

今年の正月花はいろいろな種類の菊を選びました。
季節を問わず見かける菊ですが、冬の菊からは凛とした強さを感じます。
ハルシャニー


今年の正月花はいろいろな種類の菊を選びました。
季節を問わず見かける菊ですが、冬の菊からは凛とした強さを感じます。
ハルシャニー
今年も残すところあと3日ですね。
寒さも厳しいですが、皆様はこの年末をいかがお過ごしでしょうか?

京都御室 プレーマ・アーシュラマからの景色。薄っすらと雪化粧❄️
2021年は、マハーヨーギー・アーシュラマ開設45周年の記念すべき年でした。
しかしながらこの1年もコロナ禍が続き、サットサンガ(真理の集い)ができない厳しく苦しい状況でした。
そんな中、4月に春の祝祭・11月に師の御聖誕祭がオンラインで開催され、弟子一同、国や地域を越えて師シュリー・マーハーヨーギーの御前に集い、この記念すべき年の祝福と歓びを分かち合うことができました。
スクリーンに映し出された師の不動で柔和なお姿と発せられたお言葉、またそこで語られた弟子たちの力強い真理への誓願がこの1年、私たちのハートの灯火を絶やすことなく燃やし続けた大きな力となりました。
また発刊から24年の機関紙『パラマハンサ』は今年5月に紙媒体からWEBに変わり、スマホがあればどこでも真理の教えにアクセスできるものとなりました。
コロナ禍で気軽に人と会えない状況も重なり、インターネットが私たちの生活のツールとしてさらに普及し、時代の変化をより感じる年でもありました。
しかし時代や状況は変われど、変わらないものーー
それがサナータナ・ダルマ(永遠の真理)であり、アヴァターラ(神の化身)の存在です。
そして、それそのものであるグル(師)の存在は、私たちの生きる希望であり、歓びであります!!
45年の長きに渡り、どんな時もヨーギーとして在り続け、私たちをいつも陰ながら支え導いてくださっている師シュリー・マハーヨーギーに、この場を借りて改めて心より感謝を申し上げます。
そして来年も、私たちはどんな状況下でも決して諦めることなくヨーガを弛まず励んでいきたい次第であります!
最後になりましたが、今年1年ブログをお読みいただいた皆さま、本当にありがとうございました。
今年はなかなか会うことができない遠方のグルバイの声を届けることや、ブログ数を多く発信することを心掛けて行なっていきました。
来年は新しい企画やテーマなどを考えていますので、どうか来年もブログ「ヨーガを生きる」をお読みいただけたら幸いです。
それでは皆さま、どうか良いお年をお迎えください。
ジャイ!!!

ゴーパーラ
約2年ぶりのブラゴパーラです。
今回は中観音堂(有宝寺)・羽島円空資料館に行ってきました〜

ここは岐阜ですが、京都から新幹線で40分弱で行くことができ、日帰りで訪れました🚅
なぜ今回この地を訪れたかというと、数年前から私は円空という修行僧に関心を持っていて、この岐阜羽島は円空の生誕地とされているからです(諸説あり)。

「円空って誰👀?」と思う方も多いと思いますので、簡単に紹介させていただきます。
◾️江戸時代前期(1632-1695)の修行僧。
◾️若くして出家し、美濃(岐阜)を拠点に富士山や伊吹山、大峰山など修験道の聖地で修行を重ねる。
◾️12万体の造仏を誓願したと言われ、全国を遊行行脚し、寺社仏閣のみならず、民衆のために仏像造りを行なっていた。
◾️独特の彫りは円空仏(えんくうぶつ)と言われ、北は北海道、南は奈良、西は愛媛までその所在は及ぶ。
私はインターネットで円空仏を偶然発見した時、胸の奥深いところをドンッと叩かれるような衝撃を受けました。
運慶・快慶一派の仏像は精巧かつ立派で本当に素晴らしいのですが、かたやこの円空仏は「これが仏像⁉️」と思ったほど、とても素朴ーー
それ故に土偶や縄文土器のような、人間の原始・根源に訴えかけてくるような感覚を覚えたのです。

道中で出会った円空仏(複製)。
それで2年前の夏、隣県滋賀の三井寺に円空仏があると知り、拝観しました。
小さい円空仏でしたが、それらを背面から観た時、背中がスパッと割れていて、その一太刀の鋭さ・大胆さからは澄み切ったもの感じました。
また、合掌の形が指や腕などを描かずに角度を付けて彫っているだけで表現されているシンプルさにも驚かされました。

