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誰もが実践できる働きの秘訣

みなさんは学校の授業は好きでしたか? 私はというと……(お察しください)。
けれど今、楽しみにしている授業があります。それは誰ヨガ(誰もが実践できるヨーガ)です。自分自身の人生や心、幸せといった誰もが身近に感じ、時に思い悩んだりする事柄をテーマに、ヨーガではどう教えているのか、自身の生活でどう実践できるのかを学べるオンラインクラスです。
4月に開講し、月に一回、半年間をかけて学んでいきます。その期間は同じ顔ぶれのグルバイとZOOMで顔を合わせます。初回のクラスでは自己紹介をし、さながらクラス替え後の教室みたいだなぁと感じていました。担任の先生は先輩グルバイのサーナンダさんです。2時間のクラスの中では、「どうなったら本当に幸せですか?」、「なぜ働かないといけないのですか?」といった問いかけに向き合う時間があるため、講義の内容をより自分のこととして捉えやすいように感じます。

出勤途中に咲いている朝顔。目の覚めるような鮮やかな色で、気持ちよく仕事に向かうことができます。

5月に行われた2回目のクラスでは、「働きの秘訣」と題して私たちが働く理由、そしてどう働けばいいのかを教えていただきました。「生活のためだから」と、私は心のどこかで仕方なく働いているように思っていました。しかし、今の仕事を選んだのは自分です。選ばざるを得なかったのだとしたら、その原因を作ったのも自分です。私の場合ばっちり思い当たることがありますが、自覚していない過去世からの原因も作用しています。いずれにしても自業自得、つまりカルマということになります。新たなカルマを作ることなく、カルマを果たしていくような働き方ができれば、より良い自分になっていくことができるとこのクラスで教えていただきました。
一日の中で働いている時間は大半を占めています。(社会の中で勤めるといった意味合いに限らず、親などの役割や家事も含まれます。)しかも毎日のことです。ということは、そこでの行為次第で、多くの時間が自分をより良くするチャンスに変わるということになります。毎日がチャンス…?!何それ最高!!と私の瞳はきらめきました。本当に重要なのは何の仕事をするかではなく、「どう働くか」だったんです。
では、肝心の「働きの秘訣」はと言いますと…

・好き嫌い、不平不満を言わない。
・結果や他人の評価に執らわれない。
・目の前の仕事の目的を明確にし、余計なことを考えずに集中する。
・自分の思いばかりを見るのではなく、他者の喜びを自分の喜びとする。

どれもシンプルで、仕事の種類を問いません。そして、誰でも今すぐ実践できることです。「そうはいっても難しい…」と言い訳したがる心に負けてたまるかと、「ただやるのみ!できなかったとしても次の瞬間にもう一度チャレンジするのみ!!」そう言って日々自分と闘っています。少しでもこの秘訣を実践できれば、まず自分が楽(心身ともに軽やかに)になることを実感します。そうすれば周囲に気を配る余裕も生まれます。何より発散する空気が違うのではないでしょうか。入り口は自分のためのようであっても、自然と他者のためにもなっている、素晴らしい秘訣です。仕事の効率化や成果を上げる方法は多く説かれていても、こんな大切なことを教えてもらえる機会にはそうそう出会えないように思います。ヨーガを学んでいる、いないに関わらず、多くの人の助けとなる教えだと思いました。

海へ流れる川。奥は瀬戸内海です。身近な風景ですが自然の壮大さを感じ、大いなる存在に想いを馳せずにいられません。車の窓を開けて走ると様々な鳥の声が聞こえてきます。

私はこの誰ヨガの授業を受けているとワクワクしてきます。「秘訣」という言葉を辞書で調べると、“人に知られていない特別な良い方法。おくのて。”と出てきます。まさにそんなことを教えていただけて、知りたかったことはこれなんだ!!と体中から力が湧いてきます。最初にこのクラスを学校の授業のように例えましたが、この授業ではテストもなければ成績もつきません。その代わり、日常がテストです。参考書を頼りにするように、この強力な秘訣を頼りにして、私はカルマ(業)からの卒業を目指したいと思います!

このカードの裏面には、『バガヴァッド・ギーター』第2章48節の教えが記されています。 「アルジュナよ、執着を捨て、成功と不成功を平等(同一)のものと見て、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。ヨーガは平等の境地であると言われる。」 働きの結果に執われそうになった時、思い出す教えのひとつです。

 

大森みさと


マウナと信仰

松が開けたばかりの頃でした。
長年抱えていた心労で母の体調が急激に悪化しました。その時、大先輩の姉弟子に電話で相談させていただくことがありました。姉弟子は、根気よく聴いてくださって、複数回にわたりメールを頂戴し気遣い励まし下さると共に、熱意をもって次のように助言をくださいました。

  • 起こることはカルマのためであるから、自業自得と覚悟をもって受け止めて、その時すべきことを行なってゆく。
  • 波風が立つような話題に対してマウナ(霊的沈黙)を徹底する。
  • 目的をしっかり見据えて教えを手放さないように。

「師が姉弟子を通じて導いて下さっている」と有難さを感じながら、もしここで実践できなかったらと思うと奈落の底に落ちてゆくようで心は激しく動揺しました。けれどもカルマは問題と正面から向き合うことでしか昇華出来ません。怯む心を押さえて、頂戴したメールを読み返しながら向き合う毎日が始まりました。

マウナについては、形から入れることでもあり、とにかく徹底せねばと心して臨みましたが、波風の方角へと一方方向だった母の思考傾向が一時的にも停止して、スムーズに新たな話題へと心が切り替わってゆくのを目の当たりにしました。
私が行なっているのは本来的なマウナにはあたらないかも知れませんが、それでもマウナが単なる避難ではなく、積極的な傾向を生み出す実践的な教えであることをひしひしと実感するようになりました。

