聖典」カテゴリーアーカイブ

聖典に親しむ〜『不滅の言葉(コタムリト)』

インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナの教えや出来事を、弟子であるM(マスター・マハーシャヤ)が書き残した『不滅の言葉(コタムリト)』。今年はブログで3回、この本からの教えやエピソードをご紹介しました。
『不滅の言葉(コタムリト)』は第1巻から第5巻まであります。少しずつ読み進めていましたが、先日最後まで読み終えました。第5巻の最後には、本を出版したMへヴィヴェーカーナンダやホーリーマザーからの手紙が掲載されています。手紙には『不滅の言葉(コタムリト)』を出版したMへの感謝の思いが綴られていますが、私も同じく感謝が溢れ頷きながら読みました。少しご紹介します。

有り難う!十万遍も有り難う、校長先生!あなたは正に、ラーマクリシュナの真実の姿をつかまえた。僅かの人しか、ああ、実にほんの僅かの人しか彼を本当に理解していないのです!私のハートは歓喜のため跳ね上がり、そして今後、この地球上に平和の慈雨を降り注ぐであろう思想の海の真っ只中に、すべての人が乗り出していけることを知ったとき、嬉しさに気が狂わないでいる自分を不思議に思っています。
(ヴィヴェーカーナンダから校長(M)への手紙)

本を読んでいると、まるでその場に同席させて頂いているかのような臨場感があります。ラーマクリシュナがどのようにお話をされて、どのように過ごされていたのか、弟子たちとの交流を目の前で見ているかのように感じることができます。それはMの記録と編集のおかげであることが、次のヴィヴェーカーナンダの手紙からわかります。

言葉使いも、何といって誉めたらよろしいのか――申し分ありません。活き活きとして、鋭く、かつ又すっきりとしてわかりやすい。私がどんなに楽しく読ませていただいたか、いちいち例をあげてここに説明できないのが残念ですが、読んでいると我を忘れてしまうのです。不思議でしょう?
(ヴィヴェーカーナンダから校長(M)への手紙)

この本が、時代を超えて地域を超えて、今日本にいる私の元へ届けられているのはMの偉大な働きのおかげです。ヴィヴェーカーナンダと同じく、十万遍もありがとうございます!という気持ちです。また翻訳をしてくださった田中玉さんにも同じく、十万遍もありがとうございます!という気持ちです。こんなにも素晴らしい本を誰もが手にとって読むことができるとは、何という幸運でしょうか。
そして私にとっては、ラーマクリシュナの優しさは私たちの師であるヨギさんの優しさ、ラーマクリシュナの眼差しはヨギさんの眼差し、ラーマクリシュナの純粋なお姿はヨギさんのお姿と重なります。本を読んでラーマクリシュナを感じることでヨギさんを感じることにもなります。ラーマクリシュナへの敬愛が深まるのと共に、ヨギさんへの敬愛も深まります。
本当に素晴らしい本をありがとうございます。
また最初から読んで、何度でも歓喜を味わいたいと思います。

M(マスター・マハーシャヤ、校長)が『コタムリト』を書いている姿を想像して描きました。

サルヴァーニー


Waheguru :素晴らしい師よ!

11月23日、サットグル・ジャヤンティーが京都アスニーで開かれました。私は初めて準備を手伝う機会をいただきました。とても驚いたのは、会場準備から式の進行まで、細部に至るまで丁寧に準備されていることです。オンライン配信のためのコンピューター係り、カメラやマイクの係り、会場の温度調節係り、案内係り、祭壇の設置係り、通訳など、多くの方が働いておられます。その中で私は、会場でプロジェクターを使って映像を流す先輩弟子のお手伝いの仕事をいただきました。初めての仕事でとても緊張しましたが、心を乱さず、目の前のことに集中するように心がけました。
滞りなく式典が終わり、安堵と感動で胸一杯の中、先輩グルバイと、がっちりと握手しました。これまでに感じたことのない仕事のよろこびがありました。この経験を通して、ジャヤンティーに関わる全員が、師への感謝を胸にその働きを捧げていることを知りました。そこには純粋な信仰があると思いました。

