聖典に親しむ〜『不滅の言葉(コタムリト)』

インドの大覚者シュリー・ラーマクリシュナの教えや出来事を、弟子であるM(マスター・マハーシャヤ)が書き残した『不滅の言葉(コタムリト)』。今年はブログで3回、この本からの教えやエピソードをご紹介しました。
『不滅の言葉(コタムリト)』は第1巻から第5巻まであります。少しずつ読み進めていましたが、先日最後まで読み終えました。第5巻の最後には、本を出版したMへヴィヴェーカーナンダやホーリーマザーからの手紙が掲載されています。手紙には『不滅の言葉(コタムリト)』を出版したMへの感謝の思いが綴られていますが、私も同じく感謝が溢れ頷きながら読みました。少しご紹介します。

有り難う!十万遍も有り難う、校長先生!あなたは正に、ラーマクリシュナの真実の姿をつかまえた。僅かの人しか、ああ、実にほんの僅かの人しか彼を本当に理解していないのです!私のハートは歓喜のため跳ね上がり、そして今後、この地球上に平和の慈雨を降り注ぐであろう思想の海の真っ只中に、すべての人が乗り出していけることを知ったとき、嬉しさに気が狂わないでいる自分を不思議に思っています。
(ヴィヴェーカーナンダから校長(M)への手紙)

本を読んでいると、まるでその場に同席させて頂いているかのような臨場感があります。ラーマクリシュナがどのようにお話をされて、どのように過ごされていたのか、弟子たちとの交流を目の前で見ているかのように感じることができます。それはMの記録と編集のおかげであることが、次のヴィヴェーカーナンダの手紙からわかります。

言葉使いも、何といって誉めたらよろしいのか――申し分ありません。活き活きとして、鋭く、かつ又すっきりとしてわかりやすい。私がどんなに楽しく読ませていただいたか、いちいち例をあげてここに説明できないのが残念ですが、読んでいると我を忘れてしまうのです。不思議でしょう?
(ヴィヴェーカーナンダから校長(M)への手紙)

この本が、時代を超えて地域を超えて、今日本にいる私の元へ届けられているのはMの偉大な働きのおかげです。ヴィヴェーカーナンダと同じく、十万遍もありがとうございます!という気持ちです。また翻訳をしてくださった田中玉さんにも同じく、十万遍もありがとうございます!という気持ちです。こんなにも素晴らしい本を誰もが手にとって読むことができるとは、何という幸運でしょうか。
そして私にとっては、ラーマクリシュナの優しさは私たちの師であるヨギさんの優しさ、ラーマクリシュナの眼差しはヨギさんの眼差し、ラーマクリシュナの純粋なお姿はヨギさんのお姿と重なります。本を読んでラーマクリシュナを感じることでヨギさんを感じることにもなります。ラーマクリシュナへの敬愛が深まるのと共に、ヨギさんへの敬愛も深まります。
本当に素晴らしい本をありがとうございます。
また最初から読んで、何度でも歓喜を味わいたいと思います。

M(マスター・マハーシャヤ、校長)が『コタムリト』を書いている姿を想像して描きました。

サルヴァーニー


愛は優しさとして表れる

いつも親子で一緒に来院される患者さんがいます。 
お母さんはおおらかで、いつお会いしても笑顔が素敵な方。お子さんは少しシャイだけれど人懐っこく、屈託ない笑顔が魅力的な小学生です。 
お子さんには障がいがあり、2歳の時に初めて来院されました。その頃も今も、お母さんはその子のペースや意思を大切に、ゆったりと丁寧に寄り添われています。 

