ヨーガの実践」カテゴリーアーカイブ

次の瞬間に死んでもいいという生き方

死をなぜ、どのようにして受け入れ始めるのか。私の経験をもとに書いていきたいと思います。それは、症状が進むにつれ、死が近いことを見せつけられるからです。どれほど否定しても、心で誤魔化して死を見ることから目を逸らそうとしても、それが簡単に打ち砕かれるほどの現実を突きつけられるからです。簡単に言えば、症状の悪化を日に日に感じるようになるということであり、それに耐えきれないようになっていくということです。それは、死を自ら受け入れるというよりも、有無をいわせず、手の中に投げ込まれるという感じです。もう、どこにも逃げられない、そう思った時、絶望という鉛のように重く、黒い闇が自分の心を支配するようになります。それとともに、この状況はどんなに近しい、自分を愛してくれる家族や友人であっても、誰も助けることはできないということ、例えたくさんの人に看取られたとしても、現実に死を迎えるのは自分だけであり、孤独の中で死ぬしかないのだということを痛感させられるのです。

だから、死に抵抗しようとする無駄な心は、剥がれ落ちるように離れていきます。諦めですね。完全に諦め切れるということは、無いのかも知れませんが、少しずつ、現実の進行と共に、心もそれに付いていくようになります。まだ、自分にはやり残したことがあり、それが達成できない悔しさがあるかも知れない。自分が去ることで、この世に残していく愛する人を不憫に思う悲しみが死の受け入れを阻むかも知れない。でも、死は、そんなものはいとも簡単に打ち壊してしまいます。

そして神は、死を前にした私たちの内に、熱心な問いかけが生まれるのを待っているのです。なぜ自分がこの世に生まれたのか、なぜこうして死んでいかなければならないのか、という普遍的な問いかけを。この神秘的な、でも人として生まれてきた根本的な問題について、私たちは自分の力だけで本当の答えを見つけ出すことは難しいのです。でも、もしその探求が自分の命を捨てるほどに熱心になされるなら、死という運命すら変えてしまうかも知れない。死を前にして命を捨てるというのも不思議ですが、実は、この人間的探究がもたらす力というものは、私たちの想像をはるかに越えるものがあるのです。

それで、次の瞬間に死んでもいいという生き方ですが、この人間的探究から始まります。本当は、死が差し迫ってからそれを始めても、その生で答えを見つけるために与えられた時間は、とても短いということになります。だから、私たちは、常日頃からその探求に力を注がなければならない。

イエス・キリストはこう言っています。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」。神という言葉が出てきますが、これは、真理を、命を、生きるということの本質を探究することであり、「何よりもまず」というのは、すべてのことにおいて絶対優先ということです。イエスはさらに「もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい」「もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい」とまで言っている。とても極端な例えに思えますが、命を懸けて、まさに与えられた時間と力をすべてこの探究に注ぎ込みなさいと教えているのです。他に長い例え話で説教している場面もあります。彼がどれほどそのことを弟子たちに伝えようとしていたか、よく分かると思います。

そして、もう一つ必要なのは、探究するための方法です。それは、終末期にある人に対しても、死と対峙する恐怖に手を差し伸べてくれるものとなるのです。

 

またまた長くなったので続く

ユクティー


次の瞬間に死んでもいいという生き方

この間は年末のことについて書きましたが、今日は年始のことについて書きたいと思います。みなさんはお正月、家族や親戚の方たちと賑やかに過ごされたのでしょうか。私は、元旦から仕事でした。正月だからって患者さんはおられるので、休むわけにはいきません。そして、死は正月だからって遅れてきてはくれないんですよね。元旦から急死、急変、看取り、さまざまなことがありました。年末年始に亡くなる人って、結構多いんです。

その日、私はサブリーダーといって、患者さんを担当しているスタッフの補佐をする役割でした。血圧を測ったり、医師の指示を聞いて書類を作成したり(これがまた都会のようにパソコン一つですべて処理できるのと違ってやり方がアナログ!すごい面倒×××)、薬を準備したり、医師の処置の介助をしたり、やることが多くて結構スピードが問われます。

