ヨーガの実践」カテゴリーアーカイブ

幸せ、生きがいとは?

前回まで、お金や仕事を通して何を求めているのか?と考えていた時、最終的に行き着いた答えは「本当の幸せ」だった。
子供の頃、日本昔話に限らず…お伽話を信じていた私は(笑)、「もし魔法のランプから、願いを一つ叶えてくれる魔人が現れたら何を頼もう?」と考えていた。幼稚園がキリスト教でお祈りが習慣づいていたからか、魔人へ考えた願い事は「一生、願い事がない最高の幸せにしてください」だった。今思うと、我ながら欲張りな願い事だと思うけれど、子供心にも願い事には終わりがない、と思っていたからなのだろう。しかし、すべての願い事がなくなるほどの最高の幸せって何だろう? そう思いを巡らせていた時、数年前の経験が思い起こされた。

ある時、一からやり直したい、誰も知らない所に移って人の役に立つ生き方がしたい、と思っていた。そんな時、ハンセン病患者へ治療を尽くされた精神科医の生涯を偶然に知り、取り憑かれたように関連する本を片っ端から読み続けた。
特効薬がない時代、患者さんの多くは、突然、家族と引き離され強制隔離をされたという。名前、素性、人間としての尊厳も奪われ、療養所(隔離施設)の中で病の為に朽ちていく自分の身体と向き合い、一生そこで生き長らえなければならなかった。過酷な環境で精神錯乱状態になった人、自ら命を絶った人、そのような中で生き抜いた人。一縷の光を見失わず、懸命に生きた方たちの痕跡を知るにつれ、生きることと死ぬことの狭間、命の存在の根源は何なのかと、そこから目を背けられなくなった。
隔離施設のあった島で偶然にもその医師の特別展が展示中だと知り、導かれるように島へ行ったのは数年前の今頃だった。

残酷な歴史が刻まれた収容所や監房、当時のままの史跡を巡った。完治された方々が今も島に住んでおられるが、ほぼ誰にも会わなかった。
島で生涯を全うされた死後でさえも、差別や偏見の為に引き取り手の家族がない何千もの遺骨が安置されている所にも向かった。現地で借りた自転車で、長い坂道を登り切ると、突如、空を舞うたくさんのトンボに囲まれた。そこは海が見下ろせる小高い丘のようになっていた。無数のトンボが、あまりにもフワフワと周りを舞い続けるので、今は姿なき人たちに代わって先導してくれているようだった。残酷な歴史とは裏腹に、その辺りは静かで安らかな空気に満ちていた。

島の路地でふと視線を感じ、見上げると目が合った花

姿なき存在へ挨拶を終え、丘から降りると不意に道に迷った。とその時、島の人に初めて出会った。おばあさんは顔や手が不自由だった。道を尋ねると、すぐさま笑顔でハキハキと教えてくださった。そして別れ際「またいらっしゃい!」と誰かのような満面の笑顔で言われた。「また来ます!」元気よく私は手を振った。
その後、時間の限りに史跡を巡り、最後に浜辺に行った。この浜辺から身を投げた人、対岸へ泳いで帰ろうと途中で力尽きた人、真っ暗な夜の浜辺で帰りたいねと泣きながら、そして歌を歌った人たちもいたという。どんな思いでこの海を見ていたのだろうか。それでも生きていくと思った人たち。血のにじむような努力と忍耐を重ねられ生き抜かれた。医師の記述によると「肢体不自由で視力まで完全に失ってベッドに釘付けでいながらも、窓の外の風物の佇まいや周囲の人々、動きに耳を澄まし、自己の内面に向かって心の眼をこらし、そこからくみとるものを歌や俳句の形で表現し、そこに生き生きとした生きがいを感じていた人たちもいた」という。
どのような状況でも平安に満ち足りたムードを保つことができれば、それは一種の悟りだと師に教わったことがある。並大抵のことではないけれど、如何なる状況にあっても、万物の背後にある本質、大いなる一者を感じ取ることができたなら、それほどの生きがいはないと私は思う。
その日、結局ほとんど島の人に会わなかった。代わりにたくさんの猫やトンボは寄ってきて、花や草木や石、建物さえもが無言の存在感を放っていた。そしてずっと太陽は、真上から島をじっと見守るかのように照らしていた。島全体が沈黙にあるような空気の中で、存在って、幸せって、生きるって何かな、と思わずにはいられなかった。
さっき出会えたおばあさん、今ここで生きておられることは、きっと今は不幸じゃないよなと私には思えた。過去の歴史の出来事からおばあさんを見るよりも、今のおばあさんの存在だけを正面から見たいと思った。おばあさんの満面の笑顔が、私にそう思わせた。
過去は過去。あるのは今しかない、と師の言葉が蘇る。じゃあ私に今できることは何かなと思っていた。

静かな浜辺

島の会館で、映像を通して知った何名かの中の、あるおばあさんの話が忘れられない。
その方が幼い少女だった頃、隔離施設に入ることになった。お兄ちゃんが途中まで送ってくれた。最後の駅で別れる時、お兄ちゃんは優しく肩を撫でて、そして去っていった。それから辛くて毎日泣き続けた。夜空を見上げながら海へ石を投げ、この海がなければ帰れるのに、と泣いた。
「いつも、いつも泣いていた。でもある時に、私の業(ごう)を果たそうと決めた」と、きっぱりとおばあさんはおっしゃった。壮絶な状況で、生きるという覚悟を決められたのだ。魂が震えた。与えられた命を全うするということ、人の命はなんて神々しいのか、たった一人の人の命は本当にかけがえがない、決して代わりのきかない尊いものだと思った。涙が止まらなかった。どんな命も同じ、トンボの命も、猫の命も、人の命も本当に同じで、どんな姿であろうが存在は太陽のように煌々と輝いていた。
「誰もの中に尊い存在があるということを忘れてはいけない。固く信じるべきです。自分自身の中にあるその尊い存在を見失ってはいけない」と師から教わった。島の無言の空気から、なぜかそれをありありと感じ続けていた。

