シュリー・マハーヨーギー/師の教えとサットサンガ」カテゴリーアーカイブ

待望の新刊 11月発売予定!!

今日は、とっても!とっても!嬉しいお知らせがあります!
師が説かれた真理の教えをまとめた新しい本が、まもなく出来上がります〜!
師にも編集、装丁デザインなどご尽力いただき、長年かけて取り組んできたのですが、この度、ようやく出版の目処が立ちました。
タイトルはーー『マハーヨーギーの真理のことば』です!!!

師はこれまで45年以上に渡って、世界各地で多くの道を求める人々、人生のさまざまな問題に苦悩する人々を永遠・普遍の真理へと導いてこられました。今回発刊する本は、その間残された1997年〜2019年の貴重な記録の中から厳選・抜粋されたものになります。

ヨーガを学んでいる方はもちろん、まだ知らないという方でも、基本から理解と実践を深め、読み進めていくことができます。
全536ページと、あのヨーガのロングセラーといわれる(ご存知の方も多いと思いますが)『あるヨギの自叙伝』(パラマハンサ・ヨガナンダ著)と同じくらいのサイズ感になる予定で、ヨーガの教えがくまなく網羅された、とっても濃密な、ボリューム豊かな内容になっています。探し求めている答えがすべてここにある!と思える本だと思います。

内容については今後、追ってご案内させていただきます。
どうぞ楽しみにしていてください!

 


マハーヨーギーの真理のことば

サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ著
A5版 536ページ
8,800円(税込)

師シュリー・マハーヨーギーが語られた全記録から編纂されたヨーガの集大成、全16章。
インスパイアーに満ちた師の真実の言葉は、人として生きる真の意味を喚起させ、霊性の道を歩むかけがえのない祝福と導きとなるだろう。


マハーヨーギー・ミッション 


ヨーガによって辛い記憶から解放される

”サンスカーラ——心の潜在残存印象

サンスカーラを消していくのは真実の智慧だけです。だから実存だけに集中していってください。
サンスカーラは何かに依存しています。心の記憶とプラーナ、そして条件です。条件というのは煩悩、無知のことです。瞑想における真実の智慧は、心の記憶にゼロというサンスカーラを残していきます。
例えば心の記憶というフィルムにたくさんの映像(サンスカーラの記憶)があるとするでしょう。真実の智慧はその映像を消していきます。だからサンスカーラに集中する必要はありません——煩悩と無知から出たものですから。そして積極的な真理への瞑想が深まっていけば、心の中で識別が行なわれます——真理と無知の間で。サンスカーラは無知に依存するものですから、それで消えていくのです。あとは実践です。”

『ヨーガの福音』より

経験は、喜びや悲しみなどの感情と共に記憶として残ります。特に印象が強い記憶は繰り返し思い起こされ、その時の感情を何度も味わうことがあります。

私は、思い起こす度に苦しくなっていた記憶に全く影響を受けなくなった経験があります。
一つは、小、中学生の頃にいじめられていた記憶です。
当時は毎日不安で、特に辛い出来事が起きる度に絶望感に支配されていました。大人になってからも、突然記憶が蘇り辛くなったり、その頃過ごしていた場所に行くと足がすくんだり、いじめた側の人たちを見かけると息苦しくなって体が震えたりしました。
当時暮らしていた地域を離れてからはそうしたことは減りましたが、何かの拍子に思い出しては苦しくなるのを繰り返していました。
ヨーガを始めて、サンスカーラについての教えを知った時、心の記憶にゼロというサンスカーラを残せたら辛い記憶も綺麗さっぱりなくなるんだ、と淡い希望のようなものを感じました。瞑想は難しかったので、まずはアーサナを続けてみようと思い、少しずつでも毎日やるようにしました。
それから2、3年経った頃、当時暮らしていた地域に行ったところ、懐かしさだけを感じました。思い出す度に味わっていた苦しみがなくなっていたのです。おそらく、アーサナの実践によってプラーナ(気)が清浄なものへと調えられ、心身が満たされたことで、記憶に執着する力が働かなくなっていたのではないかと思います。

