こんにちは! ミラバイです。昨日からぐんと寒くなりましたね。今日の京都は朝から雪が降り積もっています〜。皆さまお変わりありませんか?
さて、今日はマーラー(数珠)について書こうかなと思います。
これは私のマーラーなんですが、もう10年以上も前になるけれど、私がヨーガを始めて間もない頃、師からいただいたものです。その時のことはとっても印象的で、今でも私の心の中に強く残っているのですが、それは、ある日のサットサンガ(師から教えを請う問答の場)が終わった時のことでした。呼ばれて師の下に行くと、両手で大切に包み込むように持っておられたものを、私の目の前にすっと差し出されたのです。「ええっ! もしかしてマーラー?!」。当時先輩たちがマーラーを首に掛けているのは目にしていて、それが何を意味しているのかは分からなかったのですが、なんとなくかっこよく見えて、私も欲しいなぁ〜、でもきっと自分にはまだまだなんだろうなぁ〜と思っていたところでした。あまりにも驚きすぎたため、せっかく師が渡そうとしてくださっているのに、私はそれを受け取らないまま、ものすごい勢いで部屋の隅っこまで後ずさりして、そのまま座り込んでしまいました(笑)。
もちろんしばらくして、気持ちが落ち着いた後にいただいたのですが、その時に言われたことは「これは、信仰の印です」ということ。
信仰の印……。
その頃、私は正直、信仰心なんて全くもっていませんでしたし、信仰が何かもよく分かりませんでした。でもこのマーラーが、師と私をつなげるもの、ヨーガと私をつなげるもの、そしてこれから先、自分がヨーガの道を歩んでいく上での希望が込められているような気がして、本当に嬉しかったのを覚えています。その日の夜は首に掛けたまま眠り、次の日からも毎朝会社につけていき、肌身離さず持ち歩いていました。
そんなマーラーですが、実は一度紛失しかけた(笑)ことがあります。
ない! ない! どこを探してもない! 何日も何日も探し回り、歩き回り、いろんな人にも尋ねましたが、全く出てきません。あぁ、どうしよう〜(ToT)
あまりにも「私のマーラー」をなくして落ち込み、食事も喉を通らない様子の私を見て、心配した先輩は、「もしそれが自分のマーラーではなく、誰か他の人のものだったら、それほどにまで動揺するかな?」と、私に識別を促そうとアドヴァイスをくださったこともあります。確かにヨーガの中でよくいわれる「私」と「私のもの」という思いが自分の中にあるのか……。それが苦しみを生んでいる? もしそんな思いがなかったり、やっぱり誰か他の人のものだったらそんなに落ち込まないかも……と思い、瞑想や識別をしようとしてみましたが、そう、ご想像の通り、全くできませんでした。これまでキールタンの活動をしてくる中で、私は必ずマーラーを首に掛けてきましたが、そのときはいつも師が私の傍におられるように感じていました。きっと私はいつの間にかこのマーラーに、師とのつながりや師の存在、また自分自身の信仰の印を見いだそうとしていたのだと思います。何より、師がマーラーを手渡してくださった時、手のひらの中であたためてくださっていたその温もりをずっと感じていたのかもしれません。私の信仰はいったいどこにあるのか。主はどこにおられるのか。猿の神様ハヌマーンが自分の胸を切り裂き、主、ラーマはここにおられる!と叫んだように、私の主は私の胸の内におられるのか。
いつの頃からかはもう忘れましたが、私は自分自身の内側にもっと確かなものを見いだしたいと願うようになったと思います。
結局、マーラーは本当に思いがけない(!)ところから出てきて、おかげさまで一件落着しました(それも神のご加護としか思えない〜〜!)。この一件を通じて、私はマーラーの意味や信仰について改めて考える機会になったなぁと思います。
今は毎日身に着けることは少なくなくなりましたが、大切に部屋の祭壇に置いています。そしてサットサンガに参加する時は、できるだけ身に着けていくようにしています。ここが私の信仰の原点だと感じているのです。
ミラバイ