バクティ・サンガム(キールタン)」カテゴリーアーカイブ

太鼓の導き!

8月に松山で2日間のミラバイさんのバクティ・サンガムがありましたが、私(山口正美)の松山バクティ・サンガムは5月から始まっていました。未経験者でしたが太鼓を担当することになり、月に2回京都に通い、太鼓の叩き方をヨーガダンダさんに一から教わりながら、ミラバイさんと練習するという無謀な挑戦を、ミラバイさんのお役に立ちたい、バクティ・サンガムを盛り上げたい一心でやってきました。

ヨーガ・ヴィハーラでの練習風景。写真右アミティーさん。

練習をはじめて1ヶ月ほどで、教わった叩き方ができるようになってきました。ただただ楽しくて、公園で練習していると、必ず散歩中の人が立ち止まって、「いい音色だね。なんという楽器か、なぜ練習しているのか」と声を掛けられました。

けれども、京都のバクティ・サンガムに参加するとハッとするのです。「ヨーガダンダさんの太鼓は私と違う!私もこんな風に叩きたい!」―ここから太鼓の練習は迷走することになりました。

右手を強く叩くようにすればいいのか?強弱をつければいいのか?叩き方ばかりを考えすぎて、今までできていたこともできなくなってしまいました。次の練習日が近いのにできない!! そこで、ヨーガダンダさんに相談のメールを送りました。その返信は、

「あらゆるものに神の顕れを感じて行為している。日常の行為でもそうするように意識していて、そうすることで自然と目の前の必要とされる行為が生まれてくるように感じている。だから自ずとリズムキープもできるし、その曲の雰囲気にも合う叩き方になる。太鼓であってもヨーガを深めていくことができるし、また日常の行為に繋がっていくものだと思う。」

それは、私の心を大きく揺さぶりました。同時に本当にそうだと感じました。

また、みんなを盛り上げたくて始めた太鼓なのに、神の御名を唱えず太鼓を叩いていることに物足りなさを感じ、神の御名を唱えることで味わう感覚を味わいたい気持ちが曲の中で湧き上がり、それに溺れると太鼓が叩けなくなり、慌てて立て直すことを繰り返し、一曲を通して叩けなくなっていました。

ヨーガダンダさんのアドバイスから、日常生活を見直しはじめた頃、梅雨が明けました。

久しぶりに公園に行き、思いっきり叩きました。何度も何度も繰り返し叩きました。すると、初めは、太鼓が何度も途切れましたが、次第に心が静まり一曲を通して叩けるようになっていました。それは、アーサナをして、ポーズをするごとに集中していく感じとよく似ていました。

太鼓を叩くことを通して、神の御名に集中するその感覚を体感したように感じました。けれども、糸口のようなものは見え始めていましたが、一曲を通して叩くことはなかなかうまくいきませんでした。そんな状態で、本番前日のリハーサルを迎えます。

私はミラバイさんに、「曲の途中で楽しくなってくるとトチってしまいます。どうしたらいいですか」とお聞きしました。すると「役割りに徹することが大切です。あのチャイタニアも外で神の御名を唱えたのは、人の為だったと思います。」と言われ、ハッとしました。ヨーガダンダさんにも同じことをアドバイス頂いていたし、他のことで、別の先輩からも同じことを言われていました。一体、どれだけ、自分のことばっかり優先してるんだろうか、恥かしさが込み上げました。

ヨーガ・サーラ・スタジオでの本番!中央ミラバイさん、写真右アミティさん。

本番1日目。みんなが盛り上がるように、曲の雰囲気に入っていけるように、リズムをしっかりと刻み、音もしっかり出すことに徹しました。無我夢中でした。すると、最後の曲を叩き終わった後で、ミラバイさんの鈴は見てたけど、みんなのことは見てなかったことに気がつき反省しました。

2日目。前日の反省を踏まえて、みんなのことを見ながら、ミラバイさんのことを感じながら叩きました。無我夢中でしたが、同じ曲を3回叩いたところで、誰が叩いているのか?太鼓が自ら鳴っているのか?神の中にいるのか?というような感覚になりました。すると、ミラバイさんがリズムをアップ、ダウンさせたいタイミングも自然とわかるという、まるで、神がすべてをなさっているのを目撃しているようでした。