 先日来院された時のこと。 
施術の最後、患者さんにベッドに腰掛けてもらう時に足元にスリッパを揃えて置くのですが、お子さんがちょうど良いタイミングでスリッパを揃えて、お母さんが履きやすい位置に置いてくれました。「ありがとう」とお母さんが言うと、ちょっとはにかんだような笑顔でお母さんを見つめました。「優しいね」と呟いた私に、お母さんが言いました。 
「この子はいつも周りの人に助けられることが多いからか、最近は誰かがしてくれることを良く見ていて、自分がしてもらっていることを他の人にも同じようにしてくれるんです。本当に素晴らしいと思う」 
お母さんの全身から愛が溢れ出てこちらに伝わってくるように感じ、師の教えを思い出しました。 

 愛と尊敬 

 愛というのは必ず他に向けられるものだと思うし、それは他を尊敬していないとできません。そして、本当に大切に愛おしく思うこと。単に好きとか嫌いとかいうものではなくて、愛おしむ、大切に思う、尊敬する、そういったことだと思う。そこで、そのためだったら本当に大切に扱う、行為する。それが優しさとして表れてくると思います。 

 『マハーヨーギーの真理のことば』より 

 
世の中にはたくさんの人がいて、状況も考え方も様々ですが、それぞれの中には等しく純粋な存在があります。そのこと自体が尊く、愛おしいこと。その愛おしい思いを目の前の人に向けて行為していくことで、愛は優しさとして必ず伝わり、それを受け取った人も同じように他者のために行為していく。この親子の姿を見てそう思いました。

近所の庭園の紅葉。やわらかな日差しの中、笑顔で紅葉を見ている人たちがたくさんいました。


ハルシャニー  

 


Waheguru :素晴らしい師よ!

11月23日、サットグル・ジャヤンティーが京都アスニーで開かれました。私は初めて準備を手伝う機会をいただきました。とても驚いたのは、会場準備から式の進行まで、細部に至るまで丁寧に準備されていることです。オンライン配信のためのコンピューター係り、カメラやマイクの係り、会場の温度調節係り、案内係り、祭壇の設置係り、通訳など、多くの方が働いておられます。その中で私は、会場でプロジェクターを使って映像を流す先輩弟子のお手伝いの仕事をいただきました。初めての仕事でとても緊張しましたが、心を乱さず、目の前のことに集中するように心がけました。
滞りなく式典が終わり、安堵と感動で胸一杯の中、先輩グルバイと、がっちりと握手しました。これまでに感じたことのない仕事のよろこびがありました。この経験を通して、ジャヤンティーに関わる全員が、師への感謝を胸にその働きを捧げていることを知りました。そこには純粋な信仰があると思いました。

また私は、もう一つの役割として、祝辞の機会をいただきました。準備の期間、これまでの師との出来事を振り返り、その優しさに何度も心打たれました。この感謝の想いをどうしたらうまく伝えられるだろうかと考える中で、気付いたことがあります。それは、頭を絞って上手な文章を書いたとしても、それを伝える本人の心が純粋でなければ感謝を伝えることはできないということです。それに気づいた時、純粋な心で師にありがとうと言えるよう、心をきれいにしておこうと強く思いました。そのために、師から教えて頂いたアーサナや瞑想をしっかりやるようにしました。本番では、胸が一杯で上手に話すことはできませんでしたが、感謝やこれからの修行への想いをしっかり伝えることができたと思っています。

今年のジャヤンティーの最後、師の50代の頃のジャヤンティーの映像を見せていただきました。その中で師は顔を赤くして、照れて笑っておられました。その笑顔が少年のように純粋で、素敵だったのが印象的でした。誰よりも純粋で、優しくて、偉大な師。そういう方にお会いできて本当によかったです。いつか師のような人間になれたらと思います。

師とお会いした頃に参加したサットサンガの記録が書かれている2020年5月のPARAMAHAMSAです。師の素敵な笑顔が表紙になっています。一生の宝物です。

島本廉


『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 生きる秘訣

師シュリー・マハーヨーギーと出会って、私は生きることがとても楽になりました。
師は「生きる秘訣」を教えてくださいます。

生きていると様々な人に出会いますが、もし気の合わない人や嫌いな人がいたら、どう接しますか?
できるだけ関わらない(冷たい態度)、嫌いな点を指摘する、悪口を言う、良い所を探す、嫌いな人ほど優しくするetc
いろんな接し方や処世術があるかもしれませんが、師は秘訣として「無視すること」を教えます。
それは単に相手を無視することではなく、「相手の表面性や自らの思いを無視して、本質だけを見る」ということを説かれます。