数日後、師に、役に立てるならそこに行きたいと思いをお伝えした。師は私の思いを大切にされながらも、今焦って決めることではない、というニュアンスのことを言われた。その瞬間、思い詰めていた何かが溶け、今ある場所でやることをやらないとダメだと思い、ここでできないことは、どこでもできないと自分の未熟さを実感した。島の方たちの生き様に触れ、心は自然と内へ向き、押し黙っていた。思えば私は、誰かの役に立ちたいという思いに、実は自分が誰かに必要とされたい、私が生きている意味が欲しい、という願望を重ねていた。その時、私にとっての不幸とは、誰にも必要とされないことだと思っていた。今、気付いた。状況に幸せや不幸を見いだし逃げていたのだ。環境や状況によって変わるものは、本当の幸せではないのに。
私は私としてこの世に生を受けた。人それぞれ与えられた環境があり、私は私の人生を生きていかなければならない。
「自分が自分を生きる」という師のお言葉がある。比べたり、逃げたり、背伸びしたり、誤魔化したり、そういうことは全部、自分が自分を生きていないことになる。自分を見失っているからこそ光を求めるけれど、別のものでは置き換えられない。求めるのなら本当のものだけを求めなさい、と学んできた。本当のもの…、本当の幸せ、本当の自分――それは限りない至福そのものだという。まさにそれが子供の頃に思った、すべての願い事に終止符を打つ最高の幸せなのだろうと思う。それに至る道がヨーガの道。いちばん幸せなことは師に、ヨーガに、縁を持てたこと。今の自分に向き合うことが、「本当の自分」に目覚める道だと思う。

いちばん身近にある京都の地元の川

世の中の不条理さとは無関係に、今、自分に与えられているもの――自己の命に対して謙ることができれば、生きていること、息をしていること、生かされているからこそ今見ている世界があることにも気付かされる。瑞々しい純粋な命のきらめきを感じた時、美しく愛おしい生命の躍動感を感じた時、自分を形作るすべてがそれに共鳴しその歓びと一体化する時、その背後にあるのは、たった一(ひとつ)の存在だと思う。万物の、命の根源の現れに触れる歓び、それこそが真の生きがい、幸せであると思う。それを私に教えてくれたのは、ハンセン病患者の方たち、そしてその方たちと共に生きた方だった。そう学ばせてくださったのは師だ。「自分の中に本当の幸せがある」と。

…と考えると、まさか魔人は、私の願いを叶えるための道は用意してくれたのか⁈(まだ信じてる⁈) でも道を歩くのは自分!「自分が自分を生きる」ために。

野口美香


時間も空間も超える存在

昨年までは、ヨーガの学びを深めるために月に1回ほど東京から京都に通う生活でしたが、今年はそれが叶わない状況が続いています。
クラス休講中はオンラインでのクラスや瞑想会でグルバイ(兄弟姉妹弟子)と繋がり続けられたことが支えとなっていましたが、クラスが再開されてからは東京のグルバイとは会えるようになりました。短い時間であっても、直接顔を見て話せること、クラスで共に集中を高め合えることに、これまで以上に喜びを感じています。
ただ、東京以外のグルバイとはまだしばらくは会うことができそうにありません。このブログ『ヨーガを生きる』で各地域のグルバイの実践の様子に触れられることが楽しみの一つとなっています。

ヨーガを学んでいるという大きな共通点はあるものの、性質や傾向は人それぞれ違うので、共感し鼓舞されるところもそれぞれ異なります。また、一人一人の環境や状況も違うので、ヨーガの実践の仕方や体感の内容も様々です。ブログからはそれらが垣間見られて、力をもらったり、気付きがあったりします。

最近、野口美香さんの書いたブログ記事『何のためのお金』を読んでいて感じたのですが、生活していく中での気付きの過程が、一つ一つ丁寧に自分自身の視点で描かれていて、美香さんがかつて聞いた師の教えを着実に実践していっている様子が伝わってきて、私ももっと丁寧に確実に実践していきたい!と鼓舞されました。
ブログの締めくくりには、
野菜を油で揚げる音が、まるで水琴窟(すいきんくつ)と雨音のように澄んでいて美しかった。瞑想的な、さまらさな音色。
と「さまらさの台所」Webクラスの感想があり、とっても素敵な表現に、日々の慌ただしさが一瞬静止してリセットできたような感覚にもなりました。

そして読み終わった後、思い出したことがあります。
美香さんと初めてお話したのは、京都に通い始めたばかりの頃。美香さんがまっすぐとこちらを見て、時折うなずきながら私の話に耳を傾けてくれたことは、今でもはっきりと覚えています。
美香さんご自身は決して多くを語られませんでしたが、彼女の話した言葉の中で特に印象に残っているものがあります。(言い回しは正確ではないことをご了承下さい。)
「ヨギさんはこちらが近づいた分だけ、近づいて来てくださる。自分をさらけ出すほど、こちらが近づいた以上にもっともっと来てくださる。」
美香さんがまっすぐ前を見据えて話してくれたその姿を見て、私もそうしていきたい!と憧れのような想いを持ちました。
もっとヨーガのことを学んでから質問しないと、とか、こんなこと質問しても、とか、余計なことばかり考えて足踏みしていたのですが、何でも質問してしまえ!と背中を押されたようで、これを機に少しずつ質問ができるようになりました。