三井寺の善女竜王像。円熟期の五十五歳頃の作品のようです。
そして今回、羽島の地では新しく17体の円空仏と出会いました。
ここは三井寺にあったような荒彫りになる前の初期円空仏も安置されていました。
中観音堂のご本尊は十一面観音菩薩です。

この柔和な表情の観音様は手足が美しく繊細に彫られ、像全体がとても滑らか!
若き日の円空が仏様を大切に表そうとする真摯な思いが伝わってくるかのようで、私はとても嬉しい気持ちになりました。
現在、5000体以上の円空仏が全国で発見されています。
12万体の造仏をしたと伝えられる円空の偉業を私ヨーガ行者の観点から申しますと、アーサナ(ヨーガのポーズ・形)を12年間12ポーズ怠らずしても5万ポーズ、24年続けても10万ポーズ。
まだ円空には届きません。。😅

羽島円空資料館の小さな円空仏。 左から神像、金剛童子、稲荷大明神。「修行は厳しいよ〜」と嘲笑っているかのよう(特に金剛童子から)。
円空は仏師でもありますが、やはり根本は修行者です。
修験道を修しており、雨を降らせることもできたそうです。
造仏を中心にその並々ならぬエネルギーや霊的情熱を出世や名声のためではなく、民衆の救済に使った方だと強く感じます。
そして何より、その笑みを浮かべる円空仏からは、人が本来持っている仏性ーー根源の歓びを喚起させてくれます。
どの像も愛らしく、クスッと笑え、神仏をとても身近に感じられるのです。
機会があれば、また円空ゆかりの地を訪れたいと思います😎

中観音堂の鬼子母神と不動明王。カーリー&シヴァ!

そして可愛らしい聖徳太子像👶
ゴーパーラ
私の部屋の祭壇にはカーリー女神の神像があります。とあるきっかけで、先日その神像を初めて磨きました。真鍮製の像を専用の研磨剤と布を使って磨くのですが、これがまぁ驚くほどに汚れが落ちるんです。(どれだけほったらかしていたの…!)あっという間に布が真っ黒になっていきました。それでも一通り磨いたくらいでは汚れは落ち切らず、何度も何度も、お顔、胴、手、脚、土台、と細かい部分まで目を凝らしてきれいにしていきます。

そうして磨いていくうちに、今までカーリーのことを見ていたようで全然そうではなかったのだと気が付きました。瞳が真ん丸でキュートなこと、お鼻が立派なこと、後ろから見ると髪の毛の筋があること、足の爪もちゃんとあること。なんてかわいいんだろう!手で触れ、近くで見つめ、きれいになりますように、と磨いていくうちに、赤ん坊の世話をする母親のような気持ちになりました。宇宙の母であるカーリーに対して、私が母親のように感じるとはどういうこっちゃ?!と思いましたが、すべてを展開されたカーリーは、私が思う役割の枠になんて収まるはずがありません。今回の出来事で私は、カーリーによって、目の前の存在を大事に思い、愛おしむという気持ちを呼び起こしてもらったように思います。

きれいにしてからというもの、自然とカーリーに目を向ける回数が増え、眺めては胸の奥が愛おしい気持ちでいっぱいになるのを感じました。そして、カーリーだけでなくほかのすべての存在に対しても、同じような気持ちをもって接したいなぁと思うようになりました。大事に思う気持ちは、たとえまた薄れてしまったとしても、祭壇で変わらず輝くその姿を見つめていればきっと大丈夫なように思います。目の前の人、もの、すべての中にカーリーを見ることができれば、なんて素晴らしいだろう!そうなるために、私自身のハートもヨーガという研磨剤を使って根気よく磨き上げているところです。必ずきれいにできると信じています。なぜなら私の本質も、ピカピカに光ったカーリーと不異(同じ)だからです!

愛媛(今治)と広島(尾道)を繋ぐしまなみ海道です。秋晴れの中、穏やかな海と無限に広がる空がとても清々しく感じられました。
大森みさと
10月23日、待ちに待ったマハーヨーギー・ミッションのロングTシャツが届きました。写真はアーサナクラスの後にグルバイと撮影したものです。皆笑顔で喜びに満ちあふれていますね。