うちの病棟にMさんという高齢の男性患者さんがおられまして、朝9時過ぎに私が血圧を測りに部屋に入ると、「おぉっ!下顎呼吸になっている!」。これは、死が近い兆候です。死の間際に置かれた患者さんは、血圧が低下した後、胸郭を使った呼吸から下顎を使った呼吸に変わり、呼吸回数が極端に減少します。その後、心拍数が低下し始めます。もともとMさんの状態は良くはなかったのですが、これは明らかに家族や主治医を呼ばないといけないレベル。そんな申し送りもなかったので、慌てて大声でスタッフを呼びました。でも…、あれれ?誰も来ない…。ここにはスタッフコールとか、病院なら普通にある気の利いた設備がありません。(注:スタッフコールとは、緊急事態にスタッフが他のスタッフを呼ぶコールで、患者が押すナースコールとは別にある)。仕方なくナースコールを押してみた。うぅっ!誰も出ない…。なんでやねん!(←つっこみではない)。本当はこういう場合、患者から離れてはいけないんですが、仕方なくあたふたと部屋のドアを開けに行って、大声で人を呼びました。それで何とか、その日のMさんの担当看護師と二人で看取る体制を整えたんです。

でも結局、家族が到着する前にMさんの心臓は止まってしまったんですね。亡くなったのは、私が発見してから30分後のことでした。家族はすごく悲しまれていました。毎日病院に来ては食事介助したり優しく話しかけたりされるような熱心な家族でしたから、見ていられないくらい泣いておられました。Mさんにはとてもしっかりしたお孫さんがおられて、その方が詰所に来て言われたんですね。まったく何の準備もできていないので、しばらく置いておいて欲しいと。Mさんが亡くなることを家族は誰も想像してなかったということなんです。師長が15時までならということで許可したのですが、急死ならともかく、Mさんは長い間重症の肺炎を患っていて、ずっと治療してきたし、何度も主治医から覚悟するようにと言われてきたんですよね。なのに死ぬと思っていなかったって…とスタッフはみんな驚いていました。

でも、きっと人間って皆そうなんですね。特にMさんのように何度も肺炎にかかり、何度も死ぬような状況を乗り越えてくると、また今度も大丈夫だろうと思ってしまう。いつか医者のいうこともお決まり文句だくらいに思ってしまって、死が間近に迫っているという実感がわかなくなっていく。

Mさんの家族を見て、あぁ、私もそうなんだなと思いました。私だって明日死ぬなんて思ってもいないけど、そうならないとは限らない。いつか自分が、身近な人が死ぬという実感がない。どれほどたくさんの患者さんを看取ったとしても、その経験によって自分の死を実感することはないんです。

そんなことを感じながら思い出すのは、やはり聖者たちの言葉です。聖者たちの言葉を見ますと、一瞬一瞬を、その時その時を生きなさいというのをよく目にします。聖者たちがそのように生きたということですね。私たちのヨーガの先生も言われます。次の瞬間に死んでもいいという生き方をしなさいと。では、次の瞬間に死を感じれば、そういう生き方ができるかと言えば、そうではないです。次の瞬間に死ぬって感覚、本当に私たちは持つことができるのでしょうか。

私は過去に自分の死を予感したことがあります。私の場合は病気でしたが、症状が日に日に重くなり、死を自ら感じるというより、いくら拒んでもいやおうなく感じさせられるという言い方のほうが的確です。症状による苦痛はひどく、言葉に表せませんが、何と言っても孤独感がひどい。次の日目覚めなかったらどうしようと思って布団に入り、体は重くてくたくたなのに、怖くて眠れないんですね。でも一方で、このままずっとこの苦痛が続くのかと、苦悩し続ける自分もいる。この時、私は生まれて初めて、誰でもない自分がもうすぐ死ぬんだと感じるようになっていたんですね。毎日、恐怖と不安でビクビクしていた。だから、次の瞬間に死ぬかも知れないとは思っているけれど、死んでもいいという生き方をしていたわけではない。

しかし、やがて、ほんの少しずつ死を受け入れ始める日がやってきます。

あの時は、こんな風にコンクリートの隙間に咲き続ける花からよく勇気をもらっていました

あの時は、こんな風にコンクリートの隙間に咲き続ける花からよく勇気をもらっていました

 長くなったので、つづく
ユクティー

 


まっすぐなお客さま

新しい年があけましたね。みなさんは、年末年始をどんな風に過ごされましたか?年末、私のところには素敵なお客さまがみえました!とても愉快で安らぐ時間でした。今日は、その時のことについて書いてみたいと思います。

人が来てくれるというのは、とても幸せなことです。なぜなら、ここでは誰かが去るのを見送ることの方が多いからです。私は今年の春からここに来て三年目に入ります。この二年で何人の人が去っていくのを見送ったでしょう。近々また別れがあります。

さて、お客さまは誰かと言えば、パラマハンサの表紙を描いておられる、東京在住のグルバイ内山さんでした。出張でいわきに来たので、寄ってくれたのです。寄ってくれたといっても、バスを乗り換えて約4時間半。しかも年末、帰省客でバスは満員だったそうです。震災前はいわきまで電車が通っていたのですが、原発の関係で途中の区間がまだ開通していないので、遠回りしてもらわないといけないんですよね。

彼女とは京都ではあまりお話したことがなかったのですが、よくぞ来てくれました!地元の知り合いは時々遊びに来てくれるのですが、彼女は私にとって記念すべき初めて家に来てくれたグルバイだったので、とっても興奮しましたよ!