私の秘訣はね、そういうものに取り合わないこと。無視する。気の合わない人だけを無視するのではなくて、気の合う人があったとしても無視する。両方を無視する。つまり表面的なカルマみたいな心の様子というものは気にしないこと。それでいて、どのような人であってもその本質は不異(おなじ)であるというーー魂とか本体は同じ、違いはない。違うのはその魂を包んでいるような心、これがただみんな色合いが違うだけだということを知っているから、疲れない。だからどのような人であっても、気が合うとか合わないとかいうことを感じたとしても、そのことを忘れるようにして、その人の本質だけを見るようにして接すればいいと思う。

『マハーヨーギーの真理のことば』第一章 P 51

私自身、この教えを知ってすぐに目から鱗が落ちたかと言えば、そうではありませんでした。
生きていく中で、ちょっとした誤解や嫌悪感からいざこざになり、もうこの人はあかん、合わない、嫌いだと思うことが何度かありました。
でも多くの方たちはそんな後でも、あとぐされなく私に接してくれて、私自身すごく救われた感覚が何度もありました。
そういった経験をする中で、師の教え–––決め付けや一時の好き嫌いの感情に執らわれない、つまりそれらを無視して本質だけを見ていくことが自分にとっても相手にとっても、さらには周囲の人にとっても平安や調和がもたらされると感じるようになっていきました。

好きも嫌いも、過去の未練も未来の不安も、二元的なことは全て忘れて、誰もの中に在る一なる尊い本質だけを見て、師のように強く凛として生きていきたいと願います。

ゴーパーラ


2024年サットグル・ジャヤンティー!!!

今年の11月23日、美しい青空の下、日本各地から弟子たちが5年ぶりに京都に集い、<サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ御聖誕76周年祭 /『マハーヨーギーの真理のことば』出版記念 合同祭>が開催されました。ニューヨークや台湾のグルバイ(兄弟姉妹弟子)、そして京都会場での参加が難しかった国内のグルバイとはオンラインで繋ぎ、同じ時間を喜びと共に共有することができました。

今回のジャヤンティーはなんと初参加の方も会場に足を運んでくださり、本当に嬉しく、新たに大切な家族が増えたような気持ちで当日を迎えました。

誰もが一心に師を思う凛とした空気の中、師がおられる時と同じ熱意と真剣さでプージャー(礼拝の儀)、祝辞やメッセージ、キールタンが奉納されました。師に捧げる姿は本当に美しかったです。また真摯にヨーガを実践して心が変容していく様子が伝わり、確かな師の導きを感じる素晴らしい時間になりました。

特筆すべきは、2022年に発刊された『マハーヨーギーの真理のことば』の出版記念でもあったということ。制作中の師のご様子を見せていただき、師がどれほどの熱意をもって1人でも多くの方に手に取っていただけるようにとご尽力くださったかを改めて感じ、心からの感謝が湧きあがりました。同時に師の熱意に値する実践ができているか自分に問いかけ、気が引き締まりました。

 

祭壇には、2022年に発刊した『マハーヨーギーの真理のことば』、台湾華語版『ヨーガの福音』、
今年ニューヨークより発刊した『WHAT IT IS TO LIVE』が奉納されました。
*『WHAT IT IS TO LIVE』は祝辞者の1人であるユクティーさんの手記(英語版)

 


台湾のグルバイは、台湾華語版『ヨーガの福音』を広めるため、昨年大規模な展覧会を開催しました。
そして今年、その時の様子を綴った本を出版する予定ということで、見本版を紹介してくれました。

ニューヨークではユクティーさんの書籍が大変反響を呼んでいるそうです!

