聖者たちの生涯

名前も形もない永遠・普遍の真実に、過去連綿と顕れてきた聖者たちの生きざまは息吹を与えてくれます。
彼らはまさに私たちと同じように肉体を持ち、この地上を歩いた存在でした。
それは、真実の悟りがこの世界において成し得ることなのだと、私たちに希望と勇気を与えます。
そしてその生涯において見られる人々の救済と導き、無限の慈悲は、私たちの心を震わせずにはいられません。
この聖者たちの息づかい、肌の温もりさえも感じられるなら―その同じ真実が私たちの内にも在るのだと、はっきりと知ることができるでしょう。


ブッダ

ガウタマ・ブッダ

釈迦族の王子、ガウタマ・シッダールタは真理を悟ったといわれている。それははるか2500年前、遠き国天竺で、一人の恵まれた人にだけ訪れた幸運だったのだろうか。 ガウタマは言う、 「私は、過去の正覚者たちによって辿られた古道…続きを読む

ラーマクリシュナ・パラマハンサ

ラーマクリシュナ・パラマハンサ

(1836-1886) 「マー(聖母神)に会いたい!」――それだけが若いラーマクリシュナを圧倒した想いだった。幼子の頃から神への憧れを胸に育ち、神聖なものを目にするたび心は神に圧倒され忘我の境地に入った。 やがて聖母神カ…続きを読む

サーラダー・デーヴィー

サーラダー・デーヴィー

(1853-1920) 「聖ラーマクリシュナはその神性をお隠しになることができなかったが、ホーリーマザーはそれを隠すこともおできだった」。 この言葉の中に、偉大な上にも偉大な彼女の生きざまが表されている。神人ラーマクリシ…続きを読む

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

スワーミー・ヴィヴェーカーナンダ

(1863-1902) 「どうか! 私をこの無限の歓喜の中に留めてください!」 師ラーマクリシュナから熱望していたサマーディを与えられ、彼は懇願した。それに対して師はこう言った、「恥を知りなさい! おまえは大きなバニヤン…続きを読む

ラマナ・マハリシ

ラマナ・マハリシ

(1879-1950) 何であれ、友人との競争には負けることがなかった屈託のない十七歳の少年に、「死」は突如としてやってきた。少年は死骸として横たわりながら、自らの深奥の声に耳を傾けていた。 「今、死がやって来た。これは…続きを読む

パラマハンサ・ヨーガーナンダ

パラマハンサ・ヨーガーナンダ

(1893年1月5日−1952年3月7日) 1893年1月5日、インド東北部のヒマラヤに近いゴーラクプルに生まれた。幼い頃より神を求める性質を有し、成長とともにその傾向はますます強烈になっていった。そして高校卒業後、つい…続きを読む

イエス・キリスト

イエス・キリスト

「偉大になりたい者は下僕となり、筆頭でありたい者は奴隷にならなければいけない。なぜなら、人の子(イエス)も仕えられるためではなく、仕えるために来たからだ。そしてまた、自分の命を多くの人のあがないとして与えるために」。 聖…続きを読む

シュリー・クリシュナ

シュリー・クリシュナ

アルジュナの戦ったこの戦争は欲望との戦いを象徴している。私たちが臨むこの感覚との戦いも、神に結果を捧げることでその束縛から逃れ、永遠不滅の境地に達することができるのである。 無執着を説く勇ましいクリシュナとは対照的に、青…続きを読む

ミーラー・バーイー

ミーラー・バーイー

今からおよそ五百年前、ミーラー・バーイーはインドの西、ラージャスターンの王家に生まれた。両親はヴィシュヌ神への信仰厚く、宮殿では多くの聖人や修行者たちがもてなされていた。 ある日、一人の修行者が美しい小さなクリシュナの像…続きを読む

シュリー・チャイタニヤ

シュリー・チャイタニヤ(15~16世紀)は、バクタの代表格であり、神の化身とまで言われた聖者である。 チャイタニヤは、若い頃サンスクリット文法と論理学を完全に身に付け、非常に博識であり、高名な学者を討論で破ったりして、あ…続きを読む

カビール

カビール

カビールは捨て子だった。生まれてすぐ聖地ベナレスの街角に捨てられた彼は、そこに住むイスラム教徒の機織り職人の夫婦に拾われた。 カビールの両親の家は、他の織工たちとともに数代前にイスラム教へと集団改宗していた。機織り職人は…続きを読む