内山さんとは、ヨーガの先生のこと、ミッションのこと、グルバイのこと、自分のこと、いろんな話をしました。話の内容というよりも、話をする彼女から何を感じたかというと、それは神へのまっすぐな思いです。淡々と話す彼女から不安や悩みなどは聞かれませんでしたが、毎日を過ごす中できっと大変なこともあるでしょう。でも、そんなことを越えるまっすぐな思いが彼女の心の中に根付いているのを感じました。自分の意見をしっかりと持ちはっきり言葉に出す、そんな彼女のまっすぐな性格も神への思いに表れているのかもしれません。そんなことを感じながら、私はふと旧約聖書に出てくる預言者イザヤの言葉を思い出しました。旧約聖書はすべて読んだわけではないのですが、この言葉はイエス・キリストと深くかかわった人が発したことで有名なので、私も覚えているんです。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る』」

道というのは、神に向かう思いです。人間の思いは色々なものが入り混じり、まっすぐではなく凸凹です。虚栄心や妬み、捉われ、打算、コンプレックス…。それを誠実で偽りのないものにしないといけない。それがまっすぐな道であり、最も神に近く最も早く神に辿り着く道だといわれます。彼女のまっすぐな思いは私の思いのゆがみも正してくれたようで、まるで京都に行ってサンガに参加した時のようにすがすがしく、新たに神に向かおうとする力をいただいたように感じました。

彼女の滞在中は家でリラックスしながら話したり、ドライブに行ったり…。初日は震災で何にもなくなってしまった海岸に行きました。

海辺なにもない

ここら辺は民家がありましたが、全部流されてしまいました…

ここら辺は民家がありましたが、全部流されてしまいました…

 翌日は外で昼食を食べた後、私のおススメ、いわき発「木村のむヨーグルト」を買いにスーパーイオンへ。これ、すごく美味しいんですよ~。

ヨーグルト

いよっ!いい飲みっぷり!

いよっ!いい飲みっぷり!

やっぱり、楽しい時間はあっという間に過ぎるんです。二日目の夕方彼女をバス停まで見送りました。また元の生活に戻った私は、残された寂しさよりも、神に見守られている温かさと安心を感じていました。そんな良いものを彼女は残していってくれたんですね。これからますます厳しくなっていくだろう現実にきちんと向かい合っていこうと決意を新たに固めるのでした。

「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」

内山さんが来てくれた日からずっと、この言葉が私の心に残っています。

 ユクティー


破れた布団とミシンと私

2000年問題から早15年。
こんにちは、マーダヴィーです。

突然の告白ですが、私はお裁縫がとっても苦手。
女子であるにも関わらず、出来れば避けて通りたい分野です。

ですが、年始早々、とうとうそれに立ち向かわないといけない時がやってきました。

同じお布団を何年も使っているうちに生地が弱くなり、ふちがビリビリに裂けてしまいました。お気に入りのお布団なので、これまでは破れた部分を手で繕ってきましたが、それも手間と時間がかかる。しかも仕上がりははっきり言って、、、、、、上手くない。

私の祖母はお裁縫が大好きで、ミシンもよく使っていました。祖母が選んで買ったミシンなので大切にしなくちゃと思い、今の家にも持ってきました。案の定、ミシンは置きっぱなし状態へ突入。いい道具も使い手がいないとその本領は発揮されず、まさにこれぞ宝の持ち腐れ。

この破れたお布団をミシンで縫えば早く出来るし、私のお裁縫能力よりもはるかに綺麗に、しかも丈夫に仕上がるだろうということはよくよく分かっているのです、はい。

ミシンを出すのが面倒だ、使うのが大変だ、そんなことしてる時間がない、そもそも一人でミシンを使うことなんてできるのだろうか?中学高校の頃以来か?上手く使えないんじゃないか・・・

結局実際にミシンを出すことをしないで、色々言い訳や理由を並べ立てて、“やっぱやめとこ〜” という結果になるのです。

大変だ、きっと難しいし自分にはできないという結果(自分の未来)を、やってみることなく、事前に作り上げているワケですね。そしてそれを苦手なものとして位置づけて、避けて通ることを繰り返し、これは苦手という傾向をさらに強めていくことになり、ますます苦手という枠から脱出することができなくなる。。。

よし!お正月休みで今はちょっと時間があるし、心を空っぽにして何も思わないでとにかくやってみよう!!とミシン掛けにチャレンジしてみたのです!