その曲が終わった瞬間、神の懐の中は無恐怖なんだということが、突然胸に広がり、これまでの全ての取り組みの中に失敗することを恐れる私の小さな小さな心があったことに気づかされました。神だけを見て、他者(あなた)だけを見て行為していけばいいんだという実感がそこにはありました。そうすることが、全ての恐怖を取り除くことになるのだと思いました。

感激する自分の心があり、涙が溢れました。けれども、瞬時に役割と神への集中に戻り、最後までつたないながらではありますが、役割を果たすことが出来ました。すべてが終わった時、師とすべての人々への感謝、そして神への信仰だけがありました。

ミラバイさんが帰られる日に感想をお伝えすると、「ここからが、スタート」と言葉をいただきました。これからは、さらにヨーガ・サーラ・スタジオでのキールタン活動を充実させていけるように精進していきます。本当にありがとうございました。

オーム・タット・サット・オーム!!

山口正美


歓喜に包まれたバクティ・サンガム2days!!

数日前まではまだまだ夏真っ盛りでしたが、すっかり涼しく過ごしやすくなりましたね。

さて、昨年に引き続き8月17日(土)、18日(日)にミラバイさんが松山でバクティ・サンガムをしてくださり、暑さも一瞬で吹きとばす勢いでヨーガ・サーラ・スタジオに神と魂を結ぶ愛の歌、キールタンが力強く響きわたりました! ミラバイさんはこの2日間、バクティ(神への愛)という目に見えないものをキールタン、体験談、サットサンガを通して、その優しい言葉や表情にありったけの思いを込めて全身全霊で伝えてくださいました。誰もがミラバイさんの人柄や優しさに触れ、まるで神への愛が伝染していくように感じました。1日目は33名。2日目は24名が参加され、ミラバイさんの両脇にはハルモニウム担当のアミティさんと太鼓担当の山口さんが座り、会を盛り上げてくれました。

 

ミラバイさんは初心者の方にも親しみやすいよう1日目は基礎編で、2日目はさらに深めていけるように構成してくださいました。初参加の方6名全員が初日に来られ、ミラバイさんの著書『真実を求めて』を読んで興味をもたれた方や、親しい方からの口コミでのご縁で来られた方、「不動になりたい」と1人でヨーガのクラスに熱心に通う高校生の姿もありました。初参加の方からは、心を打たれた、楽しく歌えて心が温かくなった、神に守られて生きていることを少し思い出せたような気がした、というご感想をいただきました。

1日目はキールタンの体験談付きでした。ミラバイさんはその中で「キールタンを歌う時、自分の心を見ずに神に向かう訓練をした時期があった。心がどんな状態だったとしても、キールタンを歌えば神の歓びが確かな印象として心に刻まれた。私たちの本質そのものの歓びに立ち返るようになっていき、気が付いたら自分の心を見るのではなく、神の方を見る習慣へと少しずつ心が変わってきた」と謙虚に話されました。実践に基づいた言葉は説得力があり、私たちの心奥に宝物のように届けられました。参加された方のお一人は、次のような思いを熱く語りました。

「以前はキールタンを歌う気がしませんでしたが、自分の心ではなく神を見るという言葉を聞き、キールタンを歌いたくなりました。この日の帰り道、とても気持ちが軽くなり、帰宅後キールタンを歌いながらお風呂掃除をしました。今日だけではなく、これが続くように実践していきたいです」。

 

2日目は「夏のバクティ名作劇場」と題してミラバイさん、アミティさん、山口さんの3人で臨場感たっぷりにシュリー・ラーマクリシュナの生涯の一部分が紹介されました。どの話も素晴らしかったです! その中でも特に皆の心に残ったのは、シュリー・ラーマクリシュナが弟子に与えた、ある教えでした。ある弟子は、自分は神を感じることができないこと、そしてすぐに神を忘れてしまうということに悩み、師に相談をします。するとシュリー・ラーマクリシュナは、お前は神の信仰者であるはずだと勇気づけますが、弟子は納得せず、自分にはそんなことは分からないと否定しました。すると、師は言われます、

「物事の真実は、それを人が知っているかいないかによって決まるものではない。お前はそれを知っているのかいないのか知らない。しかし、お前は神を愛する者なのだよ」。

私たちも彼と同じように悩み、自分が神が分からないことや神を感じられないことばかりを見てしまいますが、そんなことは関係がないというのです。誰もの中に神への愛がある、ミラバイさんの声(神への愛の熱い振動)が私たちの耳に届いた瞬間、みんなの中に「私は神を愛する者である」という自信と情熱がハートに点火されたように感じ、とても感動しました。その後のみんなの歌声はとても情熱的で、あらゆるものを吹き飛ばすかのように一心に神に向かっていました。

