ヨーガーナンダ」カテゴリーアーカイブ

弟子と師の絆

『あるヨギの自叙伝』で、パラマハンサ・ヨーガーナンダと師のスワミ・スリ・ユクテスワが初めて出会う場面はとても感動します。二人は運命の絆で結ばれていました。

「尊い先生!(グルデーヴァ!)」
「おお、わが子よ、とうとう来たか!」
わが師は、この言葉をベンガル語で何度もくり返した。その声は喜びに震えていた。
「何と長い年月、お前の来るのを待ったことだろう!」
あとはもう言葉など必要はなかった。沈黙のうちに、二人の心は溶け合った。無言の雄弁が声なき聖歌をかなでながら、師の心から弟子の心に流れ込んだ。

『あるヨギの自叙伝』p. 102

左:スワミ・スリ・ユクテスワ 右:パラマハンサ・ヨーガーナンダ

スワミ・スリ・ユクテスワは、著書『聖なる科学』の中で、弟子と師の出会いについてこう述べています。

人はいつサット・グル(聖師)にめぐり会えるか

真剣な求道者が一定の進鏡(ルビ:しんきょう)に達すると、このような聖者にめぐり会う恩恵が与えられる。その人は、サット・グル(真理への道案内、救い主)として、求道者を霊的に導いてくれる。このような聖者の導きに忠実に従うことによって、求道者は、自分の全感覚器官の働きを、それらの共通の中枢であるスシュムナドワーラ(内なる世界への入り口)に集中することができるようになる。

『聖なる科学』p. 23

私は2019年の夏頃、師シュリー・マハーヨーギーと初めてお会いしました。師は、会って間もない私に対して、最大限の優しさをもって、導きを与えてくださいました。当時抱えていた仕事の悩みの原因について、分かりやすい言葉で説明し、真の自分(アートマン)を知ることが一番重要な仕事であると教えてくださいました。また、仕事の手を抜くのではなく、精度を上げ、効率化するのがよい、それによって色々進めやすくなっていくだろう、という具体的なアドバイスまで頂きました。その後、師の導きに従ってヨーガの修行を続けてきました。五年が経ち、気が付くと仕事の悩みは解消され、円満な暮らしを送っています。大変有難いことです。

師は弟子と師についてこのようにおっしゃっています。

真理を学ぶこと、内的な、あるいは外的な無私の行為、瞑想、これらを欠かさないこと。尊い存在に対する敬愛を深めること。そうしたことによって、弟子はいつかは誰かの弟子から、誰かの師と呼び名が変わるでしょう。弟子というのも師というのも、一つの段階の呼び名にすぎません。在るのは、名のない、名付けようのない真実の存在だけです。それが弟子の全てです。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章 p. 531

師への感謝を忘れることなく、真の自己の実現に向けてヨーガの修行を続け、いつか師のような優しい人間になれたらと思います。

島本 廉


ヨーガーナンダから教わった信仰心 -『あるヨギの自叙伝』より-

季節は巡り秋になりましたね。半年前が随分昔のようにも感じますが、今年の春の祝祭のテーマはパラマハンサ・ヨーガーナンダだったので、その期間『あるヨギの自叙伝』を読み込み、関連でブログ(『グルデーヴァ!』(尊い先生!)前編後編番外編)に書くためにも何度もヨーガーナンダに瞑想していました。そのためかそれ以降ヨーガーナンダには特別な親近感があり影響を受けてきました。 そこで今回は、ヨーガーナンダの一体何に自分が影響を受けているのかを考えてみようと思いました。

ヨーガーナンダがアメリカ行きを決意された時の心境について私は、師がおられたのに異国の地に行こうとよくぞ決心されたよなぁと思っていて、師と離れることに迷いや未練はなかったのか凄いなと感じていました。ラーマクリシュナの直弟子たちは、師の没後に布教されていますが、ヨーガーナンダの場合はまだ師がいらっしゃる時でした。

ヨーガーナンダはババジからの命で西洋にヨーガを布教するその使命を果たされた方だと今だから私たちは知っていますが、当時のヨーガーナンダ自身になって考えてみれば、師がいてくださり、またかねてからの夢であった子供たちを正しく教育するためのヨーガの学校を作り、そこで大きな働きをしている真っ最中です。いくらヴィジョンを見たからといって西洋に行くのは今ではなくまだ先だと思わなかったのか?そこで満足することなく、さらに一歩飛び出してアメリカに行こう!と、どうしてそのタイミングで突き進めたのか? 本の中には師と離れる不安はあまり書かれていませんが、とにかく相当な覚悟と決意で渡米されたことがその部分の記述に表れています。まるでブッダが道を求めて出家を決心し、苦行林に入っていかれる時のようなものを私は感じました。何の不自由もない暮らしをしていたのに出家して伝道されたブッダと似ているように思いました。