そうすると、、、

あれ?意外と簡単やん!(基本的にまっすぐ縫うだけだし、ミシンはほぼほぼ全自動)
こうやって黙々と一つのことをすることは全然苦じゃないし、実は好きやったんや、自分って。
しかも、無心で何かに集中してるって楽しいやーん!
予想外に短時間で出来上がった〜!やった〜!

と、とても気持ちのよい結果に!

それにしても実際に行動に移すところまでには長い時間かかった〜〜のですが、やってみると
苦手の克服あっという間に終了!心も軽い!

そこで気がついたのが、これってアーサナと全く同じ!ということ。

アーサナの中でも、このアーサナはキツイとか苦手なものってありません?
次はあのアーサナか〜とか、キツイなぁ、今日はスキップしちゃおうかとか・・・

結局、それも、それまでの経験でキツイとか苦しいと感じたことが積み重なって、この形はキツイ苦しいもんだという観念や結果を、そのアーサナをする前に自分で勝手に作ってしまっているんですよね。

そんな思いがアーサナの前に出てきたら、まずは心を空っぽにして、何も思わずにとにかくやってみる。そうすると、意外とそのアーサナに自然と向き合えたり、苦手だと決めつけていたのは自分だったと気がつくことがあります。

もし、アーサナの最中に心が動いたら、もう一度吐く息にフォーカスし直して、心に動く隙を与えないくらいに形を作ってみる。(自分の限界を毎回超える努力をする)

アーサナの中でそのように訓練をしていくと、それまでの自分の感じ方や考えや行動の傾向を保持していた力が弱まり、心が空っぽな状態が作り出されていきます。自分を縛り付けていた束縛がなくなり、苦手もなくなり、アーサナを行なっているその最中でさえも(外見はある形としての束縛の中にあるようにも見えるのですが)、その内面においては、身体も心も消え去って宇宙空間だけが広がっているかのような自由な状態がやってきます。

アーサナには自分の心をすっかりと変えてしまう絶大な力があります。(もちろんそれには、正しい先生の導きの元、真実を学びながら実践することが必須ですけどね!)

そして、それがそのまま日常に出てきます。

心を空っぽにして行為する、やっぱこれが秘訣ですね!
アーサナにおいても、日常においても!!

お年始早々、色々な気付きのきっかけを与えてくれたミシンさん、ありがとう〜!

私たちも自分自身が宝の持ち腐れにならないよう、自分たちの中にある宝の原石磨いて、今年は開花させていきましょう〜!!

20150106

マーダヴィー


聖典

サティヤーです。

あけましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、突然ですが「聖典」読んでます?

聖典の学習というのはヨーガの実践の中でとても大切だと言われます。ニヤマ(勧戒)の中にあり、毎日実践するクリヤー・ヨーガの中にも数えられます。2012年の夏、ヤマ・ニヤマの項目を一つずつとりあげ、ヨーガの仲間と学びました。そのとき、私はニヤマの「聖典の学習」を担当しました。(参加者は、どれか自分が気になるものを担当し、学びを深めました。)その時に書き留めたメモが年末のお掃除をしていたら出てきました。

そこには、まず聖典とは読書とは違うとあります。

心を動かすための本=読書

心を止滅させるための本=聖典

自分勝手に理解しない→聞く耳を養う。素直さ謙虚さが大切。

久しぶりに自分の書いたメモを見て、なるほど〜と感心していました。私はもともと読書が好きだったので、ヨーガを始めた頃は聖典を片っ端から読みまくりました。どれも面白かったのですが、何となく「聖典ってこういう風に読んでていいのかな?」という疑問がありました。読み終えたら終わり。それで終わりでいいのかな?どこか私の知らない世界のお話を読んでいるような、どこか他人事のような……。そんな思いが募っていた時の学びの会だったことを思い出しました。

メモは続きます。どのように読めばいいのか、

「どれだけ自分に関連付けているか」

「感じ取ることが大切」

そして最後のラインには大きな字でこのように書かれていました。
(だいぶ興奮しているような大きな字でした!)