もう一つは、家族との間で起きた出来事の記憶です。
物心ついてからずっと囚われていて、そのことを考えると動揺するため、向き合う勇気が持てないまま月日が流れていました。しかし昨年、あることを機に何をしていてもそのことが頭から離れない状態になってしまい、向き合う覚悟を決めて識別に挑みました。
向きあうことは思っていた以上に辛くて何度も挫けそうになりましたが、原因は必ず自分の中にある、と、そこに辿り着きたい一心でもがきました。
しばらく経ったある夜。疲れ切った状態で識別瞑想していると、急に思いが噴き出してきました。次から次へと記憶に強く結び付いていた感情が溢れ出し、かつてないほどの負のエネルギーに引き摺られそうになりましたが、抗わずにただそれを見つめることに徹しました。息ができないような苦しさの中、自ずと意識が師へと集中していきました。いつの間にか湧き出ていた感情はすっかりなくなり、心は静かになりました。目を開けると師のお写真がすっと視界に入り込んできて、この上なく平安な気持ちに満たされました。
その後、その頃の出来事や感情を意識して思い出しても、動揺することがなくなりました。記憶として存在はしているけれど、ただ映像を眺めているような感覚になりました。
識別瞑想に挑んでみたものの、あまりに苦しく師にすがるしかないような状態に追い詰められ、自然に師の存在に集中する状態になり、師の純粋さに染められたことで、記憶に絡みついていた感情が消え去ったのだと思います。

「心の記憶にゼロというサンスカーラを残していく」
この「ゼロ」ってすごいなあと興味を持ったのが始まりでしたが、この2つの経験から、ヨーガの実践によって本当にそうなることを実感しました。

ヨーガによって、苦しみの原因を根こそぎ取り除くことができる。
これほど確かで心強いことは他にはないと思います。

鮮やかなオレンジ色のほおずき。毎年8月になると職場である治療院に飾ります。
オレンジ色はサンニャーシン(出家者)が身に付ける糞掃衣(ふんぞうえ)の色として、放棄の象徴とされています。

ハルシャニー


心躍る新緑〜松山特別サットサンガ 振り返り

新緑が輝き始める季節になると体と心が自動的に松山特別サットサンガを連想し、喜びと感謝に満たされます。6年前のちょうどこの季節、2016年5月21日に私たちの敬愛する師は愛媛を訪れ、松山・今治で3日連続で特別サットサンガを開催してくださいました。
(当時の記事はこちら⇨1日目2日目3日目
松山のスタッフはゴールデンウイーク中、ほぼ毎日集まり、家族以上に長く一緒にいて無我夢中で準備をしました。真剣さの中にも常に喜びがあり、スタッフの絆がさらに強くなりました。真のヨーガを一人でも多くの方と分かち合いたいと願い、師を松山にお呼びしたくて地道な活動が始まって11年越しで特別サットサンガが叶いました。


そのサットサンガで印象に残っている質疑応答の一部を要約してご紹介します。
質問者が「以前、本質を見ることが問題の解決になると教えていただいたのに、つかめない。本質を見られるようになるには今の自分の心をしっかり見て、何が本当なのかを徹底的に理解していくことでしょうか。その他にはありますか」と問い、師は次のようにおっしゃいました。

他にはありません。自分自身の本質、あるいはこの世界、宇宙の本質と時々いいますが、この本質が意味するところは真実のもの。真実のものということは、永遠に不滅の存在のことをいっています。昔から、この体の中にあっては魂と呼んでいたり、またこの宇宙にあっては神と呼んでいた存在、それらは架空のものではないのです。実にありありとした、まぎれもない存在としてリアリティをもった唯一のものです。それに比べれば、この体や心は生まれてきて変化をしながら、やがてなくなります。心も幼少の頃から成人し、やがて年老いて、そのさまざまな状況の中で考えたり感じたり、いろんなことを、いろんな働きをしますけれども、それらはその状況に応じて働いている、そういうものです。いわば、この世界の中で生きていく上での道具のようなもの。それが体と心の役割なのです。
ただ間違いが生じて、心の中にあるエゴイズムというエゴ意識ですね、これをあたかも自分だと思ってしまう。そうすると他者との距離が生まれ、そこに差別が生まれ、隔たりが生まれて、またさまざまな問題が生じてしまう。これが人生におけるすべての問題の原因にもなっています。言い換えれば心が心自身を知ること、本当の心のあり方を知ること、本当の主人は心ではなく、その奥に在る純粋な意識、魂、あるいは神の存在、そういうことが体験できたら、すべての過ちはなくなります。
(中略)
このことを学び、そして今まで間違っていたエゴが主人であったならばそれをただ正しめるという、本来の心そのものの役割に回帰させる、そして本当の自分を知ること、これが本質という言葉の意味するところなのです。