ヨーガーナンダはアメリカ行きのヴィジョンを与えられ師に相談にいき、師からは「すべてのドアがお前のために開かれている」「今をはずすと、機会は二度と来ない」と言われ決心します。そしてある朝に、神のみ声を聞くまでは、死ぬまでも祈りつづけようという鉄のような決意を固めて祈り始めます。

西洋の近代的実利主義の霧の中に自分を見失うことのないように、神の助けと導きを求めたのである。私の心はアメリカ行きの決心はすでに着いていたが、いま一つ、神の直接の同意と励ましが欲しかったのである。私はむせび上げて来る声を押さえながら、祈りに祈った。だが、何の応えもなかった。私の祈りはしだいに熱烈さを加え、昼ごろにはついに頂点に達した。私の頭は苦悩でぐらぐらしてきた。もし、もう一度激情を爆発させて泣き叫んだら、脳が張り裂けてしまうのではないかと思われた

脳が張り裂けてしまう・・・。その表現だけで、どれほど神を求めておられたかが伝わってきます。そしてそこに、神が応えてくださるという確信、信じる強烈な思いを感じます。必ず応えてくださると信じているからこそ、すべてを懸けて死ぬまでも祈り続けようと決意できると思います。それで応えが与えられないなら本当に死んでもいいと命と引き換えにする並々ならぬ思いです。だから、ババジが姿を現されたのだと思いました。マリーゴールド

そんなふうにヨーガーナンダが、より神を信じ求めるようになっていったエピソードのうちの一つだと私が感じている、とても好きな章『大学の学位を受ける』があります。ヨーガーナンダの大学時代の日課は、朝9時半に自転車に乗って下宿から先生(スリ・ユクテスワ)の所へ行くことから始まったそうです。片手には下宿の庭で切ってきた数本の花を持ち、先生を訪ねます。先生はいつも機嫌よく迎えてくださり、そして昼食に誘ってくださり、ヨーガーナンダは喜んでごちそうになります。それからそのまま学校のことなど忘れてしまって何時間も先生の比類ない英知の言葉に耳を傾け、また時には僧院の仕事を手伝ったりして真夜中近くになり、しかたなく下宿に帰ったそうです。どうにかすると、先生との話に夢中になって、夜を明かしてしまうことさえあったとあります。

ただ先生に会いたくて、先生が喜んでくださる花を持って自転車に乗っていくその姿が浮かび、ヨーガーナンダの思いがすごく分かります。学校のことなんて忘れてしまうくらい先生の話が面白くて、聞き惚れてしまって、気付いたら夜中になっていたということも。あぁ、結局そういうことなんだよな、と思いました。

また、どうしてもヴィヴェーカーナンダの晩年の言葉・・・
私はバンニャンの樹の下で師の素晴らしい言葉に耳を傾けて心を奪われていた少年に過ぎない。それが私の本性なのです」という声と重なってしまって胸が熱くなります。

結局、私たちはそうなのです。師に会いたくて、師の下に集まり、師の言葉に聞き惚れていた少年少女に過ぎない。それは永遠にそうだと思う。誤解を恐れずに言えば、本当はヨーガとか悟りとかそれ以前に、師の人となりに、ひどく惹かれてきたのだと思う。憧れた師が真正なヨーギーだった。師の生きざまがヨーガというものだった。だからヨーガを志した。師のあの声、あの優しい眼差し、あのお姿、笑顔。ただ会いたくて、それだけだったのだと思う。何を聞いても応えてくださる。それもただの答えじゃない。自分の芯の深いところで心底納得ができるものが与えられる。そのような存在と会ったからには、信じずにはいられなくなります。

私は、『あるヨギの自叙伝』を読んで、ヨーガーナンダが何を決めるにも、神、師との対話によって進めていかれたことを感じました。
求めよさらば与えられん」と先輩弟子のサーナンダさんに言われたことがあるのですが、これは本当に真実だと思います。求めれば必ず与えられてきました。もし与えられない時は、自分の求め方、ドアの叩き方の問題(汗)。
そんな時は、ふと「あなたは真剣か?」と師の声が聞こえる気がします。ヨーガーナンダのように真剣に求めること、それを私はヨーガーナンダから教わりました。

私がヨーガーナンダから影響を受けていること、それは信じる心です。ヨーガーナンダに元からあった信仰心、信じる心をさらに強く育てられたのは師スリ・ユクテスワだと思います。神は必ず応えてくださる、そのことをスリ・ユクテスワは何度もヨーガーナンダに実体験を通して導き与えられました。『大学の学位を受ける』という章も、ぜひまたいつか読んでいただければと思います!

