グルデーヴァ!【番外編】―『あるヨギの自叙伝』より―

「お前は、どうして団体的な仕事をきらうのだね?」

パラマハンサ・ヨーガーナンダが、師であるスリ・ユクテスワからこう問い掛けられました。
【前編】【後編】←はこちらから。)
現在では広く世界に知れ渡っている偉大な聖者ヨーガーナンダですが、師に出会って僧侶となり修行に励んでいた20代半ば頃は、「団体や組織などというものは蜂の巣のようにうるさいものだとしか考えていなかった」といいます。
冒頭の師からの質問に対してヨーガーナンダは、「私は図星を指されて一瞬面食らった」とあります。それを読んだ読者の私もまた、この鋭い質問にはドキッと面食らいました。私も同じように考えていたところがあったからです。

さて話を戻します。
ヨーガーナンダは師に言いました。
「先生、団体の運営なんて面倒な思いをするだけで割に合いません。先に立つ者は、何かをすればしたで、また、しなければしないで、文句を付けられるだけですから」
厳しい眼差しでスリ・ユクテスワは仰います。

お前は、神の甘露を独占していたいのかね?

もし、寛大な心をもった大師たちが、進んでその知識を分け与えてくれなかったら、お前にしても、だれにしても、ヨガによる神との交わりを実現することはできなかっただろう

神を蜂蜜とすれば、それを分かち合うための団体は巣箱のようなものだ。どちらも必要なものだ。もちろん中身がなければ、箱だけつくっても意味がないが、お前はもう十分な霊的甘露をたくわえている。そろそろ巣箱の建設に取り掛かるべきだと思わないかね?

師の助言はヨーガーナンダを深く動かしました、「そうだ、私は今まで先生のもとで学んできた人間解放の真理を、できるだけ多くの人々に分かち与えなければならない!」。
そして、ヨーガーナンダは、以前から抱いてきた理想――青少年に正しい人間教育を施す――を実現するため、学校を設立しようと決心し、ベンガルの田舎で7人の子供たちの教育をすることから始めました。

このエピソードを読んだとき私は、団体や組織がなぜ必要なのか?その理由をこれまで考えたこともなく、ただ拒否反応を示してきただけだったことに気付かされ、スリ・ユクテスワのお言葉を聞いて、本当だ・・・と、もう返す言葉もないと思いました。ブッダの教えや、ラーマクリシュナの教えにしても、やはりその巣箱であるサンガ(修行者の集まり)や団体があったからこそ、今、私たちがその教えに触れることができているのかもしれないと思いました。

パラマハンサ・ヨーガーナンダのSRFと言えば、世界規模の大きな団体というイメージが私にはあり、さらに学校を設立・・・なんて聞くと、もう行為の規模が大きすぎて、自分とはかけ離れた偉業を成された大聖者!そのイメージだけが先行しがちでした。しかし、学校を設立されたのも、まず初めの小さな一歩があったことを見逃してはいけなかったのです。

『あるヨギの自叙伝』には、ヨーガーナンダの前に進むがための葛藤や、困難と誠実に向き合い努力された軌跡や、そしてそういう時に切実に神を純粋に求め、決して諦めずに神の声を頼りに歩を進められたこと、それらが散りばめられているように感じます。ヨーガの道は決して平たんではないことを誰よりも分かっておられるからこそ、さまざまなエピソードを、ユーモアを交えながら時には赤裸々に記してくださっているように私は思えます。記し、遺すことによって、後に続く者たちを励まし、鼓舞し、また今も一歩先で先導してくださっていると思います。

晩年の1940年~1950年頃のことが書かれている章に(※初版には書かれていない内容もあります。)今日の時代においては、ヨーガの学習にも、時代に即応した新しい方法が必要であり、さもなければ、この人間解放の科学は、再び少数の選ばれた人だけのものとなってしまう、ということが書かれていて、「だれもが、完全な英知をそなえた真の聖師(グル)を身近にもつことができたら、たしかにそれに越したことはない」とあります。しかし、現実的には大勢の人間に対してわずかな聖者しかいないので、大多数の人々にヨーガの恩恵を分かち与える必要性について触れられていました。

ヨーガーナンダはまさに自叙伝という形でそれを成されたのだと私は思いました。未来の人たちのために、胸のうちの最も神聖なババジとの出来事までを公開してくださっていますが、他の弟子たちは、伝記によって大師がかえって小人化されたり、誤り伝えられたりしないかと懸念したりして、自分たちの胸の中の不滅の師として大切にしまっておくことに満足していたそうです。そんななかで、ヨーガーナンダは、大師たちの存在を明かしてくださったのです。
周りの人が反対してくる中で、独り信念を貫くのは、並大抵の困難さではないと思います。ヨーガーナンダは、自分の自叙伝として遺されたことで、本当に人生全てを人類に、神に、捧げられたのだと思いました。

多くの人と、このヨーガの叡智を分かち合うために、今の私が自分に置き換えて自分ごととして考えるならば、私たちが師から学んでいることを例えば現代ならではのオンラインでのクラスやSNSなども活用して分かち合うこと、また『マハーヨーギーの真理のことば』を様々な媒体を使って多くの人へお届けする方法を一人一人が積極的に考えることもそれに繋がると思いました。行為の大きさではなくて、教えを一つでも自分が確実に生き、それを隣の人へ行為すること、それが届けるということの初めの一歩の始まりなのだと思いました。
師がお伝えくださっている古から続く真のヨーガを、大師たちが分け与えてくださったこのヨーガの叡智を、決して自分たちのところだけで留めませんように!

※参考・引用『あるヨギの自叙伝』

ヨーガーナンダ

 

ナリニー  


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です