こんなふうに、グルバイとの交流では、ほんのちょっとした会話やメールのやりとりの中であっても、大きな気付きやインスパイアを受けることがあります。それは時に自分を省みるきっかけとなったり、背中を押してもらうきっかけとなったり。もしグルバイの存在がなければ、ヨーガの道を歩むスピードはもっと遅くなっていたのかもしれないと思うことが多々あります。
少し前のシャルミニーさんが書いたブログにありましたが、「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」、というこの教えの通り、グルバイとは稀有な縁で繋がっていて、共に喜びを分かち合える存在だと思います。
離れた場所にいて会えなかったとしても、互いの存在に支えられていると、確かに感じることがあります。

東京代々木クラスにてヨーガの仲間と共に!新しいトートバッグと。

“ヨーギーは時間と空間を超えている”と言われていますが、師はもちろんのこと、ヨーギー・ヨーギニーとして道を歩んでいるグルバイもそうであると思います。
現在のような状況下で様々な葛藤や迷いが生じることもありますが、いつどこにいても常に師やグルバイと共にあるということを忘れずに、実践を続けていきたいです。

ハルシャニー


恒河沙 ― 大都会東京でヨーガに生きる!    

故郷である大阪から家族とともに横浜に転居して3年、その後東京に移り住むこととなり早11年以上が経ちました。
こちらの生活にもすっかり慣れ、東京ライフをエンジョイ!?していますが、それでもいまだに東京の街の大きさや人の多さに圧倒されることがあります。まるで小高い山のようにあちこちにそびえ立つ高層ビル群、どこに行っても街中に溢れ返る人人人…。特に都心に行くと東京が世界有数の人口の多い大都市であることを実感します。

大都会東京

とても大きな数を表す単位に「恒河沙/ごうがしゃ」(10の52乗)というものがあるそうですが、これは仏教の経典に出てくる言葉で「ガンジス河の砂の数くらいたくさん」という意味なのだそうです。東京の人の多さを体感する度に、私はいつもこの「ガンジス河の砂の数」という言葉が頭に浮んできます。と同時に、ここ東京だけではなく世界中には多種多様なたくさんの人が生きているということを改めて思い出します。

以前、仏教の教えで「ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世すべての命の中で、人として生を受けるということはそのガンジス河の砂を手ですくったほどであり、たくさんのご縁が重なって成る稀有なことである。さらにそこから親指の爪の上に乗る砂の数ほどの人が、人として生まれてきた本当の大切さに気づき、喜ぶことができる」というようなお話や、「ガンジス河の砂の数ほどの仏さまがいる」という教えがあると聞いたことがあります。
古代インドのリシと呼ばれる聖者や賢者たちは、人として生まれること、そして真実を探し求めること、それを実現することのできる人としての命はとても尊いもので、人として生まれたということは吉祥なことであると教えていると師から教わりました。またヨーガにもこの世のすべてが神の顕れであるという教えがあります。そして、ヨーガを志す者にとって本当の師に巡り合えるということは大変に稀なことであり、得難い宝であると教えられています。

母なるガンジス河

そんなことを思いながら大勢の人々がせわしなく行き交う東京の雑踏の中に立っていると、ガンジス河の砂の数ほどもあるこの世の命の中で、皆一人一人が人として生まれてきた尊い命をもっている人達なんだなぁと感じます。そしてその中の一人である私は、たくさんのご縁によってヨーガと出会い、本当のヨーガの師に巡り合うことができ、師の下でヨーガの道を歩むことを決意しました。

   「それ」は今、ここに在ります。
   「それ」は常にどこにでも在ります。
   「それ」のみが在るのです。
   「それ」が真のあなた自身なのです!
      シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ

まだまだ道半ばの私ですが、たとえ何処にいたとしても、真実を実現することのできる人として生を受けたこの尊い命を吉祥なものとして生きたいと思います。

シャルミニー


ある夏の日の出来事

今年の7月は太陽が恋しくなるほど梅雨空が長く続きましたが、8月は太陽のパワーを存分に感じる気候となりました。

私は6、7月の2ヶ月間、職場である治療院の移転作業をしていました。壁を塗ったり、畳からフローリングへ変える施工をしたり、普段はしない力仕事が続いたせいか、あちこちが筋肉痛になり身体が硬くなってしまいました。毎日自宅でのアーサナは続けていたものの、なかなか硬さが取れない状態。でもクラスでみんなと一緒にアーサナすると、次第に硬くなっていた身体がふわふわになる感覚がして、クラスが終わる頃には気分も頭の中もスッキリした状態になるので、これまで以上にクラスのありがたさを感じていました。

治療院に生けられている向日葵

ようやく移転作業が終わり無事に新しい治療院で診療を開始した日は、ちょうどクラスがある日でした。
最後の患者さんの治療を終えたら急にホッとして、眠気とともに身体が重だるくなりました。ああ、早くアーサナがしたい!とクラス会場のある代々木へ向かう電車に乗っていたところ、車内が急にざわめき始めました。乗客同士のトラブルで、男性2人が激しい喧嘩をしていました。他の車両へと移る人、スマホに夢中で無関心の人、車両内の光景に強い緊張感と違和感をおぼえました。ちょうど乗り換えする駅に到着したのでその車両から降りましたが、乗り換えを済ませても心拍数はしばらく上がったままで、自分で思っていた以上に動揺していたことに気付きました。とにかく早くアーサナがしたい!プラーナを調えたい!とすがるような気持ちになっていました。