秋の空

空は永遠!

グルデーヴァ!!!

 

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ナリニー


『あるヨギの自叙伝』〜ヨーガーナンダとスリ・ユクテスワの出会い〜

パラマハンサ・ヨーガーナンダの『あるヨギの自叙伝』を初めて読んだときに一番印象に残った章が、第十章のヨーガーナンダが師であるスリ・ユクテスワにめぐり会う場面です。以下、要約してご紹介させていただきます。

高等学校の課程を修了したヨーガーナンダは、霊的訓練を受けるためにベレナスの僧院で生活していました。僧院と合わず苦悩に打ちひしがれていた頃、偶然出かけた市場の狭い小路の外れに、黄褐色の僧衣をまとったキリストのような男が立っているのを見かけました。その顔は一目見ただけで昔からよく知っている顔のように思われましたが、誰かと間違っていると疑い、通り過ぎて離れました。すると10分ほど行くと足が重たくなり動けなくなり、戻ると足は軽くなり、再び離れようとするとまた足は重くなりました。先ほどの聖者が磁力で自分を引き寄せているのだ!と考えて、飛ぶように小路に引き返しました。その人影はまだそこに静かに立ったまま、じっと自分の方を見つめていました。急いで駆け寄り、その足もとにひざまずきました。「グルデーヴァ(尊い先生)!」その神々しい顔は、これまで何百回となく幻に見た顔でした。「おお、わが子よ、とうとう来たか!」師は、この言葉をベンガル語で何度もくり返しました。その声は喜びに震えていました。「何と長い年月、お前の来るのを待ったことだろう!」あとはもう言葉の必要はありませんでした。沈黙のうちに、二人の心は溶け合ったのでした。

なんという運命的な出会い!文章から情景が思い浮かび、師と弟子が出会い喜び合う姿に理由もなく惹かれました。いつでも本を開いてこの場面を読むと、感動して胸が高鳴り震えます。この大好きな場面を、想像して絵に描きました。

サルヴァーニー


“至福に浸る聖女” アーナンダマイー・マー

『あるヨギの自叙伝』で、ベンガルの“至福に浸る聖女”として紹介されているアーナンダマイー・マーは、1896年4月30日に、東ベンガルで生まれました。

「私は、このかりそめの肉体を自分として意識したことは一度もございません。この地上に生まれる前も同じでした。子供のころも、私は同じでした。成長して女になっても、私は同じでした。(中略)今後、神様のおつくりになったいろいろなものが永遠の舞台の上で、私の周囲を踊りながらどんなに移り変わって行っても、私はやはり同じでございましょう」

『あるヨギの自叙伝』P472

グルは一人もおらず、聖典なども全く知らなかったにもかかわらず、『あるヨギの自叙伝』に載っているこの言葉に表されるように、アーナンダマイー・マーの生涯は一貫して本質と一つでした。36歳頃からは、家を持たず、旅を続けていて、一カ所にわずか二、三日、多くても二、三週間留まるのみという生活をされました。いっさいの執着を棄てて、心のすべての思いを神に捧げました。個人的な好き嫌い、熱望や反感、努力や葛藤、恐れや怒りが全く無く、自我意識と見なされるようなものを表わさず、神の意思・意図と解釈されるケヤーラと呼ぶものに従って行動されました。

至福に浸ると形容されるアーナンダマイー・マーですが、私はその生涯に触れて印象に残ったのは、放棄です。生活面や物質的な放棄はさることながら、心の放棄が完成されていました。常に神の意思・意図に従って行動され、通常の原因と結果の過程に左右されない完全に自由な状態だったからこそ、その目は片時も神から離れなかったのだと思います。

アーナンダマイー・マーの心の放棄を見倣うためにはどうしたらいいでしょうか。その質問の答えが残されています。

「失われることのない彼を思いなさい。彼だけを瞑想しなさい。彼、すなわち美徳の源泉である者を。彼に祈り、彼に頼りなさい。ジャパと瞑想に、もっと時間を割くようにしなさい。彼の御足の下に、あなたの心を明け渡しなさい。ジャパと瞑想を、途切れることなく持続させるよう努めなさい」