撮影時のみ、マスクを外しています。
この春夏と半袖Tシャツを着られた方も多いのではないでしょうか。私も師のヨギさんがデザインされた神聖なTシャツを着て、クラス、仕事、趣味の場など色々な所に出かけました。このTシャツを着る時はいつも心強い気持ちになりましたし、幸せな気持ちで一杯でした。
ある夏の日、職場でオレンジ色のTシャツを着ていて、「いい色ですね。よく似合いますね」と声をかけて頂き、話に花が咲きました。出張に出かけた先のホテルで何気なくTシャツを壁にかけると、夕方その部屋はアーシュラムの雰囲気になりました。クラスで皆同じTシャツを着てアーサナをした時の一体感と集中感は、まるでヨギさんの直伝クラスに出ているようでした。このTシャツにより、色々な出来事が起こりますが、それらは皆ヨギさんの恩寵だったと後で気付きました。ヨギさんはいつも、気付かぬうちに私達の人生に喜びを届けて下さり、痕跡を残さず出て行かれます。真のヨーギーの働きはこのような目に見えないものなのかもしれません。
私は研究を生業としており、そのメカニズムについて疑問を持つのがヴァーサナー(心の傾向・性質)となっています。なぜこのTシャツにはこのような効果があるのか。何か仕掛けがあるのではないかと思い、他のTシャツとも比較しながら、その性質を調べてみました。やはり胸の中心にあるアートマンのデザインに何かあるのではないかと思います。このシンボルを見ると胸の中に何かがグーっと入り込んで集中が高まる気がします。これをデザインされたヨギさんの大切なメッセージが込められているのではないかと思いました。
「本当の主人はその(心の)奥にあるアートマン、真実の自己、あるいは神なのです」
『ヨーガの福音』36ページ
という「アートマン/すべてはそれだけのために」の教えが自然と思い出されます。
この冬も胸のアートマンを意識しながら、アーサナ・瞑想を頑張りたいと思います。ロングTシャツの周りでどんなことが起こるのか楽しみです。

レン
自分が人生で一体何を求めているのか、どう生きたいのかを真剣に考えるということが、ヨーガをこの先も実践し続けていくためには大切なことだ、ということは分かっていましたが、確固たる答えを自分の内に見つけられずに探していました。
そんな時、誰もが実践できるヨーガ2021のオンラインクラスが始まりました。4月から9月までの半年間、サーナンダさんが日常の身近なテーマからヨーガの教えを一つ一つ分かりやすく説明してくださり、その教えを元に日々絶え間なく自分と向き合う、心を見つめて瞑想をするという実践をしていきました。初めは、心を見つめるということがどういうことか分からなくてうまくできませんでした。サーナンダさんに伺うと、「今まで心というものを知ろうとしてこなかったから、心自身は心がどういうものかを知らない。そういうものです。これからクラスでヨーガの教えを学び、学んだ教えを自分の心に当てはめて、じっと見つめていきながら心の働きを感じ取っていったらいいですよ」と優しく教えてくださり、自分の心がどう思っているのか、どういう反応をしているのかをじっと見つめる、ということに少しずつ慣れるようにしていきました。
そして、クラスの瞑想ではパソコンを付けたままで、クラスの仲間と一緒にそれぞれの部屋を暗くして行ないました。目を閉じると、まるでアーシュラマに来させていただいたような、ヨギさんがそこにいてくださるような感じがして、いつもより深く自分の中に潜ることができ、空間や時間を超えた歓びに包まれていました。サーナンダさんの講話を通して改めてヨギさんの存在の尊さや素晴らしさ、その意味を強く感じさせていただき、言葉では言い尽くせないほど感謝の気持ちでいっぱいになっていました。
たくさんの学びがあったクラスが終わり、部屋でゆっくり過ごしていたある日、突然「永遠の実存がほしい!」「永遠のもの以外ほしくない」「永遠でないものなんて、もうたくさん!」と、とても強い叫びと衝動が自分の魂の奥底から湧き起こり、「ガタガタ」と積み上げていたブロックが壊れるような音がし、しばらくの間涙が溢れ出て止まらず、呆然としていました。その後は、安堵感と爽快感で満たされました。今もなお、自分が人生で求めているものは永遠の存在であり、その実現のためにヨーガを実践していくんだ、という確固たる思いが、自分の胸の中にあり続けています。
クラスでの実践のおかげで、自分が探していた答えに気付くことができました。これからもマハーヨーギー・ミッションのクラスに積極的に参加し、永遠の存在の実現に向けて実践を続けていきたいです。
大文字山の頂上からの景色です。
ヨーガの実践の先にある素敵な景色を楽しめるように日々実践していきます!
桜井晃己 
先日、先輩グルバイに質問できる機会があり、「本当の優しさ」とは何なのかを伺いました。優しくするって、ニコニコ笑って何でも「いいよ、いいよ」と聞くこと? 利己的な思いを全く無くして接するということ? と小難しく考えてしまっていた私に対し先輩は、「もっと単純に、相手を大事にするということじゃないかな。大事で、愛しいがゆえに優しくする」と答えてくださいました。考えてどうにかしようとしていた私の根本に衝撃を与える言葉でした。さらに続けて、次の師の教えも話してくださいました。
「愛は優しさでしか表現できない」
師は本当に私たちひとりひとりのことを大事に思ってくださっていて、だから私たちがより良くなることだけを考えて、必要な教えを最も良い方法で授けてくださいます。時には穏やかに、時には厳しく。それはすべて師の優しさであり、愛の表れでしかありません。
以前、師は私に「人に優しくすること」という教えを授けてくださいました。(「本当の優しさ」について考えていたきっかけでもあります。)この教えも、私がより良くなるためだけに師が授けてくださったものです。
今回の出来事によって、師にあらためて「あなたの愛を表しなさい」と言われたように感じました。愛を表し、そのように生きる。教えを授けるということも、弟子を想う師の愛なのだと思うと胸がいっぱいになり、その教えを生きることで応えたいという強い意志が湧いてきます。