***

バクティ・サンガムが終わって1週間がたちますが、今もなお歓びの声が続いています。

「神様の存在は特別じゃない気がした。私が意識するしないにかかわらず、神は愛してくださっている。何も考えなくていいんだなって素直に思えました」

「ミラバイさんの話の中で、キールタンを歌っている時に皆さんを愛おしく感じてくるという言葉が印象に残った。それを聞いて、これまで自分がいろんな相手に対して思ってきた好き嫌いの感情は、実はどうでもいいことだと感じた。先日、職場での辛い場面で心の中から自然にキールタンが流れてきて、そのとたん元気になった。キールタンの力ってすごいですね!」。(なんとこの方は、今までずっと何年間も「キールタンがよく分からない」と言われていたのです)

ミラバイさんのバクティ・サンガムによって「私は情熱が足りない」とか「バクティが分からない」というみんなの悶々とした思いが、パッと取り払われたように感じました。数年前まではバクティ・サンガムは一過性のイベントのように思っている方が多かったのですが、今は違います。キールタンもアーサナや瞑想と同じように続けることが大事で、キールタンの実践によって心は変わるという信念を抱く方、そして日常でもやってみようと思われる方が少しずつ増えているのです。ミラバイさん本当にありがとうございます!

そして、このような機会を与えていただいたシュリー・マハーヨーギーに、心から感謝いたします!

アーナンディー


不滅なる主ーーキールタンの味わい

バクティ・サンガムでは、今年も3カ月間かけて1曲のキールタンを歌い込んでいくということを行なっています。6月からチャレンジしているのは、「Hara Hara Mahadeva(ハラ ハラ マハーデーヴァ)」というシヴァ神を讃える歌。2007年に新風館で行なったライヴ映像もありますが、私も歌うのはほぼこの時以来で、約12年ぶり(!)でした。

久しぶりに歌ってみて、軽やかで楽しい、とてもいい曲だなあと思いました。でも単純に楽しいだけではない、何かがあるような気もするのですが、それが何かがまだよく分からない。キールタンはもちろんどれもが神を讃えた歌ではあるのですが、この歌の本質は何だろう・・・。それがなんともつかめないまま、一カ月ほど歌っていました。

Hara Hara Mahadeva Sambho   Kasi Visvanatha Gange
Kasi Visvanatha Gange   Kasi Amarnatha Gange・・・

歌詞は、単純にシヴァ神の御名を讃えていきます。その中で、Kasi(カーシー) という言葉が出てきます。意味はベナレス。インドの地名です。

ベナレスは昔から有名な聖地の一つで、シヴァ神の都ともいわれています。多くの聖者が住んだ場所でもあり、また多くの人がそこで人生の最期を迎えることを望み、やってくるところでもあります。なぜなら解脱できるといわれているから。私も20代の頃にベナレスに行ったことがありました。目の前にガンジス川が流れていて、上流には火葬場があり、その下流では沐浴をしたり洗濯をしたりしている。死ぬことも生きることも等しく日常にありました。ベナレスはインドの人々にとって特別な聖なる場所。・・・そんなことを思い巡らせながら歌を練習していた時、破壊と再生を司る主シヴァがこの世界で起こる変化のすべてを大きく受け止め、見守り続けていること、そしてシヴァの祝福が今もなお降り注がれていることが突然胸に飛び込んできて、深く感動しました。長い長いインドの歴史の中で、どれほど多くの人たちがシヴァ神を崇拝し、そこに救いを求め、またベナレスの地を愛してきたことか。

歌詞の中には、 Amarnatha (アマルナータ)という言葉が出てきます。不滅なる神という意味。主シヴァはもちろんのこと、私たちの本質も不滅である。破壊の神のイメージが強いシヴァ神ですが、不滅の神とも呼ばれ慕われてきたその意味と、シヴァ神のもう一つの側面を、ようやく少しだけ体感できたように思いました。私はこの日以来、シヴァ神をグッと身近に感じるようになりました。今でも、シヴァ神の御名から与えられたその振動が胸に鮮やかに残っていて、彼の御名を唱えるたび、喜びに満たされます。

8月まで「Hara Hara Mahadeva」を歌います! ぜひバクティ・サンガムに来て、この歌を一緒に歌ってみてください!