『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』P154

 

絵:アーナンダマイー・マーとヒマラヤ山

1927年アーナンダマイー・マーと側近たちは、ヒマラヤのリシケシとハルドワールにある神聖な巡礼の地を訪れました。その後も北インド全体を常に歩き回り、宗教的な祝祭、キールタンとサットサンガが行われたそうです。

サルヴァーニー


グルデーヴァ!【番外編】―『あるヨギの自叙伝』より―

「お前は、どうして団体的な仕事をきらうのだね?」

パラマハンサ・ヨーガーナンダが、師であるスリ・ユクテスワからこう問い掛けられました。
【前編】【後編】←はこちらから。)
現在では広く世界に知れ渡っている偉大な聖者ヨーガーナンダですが、師に出会って僧侶となり修行に励んでいた20代半ば頃は、「団体や組織などというものは蜂の巣のようにうるさいものだとしか考えていなかった」といいます。
冒頭の師からの質問に対してヨーガーナンダは、「私は図星を指されて一瞬面食らった」とあります。それを読んだ読者の私もまた、この鋭い質問にはドキッと面食らいました。私も同じように考えていたところがあったからです。

さて話を戻します。
ヨーガーナンダは師に言いました。
「先生、団体の運営なんて面倒な思いをするだけで割に合いません。先に立つ者は、何かをすればしたで、また、しなければしないで、文句を付けられるだけですから」
厳しい眼差しでスリ・ユクテスワは仰います。

お前は、神の甘露を独占していたいのかね?

もし、寛大な心をもった大師たちが、進んでその知識を分け与えてくれなかったら、お前にしても、だれにしても、ヨガによる神との交わりを実現することはできなかっただろう

神を蜂蜜とすれば、それを分かち合うための団体は巣箱のようなものだ。どちらも必要なものだ。もちろん中身がなければ、箱だけつくっても意味がないが、お前はもう十分な霊的甘露をたくわえている。そろそろ巣箱の建設に取り掛かるべきだと思わないかね?

師の助言はヨーガーナンダを深く動かしました、「そうだ、私は今まで先生のもとで学んできた人間解放の真理を、できるだけ多くの人々に分かち与えなければならない!」。
そして、ヨーガーナンダは、以前から抱いてきた理想――青少年に正しい人間教育を施す――を実現するため、学校を設立しようと決心し、ベンガルの田舎で7人の子供たちの教育をすることから始めました。

このエピソードを読んだとき私は、団体や組織がなぜ必要なのか?その理由をこれまで考えたこともなく、ただ拒否反応を示してきただけだったことに気付かされ、スリ・ユクテスワのお言葉を聞いて、本当だ・・・と、もう返す言葉もないと思いました。ブッダの教えや、ラーマクリシュナの教えにしても、やはりその巣箱であるサンガ(修行者の集まり)や団体があったからこそ、今、私たちがその教えに触れることができているのかもしれないと思いました。

パラマハンサ・ヨーガーナンダのSRFと言えば、世界規模の大きな団体というイメージが私にはあり、さらに学校を設立・・・なんて聞くと、もう行為の規模が大きすぎて、自分とはかけ離れた偉業を成された大聖者!そのイメージだけが先行しがちでした。しかし、学校を設立されたのも、まず初めの小さな一歩があったことを見逃してはいけなかったのです。

『あるヨギの自叙伝』には、ヨーガーナンダの前に進むがための葛藤や、困難と誠実に向き合い努力された軌跡や、そしてそういう時に切実に神を純粋に求め、決して諦めずに神の声を頼りに歩を進められたこと、それらが散りばめられているように感じます。ヨーガの道は決して平たんではないことを誰よりも分かっておられるからこそ、さまざまなエピソードを、ユーモアを交えながら時には赤裸々に記してくださっているように私は思えます。記し、遺すことによって、後に続く者たちを励まし、鼓舞し、また今も一歩先で先導してくださっていると思います。

晩年の1940年~1950年頃のことが書かれている章に(※初版には書かれていない内容もあります。)今日の時代においては、ヨーガの学習にも、時代に即応した新しい方法が必要であり、さもなければ、この人間解放の科学は、再び少数の選ばれた人だけのものとなってしまう、ということが書かれていて、「だれもが、完全な英知をそなえた真の聖師(グル)を身近にもつことができたら、たしかにそれに越したことはない」とあります。しかし、現実的には大勢の人間に対してわずかな聖者しかいないので、大多数の人々にヨーガの恩恵を分かち与える必要性について触れられていました。