その後クラス会場に到着し、いつも通りクラスが始まりました。最初のヴリクシャ・アーサナ(立木の形)では思いの外ふらついて、まだ落ち着いてないんだなという思いが頭をよぎりましたが、その思いはすぐに捨て去るようにして、今吐いている息に集中するようにしました。続いてマールジャーラ・アーサナ(猫の形)では、普段はない背骨がきしむような感覚がありましたが、今できる最大限まで形を深めたら、あとは息を吐くことだけに集中しました。シャヴァ・アーサナをする度に身体から緊張感が取れて、眠気と重だるさはすっかりなくなりました。疲れている時にアーサナをすると、これはきついだろうな、とか今日は無理しないようにしよう、という思考がいちいち出てきてしまうことがあったのですが、この時は最初に多少の思いがよぎっただけで、あとはリードの声に導かれながら淡々と形を作り呼吸を深くしていくことをやり続けたような感覚がありました。

8月26日の代々木クラスにて

クラスが終わり家に戻ると、夫に「今日は(移転初日で)大変だっただろうに何でそんなに元気なの?」と言われました。そう言われて初めて、そうか今日は確かに大変だったかも、と人ごとのように思い出したくらいでした。もちろん電車内での出来事の記憶もありましたが、それに対しての印象や思いは消え去っていました。クラスの後でなければ帰ってすぐに夫に一連の出来事を報告していたと思いますが、話そうという思いもありませんでした。

アーサナをすることもクラスに通うことも日常の一部となり、毎回集中して行うようにしていたつもりでも、いつの間にか真剣さが足りない状態になっていたのかもしれません。
今回のクラスに関しては、切羽詰まった状況に陥ったことで真剣さが引っ張り出されたのだと思われます。
このことで思い出したのが、『ヨーガの福音』の中の、神を求める1人の男が聖人の元へ行き「神を悟らせてください!」とお願いをするという話です。
聖人はくる日もくる日も同じ生活をしていましたが、ある日河で沐浴している時に、聖人についてきていた彼の頭を河の中に押さえつけました。彼の苦しみが限界を超えようとしたとき、聖人は手を放して彼に言いました。
「何が欲しかったのか?」
彼は答えました。
「息がしたかったのです!」
聖人は言いました。
「もしおまえが、ちょうど息を求めたように心底から神を求めるなら、神を悟ることができるだろう」

息ができなくなるというのは苦しく、そのまま死に直結するという恐怖もあります。
それが限界を超えようとしたときに、ただ息がしたいとそれだけを求める純粋さと真剣さが生じる。それを日常の中でいかに持ち続けるか。けして容易いことではありませんが、そうしていく必要があります。

人はあっという間にその時々の状況に慣れて、何となく日々を過ごすことができます。
どんな状況下でも流されることなく、何にも惑わされることなく、本当の自分を実現するという目的を達成したい。より純粋に、より真剣に、求め続けたい。
そんなことに気付かされた、夏の出来事でした。

ハルシャニー


仕事の動機は?

面接や履歴書で問われるのは、志望動機。幼い頃も「将来は何になりたい?」と聞かれた。私はずっとなりたいものが見つからず、学校の進路指導では、最後は先生にも諦められた(!)

仕事というのは、人生の中で重要な位置を占めていると思っていた。けれど、ヨーガでは仕事が特別な位置付けではなかった――仕事自体は何でもよく、従事することになった仕事に対してベストを尽くすが、それ以上でもそれ以下でもない、仕事での結果にも執らわれない。それを知った時、目から鱗が落ち、仕事像の呪縛から解き放たれた。

空に向かって真っ直ぐ咲く!

ところで私は最近、転職を考えていた。目の不自由な方に付き添う仕事をしてきたが、情熱が薄れてきていた。しかし、「仕事は何でも構いません」と師もいつもおっしゃっているし、ここから淡々と続けるのも大切に思える。これまで仕事を続ける中で、師はさりげなく私の仕事への思いを尊重され、そして優しく背中を押してくださった。だからこそ迷いながらも続けられてきた。…と、悩んでいた矢先、不意に元日から眼に不調があり仕事をセーブすることになり、調子が元に戻ると次はコロナ禍で仕事ができなくなった。必然的にお金や仕事について、じっと見つめることになった。(お金については前回書かせていただいた→前回ブログ

振り返ると、始めた当初は、私が目になる!役に立ちたい!と思い入れがあり、やりがいも大きかった。いつからか、誰もがそれぞれの立場で人生を歩んでいると知るにつれ、目が不自由ということが単純に不自由とか障害というふうには思えなくなり、最初に抱いていた「困っている人」という見方がなくなった。この仕事の必要性を見いだせなくなり、最近は仕事をする動機がよく分からないまま働いていた。
その状態を何とかしたくて、ヨーガの教えを拠り所に仕事自体の目的を考えていたことがあった。目の不自由な方が求める視覚情報を正しく伝え、自分の体を道具にして道中を安全に案内し、相手がその日の目的を果たせれば、仕事の目的も果たされたことになる。仕事の前には、そう意識し、相手の今日の目的に集中するよう徹していくと問題点は気にならなくなり、どんな仕事も仕事自体の目的を果たすことが仕事なのだと実感する瞬間があった。仕事が存在しているということは、その仕事自身の目的があるから。道理として、目的がない仕事なんて存在しないことになる。だから、この仕事は必要ないのでは?と私が考えるのは愚問だったことが分かった。けれど、情熱は戻らないままだった。

そしてステイホーム期間、生活にさほどお金がかからないと気付いた時、お金を得るための仕事は優先順位が下がっていった。その頃、前回ブログを書き進めていた。
種明かしになってしまうけれど、前回ブログ『何のためのお金?』の中で
「生きていく、それだけをシンプルに考えれば、本当はそんなにたくさんのお金は必要ないのかもしれない」という文章の後、最初は
“そんなにたくさん働く必要もないのかもしれない”
と続けて書いていた。しかし校正してくださった先輩から、この一文に対してコメントが添えられていた。
「働くのは結果的にはお金を得ることが目的になりますが、それだけでなくて、仕事を通じて様々な経験を積むというカルマを果たすためだとも考えられます。生きている限り行為をしなければなりませんし、ではどう働くのかという働き方と働きの目的が大事になってくるのかなと思います」

