シュリー・マハーヨーギー/師の教えとサットサンガ」カテゴリーアーカイブ

『Paramahamsa』表紙絵シリーズ⑫

インドの細密画に近いイメージでずっと描いてきた中で、日本画のようなヨギさんを描いてみたい、そう思って描いたうちの1つが今回ご紹介する『Paramahamsa』No.35の表紙絵です。

ヨギさんはインドのものだけではなく、日本や欧州の美術・デザインにも造詣が深くあられました。ヨギさんからはたくさんの方のお名前をお聞きしたように思います。そして、思いついたことなど、何を質問してもお答えいただけるのがいつも驚きでした。

その当時、私はヨギさんに図書館で美術書をよくご覧になっていたとお聞きしたことがあったと記憶していました。
そこで改めてシャーンティマイーさんにお聞きしてみると、図書館から白隠禅師や俵屋宗達、またその他、多くの巨匠の美術書をシャーンティマイーさんがよく借りてきていたそうなのです。ヨギさんはそれをご覧になっていたのですね。
そして、ヨギさんがおっしゃったことを教えていただきました。
本屋に行けば手軽に買える絵画のペーパーブックもあるけれど、そのようなものは色も出ていないし、安易に買ってはダメ。でも美術書なら色目もしっかりと表されている。本物を見ないとダメ。そう教えていただいたそうで、図書館から借りてくるという流れになったということでした。また展覧会などには、お母様とよく足を運び、度々本物に触れて来られたそうです。

これまで、ヨギさんが何かを選ばれるものを数少ないながらも見せていただいて、本当に良いものをご存知だからこそ、いろんなもので埋もれている中から、本物を見つけることができるんだと思ったことがありました。何事もあまり深く物事を探究せず、本物に触れることが少なかった私でも分かるくらい、ヨギさんの物を見る目は特別に感じられました。

私が描いたものは日本画というには申し訳ないほど、程遠いものではありますが、新たなヨギさんに触れていただけたら嬉しいです。

そして、今週土曜日、23日はいよいよ師の御聖誕祭です。きっと多くの人が心待ちにされていることでしょう。当日に参加できる方も、できない方もいらっしゃいますが、ヨギさんへのみんなの愛がいっぱい詰まった祝祭になりそうな予感。とても楽しみです!

シャチー


11/3 瞑想ワークショップのご報告

文化の日の11月3日、京都御前のマハーヨーギー・アーシュラマで「瞑想ワークショップ」〜芸術に秘められた真理に瞑想する〜が開催されました。

シュリー・マハーヨーギーが1988年に辰年の年賀状を書かれた時の龍(ナーガ)と、東京グルバイが制作したサハスラーラ・チャクラが参加者を迎えた。

当日は爽やかな秋晴れになり、多くのグルバイ(仲間)をはじめ、新規の方にもご参加いただき、たいへん歓びに溢れた会となりました。

会では、師シュリー・マハーヨーギーの手掛けられた芸術作品5点を鑑賞し、師の生涯やその作品に込められた意味や背景をご説明した後、各自が作品を1つ選んで瞑想しました。


その後、4人のスピーカーの方に師の作品に親しみ瞑想した体験談をお話していただきました。


私は司会進行役でしたが、会に向けて準備をしていく上で、師の芸術作品をじっくりと見ていきました。
そうすると、さまざまな疑問が湧き出てきました。
「なぜ、サハスラーラ・チャクラの中央は緑色なのか?」「白ターラーの鈴は何を象徴しているのか?」「如意輪観音のモチーフは何か?」「なぜ、師は無一物中無尽蔵の禅語を書こうと思われたのか?」etc
疑問が出てきては師の妹さんでもあり一番弟子のシャーンティマイーさんにお尋ねし謎解きを進め、当日を迎えました。
そんなことを数日ずっと続けていると、日常生活の中でもその仏や菩薩が至るところに見える経験があったのですが、体験談をお話してくださったスピーカーの方々は、師の作品に親しみ瞑想していくことで日常においてもさらに歓喜や慈悲を感じるといった体験があったそうです。
本当に師の芸術作品は心を真理へと導く物凄いエネルギーをもったものだと感じました。