すべてを優しく包み込むような師の慈愛に満ちた口調が会場に静かに響き渡り、言葉を超えた細やかな振動が私たちの心を真実へと向かわせました。言葉の意味を頭で理解するのではなく、真実を体感する。これこそがサットサンガの醍醐味です!
「リアリティをもった唯一のもの」への憧れはますます高まり、師に励まされた一人一人は今も弛まず力強くヨーガを邁進しています!
コロナ禍で師にお会いすることはできませんが、常に真理に心をぴたっと貼り付けて、師に再会したとき、師に喜んでいただける自分でありたいです。毎日が心を清らかにする準備だ!と熱意をもって軽やかに精進していきたいです。

アーナンディー


真実という宝

松山のヨーガ・サーラ・スタジオに通う太宰さん。昨年より松山のスタジオだけではなく、MYMのオンラインクラスを最大限に活用され、誰ヨガ、瞑想専科バクティ・ヨーガ編、バクティ・サンガムなどにも熱心に参加されています。実は最近、太宰さんに大きな心境の変化があったとのこと。今回はそんな太宰さんにインタビューをしてみました。

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Q: 最近はよく日常でキールタンを歌われているそうですね。歌われていてどうですか?

太宰さん: (笑顔で)キールタンはすごいですね! 元気になる。楽しい! 今は日常生活において、掃除、洗濯、食事の用意の時もとにかくずっとキールタンを歌っていて、それが自然となっています。嫌なことがあってもキールタンを歌うようにしたら、自然と笑顔になるんです。とにかくキールタンが好きになって、めちゃくちゃ楽しいです!

 

Q: 何かきっかけがあったのですか?

太宰さん: 昨年、瞑想専科バクティ・ヨーガ編に参加しました。そこで、「信じることができればそれでいい。これ以上のものはない」というラーマクリシュナの教えが紹介されたんです。それを聞いて理解はできるけど、では自分はどうしたらいいのかなって思って。講座では実践方法や体験談も紹介されていたので、私にもできるかなと思って、二つのことを実践しようと思いました。一つは、キールタンができるかなと思いました。

Q: そうなんですね、あと一つは何を実践されているのですか?

太宰さん: 信じるということはどういうことかと思った時に、真剣さが一番だけど、信じることに対しても(自分には)謙虚さがない。そう思って、とにかく(瞑想に)座る、ということを決めました。「純粋で素直な信仰心をお与えください」ってお願いするだけなんですけど、まずそこからと思っています。最初からはできませんでしたが、回を重ねて講座の終わり近くになって、もっと真剣に頑張ろう!本当に変わりたい!変わらなければいけない!と強く思いました。

 

Q: 実践を続けてこられた中で、何か気付きや変化などはありましたか?

太宰さん: 以前、ヨギさんが松山に来られた時のサットサンガで、いろんなことに執らわれている悩みを相談した時に、「目の前に宝物があるのに、もったいない!」と言われたことがあるんです。それで、目の前の宝がどういう意味なのか分かりませんとお聞きしたら、「至福という――壊れない幸福のことを至福といいますが――そういう歓びに満ちた状態、それがその宝の山の正体なんです。それはどこに在るのかといえば、自分の中に、胸の中に在るんです」と言ってくださったんです。ただ、言葉上は理解していたんですが、本当の意味では理解できていなくて。

それで、瞑想専科の最後の方なんですが、座っていた時にやっとその宝の意味を理解できて、あぁ、これと同じことをヨギさんは教えてくださっていたのかなと思いました。宝というのは、真実であったり、真理のことです。瞑想専科で学んだ神への愛ということと自分はマッチして、同じことなのかなと捉えました。私はこれまで非実在のことでいっぱいで、たくさんの時間を費やしてきて、本当にもったいなかったなぁと思いました。
まだまだ、これまで積み重なってきたものがふつふつと出てきたりするんですが、今は「もったいないからやめよう。ここに真理があるんだ!」というふうに言い聞かせて、そのように思いを変えていくというようにしています。
やっと、スタートに立てたかなと思っています・・・こんなこと話したら、いいようにばっかり言っているように思うんですけど笑。

Q: それは本当に良かったですね! 今後の目標はありますか?