「イシュタ(理想とする聖者)に会える!!」
これは聖典の学習の結果として起こるようです。

さて、先日不思議なことがありました。お昼にこたつの中でぼんやりしていたのですが、突然あるヴィジョンが表れました。気がつけば私の心には、ある聖者との交流が残っていたのです、確実なものとして、夢でも想像でもなく、それは事実として心に残っていたのでした。不思議な経験でしたが、その聖者は私が今読んでいる聖典に出てくる聖者だったとはっきりと分かりました。

メモにあった「イシュタ(理想とする聖者)に会える」というのは、夢で会えるのでも、本の中で出会えるのでもなく、実際に会えるのだということ、彼の身体を見て、彼と会話する、それはそれはとても不思議なことですが、聖典にはそういう力があるのです。3年越しに自分の書いたメモを理解したな〜と思いました。少しぐらいは進歩してて良かった〜。

サティヤー


礼拝

2015-01-03 15.15.20

明けましておめでとうございます。今年のお正月は本当に寒いですね! 各地では元旦から雪が降り積もっていたようでしたが、皆さまはいかがお過ごしですか?

あ、ご挨拶が遅れました。年末に引き続き、またまたミラバイです。私は今日、アーシュラマ(ヨーガの道場)のすぐ近くにある、北野天満宮に初詣に行ってきました。天神さん(北野天満宮のことを、こういうふうに呼ぶんです)はとても近くのため、実はこの三が日にお参りに行ったことはこれまでなかったのですが、今日初めて行って、あまりにもの人の多さに本当にびっくりしました! 本殿から神社の入り口のある今出川通りまでずら〜っと人が並んでて、なかなか前に進めない! ゆっくりゆっくり歩いて、何十分もかかって、ようやく本殿に辿り着きました。お賽銭箱の前に来て、えいっとお賽銭を投げて、パンパンと手を叩いた次の瞬間、いったい何をお願いしたらいいのだろう……と、はたと困ってしまいました。特に、何もお願いすることがなかったからです。そして、ふと昔のことを思い出しました。

ヨーガを始める前は、年末年始の時だけお寺や神社に行ってはお参りをし、一年間の感謝をしたり、またこれから先のことを祈ったりということを普通にしていました。信仰心なんてなかったけれども、お参りは普通のことだと思っていました。でも、ヨーガを始めて数年間、実はお参りに行っても手を合わせることができなくなった時期がありました。神様は本当にここにいるのか、自分は誰に祈りを捧げようとしているのか、私が本当に信じるべきものは何なのか、祈るということはどういうことなのか、そういったことをずっと考えていたのだと思います。
そうしてそれから、はや数年……。今ではそれらの疑問も解消し、以前に抱いていた抵抗感も、もうすっかりなくなってしまいました。神は自らの中にあって、また誰もの中にもある、そして本当に祈るということは、あれが欲しい、これが欲しいと願うということではなく、心をしっかりと神に結び付けて口を閉ざし、黙って行為すること。……なのかな。今はそのように理解しています。皆さまはどうですか〜? きっといろいろ考えておられることと思います。

ともあれ、おかげさまで無事にお参りは済みました!
皆さまにとって、幸多き年になりますように。どうぞ今年もよろしくお願い致します〜。

ミラバイ

 


マーラー

こんにちは! ミラバイです。昨日からぐんと寒くなりましたね。今日の京都は朝から雪が降り積もっています〜。皆さまお変わりありませんか?
さて、今日はマーラー(数珠)について書こうかなと思います。

IMG_9060

これは私のマーラーなんですが、もう10年以上も前になるけれど、私がヨーガを始めて間もない頃、師からいただいたものです。その時のことはとっても印象的で、今でも私の心の中に強く残っているのですが、それは、ある日のサットサンガ(師から教えを請う問答の場)が終わった時のことでした。呼ばれて師の下に行くと、両手で大切に包み込むように持っておられたものを、私の目の前にすっと差し出されたのです。「ええっ! もしかしてマーラー?!」。当時先輩たちがマーラーを首に掛けているのは目にしていて、それが何を意味しているのかは分からなかったのですが、なんとなくかっこよく見えて、私も欲しいなぁ〜、でもきっと自分にはまだまだなんだろうなぁ〜と思っていたところでした。あまりにも驚きすぎたため、せっかく師が渡そうとしてくださっているのに、私はそれを受け取らないまま、ものすごい勢いで部屋の隅っこまで後ずさりして、そのまま座り込んでしまいました(笑)。
もちろんしばらくして、気持ちが落ち着いた後にいただいたのですが、その時に言われたことは「これは、信仰の印です」ということ。

信仰の印……。

その頃、私は正直、信仰心なんて全くもっていませんでしたし、信仰が何かもよく分かりませんでした。でもこのマーラーが、師と私をつなげるもの、ヨーガと私をつなげるもの、そしてこれから先、自分がヨーガの道を歩んでいく上での希望が込められているような気がして、本当に嬉しかったのを覚えています。その日の夜は首に掛けたまま眠り、次の日からも毎朝会社につけていき、肌身離さず持ち歩いていました。

