ヨーガでは、悟りへの乗り物であるこの身体を維持するために食事をする、と考えます。
食材も命であり、食べるとはその命を頂くということ。
食材に感謝し調理したものを食べると、食べた後も満たされた気持ちが続き、心身が調うと、日常生活における言動も調っていきます。
そう分かっていても、仕事が忙しくてつい買ってきたものを食べて済ませてしまうことがありました。
買ってきたものは味が濃くておいしいと思えず、油っこくて胃腸の調子を崩し、食べても満足感を得られませんでした。そのことで自己嫌悪に陥ってしまい、やるべき事を後回しにしがちに。
安易に口にした食事が日常生活にも影響を及ぼしていくことを痛感したタイミングで、『マハーヨーギーの真理のことば』の第7章のページを開きました。
古きに渡って培われた東洋の精進料理は、
まず真理を求めることを念頭に置いて、
修行者の体と心を調える役割を担っている。
修行が深まり、身口意が不動となり、真理の一片なりとも悟るなら、
何を着ようが何を食べようが構わないのだ。
もはや彼あるいは彼女は何ものにも影響されないから。
しかしその境地に至るまでは、
真理の正しい教えと同様、正しい食生活にも留意しなければならない。
第七章の冒頭に書かれているこの教えを読んで、目が覚めたような感覚でした。
私は真理を求めて生きると決めた。
真理を実現するために、いつでもこの体を道具として最大限に使えるように調えておく必要がある。
それには真理の教えを学ぶことと同じくらい、それに基づいた正しい食生活が不可欠である。
身口意が不動となり、真理の一片でも悟り得るまではそれを徹底する!
この章を読むことで、ようやくその覚悟が決まりました。
ハルシャニー