また私は、もう一つの役割として、祝辞の機会をいただきました。準備の期間、これまでの師との出来事を振り返り、その優しさに何度も心打たれました。この感謝の想いをどうしたらうまく伝えられるだろうかと考える中で、気付いたことがあります。それは、頭を絞って上手な文章を書いたとしても、それを伝える本人の心が純粋でなければ感謝を伝えることはできないということです。それに気づいた時、純粋な心で師にありがとうと言えるよう、心をきれいにしておこうと強く思いました。そのために、師から教えて頂いたアーサナや瞑想をしっかりやるようにしました。本番では、胸が一杯で上手に話すことはできませんでしたが、感謝やこれからの修行への想いをしっかり伝えることができたと思っています。

今年のジャヤンティーの最後、師の50代の頃のジャヤンティーの映像を見せていただきました。その中で師は顔を赤くして、照れて笑っておられました。その笑顔が少年のように純粋で、素敵だったのが印象的でした。誰よりも純粋で、優しくて、偉大な師。そういう方にお会いできて本当によかったです。いつか師のような人間になれたらと思います。

師とお会いした頃に参加したサットサンガの記録が書かれている2020年5月のPARAMAHAMSAです。師の素敵な笑顔が表紙になっています。一生の宝物です。

島本廉


『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 生きる秘訣

師シュリー・マハーヨーギーと出会って、私は生きることがとても楽になりました。
師は「生きる秘訣」を教えてくださいます。

生きていると様々な人に出会いますが、もし気の合わない人や嫌いな人がいたら、どう接しますか?
できるだけ関わらない(冷たい態度)、嫌いな点を指摘する、悪口を言う、良い所を探す、嫌いな人ほど優しくするetc
いろんな接し方や処世術があるかもしれませんが、師は秘訣として「無視すること」を教えます。
それは単に相手を無視することではなく、「相手の表面性や自らの思いを無視して、本質だけを見る」ということを説かれます。

私の秘訣はね、そういうものに取り合わないこと。無視する。気の合わない人だけを無視するのではなくて、気の合う人があったとしても無視する。両方を無視する。つまり表面的なカルマみたいな心の様子というものは気にしないこと。それでいて、どのような人であってもその本質は不異(おなじ)であるというーー魂とか本体は同じ、違いはない。違うのはその魂を包んでいるような心、これがただみんな色合いが違うだけだということを知っているから、疲れない。だからどのような人であっても、気が合うとか合わないとかいうことを感じたとしても、そのことを忘れるようにして、その人の本質だけを見るようにして接すればいいと思う。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 P 51

私自身、この教えを知ってすぐに目から鱗が落ちたかと言えば、そうではありませんでした。
生きていく中で、ちょっとした誤解や嫌悪感からいざこざになり、もうこの人はあかん、合わない、嫌いだと思うことが何度かありました。
でも多くの方たちはそんな後でも、あとぐされなく私に接してくれて、私自身すごく救われた感覚が何度もありました。
そういった経験をする中で、師の教え–––決め付けや一時の好き嫌いの感情に執らわれない、つまりそれらを無視して本質だけを見ていくことが自分にとっても相手にとっても、さらには周囲の人にとっても平安や調和がもたらされると感じるようになっていきました。

好きも嫌いも、過去の未練も未来の不安も、二元的なことは全て忘れて、誰もの中に在る一なる尊い本質だけを見て、師のように強く凛として生きていきたいと願います。

ゴーパーラ


2024年サットグル・ジャヤンティー!!!

今年の11月23日、美しい青空の下、日本各地から弟子たちが5年ぶりに京都に集い、<サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ御聖誕76周年祭 /『マハーヨーギーの真理のことば』出版記念 合同祭>が開催されました。ニューヨークや台湾のグルバイ(兄弟姉妹弟子)、そして京都会場での参加が難しかった国内のグルバイとはオンラインで繋ぎ、同じ時間を喜びと共に共有することができました。

今回のジャヤンティーはなんと初参加の方も会場に足を運んでくださり、本当に嬉しく、新たに大切な家族が増えたような気持ちで当日を迎えました。

誰もが一心に師を思う凛とした空気の中、師がおられる時と同じ熱意と真剣さでプージャー(礼拝の儀)、祝辞やメッセージ、キールタンが奉納されました。師に捧げる姿は本当に美しかったです。また真摯にヨーガを実践して心が変容していく様子が伝わり、確かな師の導きを感じる素晴らしい時間になりました。

特筆すべきは、2022年に発刊された『マハーヨーギーの真理のことば』の出版記念でもあったということ。制作中の師のご様子を見せていただき、師がどれほどの熱意をもって1人でも多くの方に手に取っていただけるようにとご尽力くださったかを改めて感じ、心からの感謝が湧きあがりました。同時に師の熱意に値する実践ができているか自分に問いかけ、気が引き締まりました。