 

濃密な3時間はあっという間に流れ、会の後半には2002年のジャヤンティーの映像がスクリーンに映し出されました。そこには師が弟子たちとの時間を本当に楽しみ、喜んでくださっているお姿がありました。まるで師の愛がスクリーンから溢れ出て、私たちの心を溶かすような甘美な笑顔とお言葉をいただき歓喜に包まれました。


師の映像を微動だにせず見続ける弟子たち

映像の中で師がおっしゃった「誰もの中に真の愛がある」というお言葉が今も私の中で輝き続けています。真の愛があるからこそ師のように他者のための行為ができる! 師を見倣って働きたい!と純粋なパワーが湧いてくるのです。

このジャヤンティーの歓喜を胸に『マハーヨーギーの真理のことば』を初め、師が残してくださった珠玉の教えを私たちは継承し、そして師が願っておられたように、一人でも多くの方に届けていきたいです!

ジャイ! サットグル・シュリー・マハーヨーギー・パラマハンサ キ・ジャイ!!!

*その他、師の映像、祝辞、キールタンの奉納など、詳細はWebパラマハンサにて紹介します。(12月25日配信予定)

アーナンディー 


『Paramahamsa』表紙絵シリーズ⑫

インドの細密画に近いイメージでずっと描いてきた中で、日本画のようなヨギさんを描いてみたい、そう思って描いたうちの1つが今回ご紹介する『Paramahamsa』No.35の表紙絵です。

ヨギさんはインドのものだけではなく、日本や欧州の美術・デザインにも造詣が深くあられました。ヨギさんからはたくさんの方のお名前をお聞きしたように思います。そして、思いついたことなど、何を質問してもお答えいただけるのがいつも驚きでした。

その当時、私はヨギさんに図書館で美術書をよくご覧になっていたとお聞きしたことがあったと記憶していました。
そこで改めてシャーンティマイーさんにお聞きしてみると、図書館から白隠禅師や俵屋宗達、またその他、多くの巨匠の美術書をシャーンティマイーさんがよく借りてきていたそうなのです。ヨギさんはそれをご覧になっていたのですね。
そして、ヨギさんがおっしゃったことを教えていただきました。
本屋に行けば手軽に買える絵画のペーパーブックもあるけれど、そのようなものは色も出ていないし、安易に買ってはダメ。でも美術書なら色目もしっかりと表されている。本物を見ないとダメ。そう教えていただいたそうで、図書館から借りてくるという流れになったということでした。また展覧会などには、お母様とよく足を運び、度々本物に触れて来られたそうです。

これまで、ヨギさんが何かを選ばれるものを数少ないながらも見せていただいて、本当に良いものをご存知だからこそ、いろんなもので埋もれている中から、本物を見つけることができるんだと思ったことがありました。何事もあまり深く物事を探究せず、本物に触れることが少なかった私でも分かるくらい、ヨギさんの物を見る目は特別に感じられました。

私が描いたものは日本画というには申し訳ないほど、程遠いものではありますが、新たなヨギさんに触れていただけたら嬉しいです。

そして、今週土曜日、23日はいよいよ師の御聖誕祭です。きっと多くの人が心待ちにされていることでしょう。当日に参加できる方も、できない方もいらっしゃいますが、ヨギさんへのみんなの愛がいっぱい詰まった祝祭になりそうな予感。とても楽しみです!