 

 

ミラバイ


キールタン〜鴨川にて

昨日はGW最終日。ここ数日あまりにも天気がよかったので、いつもバクティ・サンガムに来てくださっている方たちに「鴨川でキールタンを歌いませんか?」とお声かけして行ってきました!

久しぶりの鴨川。以前三条通を練り歩きをしていたことがありましたが、それは2010年頃のこと。商店街の様子もすっかり変わり、メンバーの様子も(というか私が?)円熟味が増し(笑)、河川敷もずいぶんきれいに整備されていました。家を出る前、当時のことを思い出し、考えていました。あれから10年、神の御名をどれくらい唱えてきたのか、神の一片を少しは体感しているのか、本当に神を知ったと言えるときがくるのか、変わらないものはどこにあるのか。

鴨川に到着すると、大阪からキールタンに興味をもって来てくださったご家族がおられました。またなんと10年前に鴨川でキールタンを通して知り合った人にも偶然出会い、一緒に歌うことに!

一時間ちょっと、みんなでいっぱい歌いました。天候にも恵まれ、みんな、とっても楽しそうで気持ち良さそうでした。私もそれまで考えていたことはもうすっかり忘れ、ただ単純に御名を歌い、みんなとたくさん笑いました。歌い終わってから、いつも師がおっしゃっている言葉を思い出しましたーーそういったいろんな思い煩いがなくなったときに、神を知るーー、あぁ、そうだ、そうだったのでした😓

家に戻ると、初めて屋外でのキールタンに参加してくださった方から、嬉しいメールが届いていました。

「今日はとっても!!!!!!楽しかったです! 外で歌う方が神様が近い気がしました(笑)。またぜひこんな機会を作ってください。どうもありがとうございました」

ひょっとしてみんな昨日のひとときは、心を解放してシンプルな心でキールタンを歌えたのかもしれません。

こちらこそありがとうございました! そうですね、またぜひこんな機会を!!!

ミラバイ


神だけを見つめて! <ラーマクリシュナの導き>

桜の花が美しく咲き始め、鳥たちが喜びをさえずり、大地が春の喜びを身にまとっています!もうすぐ春の大祭サナータナ・ダルマ アヴァターラ メーラー(4/7)です!

マハーヨーギー・ミッション主催の今年の春の祝祭では、大聖者シュリー・ラーマクリシュナの存在と導きに心から感謝を捧げ、サナータナ・ダルマを歩む吉祥な生を受けたことを喜び、お祝いします。

ラーマクリシュナといえばキールタンを歌われるシーンが『ラーマクリシュナの福音』の中でもたびたび登場しますが、私たちの周りでも日常でキールタンに親しまれている方が増えてきました。今回、松山で熱心にヨーガをされている山口正美さんがご自身の日常の実践について寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


ヨーガを始めた頃のことですが、ヨーガをやっていこうという決意だけはあったのですが、聖典を読んでも意味がわからない、アーサナも瞑想も続かず、空回りを続けていました。そんな私が唯一興味があったのは「神」でした。思い切って師にお聞きしました。

―私は、神だけしかわかりません。それだけで、いいでしょうか。

「それだけでいい」

―聖典も読めません。聖典の勉強はしなくていいでしょうか。

「しなくていい」

―本当にいいんですか。

「あのね。登り口は人それぞれ違って、いっぱいあるんだよ。いつか、それもわかる時が来る」

それから数年が経ち、やっと「もう、私には神しかいない」という思いになってきました。ところが、そうは思いながらも、日常で神を忘れている自分につくづく嫌気がさし、少しでも「神に近づきたい」と歌い始めたのがキールタンです。

最初は、心が世間のことでおしゃべりをはじめたら、強制的に神の御名を唱えて、神に必死でしがみついていました。 それから毎日、いつでもどこでも、心の中で、声に出して、キールタンを歌って生活してきました。いつからか、神の御名は胸の奥から湧き上がるようになり、最近では、自然の中に神を感じてそれを讃えて歌うこともあります。二年近くたった今、あんなに強かった心がどんなに主張してもキールタンを歌えば、瞬く間に退散してしまうほど、神の御名が、私の日常の支えになっています。