ハッとした。 ここだけ文章の校正というよりも、私への核心を突かれるヨーガの教え…、働きの目的…、私自身の働きの目的は、はっきりしないままだった。お金、仕事、人生…もう一度それぞれの目的について考え続けた。

そんな時、久しぶりに長時間の仕事があった。内容的にも安全確保に神経を注ぐ仕事だったので、ちゃんと動けるか不安もあった。結論からいえば、私の体が私自身を導いてくれた。口からは必要な情報が勝手に飛び出し、足と手は安全確保をしながら勝手に動いてくれた。不思議だった。こんな感覚は初めてだった。仕事後、妙に静まり返り、私はこの身体を生かさなければいけない、と思った。昔、「自分が人間として生まれたからには、この心と身体を使って生かせることがしたい」と思ったことを突然、思い出した。たしか当時の履歴書にもそう書いた。人生の目標が「悟り」なら仕事もそのためにある、だから働くんだ、ということが実感を伴って繋がった。

仕事帰りによく立ち寄る。いつも季節の花が咲いている。

眼に不調が出た期間、やっぱり困ること不自由なことがあった。それで気付いた。困っている、不自由というのは、ただの事実なだけで良い悪いの次元ではないと。つべこべ考えず、ただあるがままを見よ!と自分の眼から一喝された気がした。仕事にベストを尽くすには、自分の情熱とか、相手が困っている・いないとか感情論は必要なく、あるがままの事実を正しく見ることがまず必要だった。そういえば、事あるごとに意識してきた言葉がある。「一にも二にも観察」 十数年前、福祉職に転職した時にヨーガの先輩から言われた言葉だ。先輩は全く違う仕事をされていた。けれど私はこのアドヴァイスを守ることで、仕事中、幾度も助けられてきた。職種は関係なかった。どれだけ自分を棄てて、対象だけを正しく見れるか? 長年、師の下で学ばれた先輩は私にそう示唆されていたのかもしれない。

どんな仕事にも必ず対象(人やモノ)があり、対象のために仕事を進めていっている。その仕事自身の目的を果たすことが仕事。でも仕事は単なる一つの役割。だからこそ役割ならば、それに徹しなければいけない。もっと目的に集中しなければいけない。この身体に任せて、今の仕事がくるなら無心で働けばいい。「どんな役割にも優劣はなく同等で、できることは心を込めてやっていくということ」と師から教わってきた。
この命が生かされ、身体が動くのは、やっぱり摩訶不思議で、大いなる存在を思わずにはいられない。ヨーガでは、本当の自分はこの体でもなく、この心でもないという。心のざわめきが静まったとき、本当の自分が輝き出るという。

夏の光で輝く花

自分のやりがいも動機も何も要らないじゃないか!と思えた。むしろこれからは、自分自身の個人的動機のない働きを目指したいな。そして、師が仕事に対して贈ってくださった言葉、「真心を込めて、やっていく」を胸に、その時々の与えられた役割に徹したい。それが仕事をする動機だと思う。
今なら進路指導でも、「将来は何になりたい?」の質問でも、堂々と言えそうかな(笑)「なりたいものはヨーギーです」

野口美香


食生活の中にヨーガを

仕事の大半が休みになってしまい自宅で過ごす自粛生活の日々が始まりました。ヨギさん(師)にお会いできない、クラスに参加できない、グルバイ(兄弟姉妹弟子)に会えない、そんな状況の中で自分をヨーガに繋ぎ留めておくためにできることを何とか考えて、毎度の食事を「さまらさの台所」レシピで埋め尽くすことにしました。
スパイスを買い揃え、普段使わないハーブや食材を使うことは新鮮でした。今までの自分の家庭料理にはなかった味が食卓に並ぶことで以前よりも素材の味を味わいながら食事するようになり、味覚が豊かになったように感じました。また以前は“家では揚げ物は作らない主義”だったのですが、当たり前に揚げ物を作るようになり、(家にばかりいるのに)行動範囲が広がったように感じました。
特に好きなメニューは梅ごはんでした。梅としその香りが爽やかで、何よりお米のおいしさを味わえるレシピだと感じました。夏の蒸し暑い、そして突然大雨が降る状況の中で、梅ごはんの香りと塩気が気持ちを落ち着かせてくれると感じました。季節を感じることができるメニューだと思いました。

梅ごはん!

1か月半ほど自粛生活が過ぎた頃、仕事の状況が変化しとても忙しくなり、ゆっくりお料理している時間がなくなりました。そして、忙しい生活の中でもパパっと作れるさまらさレシピや、冷蔵庫の中にある食材だけで作るアレンジレシピが自然と思い浮かぶようになっていることに気づきました。日常の食生活の中にヨーガが現れるようにと頑張らなくても、すでにその流れの中にいることができているような感覚がありました。
ある時、近所のスーパーで以前よく使っていたパスタソースが特売になっていて「まとめ買いしようかな」と思いましたが、出かける直前に思いとどまり、「もしヨギさんにお出しできるお料理なら絶対に出来合いのソースで作った料理は出さない、もっと心を込めて作ったものをお出ししようとするはずだ。ヨギさんの弟子として生きていきたいと願うのなら、ヨギさんにお出しできないと感じる食べ物は極力自分も食べない方がよいのではないか」と思い、買い物をやめました。日常のふとした瞬間にヨギさんの存在が現れて下さることがとてもありがたく、この感覚を決して手放さないようにしようと思いました。