しかし受け止めるということに対しては、苦しみの原因を他者に求める傾向から抜け出せず、一旦受け止めたと思ってもいつの間にか思い煩いが入り込んでしまいます。
ある時、切羽詰まった状況でも滑稽なほど蒔いた種から逃げ回っている自分が情けなくなり、「このままでは教えを手放してしまう!」と真剣に一番大切なものを問いました。
「信仰」でした。
師に御縁を頂戴し信仰の本質を教えていただける機会に恵まれながら、不平不満を漏らす自身に気づき、本当に大切なものを大切に出来るようにならねばと以後不平不満にマウナすることを意識するようになりました。
十分に対応できた訳ではありません。しかし師の恩寵を頂戴し、母は奇跡的に快方に向かい、ひと月後にはこれまでとあまり変わらぬ生活を過ごせるまでに回復するにいたりました。

市内の山側集落栢野(かやの)町にある菅原神社。境内には4本の巨木杉があり、右の二又杉は樹齢2300年ほどだそうです。5年前に健康診断を受けましたが、いたって健康と診断されました。近づくにつれ神聖なプラーナを感じます。

師やマハーヨーギー・ミッションとご縁いただいていることは何という幸せかと思います。家庭やその他に難があっても克服へ向けて愛情深く力強くご助言いただける存在がある。
またパラマハンサやブログでは聖者だけが語れる真実を伺う機会に恵まれるとともに、そこへ向けて突き抜けてゆこうとするグルバイ(兄弟姉妹弟子)の情熱的なサーダナ(修練)の様子を知ることが出来ます。
石川県に住んでいるのでコロナ禍以前はアーサナクラスに参加出来る機会が限られていましたが、オンラインで開講となり毎週参加させていただけるようになりました。毎回全身にプラーナが行き渡るのを実感し、特に月曜日受講ですので一週間の活力源とさせていただいています。

昨年冬のオンラインでの親睦交流会を機にグルバイ4名で『マユーラ(孔雀)の会』を立ち上げました。孔雀が毒をも解毒して食べてしまうようにそれぞれの無知をミーティングを通じて浄化しあい、理想と目的意識を各自もって象徴とするところのクリシュナの境地に向かってゆこうと月1で開催しています。
直接グルバイと話す機会が中々無い私にとってこのような会に参加させていただけることは大きな喜びであり、また意識を持って日常を過ごす糧にもなっています。

マユーラの会の一場面(2021.1.23)

また先日は『フォカッチャの会』にも参加させていただきました。折しもブラザー・ローレンスについてのブログが掲載され感銘を受けた後でした。全てを神への礼拝として行為し、至福の境地を生きられた聖者に目標とすべき姿を見たような気がして、フォカッチャをいただきながらのトークも楽しい中にも色々と感化されることが多く、『マユーラの会』でも毎回思うのですが、目的を同じくするグルバイの存在の有難さをあらためて感じました。

そして何よりも揺るぎない存在を実現されたお方を知って、そのお方が常に見守って下さっているということがどんなに心強く有難いことかと思わずにはいられません。
コロナ禍のみならず世間に深刻な問題が渦巻く中も、ある意味安心感に包まれて日々過ごしてゆける。これほどの幸せはあるでしょうか。
数多の祝福にもかかわらず顔を出そうとする我欲を一刻も早く必要ないものだと納得させ、きちんと霊性の向上という形で感謝を表してゆけるよう精進に努めてまいります。

当地は『弁当忘れても傘忘れるな』といわれるほど雨の多い地域ですが、この日は快晴。 さんさんとおひさま降り注ぐ海岸にはたくさんのわかめ(手前の茶色の部分)が流れ着いていました。

オーム・タット・サット・オーム

竹下千佳


オンラインで「理想の聖者」について語らう!

6月に入りましたが、皆さま、いかがお過ごしですか?
こちら京都は緊急事態宣言が再々延長され、私の住む嵐山は観光客も少ない状況です。
そんな中ですが、5月は多くのグルバイ(仲間)とオンライン交流をしました!

「フォカッチャの会」では愛媛、金沢、和歌山、また台北のグルバイと楽しく有意義な時間を共有しました。

また、ニューヨーク・ミッションで行なわれている「Study In Practice (SIP)」にも3回続けて参加させていただきました。

「学ぶことを学ぶ」がテーマのSIPは、余談なしの真剣な勉強会で、終始ヨーガの話が展開されます。
「ヨーガは知識ではなく実践、そして体得」
そう師は教えられますが、「どうしたら知識ではない学びができるのか?」「自分の偏った考えに陥らずに学べるのか?」「どのようにヨーガの教えを日常に結び付けられるのか?」といったことを話していきます。
会に参加する中で、私自身改めて感じたのは、やはり「学ぶ」には「理想の存在」が必要不可欠だということです。
「こうなりたい」「こう生きたい」「こうすればいいんだ」という気付きや道標が、理想の存在を見つけることでより明確になるーー
つまり、理想の存在を持つことで、学び、見倣うことがより実際的になされ、修行者の大いなる助けになると思ったのです。

SIPに参加した数日後、フォカッチャの会のヨーガ・トークスの時間には、皆さんと理想について話をしました。

参加したグルバイたちは、それぞれ理想の聖者をもっておられ、そこに近づく努力をされていました。
以下、要約したものをご紹介します!