私の憧れの聖者シュリー・ラーマクリシュナは、

「神のみが実在、他のすべては非実在である」

と教えられます。それは、師の教え

「真理、神のみが唯一のリアリティー、それ以外は幻」

と合わさって、私にとって片時も忘れられない大切な教えになっています。 幻なんかいらない、リアリティーだけが、神だけが私の求めるものだ!幾多の輪廻転生の中で感じてきたカルマを生きる虚しさから抜け出したい心の叫びかもしれません。また、本当の生きる目的を見つけた喜びかもしれません。それほどの衝動となって、私を神へと向かわせます。

神を、神だけを見て、神だけを求めて、神だけを信じ、愛し、神の道具となっているラーマクリシュナの姿は、私にとってバクティ・ヨーガの教えそのものです。師のサットサンガに通うように、『ラーマクリシュナの福音』を開いてラーマクリシュナのもとに通って、そこにある息吹を感じています。 これからも師とラーマクリシュナのもとに通い、学んでいきたいと思います。

山口さんのキールタンの原点となった細密画。MYMオリジナルカレンダーより。

山口正美


篠山にて 初!バクティ・サンガム

3月17日(日)、兵庫県篠山市で初めてバクティ・サンガムが開催されました! 篠山市には「MAMA YOGA Lila」というヨーガサークルがあり、師のヨーガや教えをみんなと分かち合いたいと活動をされています。そのスタッフのお一人、松山園さんが、初めてバクティ・サンガムに参加されたのは3年ほど前のこと。以来、キールタンの大大大ファンになられ、いつも熱心に通ってきてくださっていました。

そんな松山さんから、篠山でもぜひバクティ・サンガムをしてほしい!とご依頼をいただいたのは、昨年の夏。「こんなにいいものなのに、なぜみんなに知られていないのかと思います! もっとみんなに知ってほしい!」と、目をキラキラさせながら力強くお話ししてくださっていたのをよく覚えています。その一途で熱〜い情熱を頼りに、この半年以上、みんなと集まる時にはキールタンを少しずつ歌って紹介したりしながら、ご準備を進めてきてくださいました。

当日は、建物の玄関口や会場の入り口などに手書きの案内が。松山さんの喜びと思いが伝わってきて、私もとても嬉しくなりました。

バクティ・サンガムには12名(+お子様7名)の方がご参加くださいました。この半年以上サークルで一緒に歌ってこられた方や、ウェブを見て初めてご参加くださった方も。途中から生き生きと目を輝かせながら歌われている方もおられて、改めて神の御名の普遍性と素晴らしさを感じました。また後半のサットサンガでは、ヨーガを始めてからより良く変化してきておられる方も多く、悩みながらも日々自分の心と向き合って実践されてきたことや、何より篠山でサークル活動をされているスタッフのみなさまが親身になってサポートされてきたことを強く感じました。とても素敵なヨーガの輪が篠山に広がってきています。

次の日、初めてキールタンを体験された方からは、「感動しました、日々の生活にキールタンを取り入れていきたいです」という嬉しいご感想をいただきました。

また、この日は(いつもなのですが)終始笑顔だった松山さんからも、次のようなメッセージをいただきました。

「私がキールタンに魅せられて2年ほどたった頃、バクティ・サンガムで皆さんと歌うと愛に溢れ、心が穏やかになっていくのを感じるようになりました。”こんなに素晴らしいキールタンを、知らない方にお伝えしたい! 篠山のママたち子供たちに、キールタンを!”という一心で、ミラバイさんにお願いしました。
当日はあいにくの天候でしたが、一曲目の歌のあとに、不思議とぱぁーっと太陽の光が差し込みました。同時に私たちの心も晴れやかになりました。歓喜と至福に満ちた時間でした。
また次回の開催を楽しみに、有志で歌っていきたいと思います!!」

写真向かって後列右端:ピンクのTシャツを着られているのが松山さん

これからもますます篠山でヨーガの輪が広がっていきますように! こちらこそ本当にありがとうございました! またぜひ開催しましょう!

 

***追記***

お昼ご飯に立ち寄ったカフェのすぐ隣には、なんとヤギさんが! 篠山、とてもいいところでした〜。

 

ミラバイ


3月バクティ・サンガムのご案内

京都ではちらほらと梅が咲き始めています。春の訪れも間もなくですね。

さて、今日は3月のバクティ・サンガムのご案内をさせていただいています。いつもの会では一つの曲を取り上げ、それを深めていけるように繰り返し歌い込んでいくことを中心に行なっているのですが、3月はみなさまからのリクエストを元にメドレーをして、いろんな曲を歌います!