ヨーガーナンダはまさに自叙伝という形でそれを成されたのだと私は思いました。未来の人たちのために、胸のうちの最も神聖なババジとの出来事までを公開してくださっていますが、他の弟子たちは、伝記によって大師がかえって小人化されたり、誤り伝えられたりしないかと懸念したりして、自分たちの胸の中の不滅の師として大切にしまっておくことに満足していたそうです。そんななかで、ヨーガーナンダは、大師たちの存在を明かしてくださったのです。
周りの人が反対してくる中で、独り信念を貫くのは、並大抵の困難さではないと思います。ヨーガーナンダは、自分の自叙伝として遺されたことで、本当に人生全てを人類に、神に、捧げられたのだと思いました。

多くの人と、このヨーガの叡智を分かち合うために、今の私が自分に置き換えて自分ごととして考えるならば、私たちが師から学んでいることを例えば現代ならではのオンラインでのクラスやSNSなども活用して分かち合うこと、また『マハーヨーギーの真理のことば』を様々な媒体を使って多くの人へお届けする方法を一人一人が積極的に考えることもそれに繋がると思いました。行為の大きさではなくて、教えを一つでも自分が確実に生き、それを隣の人へ行為すること、それが届けるということの初めの一歩の始まりなのだと思いました。
師がお伝えくださっている古から続く真のヨーガを、大師たちが分け与えてくださったこのヨーガの叡智を、決して自分たちのところだけで留めませんように!

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ヨーガーナンダ

 

ナリニー  


聖者の息吹を感じる! 春の祝祭

今年は例年よりも桜の開花が早いですね。 
すでに満開を迎えたところ、これから開花を迎えるところ、様々な場所で、春の喜びを感じられていることと思います。 

そんな中、マハーヨーギー・ミッションでは、2023年4月2日に春の祝祭「サナータナ・ダルマ・アヴァターラ・メーラ ー神性示現大祭ー」が開催されます。

2017年に始まったこの祝祭は、永遠の真理を完全に体現された神の化身、アヴァターラに感謝と歓びを捧げる祭典です。 

これまでブッダやシュリー・ラーマクリシュナなど、偉大なる大師たちの生き様に迫ってきました。 
最初はこの祝祭がどんな会になるのか想像がつきませんでしたが、ブッダをテーマに取り上げた祝祭で、その意味がはっきりと分かりました。 
ブッダについて名前やどのような生涯だったかは知っていても、どこか遠い存在だったのが、グルバイたちの祝辞を聞く中で、ブッダの息吹を感じ、その人となりに触れることができたのです。 
会場にはグルバイの熱気が充満していて、この上ない歓びで胸がいっぱいになった感覚は、今もはっきりと覚えています。 

2021年からはオンラインでの開催となりましたが、画面を通して各地と繋がることで、離れた場所にいても歓びのひと時を共に過ごせるありがたさを感じています。 

今年の春の祝祭で取り上げる聖者は、パラマハンサ・ヨーガーナンダ。 
ヨーガーナンダの、子供のような純粋さで熱心に神を求めていく姿からは、素直さと揺るぎない信仰心を感じます。 Snatana Dharma Avatara Mela

ヨーガーナンダはどんな人であったか。 
グルバイたちが様々な視点で迫ったヨーガーナンダを知ることができる祝祭はもうすぐ。とても楽しみです! 

 ハルシャニー  


グルデーヴァ! 【後編】―『あるヨギの自叙伝』よりー

前編(→前編の記事)では、ヨーガーナンダが真正の師、スリ・ユクテスワにめぐり会い、厳しくも愛ある薫陶を受け、師の下で生涯の最良の十年間を過ごしたこと、そしてそのすべてはババジ、神の導き、計画であったことに触れました。『あるヨギの自叙伝』に貫かれているものは、ヨーガーナンダの大師への敬愛と、また大師の完璧なる導きだと感じました。
なかでも私が最も感銘を受けたのは、数世紀にも渡って今も生きておられ(!)「唯一の隠れた力である創造主のように、地味に目立たぬように働いておられる」というババジの教えです。


