先月の話です。家で家事をしていると、友だちの家に行くと言って出かけた娘(9歳)が、すぐに帰ってきました。どうも様子がおかしかったので「どうしたの?」と尋ねると、しばらく沈黙が続いたあと、静かに話し出しました。
娘「○○ちゃんと○○ちゃん(よく遊びに来る友だち)が遊ぼうって言ってきたから家に行ったんやけど、やっぱりやめとくって言ってきた。家でマンガ読んどくわ」
私「なんで?せっかく誘ってくれたのに?一緒に遊んだ方が楽しいんちゃうの?」
娘「(涙ぐみ)だって、いつも2人で遊んで・・・・・・私ひとりぼっちになるんやもん(堰を切ったように泣き出す)」
一人っ子だからか、自分が注目されたいという思いがあることを時々感じていた私は「それは寂しい思いをするな」と気持ちに寄り添いつつ、彼女にどう声をかけたらいいのか分からなくなって、ヨギさんに集中し、直観を待ちました。そして自分の経験を交えて話しました。
母「でも、自分のことを構って欲しい、って思ってばっかりいたら苦しいで。人生思い通りにならへんことの方が多いもん。お母さんも仕事場で働いてて、何人かの人たちが仲良くしてたら寂しいな、って感じることあるよ。でも、みんなが楽しそうだったらいいな、って思うようにしたら自分も楽しくなってくる、そういう魔法(本当は真実ですが・・・)をヨギさんが教えてくれてん。そう思うようにしたら、いつの間にか寂しい思い消えるねん」
それでも泣き続ける彼女に、ストレートな言葉が出てきました。
「自分のことを見て欲しいっていう気持ちは、諦めなさい」
まだ幼い年頃の娘にはきつかったかもしれません。でもその言葉を受けて彼女は、ハッとした顔をして、やがて何か吹っ切れたような、爽やかな表情に変わりました。そのとき、たしかなヨギさんの気配を感じました。
娘は日に日に成長しています。私の元から離れていくのもそんなに先の話ではないかもしれません。母親という役割を通して、今でしか味わえない神を、味わっていたいと思いました。
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その日の夕方、心配して例の友だち2人が我が家にやってきました。
「ほら、あんたのこと大切に思ってるやん。自分、自分ってなってたら、本当のことが見えなくなってしまうよ」と声をかけると、娘は気恥ずかしそうに笑いました。そして言いました「お母さん、こないだお父さんと喧嘩してたやんな。あれは自分のことばっかり考えてたん?」
・・・・・・ああ・・・・・・鋭い。私が話すことよりも、姿そのままを見ている・・・・・・(遠い目)。
「あれはお母さん自分のことを考えてた。あかんな、反省です」
しどろもどろになって答えつつ、ヨギさんの教えを語るのではなく、彼女の前で真摯に生きることがいかに大切なのかを感じました。
Amara
朝ふとfacebookを開いたらアマラーさんのブログに目がとまりました。私も同じ子を持つ母として、また今在る場所で与えられた役割を感じ真摯に向き合うことを改めて心に刻む機会と力をいただいたように感じました。
藤原さん、素敵なコメントをありがとうございます!
子どもって本当によく見ていますね(笑)。
側にいてダイレクトに影響し合う存在だからこそ、ヨーガの実践が面白いと感じます。
お互い今の時間、楽しみましょう〜☆
「自分のことを見て欲しいっていう気持ちは、諦めなさい」
いくつ歳を重ねても諦めきれないものだなぁと思いました。
深い言葉です。
mitsuiさん、コメントありがとうございます。
本当にそうですね。絶えず自分にも言い聞かせないといけない言葉だなと思います。
とてもいい話しです!!
日常的な会話からとても大切なことを伝わってくださいました。
台湾の火曜日の夜のクラスで、この記事の内容をみんなにシェアーさせていただきました。
みんな聞きながら、うなずいたりしました。
ある人は、「今日会社ですごく怒りましたが、この話しを聞いて、改めて自分がまだ頑張らないといけないと思います」と言いました。
アマラーさん、ありがとうございます〜〜
プリヤー!
嬉しいです!こちらこそありがとうございます!