どの曲を歌うかは、当日のお楽しみ〜。いろんな歌が歌えるので、きっと楽しいと思います!

  • 大阪:3月8日(金)19時〜(扇町/スプラウト)
  • 京都:3月24日(日)16時45分〜(寺町/民族楽器コイズミ2階)

みなさま、ぜひふるってご参加ください! お待ちいたしております。

ミラバイ

 


神への態度 バクティ・サンがム キールタン

先日の日曜日は今年最後のバクティ・サンガムでした。10月から3ヶ月間歌い込んできたキールタン、「ゴーヴィンダ・ハレ・ゴパーラ」をみんなで歌いました。ゴーヴィンダもゴパーラもクリシュナ神の幼少期のお名前。このキールタンでは、その御名を、何度も何度も繰り返します。愛らしい幼子ゴパーラが、森の中で無邪気に遊び戯れている様子を見て、母親は愛おしい我が子の名前を叫ばずにはいられなくなる。そんな印象がこのキールタンにはあります。

バクティ・ヨーガの中では、バクタ(神を愛するもの)の神への態度が5つ教えられていますが、その5つの中には、ヴァーツァリアという、神を子供と見立て、母親のように愛するという態度があります。まさにこのキールタンは、ヴァーツァリアの態度がぴったりだと思いました。ちなみに、他の態度には、神を平安な気持ちで愛するシャーンタ、召使いの態度のダースィヤー、親友の態度のサキヤ、そして愛人の態度、マドゥーラがあります。

私は、このバクタの態度の話を聞くたび、自分は一体どの態度なのだろうか…という疑問が生まれます。以前そのことをヨギさんにお尋ねしたとき、「それぞれの人の素直な態度というか、ふさわしい態度というのが自ずと生まれてくる」と教えてもらったことがあります。

「ふさわしい態度が自ずと生まれる」

では、生まれるまでは何をしたらいいのでしょうか。そんなことを考えていたとき『ラーマクリシュナの福音』の中である物語を見つけました。

ある娘が幼いときに夫を失って寡婦となった。彼女は自分の夫に会ったことがなかった。他の少女たちの夫を見て、ある日父親に「私の夫はどこにいるのですか?」と尋ねた。父親は「ゴーヴィンダがお前の夫だ、もしお前が呼べば、彼は来るだろう」と答えた。これを聞いて少女は自室に入り、扉をしめてゴーヴィンダに向かって「おお!ゴーヴィンダ、私のところに来てください、なぜ来てくださらないのですか!」と叫んだ。神は少女の哀れな叫びに抵抗することができず、彼女の前に現れた。人は子供のような信仰と子供が母親を見たいと感じるときの強烈な憧れとを持たなければならない。その憧れは、暁の東の空の紅のようなものだ。空が紅くなれば、必ず太陽が昇る。その憧れの直後に人は神を見る

このお話を読み、「ふさわしい態度が自ずと生まれる」までは、この少女のように、ただ純粋に神を求め続けることだと思いました。神への態度が先にあるのではなく、まずは素直さと熱心さが何よりも大切なのだと思います。

12月でいったん歌い納めした「ゴーヴィンダ・ハレ・ゴパーラ」ですが、1月のバクティ・サンガムでは2018年の振り返りをするので、もう一度歌います!ぜひ、ゴーヴィンダ!!ゴパーラ!!!と叫びにきてください。


笑顔になりますように!

師がヨーガを教えてくださるようになって40年以上が経ち、その間、真理にそって生きていきたいと真剣に求める弟子が年々少しずつ増えてきました。住んでいる国、性別、年齢、職業とさまざまな弟子がいる中で、師に会いに京都に来るのが難しい弟子も大勢いますが、皆、それぞれの形でヨーガを深めています。
その中の一人、現在東京で暮らしている佐野さん。数年前までは大阪に住み、中央公会堂のクラスには毎週通い、クラスのムードメーカー的存在でもありました。

最近の佐野さんの近況をお聞きすることがあったので、ここに紹介させていただきます。

(東京に移ってから、仕事もお忙しく以前ほどクラスに通えていないとのことですが)
Q「佐野さんにとってヨーガとは何ですか?」
佐野さん「軸。何においても、はっきり正しいと言えるもの」

