私は「純粋」ではなく、「信仰」もないことに気付いたのです。そして自分の中に見て見ぬふりをしてきた問題があり、それが苦しみとなっていることを自覚しました。
翌日も師にお会いする機会があり、私は立て続けに質問をしました。苦しみを一刻も早く解消して、本当に人の役に立つことができるようになりたくて、「純粋な信仰」が何なのかを知りたくて、必死だったのだと思います。
師のお答えの中には、聞いた瞬間に受け入れ難い言葉がありましたが、師の穏やかに微笑まれているお顔を見つめていると受け入れることができて、「やってみます」と素直に返事をしていました。
そんな風に誰かに対して素直になったことがなかったので、自分が自分ではなくなるような感覚でした。その感覚に戸惑いながらも、師に「やってみます」と言ったことを一つずつ実行していきました。
日に日に私の中で師の存在は大きくなり、抱えていた苦しみは少しずつ消えていきました。
グルバイの話を聞くと、理由や時期は様々ですが、皆目に見えない糸に導かれるようにヨーガに出会っていると感じます。
それは私たちの中にすでにある真実が、真実そのものを体現している師に惹き付けられているからだと思います。
初めてサットサンガに参加した時に感じた、師と質問する人との強い結び付きは、ともに永遠に変わることのない真実の存在であることを感じたからかもしれません。
今は、人の役に立つことができるかどうかは気にならなくなりました。
純粋に師のことを想い、同じように目の前の人のことを想い、行為したい。それが願いです。
近所の河津桜が次々と咲き始めました
ハルシャニー
松山で幼いお子さんの子育てをしながらも毎週ヨーガ・サーラ・スタジオに熱心に通われている井上さんから本のご感想をいただきましたので、掲載します。
この度は、『マハーヨーギーの真理のことば』を世に送り出してくださり、ありがとうございます。
これまで『ヨーガの福音』『悟り』を愛読してきました。『ヨーガの福音』は美しい詩集のようで、カバンに入れて持ち歩いています。『悟り』はもう少し深くヨギさんの言葉に触れたい時に読んでいます。そして、『マハーヨーギーの真理のことば』はヨーガをより深く探究していく上で、必携の書となりそうな予感がしています。
最初はまず表紙のインパクトに驚きましたが、眺めているうちに、完璧な写真の凄さを、徐々に感じ始めています。日々、心がぶれそうになった時に表紙を眺めると、集中力がよみがえってくるのを感じています。
内容はとても膨大なので、まだ全ては読み切れていませんが、目次から興味を惹かれたページを読んでみたり、パラパラっとめくって目に入ってきたページを読んだり、クラスで紹介されたページをもう一度家でじっくり読んだりしています。どの言葉からもヨギさんの限りないパワーを感じ、心の奥深くまで届いてきます。
私はまだ、先輩方のような所にまでは辿り着いていませんが、この本がヨーガを深めていく上での、確かな指針になると感じています。この本を通して、どんなヨギさんの言葉に出会えるかワクワクしています。
井上江理
待望の『マハーヨーギーの真理のことば』が発売されて約2ヵ月が過ぎました。皆さまは今どのあたりを読まれていますか? 「面白くてあっという間に読んでしまった!」という方や「じっくり味わって読んでいます~」という方、さまざまだと思います。そこで今回、私の方からは「第二章 真理・真実在」のレビューを書かせていただきます!
きっと多くの人が一度は「自分はなぜ生まれてきたのだろう?」「死んだらどうなるのだろう?」とか、「自分ってなんだろう?」「神様や仏様って本当にいるのかな?」と考えたことがあるのではないでしょうか。もしかすると、今このブログを読まれているということは「この世界、宇宙の本質とは?」「悟りとは一体どういうことなのか?」という、ヨーガ的な疑問を持たれている方もおられるかもしれません。
私が子どもの頃、目の前に広がる世界はたくさんの不思議で満ち溢れていました。成長し、大人になってからも、その時々で形を変えながらそれらは常に私の中にありました。あれやこれやと忙しい日々を送っているうちに月日はあっという間に過ぎていきましたが、ある時転機が訪れました。私は子育てを通して、再びこの世界への疑問に直面することになったのです。「すべての根源、宇宙の理(ことわり)、真理とはなんだろう?」ーー私はその疑問からもう目をそらすことができなくなりました。
この世界の真実を知ろうとしない人生に何の意味があるのかーーそう思い始めた頃、私は師シュリー・マハーヨーギーと出会い、師が語られるヨーガの教えの中にすべての答えを見つけることができたのです。第二章は、私のように子ども心の不思議さを持ち続けている方や、“悟り”“真理”とは何なのかを知りたい方に特に読んでいただきたい内容がギュッと凝縮されています!