神に対してひたむきで真っすぐなスワーミー・アドブターナンダが大好きで理想としていますが、私は以前、人間関係に悩み、部屋で声を押し殺してよく泣いていました。そんな時、アドブターナンダのエピソードを読みました。「人気のないところに行き、泣いて神に祈らなければならない。その時に初めて、彼はご自身をお示しくださるだろう」というシュリー・ラーマクリシュナの教えを実践していたこと、「彼はこの世の何事にも頓着せず、人生の唯一つの関心ごとは師にどのように忠実にお仕えするかということだった」、これらに衝撃を受けました。「私は自分のことばかり考えて自分のために泣いている。こんなばかばかしいことは、もうしたくない!神を求めて泣きたい!神に対して誠実に真摯に生きたアドブターナンダのようになりたい!」苦しい時だったからこそ、真逆の生き方をしていたことに気付き、より深く心に響き、理想に生きたいと心底思うことができました。

・昔から闘う女性に憧れている自分がいて、その性質を棄てるのではなく、ある時から生かそうと思い、闘う女性の究極に女神カーリーを見出しました。また理想の聖者は、煉瓦に頭をぶつけるぐらい狂っているナーグ・マハーシャヤ、それしかないと思っています。

・以前、理想(の聖者)を決めかねていた時、先輩弟子から「気楽に決めていいよ」とアドヴァイスをもらいました。理想って気楽に決めてええの?と戸惑いつつ再考……スワーミー・プレーマーナンダの伝記の一節「彼は骨の髄まで清らかだった」に触れた時、「私には無理だ」とすぐに自分でもびっくりするほどの拒否反応が出た事を思い出しました。そして、なぜそれほどまでに拒否したのだろうとその原因を探っていく中で、逆に清らかさに憧れをもっている自分に気付き、プレーマーナンダを理想としました。彼に近づきたいけれど近づけない。壁を感じていたのですが、つい最近、どうにかしたいと七転八倒していると、「プレーマーナンダ」という「名前と姿」を超えた言葉では表せない『何か』が理想であり、更にその先に師のヨギさんがおられるのを感じました。
プレーマーナンダの言葉、「まずはじめに全身全霊でひるむことなく誠実であるように試みることだ。過去、現在、未来におけるいかなる時も、真理は必ず勝利する」が大好きです。

・最近、ブラザー・ローレンスの『敬虔な生涯』を読んで、とても感銘を受けました。この人生を彼のように神への礼拝に生きたいです!

理想について話すのは、本当にいいですね。
とってもポジティブになれます!!

最後に、私の理想の聖者スワーミー・ヴィヴェーカーナンダの最高に力強い言葉を紹介させていただきます。

皆さん自身の心にむかって、「私は彼である、私は彼である」とおっしゃい。歌のように、それを昼夜、心の中に響かせなさい。そして死の時には、「私は彼である」と宣言しなさい。それが真理です。世界の無限の力は皆さんのものです。皆さんの心を覆っている迷信を追い払いなさい。勇敢になろうではありませんか。真理を知り、真理を実践せよ。ゴールは遠いかもしれない、しかし目覚め、立ち上がり、ゴールに達するまで止まるな!

今こそ、内面へのヨーガを深める時ーー理想を見つけ、学び、近づき、一つになる時だと感じます!!

誰かが間違ったボタンを押したら、こんな画面になりました。

ゴーパーラ


2021 T-SHIRTS PHOTO GALLERY

新しいTシャツが出来上がりましたーーー!!!
ヨーガ・サーラ・スタジオに引き続き、今回はヨーギー&ヨーギニーたちの着こなしと、歓びいっぱいの様子を写真でお届けします!

MAHAYOGI MISSION 45th Tshirtsとってもキレイな色で心も晴れやかになりますー!”
“素敵なデザインでとても気に入っています(^^) 今年の夏はたくさん着たいと思います〜”
“デザインが格好いいのは当たり前ですけれども、着心地もとてもいいです!”
“ヨギさんのデザインは洗練されていて、非の打ち所がなく、全く飽きがこない、最高です! それはまるで神がこの美しい宇宙をデザインされたかのよう”

MAHAYOGI MISSION 45th Tshirts“今日のスタイルにピッタリなので着てきました! 白、お気に入り!!”(会社の廊下にて)
“胸の中で光り輝いているアートマンを、ヨギさんが私たちにも見える形としてデザインしてくださり、Tシャツを着れば、同じ位置に確かにアートマンがあるのだということを感じることができて、うれしくなります。もっともっと近づきたいなという気持ちになります”
“大変きれいなTシャツですね。嬉しいことにうちの娘の胸にもヨギがおられます”
” 金色に輝くヨーギーと共に、サーダナ(修練)がんばります”

MAHAYOGI MISSION 45th Tshirts

Tシャツ

街の中や自然の中、職場やオンラインなど、さまざまなシーンで活用されているようですね!

*  * *

台湾ブログ
Tシャツを着たみんなの写真がアップされています!ぜひご覧ください。

Tシャツ販売中!!
マハーヨーギー・ミッション45周年記念Tシャツは予約販売を行ないましたが、若干在庫もあります。ご希望の方はお早めに!