ヒマラヤの山中を少数の弟子たちと移動されているババジの一団の下に、ある時一人の男が現れて、崖の上の岩棚によじ登って言った「大師よ、あなたは偉大なババジに違いありません」。男の顔は言いようもない崇敬の念で輝いていた。
「私はここ幾月もあなたを捜し求めて、このけわしい岩山をあちこちさまよい歩きました。お願いでございます。私をお弟子に加えてくださいませ」
ババジは何の返事もなさらなかった。すると男は、はるか下の岩の裂け目を指して言った「もし受け入れていただけなければ、私はここから飛び降りて死んでしまいます。大師の、霊のご指導を受けることができないなら、私はもう生きていても無意味でございます」。

「では飛び降りるがよい」ババジは冷然とお答えになった「私はお前を、今のままでは弟子にすることはできない」。
男は崖下めがけて身を投げた。ぼう然とこのありさまを見ていた弟子たちに、ババジは男の死体を取ってくるように命じられ、見るも無残な男の死体の上に手を置かれた。すると、男はパッと目を開いてババジの足もとにひれ伏した。
「これでお前は、私の弟子になる資格ができた」ババジは死から甦った弟子をにこやかに見ながら仰った「お前は勇敢にも、この厳しい試練に打ち勝った。死はもう二度とお前を見舞うことはないだろう。今こそお前は、われわれ不滅の仲間の一員になったのだ」

※もし男が飛び降りることに躊躇したら、ババジの導きなしに生き長らえることは無意味だと言った言葉が嘘であったことになり、また、師に対する完全な信頼に欠けていたことを暴露することになる。それゆえ、この試験は、思い切った異常な手段ではあったが、この場合完全な試験方法だった。


目まぐるしい毎日の中で、いくつかの壁があるように思えて私が混乱していた時、このババジの言葉が突き刺さりました。
私はお前を、今のままでは弟子にすることはできない

・・・ヨーガは実践。師であるヨギさんと燦然たる大師たちの凛々しいお顔が浮かび、ヨーガの道を進むために導いてくださっていることを感じ、壁があるならぶつかっていこう、と思いました。砕けるのは、エゴであり、真の自己は決して砕けない。だから恐れずに、当たって砕ければいいと思いました。
ヨーガーナンダは、古から伝えられてきた真理、神を悟るための道を、先達に続き世界へ具体的な形で伝えられましたが、それは時空を超えたババジの導きであることが、はっきりと本の中に開示されています。師の言葉、神の導きを完全に信頼し、まっしぐらに突き進んだヨーガーナンダは、勇敢に壁にもぶつかり崖下へも躊躇なく飛び降りたと私には思えます。これこそが生涯を懸けた大事業、ヨーガなのだと思いました。

今回、久しぶりに一から読み返した『あるヨギの自叙伝』。ヨーガーナンダの溢れる愛とユーモアに、泣いたり笑ったりしながら一気に読み終え、ヨーガーナンダの聖なる魂の息吹が、颯爽と駆け抜けていったようでした。
時空を超えた大いなる導きに、感謝を捧げます。
グルデーヴァ!!!

ヨギの自叙伝カバー

1946年、初版のブックカバーの写真

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ナリニー  


グルデーヴァ! 【前編】―『あるヨギの自叙伝』よりー

真実の師の存在がなければヨーガの道は一歩も進めないことを、私は『あるヨギの自叙伝』を通してパラマハンサ・ヨーガーナンダから教わりました。インドでは生涯をかけて師を探すと言われています。

少年時代から霊的探求心の深かったヨーガーナンダは、師を求めて聖者、賢者を訪ね歩き、青年になると家を飛び出し僧院に入ります。17歳の時、導かれるように行った外出先の狭い小路で、ついに真正の師、スリ・ユクテスワとめぐり会いました。スリ・ユクテスワのその神々しい顔は、ヨーガーナンダが何百回となく幻に見た顔。狭い小路で、じっとヨーガーナンダを見つめていたスリ・ユクテスワのもとへ、ヨーガーナンダは急いで駆け寄り、足もとにひざまづきます。「グルデーヴァ!(尊い先生!)」それ以上、言葉を発することができず、もう言葉は必要なく、沈黙のうちに二人の心は溶け合いました。