自粛生活が始まったばかりの頃、どうやって自分の心をヨーガに繋ぎ留めていったらよいのだろうかとハラハラしました。もし心がさまよい始めてしまったら、それを自分の力で再びヨーガに戻していける自信がなく、危機感を感じながら「絶対にさまよわないようにしなければならない」と思いました。今、食生活がゆっくり改善され始め、サーダナ(修練)をしている時以外の日常の中でヨギさんの存在を感じる瞬間が以前よりも増えてきたように感じています。たとえヨギさんにお会いできなくてもヨギさんの教えを実践していくことを通してヨギさんと共にいる、その糸口を発見できたように感じています。まだまだ糸口を見ただけなので、これから毎日こつこつと実践し、ヨギさんとシヴァのことを想い続けながら、よりヨーガを深めて自分の中に根づかせていこうと固く決心します。

船勢洋子


ふとした瞬間

夜勤に入る前、いつも時間調整をしている公園があります。その公園のベンチに腰掛けると、目の前には大きな田んぼが、見上げればどこまでも続く大空が拡がっています。

ほっと一息つき、心に空白が生まれるような瞬間。神に思いを馳せると、身体も心も、目の前の景色も、すべて神で満たされるような気持ちになります。田んぼから聞こえてくる蛙の声はオームの振動、電灯や星の光は純粋意識の顕れであるかのような・・・・・・ そんな時、私が憧れる境地を表わしたシュリー・ラーマクリシュナの教えが蘇ってきました。

 

水また水――

上も下も、果てしない水――

人は魚のように楽しげに泳ぐ

 

無限の大海よ、水に極みなく

その中に一つ 瓶が漂う

瓶の外も、中も水――

智者は悟る、これすべてアートマン

 

あぁ、早くこの境地を知りたい!と切に願いました。

瞑想の状態は必ずしも行儀良く座っている時に訪れるものではないと、師は言われます。集中しようという力みが抜けた――ふとした瞬間に、すっと瞑想に入れるのだと思います。だからこそ、何の手応えもなく、何の感触も得られないけど、ひたすら瞑想に座って集中し続けた時間も決して無駄ではないと思うのです。

これからもあきらめず、めげずに瞑想に座っていきたいと思います。

 

ヨーガダンダ


聖典を読む喜び

私は今、とても楽しく毎日聖典や聖者の本を読んでいます!

普段の私の日常生活は仕事や家庭が中心なので、自然にヨーガの話に触れたり、いつでも周りの誰かとヨーガの話ができるという環境ではありません。ですがこれまでは、毎週クラスでヨーガの仲間と顔を合わせ、クラスの後にそのままいつまでもヨーガの話をしたり、一緒にキールタンを歌い共に神の御名の歓びを分かち合うということが当たり前のようにできていました。それは私にとって大きな喜びであり、確実に日常生活の中でヨーガの実践を継続していく一つの原動力にもなっていました。
ところが、緊急事態宣言以降はそのような機会がなくなり、長い間、師にお会いすることもできず徐々にモヤモヤとした気持ちが膨らんできました。
「あぁ、師にお会いしたい!真理や神の話が聞きたい!語り合いたい!でもこんな状況でどうすれば……。そうだ聖典があるじゃないか!!」
いつもはじっくり本を読む時間がなかなか取れないのですが、外向きな活動が減り在宅時間が増えたので、分厚くて家でしか読めない本もゆっくり読むことができます。

最近よく読んでいる本。『ヨーガの福音』は師の教えが編纂されたとても読みやすい一冊。いつもすぐ手に取れる所に置いています。

実は、以前は聖典や聖者の本と聞くと何やらとても難解で、私が理解するにはハードルが高すぎるというイメージがありました。実際「さあ、読むぞ!」と気合いを入れてから読み始めるのですが、カタカナで書かれた聞きなれない言葉を正確に読むことから難しく、言葉の意味や書かれている内容を理解するのは更に根気がいることでした。「何のことやら、さっぱり分からん…」何度も挫折しそうになる心を叱咤激励しながら何とか読んでみるものの、大抵はしばらく読んでいるうちに睡魔との戦いにあえなく敗れて本を閉じる、というのがお決まりのパターンでした。笑
そんな状態の私でしたが、師の下でヨーガを学ぶようになってから、たくさんの学びの機会をいただき、聖典に出てくる言葉の意味やヨーガの教えを少しずつ理解できる様になっていきました。師は、真理の言葉や教えを誰にでも分かるように、時にユーモアを混じえながら実に分かり易くシンプルに教えて下さいます。直接師より授かる教えは何ものにも代え難い大切な宝物です。ですがそのような貴重な機会はいつもあるわけではありません。師にお会い出来ない時には、師の教えが編纂された書籍や機関誌『パラマハンサ』を読むことで、いつでも師の教えに触れることができます。
また、皆で聖典の読書会をしたり、バクティ・サンガムではたくさんの神々や聖者の物語に親しみ、キールタンで神の御名を歌うことを通して自分の中にある歓びの源泉に触れるような体験をしました。
そうしているうちに、気が付くといつの間にか聖典がとても身近に感じられるようになり、聖典を読むことが楽しく好きになっていたのです!読んでいるだけで歓びが溢れてきたり、時には面白くて笑ってしまったり、神の栄光と祝福に圧倒されて涙で字が読めなくなったりします。それは、以前思っていた頭で知識として理解するというものではなく、ハートで読んでいるような感覚です。