 

 


フォカッチャの会は『Automatic(オートマチック)』

ゴールデンウィークですが、どこにも行けないですね。。
でも暗くなっていても仕方がないので、今回のブログは「ポップ」にいきたいと思います〜☘

最近、宇多田ヒカルの『Automatic』という曲を思い出しました。
私が中学生の頃、流行った曲です💿
特に好きな曲でもなかったのですが、あることがきっかけでその心に眠っていた曲の再生ボタンが押されました。
「心のサンスカーラ(潜在的な残存印象)が克服されていないのでは?」と指摘されたら本当に何も言えないのですが……😓、以下その経緯を説明させていただきます。

3月のブログで紹介された「フォカッチャの会」ですが、一応私は主催者でありまして、4月は要望も多く、2週連続で開催させていただきました。
このフォカッチャの会は、オンラインでの宿泊・交流会で、以下のプログラムで行なっています。

🌃土曜の夜:フォカッチャ生地の仕込み(15分)&ヨーガトークス
🌅日曜の朝:瞑想(45分)&フォカッチャ焼き(30分)&朝食・ヨーガトークス

私自身、当初はオンラインというツールには抵抗があり、巷で「オンライン飲み会」というものが出てきた時には、「そこまでして、誰かとお酒飲みたいか?」と思っていました。
しかし、このフォカッチャの会でオンライン交流してみると、師が毎日好んで召し上がっているフォカッチャを皆で作り、いただき、そしてヨーガについて語らうーー「これ、こんなに楽しくていいの?」と思うほど、毎回笑いの絶えない楽しい会になっています。

また朝の瞑想もオンラインで皆でする方が集中感が増し、清々しい気持ちになれます。
前回参加した松山のグルバイ(仲間)の方からは、「オンラインの特徴として、ヨーガが自分の生活に入り込む感じがいい」という感想をいただきました。
確かに、私自身もそうだと思いました。
コロナ禍でグルバイとなかなか交流できない日常生活にヨーガのプラーナが入り込んで、その集中や喜びに満たされるーー
オンライン上ですが、グルバイと密な時間を過ごすことで、「自動的にヨーガの状態になる」という感覚がありました。
それを思った時、自動的➡︎オートマチック、はい、それで宇多田ヒカルの『Automatic』が流れ出しました。
そして断片的ですが「君とパラダイスにいるみたい♪」という歌詞が出てきました。

「なんや、そのオチは!」と言われたら、「私は関西人ではないので」と言わせていただきます✋

話を戻します↩️、師は「フォカッチャはただ単純に美味しい」とおっしゃられているそうです。
そのようにフォカッチャを単純に美味しいから毎日いただくように、いつもただ「神だけを愛する」ことができたら、心は自動的にパラダイスになると思いました🏖

美味しいフォカッチャもいただけ、親交(神交)も深められるフォカッチャの会の参加申し込み、ぜひお待ちしております🙋‍♂️

ゴーパーラ


45th記念 NEW! Tシャツができました!!!

春の祝祭の歓びの余韻が続く中・・・とっても嬉しいお知らせです!
「待っていました〜!」という方もたくさんおられると聞いていますが、マハーヨーギー・ミッション設立45周年を記念したオリジナルTシャツの注文の受付をスタートしました!

 Tシャツには、マハーヨーギー・ヨーガ・アーシュラマが開設された当時(1976年)作られた看板(写真はこちらの記事に掲載しています)に、師が手描きされたヨーギーのシルエットそのものがデザインされています!!!
ゴールドのシンボルに、Mahayogi Missionのスクリプト系の白のフォントが美しくレイアウトされ、シンプルでとっても格好いい!大人っぽいTシャツに仕上がっています!

ヨーギーのシンボルは、私たちの本当の自己であるアートマン、そしてヨーガの守護神シヴァを象徴するものでもあります。着てみると、ちょうど胸の中央に黄金色に光り輝くアートマンが―—!!!
私たちの中に真実が在る!ということを常に思い起こさせてくれるTシャツになっていると思います!

 今回はなんといっても、カラーヴァリエが豊富! 半袖は全21色です! 使いやすいベーシックカラーから、夏の日差しに映えそうなヴィヴィットなカラー、そしてやさしい雰囲気のニュアンスカラーもあり!で、どれも素敵な色合いなので選ぶのも本当に迷います!

Tシャツ

左からライトグリーン、アクア、ライム。並ぶとグラデーションがきれい〜!

サイズは半袖のほうがユニセックス、レディース、キッズと3種類。女性がユニセックスをオーバーサイズっぽく着るのもいいですね!
また女性用には人気のドルマンスリーブも作りました! 薄手の素材でさらりと、ゆったり着れるので、夏場はとても涼しいし、なんといってもかたちがお洒落で可愛いです!

そして、喜ばしいことに、松山のヨーガ・サーラ・スタジオも全色同時発売されます!
レディースの七分袖は今回は松山だけですよ〜!

スタッフの4人。左からコーラルオレンジ(ユニセックス)、ショッキングピンク(七分袖)ミント(レディース)、ケリーグリーン(七分袖)。

Tシャツのデザインは、師が一昨年ニューヨークにご出発される前から取り掛かってくださっていて、変更や微調整を重ねながら今春、仕上がったものです! カラーの選択も本当に吟味してくださいました。
デザインワークスにご尽力くださった師に心から感謝いたします。

Tシャツのサイズ、カラーのラインアップ、ご注文についてはこちらをご覧ください。
受付締め切りは4/24。ご注文お待ちしております〜〜〜!!!
https://www.mahayogi.org/other/2021mymt-shirts

マードゥリー 


神のかくれんぼ

「もういいかい?」「まーだだよ」

私は小さい頃、ときどきですが、『かくれんぼ』をして遊んでいました。
鬼になった人が目をふさぎ、「もういいよ」の声で、隠れん坊を探し出す遊びです。
今の子供たちもしているのでしょうか👀?