シャチー


自分の中にある真実に瞑想することで、強くなる

静かで穏やかな人。
私が初めてマイトリーに会った時の印象です。

東京で共にヨーガを実践する中で、マイトリーから感じられる静けさがさらに深まったように感じることが何度かありました。マイトリーの中にある芯のようなものがどんどん強くなっている感じがしていたので、何を大切にしてどのようにヨーガを実践しているのか、話を聞いてみました。

スポーツクラブでひと通りの運動をやり尽くすほど、健康だったマイトリー。身体の自然治療力をもっと高めたいと思っていた時に興味を持ったのがヨーガ、やるからには本物のヨーガを教わりたいと思っていました。
2007年、都内のカフェで開催されたヨーガのワークショップに参加したマイトリーは、会の中で聞いた「真実は誰もの中にすでにある、1人の例外もなく」という言葉に強烈に惹かれ、その後すぐにMYMのアーサナクラスに参加。初めてのクラスが終わった後、会場を出て歩き始めると体の重心が持ち上がったような感じがして、意識はあるけれど自分と外界の境界がなくなった感覚に驚き、毎週クラスに通うようになりました。クラスに参加する度に呼吸が深まり、心身ともに軽くなるという変化を実感。
実践を続けるうちに、日常生活においても変化が起きました。以前は揉めることもあった家族のことを客観視できるようになり、感情に巻き込まれなくなったそうです。
気付いた時に感情を捨てる、それを繰り返すことで気持ちを切り替えられるようになり、仕事も家のことも、思いを引きずらず淡々と行う習慣が身に付きました。
「自分がどんな環境に置かれたとしても、やるべきことは同じと思って生活している」
この言葉を聞いて、私がマイトリーから感じた強さは、こうした実践の積み重ねによるものなのだと思いました。

師のお写真の隣に師が描かれたブラフマーンダ(梵卵)を置いて、瞑想しているそうです。

マイトリーにとっての目標は、誰もの中にある真実を実現すること。
寡黙で自ら語ることはあまりないけれど、
「ヨーガを始めた時から変わらずずっと、自分の中にある真実に、瞑想し続けている」
そう語るマイトリーの表情はとても穏やかで、揺るぎない強さを感じます。

素敵な笑顔のマイトリー

 

ハルシャニー  

 


11/3 瞑想ワークショップのご報告

文化の日の11月3日、京都御前のマハーヨーギー・アーシュラマで「瞑想ワークショップ」〜芸術に秘められた真理に瞑想する〜が開催されました。

シュリー・マハーヨーギーが1988年に辰年の年賀状を書かれた時の龍(ナーガ)と、東京グルバイが制作したサハスラーラ・チャクラが参加者を迎えた。

当日は爽やかな秋晴れになり、多くのグルバイ(仲間)をはじめ、新規の方にもご参加いただき、たいへん歓びに溢れた会となりました。

会では、師シュリー・マハーヨーギーの手掛けられた芸術作品5点を鑑賞し、師の生涯やその作品に込められた意味や背景をご説明した後、各自が作品を1つ選んで瞑想しました。


その後、4人のスピーカーの方に師の作品に親しみ瞑想した体験談をお話していただきました。


私は司会進行役でしたが、会に向けて準備をしていく上で、師の芸術作品をじっくりと見ていきました。
そうすると、さまざまな疑問が湧き出てきました。
「なぜ、サハスラーラ・チャクラの中央は緑色なのか?」「白ターラーの鈴は何を象徴しているのか?」「如意輪観音のモチーフは何か?」「なぜ、師は無一物中無尽蔵の禅語を書こうと思われたのか?」etc
疑問が出てきては師の妹さんでもあり一番弟子のシャーンティマイーさんにお尋ねし謎解きを進め、当日を迎えました。
そんなことを数日ずっと続けていると、日常生活の中でもその仏や菩薩が至るところに見える経験があったのですが、体験談をお話してくださったスピーカーの方々は、師の作品に親しみ瞑想していくことで日常においてもさらに歓喜や慈悲を感じるといった体験があったそうです。
本当に師の芸術作品は心を真理へと導く物凄いエネルギーをもったものだと感じました。

何よりこの会では、参加された方がとても歓んでおられたのが印象的でした🪷


そしてこの度、師シュリー・マハーヨーギーの展示された作品5点が瞑想カードとして販売されることになりました!!!
詳しくはこちらをご覧になってください💁‍♂️「シュリー・マハーヨーギーの作品を瞑想カードに」