最近では、日々の生活のいろいろな場面でまるで聖典連想ゲーム?のようにそれらを思い出すようになりました。
先日、ちょうど『ラーマクリシュナの福音』を読んでいたところへ娘がおやつのリンゴを持って来てくれた時のことです。突然、そのリンゴがプラサード(神に捧げられた供物のお下がり)のように感じられ、一瞬輝いているように見えました。運んでくる娘の様子もなぜか恭しく見えます。不思議な気持ちでリンゴを口に入れようとした時、今度は自分の体がヨーガの教えにある“神の神殿”であるように感じ、自分のために食べるのではなく自分の中に住まわれている神のために食べているという感覚になったのです。同時に、神殿であるこの体を大切にしなければいけないという思いが湧いてきました。“食べる”という行為をこの時ほど神聖なものに感じたことはありませんでした。
また、私は今小さな保育園で保育補助の仕事をしているのですが、毎日子ども達がゴーパーラ(ベイビー・クリシュナ)に思えて仕方がありません!幼い子ども達のお世話は気を付けなければいけないことがとても多いのですが、いたずらをしたり、わがままを言ったり、泣いたり甘えたり、仲良く遊んでいたかと思うとケンカをはじめたり…、子ども達の無垢な笑顔を見ていると、まるで純粋で愛そのものであるゴーパーラが私の周りで遊び戯れているように思えるのです。そして同僚の保育士さん達も私自身もヤショーダ(クリシュナの養母)のような気がしてきます。

ゴーパーラ(クリシュナ)は兄のバララーマや遊び友達の牧童たちと一緒にさまざまな悪戯をして大人を困らせます。あ、今みんなでしめし合わせて好物のバターを盗もうとしています!

今、私が聖典を真に理解しているとはとてもいい難いでのすが、それでも本を開けばどのページも真理の教えや神を讃える言葉で埋め尽くされ、それらの言葉を目にするだけでも胸に歓びが広がりますし、聖者の生き様に触れると決して諦めずに少しでも前進しようという勇気が幾度となく呼び起こされます。難解で取っつきにくいイメージしかなかった聖典がいつの間にか私の日常の中に入り込みイキイキと動き出すなんて、以前の私からは予想だにできなかったことです。師の導きがなければ、未だに睡魔との戦いに敗れ続けていたことでしょう。
どうぞ、聖典の真実をこの世界の中に見ることができますように。どうぞ、聖典の言葉が私を通して顕わされますように。最愛の師を想い、お会いできる日を待ち望みながら、今日も歓びとともに聖典を開きたいと思います。

シャルミニー


何のためのお金?

コロナ禍で仕事が減り、お金について考えた。
すると、どのように生きるか、そしてこの命をどう使うか、という命題につながっていった――。

ステイホーム期間中、静かに咲いた花。小さな蕾が次々と咲き、ずっと楽しませてくれた

振り返ってみると、私自身は、何でも手に入るような贅沢さにはあまり憧れたことがなかったことに気が付いた。たぶん負け惜しみでもなく(笑)、たくさん貯め込むということに不幸せなイメージがあったからだと思う。
子供の頃、日本昔話や童話が好きで毎日のように話を聞いた。昔話にはたいてい、欲のない正直者のお爺さんお婆さんと、欲張りで意地悪なお爺さんお婆さんが出てきた。欲張り夫婦は、最初はお金や欲しいものを手に入れ喜んでいても、最後には苦い結末。正直夫婦は、山へ芝刈りに川へ洗濯に…と真面目に働くが暮らしは質素、すきま風が吹き込むような家で、わずかなご飯を仲良く分け合い食べていたりした。なくなりそうなご飯やお金を、他人にはあっさりと全部あげてしまったり、なくなったのに笑いあったりしているシーンとかに、何かさっぱりした感じや欲張らない方が幸せそう~と子供なりに感じていたのだと思う。大人になりヨーガを学ぶ中で、貧しさってお金がないことではなく、貪るということが貧しさだと思った。

師が「人が一人生きていくのにそんなにお金はかかりません」とおっしゃったと聞いた。何にお金がかかるのかというと、外食と娯楽ということ。生きていく、それだけをシンプルに考えれば、本当はそんなにたくさんのお金は必要ないのかもしれない。現にステイホームに徹していたら、あまりお金がかからなかったので、師の言葉を思い出していた。
仕事や外出に伴う交通費、季節に応じた仕事がしやすい服や靴など、外出に纏わる費用がゼロだった。外食、テイクアウトの類いも一切やめ、無駄に外出しないことによって五感に訴えかける刺激も誘惑もなく、食料と日用品以外お金を使う原因がなくなり静かな生活だった。環境のおかげで静まったマジックみたいなものだけれど、そのおかげで本当はこういう生活を望んでいたと気付けた。いかに外の情報に影響されていたか、ますます精進あるのみ!と分かった。

久しぶりの買い出しで外へ出た時に咲いていた、真っ白でまんまるな紫陽花。

そういえば、こんな映像を見た。オシャレな家に住む忙しい共働き夫婦が帰宅すると、炊事洗濯が最新家電によってハイクオリティかつ時短で行なわれ、その分家族との時間も充実、幸せな日常、というストーリーだった。こういう生活スタイルもステータスで、そのために頑張ろう!と思える原動力があるのも知っている。でも、これは幸せなのか不幸なのか?何のためのお金?という疑問が頭をよぎった。
忙しく働いて時間が全然なくて、対価として高額なお給料を手にしても、この家電を買わないと幸せに暮らしていけない生活。一方、昔話のお爺さんお婆さんは、山へ芝刈りに川へ洗濯に…貧乏に見えたけど幸せそうだった。本当の豊かさって? モノを持たない暮らし自体に憧れている訳じゃない。環境は各状況に応じたものがあるだけで肝心なのは、お金・モノのあるなし関わらず、どんな状況にも影響を受けない内面だし、どっちの生活が正しい・幸せというのはないと思う。でもあえて選べるなら私は昔話の生活の方がいいな。