そんなマーラーですが、実は一度紛失しかけた(笑)ことがあります。
ない! ない! どこを探してもない! 何日も何日も探し回り、歩き回り、いろんな人にも尋ねましたが、全く出てきません。あぁ、どうしよう〜(ToT)
あまりにも「私のマーラー」をなくして落ち込み、食事も喉を通らない様子の私を見て、心配した先輩は、「もしそれが自分のマーラーではなく、誰か他の人のものだったら、それほどにまで動揺するかな?」と、私に識別を促そうとアドヴァイスをくださったこともあります。確かにヨーガの中でよくいわれる「私」と「私のもの」という思いが自分の中にあるのか……。それが苦しみを生んでいる? もしそんな思いがなかったり、やっぱり誰か他の人のものだったらそんなに落ち込まないかも……と思い、瞑想や識別をしようとしてみましたが、そう、ご想像の通り、全くできませんでした。これまでキールタンの活動をしてくる中で、私は必ずマーラーを首に掛けてきましたが、そのときはいつも師が私の傍におられるように感じていました。きっと私はいつの間にかこのマーラーに、師とのつながりや師の存在、また自分自身の信仰の印を見いだそうとしていたのだと思います。何より、師がマーラーを手渡してくださった時、手のひらの中であたためてくださっていたその温もりをずっと感じていたのかもしれません。私の信仰はいったいどこにあるのか。主はどこにおられるのか。猿の神様ハヌマーンが自分の胸を切り裂き、主、ラーマはここにおられる!と叫んだように、私の主は私の胸の内におられるのか。
いつの頃からかはもう忘れましたが、私は自分自身の内側にもっと確かなものを見いだしたいと願うようになったと思います。

結局、マーラーは本当に思いがけない(!)ところから出てきて、おかげさまで一件落着しました(それも神のご加護としか思えない〜〜!)。この一件を通じて、私はマーラーの意味や信仰について改めて考える機会になったなぁと思います。
今は毎日身に着けることは少なくなくなりましたが、大切に部屋の祭壇に置いています。そしてサットサンガに参加する時は、できるだけ身に着けていくようにしています。ここが私の信仰の原点だと感じているのです。

ミラバイ


今日のオシゴト

今朝、なんとなく早めに職場へ行ったら、ユキオさんという患者さんの意識が早朝からなくなり、脈拍も落ちてきていると聞きました。それは、もう間もなく彼がこの世を去ろうとしているということです。3日前には元気はなかったけど、お話してたんです。私は今日彼の担当でしたから、すぐに色々と準備を始めました。家族の意向で、延命は行わず看取りと決まっていましたが、それでも、ただ見ていればいいというわけではありません。看護師には、いつもなかなかたくさんの仕事があります。死に逝く人がどんなに美しくても、ただずっと付き添ってうっとりと見ているわけにはいかないんです。家族に連絡したり、主治医を呼んだり、エンゼルケアの準備したり、書類を整えたり…。他に見ないといけない患者さんもたくさんいる。それに、主治医や家族への連絡のタイミングを計るのも結構難しいんですよね。呼吸が止まったからそれ電話だ!と思って主治医に連絡しても、ずーっと心電図の波形がフラットにならなくて、あまりにその時間が長くなると医師との間に気まずい雰囲気が流れていくんですよね…。また、家族がどういうタイミングで連絡してほしいかという家族の意向も、それまでのやり取りの中で読んでおかなくてはいけない。

うちの病院に入院している患者さんの家族は、震災前はほとんどが近くに住んでいました。でも、震災が起こって県外に避難して、家族が誰も近くにいないことも多いんです。家族の到着が間に合わず、先に心臓が止まっていても、家族が来てから立ち合いのもとに医師が死亡確認するんですけど、家族が到着するまでの時間があまりに長いと、死後硬直といって死後2~3時間で筋肉が固まり始めるので、電話で家族にお断りして先に死亡確認し、体を拭いたり着替えたりといったエンゼルケアを行ってから家族を待つことも多くなりました。

ユキオさんのご家族はかなり遠くにおられるので、到着されたのはお昼すぎでした。家族が来られるまで、なんとなく気になって何度も足を運びました。ユキオさんの心電図の波形がフラットになる瞬間、たまたま私は病室に一人で彼を見ていたんですけど、ゼロになると同時にそれまでパッと見開いて一点凝視していた目がスーッと閉じたんですね。同時に開いていた口もわずかの隙間を残したまま閉じていきました。あまりにもその閉じ方が自然で何のよどみもなくて、一瞬神秘的な世界に引き込まれました。