第一節 生と死の理では、生きとし生けるすべての生命と私たちの魂の秘密について明らかにされています。第二節 ブッダの教えでは、ブッダが啓かれた悟りとそれに至る道である四締八正道について、第三節 アートマンの真理では、アートマンと呼ばれる生きとし生けるものの本質、また宇宙の開闢(かいびゃく)と神について解き明かされています。そして、第四節 悟りでは、私が憧れ目指す悟りの境地について説かれていて、今回その教えの一つを紹介させていただきます!
真実の体験
一切の心の働きが停止した時、その時に突如として、まるで稲妻のように真実が顕わになる。それを体験する。その体験はこの日常の経験や夢の世界などのような儚いものではなくて、実にリアリティそのものなのです。その真実が誰もの、また万物、この全宇宙の本質に他ならない。
シュリー・マハーヨーギーは、古代から続くヨーガの叡智をとても分かりやすくシンプルに説いてくださいます。きっと、皆さんの疑問の答えも見つかるに違いありません! どうぞ、ワクワクした気持ちでページを開いてみてくださいね。
東京土曜日代々木クラスの後に、よく皆で熱くヨーガトークスをしているカフェのテラス席にて
シャルミニー
「幸福と不幸は裏表」という言葉をよく聞きます。
「少々辛いことがあっても、きっとまたいいことがあるよ!」という励ましの意味や、「いいことが続いたからといって、あまり油断するとよくないよ!」という戒めの意味の、両方があるそうですね。また「人間万事塞翁が馬」ーーー人生における幸不幸は予測できない、とか、「幸福より不幸の方が良い教師である」・・・などなど、昔から幸福と不幸に関しては様々な処世訓があります。
それではヨーガでは、幸福と不幸についてどのように教えているのでしょうか?
マハーヨーギー・ミッションの会報誌『Paramahamsa』のコンテンツの一つ、まずはこちらをご覧ください!
「幸福と不幸の女神」より
この物語は古くからインドで伝わっている小話の一つなのですが、私たちの師であるヨギさんは、時折こういった例え話を豊かに織り交ぜながら、いつも本当に楽しくヨーガの神髄を教えてくださいます。そんな時はまるで童心に帰ったかのようにワクワクしながら、その物語の世界に引き込まれて、「なるほど!」と唸ったり、自分自身を省みたりすることがたくさんあります。
そのように、様々あるヨーガの教えや例え話を、ワクワクして絵を通して感覚的に掴んだり親しんだりしながら、教えの理解やヨーガへの思いを育んでいけたらいいなぁと思い、『Paramahamsa 』で、このコンテンツを企画してみることになりました。ヨーガを始めて間もない方や子供さんなど、誰もが見て楽しめるような、絵本動画のイメージです。
まだ作品はたくさんできていませんが、これから皆さまに楽しんでいただけるよう、少しずつ増やしていきたいなぁと思っています。
ということで・・・さてさて、動画をご覧くださった皆様へ。
幸不幸の交錯するこの人生、どのように生きていけばいいのかーーーそのお答えは出ましたでしょうか?
追伸:絶賛発売中の新刊『マハーヨーギーの真理のことば』の中に、上記の教えも掲載されています!