本当の豊かさというのは、何もなくても満ち足りている円満な内面をもっていることだと思う。それはヨーガで学んできた。これがないと豊かな暮らしができない、あれがないと幸せになれない、という観念が何もない方が豊かに思えるし、その豊かさにこそ憧れている。きっとそれは子供心に昔話から感じていたものとも一致すると思う。

悟りとは、完全に円満な状態だという。悟りと聞くと、ほど遠い境地のように感じてしまうこともあるけれど、いつも円満な状態でいることだと考えれば、目指したいのはそれだ!とすぐに思える。
身体はその悟りに向かうための乗り物だというし、目的地に到達できるためには乗り物を良い状態で進めていかなければいけない。と考えていくと、なぜ食べるのか、なぜ働くのか、寝ること、服を着ること、家に住むこと、お金を使うこと、が深く意味をなしてきて自分の中で整理できる。
例えば野菜を買うためにお金を使うことも、源を辿っていけば人生の目的のためということになる。かっこよすぎるが、悟りのため、ということになってくる。だからこそ小さなことから大きなことまで、目的をはっきりと意識してその下でお金を使いたい。それが生き方、命の使い方につながっている。人生の目的地に向かうために、当然お金に関する行為も含まれてくる。それを避けることはできないと思う。

「さまらさの台所」の一場面。野菜を油で揚げる音が、まるで水琴窟(すいきんくつ)と雨音のように澄んでいて美しかった。瞑想的な、さまらさな音色。動画ならではの味わいだった。

最近私がお金を使った「さまらさの台所」のWebクラスで、「野菜を切る時は、初めに盛り付ける時のイメージをして、その上で切り方を考える」と言われていた。人生も、出来上がり(悟り)をイメージして、その上でまな板の上の出来事のさばき方を考えるといいなと思った。そういうふうにして命を使っていきたい。

野口美香


引っ越しとアパリグラハ

物も情報も溢れている世の中では、必要な物が何なのかを見極めるのが難しいことが多々あります。むしろ見極めようともせず、欲しいものはできるだけ手に入れようとし、手に入れたものは手放そうとしないのかもしれません。

ひと月ほど前に引越しをしました。
その時、改めて自分の持っている物を確認すると、まだまだ不要な物が多く、最少限度の必需品とは到底言い難い状況であることを目の当たりにしました。
なぜそんなことが気になったかというと、ヨーガの教えに「アパリグラハ」という教えがあるからです。「不貪(ふどん)」と訳されるそうで、要は貪(むさぼ)らないという教えです。ヨーガを実践していくにあたって、最少限度の必需品以外を持たず、他者から贈り物を受けないという教えです。
物を所有したいという欲にはきりがなく、何かが欲しいと思うとそれを手に入れるために夢中になります。それが手に入るとまた新たな欲しいものに夢中になり、次から次へと手を伸ばしてたちまちに物が溢れることになってしまいます。欲求に支配されていては、到底静かな境地は訪れるものではないので、心の欲望を制御していくというのが、アパリグラハの実践になります。

私はなかなか物を捨てられないタイプでした。アパリグラハの教えを知った当初は、つくづくその通りだと感服し、肝に命じて実行していこうと決めたのですが、日常生活の中で頓挫してしまうことがしばしばでした。それでも繰り返し取り組んで、少しずつましになってきたかな?とは思っていました。しかし、引越しにあたって、いつの間にか沢山の物を持っていたのだということに気付かされたのです。
新居はこれまでよりも狭く、収納場所も少なくなるため、事前にできる限り荷物を少なくしなくてはならない・・・これは絶好の機会。今生きていくのに本当に必要なものかどうかを基準とし、荷造りを進めました。やっぱり必要かな?と迷いが出ることもありましたが、少し時間を置いてからもう一度物と向き合うと、やっぱり要らないという結論に至ることがほとんどでした。
引っ越しが終わり新居で暮らし始めると、部屋の狭さや収納の少なさは全く問題がなく、むしろコンパクトに暮らせるようになって良かったと感じました。

ところが1週間ほどすると、これがあったら便利かな?と新たに物を探し始めていることに気付きました。愕然としながらも、心の習性って本当に手強いなあと、しみじみ納得。最少限度の必需品で暮らすことを目指して、今後は必要な物以外は買わない!と決意を新たにしました。
これがあったら便利かな?という思いが出てきたら、絶対ないと困る?今すぐ必要?と問いかけてから判断する様にしました。店頭で品物を手に取ったものの、なくてもなんとかなるか、と何も買わずに帰ったこともありました。こんなことを繰り返すうちに、物に対する興味が随分少なくなったよう思います。
今、引っ越ししてひと月ほど経ちましたが、既にあるもので工夫をして、快適に暮らせるように生活を整えられつつあるかなと思います。

私は、今回ほど真剣に「自分に必要な物は何か」と問いかけたことはありませんでした。まだ必要最少限度の物で暮らしているとは言えない状況ではありますが、引き続き実行していきたいと思います。
また、アパリグラハを実行していく中で、今やるべきことをこれまでよりも速やかに判断して行動に移せるようになってきた気がしています。それによって、慌ただしい中でもゆったりとした時間も持てるようになりました。
本当に必要な物を大切に使っていこうと思うようになり、心身ともに軽やかに、手放すほどにどんどん豊かになっていくようです。

真実を実現するためには自分にとって何が本当に必要なのか、しっかり見極めながら生きていきたい、そのように改めて思った引越し時のアパリグラハの実践でした。

ハルシャニー