何よりこの会では、参加された方がとても歓んでおられたのが印象的でした🪷


そしてこの度、師シュリー・マハーヨーギーの展示された作品5点が瞑想カードとして販売されることになりました!!!
詳しくはこちらをご覧になってください💁‍♂️「シュリー・マハーヨーギーの作品を瞑想カードに」

「無一物中無尽蔵」(1993年)

ゴーパーラ


弟子のサットサンガ ~師を見倣う~

9月28日(土)京都アスニーにて弟子のサットサンガが開催されました。今回は、2018年5月に愛媛県松山市で開催された特別サットサンガの映像が上映されました。私は、当時そのサットサンガに参加していましたが、そこでの記憶が全くなく、映像を見ても、今の私が、映像の中のサットサンガに参加して、師であるヨギさんの教えに耳を傾けているというような感覚でした。

力強く、生き生きと実感を持って語られるヨギさんの真理のことばは、今を生きる私の胸を熱く鼓舞しました。

師:真実は物質ではないです。思いでもない。それは思いを超えたものですから。しかし、それは在ります! ただ在るとしか言えない! そしてまた、在ると言えるのは、それだけなのです。それだけが在ります!

質問者:それが本当の自分なのですね。

師:そうです。これはもう間違いなく誰もが実現できることです! 誰もがそれなのですから。

映像の中のヨギさんは、質問者に寄り添い、一人一人を大切に優しく、相手に必要なことを分かりやすく伝えられていました。その姿は当時感じていた以上に、自然にさりげなく、そしてそこには大きな愛と慈悲が溢れていたことを感じました。サットサンガという機会と時間は、なんと尊く奇跡のような時間だったのでしょうか!

私はこれまで、師の愛と慈悲からなされる行為を受け取りながら、同時に自分には到底できないと感じていました。しかし、ヨギさんがお隠れになった今、ヨギさんの教えを生きようとする時、いつでも胸に浮かぶヨギさんのお姿は、愛と慈悲に溢れていらっしゃるのです。拙いことは重々承知していますが、残りの人生を私もそのように生きたい!と決意しました。

これから諦めないで、命ある限り精進していこうと思います。

山口正美


「アムリター不死―」上映会

7月、京都では祇園祭が始まり、祇園囃子がコンチキチン♪と響き出します。19年前の祇園祭真っ只中の2005年7月17日、マハーヨーギー・ミッションでは、あの伝説の聖劇!「アムリター不死―」が京都文化博物館にて公演されました。(詳しくは当時の写真が多数掲載のこちらをご覧ください!→公演リポート

先日その上映会がありました。上映会場の京都アスニーには、師が「アムリタ」当日に京都文化博物館の前に出てこられた時のお写真が飾られ、そこにはフワッと長身の師が佇んでおられるような空気感が漂い、お写真の側には可憐な黄色い小花がさりげなく生けられています。
皆の会話が自然とやみ静けさに会場が包まれた頃、14時となり、いよいよ始まりです。照明が落とされ、中央に大きなスクリーンの光がポッと浮かび上がり映像が映しだされました。

スクリーン右端に映っているのが少年ナチケータス、色とりどりのサリー姿の女性がシャクティたち。

・・・・そして・・・・30分ほどの上映は、瞬きも息も忘れるほど?!アッという間に終わり、それほどまでに集中感に満ちた内容でした。聖劇内容はぜひ公演リポートをご覧いただければと思いますが、今回私が特に印象的だったのは二つのシーンでした。

一つは、真実を求める少年ナチケータスの周りをシャクティたちが円形に囲んでゆっくりとただ歩く静かな動きのシーン。黄泉の国に行くため瞑想に座ったナチケータスの周りをシャクティたちがゆっくりと厳かに三回半歩き瞑想へいざないますが、何とも言えない静かなリズムや呼吸が静謐さそのもので、見ているだけで瞑想に導かれる不思議なシーンでした。
もう一つは同じくナチケータスの周りをシャクティたちが、今度は躍動的に動くシーン。その動きは蓮の花が蕾から少しずつ開いては閉じ開いては閉じ開花していくその様を象徴的に表現した動き。前者の静かに歩くシーンの集中感とは対照的で、ダイナミックなエネルギーの塊のような別の集中感があり、生命と直結しているものや命の根源の鼓動なのか、自分自身の何かがそれと共鳴する体感がありました。太陽の周りの炎や火山の噴火のような強烈な熱源が勢いよく展開し、何かが生まれていく瞬間にも感じました。何もないところから聖音オームが響きはじめ、その振動は広がり、宇宙万物が顕現していく様が暗に表現され、またアートマンがシャクティに展開する様子をも含んでいるシンボリックな美しい場面。中心に座しているのは不動のナチケータス。