実は師の僧院とヨーガーナンダの実家は近い距離だったのですが、過去に師の姿を見たこともなく、このめぐり会いはそれぞれの外出先でのことでした。ヨーガーナンダは念の入った神の演出ぶりに驚いたといいます。ところが彼は、その後、師から家族のもとに帰りなさいと言われるも、霊的生活を求めるあまり「私は家には絶対に帰りません」と言います。師は仰いました「お前が安易な気持ちで私の弟子になるのを認めるわけにはゆかない。私の弟子には、私の厳格な訓練に対する絶対服従が要求されるからだ」。すぐに弟子になることが叶わなくなったヨーガーナンダは、奇跡的なめぐり会いがどうしてこのようなちぐはぐな結末に終わってしまったのか・・・と夜道を歩いて帰ります。しかし数日後、結果的には実家へと帰ることとなり、そこで家族との問題を円満解決してから、一カ月後に師の下で霊的訓練を受ける環境が与えられたのでした。
まさに師は、弟子が解消すべき問題や義務を果たしてからヨーガの道に邁進できるように、大切に弟子の人生を完璧に導かれていることを私は感じました。一見、遠回りに思えることでも実はそれが近道なのだと。

師に自分の心理的ひずみを取り除いてもらう不屈の決意をしていたヨーガーナンダは、その時のことを「私の慢心を打ちくだくために加えられた先生の容赦ない叱責のむちに今でもはかり知れない感謝をいだいている。先生はまるで虫歯を一つ一つ探し出しては強引に引き抜くように、私の欠点を取り除かれた。執拗な自己中心主義の根は、このような手荒な手段でなければなかなか根絶することはできない。この根が取り除かれてはじめて、神は人間の中に自由な通路を見いだすのである」と記されています。スリ・ユクテスワからは「もし私に叱言を言われるのが嫌になったら、いつでも出ていきなさい」「私はお前の進歩だけを期待している。お前がここに居てためになると思ったらとどまっていなさい」と厳しくも愛ある薫陶を受けていました。

私は、大先輩から聞いた「師は弟子を導くために存在されている」という言葉を思い出します。弟子の身に起こることは自己中心主義の根を取り除くための師からの導き。師は弟子にとっての障害を取り除き、道をスムーズにしてくださっているのです。そして欠点を取り除くその過程こそが実践。教わったことを実地で行動し実践してこそヨーガと言えることをヨーガーナンダが今、本を通して教えてくれます。

ヨーガーナンダが、師と過ごした日々のことを「生涯の最良の十年間を過ごした」と表現されている一文に、彼の師への言葉にならない思いを感じて胸が熱くなります。読んでいくと、ヨーガーナンダと師スリ・ユクテスワの、またスリ・ユクテスワの師のラヒリ・マハサヤの、そのまたさらに師のマハー・アヴァターラ・ババジの、それぞれの大師たちと弟子との純粋な愛の物語に触れると同時に、今もその続きが繰り返されている・・・と思わずにはいられません。ヨーガは本当に師から弟子へと直伝されてきた宝なのです。

ヨーガーナンダはババジとスリ・ユクテスワからの命である西洋にヨーガを伝えるという聖なる責任を果たされましたが、それは決して生易しい仕事ではなかったといいます。後年、その仕事に対してやりがいがあったかどうか?という質問に対して「主の試練を受ける者は幸いです。主は、ときおり私を思い出されては、私に重荷を背負わされました」と答えられ、そして続けられます「しかし、私の答えは断じて『イエス』です。東洋と西洋が永遠の霊的絆によって互いに固く結ばれてゆくのを見るとき、私はこの仕事がはるかにやりがいのある仕事であったことを痛感します」。
どんな事も神から与えられたものと信じ委ねるヨーガーナンダの純粋な信仰心、そして主の仕事の歩みを絶対に止めずに推進していく強さに感服します。その源にあるのは師の存在・・・師と弟子との特別な絆について、ヨーガーナンダから私は教えていただきました。
(後編につづく)

大師たち

(左から)マハー・アヴァターラ・ババジ ラヒリ・マハサヤ スリ・ユクテスワ

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ナリニー  


パラマハンサ・ヨーガーナンダ 御聖誕日

皆様、明けましておめでとうございます🌅
このお正月はいかがお過ごしでしたか?
私は3年ぶりに帰省して、久しぶりに家族や親戚と楽しい時間を過ごし、慶びをもって新年を迎えることができました🎍

さてこの2023年ですが、『あるヨギの自叙伝』で有名なパラマハンサ・ヨーガーナンダ(1893年ー1952年)の御聖誕130周年にあたります!!