太宰さん: 今、していることを頑張って実践して、体得して、心が穏やかになりたいです。そして神を感じて、神で(身も心も)パンパンになりたいです! そして、次にヨギさんにお会いする時には、「目の前の宝、頑張ってつかんでいます!」というふうに言えるようになりたいです。

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 インタビューの間も、真剣でありながらも、終始とても楽しそうな笑顔を見せてくださった太宰さん。本当に心が軽やかになられた様子と実践の大切さが伝わってきました。

目の前にある宝を、私たちもつかんでいくことができますように!

MYM京都 


本当の自分は何があっても変わらない

国立市にある谷保天満宮の梅。梅の花が咲き始めると、いよいよ春が近づいてくる感じがします。
 

〝…私というのは何者であるのか。そう、私というのは変わらないのです。身体の状態がどうであ れ、世界のありさまがどうであれ、また心がどういうふうに反応しようが、それらを全て、ただ知っている、見ている——そういう意識のことです。もちろんそれは自我意識ではありません。自我意識というのは自己と他を区別する自己中心的な意識のことをいいます。それは心の領域のものです。心を造り上げている一つの大きな柱です。本当の私というのはそれをも知っている、さらにその奥にある意識のことです。
本当に不思議なメカニズムですけれども、誰もが私という自分を意識しているに違いないのですから、自分が自分を知らないということはないはずです。でも今言ったような、心と真我の意識との区別——別ものであるという——これがはっきりと識別されれば、一切の迷いや悩みは解消していきます。学ぶべきことはそれです。そしてそのための具体的な方法が瞑想であり、またそれを調えるために呼吸や身体を調節していくわけです〟

『悟り』より抜粋
 

私は見ている意識のことを初めて知った時、なんて面白い考え方なんだろうと興味を持ちました。 理解するのに時間はかかりましたが、ヨーガを学び実践するにつれてそれは確かにあるのだと感じられるようになりました。
次第に、その見ている意識が本当の自分であり誰もの中にあるということを思うと、どの命も尊くて愛おしいと感じるようになりました。

これは私がヨーガを実践しているから感じられるようになったのか? ヨーガを知らない人たちには感じられないことなのか?

ふと気になるようになったある日のこと。高齢の患者さんと話していると、ご自分と同世代の方々のことをおばあさんと言っているけれど、ご自身のことはおばあさんと思っていないような口振りで、自分のことは年齢に関係なくただの自分として認識しているのかな、と感じました。
それからしばらく経ったある日、子育て中の患者さんが、「自分はずっと自分のことを知っているから、子供を産んだり歳を取ったりしていてもずっと同じような気がする」と話されました。
この2人の方の中にも「ただ見ている意識=何があっても変わらない本当の自分」が確かに存在しているという、証のようなものを感じました。
それがあると知らなくても感じているのなら、何かのきっかけでもっとはっきりと感じられるようになる可能性が誰にでもあるはず。

今世の中では、他者との違いを見て区別や差別をする傾向が強まっているように感じます。それぞれの信念を貫き通すために他者を傷付ける言動に及んでしまうケースも少なくありません。
1人でも多くの人が「何があっても変わらない本当の自分」を体感し、自分以外の誰もがそうであると感じられたら、思い込みや偏見のないまっさらな目で見て、囚われのない心を持って互いを愛おしむことができるのではないか。

身体の状態がどうであれ、世界のありさまがどうであれ、また心がどういうふうに反応しようが、 何にも影響されない変わらない自分がいる。 この真実があるということが今を生きる人にとって救いなのではないかと思います。

 いつまでも見続けていたくなるほど美しい『悟り』の表紙。

ハルシャニー


オーム・ナマ・シヴァーヤ

「オーム・ナマ・シヴァーヤ」というシヴァ神を称えるマントラに取り組んでいます。
最近、マントラを唱えていると神様に触れたような感覚や目の前の景色に神様のプラーナ(気)を感じる瞬間が、時おり訪れるようになりました。