“アーサナは堅固で快適でなければならない”
アーサナとは坐法のこと。あらゆるアーサナは、堅固で快適な状態で座り続けられるようになるために行います。
堅固とは、心がしっかりと定まって動かないことだと、昨年先輩グルバイから教わりました。
ヨーガでは、プラーナ(気)を制御することによって身体や心の動き、そして呼吸を制御していきます。
呼吸と心は密接に関わっており、呼吸が止まると心も止まります。
アーサナにおいては一つの形の中で、まず身体の動きを制御し、次に呼吸を制御していくことによって、心が制御されます。
私がアーサナを始めたのは、通っていた鍼灸学校の先輩のクラスがきっかけでした。
元々股関節と腰に痛みが出やすかったのですが、当時は怪我の影響で膝も痛く曲がりづらい状態で、特にバッダコーナ・アーサナでは上体を倒すと膝の違和感が強くなり、形を深めることができませんでした。それでも行うと腰と股関節に効いている気がして、好んでやっていました。
半年ほど経った頃、初めてMYMのクラスに参加しました。
最初に行ったのがバッダコーナ・アーサナ。それまで参加していたクラスとは異なり、静まり返った雰囲気の中、少しずつ形を作りました。膝に多少の痛みを感じつつも、「しっかりと息を吐ききるように」との声に、ひたすら息を吐くことを意識しました。呼吸する度に身体の感覚がなくなっていくようで、いつもよりも形が深まっていきました。
身体の内側では強烈な刺激を感じ、時間が止まったような気がしました。
「戻して」の声でゆっくりと上体を起こすと、頭がぼーっとしていて、その後のことはあまり覚えていません。おそらく心や感覚が制御されたことで、痛みに囚われずにアーサナできていたのだと思います。
アーサナの形自体はこれまで行っていたものと同じなのに、呼吸を意識することでこんなにも違うのかと驚きました。
MYMのクラスに通うようになってからは、膝の状態は改善して身体の調子も良くなり、バッダコーナ・アーサナをしても痛みや違和感がなくなりました。
それでも長時間座る時は必ず足や腰が辛くなっていましたが、アーサナを毎日行ううちに少しずつ座れるようになりました。
アーサナができない時には、背骨を真っ直ぐに伸ばした姿勢で座るだけで、呼吸が落ち着くことに気付きました。また、クラス受講中に頭痛がひどくてアーサナできなくなった時には、座り続けるうちに痛みが和らぎ、クラスが終わる頃に楽になったことがありました。
座る形を作るためにアーサナがあるのだと納得し、身体を癒す力もあるのだと実感しました。
最近は年齢による身体の変化もあり、腰や股関節に違和感と痛みが出ることがあります。
一通りアーサナをするのが困難な時でもバッダコーナ・アーサナを行い呼吸を繰り返すことで、違和感や痛みに囚われなくなります。
いつまでも吐き続けられるような感覚になり、吐き切った後の自然に呼吸が止まった状態が平安で心地良く、ずっとこのままでいられたらと思うほどです。
身体、呼吸、心が制御された状態の中では、心でも体でもない、本当の自分だけが在ることを体感するから、無呼吸の状態を平安で心地良く感じるのではないかと思います。
アーサナは坐法。
師がお座りになるお姿は本当に美しく、坐法が堅固で快適であることを私たちに見せてくださっています。
そうなるための基礎となるアーサナの大切さを感じています。
美しい坐法が描かれているタペストリー。
ずっと見つめていると瞑想しているような感覚になります。
ハルシャニー
マハーヨーギー・ミッション(MYM)から発行している『Paramahamsa』(パラマハンサ)という会誌があります。ここには、師シュリー・マハーヨーギーの教えがぎゅっと詰まったサットサンガ(師と弟子の問答)をはじめ、聖者の紹介、弟子の実践・体験談、MYMの活動報告など、多くの記事を掲載してきました。
今ではWebにて配信していますが、1997年5月〜2021年3月(No.144)までは、会員の皆さまに紙面の『Paramahamsa』をお届けしていました。
私は、初期の頃から中程まで、表紙に絵を描かせていただいていたことがありました。
今回から、それらの表紙絵についていくつかご紹介していきたいと思います。
私は美術系の短大に通っていたこともあり、学生の頃は日々絵を描いていましたが、卒業してからの約10年間はちゃんとした絵を描くことはありませんでした。それは描きたいものがなかったからです。