私は当時、そのシーンも練習で見させていただいていて当日もいましたが、今回の映像を見たことによって、師が不滅の真実を芸術的に表現されたその美しい世界観、新鮮さに圧倒されました。シャクティたちの表現は蓮の花弁でありながらも、一方ではシュリー・ヤントラ(象徴的な真理の図象) でもあり、一つの身体表現の動きのなかに神聖な象徴がいくつも実は隠されていたといいます。私自身はまだまだ深く理解できていませんが、世界の始まりの生命の源が呼吸し、脈打ち、展開していくその振動、そのリズムをもし視覚的に見られるとしたら、きっとこのようなものなんだろうなと感じ、それを師が私たちにも分かるように表現してくださったことに感謝しました。目を閉じても、しばらくその二つの場面が蘇り続けました。

演者たちの迫真の演技と全身全霊の表現は、この世の者とは思えず、それは演技ではなく、実はそっちが本当の姿で、演じているのは今の人間の姿のほうなんじゃないかとさえ思えました。それは私たち全員もそうなのかもしれないと感じました。映像を通して、命の素の姿を見たようで鳥肌が立ちました。
師が最初から最後まで総指揮をされた貴重な作品「アムリタ」は、時が経てば経つほどに、とてつもない輝きを増すものだと実感しました。

公演当日の準備風景から終わりまでのメイキングフォトのスライドショーもあり、驚いたのは、師は当日、隅々まで私たちと一緒になって実際に動いてくださっていたことでした。当日には皆それぞれ役割担当があり、各場所に散らばり持ち場についていましたが、その各場所の至るところに、師は出没して顔を出してくださっていたことが写真から分かり胸がいっぱいでした。師の楽しそうな笑顔がたくさん映っていました。掃除や片付け、裏方の仕事など、どの現場にも師が私たちと同じ目線で一緒になって考えてくださっているお姿、手伝ってくださっているお姿、会場の準備で床にメジャーをあてて計測されているお姿、控室で演者の衣装をチェックされて大笑いされているお姿、受付や宣伝の係の者たちに声をかけてくださっているお姿、終わった後に舞台の床に貼ってある位置取り?のテープをしゃがんで剥がしてくださっているお姿、そして公演前みんなで雑巾がけしてピカピカに磨きあげた床に弟子一同がずらりと並び、師に礼拝しているその時の師の優しいお姿。その場面を見た時、あの時あの場所で師に礼拝した一念の瞬間の衝撃が鮮やかに蘇りました。師は舞台に上がってくださり弟子から奉納されたお花のマーラー(環)をお掛けになり、優美な微笑みで皆を見守ってくださっていました。そしてその一日、師は、師であられるのに誰よりも率先して動かれ、誰よりも大笑いされ、誰より楽しまれて誰よりダイナミックでピュアで、誰よりもチャーミングで純真無垢な少年のようでした。

公演後の場面では、お客さんたちが師にご挨拶するために師の前に列をなしていました。弟子たちの家族や友人も大勢来ていました。師が一人一人に同じように満面の笑みを向けられ、時には真剣な表情をされ向き合ってくださっているお姿が映っていました。アムリタを公演したことによって師と縁ある人々が一斉に一同に会して、師に、つまり聖者に、接見できる機会に皆が恵まれたのだ、とそのスライドショーを通して初めて私も気づきました。準備段階から公演を通してたくさんの方とのご縁が生まれましたが、公演に来られた方だけではなく関わったすべての方々、大勢の人が祝福された日だったのでした。アムリタの出演者や関係者が、当時、師がアムリタをどのように進めていかれたのか、師のお仕事のされ方や師から学んだことなどをその上映会の日に話してくれたことによってそう感じられました。(上映会で話された内容に関連することがここにも記されています→「アムリタ-不死ー」の主旨