 

祭壇には、2022年に発刊した『マハーヨーギーの真理のことば』、台湾華語版『ヨーガの福音』、
今年ニューヨークより発刊した『WHAT IT IS TO LIVE』が奉納されました。
*『WHAT IT IS TO LIVE』は祝辞者の1人であるユクティーさんの手記(英語版)

 


台湾のグルバイは、台湾華語版『ヨーガの福音』を広めるため、昨年大規模な展覧会を開催しました。
そして今年、その時の様子を綴った本を出版する予定ということで、見本版を紹介してくれました。

ニューヨークではユクティーさんの書籍が大変反響を呼んでいるそうです!

 

濃密な3時間はあっという間に流れ、会の後半には2002年のジャヤンティーの映像がスクリーンに映し出されました。そこには師が弟子たちとの時間を本当に楽しみ、喜んでくださっているお姿がありました。まるで師の愛がスクリーンから溢れ出て、私たちの心を溶かすような甘美な笑顔とお言葉をいただき歓喜に包まれました。


師の映像を微動だにせず見続ける弟子たち

映像の中で師がおっしゃった「誰もの中に真の愛がある」というお言葉が今も私の中で輝き続けています。真の愛があるからこそ師のように他者のための行為ができる! 師を見倣って働きたい!と純粋なパワーが湧いてくるのです。

このジャヤンティーの歓喜を胸に『マハーヨーギーの真理のことば』を初め、師が残してくださった珠玉の教えを私たちは継承し、そして師が願っておられたように、一人でも多くの方に届けていきたいです!

ジャイ! サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ・ジャイ!!!

*その他、師の映像、祝辞、キールタンの奉納など、詳細はWebパラマハンサにて紹介します。(12月25日配信予定)

アーナンディー 


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ⑫

インドの細密画に近いイメージでずっと描いてきた中で、日本画のようなヨギさんを描いてみたい、そう思って描いたうちの1つが今回ご紹介する『Paramahamsa』No.35の表紙絵です。

ヨギさんはインドのものだけではなく、日本や欧州の美術・デザインにも造詣が深くあられました。ヨギさんからはたくさんの方のお名前をお聞きしたように思います。そして、思いついたことなど、何を質問してもお答えいただけるのがいつも驚きでした。

その当時、私はヨギさんに図書館で美術書をよくご覧になっていたとお聞きしたことがあったと記憶していました。
そこで改めてシャーンティマイーさんにお聞きしてみると、図書館から白隠禅師や俵屋宗達、またその他、多くの巨匠の美術書をシャーンティマイーさんがよく借りてきていたそうなのです。ヨギさんはそれをご覧になっていたのですね。
そして、ヨギさんがおっしゃったことを教えていただきました。
本屋に行けば手軽に買える絵画のペーパーブックもあるけれど、そのようなものは色も出ていないし、安易に買ってはダメ。でも美術書なら色目もしっかりと表されている。本物を見ないとダメ。そう教えていただいたそうで、図書館から借りてくるという流れになったということでした。また展覧会などには、お母様とよく足を運び、度々本物に触れて来られたそうです。

これまで、ヨギさんが何かを選ばれるものを数少ないながらも見せていただいて、本当に良いものをご存知だからこそ、いろんなもので埋もれている中から、本物を見つけることができるんだと思ったことがありました。何事もあまり深く物事を探究せず、本物に触れることが少なかった私でも分かるくらい、ヨギさんの物を見る目は特別に感じられました。

私が描いたものは日本画というには申し訳ないほど、程遠いものではありますが、新たなヨギさんに触れていただけたら嬉しいです。

そして、今週土曜日、23日はいよいよ師の御聖誕祭です。きっと多くの人が心待ちにされていることでしょう。当日に参加できる方も、できない方もいらっしゃいますが、ヨギさんへのみんなの愛がいっぱい詰まった祝祭になりそうな予感。とても楽しみです!