「無一物中無尽蔵」(1993年)

ゴーパーラ


呼吸が変われば生き方が変わる ~師から授かったアーサナ~

木々が少しずつ色付き始めていますね。太陽の光でキラキラしている赤い葉や黄色の葉、常緑の濃い緑色、いろんな色の葉っぱがふわ~っと揺れているのを見ると、全身に気が駆け巡るような歓びがこみ上げます。ポツポツ雨が降り始めると、水がこの世界を潤し、世界も自分も清められていく静かな気持ちになります。

そんなふうに感じるようになったのは、アーサナをしてきたことが関係しているように思います。アーサナは、瞑想するための身体の基礎をつくってくれるもので、その身体の源でもある呼吸を変化させると師から学んできました。その呼吸の変化は、自分の体と心をまるごと変えてくれます。ヨーガを知る前は、自分の呼吸について意識をしたこともなく、ヨーガを始めた動機も呼吸には特に関係ありませんでした。でも、今になって動機を振り返ると、実は「呼吸」が重要だったんだ・・・と実感します。

オレンジのマリーゴールド

近くの花壇のマリーゴールド。

20代半ばで師に初めてお会いし、人生の悩みをお伝えした日、師はヨーガの考え方をとっても簡単な言葉でたくさん教えてくださり、毎日アーサナを続けていけばいいよ、そうすれば自然に呼吸が変わって、そして心も落ち着く、そしていらないものは自然と剥がれ落ちていくから、ということを言ってくださいました。

師の雰囲気があまりにも静かで優しく、それでいて快活でユーモアに溢れていて、無垢な方で、一瞬で大好きになってしまい、アーサナを続ければこんなふうになれるのかな~と憧れました。クラス指導者の先輩たちも師と同じ雰囲気で、やっぱりヨーガを続けていけばこういうふうに私もなれるんだ~と思いました。人の雰囲気とか、佇まいとかの見えない空気感を形作っているものは、「気」や「呼吸」が関係していると感じています。

当時ヨーガを始めた動機の一つでもあった自分の悩みの原因は、外の環境にあると思っていましたが、ヨーガを学ぶにつれ原因は外ではなくて私の心、私の受け取り方にある、と客観的にとらえられていきました。だったら、心を変えよう!と決意するものの何度も知らないうちに同じ思い方をしてしまっていました。その同じ状態のままの心を使って自分で自分の心を変えることは割と難しく、意志の力だけではどうしようもない思考の癖や心の傾向みたいなものが邪魔をしてきて、私は私の思考から逃れることはできない・・・と堂々巡りの心と格闘することも多くありました。

しかしそんな時こそ毎日のアーサナに助けられました。アーサナには、自分の心と格闘せずに、それらは少し保留にしたままで、心を動かしている「気」を制御していくことで、心や考え方そのものを変えてしまう偉大な力がありました。アーサナを真剣にただ毎日続けることで自動的に呼吸が変化していくのです。呼吸が変わったことで心の癖や傾向も薄らいでいきました。アーサナクラスに通いながら家でアーサナをする日々の中で、荷物を下ろしていくように身軽になっていきました。

そしてヨーガを学び数年経った頃、どうすればもっともっと自分の憧れの状態に近づくのかと悩んでいたことがあり、その時に、呼吸に懸けようと決めて、アーサナクラスに週1回通うのは既に習慣でしたが、それ以上に通いつめ、家での毎日のアーサナも、より真剣に特に吐く息に意識を置くことを一定期間続けました。すると、停滞感や焦りはいつの間にか消えてゆき、その代わりに強い意志と入れ替わっていました。憧れの境地へたどり着くには一生かかるかもしれないけど、でもヨーガが好きだからあきらめないでずっとやっていこう!と。アーサナでひたすら吐く息に集中していったその経験は、自分の心を内奥から変え、たくさんの贈り物を与えてくれました。