『あるヨギの自叙伝』は私も大好きな聖典で、読む度に新しい発見と驚きがあり、時には全身が歓びで満たされます。
この本の中では、ヨーガーナンダがサマーディを初めて体験するシーンがあり、その境地が次の言葉でもって記されています。

「神の霊は尽きることのない至福だ!」

この至福のサマーディを愛弟子に与えた師スリ・ユクテスワは、「神は常に新鮮なよろこびだ。それはたえず湧き出る泉のように、常に新しく尽きることがない」と述べ、この永遠の至福を体験することはかけがえのないことで、神を知ったことに他ならないことをヨーガーナンダに伝えています。

そして本日の1月5日はヨーガーナンダの御聖誕日です!!
新春の慶びとともに、この吉祥なる日に「常に新鮮なよろこび」で満たされる1年にしたいと私自身感じております!!

私たちマハーヨーギー・ミッションでは、4月に開催予定の春の祝祭でヨーガーナンダを取り上げ、「古から続く永遠の道」をテーマに、グルの存在の尊さや稀有さを今一度思い起こし、またヨーガーナンダの行動の源にあった熱情・覚悟に迫っていきます。
ブログの方でも、今年は『あるヨギの自叙伝』、そして昨年11月に出版された『マハーヨーギーの真理のことば』、その素晴らしい聖典について積極的に発信していきたいと思っています。

真理のことばに浴し、実践して、神の歓びを全身に感じ発散する1年にしていきましょう!!
皆様、今年1年もどうぞよろしくお願い致します🙏

ゴーパーラ


カーリーをもっと近くに!

初めてカーリー・マーのお姿を目にしたとき、「これが神様なの?しかも母なの?」と心の隅で思ったように記憶しています。それほど強烈なヴィジュアルの持ち主ですが、彼女を慕うようになって数年経った今感じているのは、私にとって彼女は、大きくて穏やかで、慈しみと愛情に満ちた、まさに母そのものだということです。

『あるヨギの自叙伝』の中に、パラマハンサ・ヨーガーナンダとマスター・マハサヤとのエピソードが出てきます。その章ではマスター・マハサヤが聖母様と絶えず交流されている様子が描かれています。聖母様がカーリーであるとは書かれていないのですが、そこに記された宇宙の母についての一節がとても好きで、その描写を読むと私は、カーリーのことを思い浮かべずにはいられなくなります。そして彼女の底知れぬ愛を感じて、何とも言えない安心感とあたたかい気持ちに包まれます。

「天の母に子供のような心で近づいて行った歴代の信仰者たちは、彼女が常に自分と遊んでくれていることを証言している。マスター・マハサヤの生涯においても、聖母様が、事の大小に関係なく彼と戯れておられる情景がしばしば見られた。神の目には、大事も小事もないのである。もし神が、原子をあのように精巧に造られなかったならば、大空もあの壮大な天体の構成を誇ることはできなかったであろう。神は、この宇宙が一本のねじくぎの緩みのためにくずれ去るようなことのないように、どんなささいな事にも等しく心を注いでおられるのである。」

『あるヨギの自叙伝』P84より引用

私がどんな存在であるかは全く関係なく、彼女に無条件に愛されてここに存在しているということを知りました。カーリーが常にすべての存在に対して愛情を注いでおられるから、今のこの瞬間も宇宙が保たれています。どんな存在も、等しく彼女が世話をしている子供です。母親に見守られて無邪気に遊ぶ子供のように、カーリーが展開し、維持しているこの世界で私も、生まれてきた歓び・生きる歓びを存分に味わいたいと思っています。

そして、かつての聖者たちが彼女と交流してきたように、私も彼女と本当に話してみたいと思っています。それが叶った時には、何を話そう、どんなことを聞いてみよう、どんなお声で答えてくださるのかな?なんてことを想像してはワクワクしています。最も近しい母なのだから、実現できないはずがない!と思っています。

もっともっと彼女に親しんで近づきたいと思い、あるものを作りました。それは粘土で作ったマスコットです。かなりデフォルメしているし、お見せできるほどの出来栄えでもないのですが(と言いつつ堂々と写真を載せています…!)、私にとってはかわいいカーリーです。

デリケートな素材だったため、ニスを塗って持ち歩けるようにしました。

なぜマスコットなのかというと、幼いころの自分を思い出したからです。よく、お気に入りのキーホルダーや小さな人形を肌身離さず持ち歩き、それが本当に命のある友達のように思って、心の中で話しかけたり一緒に遊んだり、いろんな経験を共有したりしていました。その時と同じように、神様とも親しみを込めてふれあい、常に一緒にいることを忘れずにいたいなぁと思い、自作してみました。

これから、この小さなカーリーがいつもそばにいてくれると思うだけで、私の心は喜びでいっぱいになります。彼女とどんな時間を過ごせるのか、とても楽しみです!

大森みさと