ユキオさんは生前はとても頑固なおじいさんで、少し認知症が入っていましたが、いつも同室者の奥さんの心配をしていました。もちろん基本的には男女同室はないのですが、このご夫婦の場合は奥さんの認知症がかなり進行しているのと、ユキオさんがとても心配性だということで、奥さんと同室にしました。でも、奥さんはユキオさんのことが誰かを、もう分かってなかったんですね。自分の夫は家にいるんだといつも言ってました。「この人は誰?」とユキオさんのことを聞いても「知らない」という返事。「ご主人、体悪いんですよ」と言っても、「あら~、そうなの~」と他人事。でも、ユキオさんは自分がいなくなったら妻はどうなるのかといつも気がかりで、今妻はどこへ行った?と常に心配していたんです。ユキオさんの呼吸が止まりそうになった時、奥さんは隣で朝ごはんを食べ、食べ終わるとさっさと背中丸出しで寝ていました…。ユキオさんが亡くなった後、死後の処置をしてくれた看護師が、奥さんをベッドサイドに連れて来て、ユキオさんの冷たくなった手を握らせました。そのせいなのか、それからしばらく奥さんの元気がなかった…ような気がしたんですけどね。気が付いたら、廊下に置いてある私たちがつけるマスク、片っ端からポケットに入れてました…。女性って、やっぱり強い…。どうしたのかと尋ねると、「だって、退屈だから」とのこと。

あれ、あれを思い出しました。あの絵ね。再び登場です。でも、カーリーの強さも、シヴァの寛大さと愛があればこそ。ユキオさん、お疲れ様でした。いってらっしゃい!

カーリー

 ユクティー


神への愛は伝染する

Love is an infectious disease. 直訳すると、愛は伝染病である。なかなか衝撃的な表現ですが、これはマザー・テレサの言葉です。

私は2011年の3月にインドのマザー・テレサの施設へ行ったのですが、その時偶然日本のイエズス会の神父さんと知り合いました。私は彼と出会って以来、キリスト教について質問をしたり、マザーについての話を聞いたり、本を紹介してもらったりと色々お世話になっているのですが、この出会いは私にとってマザーを深く知っていくことになる、とても大きな転機となりました。この出会いが無かったら、パラマハンサに連載を書くこともできなかったかも知れません。

神父さんは、震災以降福島の親子をサポートする活動をされていて福島と繋がりがあり、9月にも福島市内の大学で講演をするために来られたのですが、その時南相馬にも足を運んでくださったのです。私の家のほんの近くにカソリックのボランティアセンターがあり、そこで「苦しみを越えて」というテーマで、マザーにまつわる話をされました。ほとんどがかつて聞いたことのある話なのですが、私にとってはマザーにまつわる話は何度聞いても嬉しいものなのです。その中でも、愛は伝わっていくものなのだというこの言葉がよく表れた、私が最も好きなエピソードをこの時も話してくださったので、今日はそれを紹介したいと思います。

オーストラリアから一人の農家のご婦人がマザーに会いにやってきました。夫はアル中で、息子は非行に走って、どちらも彼女に暴力をふるっていたそうです。彼女は死のうとしていました。死ぬ前にずっと憧れていたマザー・テレサに会いに来たわけです。マザーは彼女を温かく迎えました。30分から40分間、手を握りながら彼女の話を聞いたと言います。話が終わると、そのご婦人はこう言いました。「用事は済みました。オーストラリアに帰ります。こんなにも私のことを大切に思ってくれる人が世の中に一人でもいるなら、死ぬのはもったいない。死ぬのは止めました」。彼女は喜びいっぱいに帰っていったそうです。

マザーの周りでは、このようなことがたくさん起こりました。神父さんはなぜだろうと不思議に思っていたそうなのですが、ある時、マザーの言葉を聞いて納得したそうです。

「私の所にはたくさんの人が訪ねて来ますが、その時その時で目の前にいる人がイエス・キリストであり、私にとっては全てなのです」。あのご婦人がマザーからどれほどの愛を受け取ったか計り知れません。

ところで、感染症というのは、予防するための3つの要素というのがあります。感染したくなかったら、この要素を減らしていくことが必要なのです。

一つはウイルスや細菌などの病原体に接触した物や人です。これを感染源といいます。二つ目は感染経路です。空気感染や接触感染など病原体が侵入する経路のことです。三つめは感受性で、免疫の低下など個人の感染しやすさのことを言います。