師のアーサナを正しく続けると、呼吸が自然に変わります。今、生きているということは、呼吸をしている、ということでもあるので、その呼吸が変われば、生き方が変わることになります。心を変えるためには呼吸を変えるのが一番早道だと学んできました。

師は、正しいアーサナの復活もご自身の使命だとおっしゃっていました。師から教わり授かったアーサナを大切に守り伝承していくことは、自分たちの責任と使命でもあると感じています。そのためにもアーサナは怠らずに、これからも真剣に学び実践していきたいです。

プラーナ(気)が調うことで体感が変わり、見ている世界や感じる世界、そして生き方が変わりました。師と初めてお会いした日、師が私に言ってくださったように、誰でもアーサナを正しく真剣に行なえば、自分の中のいらないものは勝手に剥がれ落ちていくと思います。

ただ葉っぱが風に揺れているだけで、こんなにも嬉しく感動して愛おしいと思える心になったこと、かけがえのない師に感謝します。アーサナがもたらしてくれる素晴らしさを、一人でも多くの人と分かち合っていきたいです。

おにクル前の白い花

茨木市クラス会場、おにクル前の道の可愛い花。


~お知らせ~

11月9日(土)茨木市「おにクル」でヨーガ的 1から4の呼吸を知って、心を静め全集中を身に付けよう!という、まさに呼吸を変える1歩となる無料ワークショップもありますので、
ぜひ人生を変えるきっかけの1歩を体験しに来てください♪
⭐️ワークショップ体験後にクラス予約された方は、次回クラス受講料が 通常1500円のところ1000円で受講できます。

ナリニー


神の御名の力

10/20(日)待ちに待った丹波バクティ・サンガムを無事開催することができました。

予想外の寒さと時折雨が降り出しそうな空模様でしたが、共にキールタンを歌い、過ごす時間はよろこびに満ち溢れていました!!!
会の中でミラバイさんは、キールタンを歌い慣れていない方や初めて神の話を聞かれる方にも、少しでも理解が育まれるように、易しい言葉でキールタンや神について教えてくださいました。

参加者の方から嬉しいご感想が届きましたので、ご紹介させていただきます!

「ミラバイさんの声が素敵でした。ミラバイさんやみんなと歌っていると、嫌なことが全部吹き飛びます。本当に今日はありがとうございました。楽しかったです」

「とても心地良い時間でした。歌えるかなと心配もあったんだけれど、歌ってると、とても気持ち良かったです。みんなで歌う感じが、とても心地良かったです。実は私、ミラバイさんって、雲の上の人くらいに思ってたんです。本(『真実を求めて』)で知った人やから。けど、実際会ったら、なんて自然体な人なんだ〜って思った〜。ステキな方ですねー。
ヨガの神さまの話、興味深いものでしたよ。普段、そんな事話す機会ないから、お話、面白かったよ。クリシュナが、好きになりました」

私がとても印象的だったのは、会を終えた後の皆さんの顔がほころんで、柔和な雰囲気を感じたことです。 普段から一緒に歌っている仲間の中には、キールタンを歌うことは大好きだけど、神に対しては何か抵抗のようなものを感じておられた方がいらっしゃいました。けれど、この会を通して、ご本人は気付いておられないかもしれないけれど、何か受け取られたものがあったのではないかと感じました。

ミラバイさんは、クリシュナが、愛についてとてもシンプルな教えを説かれていたことを教えてくださいました。それは、「愛によって神に到達することができる」ということです。そして、それは知識も技術も何もいらない、ただただ純粋な愛だけがあればいい、たとえ神のことを知らなくても、御名を唱えることによって、少しずつ心の中に神への愛が生まれてくると思います、と話されました。

京都からはるばる足を運んでくださったミラバイさん、そして、いつも変わることなく見守り、導き続けてくださっているヨギさんへ、心から感謝を捧げます。

これからも、共に神の御名を唱える仲間が一人でも二人でも増えていくことを願って、活動を続けていきたいです。

藤原里美