仕事の帰り、オッチャンに道を聞かれた。オッチャンの一言二言で、その人が関西人であることが分かり、「ごめんなさい。私も関西人なんで分からないです」と言った。オッチャンはまるで相方を見つけたように嬉しそうに目を輝かせて話し始めた。「そうか、関西から来たんか。ここら辺の人はどうや?」と聞いてくるので、「皆いい人ですよ」と答えた。
それを聞いたオッチャンは、「ふーん」と何か言いたげな様子だった。除染の仕事のためにやって来て、浪江は線量が高くて半袖を着られないとか、色んな状況を説明してくれた。そしてその後、「でももう再来月くらいで帰ろうかと思ってる」と力なく言った。「何か問題がありました?」と聞くと、「人間関係や」との返事。オッチャンは東北の人の仕事のやり方が粗くて嫌なのだそうだ。仕事のやり方が合わないと相手の人間性まで否定したくなる。
人間関係。人は、いつでもどこでもこの問題に悩まされる。この地域の看護師の仕事のやり方が雑で合わないとか、看護のレベルが低いと言って怒っていた人、そう言って帰って行った支援の人を私は一体何人見てきただろう。人はどんなに大きな志をもってやって来ても、こんなちっぽけなことで挫折する。ちっぽけだけれど、かなり手ごわい。むしろ情熱が大きければ大きいほど思い通りに行かなかった時の怒りは大きいのかもしれない。私自身も当初はこの地域の人の仕事のやり方や独特の性質に戸惑ったしよく悩んだ。(たぶん外から京都に来た人も京都人の独特の気質に困ってるんだろうなと時々考えるようになった)でも、そのことは今ではほとんど問題ではなくなり、仕事をする上で障害にはなっていない。オッチャンには「地域性もあるかも知れないです。でも、時間が経てば慣れますよ」とたいした助言もできなかった。
ここに私が来た時、最初はただじっと耐えた。毎日言いたいことも怒りたいこともいっぱいあった。でも、きっと周りも私に対して色々思うことはあったはずだ。実際によく周りは私のやり方をじっと見ていたと思う。でも、人間って時間が経てば慣れてくる。ああ、ここはこういう所なんだと知ると受け入れられるようになってくる。もしかしたら、これができるようになったのもヨーガの効果なのかも知れない。執念深かった私は、そういう風に周りをすんなり受け入れることのできる人間ではなかったから。そして慣れると言っても、全くそこに染まって同じようにするわけではない。ただ、正しいからこうしよう、そう思うことがあっても、周りの状況に合わせながら進めていくことが大切なのだとここで学んだ。今こういう状況で自分がどういう立場を求められているのかをいつも考えるようになった。それにしても沈黙と忍耐、私はもっともっとこれが欲しい。
一昨年、私がここに来てから数か月後、ヴィハーラのブログを見てSさんと言う人が連絡をくれた。Sさんも近くの病院に支援看護師としてやってきていた。初めてSさんを見た時、なんて暗そうな人だろうと驚いた(Sさん、ごめんなさい!)。でも話しているうちに、彼女は行動力があってとても頭のいい、自分の意見をしっかり持った人なのだと分かった。そして彼女が直面していたある問題が彼女の精神を疲弊させていたことを知った。外から来た看護師と中の看護師の関係がうまくいかない、外の人間が集まればここの悪口になり、辛いと打ち明けてくれた。そして「違う空気が吸いたかった」と私に連絡をくれた理由を語ってくれた。
一か月後彼女はまた連絡をくれた。「あなたが言ったように、周囲の状況は変わっていくものだと最近思います」そうメールに書かれていた。そんなことを私は言ったのか。食事に誘ってくれて、しばらくぶりに会った時、彼女の表情は変わっていた。
Sさんはその病院のスタッフからはあまり好まれない部署に置かれていたが(優秀な人しか働けない部署ですが)その病院でそれまでで一番長く支援看護師として勤め、期限が来て帰って行った。そして今年から救急医療体制の充実を図ろうとしている福島県内のいわき市にある病院を支援するために就職した。原発近辺の地域は人が流出したが、逆に仙台やいわきなど周りの地区は人口が急増。しかし救急患者を受け入れるいわきの中核病院では医師や看護師の数は減ったため、人口増加に見合う病院の機能が整っていないのだ。「これからの人生を考えると、いわきの病院に行くとしたら、骨を埋める覚悟で行かないといけない」と言って彼女は悩んでいたが、結果的に行くことを決心したようだった。
そういえば、観葉植物界のエキスパートが言っていた。「植物は環境の変化にとても弱いけれど、半年間枯れないで葉を出し続けるとその場の環境に適した植物に生まれ変わる」と。
人間も同じなのだと思った。Sさんは今また新しく生まれ変わろうとしている。あのオッチャンにも是非頑張ってほしいと思う。