2019年10月のサットサンガより(京都アスニー)

2年前、サットサンガでヨギさんに神様を信仰することについて質問した時に、

オーム・ナマ・シヴァーヤをやっていったらいい。

と言っていただきました。
当時の私は集中力も忍耐力も全然なくて(今もないけど当時よりはあります)、マントラの実践なんてとてもできないように感じました。
朝にシヴァ神の祭壇の前でマントラを唱え、その後朝の支度を始めるとマントラを忘れてしまって次の日の朝まで思い出さない、ということが繰り返しありました。
それでも少しずつですが、生活の中の隙間の時間や単純作業をしている時に、マントラを思い出すようになりました。

マントラの感覚に変化を感じ始めたのと同じ頃に、1つの悩みが消えました。
仕事中など、目の前の相手の中に神様を見ることを心がけていますが、以前は苦手なタイプの人に対してはそれが全くできなくて、そんな自分を情けなく感じていました。
マントラの感覚の変化とともに、苦手と感じている人の中にも愛しい神様がいることを微(かす)かにですが感じ取れるようになりました。
そして以前は逐一(ちくいち)引っかかっていたその方の言動に対して、あまり何も感じなくなりました。
特に忙しい時や体調がしんどい時などには今も反応していますが、以前よりも忍耐強く接しようと心がける気力が湧いてくるようになりました。

ヨギさんは私が自分の力を全く信頼していなかった時に、私の中にある本来の力だけを見てマントラを授けてくださったのだと思います。
真実の愛、という言葉にずっと憧れていましたが、ヨギさんのお言葉、行為、1つ1つが真実の愛を見せて下さいます。弟子の仕事はグルを見習うこと、だそうです。
もっともっとマントラを深めていって、ヨーガに励み、いつかは自分自身が真実の愛を実現したいと強く願います。

ナタラージャ(シヴァ神)

船勢洋子


海と波

他県への移動が難しい状況になって、はやいもので一年。どんな一年を過ごされていましたか。私は、力んで空回りしたり、時には迷走することもありましたが、その度に様々な形で師に導かれて、ヨーガを続けられたように思います。そんな中で、師の教えがつまった『ヨーガの福音』が私の希望となって、道を照らし、なくてはならないもののひとつになりました。

至高の真実は名も無く形もなく、ただ存在である。
 それだけが真実在であり、真我であり、神と呼ぶものである。
 その一つなるものが一切万物として顕現しているのだ。
                   シュリー・マハーヨーギー

 この教えのように、すべてのものの中にある神を感じたい!それが、ありありと存在することを見たい!しかし、日常の中でそれを行うには、とても難しいことだと感じていました。
ある時期、仕事先が遠方のことが多く、そこへ向かう乗合の車の中で『ヨーガの福音』を開き、開いたところに書かれている教えを読み、それを感じながら、考えながら現地までの時間を過ごすことが日課になっていました。

それは海と波のようなものです。
 心はいろいろな波の形に巻き込まれてしまう−−−だから心は違いを見てしまう。
 でも本当は一つの海しかない。
 至高の真実には形もない、名前もない、ただ存在するだけ−−−
 それだけが「実在」であり、それは生まれも死にもしない。
 それが私たちの真我であり、神とよばれている。
 その至高の意識が一切万物として顕現しているのだ。
                  シュリー・マハーヨーギー

松山 双海海岸

 ある日、海岸線を走る車の中から、ぼんやり海をながめていると、突然、「それは海と波のようなものです」という教えの真意が体感となってやってきました。日常の中のすべてにおいて、私が見ていたのは波だったということが明確にわかったのです。「えー!!あれも、これも!!ぜんぶ波だったんかい!!」思わず、ツッコミを入れるほど、自分が波を見て、あーでもない、こうでもないと真面目に巻き込まれ、批評していた姿が滑稽で、一気に波への興味が冷めていくのがわかりました。その一方で、海の存在を同時に感じたのでした。「なんて静かで穏やかなのだろう」身を委ねると、一瞬で心が満たされ喜びが溢れる、波とは異なるその体感は、師にお会いした後、「また会いたいなぁ」と自然に思ってしまう、それに似ていて、いい意味で中毒性がありました。それ以来、日常の中で起こる出来事や自分の心の動きを感じると、「それは波だよ。あるのは、海だよ。」というと自然に体感した海へとシフトされ、識別がなされました。そして仕事の合間には、自ら海に飛びこんでいます。