Q「何を拠り所としていますか?」
佐野さん「愛です。大阪クラスで『ヨーガを深めていくと、すべては愛につながる』と聞いてから、心の中で愛を連呼しています。

今でも、皆の前でヨーガの取り組みについてお話をさせてもらった際に、『ミッションのクラスは、ヨーガを通して愛を教えるクラス』と表現したことを思い出します。雑巾がけされた会議室に行くと、笑顔でシャチーさん、マーダヴィーさんが迎えてくれる。人知れず相手のためを思って行なうその行為こそが、あのクラスで学ぶべきものであったことを痛感しています。
今、私も会社に早朝に行き、皆が仕事がしやすくなるような環境づくりを行なうようにしています。それが私のヨーガです」

佐野さんは今までのご自分の失敗を学びに変え、自分にとっても周りの方にとってもより良くなるようにとヨーガを実践していることを話してくれました。

佐野さんが常に意識しているというマザーテレサの言葉を紹介します。

想いに気をつけなさい。
それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい。
それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい。
それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい。
それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい。
それはいつか運命になるから。

2カ月ほど前だったか、大阪の朝クラスに佐野さんの元同僚が来られました。彼女は、ヨーガを始めてから佐野さんが本当に変わったことが印象的だったそうで、何年も前のことなのにミッションの名前を覚えていて参加してくださったということでした。
佐野さんはその報告を聞いてとても嬉しかったそうです。そして自分の何が変わったのか考えてみたということでした。
「あの当時は、自分の主張が先にあったと思います。今は『(相手が)笑顔になりますように』が先になっていると思います。それによって、私も嬉しくなり、幸せを感じます」

私と佐野さんとは、クラス終了後の駅までの道のりを、よくご一緒し、ヨーガについて語り合ったものです。ヨーガの効果は日常に現れるといわれますが、佐野さんのヨーガは着実に彼の日常に浸透していることを感じ、私もとても嬉しかったです。


*大阪在住だった頃の佐野さん(白シャツ)。佐野さんのキールタン好きは私たちの間では有名で、今でも東京バクティ・サンガムでキールタンを熱唱しているとか・・・。

シャチー

 


アイドルと神の追っかけ

もう10月も終盤ですね。この1年を振り返るにはちょっと早いですが、私にとって2018年は仕事でもヨーガでも「追っかけ」ということを感じている年であります。

私は介護の仕事をしているのですが、車椅子の利用者さんが今年に入ってから急に女性アイドルグループにはまり、毎日その音楽を聴いたり動画を見るようになって、コンサートにまで行くようになりました。介助の付き添いでコンサートに行くと、そこには「追っかけ」のような熱狂的なファンの人がいっぱいいて、会場内は「超絶カワイイ〜ちゃん!」などの叫び声が聞こえ、その興奮と熱気で独特の雰囲気が醸し出されていました。

で、ヨーガの方はいうと、今年に入って私はバクティ・サンガムによく参加するようになりました。今までバクティ(神への愛)やキールタン(神の讃歌)には抵抗があったのですが、ちょっと行きたくなって参加してみたら、なんとはまってしまいました(笑)。それからというもの、京都にとどまらず大阪、松山、この前の神戸のインディア・メーラーにと、バクティ・サンガムがあるところ、「追っかけ」のようにどこでも行くようになりました。

そして先日も大阪のバクティ・サンガムに参加してきました。会場には大阪や兵庫、京都、また松山から来た熱狂的バクタ(神の信愛者)たちがいて、不思議と歌う前から瞑想的な独特のムードに心が支配されました。今月からテーマ曲は『Govinda Hare Gopala』。自分の名前が連呼されるという嬉しいような恥ずかしいような曲……歌の始めはリードと追っかけの掛け合いですが、後半からはみんなで神の御名を歌っていきます。今回、繰り返し繰り返し神の御名を歌っていくうちに、太鼓、鈴、ハルモニウム、コーラス、そしてリードも追っかけもすべてが一つに溶け合うような一体感があり、それは初めて味わう感覚でした。

10/28(日)京都のコイズミ楽器さんでバクティ・サンガムがあります。
どうですか、神の御名の「追っかけ」、一緒にしませんか?

ゴーパーラ