もし神の愛に感染したかったら、反対にこの条件を高めていくことが必要なのです。神の愛に接触した人は、バクタと呼ばれます。神を純粋に愛する人のことです。マザーがバクタですね。感染経路はバクタと会ったり話を聞いたりすること、バクタのことを考えるだけでも感染しやすくなります。そして感受性、神の愛を受け取れる純粋な心にするために日々怠らずアーサナしたり瞑想することですね。これで3つの条件は整うわけです。ただひたすら単純に粘り強くこれを続けるんです。そうすれば、何があってもいつも神を愛する歓びを心に持ち続けることができるのです。さあ、また今日から始めましょう。

マザー
神父さんが自分で撮ったマザーの写真で毎年作っているカレンダー。2015年版です 。

ユクティー

 


空白地は存在しない

ヨーガを始める少し前、沙漠に憧れたことがあった。
人間が作った意味や義務や正しさに埋め尽くされていない、「無意味」の空白地に行きたいと思った。
それで中国のタクラマカン沙漠にも行ってみた。
あるいはアフリカの中央部にも行ってみた。
しかしどこに行っても、自分が日本人の何某であることを証明しなくてはならない。
世界地図はどこも何色かに塗られており、誰かの(どこかの国の)土地であった。
空白地が存在しないことの絶望。
常に何者かであり、何者であるか証明し、意味のあることしかしてはならない世界にとてつもない息苦しさを感じたものである。

外界に空白地を求められないことを知るのとほぼ同時期に、内面に空白地を求め始めてもいた。
頭の中は言葉でいっぱい。
心は常に忙しい。次々に勝手に悩みを作り出す。
自縄自縛とはこのこと。
蜘蛛が吐き出した巣の網に、自分自身で引っかかっているようなものだ。
心に重い鎖をかけられ、引きずっているように感じていた。
こんなのはもう嫌だ——何の確信もなかったが、その向こうに空白地を探し始めた。

必死にヨーガをした甲斐があって、これらはすべて過去の話になった。
「意味の世界」は、原因と結果の果てしない連鎖の世界、昔の言葉で言えばカルマ(業)によるサンサーラ(輪廻)の世界だということも分かった。
今はずっと自由だ。胸いっぱいに息が吸える。
それどころか、世界はずっと広く、果てしない可能性が含まれているものに感じる。

今また空白地のことを思い出したのは、意味の世界に再び戻ってきたからである。
意味に縛られなくなってきて、再び戻ってきた。
そして気づくことは、今の我々人間の考え方が無限の空白地があることを前提に成り立っているということだ。
いくらゴミを捨てても誰も困らない土地や、いくら使ってもなくならない自然や、いくら酷使してもよい物やあるいは人、いくらでも豊かに、いくらでも獲得して消費して、いくらでも生産することを許す無限の空白地があるかのように振る舞っている。

ヨーロッパ大航海時代のメンタリティーが500年たっても変わっていないのだと思う。
むしろ歴史的には「適者生存」とか「見えざる神の手」だとか、それを正当化する理論の方が発展してきた。
人や価格どうしの衝突(競争)が最適な位置を見つけるという、人間社会内部にしか目が向いていない考えである。
それは無意識のうちに、外部には何をしてもいい無限の空白があることを前提にしている。
でも、大航海時代にも空白の新大陸などなかったし、奴隷にしてもよい人などいなかったかったように、人間(自分)の外側に無限の空白地があるわけではない。
いくらでも生産して、いくらでも消費すればいいと、その需給バランスは「見えざる手」が決めると、人間社会の内部の論理だけで考えてきたが、ついに自然がそれを許さないところまでやってきて(需給のバランスでなく、自然の限界が決定権を持ち始め、予想外の「見えざる手」となって)、やっと無限の空白地という前提が間違っていたことに、我々は気づき始めている。

人の命も、自然の命も有限。
隣には他の人がいる。動物や植物がいて、自然がある。
誰もいない場所は存在せず、世界は網の目のように構成され、自分はその一部である。
それは確かにカルマによるサンサーラ。
でも自分がその一部であることに、今は喜びを感じる。
どうして? 以前にはとてつもない苦しみだったはずなのに。
そこに積極的に身を委ねていこうと思えてくる。
そこに貢献していこうとする喜び。
奉仕の喜び、献身の喜び。
有限の命はそのために生かされてこそ輝くのだと思い始めている。
業による輪廻を生み出す幻術(マーヤー)、その力は女神として捉え直されるとき、歓喜の遊戯(リーラー)になるという。
母なる地球、大地母神、その怒りの鉄槌も悪くないのかもしれない。
もしそれによって人の目覚めが起こるのなら。
我々がそれを受け入れ、行動で応えることができるのなら。

Kali