 この体験は、ひとつのきっかけに過ぎません。大切なことは、いつでも、どんな時でも、聖典を読んだり、大好きな覚者や聖者の写真を見たり、オームやマントラ、神の御名を唱えて、心を神聖なものに向けておくことだと感じています。まだまだ、みんなで集うことは難しそうですが、感染対策とあわせて、波に巻き込まれない対策も徹底して楽しんでこの難局を乗り越えていきましょう!

オーム・タット・サット・オーム!!

山口正美


グルの導き in New York

寒暖の変化が激しいですが、あちらこちらで梅の花も開き、春の足音が聞こえて来ています。

今日は、偉大なる神人シュリー・ラーマクリシュナ・パラマハンサの御聖誕日です。マハーヨーギー・ミッション主催の今年の春の祝祭(4月5日)では、昨年に引き続き、シュリー・ラーマクリシュナの御降誕をお祝いし、皆で歓びと感謝を捧げたいと思います。あともう少しですね!

さて、師シュリー・マハーヨーギーは12月上旬〜3月上旬までニューヨークにご布教に赴かれていますが、今年の冬は日本からたくさんの弟子がニューヨークを訪問し、師のお膝下でヨーガを学ばせていただいています。グル(師)と共に過ごす日常の中では、弟子はグルの言葉や呼吸、振る舞いに始まり、グルの影響を全面的に受けて、得難い学びをします。

新春の弟子のサットサンガで大きな変貌が話題になった船勢さんが、今回、ニューヨークでの体験を寄稿してくださいましたので、ご紹介したいと思います。


年末年始にかけて、ニューヨークにヨギさんと共に滞在させていただきました。

ニューヨークでのヨギさんはいつも軽快で、動きやしぐさに無駄がなく、どの瞬間でもそのまま絵になるように見えました。目の前に今必要なものだけがある状態で、その中にいると一瞬一瞬が今の連続であるように感じました。話される時はいつも相手が理解できる言い方でお話ししてくださいました。ヨギさんの見ている世界は私が見ているものとは全然違うのだろうと思います。ヨギさんと接していて、ヨギさんの下でヨーガを学べていることがとても正しいことのように感じました。

ニューヨークではたくさん質問して、ヨギさんはその1つ1つに丁寧に分かりやすく答えて下さいました。それと同時に、私が言葉にはしなかったことに対しても答えて下さっていたように感じます。

私はあることに対して「どうして自分はいつもこうなってしまうのだろう」という思いを持っていました。そしてそんな心の思いに負けない強い自分になりたいと願っていました。ヨギさんには、心に影響を受けないようになっていくための質問などをしましたが、その思い自体については話しませんでした。身の上話を聞いてもらうことよりも、強くあろうと実践することを選びたかったことと、必要以上にヨギさんに頼ってしまう状態になることを避けたかったからです。

滞在中ヨギさんは、何度かふとした会話の中で、私と似たような傾向を持つ人がどのように変わってきたかを話されることがありました。その時、私はただの雑談だと思って聞きながら、だんだん「自分だけが苦労している訳じゃないのだな」と感じて、滞在数日後には自分が持っていた思いはどうでも良いことのように感じ、すっかり忘れてしまっていました。知らず知らずの内に、いつも心のどこかに引っ掛かっていた思いから離れて、目の前の出来事を見て、聞いて、感じることができるようになっていたのです。
帰国して数週間経った頃に、その引っ掛かりが戻ってきて、その時初めて、ニューヨーク滞在中はその思いから解放されていたこと、ヨギさんが話して下さったことはただの雑談ではなかったことに気付きました。そして、私が具体的に話さなかったことに対してまで導いて下さったヨギさんに驚き、ただただ尊敬の気持ちでいっぱいになりました。
今、その思いはまだありますが、一度解放された状態を経験していることで、心がそう見せているだけだ、ただ相対的にそう見えているだけだ、と理解することができます。そして、一度理解したのだから、もう二度と思い込まないように気を付け続けています。

また、滞在中のある日、ヨギさんが私の至らない所をはっきりとした口調で注意して下さったことがありました。その時はショックでしたが、ヨギさんが仰って下さったことは自分では気付くことができないことだったので、ヨギさんのおかげで、自分では分からなかったことを知ることができました。そして今何をするべきかが少し見えてきたように感じています。このことは帰国後の自分を強くしてくれたように思います。

ヨギさんが教えて下さったことを実行していって、何年もかけて深めていって、いつか次のアドバイスをもらえるようになっていきたいです。本当にヨギさんには感謝で一杯です!