シャチー


「真理のことば」を拠り所として瞑想する

先日のブログで報告されたとおり、9月に東京で瞑想ワークショップを開催しました。
『マハーヨーギーの真理のことば』から厳選された24のことばの見出しをみて、その日のインスピレーションに従って気になる見出しをひとつ選び、そのことばを書き写し、しおりをつくり、そのことばに瞑想しました。

京都で行われた「ヨーガの一日」でしおりを作ったとき、「このしおりと共に、真理のことばを東京の皆さんにも届けたい!」と感じ、京都のグルバイの協力を得て、東京の国分寺クラスを担当するハルシャニーとともに企画。今回はクラス参加者など7名の方が参加してくださいました(とっても楽しかったです~)。

24のことば…、これは500以上ある『マハーヨーギーの真理のことば』の見出しから、京都のグルバイが「お守りのように大切にできることば」を厳選してくれたものです。
それぞれが選んだ真理のことばが素敵なしおりとなり、皆さんの拠り所となって瞑想する姿はとてもとても美しかった…!!
と同時に、京都のグルバイたちの献身に深く感謝しました。

今回欠席となった方もおられるので、次回ワークショップのネタバレにならないように、一部ですが見出しのことばをご紹介しますね。

「解決法は自分の中にある」
「永遠の幸せ」
「真理・真実在」
「他者のために行為する」
「自立自存」
「真の愛」
「ブッダその人のハートに集中する」
「大胆に覚悟し覚醒する」
「真理は不滅」  and more …

この日選んだことばは、その時の皆さんにぴったりと寄り添うことばであったに違いありません。だからこそ、そのことばに瞑想する姿は美しく、集中感あるものになったのだと思います。

真理とは、「永遠に変わらないもの」。一方、私たちの心は毎日、いや一瞬一瞬で変わるもの。その時の状況によって、選ぶことばが変わることもあるでしょう。

『マハーヨーギーの真理のことば』におさめられている500以上の真理のことばが、ひとつでも多く皆さんに届くといいなと思い、次回のワークショップを企画します。インスタにてご案内しますので、ぜひチェックしてくださいね。


ちなみに、私が京都のしおりづくりで選んだことばはこちらです。私がヨーガをライフワークとするなか、目標としていることが書いてありました。

「歓喜だけが在る」

それだけが在り、それによってこの宇宙が生まれ、万物が生まれ、それはただ、ただ歓ぶために、歓びを分かち合うために、それを味わいたい、ただ、それだけのために在る。
それを知って、それになり、それを生きる。それが全て。一つ一つの呼吸から微細な細胞に至るまで、全行為がそれの顕れ。智慧や愛もそのためにある。その歓びのためにある。
愛そのものになったなら、誰が愛を知ろうか。そこに在るのはただ歓喜だけ。それがそれの正体、それの本質。それだけが在ります。

 一日も早く、それだけになりますようにと願い、今日も一日頑張ります!

ターリカー


聖典に親しむ~『不滅の言葉(コタムリト)』

インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナの教えや出来事を、弟子であるM(マスター・マハーシャヤ)が書き残した『不滅の言葉(コタムリト)』から、在家の弟子の一人、ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュとの問答をご紹介します。

ギリシュは詩人・劇作家・俳優でコルカタの社交界では際立った存在でした。師と出会う前の彼は、大酒飲みで放蕩生活を送っていて、また徹底した無神論者でした。しかし師と触れるようになって完全に別人となり、熱烈な信仰者に生まれ変わりました。


1884年12月14日 ラーマクリシュナはこの日、ギリシュの書いた劇を見物なさるために、スター劇場に来ておられます。
芝居が終わった後、ギリシュは自分の部屋に師をご案内しました。

ギリシュ「先生、私は、さして何もしていません。なのにどうしてまだ、こんなに仕事をしなければならないのでしょうか?」
ラーマクリシュナ「仕事をするのはいいことさ。土地が耕してあれば、どんな種を蒔いてもよく育つ。だが仕事は結果を期待しないですることだ。(中略)」
ギリシュ「はい、どうぞ私を祝福してくださいませ!」
ラーマクリシュナ「お前、マー(大実母)の名を信じろ、すべてがうまくいくよ」
ギリシュ「でも、私は罪びと※でございます!」
ラーマクリシュナ「罪だ、罪だと年中言っているバカが、ほんものの罪人になってしまうんだよ!」
ギリシュ「先生、私の座った場所は不浄な場所でございます」
ラーマクリシュナ「何をいうんだか!千年の間、真っ暗闇だった部屋にランプが入れば、少しずつ明るくなると思うかい?ちがう。いっぺんにパーッと明るくなるんだよ」
(※ギリシュは師と出会う以前に放蕩生活を送っていた自分のことを罪びとだと言っています。)