今回のブログは、『神のかくれんぼ』についての物語をご紹介させていただきます。

あるとき、裕福な商人が商用で旅に出た。
実業家に変装した泥棒が彼の道連れになり、チャンスがあり次第、彼からお金を盗もうと狙っていた。
毎朝、彼らが泊まっていた行きずりの宿屋を出る前に、商人は決まって明けっ広げに彼のお金を数えてからポケットに入れた。
そして夜になると商人は、見たところ怪しむ様子もなく眠りについた。
商人が眠っている間に、泥棒はいつも必死に商人の持ち物すべてを調べるのだが、お金を見つけることはできなかった。
失望に終わる宝探しの夜を何度か味わった泥棒は、結局諦めて彼の本当の意図を商人に白状した。
そして、どうしてそんなに上手くお金を隠せたのかを教えてもらうように懇願した。
すると商人は、何気なく答えた。
「私は、最初からあなたの企みを知っていました。ですから毎晩、あなたの枕の下にお金を置いたのです。あなたが決して見ようとしない、唯一の場所がそこだと十分承知していたので、私は安心して眠れました」

泥棒(心)は外の世界に財宝があると思って探し求めます。
しかし、至高の財宝(神・真実)は泥棒が決して見ようとしない唯一の場所、心の内奥に神ご自身が隠されたという、何ともトリッキーな神のお遊びをこの物語は隠喩しています。

私はこの物語を読んだ時、「今、ここに、この瞬間に、神(真実)は在る!」そう思い、ハッとさせられ、心の内側に意識がグッと引き戻されたのでしたーー

「もういいかい?」「もういいよ」

私、大人になっても、かくれんぼやってるなと感じます。

心は目隠しされた鬼ーー
「もういいよ」の神の呼び声で心の目を開いて瞑想し、神を探求しているのだと思いました👹💨

そして、「みーつけた!」と言って笑いたいです、無邪気な子供のように😄

愛するクリシュナが突然お隠れになり、クリシュナを探し求めるゴーピーたち。 再び彼女たちの前に顕れたクリシュナは、次の弁明をします。 「手に入れた財が失われたとき、財をなくしたその人は、それのことばかり考えて、他のことは気にもとめないように、それと同じように、女たちよ、私のために世の常識も、ヴェーダの規定も、自分の身内も、放擲し去ったあなた方を、私に信順させるために、私は眼に見えぬ姿をとって、密かに隠れてしまったのだ」

ゴーパーラ


フォカッチャの会

先日、京都と松山の数名でオンラインでの勉強会をしました。私は松山に住んでいますが、京都へ通うことができていた時には、毎月先輩グルバイが住む庵に滞在させていただいていました。その時に過ごした時間のように、気軽にヨーガの疑問を聞いたり、皆で師に思いを寄せて語り合ったりできるような交流を、ということで、先輩方が実現してくださったのです。私たちはこの勉強会を「フォカッチャの会」と呼んでいます。なぜこのようなネーミングなのかは後ほど触れるとして、まずはその様子をご報告したいと思います!

日ごろ感じていた些細な疑問を先輩にたくさんお聞きしたのですが、中でも強く印象に残っているものがあります。質問したのは、<日常生活で何を大切にしているか>ということです。
私は食材などの買い物をする時に、同じものを買えるならできるだけ安く買いたいという思いを持っていました。少し遠いお店へ行けば安く買えるけれど、時間がなくて近いお店で高く買った場合、「時間がかかっても睡眠時間を減らせば遠くのお店へ行けたのに、ベストを尽くしていないのではないか」といったことを考えてしまっていました。
ベストを尽くすことは大切だけれど、この場合<安く買うこと>に執らわれているようにも感じていて、先輩たちは普段どのようなことを大切にして日常生活を送っているのかを尋ねました。

この質問に対して先輩は、八正道 の中の『正命』について話してくださいました。以前先輩は師に、「正命とは生活を整えることですか?」と質問されたそうです。師は力強い口調で、
「正命とは生活を整えるとか、そんなこと小さなことではない。どう生きるかということだ 」
と教えてくださったそうです。そのお話を聞いて私は、「ヨーガを中心に生きたい」と思いました。今の私にはアーサナ、瞑想、聖典の学習が必須です。その時間を確保し、かつ疲れて集中できないといった事態は避けたい。ではそのためにはどうすることがベストなのかと考えれば、答えは自然と出てきます。
(※ここで言う『どう生きるか』ということは理想と同義です。私は咄嗟に『ヨーガを中心に生きたい』と感じたためそのままお伝えしましたが、もっと考えれば、理想を掲げ、それを実現するためにはどう生活するのか、と落とし込んでいくことになると思います。)

加えて、思いを残さないということも教えてくださいました。こう、と決めて行動したなら、思いを残さない。例えば、日々の料理は大切だと教えられていますが、「今日は時間が限られているから、料理は簡単なもので済ませよう」という日があってもいい。もしそう決めたら、それ以上料理のことについては思わない。当たり前のようですが、ベストを尽くせているのか?と悶々と考えていた私にとってはとてもクリアな答えでした 。

実は、この勉強会は二日間にわたって行われました。このようなやり取りに加えて、一日目の夜にフォカッチャ(イタリア発祥の平たいパン)の生地を仕込み、二日目の朝には瞑想会をした後、仕込んでいた生地を焼いて朝食を共にするという何とも贅沢なプログラムだったのです!!ここでフォカッチャの登場です!最近、師が好んで召し上がられているフォカッチャのレシピを、一緒にお住まいのシャーンティマイーさんが先輩に伝授され、それをさらに私たちが教えていただいたのでした。このフォカッチャは簡単に作ることができるのに、とっても美味しいんです。何より、師を思いながら同じものをいただき、味わえる歓びを毎日感じることができます。


そのフォカッチャのレシピをブログにも掲載させていただけるということで、ご紹介いたします!