一斉に花を開いた彼岸花が赤い絨毯のようでした!松山市窪野町の窪寺閑室跡周辺の彼岸花です。ここは一遍上人が修行された場所だと伝わっています。
冒頭の先輩への質問の場(オンライン)には、他にもたくさんのグルバイがいて、私と同じように日常生活やヨーガの実践の中で湧いてきた疑問を質問していました。それに応える先輩の態度や言葉、すべてから、私たち後輩ひとりひとりのことを大事に思ってくださっていることが自然と伝わってきて、まさに、「愛は優しさでしか表現できない」という師の教えを生きている様を見せてくださっているかのようでした。
師や先輩の姿を見ていると、人に優しくするということは、何か特別なことをするわけではなくて、誰に対しても分け隔てなく、ほんの小さな行為にも相手を大事に思う気持ちを込めることなのだと感じます。お手本を示してくださっているその姿に倣い、「本当の優しさ」を体現して生きていきたい。そう決意をあらたにできた出来事でした。

部屋からの見えた優しい色合いの朝焼け。
大森みさと
『パラマハンサ』がWeb化されて3号目が9月20日に配信されました。コロナ禍でおうち時間が長くなり、外出先で見るよりは自宅のパソコンで閲覧することが圧倒的に多くなりました。コンテンツも増え、読むのも見るのも楽しい記事ばかりです。
その中でも、時間をかけて隅から隅まで味わうことのできるようになったミニアチュールといわれる細密画が掲載された「バーガヴァタ・プラーナ」は、楽しみな記事の一つです。神様や神話になかなか馴染めなかった私ですが、毎号、サーナンダさんの臨場感に満ちた物語の描写と細密画の見方について読んでいくうち、絵を通してそれらを身近に感じられるようになっています。

『パラマハンサ』№120より、懐かしいモノクロ印刷。当時はこれがカラーだったらどんなに美しいだろうと、もどかしく思っていました。
細密画の特徴として、1枚の絵の中に複数の場面が描かれるということを教えていただいた時、そんな描き方があるのかという新鮮さと同時に、1枚で紙芝居が完結できるとはなんて効率的なのだろうと感心もしました。視線を少し動かすだけで別の場面に入っていけるのです。Web画面は拡大することができるので、細部までじっくり見ていると、こんなところにこんなものがという発見もあって見飽きることがありません。あちこち拡大したり全体を見直したり、気が付くと画面との距離が10cm位になっていたりして。こんなに魅入られてしまう細密画の力はどこからくるのでしょうか。
きっと描き手は一心不乱に描くことだけに集中していたでしょう。描いている間、内面は神のことだけでいっぱいになり溢れるエネルギーに衝き動かされるようにペンを走らせる。誰かに何かを伝えたいという思いすら持っていなかったかもしれません。その神への強烈な思いが、見る者をいつしか描かれた世界に誘う。1枚の細密画の中にある物語の流れのまま、身を任せるように見ていると、それが過去のこととか異国のこととか関係なく、時間と場所を超えて実際に存在しているように感じられるのです。