祇園祭りに合わせたアムリタの宣伝計画、新月から始めるチラシ撒きや地域や時期の計画、アムリタのポスターデザインを手掛けられた時の制作秘話など、話は尽きませんでした。師を筆頭に皆総出で一気に突き進み、突き抜けた数カ月間、あまりにも全力を注いだため記憶がない、と言っている者までいました。
時を経て皆で「アムリタ」の歓びを共有した2024年7月14日。その歓びを展開していくための通過点の貴重な一日に、師に心から感謝を捧げます。

 

ナリニー


ヨーガ・瞑想 西宮北口クラス

2017年より始まった西宮北口クラス。
このクラスは、通常は2、3人、多い時で5人ほどが集まる少人数のクラスで、その内のお二人は女性で、初めてご参加いただいてから1〜2年ほどになります。

今日のブログでは、そのお一人である森澤さんの、いくつかのエピソードをご紹介したいと思います。

ヨーガは初めてに近かったと思うから、最初はクラスでアーサナをするだけでも精一杯だったと思います。そんな中、家で毎日アーサナをすることは、誰もにとって難関の一つになったりしますよね。森澤さんもそのお一人だったのではないかと思います。
けれどもしばらく経った後、森澤さんは家でアーサナをした後に私にメッセージをくださるようになったのです。「メッセージを送ることで毎日続けていく励みになる」とおっしゃっていたのですが、それは私にとっても、とてもありがたいことでした。頑張って続けていこうと思ってくださることもとても嬉しいことでしたし、加えて、アーサナをした時に感じたことや、クラスでお話ししたことへの感想も一緒に送ってくださり、次のクラスへと繋げることができたからです。

そうしてアーサナにも慣れた頃から、アーサナ以外のヨーガの教えにも少しずつ触れていただくようになりました。ただ初めて聞く真理の教えに、森澤さんの頭の周りに???が飛んでいるのが目に見えて分かる時もありました。
それでも「アーサナを続けていくことで教えを理解していくことができるようになる」という師の教えをお伝えし、今はアーサナを続けていきましょう、とそんなお話をしたこともあります。

1年も経った頃だったでしょうか、とても嬉しいことがありました。
彼女はマラソンをされているのですが、ある大会でとても成績がよかったことをお話しくださいました。そして、その結果には「最初は呼吸が関係しているのかと思ったけれど、よく考えると、余計なことを考えることなく最後まで集中して走れたからではないか、それはヨーガの効果だと思う」とお伝えくださったのです。

そしてその後の4月、MYMの春のキャンペーンで、本を少し安く購入していただけることを皆さんにご案内した時のことです。『さまらさの台所』は購入を決めていますが、他に何を読んだらいいですか?と森澤さんが尋ねてくださいました。実際に見ていただいて一番読みやすそうなものを選ばれたらいいのでは?と手に取っていただいた後、森澤さんが選ばれたのは『ヨーガの福音』でした。きっとその時、何かしっくりくるものがあったのでしょう。

その次のクラス、森澤さんのアーサナが変わりました。
というのは、これまでクラスに来てアーサナをすると、足がつって続けられないということが何回かありました。家でするとそんなこともないらしく、クラスではかなり頑張ってしまわれるからだと思いますが、『ヨーガの福音』を購入されたあの日も、足がつってしまい、アーサナを続けられなくなったのです。その分、ヨーガの話をたっぷりとできた良い時間にはなりましたが、アーサナに関しては不完全燃焼!と残念に思っておられたようです。

そうして迎えた次のクラス、この日は、足がつることもなくアーサナを終えることができました。今日はつりませんでしたね、とお声かけすると、「これまでは、アーサナの柔軟性を高めようとして頑張ってしまっていたけれど、『ヨーガの福音』を読んで、アーサナをすることへの目的意識が変わり、力を抜いてできたからだと思う」とのこと。そして「『心と体は自分ではない』という教えなどが、スッと心の中に入ってきた。『ヨーガの福音』は何度も何度も読んでいきたい本だと思った」とおっしゃいました。

今、森澤さんは、自分が習っているヨーガがどんなものかもっと知ってみたくなった!と、軽やかに、熱心に通ってくださっています。

真理を体得された師のお言葉は、誰もの心の奥に届き、変革をもたらすものだと、それを改めて実感できた出来事の数々でした。
こうして真理の教えを残してくださった師のお働きに、深く感謝を捧げます。

***

西宮北口クラスは、毎月第1、3木曜日に続けています。
お近くの皆さま、ぜひご参加ください!