そしてヨギさんの下へ通うようになってから、ヨギさんから、細密画というインドの伝統的な絵のことを教えていただく機会がありました。いくつか流派がある中でも、特にカングラ派の絵は美しいとご本を見せていただいたのです。「綺麗!」その筆使いの繊細さ、落ち着いた絶妙な加減の色彩の美しさに一瞬で惹かれました。そこから自分でも本屋や図書館に行って調べたりしていく内に、ヨギさんに捧げさせていただく細密画を描いてみたいと思うようになったのです。
その第1作目が今回の絵になります。
これは1998年の御聖誕祭でヨギさんに奉納させていただきました。ヨギさんは包み紙を開けてこの絵をご覧になると、「シャチ、こんなんも(こんな絵も)描けるんやな」と、当時落書きみたいなイラストばかり描いていた私に、ニッと笑っておっしゃいました。そして「パラマハンサの表紙にしたらいい」と。
ただヨギさんに喜んでいただきたい! そんな思いだけで見よう見まねで描いた細密画風絵でしたが、そこから私の表紙絵を描く時間は始まったのでした。
1999.1.10発行 B5サイズ、モノクロ、約20ページ
表紙絵第1作目の下には、アーナンダマーリーの言葉をお借りしました。
無形の神はわれわれと同じ姿を借りて
ご自身をお顕しになり
われわれを惹きつけ魅了する
ただ一重にわれわれを悟りへと導いていらっしゃるのだ!
*2023年1月20日配信のWeb版Paramahamsaにて、このイラストを紹介していただきました。
シャチー
今年も残すところあと数日となりました。
この一年、「一つの物事に対して粘り強く取り組むこと」を実践してきました。
神に道具として使っていただけるようになるために、目の前のことに丁寧に向き合い、じっくり考え、行為することが必要だと感じて決めた抱負でした。
実践する中で幾つか気付きや変化がありました。
・じっくり考えて物事をやり切ることが苦手だったが、取り組むうちに苦ではなくなり、習慣になりつつある。
・一つのことを精一杯やり切るように努めることで、結果がどうなっても気にならなくなった。
・困難を感じる時は、目の前のことよりも自分のことを考えている。気付いたらその都度真実へと意識を向けるようにすると、困難は感じなくなった。
・粘り強くやる中で何度も失敗しては気持ちを切り替えるうちに、力まず凹まず淡々と行為するコツが掴めてきた。
・取り組むほどに、自分が何かをしているという感覚が少なくなっている。
抱負を実践することで、神に使って頂ける道具に近付けたかは、自分では分かりません。
ただ、こうして考え行為することも含めて、全てが神から与えられたものであるということを、一層強く感じるようになっています。
あらゆる命は神の顕れ。
常に神である誰かに支えられて、力をもらい、行為し続けることができている。
この事実に感謝しかありません。
1枚の葉が赤と緑のクリスマスカラーになっていました。
赤はイエスが流した血を表し、緑は永遠の命の象徴とされています。
”何でもない者
神は、ご自分の偉大さを、何でもない者を使うことで示されました。ですから、いつでも何でもない者でいましょう。何の相談もなくても、神に自由に使っていただきましょう。”
聖なる者となりなさい マザー・テレサの生き方 より
私も何でもない者でありたい。
いつどのような状況でも、神に使っていただけるようになるために、来年も弛まず行為し続けます。
ハルシャニー
――悟りの境地について、お話ししていただけますか。
一切の煩わしさや悩みのないところ。
不滅の存在のみの在るところ。
唯一無二のリアリティ――真実在。
『マハーヨーギーの真理のことば』より
この悟りの境地に至ることができるのは、城を飛び出したブッダや、山奥で修行に励んだヨーガ行者たちのものであって、日々忙しなく働き、多くの人との関わりを持つ私たちには無縁のものだろうと思っていました。
しかしマハーヨーギーは、今の生活を棄てることなく日常の中で悟りは実現できる、どんな状況であろうと、それは可能だと教えられます。
――仕事が忙しく、いつも二十三時とか帰りが夜遅くになります。でも充実感がなくて、落ち込むことが多いです。どうしたらこういう思いを解消できるでしょうか。
――気が合わない人にはどのように対応すればいいでしょうか。
――どうしても他人の評価が気になってしまいます。どのようにすればいいでしょうか。
これらの問いは、この本の中に実際に出てくる誰もが悩まされる事柄です。そこに与えられる真理のことばは、出口が見つからず、水平方向にクルクルと回り続ける心を垂直方向に引き上げ、心の有様を俯瞰させてくれます。そうして心は、引き上げられた先に確固たる悟りの境地が在ることを感じるのです。
間違った心の働きを無くしさえすれば、そこに真実は在るはずだ! 日常を放棄して彷徨い歩く必要はなく、今の自分のスタート地点から人生はより良くなっていくはずだ!という希望が生まれてきました!