また別の日のことです。
ラーマクリシュナは純粋な少年たちと比較して、世俗の知恵に汚れた者を「ニンニクのつぶしたのを入れておいた器は、千度洗っても匂いがすっかりは消えないだろう?※」と例えられました。(※世俗の汚れがついたら、洗っても完全には消えないという例え)
ギリシュは自分のことを言っておられると少し傷ついていたので、師に質問しました。
ギリシュ「ニンニクの匂いは消える見込みがありましょうか?」
ラーマクリシュナ「消えるだろうさ」
ギリシュ「“消えるだろう”とおっしゃいましたね?」
ラーマクリシュナ「強い火で焼くと匂いはなくなる。ニンニクを入れてあった器だって、火を通せばもう匂わなくなるよ。新しい器に生まれかわるんだよ。自分はだめだと言っている者は、決して成功しない。解脱できると自信を持っている者は、ほんとに解脱する。縛られていると年中気にしている者は、縛られる以外にないよ。自信をもって力強く、「私は解脱できた」と言う人は、解脱しているんだよ!夜も昼も「私は縛られている、私は縛られている」と言い暮らしている人は、縛られる以外にないんだよ!」


ギリシュは自分の罪(過去)を重く受け止め、“罪びとである”と言っています。ですが、ラーマクリシュナが教えてくださるように、自分は罪びとであると思い続けていると、ずっと罪のことを考えてしまい、変わることはできません。罪を見つめるよりも、ラーマクリシュナが教えてくださるように、マー(真実の存在)を思い、それに近づけるよう努力することこそが大切なのだと気付かされます。
そしてラーマクリシュナはギリシュにニンニクの匂いは消えるだろう、とおっしゃっています。その言葉にギリシュはどんなに救われたことでしょうか。ラーマクリシュナの限りない祝福と恩寵を感じる問答です。

ラーマクリシュナが教えてくださるようにマー(真実の存在)を思うとしても、まずはそれを知るところから始まると思います。
11月3日に開催する瞑想ワークショップでは、「芸術に秘められた真理に瞑想する」というテーマで、アートに瞑想をします。神聖なアートを紐解き、真実の存在について知り、感じて頂ける機会になると思います。
どなたでもご参加いただけますので、ぜひお申し込みください。
詳しくはこちらから💁‍♀️(『瞑想WS』

サルヴァーニー


弟子と師の絆

『あるヨギの自叙伝』で、パラマハンサ・ヨーガーナンダと師のスワミ・スリ・ユクテスワが初めて出会う場面はとても感動します。二人は運命の絆で結ばれていました。

「尊い先生!(グルデーヴァ!)」
「おお、わが子よ、とうとう来たか!」
わが師は、この言葉をベンガル語で何度もくり返した。その声は喜びに震えていた。
「何と長い年月、お前の来るのを待ったことだろう!」
あとはもう言葉など必要はなかった。沈黙のうちに、二人の心は溶け合った。無言の雄弁が声なき聖歌をかなでながら、師の心から弟子の心に流れ込んだ。

『あるヨギの自叙伝』p. 102

左:スワミ・スリ・ユクテスワ 右:パラマハンサ・ヨーガーナンダ

スワミ・スリ・ユクテスワは、著書『聖なる科学』の中で、弟子と師の出会いについてこう述べています。

人はいつサット・グル(聖師)にめぐり会えるか

真剣な求道者が一定の進鏡(ルビ:しんきょう)に達すると、このような聖者にめぐり会う恩恵が与えられる。その人は、サット・グル(真理への道案内、救い主)として、求道者を霊的に導いてくれる。このような聖者の導きに忠実に従うことによって、求道者は、自分の全感覚器官の働きを、それらの共通の中枢であるスシュムナドワーラ(内なる世界への入り口)に集中することができるようになる。

『聖なる科学』p. 23

私は2019年の夏頃、師シュリー・マハーヨーギーと初めてお会いしました。師は、会って間もない私に対して、最大限の優しさをもって、導きを与えてくださいました。当時抱えていた仕事の悩みの原因について、分かりやすい言葉で説明し、真の自分(アートマン)を知ることが一番重要な仕事であると教えてくださいました。また、仕事の手を抜くのではなく、精度を上げ、効率化するのがよい、それによって色々進めやすくなっていくだろう、という具体的なアドバイスまで頂きました。その後、師の導きに従ってヨーガの修行を続けてきました。五年が経ち、気が付くと仕事の悩みは解消され、円満な暮らしを送っています。大変有難いことです。