シャチー


「ヨーガ・サンガム」「新緑を愛でる会」のご報告

空は雲一つなく、爽やかな風が青々と茂る新緑を揺らしている——
5月18日、師シュリー・マハーヨーギーの御入滅 1周年法要が京都アスニーの和室にて執り行なわれました。
午後からは、同じ会場で第2回「ヨーガ・サンガム」が開催され、師のヨギさんがアーサナをされるお姿が記録されている貴重な映像『In The Cave With The Master』のダイジェスト版が上映されました。

グル(師匠)と弟子の真剣なやり取りから気迫が伝わり、ヨギさんのこの世のものとは思えない美しい身のこなしとお言葉のスケールの大きさに感嘆しました。
最近クラスに参加し始めた方の参加もあり、32名の仲間と共に行なうアーサナは熱気に包まれ、志を同じくする者たちが集まることで生まれる迫力を肌で感じました。


パシチモーッターナ・アーサナ(前屈)の時に、指導者が手の位置を変えるようにアドバイスをくださり、そのようにすると体はきつくなりましたが、お腹の感覚がハッキリして自ずと呼吸が深くなりました。心身はほぼ無意識に楽な方に進んでしまいますが、本当は逃げずにベストを尽くした方が身軽なのだと、アーサナを通してヨギさんが教えてくださったように感じました。
私は6年前この会場で初めてヨギさんに出会いました。ヨギさんが教えてくださるアーサナに「これは本物のヨーガだ!」と体感し、真実に出会えた歓びで胸が熱くなりました。そして状況が変化しても、ヨギさんが残してくださったかけがえのない真のヨーガを、サンガ(仲間)と共に学んでいけることに感謝でいっぱいです。

翌日はプレーマ・アーシュラマで「新緑を愛でる会」が開催され、25名程が集いました。アトリエには、お仕事中のヨギさんのご様子が伝わってくるお写真や『マハーヨーギーの真理のことば』の原稿などが展示され、ヨギさんがよく座っておられた椅子の位置からは、新緑が小雨に濡れながらもみずみずしく葉を広げる美しい景色が目に映りました。


会は祭壇の前で円になり和やかな雰囲気の中、ヨギさんにまつわる懐かしいお話を、笑いを交えながら語り合いました。ヨギさんと直接お会いする機会があまりなかったあるグルバイが、ヨギさんを知ろうと渇望するかのように熱心に話に聞き入る姿がありました。ヨギさんは、ヨギさんのお姿にたくさん接した人の中にも、そうでない人の中にも、同じようにおられるのだと改めて気づかされ、ヨギさんの無私の愛と導きの偉大さに胸を打たれました。ヨギさんを思う時間は本当に愛おしくて、あっという間に時が過ぎてしまいました。
そして最後はキールタンを全員で大合唱しました。ヨギさんは、あの手この手を使って私たちに神の愛を体験させてくださいました。私たちが神への信仰を持つことができるのは、ヨギさんのおかげです。これからも弟子たちを通して、ヨギさんの真実の愛がこの世界で美しく輝き続ける、そう感じさせられた2日間でした。

船勢洋子


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ ⑨

今回は、『Paramahamsa』No.13の表紙絵について紹介させていただきます。

これは表紙絵を描き始めてから3つ目の作品になります。
一つ目の絵は、ヨギさんに教えていただいたインドの細密画を真似て描きました。この時は、ヨギさんに喜んでいただきたいという思いだけがあり、ただ描くことが楽しくて、幸せで、仕上がりまで夢中になって描いたのを覚えています。
そして昨年1月のブログで紹介させていただいたように、その時から『Paramahamsa』の表紙絵を隔月で描くことが始まったのです。

心というのは実に不思議なもので、その次の2作目を描く時、私の心境は全く別のところにありました。最初にヨギさんに褒めていただいた経験が、「うまく描かないといけない」「ヨギさんに喜んでいただけるものが描けるだろうか」とネガティブな思考に向かってしまい、どんな絵を描いていいのか分からなくなって、何度も描き直したのです。
描きたいと思っていた1作目とは違い、描かないといけないと思った2作目。
出来上がった絵は、背景にある木は突っ立っているし、何だか固い。ヨギさんは褒めてはくださいましたが、本当のところは分かりません。