<材料>
(A)強力粉 200~240g
(A)ドライイースト 小さじ1
(A)砂糖 小さじ1
(A)塩 小さじ1/4
(A)ぬるま湯(40度くらい) 200ml
(A)オリーヴオイル 大さじ1
オリーヴの実・乾燥バジル 適量
岩塩 少々

1.(A)を大きめのタッパーに入れて混ぜ、ひとかたまりにして冷蔵庫で一晩寝かす
2.翌朝タッパーを冷蔵庫から出し、常温で30分~1時間ほど放置
3.バットのようなものにクッキングシートを敷き、生地を平らに広げる
4.種を除いてスライスしたオリーヴを表面に押し込み、乾燥バジルとオリーヴオイル(分量外)、岩塩を全体に馴染ませ、フォークで生地を何か所か刺す
5.オーブンまたは魚焼きグリルで加熱
 加熱の目安…オーブンなら220度で予熱後、15分程度焼く。魚焼きグリルなら始めはアルミホイルをかぶせるなどした後、焼き色がつくまで焼く。
※ご家庭の調理器具によって分量や加熱方法などは微調整していただければと思います。
6.食べる前に好みでオリーヴオイルをかける

二日間の交流を終えた後は、まるで京都から帰ってきた時のようなすがすがしい気持ちで一日を過ごすことができました。シッディ(ヨーガの修練の副産物として現れる超自然力)を使って同時に二か所に姿を現した聖者がいましたが、私たちはオンラインという現代のテクノロジーを利用して、離れていても空間を超えることができます。 そして、グルバイとの交流によって前に進む力を与えていただいているということ、それは何にも代えがたいほど力強いということを、あらためて実感しました。
このような機会を与えてくださった先輩方、そしてすべてを導いてくださっている師への感謝を胸に、今日も理想を見つめて生活しています。

3月に入って行なわれた第3回目のフォカッチャの会。この日は東京のグルバイの方も参加されました! (写真のフォカッチャはオーリブの実がなかったので、ブルーチーズと粉チーズで代用しています)

大森みさと


シヴァと三日月🌙

ヨーガの第一修行者であり、グル(師)であり、守護神であられるシヴァーー
シヴァはヨーギー(ヨーガ行者)にとって憧れの存在です。


大学生の頃、インドを旅行していた時からシヴァを目にしていて、「シヴァ、カッコいいな〜!」と思っていました。
でも意外と知らないことも多く、

「シヴァの頭に付いている三日月は何なのか?」

とグルバイ(ヨーガの仲間)とオンラインで話している中で話題に上がり、「うーん…」となり、調べることに。
ネットや書籍で調べるのはどうかと思い、いちばん信頼のおける師シュリー・マハーヨーギーのシヴァと三日月について説かれた教えを兄弟子から教えていただきましたので、以下たっぷりとご紹介させていただきます!

「三日月そのものはーーナンディーという牛がいるでしょう、ナンディーのシンボルなの。ナンディーは牛で、シヴァの本当に親しい仲間ですけれど、やっぱりアジア――インド、日本もそうだけれども、農耕民族に牛というのは欠かせないものですし、その欠かせない牛を使って農業、作物を恵みとしていただいてきたわけです。そこに必要なのは雨ですよね、雨。あまりに降り過ぎるとそれこそ山崩れになるから、度が過ぎるとだめだけれども、やっぱり水が不可欠です。その水というのは、もちろん天から降りてくるわけだし、シヴァは暴風雨の神として――前身はルドラーという神であったということも言われているしーーそういう土着的なシンボルとして神格化されているのがこのルドラーでありシヴァであり、またナンディーもそういうふうにして神格化されている。だからシヴァが三日月を戴いているというのは、やっぱりそこにその重要性を象徴しているんじゃないかと思います。
もちろんアムリタとも関係をしていて、アムリタというのは直訳すれば不死ということです。これが霊的な甘露という味わいを指すことにもなっていくのですけれども、この自然界を見てみれば、朝に草木に夜露がくっ付いているのが見られますよね。あれは天から降りてきたアムリタというふうに理解されるわけです。夜の間に、月の時間の中においてアムリタが滴り落ちている。だからシヴァも、月というナンディーを象徴する三日月というのは、夜の象徴なんです」

ーーシュリー・マハーヨーギー

なんとシヴァの三日月は傍にいるナンディー(牛)の象徴であり、それは農業や雨、夜露(アムリタ)と密接に関係していることを意味していたのですね!

ではなぜ、形が半月や満月ではなく、三日月なのでしょうか?
その意味も師はお答えになっていました。

「シヴァの三日月は月を表していますけれどもーー月も本来は丸なんですけれどもね、三日月で表されていることの意味は、月の満ち欠けという活動性。よくインドの代表的な三神を創造、維持、破壊というふうに呼ばれることがあります。ヴィシュヌは維持を司り、シヴァが破壊を司る。破壊は破壊で終わるわけではなく、そこには再生という意味がもたされていますから、ここでも命のダイナミックな活動性が見えています。月もそのように、同じように理解できると思います。だから、シヴァの三日月は自然界における変化のあるダイナミックな活動性、そして死と再生、そういうものも象徴的に描かれている。それが三日月という形になっているということです」

ーーシュリー・マハーヨーギー

三日月の形は、月の満ち欠けという活動性を表していて、それは死と再生のシヴァのダイナミックな性質を象徴しているということーー
なるほど、謎が解けました!