今回の滞在を通して、滞在中にたくさん助けて下さったニューヨークのアーナンダマーリーさん、そして東京のサルヴァーニーさん、ニューヨークのグルバイ、また渡米前にアドバイスを下さった先輩グルバイ(兄弟姉妹弟子)にもとても感謝しています。サンガ(弟子の集まり)のありがたさを実感しています。先輩グルバイと一緒にいるとヨギさんがいなくてもその場にヨギさんがいるような空気があると思います。自分もいつかそうあれるように一所懸命ヨギさんの教えを実践していきたいです。

船勢洋子


何のために生きるのか〜定例サットサンガより

歓喜のジャヤンティーから2週間後に行われた定例サットサンガ。ジャヤンティーの歓びを抱きつつもそこで捧げられた祝辞について考え、自らと真剣に向き合った参加者から様々な質問がありました。何のために生きるのか。この命をどう使うのか。この根源的な問題について、師は次のようにおっしゃられました。

命とは何なのか。生まれて、あくせくして暮らして、そして死んでそれで終わりなのか?物質的な快楽や刺激を貪るだけなのか?命を見失うことになってはいないか? また、命を考える時は、「本当の幸せは何なのだろう」という問いかけも生じます。何かを得たことによって幸せになるのか?そうではない何かがあるのではないか?

「何のために生きるのか」を自らに問いかけ、心の思いを点検すること。もし何かしらに執らわれていることがあれば、それは本当だろうか?永遠の値打ちがあるものなのだろうか?と真理をそこに突き合わせる。それを積極的に、仕事も手に付かなくなってしまうほど熱心にやらなければなりません。

真理を学び、それを実現するために自らを、その生涯を使うことで永遠の命を得ることができます。

私達は、心が執らわれる様々なことを手放せず苦しみ悩むことが多々ありますが、8歳で真我に目覚められ何の執らわれもない師は、「皆は何に悩んでいるのだろう?」と不思議に思われたそうで(笑)、その正体を明らかにするため瞑想に没頭する高校生だった(没頭して高校に行く暇もないほど熱心に瞑想されていた!)そうです。その結果、19歳の時には何も問題がやってこない、謎が何もない、全てクリアで全ての意味が解けたとのことでした。

この日のサットサンガも、オーム、ナーダ・ブラフマン、リグ・ヴェーダの宇宙開闢の歌、心の解体方法など様々な質問がありましたが、師は全ての質問に淀みなく答えられ、真理を説き、皆を導き励まされました。
私はそのお姿を拝見し、「真実を求める者よ!ここに全ての疑問に答えてくださる方がいらっしゃる!早くここに、師の御足下に集まって!!」と願わずにはいられませんでした。あぁ、師の存在はなんて尊くて有難く、師と共に過ごすことがどれほど吉祥なことなのか!!

12月11日、師は3ヶ月間のニューヨークご布教へと赴かれました。ニューヨークでも日本でも台湾でも世界中のどこでも、真実を求める一人でも多くの方が師の下に辿り着きますように。そして私自身が、ほんの少しでもそのお役に立てるよう働くことができますように。

ターリカー


歓喜のジャヤンティー2019!!!

晴れ渡った秋空に紅葉が見事に映える、朝から心地よい日射しの11月23日(土)、最愛の師、シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサの御聖誕祭(ジャヤンティー)が開催されました!

