『マハーヨーギーの真理のことば』 ~第十一章 真の愛

「恋は盲目」という言葉がありますが、周りのことなんて一切目に入らなくなるほどその人のことが好きで好きで、朝から晩まで寝ても覚めても、気が付けばその人のことばかり考えている……。そんな経験がある方はいらっしゃいますか?(私はあります!!)
たとえばそんなふうに神を一心に愛し、神と一つになろうとするヨーガをバクティ・ヨーガ(信愛のヨーガ)といいます。

師シュリー・マハーヨーギーに出会うまで、私はバクティ・ヨーガについて何も知りませんでした。師の下でヨーガを学ぶようになってしばらくたったある日、東京の自宅で瞑想中に師のヴィジョンを見るということがありました。驚いた私は京都にいる師を訪ね、そのことについてお話をしました。その際に「あなたはバクティ・ヨーガが向いているかもしれませんね」と言われたことがきっかけとなり、私はバクティ・ヨーガを一から学ぶことにしました。
初めは神を信仰の対象とするだけでなく人間のように愛するなんて!?と困惑し、どうしたら神を人間と同じように愛することができるのだろう?と、正直戸惑いました。
ところが、マハーヨーギー・ミッションのバクティ・サンガムに参加して、キールタン(インドの讃美歌)を歌ったり、インドの神や聖者のことを学び、また自分でも聖典を読むうちに、知らず知らず私はクリシュナという神に強く惹き付けられ、まるでクリシュナ神の神秘力によって絡め取られるように恋に落ち、気が付けばクリシュナ神を心から愛するようになっていました。今、思い返しても、その経緯は不思議としか言いようがありません……。

『マハーヨーギーの真理のことば』の中に、まさにその時の私の状況を表したような箇所を見つけました。その一部を抜粋してご紹介させていただきます。

バクティ・ヨーガというのは、単純に神を好きになることです。好きになること、そして神に語り掛けることです。ちょうど恋と似ているというふうにいわれる。好きな人が現れたら、やっぱり近づきたいと思うだろうし、話したいと思うだろうし、そのような行為を積極的にしていくよね。その人のことで心がいっぱいになってきたら、他のことなんてもうどうでもよくなる。その人だけが全てになってくる。バクティ・ヨーガというのは、ちょうどそんな感じなの。
本当に、狂おしいほどの情熱というか、神への渇望がそうさせるのです。

『マハーヨーギーの真理のことば』第十一章 第一節/ 神への渇望 より抜粋

愛は誰もの胸の中に既にあります!神を渇望することで、その愛を大きく大きく育てていくことができます!
私自身、もっともっと神への愛を純粋にし、美しい愛の花を神に捧げることができるよう心から願っています!!!

太陽を見つめ、まるで太陽を真似ているかのような姿のヒマワリ。私もヒマワリのようにいつも神だけを求め続けていたい。

シャルミニー


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