この他にも師は、毎年作っているマハーヨーギー・ミッションのカレンダーに満月と新月の印があることーー月の暦の太陰暦にも言及されていました。

「最近は、なかなか夜空を見上げるという機会はめっきり減りましたよね。だから、今夜の月の形がどんなのかというのは知らないままに、一年一年が過ぎ去っていっているような気がします。でも自然界の働きというのは、太陽より、むしろ月の満ち欠けによって運行している。例えば、潮の満ち引きであるとか、作物の成長であるとか、あるいは四季折々の自然の命であるとか。そういうものを少し思い起こすことができたらということと、現代私たちが使っているカレンダーというのは太陽暦ですけれども、その昔は太陰暦といって、月の満ち欠けによる暦、カレンダーを使っていたそうで、いまだにアジアの地域ではそういうものも併用して使っていることが多いです。太陽と同じぐらいに月の神秘性というか、その存在というものも時には思い出して、美しい月を眺めることができたらといったヒントにもなればと思いまして、満月と新月を入れているんです。
ヨーガをやっていれば、シヴァ神の髪のところ、あるいは額に三日月が描かれているのをよく見つけていると思うのですけれど、あれはシヴァという神格がこの自然というものに深くかかわっている――月というのはシャクティ(根元力・女神)ですよね――それと一体になっているという象徴が込められています」

ーーシュリー・マハーヨーギー

月の満ち欠けが潮の満ち引きなどの自然界の働きに影響しているということは知ってはいたのですが、こうやってしっかりと教えていただくと納得というか、月はシャクティー(自然・女神)の象徴でもあるということで、もう唸るしかできないシュリー・マハーヨーギーのシヴァと月についての教えです。
これら師の象徴を読み解く深遠な力に、私自身はシヴァの如き瞑想力を感じずにはいられませんでした。

リシケーシュのシヴァ像

ちょっと余談になりますが、私は約4カ月前から職場のある嵐山に引っ越しました。
昨年までの6年間くらいは北野天満宮近くにあった自宅から嵐山まで、テレビでよく映る渡月橋を渡って自転車通勤していました。
嵐山は洪水や河川の氾濫が数年前にあるなど、水害も多い地域です。
嵐山近くのだいたい車折神社辺りになると急に雨が降ってきたり、スコールのような凄まじい大雨と雷に襲われたこともあり、山と川が隣接している地形から雲が発生しやすく、大雨や嵐に見舞われることが多い場所なのかなと感じていました。
ただその反面、嵐山は本当に自然豊かな表情を見せてくれる景勝地でもあります。
はもちろんのこと、新緑もきれいですし、秋の夕暮れも美しい。
渡月橋に奇跡のような虹のアーチがかかっていたこともありました。
大雨の後は川の流れる音が「オーム」に聞こえるほどダイナミックな流れになり、心が一瞬にしてその轟音に奪われる体験もありました。
そして夜は、「渡月橋」という名が示すように、橋から見える月が本当にきれいなのです。

嵐山を南に下がった松尾大社のすぐそばには、古くから月の神様を祀る月読神社というものもありますし、遥か昔からここに住んでいた人たちは月への感謝の念を感じていたのだろうと想起させます。
月、雨、雷、川、山という自然のダイナミックな運行が凝縮されている嵐山ーー日本でシヴァを感じられるスポットなのでは👀、と私は思います!

 

過去のブログにはシヴァのことを紹介しているブログがいくつかあります。
久しぶりに読むと、とても面白かったです!!
皆さまもぜひ読み返してみてください。

「シヴァ神」
「神と魂を結ぶ愛の歌ーーキールタン」
「不滅なる主ーーキールタンの味わい」
「ブラヨーヘイ」vol.7 北野天満宮編

リシケーシュのシヴァとガンジス河

 

ゴーパーラ


『あるヨギの自叙伝』を読んで(8)ーーマハートマー・ガンディー

マハートマー・ガンディー
イギリス植民地支配からの独立を非暴力運動で勝ち取り、「インド独立の父」と称される彼の名を、誰もが一度は聞いたことがあると思います。

「剣を取るものは剣で滅びる」ーーこの聖書の格言が『あるヨギの自叙伝』のガンディーの章で引用されていますが、ガンディーは武器を取らず、掴んだのはインドの聖賢たちが太古より発見し培ってきた「偉大な叡智」非暴力でした。
ガンディーが生きた2度の世界大戦のあった激動の20世紀インドにおいて、イギリスの圧政・暴力は想像を越える厳しさだったと思います。
その過酷な状況下において、非暴力を実行に移すことは容易でなかったにもかかわらず、なぜガンディーはそれを貫き通せたのでしょうか?

今回『あるヨギの自叙伝』を読み返すと、ガンディーの揺るぎない非暴力の信念・信仰の根底には「ヨーガの教えと日々の実践」があったことがはっきりと分かりました。
『あるヨギの自叙伝』には、1935年にガンディーとその信奉者の住むアーシュラマにヨーガーナンダが数日間滞在したことが記されています。
そこではガンディーがヨーガを実践していたとは明記されていませんが、ガンディーの熱心な信奉者たちが立てたサティヤグラハ(真理を順法する)の11の誓いが紹介されており、それを読むと最初の5つがヨーガの基礎を成すヤマ(禁戒)そのものであることは明らかです。

「暴力を用いぬこと、真理に従うこと、盗みをせぬこと、禁欲を守ること、何物も所有せぬこと、労働をいとわぬこと、嗜好品をつつしむこと、何物をも恐れぬこと、いかなる宗教をも平等に尊敬すること、スワデーシ(自家製品または国産品)を用いること、非賎民を解放することーーこれら11か条の誓いを、謙譲の精神をもって守ること」