そして今回の作品です。この時は思いにとらわれることなく、もっと肩の力を抜き、想像を働かせました。大好きなヨギさんの、優しく、そして優雅な感じが表せたらいいなとか、そうだ、聖なるガンジス河とシュリー・ラーマクリシュナが過ごされたドッキネッショル寺院を描こう、など、思いつくままに描いてみました。

これらの3つの絵を含め、初期の絵に対してヨギさんは、ずっと後のことになりますが、「初期の頃のシャチーの作品はオリジナリティーがあっていい」と言ってくださったことがありました。技術こそまだまだでしたが、ヨギさんに集中し、表したいことを素直に描いてみた結果だったのかもしれません。この絵から、それぞれが好きなヨギさんを少しでも感じていただけると嬉しいなと思います。

シャチー


『マハーヨーギーの真理のことば』〜カルマの法則〜

ヨーガに出会い、僕はカルマの法則の存在を初めて知りました。
僕はこれまで自分の置かれている状況や訪れる結果に対しての原因が自分の心の思いや行為にあるということを考えもしませんでした。とくに職場では業務がスムーズに捗(はかど)らない状態を周りの人たちに問題があると感じていたり、職場の環境がより良く変わらないのも職場に原因があると思っていました。
ヨーガを学び、師の教えに触れる中でその思いや行為が少しずつ変わっていきました。

「ヨーガの重要な言葉にカルマというものがあります。これは原因と結果、あるいは作用と反作用の理のことです。特に自分の行なった行為、あるいは思いーー心の中の思いも行為と見なされますから、粗大な行為、微細な行為というわけですーーその行為の善悪、あるいは無知と真理に基づくものはやがて結果を招く。悪いことをすれば苦しみの結果がやってくるし、善いことをすれば楽な結果がやってくる、その果実を自らが受け取らなければならないという約束事のことです。これは宇宙的な約束事のことです。人間だけではなく、あらゆるものがこの原理に従っています。
 種を蒔けばそこに実がなるように、良い環境で育てば良い実がなり、そうでなければ良くない実がなるように、そのカルマの法則というものを理解するならば、一口で言うと自業自得ということになります。良いことも良くないことも、全てその原因は自分の中にある。また未来にやってくるであろう結果も、自分が蒔いた種に違いない。そういうふうに何事も他人のせいにしない、責任転嫁をしないことですね。それでも誰もが良くありたい、幸せでありたい、自由でありたいと願っているはずですから、そうすれば自らの行為をより良くしていくほかありません。理に適った話です。何もしないでいて誰かが幸せにしてくれるわけではありません。やはり自分が努力をして、それに見合うものーー結果として幸せはやってきます」

『マハーヨーギーの真理のことば』P96より

すべては自分の心と行為次第であることを教わり気づかせていただきました。
そして自身の働きをより良くしていきたい、また周りの人や環境に対しても良くしていけるようになりたいと思うようになりました。どんな状況にあっても他人や環境のせいにしないように、今この瞬間をより良くしていくことだけ考えて働いていこうと決めました。そうすることで、仕事への目的意識がはっきりして業務を進める上での必要性が見えてくるようにもなりました。ゴールに向かって仕事が円滑に前向きにみんなで進めていけるような状況に好転していきました。
「未来を良くすることは今この瞬間を良くすること、それが未来につながる」と学び聞いた言葉を大切にして、目の前の仕事に励んでいます。

金森淳哉


今を大事に生きる

ヨーガに出会うまでの僕は過去の出来事に心が引きづられることや、その印象を思い出しては一時的に心を悩ませていました。
人との摩擦や状況や環境に対して憤りを感じることも日常的でした。生きていると「うまくいくこと」「うまくいかないこと」様々な時があって、そのつど、自身の心や感情も右往左往していた記憶があります。
ヨーガに出会えて師の教えに触れる中で大事なことに気づかせていただけました。