師は弟子と師についてこのようにおっしゃっています。

真理を学ぶこと、内的な、あるいは外的な無私の行為、瞑想、これらを欠かさないこと。尊い存在に対する敬愛を深めること。そうしたことによって、弟子はいつかは誰かの弟子から、誰かの師と呼び名が変わるでしょう。弟子というのも師というのも、一つの段階の呼び名にすぎません。在るのは、名のない、名付けようのない真実の存在だけです。それが弟子の全てです。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十六章 p. 531

師への感謝を忘れることなく、真の自己の実現に向けてヨーガの修行を続け、いつか師のような優しい人間になれたらと思います。

島本 廉


【京都】11/3 瞑想ワークショップ開催‼️

ようやく秋らしい気候になってきましたが、紅葉が深まり始める11月3日(日)に瞑想ワークショップを開催させていだきます‼️

瞑想ワークショップ
テーマは「芸術に秘められた真理に瞑想する」です。
今回は、師シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの生家でその芸術作品を鑑賞し、瞑想するというたいへん貴重な機会になっております。
シュリー・マハーヨーギーは、ヨーガのみならず芸術にも精通し、その卓越した直観で仏画や書を残されています。

機関紙『パラマハンサ』の表紙を飾った師の作品。 「アーディナート(原初の師ーシヴァ)とシャクティ」(左)・「如意輪観音」(右)。 今回のワークショップで展示される。

以前にシュリー・マハーヨーギーは「本来、仏画は僧侶でないと描いてはいけない」とおっしゃったことがありました。
ブッダの時代やその後の数百年は、ブッダの存在があまりにも尊いので、その姿形が描かれることはありませんでした。
しかし時代が経るにつれ、さまざまな仏や菩薩が絵や像で表現されることになり、文字や言葉だけではなく具体的イメージをもってブッダに思いを馳せることができるようになりました。
仏や菩薩を描くことは神聖な行為であり、純粋な精神でもって為され完成し、見る者の心を浄らかにします。

皆さま、ぜひこの機会に、ヨーガを成就されたシュリー・マハーヨーギーの芸術作品に触れ、静寂や歓喜、真実の存在を味わっていただけたらと思います。
ちょっと固い案内になりましたが(笑)、どなたでもご参加できますので、少しでもご興味がありましたら、どうぞお申し込みください😇

詳細はこちらになります💁「瞑想WS〜芸術に秘められた真理に瞑想する〜」

ゴーパーラ


『マハーヨーギーの真理のことば』〜弱音を吐いてはいけない  

2022年の11月に新刊『マハーヨーギーの真理のことば』の目次がアップされました。
嬉しくて何度も目次を読み返しました。すると目次を読んだだけなのに、心が強くなる感覚がありました。そのように感じた項目のひとつが「弱音を吐いてはいけない」です。

家族がいる環境の中でヨーガの実践の難しさを訴えた修行者に対して、師は次のように答えられました。

真剣に求めているならば、絶対に弱音を吐いてはいけない。どんな事柄、状況に対しても弱音を吐いてはいけない。状況がどうであれ、そんなことには関係がないと、義務は義務として果たしておく。だけど二十四時間義務が付いて回っているということはないと思うし、義務を離れた時には、真実だけを求めて、他のことには一切無関心になること。その強さは必要。絶対に言い訳はしてはいけない。

――第八章222ページ

ここを読むたびに鼓舞された私は、この実践を徹底的にやっていこう!と心に決めました。
私は仕事(ヨーガのワークス)や家庭における場面で心が動きそうになると、瞬時に師が「絶対に弱音を吐いてはいけない。絶対に言い訳をしてはいけない」と仰っている想像をして、心の中で師の教えに必死でしがみつき、弱音が出てくる前に吹き飛ばす練習をしています。
もう一方で心身が疲れてくると弱音が出そうになるので、思いっきりアホになって「私は今起きたばかり!」とエネルギーに満ち溢れた感覚を思い出し、余計なことは考えないで最後までやり遂げることを心掛けています。以前は「今日はあれもこれもしないといけない」と考えるだけで心が疲れていたのですが、「今起きた!」と強く思うことで過去や未来を気にすることなく目の前のことだけに向き合う力が湧いてきます。
このような訓練によって心が強くなり、やるべきこととやりたいことが一致して、心が満ち足りた状態になっていくのです。

徹底して実践し、弱音に対して毅然として、最高の歓びに向かって突き進んでいきたいです!

アーナンディー