ヤマの教えを基本に、残りの6つの条項が加えられ、ガンディーとその信奉者たちが日々この教えを実践しているのでした。
アーシュラマでのガンディーの暮らしは至極シンプルです。
常に下帯一枚しか身に付けていない衣服、味覚と密接に関わっている性エネルギーの禁欲を実行に移すために嗜好品を排した菜食の食生活、また宿泊したヨーガーナンダの部屋は最小限度の手作りのロープ製のベッドが一つ置いてあるだけーーしかし、窓の外からは保護している牛の鳴き声や鳥のさえずりという牧歌的な豊かな自然の響きが調べを奏でていたことが記されています。
ヨーガーナンダ自身、「至るところに現れているガンジーの徹底した質素と自己犠牲の精神に心を打たれた」と述べているほどです。

「もし真の政治家になりたいのならガンディーを見よ」

現代の日本の老獪な政治家に対して私はそう言いたい。
国民に自粛を要請している中での高級クラブ訪問やステーキ会食、また女性蔑視発言などガンディーには無縁であります。

ガンディー(右)とヨーガーナンダ(左)。

余談はさておき、ガンジーはヨーガの実践によって自らを律し、真実という愛をインドの民衆、とりわけパリヤ(不可触民)に分け与え、カースト差別撤廃と宗教間の壁も取り払い、インド国民のみならずすべての人を平等に見ていました。
そんな母国とすべての人を愛したガンディーですが、その彼に多大なる影響を与えたのが真正のヨーギーであったスワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)です。
ヴィヴェーカーナンダはインド放浪中、イギリスの支配により自信を喪失し怠惰に陥っていた民衆とその貧困の惨状に胸が張り裂け、インドに必要なのは「宗教でなくパンだ」と言い、西洋の物質科学を自国に持ち帰るべく海を渡り、西洋世界にはインドが古来より培ってきた真実の叡智を与え、インドのみならず世界をヨーガによって救おうと行動し、人類への奉仕に身を捧げました。
さらに、すべての宗教の平等ーー「それに至る道はさまざまだが、真実は一つ」という宣言を大胆にもキリスト教優位の西洋世界で臆することなく高らかに叫びました。
ガンディーはヴィヴェーカーナンダのすべての著作を読んだ後、「私の祖国に対する愛が何千倍も深くなった」と語っているほどヴィヴェーカーナンダから大きなインスパイアを受けています。

そしてこのインドの英雄ヴィヴェーカーナンダを生み出したのが、とりもなおさず彼の最愛の師シュリー・ラーマクリシュナでありました。
ヴィヴェーカーナンダは師を「ブラーミンの中のブラーミン」と讃え、自らが最上カーストのブラーミンであるという奢りを拭い去るために、夜中にこっそりとパリヤの家に忍び込み、自らの長い髪でトイレ掃除をしていたシュリー・ラーマクリシュナのその謙虚な生き様を「真似したい」「私のヒーロー」とまで言っています。

「もし神を実現したいのなら、謙虚な掃除人であれ!」

この言葉は政治家ではなく、自らに言いたい。
シュリー・ラーマクリシュナのこのトイレ掃除の驚愕のエピソードは、謙りの極みだと痛感します。
そしてまたガンディーのサティヤグラヒスの誓いが「すべて謙譲の精神でもって守ること」と記されているように、何を行なうにも謙虚さが最も大切であると教えてくれます。
『あるヨギの自叙伝』には、ガンディーは毎朝4時に起床し、神に祈りを捧げていたことが記されています。
以下、ガンディーの祈りと謙譲についての言葉です。

「祈りはわれわれに、もし神の支えがなかったらわれわれは全く無力である、ということを思い出させてくれる。どんなに努力しても、もし祈りを怠ったら、もし自分の背後にある神の恵みなしにはどんな努力も役に立たぬという明確な認識を忘れたら、その努力は完全とは言えない。祈りは謙譲への呼びかけであり、また、自己純化や内的探求の呼びかけである」

インド独立は、真理・神への不屈の信仰と謙譲の精神の持ち主であったガンディーの大いなるリーダーシップにより成し遂げられました。
そのガンディーの偉大な思想・働きは日々のヨーガの実践とヴィヴェーカーナンダの強力なインスパイアリング、そしてヴィヴェーカーナンダを育てたシュリー・ラーマクリシュナの存在によって生み出されたと言っても過言ではないと思います。
マハートマー・ガンディーの「マハートマー」とは「偉大な魂」という称号で、民衆が進んで彼に捧げたものであるそうです。
ガンディーという偉大な魂は、ヴィヴェーカーナンダとシュリー・ラーマクリシュナから受け継いだ魂であったのだと私は感じます!!!

最後に一言、ガンディーがヨーガを実践していたことは『あるヨギの自叙伝』を読んで再確認しましたが、私がそのことを初めて知ったのは、わが師シュリー・マハーヨーギーからであります。
またヨーガーナンダが1952年にロスアンゼルスでインド大使ビナイ・セン氏のために開いた晩餐会で演説した後にマハー・サマーディに入ったのは、「インド独立を見届けたから」という大変深い意味があってのことで、そのことも師から教えていただきました。

1998年10月のマハーヨーギー・ミッションのカレンダー。

※マハートマー・ガンディー
(1869年10月2日ー1948年1月30日)
イギリスで教育を受け弁護士となって赴任した南アフリカで、彼は人種差別を受ける。傷心の彼が故国で発見したものは聖賢の偉大な叡智だった。彼はそれまでの西洋思考や価値観、生活態度の全てを改め、ヨーガを実践する。その頃インドではイギリスからの独立運動が高まり、人々は彼をリーダーに推し上げた。彼が提唱したサティヤ・グラハ(真実と愛、あるいは非暴力から生まれる力)、スワデーシ(自力生産)、塩の行進等は民衆の心を動かしめ、遂にはインドを独立へと導いた。

ゴーパーラ