漆黒の背景に鮮やかな衣装が映える細密画 。細密画を端末画面の壁紙にしている方も多いのではないでしょうか。
細密画には作者名や制作年などの情報はありません。以前の私は、いわゆる芸術作品といわれるものを鑑賞する際、誰が作者で、いつ頃どんな状況の下で作られたのか、必ず確認していました。そうしないと不安でその作品を信用することができなかったからです。初めて細密画を見た時には何の手掛かりもなく確かめることができなくて、落ち着かなかったことを覚えています。でも今は、作品に関する情報がなくても全く気にならなくなりました。
「バーガヴァタ・プラーナ」で、神と彼らのエピソード、細密画について基本的なことを教えていただいています。細密画には描き手の神への純粋な思いが込められている、ただそれを純粋に受け取るだけなのだと思います。そこには神のみが存在しているのだから。
マイトリー
今年の4月に発売した、マハーヨーギー・ミッション設立45周年を記念したオリジナルTシャツ。
師がデザインされたヨーギーのシルエットは、ちょうど胸の辺りに位置し、Tシャツを着ると「本当にここ(胸の奥)に光り輝くアートマンがいてくださると力強く感じる!」と、感動の声が多く届きました。
そして今回は、待望のロングスリーブTシャツ(ユニセックス)と、女性には、今の時期から活躍する七分袖をお届けします。

左)ロングスリーブ ユニセックス M 右)七分袖レディース L
このアートマンのシルエットは、マハーヨーギー・ヨーガ・アーシュラマが開設された1976年に、師が描き、デザインされた看板と同じものです。
この秋冬も、アートマンを胸に抱き、ともに真理の道を歩みましょう!

9月15日に届いたばかりのサンプル。
鮮やかなものからシックなものまでカラーバリエーションが豊富。女性用の七分袖はぴったりフィットながらもストレッチがきいていて、着心地も最高です。
詳しくはホームページで https://www.mahayogi.org/informations
先日とても暑かった日に、家の近くを歩いているとアスファルトの上にゆらゆらと陽炎(かげろう)が立ち上っているのが見えました。真夏の強い日射しの下で私はふと「ミーラー・バーイーが生きたラージャスターンはもっと暑かったのかなぁ…」と、五百年前の遠い異国の地を思い浮かべました。
インドの聖女ミーラー・バーイー(1498~1546)が生まれたインド北西部のラージャスターンは、砂漠や険しい山々が連なった厳しい土地柄で、暑い時期は日中の気温が40℃にもなるそうです。また一年のうち6~7ヶ月間が乾季という、とても乾燥した地域なのだそうです。
現代のようにエアコンなど当然なく、おそらく水道なども整っていなかったであろう五百年前、ミーラーやその土地で暮らす人々はどのような生活を送っていたのでしょう・・・。
別の日、職場から帰宅する途中、急に空が曇ってきたなと思ったら雨が降り始めました。雨はしばらく降ってすぐに止み、その後サァーッと涼しい風が吹いてきました。その日も朝から暑かったので、立ち止まってしばらく爽やかな風を全身で心地よく感じていると、ミーラー・バーイーの詩の一つを思い出しました。
雨がふるふる 楽しきサヴァン
心は サヴァンを待ちわびてサヴァンに 胸はときめきて
噂を聞きて ハリ来ると
湧いて集まる 黒雲に
下着まで すっかり濡らされて
雨粒が 風に運ばれて
涼しき風も 心地よく
ミーラの神様 ギリダラナーガル
幸せ喜び 歌わんや
※サヴァン/雨季
※ハリ、ギリダラナーガル/クリシュナ神の異名
※下着/サリーの下に着るスカート
出典/美莉亜訳『ミラバイ訳詩集』
暑い季節が長く続き、乾燥しきったラージャスターンに暮らす人々にとって、雨季の到来はすべてを潤し生命を蘇らせる喜ばしいものだったことでしょう。この詩からは待ちに待った“サヴァン“を喜び迎える心情が伝わってきます。
ですが、ミーラーがこの詩に込めた本当の思い、それは一心に信仰していたクリシュナ神への深いバクティ(信愛)です。
クリシュナ神の肌は青や黒で表されることが多いのですが、クリシュナという名前には「濃い青」「暗い」「黒い」という意味があり、黒雲はクリシュナ神の象徴でもあります。
頭から足の先まで全身をすっかり雨に濡らされたミーラーは、きっと愛するクリシュナに命も魂もすべてが溶け込んでいくような、甘美な歓びに浸されたのではないでしょうか…。

楽しそうな笑い声が聞こえできそうですね。ブランコの勢いで愛するクリシュナ(黒雲)のところまで飛んでいこうとしているのでしょうか?
ちなみに”ハリ”には「太陽の光のような色」という意味もあるそうです。
晴れの日も雨の日も主クリシュナ。
朝の光も夜の闇もすべてが主クリシュナ。
寝ても覚めても神しか見えない。
ミーラー・バーイーのようにそんな日が来るのを私も待ち続けています。
シャルミニー