さらに、一般的に流行している美容健康を目的としたアーサナや単なるリラクゼーションとしての瞑想は、本来の悟りに至るための確実な道として詳細に解き明かされています。
数千年昔から伝えられてきたヨーガの奥深さに驚かされました! そしてそれらの教えは理にかなっていて、実践者にとっては痒い所に手が届くような丁寧さで記されています。
この人生のガイドを手に、弛まず実践を続け、一切の煩わしさや悩みのない、至福の境地に一歩ずつ近づいていきたいと思います!
ヨーガダンダ
ついに『マハーヨーギーの真理のことば』が松山にも届きました!
ブログで全目次が公開された日から内容の素晴らしさに圧倒され、『マハーヨーギーの真理のことば』を手にする日を心待ちにしていました。約20年余りの師の教えの集大成というこの特別な聖典を、私は敬愛する師そのもののように感じていたので、予定より1日早く届いた嬉しさに身も心もとろけ、歩こうとしたら腰が抜けそうになりました!(笑)
ついに多くの方にお渡しできる日が来たのです!ご予約いただいた皆さんへのお知らせや書籍の発送作業など、何をしても言葉にならない幸せが込み上げ、気が付いたら「こんなにも幸せな仕事が世の中にあるのでしょうか!?」という思いが身体中を駆け巡っていました。
購入してくださった皆さんの第一声です。
「わ~!!!美しい表紙!このオレンジも本当に素敵ですね!」
「私、この1冊があれば生きていけます!」
「ヨギさんがここにいらっしゃるように感じます」
「触り心地も最高です。一生の宝物です」
感極まって目に涙がにじむ方もおられました。
真っ先に来てくださったヨーガ・サーラ・スタジオのビルのオーナー小野さん
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何人かの方は数年ぶりにスタジオに来られました。木曜のアサンガンのクラス後に来てくださった方も多く、まるで同窓会のように盛り上がりました!
「わ~、パッと開いたら毎回実践って書いています」「俺は献身奉仕や」
「(物理的な意味だけでなく)とっても重みを感じます。1ページ1ページ大切に読みます」
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木曜の夜のクラスの皆さん。「松山特別サットサンガの写真がある!」と大喜び。
「サットサンガという文字が見えただけで感動した!鳥肌が立った!」
「幸せすぎる~~~」
「やっぱり母の分も買うわ~」
91歳の私の祖母も「読みたい!」と買ってくれました。
日曜のクラス。「目次だけでも心が良い方に向かえる感覚になりました」と目次公開後、即ご予約された方も!
様々な声も届き始めました。
「本を開くとヨギさんのお言葉が分かりやすく記されていて優しさに包まれました」
「仕事の秘訣とか人間関係、食事のところを一気に目を通しました。目次が分かりやすく細かく書かれていているので、読みたいところを短時間でも読めるのが良いです!わくわくしながら読み進めています!」
ある方がスタジオを訪れ、購入する際「この値段でいいんですか?安すぎませんか!?」と真剣な表情で仰いました。私もこの美しい装丁、内容、ボリュームで、このお値段は超良心的だと思います!『マハーヨーギーの真理のことば』を読み進めていくと清らかな思いに満たされます。ある時は鼓舞され内側からみるみる活力が湧いてきます。先日も「購入したけど、プレゼントしたいからもう1冊欲しい!」と新たなメールが届きました。本当に欲しい方にお届けできるようご縁を繋ぎ、ますます歓喜の渦が広がっていきますように!!!
アーナンディー