11月23日朝、プレーマ・アーシュラマ横の紅葉

1年で最も大切な日!常日頃私たちを絶えず真理へと導き、溢れる愛を注いでくださっている最愛の師に、少しでも感謝の思いを伝え、ヨーガの道を歩む決意を伝えようと、弟子たちが高まる思いを胸に抱いて集いました!日本各地から大勢の弟子が集い、台湾からもたくさんの弟子が参加しました。ニューヨークにはインターネット中継が繋がり、深夜にも関わらず、熱心なグルバイ(兄弟姉妹弟子)が参加しました。皆、特別な日に師とお会いできる幸運を喜び、紅潮する顔が印象的でした。もちろん、都合で参加できなかった弟子たちも、それぞれが師への純粋な思いによって参加していたことでしょう!

たくさんのグルバイたちが全国各地から続々と集まりました。受付を済ませ、開始を待ちます。

台湾からも!ジャヤンティー初参加の方もおられ、ドキドキしながら開会を待ちます。

真理の恩寵が天から降り注ぐような歓喜の1日!!!さあ、ジャヤンティーの始まりです!

ジャヤンティーでは、プージャー(礼拝)、祝辞、キールタン奉納、聖劇奉納が行なわれます。詳細は新年の機関誌『パラマハンサ』1月号に譲るとして、ブログでは写真を中心にジャヤンティーの内容をご紹介したいと思います。

真実そのものの顕れであるサットグル(真実の師)とのかけがえのない縁を喜び、深い感謝を込めて礼拝が捧げられました。清らかな鐘の音が会場を鎮め、聖音オームの振動が広がります。マントラが殷々と朗唱され、散華の歌が捧げられました。無形の真理が人の姿をとって地上に顕現するその祝福と喜び!!!サットグルに出会えることがどれほど稀有で、得難いことか!道を歩む者にとって暗闇の中の唯一の光!その輝きに目を奪われることでしょう!

弟子は、グルの存在と導きにどれほど救われ、新しい命を授かり、生き方が変わったことか。その思いを結晶化し、8名の弟子が力強い祝辞を捧げました。またニューヨークからもたくさんの歓びのメッセージが届けられ、紹介されました。生中継ではニューヨークに集まったグルバイたちのリアルタイムの声も届けられました。本当に、純粋な思いが宝石のように輝いていました!

京都、東京、松山の弟子たちから祝辞が捧げられました!みんなそれぞれが、シュリー・マハーヨーギーへの深い感謝の思いと力強い決意を捧げました。

ニューヨーク・ミッションのアーナンダマーリーの祝辞がジャヤデーヴィー代読で捧げられました!

そして、台湾から参加したグルバイが、初めてジャヤンティーでキールタン「Bhajamana Ram バジャマナ・ラーマ」を奉納します。歓び溢れる歌声が会場を満たし、聴く者のハートを震わせます!みずみずしい純粋な思いに会場が満たされました。

台湾のグルバイによる初めてのキールタン奉納!シュリー・マハーヨーギーへの純粋な思いがキールタンとともに捧げられ、師は終始慈愛に満ちた目で見ておられました!

さあ聖劇です!今年の演目は、聖典ウパニシャッド「ウパコーサラが火から学んだ教え」です。2007年に奉納した聖劇「サティヤカーマのグルへの入門」の続編です。この日のために全てを出し尽くした面々が師に喜んでいただけるよう、精一杯演じました!

ウパコーサラは、グル・サティヤカーマに入門し、火の儀式を習得します。しかしブラフマンの叡智を学びたいウパコーサラ・・・果たして結末はいかに!? 2007年の聖劇の写真も登場?火の化身が渾身のハカを披露?!タパスはブラフマンなり!!! 写真を拡大してお楽しみください!

聖劇の後のインタビューでは、聖劇にまつわるエピソードが紹介されました。

弟子たちの祝辞や奉納を喜びをもって受け取ってくださったシュリー・マハーヨーギー。その慈愛に満ちた御姿を目にし、私たちのハートは歓びに満ちました!

なんと歓喜に満ちたジャヤンティーだったことでしょう!最愛の師への限りない感謝の思いと、ヨーガの実現への力強い誓願は、誰ものハートにしっかりと刻まれました!

ジャヤンティ後は各庵に集い、皆でプラサードをいただきながら、歓びの余韻を味わいました。その報告は次回のブログに譲ります。

少しはジャヤンティの様子が伝わりましたでしょうか。このような歓びの機会を与えてくださった師シュリー・マハーヨーギーに心より感謝いたします!本当にありがとうございました!

ジャイ!サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ ジャイ!!!!

サーナンダ拝