師と弟子

ヨーギー「この世の事柄においてでもそうですが、ある専門のことを知りたければ、その名人なり熟練者なり、専門家に尋ねるのが筋道でしょう。悟りについて尋ねたければ、悟っている者に尋ねるほかありません。自分勝手に悟りがどうのこうのとか、正しい答えが出せるわけがないのですから。これは何千年も昔から同じことです。

真剣に悟りを求めるハートが燃えてきたなら、彼は、あるいは彼女は何をすべきか――。悟りにある人を探すのです、地の果てまでも。それよりほか、道はない。たとえ本を読んだところで悟りが得られるわけではないから、読む本ごとに混乱を招くだけです。すべてに終止符を打つには、確実な専門家である覚者を探し、尋ねることです」

2006.11.26

 

ヨーギー「私たちの本体が明らかなリアリティなのに、なぜ私たちはそれに気付けないのかというのが大きな問題なのです。それを親切にもブッダやヨーギーたちは解明もしてくれたわけです。そのからくりはいわばマジックのようなものですけれども、このような例え話があるのです。

ちょうど薄明かりの夕暮れ時に、人々がとぐろを巻いたようなものを見て、蛇だと思ってみんな驚いて怖がって右往左往している。そこに誰かがランプの明かりを持ってきて照らしたところ、それは蛇ではなくてぐるぐる巻いてある縄だった。それでその人の気持ちは恐怖からいっぺんに、安心という変化が起こった。

真実が見えない薄明かりの状態というものは、ちょうどこの世の私たちのありさまを示しているわけです。真実を照らす光が必要なわけです。それがグルのことなのです。グルという言葉のもともとの意味は、闇を照らす光。つまり無知という錯覚や間違いによって生じた心を照らすことによって、それを間違いだと晴らして真実を明らかにする。その光の役割をグルと称しているわけです。だからグルが必要だということも、その光が必要であるように、不可欠のものです」

2005.2.12

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