『過去のことは思い出す必要はありません。全て忘れることです。大事なことはその時です。今というその瞬間だけです。これによって未来は変わっていくわけですから、過去のマイナスも今を大事に生きることで補えることになります。たとえどんなに成功があろうと失敗があろうと、過去は全く何のこともないです。心はいつも感傷的に過去に縋っています。それが煩悩なのです。過去はこうだった、ああだった、良くも悪くもそれは感傷です。そうしてそれはカルマを生み出すものです。』
(「マハーヨーギーの真理のことば」P69より)

僕は今をより良くしたい、変わりたいとも思いました。
過去の出来事や経験を思い返す必要はなく、大切なことは今をどう生きるかということだと教わりました。
自分の考え方や取り組み方次第で、とくに職場の人や状況が良好に変化していったことを実感しました。
今も歩みの途中ですが、このお言葉をこれからも大事に持ち続けて日々を過ごしていきたいと思います。

マハーヨーギーの真理のことば

金森淳哉


弟子たちのサットサンガに参加して

1月14日(日)に弟子たちのサットサンガがありました。近隣のグルバイの方々だけでなく、東京や松山などにお住まいのグルバイの方々にもお会いすることができました。40名ほどが集まり、会場は喜びいっぱいの雰囲気に包まれていました。

そして、大きなスクリーンで2016年11月6日(土)に行なわれた特別サットサンガの映像を見ました。実はそのサットサンガで、私は初めてヨギさんにお会いしました。当時、心と体をもっと強くしたいとヨーガを習い始め、真理や師という言葉に触れたこともなく、全く何も知らないまま参加しました。けれどもサットサンガが始まる時間になり、ヨギさんがアーシュラマの階段を1段ずつ上ってこられた時、私の心の中が今まで経験したことがない温かく柔らかいものに包まれ、今まで見ていた景色が変わり、それが次の日まで続いていたことを覚えています。サットサンガでは何を質問していいのかも分からず、ただその場にいるだけだったのですが、純粋で本質そのものであるエネルギーに満ち溢れたヨギさんの存在が、私に忘れられない体験をもたらしてくださいました。

 7年以上の月日が経ち、同じサットサンガの映像を見た今、私は、あの時と全く同じように、ヨギさんのお姿に、ヨギさんから語られた力強く確信に満ち溢れた言葉に感動し、がんばっていこうと鼓舞されています。

 「真実は自分自身の中にある! はっきり言います!」
 「ここに生まれてきた本当の意味があります」

 間違いないと確信をもって言い切られるヨギさんのお姿に、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ(ナレーンドラナート)と師であるシュリー・ラーマクリシュナとのエピソードを思い出しました。

***

ナレーンドラナートは師に近付いて、以前から他の指導者に投げかけてきた質問をした。「師よ、あなたは神をご覧になったことがありますか?」 
「あるよ」とシュリー・ラーマクリシュナはお答えになった。「私は、ここでおまえを見ているのとまったく同じように、神を見るのだ。ただし、見え方はずっと強烈だがね。神は実感することができる。人は、私がおまえにしているように、神を見て話しかけることができるのだ。しかし、誰がそんなことをしたいと思うかね? 人々は、自分たちの妻や子供、あるいは富や財産のためには、土砂降りの雨のように涙を流すが、誰が神のためにそんなことをするだろうか? 人が神のために心から涙を流したら、神は間違いなく御姿を現されるよ」
この衝撃的な返事はナレンドラナートの心を瞬時にとらえた。生まれて初めて、彼は神を見たと言える人を見つけ、宗教は実感できる現実であることを悟ったのである。話を聞いているうちに、彼は、シュリー・ラーマクリシュナがその深い悟りの中から話していると、信じないではいられなくなった。
                         『真実の愛と勇気』より引用

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時間や空間を超え、常に弟子たちを鼓舞し続けてくださるヨギさんに、感謝の気持ちでいっぱいです。真理の教えは変わることなく、師の存在もまた変わらずにいてくださる。そしてこれからも常に私たちをいろいろなかたちで鼓舞し続けてくださいます。これからもヨギさんの弟子であり続けたい。ヨーガの道を邁進していきます!

桜井晃己桜井みき

 


その日の午前中には、京阪神合同のヨーガ・瞑想クラスを開催。遠方の方も含めて20名が参加してくださいました。今回はリードなしの、それぞれが黙々とサーダナを行なうというスタイル。お互いの熱を高め合いながら、気迫に満ちた集中感の高いクラスとなりました。

MYM京都